第2729日目 〈書架の整理、第一幕の終わり。〉 [日々の思い・独り言]

 2時間遅れての更新となりましたこと、まずはお詫び申しあげます。
 昨日お話ししたようにとつぜんスイッチが入り、数年来の懸案事項であった書棚の整理を今日も今日とて続けておりましたこともあり、原稿を書く時間をようやくいつもの更新時間が疾うに過ぎたいま(午前3時06分)設けて、からだのあちこちが疲れているのを感じつつ、キーボードを叩いております。
 じつはこれを書いている時点で机の上は、某CDショップへ売却するCDとDVDに占拠されています。4つの山頂を持つ山脈が、麓からでも確認できる。その向こうにあるiMacは使えぬ状況。でも、わたくしはこうして原稿を書いている。なぜか? ここでタイトル・コール;持ってて良かった、ノート・パソ。どこかの学習塾のキャッチ・コピーみたいだが、それはさておき。
 Mac Book Airを引っ張り出してきて、いまわたくしは本稿を書き進めている。すっかり放電されてしまっているので、充電しながらの作業であるのはご愛敬。
 特に肩甲骨あたりと股関節周囲に、軽い疲労が蓄積されているのがわかる。でも、満足だ。2列ある書架の片方、机に近い方の列が昨日から作業を続けてようやく、他人様に見せられるぐらい綺麗に整理されたから。奥行きの問題は解決できないから1段3列になってしまうのは仕方ないが、今回はちゃんと写真に撮りながら本をしまっていきました。どこに、なにがあるのか、完璧に把握できるようになったのであります。
 ああ、この状況を作り出すまでに、前段階の掃除や処分する本やCDの選別も含めて、いったい何時間を費やしたことだろう! えーと、計算してみよう。1日目は23時に始めて4時に切りあげた。2日目は重い心を叱咤して13時から始めて、つい先程、3時少し前に終わった。なんだかね、ランナーズ・ハイにも似た気分になってくるんだよね。体のあちこちが悲鳴をあげて来るのを無視できなくなり、ちょっとこのままだとマズいぞ、というときには途中何度か休憩したけれど。
 ひとまずは自分が使いやすく、まんいち他人様に見られても恥ずかしくないような、結果にはなったと思うている。あちこちに分散していた本を一定のテーマ、著者等で、或る程度まで一箇所にまとめておきたい、とつらつら望んでいたのが、ようやく実現した……これを満足といわずになんという?
 特に満足できているのは、渡部昇一の新書と古典文学と古典籍の本、コミックをそれぞれ同じ段に収められたことだ。紆余曲折の末に眼前へ現出したその光景は、もう殆ど桃源郷であります。じつをいうと、作業そのものは2時10分ぐらいに終わっていたのですが、ちゃんと収まった場面がもううれしすぎて、あれやこれやと引っ張り出しては摘まみ読みをしていたのです。その過程でどうしても、本ブログ用のエッセイのネタを拾ったりしてしまうのは、仕方のないことでありましょう。反町茂雄の著書を1列に並べたのなんて、自宅を建て替えてからは初めてのことだ。
 天理教の管長・中山正善との交流に仄温かい気持ちになりながら『定本 天理図書館の善本稀書』(八木書店 昭和56/1981年7月)や、古書店時代のエピソードの確認に端を発して『一古書肆の思い出』(平凡社)を、1時間程度ペラペラ目繰っていたのです。もっとも後者は全5巻の大冊でありますから、読んだのは生い立ち・一誠堂での修業時代から弘文荘の創業、終戦までの古典籍業界の栄枯盛衰を綴った第1巻(1986/昭和61年1月)と第2巻(1986/昭和61年12月)だけですけれど。
 話を書架の整理に戻して……キーボードを叩く手を休めて、椅子の背を反らして、手を頭の後ろで組んで眺める書架は最高だ。きちんと整理されているのは良いことだ。書架の前にはなにもない。踏み台代わりな木製の椅子だけだ。勿論、2列目も残っているし、整理の終わった1列目もまだまだ課題は残っている。数週間も経てば、多少の入れ替えはされていることだろう。とはいえ、いったん実現したこの快適な景色を今後もなるたけ維持できるよう、わたくしは努めなくてはならない。
 これを出発点として明日からは2列目の書架、その次は向かい合う書棚の整理(というよりも、その前に積みあげられた、本がつまったダンボール箱の山……)。先は長い。◆

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