第2731日目 〈書架の整理、第二幕;今日は大判の本を整理した。〉 [日々の思い・独り言]

 ただいま2019年10月01日、午前02時27分。いわゆる丑三つ時であります。耳をすませば、遠くから、カーン、カーン、と五寸釘を叩きつける槌の音が聞こえて……くるわけは当然、ない。が、或る意味で日本全国、津々浦々にていまごろ数多の国民が、誰かさんや何とかという制度憎し、の思いで心中丑の刻参りをしたい気分でいることだろう。さよう、約2時間半前からついに消費税が10%になりました。どんな様子か、コンビニへでも出掛けてゆきたいところですが、やめておきます。そんなことよりも優先すべき殊が幾つもあるのでね。
 ──本日も予想通り定刻よりも遅れて更新となりました。相済みません。
 帰宅して夕食を摂り、ぼんやりテレヴィを観たあと、おもむろに書架の整理;2列目の陣を再開しました。VHSのヴィデオ・テープ(のケース)に付いた埃を拭って散乱しているCDと一緒にしまい、大判の雑誌や書籍の点検だけで済ませるはずだったがいつの間にやら、残す本と処分する本、破棄する本に分け始めていた。
 掃除も同時進行で行っているうちに日付は変わり、午前1時には終わらせるつもりが想定外のトラブルが発生したせいで午前2時を回ってようやく、ようやく「本日分、終了」とすることができたのでありました。
 それにしても、懐かしい本に出会いました。懐かしいファイルにも出会いました。子供の頃に買ってもらった、四季別のお話が見開き2ページにぎっしりつまった全4巻の童話集や、中学進学のお祝いに母方の祖父が買ってくれた樺太犬の兄弟、タロとジロの本。これらは火事を乗り越えて、わたくしの手許に残ってくれた、大切な本。また、イギリスとスウェーデンを紹介・特集した雑誌やムック。書斎にスポットをあててディープな記事を満載した雑誌・ムック。旅を特集した、一時期頻繁に購読していた雑誌。よくもまぁこれだけ詰めこんであったものだ、とわれながら感心するぐらいの量です。
 棚に収まっていない、その前がダンボール箱でふさがれた以後に購入したものと合わせるとゲンナリしてしまう量でありますが、雑誌はね、ぼく昔からけっこう捨てられるんです。見ている人が思わず、「おいおい」と一時停止をかけたくなるぐらいに、そりゃぁもう潔く、豪快に。とはいえ、雑誌は特集めあてで買うことが基本なので、残しておきたい、或いは再たじっくり読みたい、と思うものは、表紙を含めて、ビリッ、と破ります。力をこめて表紙の片隅を摑み、えいやっ、と躊躇することなく一気に破るのです。これがまた気持ちいいんだ。
 そうして破った特集は、表紙も一緒にクリアファイルへ放りこむ。クリアファイルは特にジャンル分けしていないから、客観的に見ると、まさしくカオスであります。──カオス、混沌。そうとしか言い様がない。でも、時としてそれが功を奏すこともあるのは事実。ファイルに突っこんだ切り抜きやコピーが、うまい具合に化学反応を起こして灰色の脳細胞もフル回転してくれれば、自分でも意外と思うぐらいクオリティの高い作物ができあがるのだ。まぁ滅多にないけれど。
 現時点でできる作業は終わりに近附いてきている。例の桐の抽斗が動いてくれないと、2列目の書架の整理はこれ以上、進められないのだ。それまでは周囲に積まれた本の山を片附けてゆく他なく、しかもその多くの安住先が桐の抽斗を撤去したあとに設けられる棚なのだ、となれば、隔靴掻痒の感は否めぬところ。
 これまで買い溜めたミステリも、未読本は思いきって古本屋で処分してしまおうかなぁ。新本格以後にデビューした作家で、架蔵分すべてを残しておきたい作家は綾辻行人と米澤穂信ぐらいだものな。本格に分類される作家で、綾辻以前の人だと……ちょっと思い付きませんね。
 話が横道に逸れたが、大判の雑誌が殆ど片附いたことで、折り返し点は過ぎたように感じている。やはり書架に収まった本の背が見えるというのは、良いことだ。至福の光景である。この至福がもっともっと広がってゆくように(=もっともっと蔵書の整理を加速させて数を減らし、すっきりした部屋となるように)、あともう少しだけ、頑張ろう。いまやわたくしの視界には、希望の沃野が映りつつある。◆

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