第2599日目 〈横溝正史とミルンとウッドハウス。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日の佳編「蝙蝠と蛞蝓」を読んでふと思うたのは、横溝正史が『新青年』誌の編集にかかわり、1年半の間編集長を務めていた時代のあったことである。
 編集に参加したのが大正14/1925年から、編集長の地位に在ったのが昭和02/1927年03月号から翌昭和03/1928年09月号までということから、わたくしみくらさんさんかは推理という名の妄想を膨らませてゆく……愛してやまぬ作家の1人、P.G.ウッドハウスの作品が戦前から翻訳されており、その主舞台が他ならぬ『新青年』誌であったことを思い合わせながら。
 実は探偵小説専門誌ではなく総合娯楽雑誌であった『新青年』は、当時のモダニズムの流れを反映してちょうど横溝が編集参画する頃から、その手の作品を積極的に掲載するようになっていた。同時に誌面へはユーモア小説の類もちらほら顔を見せ始め、その一翼をウッドハウス作品は担っていた(ウオドハウス或いはウォードハウスなどと表記された)。
 それはちょうど横溝が編集に携わった時期の話である。ウッドハウス作品が紙面へ掲載されるに際してどの程度まで横溝がかかわったか不明だけれど、すくなくとも印刷所に回る前の段階で目を通したり、評判や感想など耳にする機会はあったのではないか。
 目を通す機会あったらばその過程で、おそらく鍾愛の一作であるA.A.ミルンの傑作探偵小説『赤い館の秘密』を想起させる春風駘蕩の作風に加えて、上質のユーモアと筋運びの巧みさ、文章の精妙さやそこから滲む作者の教養の豊かさに気が付いたことであろう。因みに横溝正史とミルン『赤い館の秘密』の出会いは大正15/昭和01/1926年、博文館(『新青年』発行元)入社のため上京する以前の神戸時代であった由。
 勿論横溝正史がウッドハウスに直接間接の別なく影響を受けていたか、確認する術はない。随筆集のどこを引っ繰り返してもウッドハウスの名前は見当たらなかった。横溝がミルンを好んだのは「退屈でありながら異様な魅力に満ちている点」(「私の推理小説雑感」より)であり、すべてが結末の謎解きにつながってゆくがゆえに登場人物の一挙一動、一言半句も見落とすことのできない緊張感にあった。
 翻ってわれらがウッドハウスは如何か? その作品は広義のミステリでこそあれ、ミルン始め<ミステリの黄金時代>に足跡を残した作家たちとはひと味もふた味も違う、かれらが描こうとした現実とはいささか乖離した、若干ねじの緩んだ世界を舞台にした作物であった。ウッドハウスのミステリに於ける最高傑作というてよい「ストリキニーネ・イン・ザ・スープ」(『マリナー氏の冒険譚』所収 文藝春秋)はその好例だ。勿論、悪い意味で申しあげているのではない。前面に押し出されてくるのは謎解きではなく笑劇なのだ、ウッドハウスの場合は。
 ウッドハウスもミルンと同じくミステリ小説への愛にあふれていたとはいえ、ミルンと決定的に異なったのはミルンが「現実の人たちについて探偵小説」(『赤い館の秘密』序文より)を書こうとしていたのに対し、ウッドハウスは自身のシリーズ・キャラクターとほぼ変わらぬ<ちょっと珍妙な人たち>がすったもんだする種類のミステリ小説であったのだ。つまり、ウッドハウスはちょっと浮世離れした人たちを自身のミステリ小説でも描いたのである。
 おそらく横溝がウッドハウスではなくミルンの小説を好んだ理由の一端は、こうした登場人物の描き方に由来するのだろう。『赤い館の秘密』に登場する素人探偵、アンソニー・ギリンガムが金田一耕助のモデルになったことを考え合わせると、個人的にはじゅうぶん納得できる話なのだ……。
 まだまだわたくしの横溝正史読書マラソンは始まったばかりである。「蝙蝠と蛞蝓」のようなユーモア漂う作品が他にあるのか、幸いなことにまったく知らない(全作品を読んだ方、ネタばらしのコメントは寄せないで!)。さりながらマラソンの第一コーナーを回ったあたりで、これまでとちょっと毛色の異なる愛すべき掌編に出会えたことは、きっと今後の弾みとなり励みとなるに違いない、と自分は勝手にそう思うている。◆

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第2598日目 〈横溝正史「蝙蝠と蛞蝓」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 心が塞いでいるときに読むユーモア小説程、効用の両極端なものはない。より落ちこませる場合もあれば、わずかなりとも晴れやかにさせる場合もある。これは探偵小説も同じで(いや、ジャンルに限らずなのだろうけれど)、爽快な気分にさせてくれることもあれば、登場人物の誰彼に感情移入し過ぎてやるせない気分になったり……。
 「蝙蝠と蛞蝓」を読了した際、二の次あたりに倩思うたのが、そんなことであった。本作の場合、どちらへ針が振り切れるかといえば、探偵小説に於ける前者となる。成る程、そうかい、爽快な……。
 が、今回感じた「爽快」とはたとえば名探偵の快刀乱麻を断つような推理に陶然とし、想定外の真相に思わず唸って膝を叩いちまう類のことではない。「爽快」の根っこにあるのはユーモア、否、「滑稽」だ。読書の愉悦に浸っている間は始終くすくすさせられてしまうような……。本作を一言で括るなら<笑劇>か(ルビを振るなら、コメディよりファルスの方がしっくりするかな)。
 角川文庫旧版にして27ページの短編を一息に読み終えて巻を閉じたとき、まず胸中に飛来したのは上述のような分析めいた思いの数々では当然なく(当たり前だ)、いやぁ実に愉快な小説を読んじまったぜ! てふ一種の幸福を噛みしめたのである。まぁちょっと心が塞いでやさぐれたくなることのあった数日だったものでね。閑話休題、ハイホー。
 でも正直なところ、横溝正史にこうした作風の1編があるとは知らなんだ。本編は金田一耕助と同じアパートに住む男のモノローグで進められる。かれは金田一耕助とアパートの裏手に住む誰だかの妾が大嫌いだった。悶々と過ごしていた或る日、突如警察が踏みこんできて逮捕された。アパートの裏手に住む妾が殺されたのだ。語り手が疑われたのは、件の妾を殺して金田一に濡れ衣着せる犯罪小説を、腹立ち紛れに書いていたからだ。身に覚えのない殺人事件で警察へ拘留・尋問中のかれの前に颯爽と(?)金田一耕助が現れて……、──さて、事件の真相と真犯人は?──という筋を持つ。
 語り手は裏に住む妾を「蛞蝓」と呼び、金田一耕助をその風貌、その行動、その印象から「蝙蝠」と蔑んで、2人を徹底的に嫌い抜く。その嫌いぶりが「よくもまぁそこまで……」と呆れ顔で讃えたくなるぐらい筋金入りなのである。
 これまでも金田一耕助の能力に疑問を持ったり、その存在に良くない印象を抱いた人物は多くいた。が、斯くも罵倒し、揶揄し、嘲笑し、警戒し、終いには毒気を抜かれた人物とお目に掛かったことはない。むろん未読の作品群のなかにはいるのかもしれないが、わたくしは横溝正史読書マラソンの第一コーナーをようやく回ったばかりの新参者だ。
 まぁね、昼は部屋に寝転がって死体や殺人現場の写真が載った本を読み、夜ともなればいずこともなく出掛け、加えて例の、雀の巣のようなもじゃもじゃ頭に襟が茶色くなったしわくちゃな羽織袴となれば、そりゃあ素性を知らなければ警戒して然るべきだわな。いつもは人懐っこい笑顔とくたびれた風采で相手の懐にするりと入りこんでゆく金田一だが、その登場作には必ず1人2人は金田一をどうにも胡散臭い人物に見、煙たがる人物が現れる。かれらの視点で金田一耕助を活写すればこうもなるか、という格好のサンプル、その一例を「蝙蝠と蛞蝓」は提供しているといえないだろうか。
 ぼかぁこの短編、お気に入りだなぁ。好きだなぁ。
 旧版の文庫解説(中島河太郎)には未記載なので書誌データを記しておくと、本作は探偵小説誌『ロック』(筑波書林)誌昭和22/1947年9月号が初出。書籍初収録は未詳だが、春陽文庫『横溝正史長編全集 第14巻 死神の矢』(昭和50/1975年6月)であるようだ。その後、角川文庫旧版に同ラインナップで収録され、今日では改版された『人面瘡 金田一耕助事件ファイル6』(角川文庫 平成8/1996年9月)や『毒の矢』(春陽文庫 平成9/1997年5月)他で読むことが可能。横溝正史が執筆した金田一耕助ものとしては『本陣殺人事件』(昭和21/1946年)、『獄門島』(昭和22/1947年)に次いで3作目、即ち現実に於いても作中時間に於いても最初期の金田一の活躍が描かれた1編である。
 なお作中時間に於いては「蝙蝠と蛞蝓」、金田一耕助が復員して『獄門島』事件を解決した翌年、昭和22年初夏の出来事であろう由(研究サイト「金田一耕助博物館」内コンテンツ「金田一耕助事件簿編さん室」[http://www.yokomizo.to/chronicle/index.htm]に拠る。記して感謝申しあげます)。◆

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第2597日目 〈横溝正史「死神の矢」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 長編「死神の矢」は、娘の結婚相手を候補者3人から選ぶにあたって奇異な方法をその父親(職業:大学教授)が、知己の仲である金田一耕助に開陳する場面から始まる。舞台は神奈川県の片瀬海岸、そのすぐ近くに建つ館。奇異なる方法とは、海上に浮かべた的を浜辺から矢で射て見事命中させた者に娘を与える、というもの。婿候補は3人が3人ともイヤァな感じの連衆で、でもそのなかの1人が矢を的に中てて晴れて婚約者となったのだ。この出来事が発端となって候補者たちは次々に、自分たちが用いた矢で心臓を射貫かれて殺されてゆく。やがて捜査線上にボクサー崩れの男が容疑者として浮上するが、さて果たして真犯人は──? すべての殺人計画が遂行された後、ゆくりなくも明らかにされる連続殺人事件の真相とは……。
 読んでいてどうしても気になってしまうのは登場人物たち、就中大学教授の父親と3人の婿候補、2人のバレエ研修生の女性の口調である。ぞろっぺえというか演技が過ぎるというか、育ちの悪さが滲み出ているというか、どうしても馴染めぬものを感じてしまうのだけれど、横溝正史が本作を執筆した昭和30年代とは現実に斯様な話し言葉が一般的であったのだろうか。
 かれらとは「育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ」(SMAP「セロリ」)が、記録に残らぬ近過去の風俗を知る一助と捉えれば重宝するか。どうしても登場人物の口調が気になるけれど最後まで読み通すのを諦められぬ向きは、「小説は風俗描写から廃れてゆく」てふ三島由紀夫の言など無視して、たとえば現代日本人の喋り方に脳内変換すればよい。
 そういえば辻真先がかつて赤川次郎を論じたエッセイのなかで、ユーモアとは余裕である旨述べていたのを覚えている。「死神の矢」を読んでいて図らずもそれを思い出した箇所のあったことを、この際だから書き留めておきたい。最初の殺人の第一発見者がそれを金田一耕助以下その場に居合わせた人々に伝える場面だ。申しあげます、○○さんはお食事に参ることができないと思います。どうして? 紛失していた矢が見附かったのです。どこで? ○○さんの胸に刺さっていました。ああ、なんてこったい! ……このやり取りがわたくしをしてジーヴスとバーティのすっとぼけたやり取りを想起させ、それに触発されて辻の持論を思い出したのである。
 勿論第一発見者は気が動転していたからあんなピントのずれた会話になってしまったのだ、といえばその通りなのだが、英国ユーモア・ミステリの雄、コージー・ミステリのお手本というてもよいA.A.ミルンの傑作『赤い館の謎』を横溝正史が愛してやまなかったことを念頭に置けば(ついでにいえば金田一耕助のイメージは『赤い館の謎』の主人公、アンソニー・ギリンガムであった)、最初の殺人事件の第一報を伝えるこの場面を執筆するにあたって著者は、或る種のオマージュをそこに託したと想像を逞しうすることだって可能だ。更に想像を膨らませてあり得る可能性を探索すれば、……いや、これは後日の話題に譲ろう。
 金田一耕助は開巻1ページ目から読者の前に姿を現して、知己の大学教授と婿選びの方法を聞かされて新ユリシーズの挿話を思い出したりしている。つまりかれは最初から事件に巻きこまれるべくしてそこへ招かれていたのだ。
 が、例によって例の如く自分の周囲で進められてゆく殺人劇を未然に防いだり、犯行前の犯人を挙げることはしない。最早読者にはお馴染みのパターンで、或る意味に於いて安全運転を遵守する名探偵である。そのくせ人目に立つぐらいうろうろして証拠を掻き集めているのだから、クライマックスにて婿となる男が金田一の能力を疑う台詞を吐いても読者は苦笑いせざるを得ないのだ。
 然様、まるで金田一耕助という男は名探偵というより連続殺人の見届け役である。真犯人のやむにやまれぬ想いを忖度し、その計画が完遂されるまで犯人検挙に手を貸さない、とでも決めているかの如く──。むろん。真犯人の犯行動機にじゅうぶん情状酌量の余地があると判断された場合のお話だ。1つ1つの事件を点検してゆけばそんなことはないのだろうが、一読者としてはそんな印象を拭えないのである。◆

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第2596日目 〈横溝正史『迷宮の扉』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 横溝正史が執筆したジュブナイル小説はいわゆる<ヨコミゾ・ブーム>を承けて角川文庫に編入された。その際同じ作家の山村正夫によってリライトされたが、①文体を「ですます」調から「である」調に変更、②差別用語/表現等を書き換え、③章見出しの追加、④一部作品に於いて探偵役を由利先生から金田一耕助に変更、以上を大きな柱としている由。
 その後ジュブナイル小説群は角川スニーカー文庫に移籍して現在は全点絶版。うち幾つかの作品は21世紀になってポプラ・ポケット文庫で文体を「ですます」調に戻して復活したが、こちらもいまは版元品切れ状態となっている。しかしながら角川文庫のリライト版は今日でもKindleにて電子書籍版が購入可能だ。
 『悪魔の降誕祭』に続けて読んだ本書『迷宮の扉』は、そんなジュブナイル小説の角川文庫リライト版の1冊である。
 一巻の殆どを占める表題作は、遺産相続を巡る骨肉の争いに巻きこまれた金田一耕助の活躍を描く。
 粗筋を架蔵文庫の裏表紙から転記すると、──金田一耕助の行く所、必ず事件あり。三浦半島巡りを楽しんでいた金田一は、突然、嵐に遭い、竜神館という屋敷へ逃げこんだ。だがその直後、一発の銃声と共に誰かが土間に倒れこんできた。うつぶせになった男の背中の左肺部のあたりから血が噴き出していた。殺された男は、毎年この屋敷の主、東海林日奈児少年の誕生日に、カードを届け、ケーキを切りに来る黒づくめの男だった。不審に思った金田一が尚も聞き込もうとしたが、日奈児の後見人降矢木は、なぜか言葉を濁した……。/莫大な遺産をめぐる人々の葛藤をテーマに、完璧なトリックと緻密な構成で描く傑作本格推理──以上。
 んんん、なにやらわたくしのまとめた粗筋の方が良さそうな気がするが、長いから今回は割愛しておこう(←負け惜しみ)。
 その遺言状の内容や相続(予定)人を擁する家族間の相克など、かの『犬神家の一族』をわたくしは思い出してしまうのだが、こちらはそれよりもずっと軽量級。良くも悪くもこぢんまりとまとまっているのだけれど、それが却って幸いしたか、横溝正史の小説技法がぎゅっと詰まった一級品のエンタメ小説に仕上がっているのだ。かれのストーリーテラーぶり、ページターナーぶりは大人向けのミステリよりもこちら、ジュブナイル小説の方でより堪能できるというてよいだろう。
 本書は他に「片耳の男」と「動かぬ時計」という短編2作を併収する。どちらも毎年の贈り物が物語の中心となる点で共通するが、むろん内容にまったくつながりはない。前者は犯罪物、後者はファンタジーである。いい添えれば両作いずれもシリーズ・キャラクターの登場しない、ノン・シリーズ短編。読み切り短編であるのも手伝って2作には一切の夾雑物なし、寄り道なし、幕が開いたらあとはもうただひたすら結末へ向けて突っ走ってゆくのみ。言葉を選べば、勢いに満ちた作品である。
 某新古書店でなにを思うことなく購入した1冊だけれど、斯様な小説をこの度読めたことがとてもうれしい。横溝正史にこうしたジュブナイル小説があるってことを、不勉強な身ゆえについこの間まで知らなかったもの……。
 ──未読どころか本さえ手にしていないけれど、横溝のジュブナイル小説には<怪獣男爵>なる悪漢が登場するシリーズがある、と仄聞する。『迷宮の扉』でこのジャンルの愉しさを知ってしまった以上、遅かれ早かれそちらへも食指を伸ばすことだろうね。と思うてオークション・サイトを覗いてみると、やれやれ、バラで殆どの作品が出品されているではないか……! 大人向け作品と並行して、ゆっくり愉しみながら読んでゆこう。◆

 ◌初出
 「迷宮の扉」:『高校進学』昭和33/1958年01~12月号
 「片耳の男」:『少女の友』昭和14/1939年09月号(初出時題名「七人の天女」)
 「動かぬ時計」:『少年画報』昭和02/1927年07月号
 初出誌については「TomePage」内「横溝正史小説リスト」並びに横溝正史研究サイト「横溝正史エンサイクロペディア:横溝正史ジュヴナイル作品 -リスト補遺暫定版-」を参考とさせていただいた。記して感謝申しあげます。
 殊後者はわたくし自身横溝作品を読み進めてゆくにあたり他サイトと併せて常に恩恵を被っているサイトである。□

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第2595日目 〈横溝正史「霧の山荘」を読みました。或いは、「Pホテル」とは本当に「軽井沢プリンスホテル」のことなのか?〉 [日々の思い・独り言]

 小説家は自分のよく知る土地を舞台にする。横溝正史とて例外ではない。むしろ横溝はよく知った土地を事件発生の舞台に、積極的に採用し続けた作家として最右翼に連なる人物ではないか。岡山県然り、世田谷周辺然り。そうして此度は信州を……。
 中編「霧の山荘」の舞台は戦後別荘を構えた軽井沢である。横溝正史と信州地方のつながりは古く、昭和8年の大喀血により転地療養を余儀なくされた頃に遡れる。富士見高原や上諏訪などを転々としていたことが、かれとこの地方の馴れ初めとなり、創作の上では短編「鬼火」や長編『犬神家の一族』といった憎悪劇に結実し、実生活に於いては戦後、軽井沢へ別荘を構えるに至ったが、「霧の山荘」はまさしくその軽井沢、就中別荘のある中山道(や北陸新幹線、しなの鉄道線)を跨いで広がる南原という地を舞台に据えた。
 もっと絞りこめば本作の舞台となる別荘地は中山道の南側一帯で、晴山ゴルフ場や軽井沢ゴルフ倶楽部を擁す地域。作中の記述に従えば、6万坪の敷地に40軒ばかしの別荘が建つのみの、「K高原でもちょっと別天地になって」(P222)いる場所だ。ちなみにこの界隈、現在では企業や大学の寮や保養所といった施設が集まるが、なお周囲に古くから所有されている別荘も散見される。
 さて、わたくしことみくらさんさんかはワクワクしながらこの中編を読んでいる最中、ふと疑問に思うたのだ。金田一耕助が事件の依頼を受ける前から滞在するホテルについて、である。
 金田一が泊まる「Pホテル」は軽井沢プリンスホテルであろう、というのが横溝ファン、金田一ファンの間では通説らしい。それに疑いを持つ向きはないようだ。
 プリンスホテルとは西武資本のホテル・チェーンだが、「霧の山荘」が『講談倶楽部』に発表された昭和33/1958年当時、西武資本のホテルがその名称に「プリンスホテル」と冠していたのは高輪と赤坂のみであった。
 軽井沢プリンスホテルの前身は昭和25/1950年開業の晴山ホテルといい、軽井沢プリンスホテルが開業するのは昭和48/1973年。両者が経営統合を果たすのは更に下って昭和52/1977年のことだ。その際晴山ホテルは軽井沢プリンスホテル晴山館へ改称された(現在は「軽井沢プリンスホテル ウェスト」として営業中)。
 従って本作の発表当時は「軽井沢プリンスホテル」なる名称のホテル、この地に存在しないはずなのだが、──
 されど「Pホテル」は執筆当初からの称であった。初出誌を披見する機会こそなかったものの、改稿前の原型作品を集めた『金田一耕助の新冒険』(光文社文庫)には「霧の別荘」という、「霧の山荘」のオリジナル・ヴァージョンが入っている。『講談倶楽部』昭和33年11月号初出のそれには既に金田一の滞在先として、「Pホテル」の名称がたしかに明記されており。
 となると、「Pホテル」とはやはり現在の軽井沢プリンスホテルを指すのか、それとも他に斯く記されるホテルが軽井沢には他に存在したのか。わたくしにはその点こそが本作に於ける最大級の<ミステリ>である。よって不肖わたくしも探偵に身をやつして調査し、近日中にその結果報告を別途一稿を草して読者諸兄にご報告する予定だ。それがたとい無残な結果になろうとも、……。
 ……ああ、「霧の山荘」でしたね。忘れていました(おい)。では以下、簡単に(おい!)。

 深い霧の底にへばりついたような別荘地の一角で、金田一耕助は途方に暮れていた。30年前の未解決事件について相談したいから、と招待されたサイレント時代のスター女優、紅葉照子の山荘に赴こうとしていた途中の迷子である。やがて到着した依頼人の別荘でかれは、案内役のアロハ・シャツと共に紅葉照子の刺殺体を発見する。すわ、とばかりに別荘の管理人の許へ走って戻った金田一は目を疑った。別荘のなかにあった依頼人の死体も怪我で動けなくなっていたアロハ・シャツの男の姿もそこにはなく、殺害現場となった別荘は小綺麗にされているばかりか依頼人の妹と名乗る老婦人が住んでおり。そうして翌日、別々の場所で紅葉照子とアロハ・シャツの男の死体が発見される。
 ……金田一耕助は考える、どうして紅葉照子の死体は別荘内から屋外へと移動されただけでなく着物を脱がされていたのか、紅葉照子の本当の殺害現場はどこなのか、どうしてアロハ・シャツの男まで殺されなくてはならなかったのか、30年前に紅葉照子の身辺であったという未解決事件とはなんなのか、そうして勿論、真犯人は誰か、殺害の動機と手段は、単独犯なのか共謀者があるのか……金田一耕助は例によって例の如く、スズメの巣のようなもじゃもじゃ頭を引っ掻き回しながら、等々力警部や地元警察と共に事件の真相にゆっくりと迫ってゆく。徐々に判明してゆく事件の顛末や如何に──。
 ネタバレという程のことではあるまいから書いてしまうと、金田一が目撃した紅葉照子の死体があった別荘と彼女の実妹が住んでいた別荘は別々の建物である。そのあたりは正直なところ、読んでいれば薄々察しのつく話だ。事実が判明しても、ああやっぱりね、と頷くのが関の山。むしろ問題となるのは、どうして他人の別荘で紅葉照子は殺されていなくてはならなかったのか、という点だ。
 じつはこれこそが犯人の動機や殺害方法につながる<謎>であり、同時に金田一を巻きこむきっかけとなった30年前の未解決事件の真実を探る<突破口>でもあるのだ。TBS系列で放送された本作の長編ドラマ(いわゆる2時間ドラマですな)ではこの未解決事件をクローズアップしているが、原作ではほんの添え物程度でしかないことに「霧の山荘」を読み終えた方は或る種の拍子抜けを覚えるかもしれない。
 要するにこの事件、紅葉照子の芝居っ気と茶目っ気、加えて悪戯心が引き金となって起こったのだが、子供のような彼女の虚栄心へ巧みに働きかけた犯人の才智が警察は勿論、金田一耕助の推理も狂わせてしまったのだ。
 されど悪事はかならず露見する。捜査の過程で金田一は小さな綻びを幾つか見出す。そうして或る推論の下に罠を仕掛ける。というよりも、敢えて置きっ放しにして置いた<餌>に犯人が喰らいつくのを待つ。
 当然犯人はその<餌>に引っ掛かり、見事御用となるのだが、思わずぞくりとする場面がそのあとに待っている。自白のあと共謀者のヘマを詰って詰ってまるで反省の色もなく、あたかも自分が法に触れる事件を引き起こしたとはつゆ思うていない素振りだ。21世紀の今日でもお馴染みな場面だろうが、なんだかやるせない思いに暗くなることである。と同時に本作に於いていちばん気に入っている場面であることも、備忘のように書き留めておこう。
 もし可能であるならば本作を読み終えた方は、前述した短編集に収録される原型短編や古谷一行主演の同題ドラマを鑑賞されては如何でしょう。有意義かは別にして、なにか思うところある時間は過ごせると思います。◆

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第2594日目 〈横溝正史「女怪」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 いやぁ、このタイミングで読むべきではなかったかもしれない、と猛烈な反省を自らに強いたのが、一昨日昨日と読んでいた横溝正史「女怪」であります。
 例によって金田一耕助シリーズの一編ですが、こいつが他と較べてちょっと異色なのはこの名探偵が想いを寄せた女性が渦中の人となる、その点に於いてであります。金田一が懸想した女性はシリーズ全作を通じて僅かに2人、1人は『獄門島』の鬼頭早苗、もう1人が本作の持田虹子であります。
 どちらについても(当然)想いが報われることはありませんでしたが、それでも敢えて類推を試みれば金田一の心により深く、かつ癒やし難い思い出を残したのは、この持田虹子の方であったでしょう。
 虹子からの依頼によって彼女の身の回りに起こっている事件を捜査する金田一。その過程でかれは、これまで知ることなしに過ごしてきた現実──即ち虹子の来し方と否応なく向き合い、そこへ塗りこめられた彼女の「かなしみ」と「るさんちまん」に気附かされ、閉ざされた闇のなかから浮かびあがった真相を他ならぬ虹子本人へ報告せねばならぬ立場に置かれる。
 おそらく金田一としても、できるならば伝えずにおきたい、かりに伝えるとしても虚偽の報告を提出したい、と願うたことでしょうが、しかし金田一耕助の職業は「探偵」、白日の下に明らかとなった事実を報告する義務が課されているのでした。断腸の思いで真相を報告した金田一は折り返し届いた虹子からの手紙によって、すべてに終止符が打たれたのを知るわけですが、その際かれを襲ったであろう喪失感と後悔の思いは如何ばかりであったろう! 泉鏡花の「夜行巡査」の如く、私情に従うことままならぬ立場の者は職務と割り切る他ないとすれば、余りに惨めであります……。
 さて。冒頭にて「このタイミングで……」と呻いたのは、恋する相手の将来/幸せを願うと一歩引いて見守ることを選んでしまう金田一耕助に、事件が解決したあと人前から姿を消して放浪の旅に流離う金田一耕助に、嗚呼と嘆息してわが身になぞらえてしまうたがゆえのことでした。まぁ一言でまとめれば、生傷に塩を塗られたのみならず刃物で容赦なく抉られたような気分なのであります。ぶるぶる。
 読後にちょっと調べて知ったのですが、──いまはどうだかわからないけれど──以前はこの「女怪」という短編、どうにも評価の芳しくない作品だったようであります。というのも金田一耕助があろう事か恋をして、挙げ句に傷心旅行に出てしまう点を、どうにもお気に召さぬ愛読者たちが存在していたらしい。
 金田一耕助を女性の手から守る会、なんて組織があったとも仄聞しますので「女怪」の評価がよろしくないことも納得ですが、なんだかこうした点に、金田一耕助がシーンの最前線で活躍する現役の名探偵であった時代、どれだけの人々がかれの探偵譚に熱を上げ、それを求め、また人気を博していた、その一端を知るようでわたくしは興味深くかつ面白く思うのです。『ストランド』誌で連載されていた時分のシャーロック・ホームズ譚とそうした点ではじゅうぶん比較対象の研究材料になると思うのですが、もうこのような研究はされているのでしょうか。
 とまれ、『獄門島』と「女怪」というシリーズ初期の2作に於いて金田一耕助からは以後<恋愛>の要素は省かれましたが、その他の点で人間味をどんどん増してゆきながら、舞いこんだ数々の事件にかかわってゆき、名探偵として江湖にあまねく知られる存在となってゆくのでした。結果的に生涯独身を貫いた様子の名探偵・金田一耕助ですが、シリーズ終盤にあたる、たとえば『悪霊島』や最後の事件『病院坂の首縊りの家』の時期にもう1人ぐらい、かれに烈しい恋心を抱かせるような女性があっても良かったのではないかな、或いは鬼頭早苗とひょんなことから再会するなんてエピソードがあっても良かったのではないかな、なんて勝手な物思いから妄想が膨らみもするのですが……二次創作の領域に踏みこむことになるこの話題、袋小路に迷いこむ前に切りあげるとしましょう。
 金田一耕助の思いがけぬ姿が露わとなった「女怪」、短編のなかでは「百日紅の下にて」と同じぐらい重要な位置を占める作品ではないでしょうか。◆

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