第2665日目 〈ビートルズ《PAST MASTERS Vol. 1》が、1枚、2枚、……。〉 [日々の思い・独り言]

 体が痛むときは集中力は勿論、思考力も他のなにも持続しない。即ち、原稿の執筆の不可能なることを身を以て知った07月25日なのであります。
 泣く泣く予定していた相沢沙呼『小説の神様』正続(講談社タイガ)の感想を放棄し、では代わりの原稿を用意しようにもストックがない(完成原稿として)ことに気附いて「嗚呼」と頭を抱え、けっきょく1日の猶予をいただき本日は穴埋めとしてこんな文章を綴っております。なにもかもが出たとこ勝負、なにを書くのか、何字書くのか、まるで見当が付かない。書くことがなくなったら体裁を整えて結びとし、予定投稿するつもりでいる。
 ……さきほど、資料を探すついでに机まわりの片附け(えー???)をしている際、なんとびっくり、ビートルズのCDが出てきたのです。デジパック仕様の《PAST MASTERS Vol. 1》。あれぇ、と呟く前に、このCDはさっき見たけれどな、という懸念しか湧き起こらなかった。
 急ぎビートルズのCDを突っこんである棚を漁り、あっさり件のCDを発見したことであります。あちゃー、と懐かしい所作をやってしまいました。額叩いて天を仰ぐ、あの格好ね。TOKIOの松岡が一時期、『ザ! 鉄腕! DASH!!』でやっているのを見ていた覚えがあるけれど、いまはそんなことどうでもいいか。
 要するに同じCDを2枚、架蔵していたのですね。しかも同じ時期にリマスタリングされて発売された奴なんだよ。ただ、それをいつ買ったのか、まったく覚えがない。棚にある《PAST MASTERS Vol. 1》は他のアルバムと一緒にタワーレコードで買いこんだものだけれど、では今日、資料の間から「ハァイ、久しぶり!」とばかりに顔を出したこちらの《PAST MASTERS Vol. 1》はいったいいつ、どこで……? どれだけ頭をひねっても、記憶をたぐっても、思い出せることはなに一つない。うぅん。
 処分してしまったがまた聴きたくなった、ディスク・フォーマットが変わってより高音質になった、などなどの理由から同じアルバムを買い直すことはこれまでも何度かあった。クラシックやジャズだと後者のケースが非常に多くてねぇ。フルトヴェングラー指揮、通称「バイロイトの第九」なんて一時期いったい十何種類架蔵していた? これは同曲異演を何種類も架蔵して聴き比べするとか、単なる蒐集とはもう次元が違う。購うは義務なのだ。うん、「バイロイトの第九」は異例としても、同じベートーヴェンで<不滅の九>や<ピアノの新約聖書>、或いは弦楽四重奏曲全集なんて何セットもあって棚を占領していたしね。
 でも、他のジャンルでは斯様にダブって購入する、なんて事態に陥ったことはなかった。記憶を探るまでもなく、そう断言できる。まぁね、ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの《GREATEST HITS》と《Live at 25》は輸入盤と国内盤、両方持っているけれど、それはおそらくここではノー・カウントの対象になるはずだ。同じようにSKE48のシングル〈キスだって左利き〉と〈チョコの奴隷〉はヴァージョン違いをすべて買い求めたりしたことはあったが、こちらもおそらく同様にノー・カウントだろう。
 が、《PAST MASTERS Vol. 1》は明らかにそれらの場合と異なり「いつ」、「どこで」、「なぜ」、「どうして」同じヴァージョンを2枚、所持するに至ったのか、まったく謎なのである。ビートルズの他のアルバムが全部ではないにせよ何枚か、同じように発掘されたのであれば、解釈のしようもある。が、活動前期のシングル曲プラスαを集めた《PAST MASTERS Vol. 1》だけがあることが、推理をますます混迷させてゆくのだ。
 あれから数時間、悶々とこの問題について考えを巡らせていたわたくしは、ああそうか、と納得するものがあったのである。すとん、と腑に落ちた。むろん、解決したのではない。これが日常の謎、って奴だな、と納得したのだ。
 脱力したように突っ伏す誰彼の姿が思い浮かんだけれど、良いではないか、思い浮かんでしまったことは仕方ないよな。『ゴーストバスターズ』でダン・エイクロイド扮するレイモンド・スタンツ博士が「頭になにも思い浮かべるな!」てふ忠告も空しく脳裏にマシュマロ・マンを浮かべてしまったのと同じように? うん、そうかもね。
 秋口に某中古CD屋に処分する予定で、ぽつぽつCDの整理を始めている矢先でもあったため、このたび発掘した《PAST MASTERS Vol. 1》は深く考えるまでもなくダンボール箱行きと相成った。願わくば、これ以上どこかからビートルズのCDがダブって出てきませんように。いや、ビートルズに限らず、だけれど。◆

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