第2591日目 〈おお、みくらさんさんか、おまえは狂っている、愛がおまえを狂わせている。〉【暫定決定稿】 [日々の思い・独り言]

 風邪を引いて会社を休まなくてならなくなった5日間(註:インフルエンザでなければインチキエンザでもない)、熱に浮かされること度々で体温計で測ってみれば38.2度を平均値としていっこう下がる気配もなく、どうにか辛い体に鞭打ち病院へ行けば「悪質な風邪」と診断されて取り敢えずは流行性感冒でも花粉症発症でもなく胸を撫でおろしたはいいけれど、そうしたら自身の勤怠が不安になって(=給料が下がる)不調を訴える体を動かして出勤を夢想するも実は単なるバイオ・テロ行為に過ぎないと気附かされては諦めざるを得ず、己の管理怠慢から実現した休暇を満喫するより他になく、床に伏しつつ調子の良い一刻を狙って読み止しの探偵小説を繙き、名探偵氏の目にもあざやかな推理と肝を潰すような真相に仰天したのが悪かったのか、再び熱は急上昇を始めて、「病人に探偵小説は禁物じゃ」とぼやいて嗟嘆して後、おとなしく病人に戻ることにした、皆様たいへんお久しぶりな本ブログの管理人(?)、みくらさんさんかであります。
 リハビリも兼ねてワン・センテンスの文章で始めてみたが、さてさて、上手くいったかどうか。<情>と<技>が幸福な一致を見せればこの種の文章、或る意味物書きにとって最強の武器になろうけれど、しくじったら目も当てられない惨劇をもたらすという点で両刃の剣であることは否めない。誠、文章道は険しく厳しくされど愉悦に満ち満ちていることよ。
 ああ、熱にうなされて1週間会社を休んだ、という話だったね。ほう、いまはどうか、と訊ねてくれるのか、わが友、モナミよ。
 そうじゃな、いまは……すっかり平熱となり、まだ怠い体を引きずりながらもどうにかぶじに自宅と会社を往復するだけの、無味乾燥と雖も凪いだ海のように静穏な毎日に戻っている。まぁ本調子でないのが祟ったせいか、いろいろあったけれど、ぼくはだいじょうぶさ、と嘯いて、まだまだ放談は続きいつ本題に入れるか、正直なところわたくしの知ったことではない──なんてね(おい)。
 さて。
 本ブログの更新がしばし滞っていた間もわたくしは文章を書くことをサボっていたわけでは、ない。本格的な再開を視野に入れて原稿を書き溜める努力はしてきた。たとえば日常の記憶を留める上記第一部の如き文章や、或いはレビューの類の筆を執っていた。それらのうち或るものは投稿されてお披露目されるのを待つだけとなり、或るものはお披露目に値せずと判断して仕舞いこみ、或るものは幾度となく筆を執ったが結局まとめられずに放り投げてしまっている。
 じつは最後のパターンがいちばん厄介なのである。未練がましく筆を執っては投げ出すを繰り返し、完成に向けて取り組むことも諦めて仕舞いこむこともできないままいたずらに日ばかりが過ぎてゆき……。しかもそれらの過半がミステリ小説の書評というか感想文なのだから、始末の悪さについてはちょっとどころの騒ぎではない。
 読み終えてから時間が経つと、断片的な感想や原稿の下書きめいたものがあっても、それを基にして第一稿を仕上げることに難儀を感じてしまうのだね。まぁね、読了から何ヶ月も経っていたらそうなるのも無理ない話なのだが……それでもわたくしは、瑕疵だらけであっても第一稿を仕上げるために足掻きたいのである。然様、内浦に住まうみかん色の髪の毛を生やした女の子のごとく、やれるところまで足掻いてみたいのだ。
 もう好い加減、固有名詞を出してしまうと上記に該当する筆頭は綾辻行人『霧越邸殺人事件』完全改訂版(角川文庫)である。出版された全判型を買い求めてしまう程に大好きな作品なのだが、もしかするとこの「大好き」って想いが筆を鈍らせているのかもしれない。大好きな作品なのだからこそ、ちゃんとしたものを書かなくてはならない、てふ気負いが、却って手枷足枷となってしまっているのだろう。咨、みくらさんさんか、おまえは狂っている、愛の大きさがおまえを狂わせているのだ。
 やはり時間の経過が仇なしているのは最早否定のしようがない。「鉄は熱いうちに打て」──この諺、けっして伊達や酔狂から出た言葉ではないことを、いまこそ実感するね。sigh.
 とはいえ、それは事実のほんの一部を指摘したに過ぎぬ。本ブログにてお披露目してきた幾つもの書評(っぽいもの)は読了してそれ程時間が経っていないうちに第一稿を書きあげてしまったものばかりだ。でも、世にあふれるすべての書評や読書感想文の類がすべて、読後間を置かず一気呵成に、すくなくとも第一稿となる文章が書かれたわけではあるまい。そんなこと、あり得ようはずがない。
 いまは本ブログが本格的な再稼働を始めたときに備えて、往時のように本ブログでお披露目するに値する感想文を書きあげようと、幾つかの小説を棚から引っ張り出してきて悪戦苦闘しているところだ。かつてはすらすらなんの苦労も作為もなく書けていたのが、しばらく満足なものを書いていないといつしか腕は鈍り、筆もなまくらになるのだ──いまのわたくし程それを痛烈に感じ、技能の再習得に脂汗垂らして身をやつしている者もあるまい。
 時間の流れのなかで想いは確実に薄れてゆく。が、それは言い訳であり、詭弁である。技術を習得しなくてはならない。いまはそう真摯に思うている。
 最後に本ブログでお披露目した書評らしきものは、綾辻行人『奇面館の殺人』と中沢健『初恋芸人』であった。以後、どれだけの本を読んで、その半分強について感想を認めたく願い、そうして儚くも夢は散り玉砕の憂き目に遭っただろう。
 横溝正史の金田一耕助シリーズ、連城三紀彦の<花葬>シリーズ、泡坂妻夫や米澤穂信、仁木悦子や小泉喜美子、再びの江戸川乱歩と綾辻行人、ドストエフスキーや太宰治……読書の歓びをわたくしは可能な限り許される限り書き残しておきたいのだ。ライトノベルも含めれば、感想を書き残しておきたい、と切望して止まぬ作品はこれから先も有象無象に増えてゆく筈。どうかそれまで閑職でも構わぬ、定職と定収入に恵まれ、かつ生き存えていられますように……。
 ああ、たくさん本を読みたい!!!◆

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