第2739日目 〈部屋のお掃除;瓢箪から駒編〉 [日々の思い・独り言]

 いつまで続くんやろ、このシリーズ。そろそろ新章突入と行きたいが、そうは問屋が卸さない。
 さて、表題の件、以下のように申しあげます。
 ずっと掃除を続け、片附けと処分本の選別を並行して続けてきた。その最中、出るわ出るわ、学生時代から買いこんだ岩波文庫が。ページを開けば。薄茶の染みが浮かんでいる。活字は細く、所々が霞んだり消えてしまっている。また、地の背表紙側とページの上端が黒ずんでいたり、カバーの背も高温と煤煙で変色した本があれば、あの日の事故の記憶を否応なく思い出させる。
 書架のあちこちに散らばった岩波文庫を目にするにつけ、ふと、これを一堂に会させたらいったい何冊ぐらいあるんだろう、と考えた。なにしろダンボール箱を開くとそこにはたいてい数冊の岩波文庫が紛れこんでおり、「またあったよ……」と苦虫噛みつぶしたような顔になるのを否めぬのだ。もっとも、岩波文庫ばかり集めたダンボール箱が2つあるのだから、斯様な事態に陥るのも致し方ないところではある。
 壁時計を見あげると、針は間もなく午前2時を指そうとしていた、或る日の夜更け。そろそろ作業を切りあげて今日は終わりにするか。Let’s call it a days.
 そんなとき、なにかがわたくしの耳許で囁いた。砂漠で40日間の修行に耽るイエスを誘惑する悪魔のように? ご想像にお任せする。さて、そいつはこう囁いたんだ。曰く、「”岩波文庫の100冊”って、お前が架蔵するものに数冊足したり入れ替えれば、それで事足りるんじゃないか?」と。続けて、「だってそのリストは結局、お前が誰彼にお奨めするとしたらこれをどうぞお読みください、と選んだものに過ぎんだろ。だったら個人の趣向が多分に入りこむのは仕方ない。上から目線でセレクトする必要も、戦前の教養主義を気取る必要もないだろう。自由気ままに、好き勝手やっちまいなよ」とも。
 その晩、布団に入って輾転惻惻。ずっと考えた。数々の誘惑を退けて、熟考した。空は白み、雀たちが庭に降り立って「朝ご飯の時間だ、餌よこせ」と合唱し始める。が、それらに思考を妨げられたりはしなかった。その時間には既に結論が出ていたからだ。公にするのが今日まで遅れたことに、特別の意味はない。ネタが切れたら苦し紛れにこの話題を持ち出すつもりでいたのである、とは、けっして声を大にしていえるものではない。……ん?
 あまりの刊行点数の多さに目眩を起こし、計画を放棄することすら検討していたところに、一つの僥倖が訪れた。素直なわたくしはそれに従う。真剣に考えすぎたため、目の前の持ち物に気が付けなかったわたくしを、どうぞ読者諸兄よ、笑ひたまへ。開梱されたダンボール箱のなか、書棚の奥、机の上。あちこちに答えはあって、わたくしが気附くのを待っていたのだ。
 斯様な次第で、セレクトする書目は一挙に解決した。もしかするとわたくしの蔵書目録を兼ねるだけの結果になるかもしれないし、或いは途中で大幅に方向転換して現段階で考えているものとはまったく別物のリストができあがる可能性だってなきにしもあらずだけれど、そこはそれ、どうかご寛恕願いたい。
 まさかこんな簡単な解決法があったとは……と肩を落としているわたくしは、かつてヴィルヘルム・フルトヴェングラーが残した言葉、即ち「偉大なものはすべて単純である」を換骨奪胎してこういおう、「複雑な問題の答えは常に単純である」と。うまく纏まらなかった。お粗末。◆

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