第2622日目 〈気附きと夢見;<前夜>、を巡るエピソード〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 畏き明仁天皇の御代に於ける終の秋、みくらさんさんかはプーさんのぬいぐるみにしがみつかれて寝苦しい夜を過ごしていた。一刻、幻が浮かんで或る夢を見た。朝になってその夢を記録することとし、以下の如く書き起こした、──
 その夜、わたくしは幻を見た。夢のなかのわたくしは、とても大変なことに気附いた様子だった。聖書読書ノートブログにまつわる気附きである。傍観者のわたくしは夢のなかのわたくしに入りこんで、すべての思考と感情その他を共有した。そうしてそれが、実のところさして思案に暮れるまでもない懸念事項なのを知って腰が砕けた。
 かつては新しい書物を開くにあたり、水先案内というか誘いのような文章を<前夜>と題してお披露目していた。分量こそまちまちだったが、その主たる柱は、件の書物の(大雑把な)概略と特徴、著者と執筆年代・場所の4つで付随するようになにかしらの記述を添えたことであった。
 早い段階でこのスタイルは確立していたように思うのだが、ふとした拍子に検めてみたところ、分量や内容にまつわる不備、瑕疵を孕んだ<前夜>はなんと、旧約聖書の過半を占めていた。
 われらは頭を抱え、嗟嘆し、そうして対応を検討した。旧約読了後にブログ欠損部分を埋めるため読み直した「創世記」と「出エジプト記」、<前夜>を欠いていた「レビ記」を除けば、《預言書》へ至るまでの19の書物に、不備や瑕疵を見出すことになったのだから。
 われらは本ブログを愛している。大切にしている。慈しんでいる。誇りにしている。何人たりとも不可侵の領域である。なによりもここは、われら/わたくしの拠り所であり逃れ場であり、魂鎮める場所であり、墓標である。気が付いたとき、目に付いたときには修繕や改良を施す、ワーク・イン・プログレス(現在進行形の仕事)である。けっして完結することなき、……。
 それゆえにこそ、他との整合性を期す目的もあって、《モーセ五書》の「民数記」から「コヘレトの言葉」に至る各書、加えて「哀歌」について、<前夜>の補筆改訂──事実上の新稿執筆となるものもあるであろう──することを、検討の結果採択したのだった。
 そうすると次に浮上するのは、いつ書くか、いつお披露目するか、なのだが……なんの予定もなければ明日からだって構わない。が、喜ばしいことに予定はあるのだ。<前夜>の執筆とお披露目は、その予定をすべて消化したあとのお話。ゆえに、──
 「マカバイ記・一」と「エズラ記(ラテン語)」の再読・再ノートが終わったあとで旧約聖書各書の<前夜>に力を注ごう。「ダニエル書」に触発されて書いてみたいエッセイも4つあるから、具体的に<前夜>のお披露目時期はお答えしかねるが、今年度中にメドはつけたいものである。
 ……斯くしてわたくしはわたくしから離れて傍観者に戻った。
 件の夢にわたくしは憂い、悩み、発憤した。夢の記録を読み返し、夢のなかのわたくしの思考を改めてなぞって、補ってみた。そうしてこれは或る未来の予告であることを思い知ったのである。この文章を結ぶにあたり、最後にそれを書き添えておこう。わたくし曰く、──
 年内には「マカバイ記・一」前夜をお披露目できそうです。実現したらば、では、またそのときに。
 「こうして彼らはローマへ出向いていった。それはまことに長い道のりであった。」(一マカ8:19)
 「終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。」(ダニ12:13)◆

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