第2628日目 〈アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』に誤植(或いは誤訳)はないか?〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 「『カササギ殺人事件』の担当編集者TKです。2018年9月の刊行以来ご高評をいただいていました『カササギ殺人事件』が、上記の年末ミステリランキングすべてで1位に選出されました。」とは東京創元社のウェブマガジン「Webミステリーズ!」に寄せられた、当該書目の担当編集者による感謝の文章の冒頭部分(http://www.webmysteries.jp/archives/14221574.html)。
 わたくしもこの作品は実に愉しく読ませていただいた。クリスティ・ファン必読とかいう事前の触れこみも効いて、書店に並ぶや上下巻一緒に買い求めて数日後から読み始めた。朝の通勤電車はかならず寝ることとしているにもかかわらず、そのときばかりはバッチリ目を覚まして『カササギ殺人事件』を読み耽った。
 まだ上下巻の構成など知らずに読んでいたから(ネットの情報は意図して遠ざけて、目に触れぬようにしていたのだ)、上巻冒頭の現代に於ける「私」のモノローグと、アティカス・ピュントの活躍がどうリンクするのか、さっぱりわからぬうちに到着した上巻ラスト。そ、その続きはどうなるのか……!? と言葉にならぬ混乱を鎮めるため、あらかじめ持ち歩いていた下巻を開き、……またまた困惑……肝心のラストは「私」こと担当編集者の手許にも届けられていなかったのだ。
 そうして読了、とっても素晴らしいミステリを読んだ、という満足を胸に再び横溝正史読書マラソンを差異化したのだった……が!
 下巻に誤訳と思しき箇所がありませんか? この点が気に掛かり、当該ページ以後は物語に没入することがそう簡単ではなくなってしまったのだ。
 実はこの誤訳と思しき箇所について、わたくしの思い違いか、読みこみ不足ゆえかを確かめるべく、東京創元社の問合せフォームから質問のメールを送ったぐらいである。普段は重い腰をあげるのも面倒臭くてこうしたことは打っちゃっておくのだが、好きな作品でもあったのでどうしても疑問を解決しておきたかったのだ。こんなこと、『時計館の殺人』以来だ。
 ──
 『カササギ殺人事件』下巻P259の5-6行目、「(読み進めてゆくと)ふと気がつくと、左手側のページの方が右より少なくなっている」だが、ここで語り手であるスーザンが手にしているのは、原稿やゲラではなく刊行された書籍で、少なくなっている左手側のページは未読のページと考えられる。しかしながら、この訳文は誤りではないか──英国では日本と逆に書籍は活字横組みのため、左開きとなり、読み進めてゆくと既読ページは左手側に、未読ページは右手側にある。訳文通りのことが起きるのは、活字が縦に組まれる日本の場合だ。
 活字が横組みされた書籍を最初から読み進めていったとき、左手側のページは右より少なくなっているのではなく、逆に増えていなければ、おかしい。本作を原書にあたって確認したわけではないから、実際にこの訳文通りの原文となっていたら恥ずかしさに穴があったら入りたい気分。が、第7刷の時点で引用したままの文章ということは、おそらく誰も指摘されないまま今日に至っているのだろう。もしかして、わたくしの壮大なる読み間違い、認識違いなのだろうか? 訳者或いは担当編集者の側に、日本の読者が「左と右」で混乱したりしないように書き直しておきましょう、なる優しさに気附けなかったわたくしの愚かさなのだろうか──?
 問合せから1週間以上が経過して、担当編集者に確認する旨返信があったが、いまに至るまでなんの音沙汰もないので、おそらく出版社はマジメに対応する必要はない、とご判断されたと思しい。おそらく年が明けても、また何年経とうと担当編集者氏や翻訳者からの返信を、わたくしが拝受することはあるまい。
 というわけで、わたくしは本ブログの一編として、自分の疑問を文章にまとめて表明しておきたい。何年か経った頃に識者が丁寧にコメントを寄せてくださることを期待しつつ。むろん、東京創元社からのご返信があった場合は、本稿は読んだ時点から168時間以内に公開取りやめとすることをお約束する。既に差し替え原稿の用意は、できている。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。