第2685日目 〈太宰治『地図』の途中報告。──これはほんとうに無名時代の作品なの?〉 [日々の思い・独り言]

 こんなこと、ありませんでしたか? 大した期待もなく、一過性の火遊びと思うていたのがあんがい相性はぴったりで、親しみを覚えて逢うを重ねているうち、いつの間にやら馴染みの仲となり、一つ屋根の下で暮らしてるなんてこと?
 来し方を振り返れば、そんな相手のいたことも……、といいかけて慌てて口をつぐみ、あとは自粛を決めて梔子の花になりますが、たとえば文学に於いてはわたくしの場合、太宰治がそんな交際相手の典型だった。
 初めは有名作だけ読んでさっさと済ませよう、と軽い気持ちでいたあの夏。いつの間にやら太宰文学の内包する天真爛漫さと、その裏返しのような狂態にあてられてすっかりのめりこみ、「毒を食らわば皿まで」の症状に見舞われて、いまはすっかり太宰ファンになり果せた。
 <第2次太宰治読書マラソン>は読まぬ日、読めぬ日の方が多いとはいえ、ゆるゆると進行中。いまは『地図 初期作品集』(新潮文庫)、そうしてこれを読んでいるいまこの瞬間にこそ、わたくしは自分が完治不能のダザイ・ヴィールスに冒されていることを自覚した──。
 読み始めて既に2週間、さりながら全28編のうち、読了できたのはまだ1/3程度。それだけでもじゅうぶんだったよ、『晩年』でデビューするずっと以前から太宰は天性の語り部であり、どんな些細なこと、どうでもいいことを面白く語らずにはおられない人であったことを再認識するには。
 『地図』に収められたのは、いずれも学生時代に校友会誌や同人誌へ寄稿した、アマチュア時代の習作である。普通ならば、歯牙にも掛けられない、精々が全集の編まれる際に目玉の一つにもなろうか、という類の代物だ。が、相手はなにしろあの太宰である。「意外」は「当然」といい換えられるべきだったかもしれない。
 文庫版でわずか10ページに満たぬが殆どの作品など、好事家相手の珍品で結構なはずなのに、これがじつに読ませる<力>を内包した作品なのだ。
 たしかに技巧の面ではまだまだ青臭いけれど、つまらないことでも面白く語れてしまう、その恐るべき才能は、冒頭の「最後の太閤」から既に健在だ。ちなみにこれは大正14(1925)年3月、青森中学校の校友会誌に本名で発表された最初の創作である。
 そうして現時点でいちばん驚いてしまった作品が、表題にもなった「地図」だった。こちらは「最後の太閤」と同じ年、同人誌『蜃気楼』に発表されている(やはり本名で発表)。
 5年がかりで石垣島を征服した琉球王が、蘭人に見せられた世界地図に征服地はおろか自国さえ載らぬことに怒り、乱心する、というが粗筋。
 菊池寛の「忠直卿行状記」に影響されていることが夙に知られる様子だが、それでも太宰の冷静な眼差し、<井の中の蛙、大海を知らず>を地でゆく琉球王の狂乱が隈無く描写されていて、或る意味で『晩年』の諸編よりもずっとキレ味の優った逸品と感じられる。これには一読、心を摑まれてその晩に早くも再読(わたくしにはじつに珍しいケースだ)。今日も秋葉原に所用で向かう京浜東北線のなかで、読まねばならぬ資料をうっちゃって読み耽ったことである。
 そのあとも、「針医の圭樹」、「瘤」、「将軍」、「哄笑に至る」と読み進んだが、やはり後年の作品群と較べても見劣りはしないレヴェルの小品、という気持ちは強くなるばかりだ。就中「瘤」と「哄笑に至る」は双生児の如き関係にあると思い、いずれも呵々させてもらった。もっとも、その一方で「哄笑に至る」は他人事に非ざるなり、と、己に軽く戒めを課したのであるが。
 残り2/3をいつ消化し終えるか、正直なところ自分でもよくわからない。いまは平時ではないのだ。とはいえ、今月中にはいくらなんでも読み終われるよね、と自問しておる。が、答えは返ってこない。いやぁ、参ったね。
 この文庫の刊行当時、どうしてこんな無名時代の作品まで文庫化されるのだろう、やはり主要作品をすべて収録しているレーベルの意地と自負ゆえなのかな、と要らぬ勘繰りをした。が、いまなら、どうしてまとめられたのか、理解できる。太宰治ほど無名時代、アマチュア時代の作物さえ読ませてしまう作家はいないのだ。そうして『地図』所収の諸編はいずれも、ほかの有名作、代表作と同じ土俵で語ることが可能な、稀有な結晶体であることの証しだったのだ。いやぁ、すごい人に惚れこんじまったよ。文章に惚れる。作品に惚れる。顔に惚れる。そこまでさせてしまう作家がこの国に、ほかにいったい何人いるというのか。◆

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