第2680日目 〈希望を語るになんの羞恥を覚えることはない。〉 [日々の思い・独り言]

 いえ、まったく個人的な、本ブログにまつわる希望なのです。──聖書読書ノートブログから始まりそれが終わって以後、本ブログは迷走の時期を迎えて、いまもたぶんそのなかにいるのでしょう。
 曙光はまだ見えていません。が、それを見出すことは即ち、次のテーマが決まり、読書と執筆のための準備が着々と進んでいることを、意味する筈。場合によっては何日分かの原稿が、待機状態にあるかもしれない。
 かつては聖書が読み終わったらダンテ『神曲』、或いは『論語』を読もうかなぁ、と企んでいた。聖書読書と同様、原則1日1章(1段)で進めてゆくのか、勿論それは不明です(取り掛かっていないから、仕方ないよね)。
 でも、聖書読書で自分にとって最善のペースと、1日にこなせる分量がわかった。それに則るならば、読む対象が『神曲』であれ『論語』であれ、さして無理なく読み進めてゆけるのではないか──。
 むろん、「マカバイ記 一」と「エズラ記(ラテン語)」を終わらせるのが優先ですから、いまではまだ上記の事柄、夢物語の域を超えないのが、じつにむず痒いところなのですが……。
 如何にして今後、本ブログの定時更新を続けてゆくのか。ほんじつの原稿はそこから出発した内容なのですが、不安ばかりだけれど、第3000日目まではどうにか本ブログの命脈を保たせたいのです。
 それまでにお披露目される記事は、本の感想でも日常雑記でも、ルサンチマンでも社会時評でもなんでも構わない。すくなくとも長期にわたる読書ノートという大柱が確かになって、開始と継続の見通しを立てられるようになるまで、分量に長短こそあれ、質に若干の濃淡こそありと雖も、エッセイを毎日書いてゆこう、と思うのです。
 そうして、いつか本ブログでお披露目中の作物を、精選して1冊の本にまとめたいな、……なんて分不相応な願望も、最近は抱いているのです。
 ──さて、夢を語る時間は終わりだ。明日から、第3000日目を目指す。あと約1年弱である。インプットを増やし、井戸を掘り進め、体力と文章力を鍛えて、なにより仕事を頑張り、その日の訪れを実現させるために前へ進もう。ヒルティのいうように、「いまわたくしの前には希望だけが広がっている」のだから。◆

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