第2712日目 〈朱鷺田祐介『ラヴクラフト1918-1919 アマチュア・ジャーナリズムの時代』Ver.0.5を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 スティーヴン・キングの短編集の訳者あとがきにラヴクラフトの名を見附けたのが、そもそもの始まりだった。キングに影響を与えたのか、いったいどんな作風の小説家なのだろう。いっぺん読んでみたいものだなぁ。
 そんな呑気なことを考えながら学校帰りの乗換駅、週4で立ち寄る新刊書店の平台を眺めていたら、その人の名前を冠した、表紙が黒い文庫に出喰わした。『ラヴクラフト全集』第4巻、訳者は大瀧啓裕、創元推理文庫。オレンジ色の帯が表紙の色と妙にミスマッチだが、却って禍々しさを覚えさせられたね。
 ラヴクラフトにいよよのめりこんだ決定打……それは、行きつけの古書店にて国書刊行会版全集全10巻11冊揃い・月報・オビ・刊行予告ポスター完備に出喰わしたことが大きい。というか、それを措いて他に、ない。それまで貯めていたお小遣いにお年玉の前借りを足して、勇んで大晦日の憂国、じゃない、夕刻に全集を迎えに行きましたねぇ。高校生が、ですよ。しかも来年は受験生になる、という17歳がですよ。これがわたくしの、ラヴクラフト菌に感染したそもそもの経緯であります。
 そうして進学、学問のなんたるかも朧ろ気ながらわかって来ると今度は手持ちの本に加えて、神保町をほっつき歩いて買い集めた微々たる数のラヴクラフトやアーカム・スクールの作家たちの原書や翻訳、英米文学史や幻想文学の研究書などを参考文献に、折しも生誕100年を迎えていたHPLへの信仰告白めいた、短いエッセイをコツコツ書き溜めた。1冊にまとめる夢を抱きながらね。
 とはいえ、如何せん学生の経済力は貧弱で、加えてあれは現代と較べて格段に情報不足の時代だった(良い時代であり、悪い時代であった!)。そのエッセイ集は立てた目次の2/3弱──「人間・ラヴクラフト」の項目を書き終え、「作家・ラヴクラフト」の項目を半分ばかり書きあげたあたり──を消化したあと、しばしの惰眠を貪り21世紀のいまに至っている(「しばし」じゃないでしょう、なんてツッコミは野暮だと気附いてほしい)。
 当時もいまもわたくしの興味は「作家」ラヴクラフトではなく、「人間」H.P.ラヴクラフトにあるから、件のエッセイ集も己の興味を満たしたことでだんだん意欲をなくしていったのだろう。あのまま情熱を持続させられたなら、いま頃同人誌であれ商業出版であれ、何冊かの著書は出せていたに相違ないのだが……。
 さて、先月の中葉頃か。電脳空間をサーフィンしていたら、ラヴクラフトの若かりし頃にスポットをあてた同人誌のあることを知った。途端、青春時代に罹患したウィルスが潜伏期間から目覚めたか、或いは単に懐古趣味が爆発したのか、矢も楯もたまらず注文手続きを済ませ、代金を支払い、入金確認メールと商品発送メールの受信を首を長くして待ち、そうして昨日(一昨日ですか)、病院へ行く日の午前中にそれは手許に届けられた。
 朱鷺田祐介『ラヴクラフト1918-1919 アマチュア・ジャーナリズムの時代』Ver.0.5である。
 本書は昨2018年発行の「ラヴクラフト1918 アマチュア・ジャーナリズムの時代」に1919年分を加筆したヴァージョンである由。加筆によってどの程度の情報が補われたのか、旧ヴァージョン未見のわたくしには報告することができない。
 アマチュア・ジャーナリズム時代こそラヴクラフトの創作活動の原点であり、要諦であることは、ラヴクラフティアンならば誰しも指摘できることであるが、ではその重要性となるとまとまった形ではっきり喧伝する者はこれまでなかった。稀に個人のブログや研究サイトと称するものにその時代のラヴクラフトを報告する記事は見掛けたが、どこまで信を置いてよいやらわからなかった。というのも、出典や典拠が非公開であったためだ。
 そこに来て巡りあった朱鷺田祐介のこの本である。ここにはわたくしの知りたかった、ラヴクラフトの「遅まきな青春時代」が簡潔に、要領よくまとめられている。たった1つの項目、たった1行の背後に、著者のこれまでの研究や思考がどれだけ積み重ねられていることか。時間(とそれなりの額となったはずの書籍購入費)をかけて博捜した資料は、きっと巻末の参考文献一覧に掲げられた本だけでは、けっしてあるまい。それらを読みこみ、分析し、まとめあげた手腕は見事としか言い様がない。こういう労著に接するとむかしわたくしが、かの小さなエッセイ集を出さなかったのはやはり正解だったかもしれないな、と嗟嘆してしまう。
 特にわたくしが唸らされたのは、ウィニフレッド・ヴァージニア・ジャクソン(筆名:エリザベス・バークリイ)との関係である。けっきょく恋愛関係にあったのか、2人の関係性がどのようにかれらの創作へ影響を及ぼしたのか等々。著者もこの点については更なる調査が必要、と仰っているが、ラヴクラフトが本当は女性に対して如何なる心情で接していたのか、など知りたくてならぬ身としては、是非にも決着を付けていただきたいと願う次第である。
 また、このご婦人絡みでいえば、いちばん注目すべき本書の言及は、彼女の夫にまつわる人種偏見の件りであるかもしれない。人間の思想は時代の風潮によって作りあげられる部分も多い。ラヴクラフトの人種偏見はまさしくこれであると思うのだが、それが身内や知己にまで及ぶとどうなるか──このあたりにきっと、ラヴクラフトがその後書きあげてゆくことになる神話作品の礎(の一つ)があるのだろう。
 また、S.T.ヨシ著『H・P・ラヴクラフト大事典』(森瀬繚/日本語版監修 エンターブレイン 2012年)で指摘されたラヴクラフトの州兵志願とその背景、UAPAとNAPAへのラヴクラフトの関わり方の詳述、老詩人ジョナサン・E・ホーグとの友情など、「成る程」と深く首肯させられるところ多く、ますます「人間・ラヴクラフト」への関心は強くなる一方である。
 気になるところといえば、一部文意が定かでない箇所があったり(他人のことはいえませんがね)、参考文献の出版社表記を欠いていたり、など他にもあるのだが、目くじら立てて指摘する類のものではない。
 著者には更なるヴァージョン・アップと1920年以後のラヴクラフト点描をお願いして、筆を擱く。◆

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