第2598日目 〈横溝正史「蝙蝠と蛞蝓」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 心が塞いでいるときに読むユーモア小説程、効用の両極端なものはない。より落ちこませる場合もあれば、わずかなりとも晴れやかにさせる場合もある。これは探偵小説も同じで(いや、ジャンルに限らずなのだろうけれど)、爽快な気分にさせてくれることもあれば、登場人物の誰彼に感情移入し過ぎてやるせない気分になったり……。
 「蝙蝠と蛞蝓」を読了した際、二の次あたりに倩思うたのが、そんなことであった。本作の場合、どちらへ針が振り切れるかといえば、探偵小説に於ける前者となる。成る程、そうかい、爽快な……。
 が、今回感じた「爽快」とはたとえば名探偵の快刀乱麻を断つような推理に陶然とし、想定外の真相に思わず唸って膝を叩いちまう類のことではない。「爽快」の根っこにあるのはユーモア、否、「滑稽」だ。読書の愉悦に浸っている間は始終くすくすさせられてしまうような……。本作を一言で括るなら<笑劇>か(ルビを振るなら、コメディよりファルスの方がしっくりするかな)。
 角川文庫旧版にして27ページの短編を一息に読み終えて巻を閉じたとき、まず胸中に飛来したのは上述のような分析めいた思いの数々では当然なく(当たり前だ)、いやぁ実に愉快な小説を読んじまったぜ! てふ一種の幸福を噛みしめたのである。まぁちょっと心が塞いでやさぐれたくなることのあった数日だったものでね。閑話休題、ハイホー。
 でも正直なところ、横溝正史にこうした作風の1編があるとは知らなんだ。本編は金田一耕助と同じアパートに住む男のモノローグで進められる。かれは金田一耕助とアパートの裏手に住む誰だかの妾が大嫌いだった。悶々と過ごしていた或る日、突如警察が踏みこんできて逮捕された。アパートの裏手に住む妾が殺されたのだ。語り手が疑われたのは、件の妾を殺して金田一に濡れ衣着せる犯罪小説を、腹立ち紛れに書いていたからだ。身に覚えのない殺人事件で警察へ拘留・尋問中のかれの前に颯爽と(?)金田一耕助が現れて……、──さて、事件の真相と真犯人は?──という筋を持つ。
 語り手は裏に住む妾を「蛞蝓」と呼び、金田一耕助をその風貌、その行動、その印象から「蝙蝠」と蔑んで、2人を徹底的に嫌い抜く。その嫌いぶりが「よくもまぁそこまで……」と呆れ顔で讃えたくなるぐらい筋金入りなのである。
 これまでも金田一耕助の能力に疑問を持ったり、その存在に良くない印象を抱いた人物は多くいた。が、斯くも罵倒し、揶揄し、嘲笑し、警戒し、終いには毒気を抜かれた人物とお目に掛かったことはない。むろん未読の作品群のなかにはいるのかもしれないが、わたくしは横溝正史読書マラソンの第一コーナーをようやく回ったばかりの新参者だ。
 まぁね、昼は部屋に寝転がって死体や殺人現場の写真が載った本を読み、夜ともなればいずこともなく出掛け、加えて例の、雀の巣のようなもじゃもじゃ頭に襟が茶色くなったしわくちゃな羽織袴となれば、そりゃあ素性を知らなければ警戒して然るべきだわな。いつもは人懐っこい笑顔とくたびれた風采で相手の懐にするりと入りこんでゆく金田一だが、その登場作には必ず1人2人は金田一をどうにも胡散臭い人物に見、煙たがる人物が現れる。かれらの視点で金田一耕助を活写すればこうもなるか、という格好のサンプル、その一例を「蝙蝠と蛞蝓」は提供しているといえないだろうか。
 ぼかぁこの短編、お気に入りだなぁ。好きだなぁ。
 旧版の文庫解説(中島河太郎)には未記載なので書誌データを記しておくと、本作は探偵小説誌『ロック』(筑波書林)誌昭和22/1947年9月号が初出。書籍初収録は未詳だが、春陽文庫『横溝正史長編全集 第14巻 死神の矢』(昭和50/1975年6月)であるようだ。その後、角川文庫旧版に同ラインナップで収録され、今日では改版された『人面瘡 金田一耕助事件ファイル6』(角川文庫 平成8/1996年9月)や『毒の矢』(春陽文庫 平成9/1997年5月)他で読むことが可能。横溝正史が執筆した金田一耕助ものとしては『本陣殺人事件』(昭和21/1946年)、『獄門島』(昭和22/1947年)に次いで3作目、即ち現実に於いても作中時間に於いても最初期の金田一の活躍が描かれた1編である。
 なお作中時間に於いては「蝙蝠と蛞蝓」、金田一耕助が復員して『獄門島』事件を解決した翌年、昭和22年初夏の出来事であろう由(研究サイト「金田一耕助博物館」内コンテンツ「金田一耕助事件簿編さん室」[http://www.yokomizo.to/chronicle/index.htm]に拠る。記して感謝申しあげます)。◆

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