第2640日目 〈MYDY作戦、発動! ダニ第7章-第9章編withつぶやき・なう:マイ・フェイヴァリット・ブラームス〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 ダニエル書第7章から第9章です。

 第7章(全28節)
 バビロン王ベルシャツァルの御代の元年。ダニエルは夢を見た。こういうものだった、──
 荒れる海のなかから4頭の獣がつぎつぎ現れて、恐怖をまき散らした。殊第4の獣は大きく強く、抗う者を鉄の歯で砕き、また足で踏み潰した。
 この獣には10本の角があり、また新たに小さな角が生えてき、10本のうち3本はそのために抜け落ちてしまった。その小さな角には口があり、尊大なことを語るのだった。なおもダニエルがその幻を見ていると、──
 「見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み/権威、威光、王権を受けた。/諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。」(ダニ7:13-14)
 不安になったダニエルは、そばにいた人にこの幻の意味を訊ねた。その答えに曰く、4頭の獣はこのあと地上に出現する覇権国家である。かれらは興っては戦い、そうして倒れる。なかでも4頭目の獣はすべてを喰らい、踏み潰し、打ち砕く。
 10本の角は10人の王。小さな角はそのあとに立つ王で、かれは3人の王を倒す。其奴はいと高き方の敵となって尊大になり、いと高き方を信じる聖なる者たちを駆逐する。が、かれの専横が続くことはない。
 「やがて裁きの座が開かれ/彼はその権威を奪われ/滅ぼされ、絶やされて終わる。/天下の全王国の王権、権威、支配の力は/いと高き方の聖なる民に与えれ/その国はとこしえに続き/支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う。」(ダニ7:26-27)
 ダニエルは恐れおののきつつもこの言葉に心を留めた。
 【ぼくから、一言】
 ○第7章でダニエルが視た幻は、ユダヤもかかわる未来の世界史を俯瞰した幻である。意味するところは即ち、4つの世界帝国の支配のあとで神による永遠統治が始まる、ということだ。

 第8章(全27節)
 バビロン王ベルシャツァルの第3年、ダニエルは幻を視た。於エラム州の州都スサ、そのウライ川畔。
 川岸に、2本の角を生やした雄羊。思うままに力を揮ったが、西から突進してきた雄山羊に打ち倒された。雄山羊の額からは大きな角が1本、生えてきた。が、これは力の極みで折れてしまい、あとから4本の角が生えた。そのうちの1本からもう1本、小さな角が生えてきた。この小さな角はいままでに比肩するものがないぐらい暴虐の限りを尽くし、聖なる者に敵対し、聖所を汚していった。
 ダニエルはこの幻に震えおののき、この出来事がいつまで続くのか、と、聖なる者に訊ねた。その答えに曰く、日が暮れ夜が明けること2,300回に及んで聖所はあるべき姿に戻る、と。
 そうして大天使ガブリエルがダニエルに、この幻の意味するところを説いた。即ち、雄羊はメディアとペルシアの王、雄山羊はギリシアの王である。ギリシア王が倒れた後は4つの国が興り、それらの終わりに「罪悪の極みとして/高慢で狡猾な一人の王が起こる。」(ダニ8:23)
 その王は力ある者、聖なる民、多くの人を滅ぼし、最も大いなる者と敵対すれど人の手に拠ることなく滅ぼされる。この幻は真実である。「しかし、お前は見たことを秘密にしておきなさい。/まだその日は遠い。」(ダニ8:26)
 【ぼくから、一言】
 ○既に明らかであるが、念のため補っておくと、──
 雄羊:メディアとペルシアの王ダレイオス3世。
 雄山羊:アルケアス朝マケドニアのバシレウス(王、君主)、アレクサンドロス王(アレクサンダー大王)。
 4本の角:アレクサンドロス王のディアドコイ(後継者)、即ちカッサンドロス朝マケドニア(→アンティゴノス朝マケドニア)、プトレマイオス朝エジプト、セレコウス朝シリア、リュシマス朝トラキア(最終的にディアドコイ戦争の勝者となったのは、トラキアを除く3王国であった)。
 小さな角:セレコウス朝シリアの王アンティオコス4世エピファネス。
 ○つまり本章は、ダニエルの視た幻という体裁でマカバイ戦争前史が綴られるのである。
 ○ペルシア語とアラビア語で、アレクサンドロス王は「イスカンダル」と呼ばれる由。イスカンダル……イスカンダル猊下……。
 ○本章の記述を足掛かりにして世界史──古代オリエント史、地中海世界史へ踏みこむと、面白い視点を得られるように思う。また、本章に至って旧約聖書はオリエント史・地中海世界史と本格的にリンクした、というて過ぎはしまい。

 第9章(全27節)
 ダレイオス王の御代の元年。ダニエルは預言者エレミヤの書を読んでいて、エルサレム荒廃の終わり、即ち捕囚記の終わりまでの期間が70年と定められていることを知った。そうしてわたくしは祈り、訴えた。われらは御言葉に背き、行いを改めようとしなかった。ゆえにいまわれらは散らされ、辱めを受けています。われらは罪を犯し、逆らいました、──
 「主よ、常に変わらぬ恵みの御業をもってあなたの都、聖なる山エルサレムからあなたの怒りと憤りを翻してください。」(ダニ9:16)
 「主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、耳を傾けて、お計らいください。わたしの神よ、御自身のために、救いを遅らせないでください。」(ダニ9:19)
 すると大天使ガブリエルが来て、わたしに答えた。ダニエルよ、お前の民と聖なる都に関して70週の時が定められている。それが過ぎると、罪と不義は償われて久遠の正義が訪れ、最も聖なる者へ油が注がれる。ああダニエルよ、70週のうち69週が過ぎたとき、かつ油注がれた者は不当に断たれ、都と聖所は新たな支配者の民により荒らされる。
 「お前の民と聖なる都に対して/七十週が定められている。/それが過ぎると逆らいは終わり/罪は封じられ、不義は償われる。/とこしえの正義が到来し/幻と預言は封じられ/最も聖なる者に油が注がれる。
 これを知り、目覚めよ。/エルサレム復興と再建についての/御言葉が出されてから/油注がれた君の到来まで/七週あり、また、六十二週あって/危機のうちに広場と堀は再建される。
 その六十二週のあと油注がれた者は/不当に断たれ/都と聖所は/次に来る指導者の民によって荒らされる。/その終わりには洪水があり/終わりまで戦いが続き/荒廃は避けられない。
 彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/半週でいけにえと献げ物を廃止する。/憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」(ダニ9:24-27)
 【ぼくから、一言】
 ○ダニエルに告げられた70週の予言、これはアンティオコス4世エピファネスのエルサレム侵略と聖所の汚しを指す。油注がれた者、てふ言葉のためにメシア到来の予言と捉える向きもあるようだが文脈に照らし合わせればそうではなく、メシア即ちイエスの時代よりもずっと前、マカバイ時代のユダヤ争乱をいうのだ。このあたりのことは特に、一マカ1にてアンティオコス4世がエルサレムで行った幾つもの非道を比喩したものだ、ということが本ブログで「マカバイ記・一」を読むときにおわかりいただけるのではあるまいか……?
 ○繰り返す、70週の予言はメシアにまつわるものではない。自戒をこめて、ここに記す。
 ○「油注がれた者」(ダニ9:26)は大祭司オニアス3世である。前170年、弟ヤソンに大祭司職を追われ、暗殺された。オニアス3世はヘレニズム化の波に抗いユダヤの純粋を固守しようとこれ務めた人、反対にヤソンはヘレニズム化推進派というてよく、また大祭司職を賄賂によって手に入れた。かれらのことは二マカ3-5に詳しい。
 ○この70週の予言、じつは読めば読む程頭が混濁してゆく箇所でもある。すくなくともまだわたくしのなかで整理はじゅうぶんについていない箇所である。いろいろ調べたり、考えたりしなくてはね。為、本レジュメのあと読む「マカバイ記・一」と「エズラ記(ラテン語)」が済んだら、またここへ戻ってくるのだろうな、と予感している。
 ○それにしても前半のダニエルの祈り、切々としていて、心にしみじみ伝わってくる。惻惻かつ連綿たる嘆願の言葉の畳みかけに、ふとマイケル・ジャクソンの「Will you be there」を思い出してしまった。



 ブラームスを鍾愛している。が、好きな作品を4曲挙げろといわれたら、交響曲は入らない。弦楽六重奏曲第1番Op.18と《ドイツ・レクイエム》Op.45、《3つの間奏曲》Op.117、2つのクラリネット・ソナタOp.120、かしらね。あくまで暫定だけど、おそらく不動の4曲。◆

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