第2643日目 〈「マカバイ記 一」前夜〉 [マカバイ記・一(再)]

 旧約聖書の時代はネヘミヤとエズラの時代、即ち前400年頃を以て終わりを告げました。新約聖書の時代はヘロデ大王の御代、ガリラヤ地方の小さな恋人たちを見舞った奇蹟から始まっています。その間に横たわるのは、約360年という長い長い時間の隔たり。
 ……約360年……これが旧約聖書と新約聖書を分かつ<空白の時間>。<空白>ではあってもペルシア帝国の庇護下でユダヤの人々の営みは常に代わること続き、喜怒哀楽のなかで歴史は次の世代に引き継がれていった。
 が、シリア・パレスティナの外で世界は大きく変貌していました。ユダヤもその動きと無縁でいることはできなかった。そんな外圧をまともに浴びたとき、ユダヤはどのように揺れ、民はどのように立ち振る舞ったか──旧約聖書続編に収まる「マカバイ記 一」が語るのは、ユダヤが地中海世界の群雄割拠に呑みこまれたとき、ユダヤ人がどのような信念の下に邪知暴虐の為政者に戦いを挑み、民族独立を果たしたのか、であります。
 先走りすぎたようです、落ち着きましょう。
 ──捕囚解放されて荒廃したユダの地、廃都エルサレムへ帰還した者たちは、ゼルバベルやイエシュア、ネヘミヤやエズラの指導の下、周囲の異邦人からのちょっかいを退けながら、町を整備し生活を建て直し、城壁を修理して神殿を再建した。
 父祖の地での暮らしは、平穏に営まれて日は過ぎてゆく。が、庇護者たるペルシア帝国は東征を図るマケドニア王の前にあえなく滅び、その後はマケドニアの後継国家が代わってユダヤを支配した。セレコウス朝シリア──そこから悪の元凶、アンティオコス4世エピファネスが立ってユダヤ人の宗教を汚し、ヘレニズム化を強行したのでした。
 その邪知暴虐に抗う勢力のうち最大にして敵方に最も恐れられたのが、マカバイ家(ハスモン家)であります。エルサレム北西約30キロの位置にある町モデイン出身のかれらは、反セレコウス朝の狼煙をあげて破竹の勢いでシリア軍を撃破、苦しむ同胞を解放して、遂にエルサレム奪還を果たしてソロモンの第二神殿を奉献。その後もユダ・マカバイを指導者/司令官としてユダヤ全土の勢力を結集、時にローマやスパルタと結んでシリアと戦い続けてこれを退けたのでした。
 マカバイ家4人目の指導者シモンの代で、ユダヤは完全に外国の支配下から脱する。じつに南王国ユダの滅亡(前587年乃至は586年)から約145年後、ユダヤ人国家ハスモン朝として独立したのであります。そうして前142年、セレコウス朝シリアのデメトリオス2世はユダヤの独立を承認。斯くしてシモンはハスモン朝最初の王位に就き、同時に大祭司職に就いたのです(一マカ13:41、14:35、同38)。
 「マカバイ記 一」はギリシア人の王朝の第177年、ハスモン朝シモンの第7年、即ち前134年の記事で終わる。その年、ユダヤ人アブボスの子プトレマイオスがマカバイ家4人目の指導者シモンを謀殺し、またシモンの子ヨハネの殺害未遂という大きな事件がありました。このヨハネ(・ヒルカノス)の御代の概略がとても素っ気なく述べられて、「マカバイ記 一」大尾。
 本書は民族解放の物語であり、また抵抗の記録でもありますが、一方でプロパガンダ文書の性格を持つともいわれます。それはおそらく、シモンの王位就任と大祭司職への任命に疑問の声が絶えなかったことも起因していましょう。
 といいますのも、王位に就くのはダビデの家系、大祭司職に就くのはレビ族アロンの家系、てふ暗黙の了解──共通認識、というてよいかも──があったからです。大祭司職にかんしては律法が定めるところでもありました。マタティアの家系は所詮地方の、よくて一豪族に過ぎません。脳筋ならぬ戦筋であります。
 ダビデの家系にもレビ族アロンの家系にも属さぬマカバイ家の高位職就任に、本道を知る民が不適格と思うのも無理からぬことでありました。誰の目にも不満と映ったことでありましょう。独立運動の勇士であるのは認めるけれど、だからというて国家の最重要職に就いて良いわけではない、というところであります。
 「マカバイ記 一」はそんな不平分子の声を平らげるためにも、プロパガンダの性質を備える必要のあった書物のようにも、わたくしには読めるのです。就中第14章、イスラエルの自由が取り戻された記念にシオンの丘へ建てられた石碑の文面、その一節には注目してよいように思います、──
 「『民であれ祭司であれ、何人といえどもこれらのうちのいずれかを拒否したり、シモンの命令に反抗したり、彼の許可なしに国内で集会を催したり、紫の衣をまとったり、黄金の留め金をつけたりすることは、許されない。これらに違反したり、そのいずれかを拒否したりする者は罰せられる。』/民全体は、これらの決議に従って、シモンに権限を与えることをよしとした。シモンはこれに同意し、大祭司職に就くこと、また総司令官となって、祭司たちを含むユダヤ民族の統治者となり、陣頭に立つことを快く承諾した。」(一マカ14:44−47)
 ハスモン家の、民の不満の声の塗り潰しに奔走して右往左往する様が透かし見えて、滑稽ですらあります。
 シモンの在位は前143−134年、ヨハネ・ヒルカノスの在位は前134−104年──ヨハネの御代の出来事の記事がないに等しいこと、また、かれの事績の統括がない点から、本書の成立を前100年前後とする説が今日では、有力なようであります。
 著者の手掛かりは皆無というてよいが、本書を通じてマカバイ家/ハスモン家の人々の事績(王と祭司職への就任という、これまでのイスラエル/ユダヤではあり得ぬ暴挙に出ていながらなお)について好意的なことから、サドカイ派もしくはそこに近い人々のなかに著者を求められるように思えます。一方でこの人物(著者と想定できる人物)はユダヤの地理やシリア・パレスティナを中心とするオリエント・地中海世界の動向に比較的明るいことから、得られた情報を検討・分析してまとめあげられる立場にいるか、そうした人物に近いところにいる存在であることも、併せて想像できるのであります。
 その執筆地は、まるで見当が付かない。エルサレムなのか、シリアの首都アンティオキアなのか、地中海を臨む大都市アレキサンドリアなのか、或いは小アジアなのかギリシアなのか、はたまたローマなのか……未詳である。
 ──それでは明日から1日1章の原則(変更の予定、大いにあり)で、「マカバイ記 一」をふたたび読んでゆきましょう。いやぁ、それにしてもあれから何年も経っているのにまた、この一文が書けるなんてね!?◆

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