第2654日目 〈マカバイ記・一第5章3/3:〈エフロンでの破壊〉、〈ヨセフとアザリアの敗北〉他with抵抗、祈り、そして……〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第5章3/3です。

 一マカ5:46-54〈エフロンでの破壊〉
 カルナイムをあとにしたユダ軍は南下して街道沿いの町、エフロンのそばまで来た。が、道はそのまま町中を突っ切ったものしかなく、ほかに迂回路はなかった。
 マカバイはエフロンの人々に町を通過する許可を求めた。が、住民は街道を封鎖することでこれに応えたのである。諦めて迂回する考えは、ユダ軍になかった。突破して前に進むことを選んだのだ。
 然るにマカバイは命じて郊外に陣を敷き、そのあと一昼夜にわたってエフロンの町を攻撃した。斯くしてエフロン、陥落。
 「」彼らは男子をことごとく剣にかけて殺し、町を跡形なく破壊し、戦利品を奪って、敵の屍を踏み越えて、町を通過した。」(一マカ5:51)
 ──ヨルダン川を渡って西岸地域に戻ったユダ軍は、ベト・シャン(ベト・シェアンか?)の町の手前に広がる平原を経て、更に南下する。険しい山道をかれらは、落伍しそうになる者を助け励ましながら、前に進んだ。
 そうしてユダ軍とギレアドの解放民は歓びを胸にシオンの山を登り、けっきょく1人の脱落者を出すことなくエルサレムへ帰還した。帰るとマカバイたちは感謝のため、聖所にて焼き尽くす献げ物をささげた。

 一マカ5:55-64〈ヨセフとアザリアの敗北〉
 まだエルサレムにシモンもマカバイも帰ってきていない時分のことである。
 エルサレムの留守を任されたヨセフとアザリアは、功名心と高慢さからマカバイの諫めを破り、異邦人の一部隊に無謀なる戦いを挑んでいった。
 戦場はヤムニア、敵将はかつてアマウス戦でマカバイに裏をかかれたゴルギアス。案の定、ヨセフとアザリアは敗北した。異邦人たちはユダヤの国境までかれらを追撃した。
 ヤムニアの戦い、それは敗北するべくして敗北した、ぶざまで思慮に欠いた戦闘だった。この、必要のなかった戦闘で2,000人のユダヤ人兵士が犠牲になった。
 「」(一マカ5:61-62)
 イスラエルを救う役目をその手にゆだねられていたのは、手段や行状に多少の問題ありと雖もやはり、ユダ・マカバイとその兄妹たちだったのである。此度の戦はその証しというてよい。

 一マカ5:65-68〈ユダ、南部と異国の地を撃つ〉
 ユダ・マカバイとその兄弟たちは、まだまだ戦い続けた。
 南に下ってエサウの子孫と戦い、ヘブロン他の町や村を襲い、その砦を破壊した。
 異国に侵攻してマリサという町を落としたその日、従軍していた祭司たちが、先のヨセフたちと同じように功名心と驕りから戦場に出てゆき、戦死した。分別をわきまえぬ愚行である。
 ユダ軍は異国の町アゾトを攻め、異教の祭壇を引き倒した。異郷の神の像を焼いた。略奪行為に勤しんだ。そうしてユダ軍は揚々と引き揚げていった。

 言いつけを守らない留守番とか職能を忘れて戦場に行ってしまう祭司とか、まるでユダ軍は統率の取れていない<ならず者集団>にしか思えてならぬ、本日の読書範囲。トップに問題あると、やはり下に従く人材も似るようだ。
 たとい最初はそうでなくても、その集団へ所属しているうちに段々と感化されてくる。さして殺し合いを好まぬ人でも、マカバイの下にいて日々戦闘に明け暮れる日々を送るようになると感覚は麻痺して、やがてそこに楽しみと歓びを見出すように、なってしまうのかもしれない。均質化、といえば言葉は良い(かもしれない)が……。
 マカバイは或る方面に於いては非常に有能だが、それ以外のことに関してはからっきし無能である。無能てふ言葉が過ぎたものなら、信頼を置くに値しない、と言い換えてもよい。21世紀の日本にユダ・マカバイがいたならば、ブラック企業のボスとして勇躍名を天下へ轟かせていたに相違ない。
 「マカバイ記 一」、殊マカバイについて触れた部分は組織論やリーダー論に通じるところがあって、ちかごろ面白く読んでいることを告白しておきます。もしわたくしがその種の本を書くとしたら、反面教師なリーダー、或いは組織運営の一例として、本書を引き合いに出すことになるでしょうね。



 非常に遅まきながら人生再構築を始めた矢先、それをあざ笑い、ぶっ壊すような現実に直面して、打ちのめされる。
 あと15年、いや、10年で良い、いまの生活を営ませてほしい。その間にかならず結果を出し、しあわせな日々を送ってもらうようにするから。
 約束する。
 だから、まだ奪わないで。連れてゆかないで。早いよ……。◆

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