第2504日目 〈『ザ・ライジング』第4章 24/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 「で、深町さんのことってなんですか?」境内にあった木製のベンチに腰をおろして、白井は訊いた。
 くすくす笑ってから、「その前にお喋りしましょうよ。深町さんのことはその後でいいわ。どうせ大したことじゃないから」と池本がいった。「まずは思い出話ね。私達が初めて一緒に過ごす夜の幕開けに」
 「どういう意味です?」
 「本当は期待しているくせに。今夜を限りにすべてが変転するのよ。私はあなたの女になり、あなたは深町さんを忘れるの」
 「さっぱりわけがわからないな」白井は頭を掻きながら、立ったままでいる池本を見あげた。「なにがいいたいんですか?」
 池本が大仰に肩をすくめた。「まあ、種明かしは追々してあげるわ。そんなに慌てることはない。夜も私達も始まったばかりなのだから」
 なにかいおうと口を開きかけたが、池本が掌をこちらに向けて制するような素振りを見せたので、彼はそのまま口を閉ざした。池本の態度が他人を威圧し、屈服させてしまうものであったがために。
 「覚えてる? 私達が初めて会ったときのこと。――覚えてない? ふふ、そうかもね。でも、私ははっきり覚えているわ。あなたが教育実習で学園にやってきた朝、私は職員室に行ってた。あれ、見馴れない人がいるな、この人が今日から来るって聞いてた教育実習生なのかしら、って思った。それでね、突然、ぴん、と来たのよ。この人だわ、って。私をいまの生活から救い出してくれるのは、この人に違いない、ってね」
 「そりゃあ、ずいぶん身勝手な思い出ですね。だけど、池本先生。僕のあなたの印象は最悪です。保健室に行ったらいきなり襲われたんですからね。いま思い出してもぞっとします」
 「へえ、どうかしら。あのときのことはよく覚えているよ。白井さん、あなたのアレ、すっごく固くなってたわね。口ではいろいろいってたけど、本当は私とやりたかったんでしょ? もしかしたら、その日は一人でしちゃったんじゃないの?」
 「そんなことないですよ」と白井はいった。保健室で襲われた日の晩、手淫に耽ったのは事実である。ただ、そのネタになったのは、池本の艶姿ではなく、同じ日の午後、階段で偶然見てしまった希美のパンチラだった。
 「下手な嘘つかなくたっていいわよ。ともかくね、あの日からずっと私はあなたを想うようになった。知らないでしょ、私がどれだけあなたを想い、あなたの女になるのを望んでいたか?」
 白井は首を横に振った。「知るわけないじゃないですか。知りたくもないですよ」
 「でも、教えてあげるわ。あなたは知っておく義務があるんだから。私の想いを受け容れるしかないのよ」
 「ねえ、ちょっと。池本先生、あなた、何様のつもりなんですか? なんで僕が先生の気持ちを押しつけられなくちゃならないんですか?」
 「決まってるじゃない。私達は今日から恋人同士になるからよ」いとも当たり前のようない口振りであった。
 「おい、待ってくれよ。だから、なんで恋人にならなくちゃいけないのかな。僕には深町さんがいる。なんであとからしゃしゃり出てきて――」
 「昨夜もいったはずよ。あなたに深町さんは似合わない、って!」
 「でも、僕と先生ほどじゃない。僕のことを好いてくれるのは――はっきりいって迷惑ですけれど、まあ、ありがたい気持ちです。でも、諦めてください。僕は深町さんを愛しているし、深町さんだって僕を愛してくれています。昨日もいいましたが、僕達は結婚の約束をしました。だから、僕達に関わらないでください、金輪際ね。いいですか?」
 「そんなの、お断りだわ」池本がにべもなくいった。
 「わからない人だな。あなただって知らないわけじゃないでしょう。一組のカップルの誕生の影では必ず誰かが泣いている、ってこと。先生、お願いですから、深町さんと僕のために諦めてください。自分でもひどいこといってるな、ってわかってます。けれどね、先生。先生の理不尽で横暴な愛の押し売りにくらべたらそんなの、ものの数ではありませんよ。もっと自分にふさわしい男を探してください」
 「あなた以外に誰がいるのよ!? 私にはあなたしか見えていないのに!!」
 「そんなの、僕に訊かないでくださいよ。それにね、先生のやってることはれっきとしたストーカーですよ。その気になれば、僕は先生を訴えることだってできるんです。覚えておいてください。――それじゃ、僕はもう帰りますよ」□

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