第2577日目 〈綾辻行人『時計館の殺人』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 シリーズ第5の館のお目見えである。
 『時計館の殺人』の舞台は鎌倉今泉、時計屋敷(時計館)。館は大きく3棟に分かれ、玄関と時計塔があるのが1979年以後に増築された<新館>、初代館主の古時計コレクションがずらりと飾られて今回の惨劇の主会場となる1974年に立てられた<旧館>、そこと廊下で結ばれた先にある開かずの間<振り子の部屋>。
 時計塔に設けられた時計盤は、しかし中庭を向いており、しかもいま針は長短いずれも外されてしまっている。まだ針が備わっていた時分の時計盤を見る機会のあった者はいつでも好き勝手な時間を射しているように見えたものだから、「きまぐれ時計」と呼んでいた(ここ、解決編に至って重要となる指摘)。そうしてシリーズのお約束として、初代館主の依頼を受けて旧館・新館いずれも中村青司の設計になる。
 ──“いま巷で評判の美人霊能者と、曰く付きの洋館で交霊会をやろう!” 物語の発端を有り体にいうてしまえば、こうなる。舞台は鎌倉今泉、時計屋敷(時計館)……とはしつこいか。向かうは交霊会を企画したオカルト雑誌の取材チームと、大学のミステリー研究会(実態は超常現象愛好会)の面々。先に現地入りしていた霊能者と合流した一行は以後3日間、密室状態となった<旧館>にて外部との接触を一切断って、館に棲みつくという少女の亡霊とのコンタクトに臨む──のだが、程なくして第一の、続けて第二、第三の殺人事件が発生。おまけに唯一、いずれの犯行が可能であった人物は早々に失踪してしまい。
 斯くして……交霊会ご一行様、赴きし中村青司の館にて謂われなき──と当初は思われた──連続殺人の犠牲者となりにけり(免れし者もありとは雖も)。
 ……改めて感想を書くために読み返してみると、もうプロローグから露骨なまでに伏線が張られていることにびっくり。その堂々ぶりに却ってこちらはあたふたしてしまうのである……そんな書き方じゃすぐにトリックも真相も見破られちゃうよ! とあらぬ心配を抱きつつ。ミステリ小説を読むに年季の入った御仁ならば、それこそ上巻2/3あたりで幾つかの小さな真相を看破し、かつメイントリックにかかわる仕掛けに気附いて限りなく正解へ近附けてしまうのではないか、というぐらいの堂々ぶりだ。なのに、どうあってもはぐらかされてしまうのに嫌気がさして、挙げ句の果てにはこれがミステリ小説の読者のあるべき姿かもしれないな、と取り繕ってみたりして。
 正直なところを申しあげればですね、遅まきながらわたくしも下巻を半分ぐらいまで読んだところでメイントリックについては察しがついたのですよ。賊に狙われた参加者の一人がお馴染み、秘密の抜け道を通って納骨堂の外に広がる光景を見て驚いた場面じゃった。以下、一部ネタバレな文章になるけれど(『時計館の殺人』未読の方はここから数行を読み飛ばしていただいて構わぬが、読んでしまっても気にすんな。神林しおり嬢もいうておる、読んでいない小説のネタバレなんて記憶に残らない、と[施川ユウキ『バーナード嬢曰く。』第3巻P20 一迅社REXコミックス 2016.11]。だから読んでしまわれてもまるで問題はない。安心して)、昼夜が逆転しているという事態に、108個の古時計が刻んで知らせる<旧館>での時間の流れとグリニッジ標準時が示す外の世界の時間の流れが異なっていること以外、どんな理由を与えられるのか。
 が、さすがにこのメイントリックの全貌──ねじ曲げられた時間が統べる虚構の世界はなぜ作られたのか、それが真実だと思いこませるため敷地内の隅々にまで施された造作の数々はどうして必要だったのか──までは見破ることができなかった。残念、残念。
 本作に於けるメイントリックとは前述の通り、時間の流れ方が<旧館>の内と外とでは異なる、というものだが、実はこれ、犯人が意図して拵えたわけではない。先代(初代)館主、古峨倫典がやがて死ぬべき運命を負わされた一人娘、永遠の夢をかなえてやるためにあつらえた、狂おしいまでの愛情の産物だったのだ。別の単語で表現すれば、即ち「妄執」という。
 永遠の夢──それは16歳の誕生日に母のウェディング・ドレスを着て婚約者と結婚すること。が、昔から信頼していた占い師の口から永遠が16歳の誕生日を迎えることなく死亡することを聞かされた父の胸は、信じたくない気持ちと信じざるを得ない気持ちに苛まされ、引き裂かれんばかりとなった。というのも、かつて占い師が永遠の母の死期を占い、その通りになったのを古峨倫典は忘れていないからだ。そうして永遠にまつわる占いを裏付けるかのように翌年、少女は完治不可の難病「再生不良性貧血」と診断されてしまった……。そこで父は考えた、要するに娘が16歳の誕生日を迎えて結婚式を挙げられれば良いのだ、と。斯くして古峨倫典は資産を投じて時計館<旧館>の設計を中村青司に依頼。完成してからは館内の古時計すべてを、実際よりも早く時間を刻むよう調整、永遠をそこへ幽閉した。
 斯様にして古峨永遠はそこで正確な時間を知ることなく、季節の花々、移ろう季節を楽しむことなく、「本当の時間」というものから徹底的に切り離された環境で成長するのだが、死の直前、10年前の夏の日に敷地内に迷いこんでいた子供たちから実際の年月日を知ってしまう。すべてのからくりに気附いて絶望した永遠は、なかば錯乱して挙げ句に自死を遂げたのだった──。件の子供たちが長じて時計館を訪れたミステリー研究会の中心人物たちであることは、既に述べた。
 自分が永遠のために構築した世界を壊された古峨倫典は、娘に死のきっかけを与えたかの子供たちの名前を調べあげて日記にかれらの名前を、フルネームで書き綴った。愛娘を亡くした哀しみと死に追いやった連衆への憎悪のなかで。為に古俄倫典は「私はやはり、彼らを憎まないわけにはいかない」と無念の思いを滲ませる文章を残さなくてはならなかった……。
 当初は今回の連続殺人、父から聞いたか或いは偶然からか、永遠の自死がミステリー研究会の面々に原因があると信じて疑わなかった永遠の弟、由季弥が非道なる下手人と思われたが……然に非ず。真犯人は別にいた。犯行の動機も、また別にあった。学生たちは10年前の夏の日、我知らずして古峨家の関係者をもう一人、死に至らしめていたのだった。
 ──と、ここまで書いたところで恐縮だが、真犯人は誰か? 動機は? 殺害方法は? エトセトラエトセトラ、本稿では語らず触れず済ますとしよう。時計館<旧館>に閉じこめられた江南孝明と行動を共にして事件の経過をつぶさに観察して、鹿谷と一緒に時計館の外或いは時計館<新館>で提示された手掛かりと記述の齟齬を見落とすことなく検めて、謎解きを愉しまれるがよい。
 なお、講談社ノベルス版「あとがき」にてシリーズ第一期〆括りと位置附けられた本作は、1992年3月、第45回日本推理作家協会賞長編賞を受賞した。◆

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