第2505日目 〈『ザ・ライジング』第4章 25/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 ベンチから立ちあがろうとした。が、池本に両肩を強く押さえこまれて、そのままベンチに坐り直された。いまにも牙をむきそうな野獣めいた表情で、池本が白井を見おろしている。
 「待ちなさい。深町さんのことがまだよ」
 「ああ、そうでしたね」と白井はいった。一変した池本の声音に、心底ぞっとさせられたからだった。「さっさと話してください。彼女がどうしたんですか」この場から立ち去りたい、それも一刻も早く。そんな気持ちからか、白井の口調は極めて事務的なものになっていた。
 「さっき、あなたは一組のカップル誕生の影で誰かが泣いてる、っていったわよね?」
 白井はこくりと頷いた。
 「私とあなたがくっつくことで、深町さんが泣くことになる。道理よね?」
 「ええ、理屈はわかりますよ。だけど、それが現実になることはないと思いますけれど?」
 「――ねえ、白井さん、あなた、傷物の女は好き?」
 「どういう意味ですか?」
 「あら、鈍いのね。私とあなたが恋人になる。誰かが泣く。傷物の女。これでなにか連想できないかしら?」
 ほんの数瞬、白井は砂利の敷かれた地面を見つめながら、考えた。そうしてすぐに、さっきは考えまいとしていた最悪の出来事が脳裏に浮かび、確信となって彼に迫ってきた。「――おい、まさか!?」
 にこやかな顔で頷いている池本を見据えながら、白井は立ちあがった。
 「お前、彼女になにをした!?」
 「いまごろ……」とゆっくり池本は口を開いた。「いまごろ深町さんは男を知った体になってるわね。宴はだいぶ前に終わってると思うけど、もしかするとジャンキーみたいになって、腰を振りまくってるかしらね」
 「この野郎!」白井は池本のコートの襟を掴んだ。「まさか希美を……」
 「ふん、希美だって。馬鹿みたい。あんなガキに身を持ち崩しちゃってさ。そうよ、あなたの想像通り、深町希美は学園でレイプされて、もう処女じゃなくなってる。お前の大事な女を傷物にしてやった! ざまあみろ! もうあんなのに興味はないわよね。あなたはただ、あの子の処女が欲しかっただけなんでしょ? それとも、本物の女子高生を相手に制服プレイでも楽しみたかった? どうかしてるわ。だいたいね、年齢の差を考えてみなさいよ。長続きするわけがないじゃない」
 「希美!」踵を返して道路へ足を向けたものの、池本に肩を摑まれた。「放せよ!」
 「もうどうなるわけでもないわ。そんなに彼女を愛してるの? そんなに私よりあの子の方がいい?」
 「当たり前でしょう! ――ちくしょう!」
 「あんた、馬鹿よ。私よりもあんな小娘に夢中だなんて。ねえ、行かないで。私と一緒にいてよ!」
 「いやなこった!」
 「どうして私じゃ駄目なの!?」
 「池本先生、二度と僕達の前をうろつかないでください。希美にこれ以上危害を加えるようなら、僕だって黙っちゃいませんよ」
 「私は理事長と血がつながってるのよ? 私を邪険にすれば、あなたの就職だってなくなるんだからね。それでもいいわけ?」
 「ああ、構わないさ」と白井は即答した。「別にあの学園だけがすべてじゃないさ。こんなご時世だけどね、探せば働き口なんてどこにでもあるんだ」
 「そう。じゃあ、深町さんは? あの子はあと一年あるのよ? あのガキの残りの学生生活がどうなったって知らないわよ」
 「希美に手を出すな。そういったはずだ」
 「そんなに深町さんの方がいいの? ……そう、わかったわ」そういいながら池本は、ポケットの中のレンチを握りしめた。「わかった。あなたのことは諦める。深町さんのことは悪かったわ……取り返しのつかないことをしてしまって、ごめんなさい。謝ってすむことじゃないけど……」
 「まったくですね。先生はあの子の心に一生消えない痛みを与えた。許されることじゃありません。彼女の痛みや苦しみを背負って、あなたはこれから生きてゆくんだ。それを忘れないでくださいよ」
 「……ええ、その通りね。私、明日になったら辞表を出すわ。もうあなたや深町さんにつきまとったりしない。安心して」
 「そうであることを祈りますよ。それじゃ、僕はもう帰ります」くるりと背中を向けた白井の腕を、池本が摑んだ。彼は訝しげな眼差しでそれを見やった。「まだなにか用ですか?」
 「お別れに……この世のお別れにキスしてほしいの。それぐらい、いいわよね?」瞳を潤ませながら、そう池本はいった。
 「嫌です。まだ彼女を傷つけたいんですか?」
 「キスぐらいいいじゃないの!」池本はそういうとすばやく、白井の唇に自分の唇を重ねた。□

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。