第2530日目 〈秋吉理香子『暗黒女子』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 『ダ・ヴィンチ』誌でチェックし忘れた小説を後日、新聞広告にて関心を誘われて買いに走る、ということは、実は殆どない。過去1年を顧みても、さて、いったいどれだけの実績があったか。関心を誘われても書店で実見した末にけっきょく買わずに済ましてしまう方が、圧倒的に多いからだ。書店に出向いて実際に購入に至るケースは、事実上ないに等しい、ということにもなる。が、極めて稀に新聞広告で見た小説をその日のうちに買いに出掛け、一読その魔性に囚われてまわりに奨めてしまうファム・ファタール的1冊と遭遇することがあるのだ。本稿にて読書感想文をお披露目する秋吉理香子『暗黒女子』(双葉文庫)は、まさしくそんな1冊であった──。なお、映画が上映される前にこの文章を公にすることに、さしたる意味はない。
 本書は湊かなえ『告白』以来、ミステリー小説の分野で一大ムーブメントとなった<イヤミス>の系譜に属す。それまでイヤミスの代表作として前述の湊かなえ作品の他、真梨幸子『殺人鬼フジコの衝動』などがあったが、読み終えたあとの気分の悪さは先行作を遥かに凌駕する。イエスの最後の晩餐を模したラスト、とお伝えすれば新約聖書を読んだことのある者は即座に推測ができるだろう。その演出のアイテムが闇鍋だなんて、まこと趣味が悪い。別のいい方をすれば作者の肝の据わり具合に脱帽である。
 と或る女子校の文学サークルの前会長、白石いつみが死んだ。学園のカリスマにして美神、文学サークルのメンバーには聖母マリアに等しい存在であった彼女は、どうして死んだのか。そもそれは自殺であったのか、或いは──他殺であったのか。文学サークルのメンバは学期最後の定例会の席で、それぞれが自作の小説を朗読してゆく。テーマは「白石いつみの死」、どうして彼女は死んだのか? いつみの跡を継いで会長に就いた澄川小百合のリードで、いよいよ朗読が始まる。否、それは朗読というのみでなく、いつみの死の真相と犯人を告発するものでもあった。そうして朗読者以外のメンバーはひたすら闇鍋をつつきながら、それを静かに聞き続ける。
 それでは始めましょう、アゴーンを。──1年A組;二谷美礼は朗読する、自作の小説「居場所」を。2年B組;小南あかねは朗読する、自作の小説「マカロナージュ」を。留学生;ディアナ・デチェヴァは朗読する、自作の小説「春のバルカン」を。3年B組;古賀園子は朗読する、自作の小説「ラミアーの宴」を。2年C組;高岡志夜は朗読する、自作の小説「天空神の去勢」を。そうして最後に会長;澄川小百合が朗読する、自作の小説「死者の呟き」を。会長の開会(&闇鍋ルールの説明)と閉会の挨拶を挟んで、本書は戦慄の展開を見せる。
 朗読される小説はどれもこれもが真実であり、また事実ではない。真実とはあくまでその人にとってのもの、事実はそれらを差し引いてなお厳然とあり続ける出来事。『暗黒女子』は芥川龍之介の短編「藪の中」を想起させる。同時にアンブローズ・ビアースの「   」を。つまり、語り手にとっての(時によっては都合よく脚色された)真実が小説の形を借りて報告される。それは即ち、サークル・メンバーによる白石いつみ殺害犯の告発でもあるわけだ。
 皆がひとりの人物を告発しているならばまだよい(まぁ、小説にはならんがね)。鬱陶しくも楽しいことに彼女らは1人1人、全員が違う犯人を告発して回る。犯人はAさんに相違ありません。否、犯人は実はCさんなのです。犯人と告発された人物は自分の朗読の番になるとそれを見事に覆し、否認して、他の人物を犯人と見做して糾弾する。やがてそれぞれの証言は錯綜と齟齬を来し始め、それが却って全員の心に疑心暗鬼を生み出すのだ。まさに供述は巡り、朗読会は踊る(ここ、あまり深く詮索しないように)。と同時にそれぞれの語る白石いつみ像は微妙なズレを見せ始め、彼女が実際はどのような人物であったかさえも、真犯人と同様に五里霧中なのである。いずれに於いても、真実はサークル・メンバーの数だけあるのだった。
 いちおう、最後の澄川小百合の小説の朗読──実際は代読なのだが、実際の作者が誰なのかは本書を読めばおわかりのことなので、ここでは特に理由はないが伏しておく──で白石いつみを巡る哀しみと幸せと怒りに満ち満ちた事件の真相が語られるのだが、これとて事実であるかどうかの保証はない。その直後に訪れる犯人への制裁が前述の闇鍋なのだが、ここにも実はとんでもない計画が張り巡らされている。読後の気分の悪さではイヤミス史上特筆すべきものだ、というのは、この2点にすべてのベクトルが集約されるからだ。
 「二度読み必至」とは乾くるみ『イニシエーション・ラブ』以来目に付くようになった惹句だが、本書についても同じ惹句がささげられるかもしれない。但し、巧妙に張り巡らされた伏線を辿ってみるのではなく、メンバー各自が朗読した小説や開会と閉会の挨拶のなかで報告された出来事を点検し、摺り合わせ、検証するという作業に傾くけれど。これを単なる暇つぶし的行為と取るか、或いは知的遊戯と取るか、それは本書を読み終えた各自で判断されるが良かろう。
 ちかごろ読んだミステリー小説のうち、本書程最後の最後まで翻弄され、着地点の予想ができなかった作品はない。こうなるのだろうな、と思うていてもそれが微妙に角度を変えて真相暴露されたり、まったく想定外の方向に話が進んだりしてね。いやぁ、ミステリーを読む楽しみをじゅうぶんに堪能させていただいた。良くも悪くも『暗黒女子』は記憶に残る小説であったよ。こんな小説、滅多にお目にかかれるものではない。◆

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