第2604日目 〈横溝正史「湖泥」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 五木寛之の『古寺巡礼・奈良編』を読む手が止まった。「唐招提寺」の章、その一節にふと去来するものを感じたのだ。その節に曰く、「(敗戦後、大陸から引き揚げてくると)こんどは「引揚者」という肩書きがついた。一転して、祖国の人たちから「引揚者」として差別されるような立場になったのである」(P111)と。
 この思いがはたして、五木寛之の感受性がもたらしたものか、当時の内地民の多くが抱いていたものか、知る由もないけれど、そのときわたくしの手を止めたのは刹那の間、数日前に読んだ横溝正史「湖泥」の犯人が五木と同じく引揚者で、かつ落ち着いた先で虐げられる存在だったからだ。
 虐げられていた、とは、ここでは迫害や村八分を意味するのでない。いみじくも金田一耕助がかれを評したように<インヴィジブル・マン>、即ち<見えて見えざる人>として、虐げられていた、というのである。体はたしかにそこにあるのに、コミュニティの一員と見なされていない。なにか事が起こらぬ限り、誰もかれの存在を気に留めないし、その動向に注意を払わない。現実に体験したら地獄だけれど、殊探偵小説に於いては、犯人役の人物に願ったり叶ったりの立場であろう。
 犯人はその立場を巧みに利用した。村人からは無能白痴と思われていたようだけれど、とんでもない。実に周到、狡猾で、自分を<見えて見えざる人>扱いした村人への復讐を果たしてゆく。が、その犯行の根っこには病で苦しむ妻を見殺しにした村人たちへの怨みつらみがあった。
 満州から引き揚げて村へ漂着したとき、かれの妻は梅毒に冒されていた。村人からは忌避され、医者からは診察を拒まれた。やがて妻は逝った。その恨み忘れ難く、時経るに従いますます憎しみは募る。いつの日か……、と思い思いしていたところに同じ引き揚げ者で、いまは村長夫人となった女の不義を知るとそれを利用して、積年の恨みを晴らさんと手を血に染めた。旧習と因縁に魂を囚われた閉鎖的な共同体に、図らずも紛れこんでしまった<異類>による復讐劇がこの「湖泥」なのだ。
 その背景を思うてぞっとさせられるのは村人の、犯人への接し方だろう。村八分ならまだマシだ。しかしながら村人は、あたかもかれを生殺しとするかの如く接してきた。すれ違えば声は掛けるし、事件があった際も証人として遇し、隣村の祭りで会えば酒を飲むような間柄なのだ。にもかかわらず──<引揚者である=土着民ではない>ことからたぶん、村人は自分でもそれと意識しないまま、犯人を引揚者として差別していたんじゃないのかな……。

 「湖泥」は、およそ多くの人が金田一耕助の探偵譚に抱くイメージをずらり揃えた作品だ。都会から離れた地方の僻村を舞台とし、そこには旧習と因縁に魂を囚われた人々が生活し、村を代表する2つの旧家がいがみあっており、それが高じて陰惨な連続殺人が勃発する、という、そんなイメージ──。
 が、短編という性格上こちらの方がより濃密に、それらの要素が凝縮されていて読み応えがある。地方物では一頭地を抜く仕上がりを誇る一方で、田舎で起こる犯罪について磯川警部と金田一耕助、それぞれの台詞がとても印象に残る短編。蛇足を承知で、最後にそれを引けば、──
 「(田舎は)何代も何代もおなじ場所に定着しているから、十年二十年以前の憎悪や反目が、いまもなおヴィヴィッドに生きている。いや、当人同士は忘れようとしても、周囲のもんが忘れさせないんですな。話題の少ない田舎では、ちょっとした事件でも、伝説としてながく語りつがれる」(P6 / 磯川警部)
 「(都会よりも田舎の方が、或る種の犯罪の危険性をずっと多く内蔵している、という警部の発言を承けて)……実際、そのとおりなんですよ。しかし、それはあくまで内蔵しているだけであって、ある種の刺激がなければ、こんどのような陰惨な事件となって爆発しなかったろうと思うんです。では、その刺激とはなにか……やはり都会人の狡知ですね。(中略)だからぼくのいいたいのは、農村へ都会のかすがはいりこんでいる、現在の状態がいちばん不安定で危険なんですね」(P107-8/ 金田一耕助)◆

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第2603日目 〈メタボは敵だ! ──文章の長ったらしいことについての短な反省。〉 [日々の思い・独り言]

 読者諸兄皆さまへ、謹んで申しあげたい。
 公開の数日後、第2602日目を読んでみてわれながら「ちと長くなりすぎたわい(テヘペロ)」と深く、真摯に反省すること頻りである。
 ゆえ以後はかつてのように──聖書読書ブログであった当時のように……「え?」とかいうな──、400字詰め原稿用紙4〜5枚程度を目処とした分量で、すくなくとも読書感想文に関しては綴ってゆくことにした。
 原点回帰? まぁ言葉が立派に過ぎるけど、うん、そ、そんなところだ……ね。
 既に続く第2604日目はダイエットにダイエットを重ねて、それでも未だ肉付きの良すぎる部分なきしにもあらずだけれど、上述の分量に留めることができた(安堵!)。
 然り、書けばいい、というものではない。メタボは「敵」である。◆

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第2602日目 〈横溝正史「トランプ台上の首」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 きっと、と思うのである。CSにて古谷一行の<名探偵・金田一耕助シリーズ>全32作が放送されなければ、そうしてそれを録画・視聴していなければ、「トランプ台上の首」なる作品が横溝正史にあるのを知るのはもっとずっと先のことであったろう。加えて視聴前に「黒猫亭事件」を読んでいなければ、ドラマ『トランプ台上の首』を観て引っ繰り返ることもなかったであろう。
 余計なことをいわせていただければ『トランプ台上の首』は同名短編の映像化ではない。<名探偵・金田一耕助シリーズ>の第28作『トランプ台上の首』は実質「黒猫亭事件」のドラマ化である。どこにも「トランプ台上の首」の要素がない、とまではいわないが……まぁ正直なところ、この短編と「黒猫亭事件」を合わせて1本の映像作品に仕立てる必要はあったのかな、と小首を傾げ続けているのだ。ドラマはドラマで面白かったんだけれどね。
 それでは気を取り直して、──
 岡本綺堂が小説や随筆で江戸の風俗を活写し、永井荷風がやはり小説や随筆で浅草や東京の景観を録したと同じように、横溝正史も東京を舞台にした探偵小説で街並みや風俗を描いて戦後復興期の様子を今日に伝えている。
 「トランプ台上の首」に限った話ではない。やがて感想をお披露目するであろう「貸しボート13号」に於いてわれらは東銀座周辺の首都高速湾岸線がかつて築地川の本流であり、湾岸線に今日も掛かる采女橋から築地市場方面へ向かう道路はその支流で、各所に掛けられていた橋の名残が交差点の名称に留められているなど、横溝正史の小説を読まずしてどうして調べたりする気になったであろうか。探偵小説は時代を映し出す鏡でもあるのだ。それはおそらくジャンル小説ならではの特徴だろうが、それは後日の話題とし、いまは「トランプ台上の首」に戻ろう。
 ──「トランプ台上の首」を読み始めるやわれらは、あたかもタイムスリップしたかのような思いに陥る。それが錯覚であるとわかると今度は戦後間もない隅田川上にかつて水上総菜売りなる商売があったことに「ほう」とし、多くの常連顧客とそこそこの儲けがあることに「へえ」と感心させられることだろう。
 勿論この商売、横溝正史の創作ではなく江戸時代からあった商売の末裔というてよく、敗戦の痛手から立ち直って高度経済成長期に突入した頃まで隅田川にいた水上生活者相手の物売り稼業で、宇野の場合、水上生活者のみならず川縁に住む人たちにまで顧客を持っていた。
 この宇野宇之助、当初は当たり前の総菜を積んで売り歩いて(?)いたが、事件現場となったマンションの女性たちから「今風の物も売らなきゃ駄目よ」、「もっと身だしなみに気を遣わなくちゃ駄目よ」と教育されて以後、扱う総菜はひじきに油揚げ、里芋の煮ころがしやうずら豆の甘辛煮といった昔ながらのものに加えてオムレツやトンカツ、コロッケなど洋風のおかずが加わり、装いも印半纏に捻り鉢巻きから清潔な割烹着にコック帽、と小洒落たものへ変貌した。ちなみに船も和船からモーターボートに代わった……。
 戦後復興期の職業事情という切り口から「トランプ台上の首」を読んでみると、またちょっと違った楽しみ方ができるかも知れない。
 昭和30年代、既に夫婦共働きの世帯が普通になってきており、食事の支度もままならぬぐらいに忙しい日々を送っているというのは即ち、日本が高度経済成長期に突入しており神武景気が一段落して間もなく岩戸景気を迎えんとしていた時代の物語であることを、われらに伝えてくれる。また、件のマンションに住む独身女性のなかにはいわゆる<二号さん>がちらほら見受けられて、しかも稼ぎが相応に良いことに触れて昭和32/1957年4月に施工された売春防止法(作中では「売春取締法」)の適用の難しさを指摘していたりもする(いずれもP178)。
 ちなみに最初の被害者(と目される)女性はストリッパーを生業とし、そのパトロンは表向き自動車のブローカーだが実際はヘロインなど麻薬の密輸を専らとする人物(P207-8,247,288)であった……。
 第一の被害者の殺害現場となった今戸河岸(隅田川縁で今戸神社を擁し、現在は台東区リバーサイドスポーツセンターがあり、桜橋水上バス乗り場がある、桜橋で対岸と結ばれている。ここをすこしく下流へ行くと、東京大空襲戦災犠牲者追悼碑や言問橋、東武線浅草駅がある)にあるガレージの地下室だが、そこの「コンクリートの壁が、せんだっての地震のとき、一間ほどくずれおちた」ために犯人は自ら補修を買って出て壁から「床まできれいに塗りなおした」(P303)と金田一耕助は指摘した(一間は約1.82メートル)。
 この地震とは、小説内時間から推測すると昭和32/1957年11月10日未明に発生した伊豆諸島は新島近海の群発地震をいうていると考えられる。新島の南沖約5キロの地点を震央とする、震源の深さ13キロ、マグニチュード6.2の地震であった。数日前から活動は活発であったがこの日、遂にそれは頂点に達して、近くの式根島では未明の本震の際、全半壊した家屋が合計4棟、石垣が崩れたり亀裂が走ったりなどの被害が50箇所近い場所で生じた由。また、崖崩れも2箇所で報告されている。なお、千葉県勝浦町では震度3、隅田川河口付近を含む東京は震度2の揺れが観測されたという。
 さて。この震度2、じっとしている状態であれば人体でもじゅうぶん認められるものだが、では果たしてその程度の揺れでガレージの壁が一間ばかしとはいえ崩れたりするものだろうか。元不動産屋のみくらさんさんかは、少しく小首を傾げつつこの点を考えてみた。
 東京大空襲の際、隅田川一帯は一面が焼け野原になって建物などなにも残らなかったような印象をどうしても抱くのだが、実際は一部の建築物は被害の程度は別にして焼夷弾の雨を逃れて焼け残ったようである。写真で確認できるのは東武線浅草駅の入る松屋や雷門前の仲見世などであるが、もしかすると殺害現場となった建物もこうした空襲を免れた建築物の1つであったのかもしれない。
 とはいえ空襲に伴う火災こそ避けられてもその衝撃と無関係でいられたとは思えない。爆弾破裂の衝撃を吸収し続けた結果、コンクリートが脆くなってかの地震に於いて一部が剥落したということもあり得よう。幾ら戦後の復興期の建築物とて震度2程度の微震でコンクリート建築の一部が剥落するなどとは思えないのだ。杜撰で手抜きな工事、資材の強度を下げるような工事を行っていなければ……もっとも、これは今日でもよくある話であるが……。
 旧耐震基準を含む建築基準法が制定されたのは昭和25/1950年で、このときに構造基準も規定された。ちなみに今日の基準で旧耐震基準時代に建てられた木造建築の評点は倒壊する可能性が高いことを示す0.7をずっと下回る0.50、倒壊可能性は高いということだ。これをコンクリート建築にそのまま適用することは勿論できないけれど、すこし大きな揺れで相応の被害が出ることはほぼ間違いないというてよいだろう。
 ──横溝正史の東京物は岡山物に較べて幾分評判が悪いけれど、見方を変えればそれらの多くが職業小説、地理(地誌)小説、風俗小説の側面を持つ。そんな要素を汲みあげて読む愉しみもあるということを、申しあげたかった。
 もっとも、こんなことをいえるのはおそらく日常的に東京のど真ん中へ通勤して、かつては大嫌いだった東京という街に親しみを持つようになり、その歴史、その変貌、その雑多ぶりに面白みを感じるようになったからだろう。その流れで講談・落語に浸り、池波正太郎や久生十蘭を筆頭とする時代小説を漁り読むようになって初めて、そこで描かれた町の遺構、行楽の名残がいまもあって、それらのすぐそばを普段から歩いていることに気附かされた。21世紀の東京と近世期の江戸は薄い膜一枚を隔てて隣り合っているのだ。
 ……と、浜離宮までを含む銀座界隈で昼間を過ごすわたくしは、横溝正史の東京物をそんな風に読んで愉しんでいる。それゆえに正直、さして面白いと感じられない「びっくり箱殺人事件」もどうにか読み進められているわけで。
 それにしても、と物語本編についてなにも触れていないことに今更ながら気が付いて、顔を青くしながら述懐するのである。犯人に狙撃されながらも九死に一生を得た金田一耕助のことや、被害者と加害者が双子だったってことまだこの時代には通用していたトリックなのかと慨嘆したりしたことをね。でもそれらについて、本稿で筆を費やすつもりはありません。もう他の誰彼がきちんと書いていらっしゃいますからね。わが輩の出る幕では、ない。◆

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第2601日目 〈横溝正史「鴉」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 磯川警部も人が悪い。どこぞへ金田一耕助を湯治に誘うときは、そこが未解決事件の現場であることが専らで、あわよくばかれの推理を頼りに落着を見たい、と企んでいるフシが見え隠れしている。──とは流石に言葉が過ぎるか。しかしねぇ、『悪魔の手毬唄』という動かしがたい前例があり、いままた短編「鴉」という事件に出喰わしてしまった以上、そう邪推してしまうのも無理からぬところではあるまいか。そうして、嗚呼、2度あることは3度あるという……。
 その「鴉」の粗筋はこうだ、──
 昭和21年11月、新婚間もない蓮池貞之助が家人の眼前から姿を消した。3年後に戻ってくる、という書き置きを残して。実際それから3年後にかれは戻ってきたが、再び家人の前から、今度は決して戻らぬと残して、行方をくらませてしまった。この失踪事件は果たして真実か、狂言か、金田一耕助は考える。その土地で神様の使いとされる鴉がなぜ、おこもり堂で死骸となり、床に血を滴らせていたのか、金田一耕助は考える。貞之助を取り囲む人々の証言と状況証拠から金田一耕助が明らかにして見せた2回にわたる失踪劇、その全容とは──?
 ちらり、とお話ししてしまえば、この人間消失は或る人物によるすり替わりなのだが、その動機はいとも単純にして邪である。
 他人が計画した謀り事を自分の企みの実現に利用し、願望成就ならずと知るや破綻をもたらした人物を殺めんと動くも自滅して果てる、真犯人なんて呼称も勿体ないぐらいの小悪党──期待を裏切らぬ末路を辿る件の輩にわずかの憐愍すらも抱かないけれど(自業自得とか因果応報というよりも、この人物の場合はただの「バカ」である)、翻って他の登場人物にはというと貞之助の妻、珠生に殊の外同情を覚えるのである。
 幕切れ近くで珠生の口から夫の失踪にまつわる話を聞くことができるのだが、そのきっかけはあまりに痛ましいことだった。愛が誠であったがゆえに妻は悲しみ、夫は苦しみ、そんな葛藤にお構いなく<家>の重圧がのしかかってきてかれらは更に追いこまれてゆく。
 近代文学は古来の旧習と舶来の新風のぶつかり合い、せめぎ合いをテーマの1つとした。島崎藤村を見よ、田山花袋を見よ、有島武郎を見よ、永井荷風を見よ。就中<家>を巡る作品については藤村の独断場の感があるけれど、もう少し時間を下ってジャンルも変えてみると横溝正史も地方物で繰り返しこのテーマを追求してきた一人だ。『犬神家の一族』、『八つ墓村』、『本陣殺人事件』など「犬も歩けば棒にあたる」式に該当する作品は長短編問わずに多くあるだろう。
 「鴉」もむろんその例に洩れず、貞之助・珠生夫婦は<家>がもたらす因習のやはり犠牲者というてよい。
 ただここに一言急いで添えておかねばならぬことは、そも失踪計画が立案された背景には珠生が生まれながらに「女であって、女ではない」ゆえに「夫婦のかたらいのできぬ体」(P171)だった、という事情のあったことだ。これが夫婦生活へ影を落とし、<家>の存続/継承問題に発展してゆくあたりがつながってゆくわけである。この「女であって」云々が今日でいう性同一性障害を指すのか、半陰陽の意味なのか、作者はそれ以上なにも触れていないので判然としない部分もあるのだが……。
 荒寂とした空気が重く垂れこめる下で生きる人々を描いた本作は、その読後感のもの侘しさも手伝って一際、心に深く刻みつけられた佳品であった。読後、巻を閉じて思わず天を仰いで「咨」と嘆息させられてしまう探偵小説なぞ、古今東西そう滅多にあるものではない……でしょう?
 ……さて、次は磯川警部、どんな未解決事件に金田一耕助を巧みに巻きこむつもりか。今後の読書がますます楽しみ。あのときちゃんと捜査していれば未解決事件になんかならなかったんですよ、なんて小気味よい皮肉が金田一耕助の口からまた聞けるのかな。くすくす。◆

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第2600日目 〈横溝正史「幽霊座」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 ──巻を閉じてぼんやりしながら、絵になる場面の目立つ一編であったなぁ、と述懐するのである。横溝正史の短編「幽霊座」を読んでまず胸中に去来した思いはそれだった。梨園を舞台にしたせいもあろうか。
 たとえば金田一耕助が平土間の椅子にうなだれて坐り、そこへ窓から射しこんだ光があたっているシーン。たとえば音爺いと金田一耕助が奈落の底で話し合っている最中、爺の袂から犬塚信乃のブロマイドがはらりと落ちる、そうしてそれを拾いあげるシーン。たとえば歌舞伎狂言『鯉つかみ』の上演中、水船に設けた鉄管から奈落へ抜けてきた滝窓志賀之助/鯉の精役の役者が早着替えするシーン。たとえばその『鯉つかみ』を上演する舞台上の役者たちの所作、その裏方たちの動き回る様子。いずれもほんのわずかの描写でしかなく、或いは地の文でわずかに説明乃至は描写されるに過ぎぬものだが、やたらとそれらが一枚一枚の映像となって鮮烈な印象を与えてくるのだ。
 ちと話が先走りすぎたようだ。簡単に粗筋を、ここで述べておこう。
 稲妻座は歌舞伎興行を独占する会社から秋波を送られている小さな劇場である。いまから17年前、夏芝居の演目であった『鯉つかみ』上演中、一人の役者が失踪した。名を佐野川鶴之助という。いつしか稲妻座では鶴之助失踪の日をかれの命日とするようになり、昭和27年夏、その追善興行として再び『鯉つかみ』が上演される。かつて鶴之助が演じた滝窓志賀之助/鯉の精はかれの遺児、雷蔵が担当するはずだったが上演直前に倒れたせいで鶴之助の異母弟、紫紅が演じた。ところがその紫紅が水船から鉄管を通って奈落へ落ちてきたときに死亡する。検視の結果、紫紅は毒殺されたことが判明。鶴之助のみならず戦前から稲妻座の古参連中と懇意にしていた金田一耕助はその場に居合わせたことから、例によって例の如く事件の渦中に巻きこまれてゆく。やがて金田一耕助の推理は鶴之助と紫紅を中心とする因果な人間関係を暴くことになるのだが──。
 嗚呼、なぜ粗筋の紹介がこうも下手なのか。ホント、嫌になっちゃうね。まぁ、そんな徒し事はさておき。
 華やかに映る梨園の裏に蠢く人間関係、権謀術数、不協和音がもたらす種々の事件を描いた人といえば、真っ先に戸板康二や小泉喜美子が思い浮かぶ(栗本薫にはそうした小説があるのかしら。『変化道成寺』っていう新作歌舞伎の脚本を書き下ろしているのは知っているけれど)けれど、横溝正史が広義のショービジネスの世界を事件現場に持ってきたのは「幽霊座」以外にどれだけあるのかしら。インターネットで調べればすぐわかるだろうけれど、実際に読んでいない以上はその情報も信憑性が薄いから、ここでは殆どなかったのではないか、といわせてもらう。
 戸板康二も小泉喜美子も梨園を題材に幾つもの小説を書いた。さりながら陰惨さ、背筋の凍るような禍々しさという点では流石に横溝の本作へ軍配が挙げられよう。横溝の他作品でも陰惨で禍々しい事件はお目に掛かれるが、どうしたものか小説の舞台を梨園に据えただけでその要素は一際と濃くなり、それが読み手に働きかける効き目も倍増するのである。魑魅魍魎の跋扈する伏魔殿の如き梨園に生きる人々であればそのような行動も納得できる、と妙に納得させられてしまう<なにか>が、事件の発端となった出来事に寒々しくも妙に生々しい根拠を与えてしまうのである。池の畔に立って、溺れる幼児を冷徹な眼差しで見つめるあの男の様子……そのあとの行動と併せて思えば、心胆寒からしむるとはまさにこのことか、と嘆息せざるをえない。歌舞伎役者(あ……)ならではの立ち姿の美しさが更にその思いを強く、深くして。
 もしこの作品に呆れてしまう箇所があるとすれば、それは犯人たち(2度目の、あ……)の報連相怠慢に関してであろう。きっとかれらがもう少し密に、頻に連絡を取り合っていればこの犯罪も杜撰な結果に終わることはなかったっだろうに。結局は血に飢えた鬼女/醜女の暴走が事件を発覚させたも同然だものね。きっと彼女にドニゼッティがルチアのために書いたような狂乱の音楽は相応しくない。
 なお「幽霊座」で重要な役回りを務める歌舞伎狂言『鯉つかみ』、元は尾上家の演し物で、初演は宝暦6/1756年4月に市村座(江戸)にて初代尾上菊五郎が滝窓志賀之助を演じた『梅若菜二葉曽我(うめわかなふたばそが)』であったというが、別に元文4/1739年7月、同じ市村座で二代目市川海老蔵が演じた『累解脱蓮葉(かさねげだつのはちすば)』を初演とする説もある。
 最近では昨平成29/2017年11月の歌舞伎座顔見せ公演、幕開きの演目として上演された。滝窓志賀之助/鯉の精を演じたのは七代目市川染五郎(高麗屋)。七代目として最後の舞台であった(翌平成30年1月の壽初春大歌舞伎にて十代目松本幸四郎を襲名披露)。
 本音をいえば、歌舞伎を題材にした探偵小説として読むのみならず、これをきっかけに歌舞伎に興味を持って恐る恐る歌舞伎座や新橋演舞場に出掛けて、その魅力、その魔力、その底知れぬ面白さに目覚めてどっぷりはまってくれる人が出てきたら嬉しいな、と思うておるのであります。探偵小説も面白いけれど、歌舞伎も面白いよ。◆

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