第2701日目 〈本は本屋さんで買おう。〉 [日々の思い・独り言]

 しばらく外出を控えていたので先日、病院帰りに本屋さんへ寄ったときは楽しかったですね。新刊情報は把握していながらも店頭で現物を手に取れないことは、わたくしにはひとえにストレス以外の何物でもない。ずいぶんとたくさん買ってしまいましたよ。滞在時間……そうね、3時間半ぐらい?
 やはりね、本は本屋さんで表紙/背表紙を眺め、厚さを視覚で確認し、ページをぱらぱらめくったとき指先に伝わる感覚を味わい、本文レイアウトを眺めてどれだけの情報量がつまっているかを把握し、冒頭や解説など立ち読みして自分のなかの期待値を高めた末にレジへ運ぶのが最良だと思うのですよ。
 Amazonやほかのネット書店で購入するよりも本屋へ実際に足を運んだ方が、どれだけの情報が自分のなかに蓄積されることか。加えてそこには「偶線の出会い」があり、「ふとした拍子に自分の視野を広げるきっかけになる本」との出会いがある。かならず。ああ、その恩恵といったら! これは新刊書店・古書店の別なくいえることだ。
 この前の木曜日、飲んだくれる前に立ち寄った本屋さんで、ずいぶんと散財してしまった。新刊書店4割、古書店6割、というのがだいたいの購入配分。新刊書店では購入予定リストに載る本を買うだけで我慢したのだが、古書店ではさすがにそうは問屋が卸さなかった。
 購入本の内訳を曝すことはさすがに控えたいが、どの古書店に行っても近代文学に関する本が自ずと目に付き、加えてそれらがみな、自分の関心や研究に関わりある記述を持つ、或いはテーマの本ばかりであったので、ちょこちょこ買っていたらずいぶんと荷物が重くなり、比例するように財布も軽くなっていた。金融機関のATMへ足を向けなかったが唯一の幸い事だろう。
 それらはけっしてネットで購入することもあるまい書目ばかりであった。先にその本について情報を仕入れ、どのような内容なのか、など具体的にわかっているところあれば万難を排しても購入していたろう。が、果たしてそのような幸運にどれだけ巡り会えるか。可能性は、あまり高くない。むろん、実店舗にてそのような本を発見することの可能性の方がもっと低いのだが、そこには一期一会が働く余地がある。
 かつてDE CAMPの”LOVECRAFT”や小川国夫の単行本を購入したと同じように、殊古本屋ではなにかに「呼ばれて」その前に立ち、自然と手を伸ばして開き、自分の探し求めていた本であることを確認、喜び勇んでレジへそれを持ってゆく、という、一期一会が働いたがゆえに生まれる儀式めいた過程がある。本の入手は或る程度まで受動的なところがあって良い。
 このたびわたくしが買い求めた本──新刊書店と古書店にて買い求めた本を開いていたところ、一種の化学反応が生じて幸福な出会いが演出された。漫然と、なんの目的もなく読み耽っていたら、ぴん、と来たんだね。
 それぞれは極めて断片的で、短い記述なのだけれど、それらが自分のなかで混ざり合い、輪郭は模糊としていながらも一つの形が見えたのである。これを文章という形にするにはもっと醸造させる必要があるけれど、そうしてほかの文献等で補強する必要があるけれど、これはつまり同じ日に、自分の価値基準で判断して購入した本だったからこその有機的結合であり、化学反応だったのだろう。
 やはりね、本は本屋さんで買うのがいちばんですよ。◆

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