第2608日目 〈中弛みして息切れしているいま、為すべきことは果たしてなにか?〉 [日々の思い・独り言]

 ……横溝正史の感想文だと思った? 残念、今日はそうではない。期待を裏切り申し訳ないが。
 既に書いた記憶もあるがもう一度。わたくしは昨年末からずっと横溝正史ばかり読み耽ってきた。飽きることなく退屈すること(ほぼ)なく次から次へと、1冊が終わるや翌日から新たな1冊に乗り換えて、息つく間もなく、胸をワクワクドキドキさせながら、金田一耕助の活躍に心躍らせてきた……のだが。
 包み隠さずいってしまうと、この2ヶ月弱というもの息切れがしてきて、困っている。「困っている」というても、横溝作品の読書断念を指すのではない(※1)。中弛みしているのを承知のまま読書を続けてゆく危険を感知し、その打開策にあれこれ頭を悩ませているうち、酸素欠乏に陥ってしまうた、という次第。いやはやなんとも。
 なんとなくでもお察しいただけるとうれしいのだが、まだ金田一耕助物のみながら横溝ワールドにどっぷりハマったわたくし、みくらさんさんかは由利先生物はもちろんノンシリーズ作品、人形佐七に代表される一連の<捕物帖>諸作まで、たとい何年を費やそうと生ある限り読んでゆきたいのだ。
 ──そのために、
 質問)中弛みして息切れしているいま、為すべきことはなにか?
 解答)リフレッシュあるのみ!
 身もふたもないQ&Aだろうか。が、これ以上の真理が果たしてあるだろうか……?
 では横溝正史から一旦離れて息抜き/息継ぎに読むのは、なにが良いだろう。酷暑に白旗を掲揚して活動停止を訴える灰色の脳細胞をなだめ、おだてて、息抜き読書に取り挙げる作品の条件を検討し、条件を満たす作品の選別を行った……腕組みして天を仰ぎ、うむむ、と眉間へ皺を寄せ。
 家にいるときも、散歩に出ているときも、電車のなかにいるときも、会社で仕事をしているときも、ビールを飲んでいるときも……健やかなる我はわずかな時間もむだにすることなく考えに耽ったのだ。あらおかしいね、お暇な御仁ね、まじめが聞いて呆れらぁ、オッペケペッポーペッポッポー。
 やがて整えられた条件は本当にささいなもので、──
 1:数日、精々が7日程度で読了できること
 2:ミステリ小説であること
 3:深刻な内容でなく、読書の愉悦を味わえること
 4:どんなに面白かろうと深追いはしないで済むこと
 【4】については説明が必要か。要するに、過去の反省を踏まえたのだ。本道は誰かといえばもちろん横溝正史である、今回はあくまで息抜き/中休みに過ぎぬ。然り、浮気はいけない。わたくしだって学習する、ただ継続的実行が伴わないだけの話。呵々。……ゆえに【4】を加えた次第。
 では次に、作品の選定。やはり頭をぐるんぐるんさせながら候補を思い浮かべては棄却して、を繰り返しているうち消去法に頼らざるを得なくなり、ついに勇断をくだして「これ!」と決めた作品は、──
 A.A.ミルン『赤い館の秘密』
 架蔵している集英社文庫で、翻訳は柴田都志子。<乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10>の1冊だ。創元推理文庫版に手を出さなかったのは、架蔵していないことと訳文が好みでないこと、この2点に起因する。結果として、集英社文庫版を(ずいぶんと前のことだが)購入しておいて良かったな、と思うている。それは即ち処分しないで良かったな、と同義だ。
 そうして横溝正史は短編集『花園の悪魔』(角川文庫)読了を以てまず最初の一区切りとし、いまは上述した『赤い館の秘密』をゆっくり読み進めている……
 といえればよいのだが、もうミルンは5日ほど前に読み終えており、いまはすっかり横溝に戻っている──わけがない。1冊ばかしで息抜きになろうはずもない。
 ミルンに続く作品は流石にちと悩んだが、やや趣を異にする作品を読みたいな、と思うていたので、ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』(ハヤカワミステリ/旧訳)をチョイス。昨日の通勤電車のなかで読み始めた。
 そのうち、横溝では『花園の悪魔』と『不死蝶』の感想を認め(前者は作品単位でなく1冊まとめての感想となろう)、或いはミルン書くコージーミステリの感想を綴るけれど、それらが本ブログにてお披露目される日の訪れを読者諸兄にはどうぞお待ちいただきたい。
 アディオス、サンキー・サイ。◆

※1 じつは角川文庫で刊行された全点のうち1/3程度を読了しているのに気づいたわたくしは、クリスティや太宰という中断の前例があるのをすっかり忘れて、横溝正史作品を可能な限り読破するという無謀な企みを抱いてしまったのだ。□

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第2607日目 〈横溝正史『びっくり箱殺人事件』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 かつて平井呈一はアーサー・マッケンの佳編『生活の断片』を最初に読んだとき、なんだか勝手が違うと感じて部屋の隅に抛ったが或るとき改めてページを繰ってみたら「こんなすごい作品があったのか!?」と驚嘆、評価を一八〇度転じて握玩の一作となった旨、著作集の解説で披瀝している。
 わたくしもちかごろこのような経験を持った。横溝正史『びっくり箱殺人事件』がそれである。最初は「かったるいもの読んだぁ」と、疲労の吐息まじりに本を閉じたのだが、このたび改めて感想の筆を執るに及んで再読してみたら当初の感慨は吹き飛んで、あとには「異色ながら愛すべき佳編」てふ思いが強く残ったことである。
 大衆芸能の地口を思わせる地の文を魅力に思うのみならず、一筋縄ではとうていゆかぬ登場人物の駄弁雄弁ぶりに以前は辟易したが、いまでは両手を挙げて歓迎だ。
 どうして最初はダメで次は良かったのか、その転換するきっかけはなんだったか──これはもう話は単純で、最初はいままで読んできた金田一耕助物とは著しく異なる勝手にとまどい、次はそれに馴れたからに過ぎない。いちどは最後まで読んでしまっているから、物語の全体が把握できていたという安心感も手伝っていたことだろう。
 殊程然様に本作は、おそらく横溝正史の全著作中でも異色の一作なのではないか。たしかにそれまで読んだ作品でもたびたび、くすり、と思わず吹き出してしまう描写はあったが、それはあくまでシリアスなストーリーのなかに練りこまれた隠し味、或いは一時的な緊張緩和の施策に等しい。
 『びっくり箱殺人事件』が異色なのはプロット、トリック、アリバイ、小道具、動機など<本格ミステリ>の結構を整えているに加えて、この「くすり、とさせられる箇所」を作品全体に広げた結果、<本格>と<ユーモア>が絶妙なバランスで調和した点にある。
 これを奇跡の所産というと、一笑に付されるだろうか。その<ユーモア>が全体を彩っているのが本作に<コージーミステリ>の衣をかぶせている要因だろう、と書けば、もはや失笑レヴェルだろうか……?
 『びっくり箱殺人事件』なる作品あるがゆえに、おそらくその作者を<ユーモア>とか<コージーミステリ>という方面から捉えているのだろうが、わたくしは元より英国産ミステリのファンだからこうしたコージーミステリは大歓迎なのだが、まさか横溝正史の小説を読みすすめてゆく過程でその種の作品に出合えるなんて思いもよらなかったよ。
 本作には幾つもの要チェックな箇所が登場するけれど、ときどき作者が顔を出して物語の進行を促す、その筆捌きもその一つといえるだろう。たとえば、──
 「だが、こんなふうに書いていると、いつまでたってもこの小説は終わらんというオソレがある。なにしろ幽谷先生をはじめとして、駄弁家ぞろいの一党のことだから、いつ何時誰がまたよけいな口出しをして、いよいよますますこの小説を、長からしめる結果にならぬとも限らぬので、暫くかれら一党をことごとく黙殺して」(P76)云々
──など作品全体を損なう結果になりかねぬ、作者という全知全能の神が作品に介入する技術も、ストーリーテラー横溝の手に掛かれば斯様に物語の流れを妨げることなく作中へ埋めこむことができるイコール物語に没入している読者をふと現実に戻してしまう愚を犯さずに済む、というお手本といえるだろう。
 なにしろ『びっくり箱殺人事件』には一筋縄ではいかないような人物が勢揃いし、それぞれ機あらばその場の主役をかっさらうぐらいの勢いで喋り、動いてくれるのだ。とすると、神なる作者による介入は物語を破綻なく滞りなく運行するための、「冴えたやり方」であったか。
 ところで横溝正史は登場人物を指して、こんなふうにやや呆れ顔で、しかし愛情たっぷりに書いている、──
 「まことに春風駘蕩たるものである。幽谷先生の楽屋に集まった怪物団諸公の話しぶりを聞いていると、今宵ここで殺人事件があったなどとはとても思えない。常日頃、こういう世界に馴れている恭子さんだったが、このときばかりは呆れかえってしばらく言葉も出なかった」(P121)
 ああ、この登場人物の自由闊達ぶり、かれらのかもすのどかな空気! 良質のミステリに欠くべからざる余裕と稚気に満ちみちた本作にあって、それは潤滑剤であると同時にトリック解明の鍵でもある。
 安楽椅子へ坐ってコーヒーとドーナツを口にしながら読むにうってつけな、横溝正史版<コージーミステリ>『びっくり箱殺人事件』と出合えた幸福に、感謝。そうして感想文書きという目的があったとはいえ再読の機会が与えられたことにも、感謝。その一方で本作に金田一耕助が登場するはおろか名前だに出されぬ理由も、なんとなく理解できる──、ひとこと、そぐわないよね。
 『びっくり箱殺人事件』を読むにいちばんオススメなのは、読書のためのみの時間がたっぷり取れる日、なにものにも邪魔されないけれど適度に生活音のある環境に身を置くことだ。読書の酩酊を味わうに申し分ない環境を作り出すのは至難の業かもしれないけれど、実現すればそれは贅沢で豊潤な読書経験をもたらしてくれるに相違ない。
 ──自分の反省と経験を踏まえて、上述の如く意見具申させていただく。ちなみにわたくしが読み直したのは、京浜急行本線〜都営浅草線〜京成本線に揺られる約3時間強の遠出に於いてであった。◆

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第2606日目 〈横溝正史「堕ちたる天女」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 トラックの荷台から落ちた石膏像のなかから美女の死体が! 淋しい場所にある謎めくアトリエでは妖しき犯罪がうごめいている! ……まるで乱歩だ、『地獄の道化師』だ……。そんな連想の働くのもやむない横溝正史「堕ちたる天女」が、本日の感想文の俎上に上せられた作品である。
 交通量の多い交差点での荷物の落下事故から、本編は幕を開ける。果たしてその荷物はトラックの借り主たる彫刻家が造った石膏像で、その女像の芯となっていたのは浅草のストリップ劇場のトップスター、リリー木下だった。彼女は筋金入りのレズビアンと評判で、愛する相手もある身だったがちかごろは異性によろめき、かつての愛人とはすっかりご無沙汰であるという。捜査に乗り出した等々力警部にくっついて金田一耕助もかかわってくるが、やがて事件は同性愛者の愛苦を背景にした保険金絡みのそれに変貌してゆくのだった……。
 寡聞にしてわたくしは横溝正史に同性愛者を主要登場人物に据えた作品のあることを知らない。が、すくなくともこれまで読んできた20数編のなかに斯様な人物は見当たらなかったと記憶する。むろん、古今東西、文学に現れたる同性愛は男女問わず多くあり続けて、いまもやや趣を変えて生み出されているが、たとえば近代文学に目を向ければ未だ知られざる山崎俊夫がいるし、横溝と同じミステリ作家では江戸川乱歩という先達があった。
 ただ、やはり時代を感じさせるのは、犯人として終始疑われてなかなか網に掛からぬ杉浦陽太郎がホモになった経緯だ。戦時中、杉浦は戦地で上官や朋輩の慰み者にされ、結果、復員して後も男相手にしか性愛の情欲の抱けぬ心身となってしまった。こうした戦場での異常体験は帰還兵が多く報告乃至証言を残しているが、作中ではこのような性癖を「ソドミア」と呼んでいる。いまは死語だがかつては蔑みと差別の言葉であったのだ。
 今日のようにその性癖が江湖に知られ、国によっては同性婚さえ認められるようになった時代であれば、リリー木下も杉浦陽太郎も救われたことであったろうに、と21世紀の世界の寛容を顧みて思うのである。
 ──杉浦のこうした性癖を更に哀しくさせているのは、真犯人によって巧みにそれを利用され、濡れ衣を着せられた挙げ句、殺されて人目につくこと稀な所へ棄てられたことだろう。同性愛が世間の理解を得られぬ、蛇蝎の如く厭われていたような時代、その性癖を知られることはおそらくいま以上に悲劇的かつ絶望的、見えない檻に囚われて一切の希望も自由も失われたに等しいことだったかも知れない。
 同性愛という要素をかりに取り払ったとしても杉浦と真犯人の力関係を思うとき、嗚呼、組織てふ透明の檻に囲まれて唯々諾々と日々を過ごす一人であるゆえにわたくしはそれを、訴えるに訴えられぬ類のパワー・ハラスメントに置き換えてしまうのだ。そうして瞳が潤み、憤りのようなものが腹の底で生まれるのを禁じ得ぬのである……。
 長口舌を揮うたが、なにも杉浦に限ったことではない、第一の被害者であるリリー木下も同じで彼女もまた愛を信じた相手に裏切られて殺されたのである。永い春がもたらしたマンネリな関係に刺激を与えてみましょうよ、なんて愛人の提案が、まさか自分を死に至らしめる周到かつ狡猾な罠だったとは知る由もなく。男装した相手を新たな恋人と周囲に吹聴して、これまで経験したことがないような日々の終わりに待つのが自分の殺人計画であるとは、露とも知らず、彼女は愛に生き、愛に殺された。
 然り、真犯人は共謀して哀しき同性愛者を脅し、騙し、欲望成就のマリオネットとしか扱わなかった卑劣漢である。かれらはリリー木下を殺して彼女に掛けられていた保険金をせしめ、口封じに杉浦のみならず2人の女性までも毒牙に掛けてその命を奪った。過去に犯した保険金殺人だけでは満足できないお金に飢えたかれらは、戦争を挟んで此度もまた同じような殺人事件を計画して実行した。その非道ぶり、その冷酷残忍なる様、作中結びの一章にて金田一耕助が、「鬼畜も三舎を避ける」(P357)と評し、終いには「ぼく……ぼく……こんな凶悪な犯罪のカップル、見たことがない。あいつらは悪事を享楽しているんです。気持ちが悪い。吐きそうです」(P357)とまで言い捨てるのだ。こんな名探偵、珍しい。
 かれらの失敗はそこに金田一耕助がいたこと、それに尽きよう。金田一あったればこそ戦前に岡山県であったお宮入りした保険金殺人とのつながりが見え、一挙に2つの事件が落着するに至ったわけだから。これがどういうことかといえば、本作に於いて東の等々力警部と西の磯川警部が初共演し、がっちり握手を交わすのである。
 同性愛を物語の核に持ってきたこと、扱う事件が21世紀の今日も折節報道される保険金殺人であることのみならず、金田一がそんな仮借ない台詞を吐いたという一事だけでも「堕ちたる天女」は、これからも読み継がれてゆくに足る佳編と結論してよいだろう。
 初出は『面白倶楽部』(光文社)昭和29/1954年6月号。◆

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第2605日目 〈横溝正史「貸しボート十三号」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 以前はミステリ小説を読みながら「犯人当て」に挑んだものだった。それが最高潮に達していたのはちょうど1年前だが、ちかごろはそんな意欲もまるでなく、物語に心をゆだねるだけでじゅうぶんと思うている。
 探偵がトリックやアリバイ崩しに能弁垂らすのを傾聴し、犯人を指摘する件りに「ほう」と多少の驚きを表明し、大団円を迎えた物語に満足を覚えて本を閉じる……この間の気持ちをかんたんに述べるなら、「そのうち探偵が真相に気附いて犯人を名指しし、トリックやらなにやらについて解説してくれるンだろうな」と……或る意味、ミステリの読者としていちばん理想的かついちばんお呼びでない読者であるやもしれぬ。
 その代わり、というのでは勿論ないが、この頃ずっと読み耽っている横溝正史については「探偵小説の醍醐味を味わう」というより作中に描かれた時代風俗や地理に興味を惹かれることがたびたびで。たとえば此度の「貸しボート十三号」も然りで、隅田川にまつわる幾つかの関心に囚われて、作品の感想等とそれらを同居させるのに頭を悩ませていたのだが、もうこうなっては開き直って今回は、作品よりもそちらの話題に終始させていただこう。えっへん。
 ──というておきながらさっそく私事になるのだが、現在わたくしは本作と非常に縁ある土地へ仕事に来ている。そのビルからはちょうど首都高速都心環状線を見おろすことができる。関東大震災で甚大な被害を被った東京市の復興──そのシンボルとして立案されたプランの1つが「震災復興橋梁」である。大正期という時代性を反映してか、そのデザインや様式は今日でも新しさを感じさせるが、残念ながら今日では姿を消した橋梁が多く、往年を偲ぶのは難しい。戦災復興と高度経済成長を承けて河川が埋め立てられ、同時に空襲による被災を免れた橋梁も撤去・解体が行われたからである。
 が、幸いなことに21世紀のいまも往年の姿を留める橋梁は現存している。そのうちの1つがビルから見おろす都心環状線に掛かる采女橋や万年橋だ。かつて築地一帯には堀割が縦横に走ってそこに水の流れがあったこと、時が経て<再開発>の名の下に埋め立てられて道路に変貌したこと、それらを知る端緒が横溝正史の「貸しボート十三号」だったのだ。
 なお本作は、これもいまは姿を消した汐留川の貸しボート場からそこまで舵を漕いできたアベックが、浜離宮恩賜公園の沖合で漂うボートの上に生首が半分切られた男女の死体を発見する場面から始まる。このボートが所轄の築地書へ曳航されるルートを、すこしばかり省略されていると雖も既述されているので、ここにそれを書き写しておきたい。曰く件のボートは浜離宮恩賜公園沖から隅田川水域に入るとすぐに築地川東支川へ折れ、現在の築地市場内にあった海幸橋をくぐり、そのまま遡上して市場橋、北門橋、采女橋を頭上に見あげ、築地川本流にぶつかると右手に舳先を向けて万年橋、祝橋の下を通って川縁の築地書に曳航された。
 今日、本作で描かれた東京の景観は殆ど失われてしまった。「貸しボート十三号」が執筆されたのは折しもモータリゼーションの黎明期、古き都の面影が駆逐されてゆくのは避けられぬ時代を迎えつつあったのだ。
 未来へ前進するには過去を埋葬する行為が、どうしても伴ってしまう。だがしかし……と、そんなディレムマを抱えながら、横溝正史がこの短編を発表した昔と同じ雄姿を構える2径アーチ石造り橋梁の采女橋や万年橋にたたずみ、眼下の都心環状線を見おろして途切れることなく行き交う車の列を、或いはふと視線をあげた先にあるビル群の向こうに見える東京スカイツリーを眺めていると、時代遅れのノスタルジーに苦笑しつつも豊かになるのと引き替えになくしてしまった<なにか>に心がチクリ、と痛むのである。
 そうしてそんな思いを心の隅で弄びながら、いまの自分が最も親しみと愛着を感じる東銀座・築地界隈の様子を横溝正史が書き留めてくれたことに感謝し、金田一耕助と等々力警部がこの地を振り出しにして捜査に東奔西走した事件のあったことを忘れられずにいるのだ。◆

 追記
 咨、紙幅が限られているとは話題を絞らざるを得ぬことを意味する。つまり書き足りないことがまだまだあるのだ、この「貸しボート十三号」には。ライスカレーが無性に食べたくなったことや珍しく青春小説の趣を兼ね備えた作品であること、或いは浜離宮恩賜公園と東京湾を隔てる2つの水門の話や事件現場から死体発見地点までのルートの疑問、エトセトラエトセトラ……あれやこれやと……。
 でも、これは別稿として後日、好き勝手お喋りさせていただくこう。では、ちゃお!□

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