第2515日目 〈『ザ・ライジング』第4章 35/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 もしかすると、と希美は不安に駆られた。
 上野先生だろうか、と。あるいは、さっきの三人組だろうか、とも。上野だとしたら、吹奏楽部の名簿を持っているから、家に電話するのはわけないことだった。
 じゃあ、三人組は? そういえば、誰かに頼まれたようなことをいってたな、と希美は思った。俺達は頼まれたのだよ……君の親愛なる友人から。そうあのブルージーンズの男がいっていた。誰かに頼まれたのなら、家の電話番号を知っていてもおかしくはない。
 でも、その理由はなんだろう。刹那、うつむいて考えたが、まさか、と思って顔をあげた。真里が、どうかしたの、という表情で自分を見ているのにも、希美は気がつかなかった。――まさか、また? 冗談じゃない、と希美は憤った。もう二度と犯られるものか。ああ、だけど脅迫されたらどうしよう……知られたくなかったら、もう一度俺(達)の相手をするんだな、とか? 口でいってるだけならいくらでも否定できる。だけど、写真を撮られていたら……
 写真! 希美ははっ、吐息を呑んで、愕然とした。部室で上野に犯されているとき、誰かが入ってこなかったか。口許へにたにたと評判の悪い笑みを浮かべて、誰かが自分のそばに立たなかっただろうか。藤葉ではない。藤葉なら目の前で起きている暴行を力ずくで止めたはずだ。それに、DVCで撮影なんて趣味の悪いこともしないだろう。うっすらと、やがてはっきりと、希美はそのとき部室にいた人物の顔を思い出した。そして、無言電話を繰り返す主が誰であるのかも、なんとなく直感で見抜いた。
 また電話が鳴った。二人はほぼ同時に目を向け、互いを見やった。真里が手を伸ばしかけたのを制して、希美は「私が出る」とだけいって、受話器を取った。そうして、数字ボタンの下の録音ボタンを押した。録音中の赤いランプが点灯した。
 「もしもし?」
 返事はない。もとよりあるとも思えなかった。相手は沈黙を守っている。相手は向こう側で息を潜めていた。気配がゆっくりと伝わってきた。
 「――赤塚さんね? わかってるわよ」
 真里が驚いた表情で希美を見た。視界の端でそれを捉えはしたものの、希美はそちらに視線を向けようとしなかった。
 「――俺だ、深町。赤塚じゃない。あいつは……もういないよ」
 「先生……」希美はそういうのでやっとだった。感情が混乱して、なにをいっていいものか、見当がつかない。
 「お前に一言だけ、謝りたかったんだ。すまなかった。……それじゃ」
 電話はそれで切れた。希美は肩から力が抜けてゆくのを感じた。たどたどしい手つきで受話器を置いたが、いまの電話が現実だったとはすぐに信じることが出来ない。横から覗きこんだ真里の声で、ようやく我に返った。
 「いまの、誰?」
 「――部活の顧問代理。私の……私を……」
 電話に両の掌を置きながら、希美の体がずるずると崩れ落ちた。真里が支えるのも間に合わず、希美は床にぺたりと坐りこんだ。うつろな目で壁を見、電話のケーブルをプラグから抜くと、顔を覆ってしくしくと泣き始めた。
 隣にしゃがみこんでそっと肩に手をやったはいいものの、どう声をかけていいのか、真里にはわからなかった。自分が同じことをされたときを思い出してみても、頭はそう便利に働いてくれそうもない。仕方なく、希美の肩を抱いたままで、彼女が泣きやむのを真里はじっと待った。□

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