第2593日目 〈横溝正史「悪魔の降誕祭」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 どうしても出勤前に済まさねばならぬ用事のために1時間半近く家を出て途中下車、どうにかそれを片附けて再び通勤電車の乗客となった或る平日のこと。結果として40分以上も早く会社最寄り駅へ到着したのをこれ幸いとばかりに、近隣のオフィスビルに入るスターバックスに駆けこんでコーヒー飲みつつ、鞄から取り出して開いたのは読みさしの横溝正史である。短編集『悪魔の降誕祭』(角川文庫)。同題短編がちょうどクライマックスに差し掛かるところで電車から降りたので、続きが気になって気になって仕方なかったのだ。
 「悪魔の降誕祭」はもしかすると中編というた方がいいのかもしれない。が、海外の現代小説の分量に馴染んでしまった身にこの作品を中編といわれても違和感があるばかりなので、多々異見はあると承知しがらも短編とわたくしは称して譲るつもりはない。
 おっと、話が脱線したようだ。軌道に戻そう。
 読みさした箇所はまさしく真犯人が金田一耕助の策に嵌まって服毒自殺を果たした箇所であった……即ちこの名探偵による全貌と真相のお披露目はまだされていないという、そんな場面。宙ぶらりんな、もやもやした気分を抱きながら続きを読みたいがためだけに立ち寄ったスタバにて、改めて真犯人が金田一の策に陥れられたあたりから読み始め、そのまま最後の一行最後の一文字まで一気呵成に、一心不乱に読み進んだ。
 歪な情念が生んだ世にも醜悪な連続殺人の物語に翻弄されながら、興奮のまま巻を閉じたわたくしの耳に谺するのは、真犯人が口走った断末魔の捨て台詞。お前如きに捕まるものか! 怖気だつその台詞はしかしながら、極めて計算高く残忍狡猾な真犯人には打ってつけの、これ以上相応しいものはない去り際の一言といえよう。お前なんかに捕まってたまるか!
 金田一耕助シリーズに毒を呷って自殺する真犯人は幾人も登場する(クリスティ作品同様、横溝作品に於いても服毒自殺或いは毒薬を用いた殺人は相当数を占めるらしい)。『犬神家の一族』、『悪魔の手鞠唄』がすぐ思い浮かぶ例だけれど、いずれにしても真犯人が自らの進退の幕引きをするとき、毒を呷りはしても取り乱したり醜態を曝したりするのが専らであった。皆一様に、静かに、厳かに、或る種の誇りさえ抱きつつ退場していったのだ。
 翻って本作の場合は如何か。「悪魔の降誕祭」の真犯人はその系譜に列なることを作者自ら禁じたかのような、救いようのない悪党ぶりを最後に発揮して死んでいった。およそ小説を読んでいて犯罪者の自殺に快哉を叫んだりはこれまで一度もなかったわたくしだが、殊本作に於いては記憶する限り唯一の例外となったことを事の序にご報告しておこう。内なる醜悪に顔を歪めた邪念の権化──「悪魔の降誕祭」の真犯人を一言でいい表すなら、およそそんな感じか。
 そうして事件は幕を降ろし、あとは金田一耕助による真相のお披露目を残すのみとなるが、かの捨て台詞によってのみこの作品は記憶されるのでない。むしろ警察を前にした金田一が真相説明する場面の言葉の端々に塗りこめられた、真犯人への情け容赦なき批判の口吻にこそわたくしはこの一編の真骨頂を見出す。金田一にとってこの「悪魔の降誕祭」事件がどれだけ忌まわしく汚らわしく同情の余地を残さぬ事件であったか、容易に想像できようというものだ。
 真犯人があの場で毒を呷って自殺するってことをあンた本当に考えなかったのかね、と呆れ顔に問う警察に金田一がなにも答えず、おそらくにこにこしながら、或いは昏い眼を彷徨わせながら、ただ沈黙を守っている点は、誠に心胆寒からしむる。或る意味でこの件りこそが本作にていちばん背筋を寒くさせられるところだ。多言は費やさぬ。どうか読者諸兄よ、これを契機に本屋へ走り、「悪魔の降誕祭」をじっくり読み耽って同じように驚嘆かつ厳かな戦慄を味わっていただけぬだろうか……。
 未来のことを確約することはできないが、たとえば1年後にでもマイ・ベスト横溝作品を選ぶようなことがあったなら、きっと「悪魔の降誕祭」はその候補に名乗りをあげ、リストの一角を占めるに相違ない。すくなくとも本稿の第二稿を書いている現時点では好きな短編ベスト5に入っているのである。まぁしばらくはここから追い出されることはないでしょうな。◆

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