第2723日目 〈外国語学習のための、わたくしからの提案;ロシア語訳聖書を入手したことを契機にして。〉 [日々の思い・独り言]

 持て余している本が1冊。ロシア語訳旧新約聖書が、それだ。ロシア帰りの女の子からお土産の1つにもらった聖書なので、捨てるに捨てられず、かというてロシア語なんてチンプンカンプンだし、さてこれをどう活用したらよいものか、気附けば1ヶ月も悩んでいます。というか、迷っている。
 先日のエッセイで、ルナン著『キリスト教の起源史』翻訳の続刊を希望したが、そのなかでフランス語を勉強して未訳の巻を読もうか企んだ旨記しました。その伝でいえば、ロシア語訳聖書をテキストに、日本語訳の聖書と日露辞典を傍らに置いてロシア語を勉強しようか……と一念発起するべきなのだろうが、如何せんほかにやることが多すぎて、とてもではないが、そちらへまで手を回せないのが実際のところ。逃亡の弁、というてしまえばそれまでか。
 が、ロシア語訳聖書の一件はともかくとして、外国語の勉強に聖書を用いることは、冴えたやり方ではあるまいか。日本も然りだけれど聖書の各国語訳は、時代から取り残された/時代遅れの言葉でされているものではありません。それぞれの時代にふさわしい言葉で、天地創造から新しいエルサレムが降りてくるまでの物語が、常に供されている。向こう四半世紀はじゅうぶんに通用する言葉が、ページを開けば印刷されているのです。
 複数ある日本語訳からどれかを選び出したら、次は学びたい言語の聖書を用意しよう。注意せねばならないのは、殊英語訳聖書の場合、ヴァージョンが幾つも存在しており、困ったことにそれらが仲良く日本の書店の棚に並んでいるので、どれを選べばよいか迷ってしまうことだ。
 英語訳聖書の特徴については、わたくしが過去に参照したサイトからまとめてみます。サイト名は「ディレクターズ・コーナー 主に仕えるあなたのために」、ページは「どの翻訳の聖書がいいのか」(https://directors.tfionline.com/ja/post/which-bible-translation_ja/)。著者はピーター・アムステルダムであります。曰く、──
 英語訳聖書は3つに大別でき、それぞれ①逐語訳、②意訳、③パラフレーズ訳、となる。
 ①逐語訳は。「原語からの一言一句を(ほぼそのまま)翻訳することを重視します。全般的に言って、可能な場合は語順も同じく保とうとします。つまり、この手法では、原語の文言と対応する、または一致するテキストに翻訳しようと試み」た英訳で、欽定訳(KJV)と新欽定訳(NKJV)、新アメリカ標準訳(NASB)や英語標準訳(ESV)を挙げる。
 ②意訳は、「各単語をそのまま英語に移し替える代わりに、全体的な意味や文章を英語で表現する最善の方法を探ります。(中略)そうするために、英語を話す現代人にとって最も意味が通るようにと、原語の語順を入れ替えてあります。文言そのものにではなく、意味に焦点が置かれている」もので、改訂標準訳(RSV)や新改訂標準訳(NRSV)、新アメリカ聖書(NAB)、新国際版(NIV)などを挙げます。
 ③パラフレーズ訳は、「厳密には翻訳と見なされず、文章を自分の言葉で言い換えることです。(中略)それは神の言葉が告げていることについての、著者の解釈です。パラフレーズ訳聖書の背後にある基本概念は、聖書の文章を、誰にでもわかるような日常語で言い換えることです」とし、リビング・バイブル(TLB)とメッセージ(バイブル)(TM)を挙げております。
──以上であります。
 わたくしはこのページに書かれたことを参考に、キリスト教専門書店にて実際にぱらぱら目繰ってみて、欽定訳(KJV)と英語標準訳(ESV)、新改訂標準訳(NRSV)を買いました。折々開いて目を通しておりますが、ぱっと見た感じでは然程の違いはないように映りますが、細かく点検してゆくと、たとえば同じ逐語訳でも微妙な表現の違いや文章そのものの構文も違っていて、翻訳の面白さと難しさは万国共通なのかな、と考えこんだことであります。
 ちょっと話が脱線しましたが、外国語の勉強(リーディングとライティング)には聖書をテキストにするのが最良、とはあくまで〈いまの〉わたくしの考えであることをお断りしておきます。勿論、辞書と文法書も必要なのは、いうまでもありません。ネイティヴもしくは殆どネイティヴな日本人の知己? そりゃあ、持つに越したことはない。
 懐にもう少し余裕が生まれたら、ルター訳ドイツ語聖書やフランス語訳、加えてアイスランド語訳とスウェーデン語訳の聖書も蔵書へ迎え入れて、錆びついた外国語学習のネジを巻きたいものです。アイスランド語以外は全部、中途半端で放り出してしまったからなぁ……。
 とはいえ、わたくしはかつて英語の勉強に、と、主としてスティーヴン・キングの小説を原書で読んでおりました。高校卒業の前後にペーパーバッグの『IT』を、途中からただ忍耐と意地を原動力に読了した爽快感と達成感は、あれから何十年と経ったいまも忘れられません。
 斯様に本来なら「英語のみならず外国語の勉強には、小説やエッセイが宜しいですよ」というべきなのだろうけれど、正直いって、胸を張って推奨できる勉強法には思えない。どうしても作者のクセというのが出るからね、それに染まってしまうと実際の場面或いはほかの読書でまるで役に立たない、という経験がわたくしにはある。探せばテキストにふさわしい作者/作品はあろうけれど、わたくしはそれを見附ける前に聖書を採用する方法を教えられ、試してみたら成る程、こちらの方がすんなりと理解できるし、文章を綴るにも読むにも、或いは文法を考えるにも、これ以上のテキストは見当たらないな、と納得した。そんな経験ありきで、このようなエッセイを書いています。
 英語をはじめとする外国語が学生時代のようにいま一度読みこなせるようになったら、本ブログのためのネタも仕入れられます。そうしたら第3000日目は勿論、第5000日目まで書き続けることができるかもしれない。野望? 希望? いえ、ただの願望です。◆

共通テーマ:日記・雑感