第2670日目 〈寝しなの読書、いまは紀田順一郎の著作が多いんです。〉 [日々の思い・独り言]

 寝しなにビールを飲みながら、本を読む。就寝前の一刻をこんな風にして過ごす。やるべきことは済ませてあとはもう寝るだけ、という時間。わずか20分、30分てふ短い時間だが、明日の憂いや患いを追い出して、書棚から持ち出した本を開くのが無上の楽しみと化しつつある。以前はアニメ『けいおん!!』を1話ずつ鑑賞することだったが、この数日はさっぱりご無沙汰で……。
 ──ああ、友よ。実を申せば、この時刻に読む本は紀田順一郎がちょうどよい。なぜだろう? 理由はよくわからない。しかも読むのは、かれが著作を陸続と送り出していた頃のものではなく21世紀になってからの、回顧の趣が強くなってきた本である。具体的に書名を挙げれば『幻想と怪奇の時代』と『戦後創成期ミステリ日記』、『幻島はるかなり』、『蔵書一代』。出版社はいずれも松籟社。
 最近自分の書くものがノスタルジックな傾向を深めてきたせいか(個人の感想です)、それともそのジャンルに血道をあげていた時分に水先案内人のような役目を担っていた人の書いたものだからか、紀田順一郎の本を読んでいると、ふしぎとしみじみした気分にさせられるのだ。
 初めはほんの一滴の清らな水滴がいつしかせせらぎとなり渓流となり、地下から湧き出た伏流水を束ねていつしか幅も広い川となって悠然と人の住まう土地のなかを流れて果て知らぬ大海へ至る、その戦後初期の一鍬を情熱だけを頼みとした人たちと揮った紀田順一郎のジャンル小説への<愛>は、既に供給されていることが当たり前な今日の読者には夢想だにできない先駆者ならではの希望と挫折と探索、そうして人の縁、人の環に彩られて、読み手の魂を──就中いま程情報もなく人とつながることもできず、独りきりで、コツコツ足を使って作家の消息を古本屋や図書館で辿り、偶さか雑誌や本の解説で知る情報を頼りに本屋を巡り歩き、時には識者へ手紙で問い合わせたり、海外の古書店にカタログを請求して欲しい本を見附けるたびに垂涎のよだれを流したりしていたかつての若者の心を、懐かしさと後悔のみならず、もしかしたら実現していたかもしれない未来をふと思うて、哀惜の情に駆られて涙を流し、嗟嘆するのだ。……ここまで、ワン・センテンス。
 徒し事はさておき、顧みるまでもなく中学生から会社員数年目の頃まで約15年間、偏愛して握玩措かなかった幻想小説と推理小説には平井呈一や宇野利泰、深町眞理子や矢野浩三郎、荒俣宏や紀田順一郎などといった面々の名前が踊っていた。わたくしはかれらの訳書や解説で世界を知り、ゆっくり広げていったのだ。それゆえか、かれらのエッセイをまとめた本を知ったり、未読の文章の載った雑誌など見掛けると、無性に欲しくなって、なにはさておいても購入してその後はしばらくの間、一心不乱に読み耽るのである。
 本稿を投降したら、いつものようにわたくしは冷蔵庫を開けて、キンキンに冷やしたビールを取り出し、椅子に座を占め、明日に味わう憂いを忘れるようにして書棚から持ち出した紀田順一郎の本を、読む。これがいまは至高の一刻だ。さて、それでは、──◆

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