第3069日目 〈名刺代わりの小説10選。〉1/2 [日々の思い・独り言]

【凡例】
・国内外、時代不問で<小説>と呼ばれる散文をのみ本稿では取り挙げる。
・長中短編の別は問わぬものとし、一作家一作品を選んで簡単なコメントを付す。
・海外小説の場合は日本語に翻訳された作品のみ取り挙げる。
・シリーズは全体を取り挙げることを専らとするが、その内の特定作品を挙げる場合がある。
・表記について、長編は『』、中短編は「」、シリーズは《》で示す。
・作品が複数社より出版されている、或いは同一出版社より判型・装釘等を変えて出されている場合、日常親近しているヴァージョン、架蔵のヴァージョンを取り挙げる。
・取り挙げた作品について、現在流通しているか否かは問わぬものとする。
・作品の取り挙げる順番はなんらかの順位等を指す、或いは暗示・示唆するものではない。
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「では始めましょう、幕間狂言(アゴーン)を」

──ロレンス・ダレル『黒の書』より。

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一;コナン・ドイル《シャーロック・ホームズ》シリーズ 延原謙・訳 新潮文庫
 ホームズの翻訳は各時代を代表する訳者によって出されているが、延原訳の価値や意義は揺るがぬと思う。ヴィクトリア朝英国人の口調を日本語に移し替えて、これ程品格と雰囲気をみごとに表現した訳は知らない。
 わがホームズ入門の扉を開き、いまに至るも座右に鎮座坐す新潮文庫版を数ある翻訳の代表としたい。同じ新潮文庫から、いまはご遺族の手に成る改訂版が出されている。

二;アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』 清水俊二・訳 ハヤカワ・ミステリ文庫
 ホームズの次に読んだ海外ミステリ。赤川次郎がエッセイで紹介していたので興味を持ち、高校の帰り道に寄った横浜駅の書店で購入した。開巻早々のスピーディな展開にあっという間に引き込まれ、あれよあれよとインディアン島に集められた一行へ突きつけられた過去の犯罪を告発する声、そうしてマザー・グースの童謡に基づいた連続殺人の幕が切って落とされる……。
 意外な真犯人に思わず「えっ!?」と声をあげて、相鉄線の同じ車両の人たちから好奇の目を向けられて恥ずかしかったのも良き思い出。それ程までに本書はショッキングであった、なにしろ自作小説で思わず真似てしまったぐらいである(もっとも、『アクロイド殺し』をこのときに読んでいたら、たぶん同じことをしていたのでしょうけれど)。
 後年、英語の勉強にペーパーバックを読み出したとき、2番目に手を出したのが本作である。あらかじめ筋がわかっていたとはいえ、中学生程度の単語レヴェルでどうにか読みこなせたぐらいだから、こりゃあ英語圏でも老若男女に愛読されるわけだわ、と妙に納得した記憶がある。それからしばらく、未読のクリスティをペーパーバックで読み倒してゆく日が続いたっけ……。

三;赤川次郎『怪談人恋坂』角川文庫
 うーん、正直悩んでます。迷ってます。初めて読んだ赤川次郎は中学の図書室で借りた『幽霊物語』だった。初めて自分で買った赤川次郎は『幽霊から愛をこめて』だった。なにしろ高校一年生のときは、たとい11月にキング『シャイニング』が復刊されたと雖も赤川次郎しか読んでいなかった記憶だけが残っているからなぁ(これ、なんかのフリだと思うてな)。
 重複しても処分したことが一度もないから、おかげさまで現在みくら家には赤川次郎の本が600冊近く貯まっておる──まだまだ増えるでしょうな。そのなかから<名刺代わりの小説>を1冊選ぶのがどれだけ無理難題か、おわかりでしょうか……?
 そんななかから『怪談人恋坂』を選んだのは、これが弩ストレートな人情怪談で、しかもジワジワきて、心の奥底にいつまでも澱になって残り続けて、いつかふとした拍子にそこへ戻ってゆく類の、<ヴェリー・ベスト・オブ・アカガワジロウ>と呼ぶべき作品だからである。
 むかしから赤川次郎は落語に親しんで、初任給だか最初の稿料だか新人賞の賞金だかで六代目三遊亭圓生の、LPで全100枚になんなんとする全集を買いこんで、忙しいなか針を落として聴き耽ったという。台詞で場面を始める、必要な情報を落としこむ、キビキビした会話のテンポ、そのまま赤川作品の特徴ともいえる軽妙な会話作法は、圓生の名人芸が体のなかに養分として吸収された結果である。
 そうして落語の主要ジャンルである<怪談>に挑み、成功したのが『怪談人恋坂』である。これまでもホラー小説は赤川作品の柱の1つをなしていたが、そこから一歩も二歩も進化して、いわば極北に達したという表現も過ぎはしない作品──続いて『幽霊の径』というこれまた怖い怪談が発表されているが、失礼ながら赤川次郎のキャリアの本当の頂点はこの時期にあった、とわたくしは考えている。

四;スティーヴン・キング『シャイニング』深町眞理子・訳 文春文庫
 それまで読んできた海外小説といえば、前述の通りドイルとクリスティで、現代を生きている作家の本に触れたことがなかった。そんな意味で『シャイニング』は三重の意味での<初体験>を為さしめた作品である。即ち、いまも新作を発表している現役の海外作家の作品を手にするのが初めてであり、モダンホラーと呼ばれる作品を読むのも初めてであり、平台に積みあげられた新刊を衝動買いした初めての経験をさせてくれたのが、『シャイニング』だったわけだ。
 ちょうど下手くそながらも小説を書き始めて、将来はこの道で食べてゆけたらいいな、とか考えていた時分だったから、『シャイニング』は小説作法の教科書にもなった。村上春樹が「(フィッツジェラルドの短編「冬の夢」と「バビロンに帰る」を)幾つもの部分に分解し、虫眼鏡で覗くように文章を調べあげ、いったいその中の何が僕を魅きつけるのか納得のいくまで読み返した」(「フィッツジェラルド体験」『マイ・ロスト・シティー』P17 中央公論新社《村上春樹翻訳ライブラリー》 2006/05)のと同じようなことをした。
 とはいえ、わたくしの場合は書き写して段落の作り方や文章の構成を覚えていったり、キューブリックはどうして原作から離れてああした映画に仕立てあげたんだろう、というが精々だった。もっとも、前者についていえばキングの原文ではなく、深町眞理子の訳文からの独習ということになるが。
 とまれこれを皮切りに令和のいまに至るまで34年間(!!)、ずっとキングを追いかけ、師とも神とも崇めているのだから、やはり<必要なときに必要な人に会う><必要なときに必要な本と会う>という経験は大事だな、と思うのである。
 そういえばキングは、海外作家で初めてハードカヴァーを購入した作家であった。それまでペーパーバックこそポツリ、ポツリ、と読んできてクリスティの英語とはだいぶ違うなぁ、と読んでは投げるを繰り返していた頃、横浜そごうの書店の洋書コーナーにキングの新作が並んだ。『The Dark Half』である。ロメロは既に映画化権を獲得していたそうだが、そんなこととは関係なく、心底からこれが欲しい、と思うた。キングを読むようになって初めて新作の刊行に立ち合い、しかもそこには著者キングの近影も掲載されているのだ。買わずになんとする? けっきょく、高校卒業の日、謝恩会の前に件の書店に足を向けて二千何百円を支払ってカバンに詰めこんだ……。そんなことを、思い出した。

 五;久美沙織『薔薇の冠、銀の庭』コバルト文庫
 ベタな恋愛小説である。当時のわたくしの好みにはばっちり合う作品であった。はい、そこ、笑わない。
 チト重い話になるが、これを読んだのって確か、婚約者が亡くなった少しあとではなかったかな。自宅に庭を薔薇で埋め尽くした子だったから、なおさらこの本が気になったのかもしれない。
 一年間の留学から帰国して元の高校に編入した男子高生とイマカノとかれを慕う後輩の、まぁ三角関係? な物語なのだが、実はそう捉えているのはイマカノだけで、男子は呆れ、後輩はどこ吹く風である。けっきょく色々あって男子高生はイマカノと別れて後輩と付き合うことになるのだが、ううん、誰がどう見てもアンバランスなカップル、お似合いなカップルっているけれど、この場合は収まるべきところに収まったという感が強い。収まるまでに様々な障害が生じるのは恋愛の常ですが、この3人はそれぞれ別の意味で変に達観している部分があるからタチが悪い。
 「男は涙を見せぬもの」と池田鴻は歌って、わたくしもそれを守っている者ですが、それでも敢えて告白してしまえば、この小説を読んでいるとき、ずっと涙腺が緩みっぱなしで、時に決壊して、読むのを一時中断して顔を洗ってふたたび読み始め、深更までずっと。巻を閉じるときは正直な話、物語のなかの2人に嫉妬しましたね……。
 武者小路実篤『愛と死』、作者失念/アメリカで出版されたヤングアダルト小説『PSアイラブユー』をこの前後に読んでいるが、いずれも涙腺を崩壊させた経験を持つ。武者小路では後年、『友情』を沼津に行く電車のなかで読んだが、これにも最後はウルッと来たな。もうこの子と逢う機会はないんだろうな、と思ったら、つい、ね。もっとも、それがいまの妻なわけですが。うーん、あれって何年前だい?
 この人についても、赤川次郎同様どれを取り挙げるか、迷ってしまった。《やーくん》シリーズ(『夢のつづきはかためを閉じて』、『ロマンチックをもう一杯 夢のつづきはかためを閉じて Part2』)か、半熟せりかシリーズの『碧い宝石箱』にするか、SF/ファンタジー短編集『あけめやみ とじめやみ』にするか……。最終的に『薔薇の冠、銀の庭』を選んだのは、前述の通り個人的な思い入れの深さ尋常でないがゆえであります。
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 残念ながら、バッテリー切れである。残りの五作については明日以後、触れよう。
 (順不同で)ラインナップだけいうと、綾辻行人『暗黒館の殺人』、田中阿里子『藤原定家愁艶』、アダムズ『ウォーターシップダウンのうさぎたち』、南木佳士『阿弥陀堂だより』、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』である。もしかしたら入れ替えがあるかもしれないが、そうなったらむしろ「どうして差し替えたのか」など妄想に耽っていただけるとうれしい。
 なお、クライヴ・バーカーと岩木章太郎については当該感想文をお読みいただきたい。◆

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