第2779日目 〈初めてのハヤカワ文庫:デイヴィッド・ビショフ『ウォー・ゲーム』。〉 [日々の思い・独り言]

 BSで放送されて録画してあった映画『シャイニング』を久しぶりに観た。勿論、続編『ドクター・スリープ』公開にあわせての放送だが、観ながら思い出しました、はじめて買ったスティーヴン・キングの単行本は、この『シャイニング』であったことを。
 パシフィカから出版された上下巻で、カバー・アートは映画の場面をあしらったヴァージョン。これ以前にほんの短い期間流通した、たしかイラストのジャケット・カバーがあったけれど、本気で捜すことなくいまに至っている。1980年代後半の文春文庫版は、訳者の深町眞理子がパシフィカ版の訳文に手を加えて復刊されたもの。
 「はじめて買った」というつながりでもう1つ、思い出したことが。いま自分の手許には、はじめて買ったハヤカワ文庫があるではないか、と。これも例によってダンボール箱のなかから発掘した1冊だが懐かしくなって、映画を観るまでの間、青色申告会から帰って昨年分の修正申告の作成と総括集計表を記入したあと、ソファを占領してあちこち拾い読みしていたのだ。
 これはもしかすると、はじめて買った翻訳小説でもあったか。──購入直前に映画館に連れていってもらって観た映画のノヴェライズであることも手伝って、読んでみようという気になったのだろうね。その小説の──
 ──タイトルを『ウォー・ゲーム』という。著者はデイヴィッド・ビショフ、訳者は田村義進。この著者を知っているか? わたくしは知らない。調べてみると、アメリカのSF作家でテレヴィ作品にも多くかかわった人である由。幾つかの翻訳もあるらしい。著作リストのなかにはラヴクラフトやディック、トールキンの名を冠した著書もあった。現物を手にしたことはなく、正直なところ検索してみる気にもなれなかった。理由はどうあれ。
 ところでこの映画を御存知の方が、どれだけおられるだろう。マシュー・プロデリック主演の、知らず北米防空司令部の軍事コンピューターにハッキングしてしまい、世界全面核戦争のカウント・ダウンが始まる……という、内容としては今日でもじゅうぶん通用するであろう映画だ。当時はこのような、来たる時代の風潮を巧みに予想して、うまくフィクションへ仕立てた映画や小説が多かったように記憶する。この『ウォー・ゲーム』もそのうちの1作というてよい。
 何年振りか(もしかすると、10数年振りかも)で開いた文庫のページは往時の白さを失い、まぁ全体的に良い感じの色合いに風化し、それでも本体のコンディションは並よりもやや上、というところかしらね。
 ただなぁ……これあってこそ、初期の蔵書の証しといえるのかもしれないが、カバーは裏表紙にダメージが非道く、破れたあとを補修しているのだが、じつは補修に使ったのがセロテープなんだよね。それがどうしたのか、と訊ねる方もあろうから説明しておくと、セロテープは変色し、粘着剤が熔けてべとついている箇所もある。奥付のページにその跡が移り、まるで害はないのだけれど、ちょっと知らない人なら触るを躊躇するだろうな、という程度には障りがあるかな、と思う。
 でも、わたくしはこれを随分と熱心に読んだことを、はっきり覚えている。中学生のときに買った1冊だが、まだ自分には未知の代物であったコンピューターの万能振りをよく伝える読み物で(だって学校の成績を改竄したり、国内の企業に片っ端からアクセスして企業情報を盗み出したりしているのだよ、マシュー扮する引きこもり系オタク高校生はっ!?)、主人公がゲームを開発したり、正体不明のプログラムについて大学生と相談したり、かれの部屋の様子に痺れるものを感じたりしたんだよな。そう、国木田花丸ではないが、「未来ずらぁ」だよ、まさしく。
 なによりもこの小説がわたくしに及ぼしたいちばんの影響がなにか、と問われれば、答えざるを得ない──現存するいちばん古い自作小説は、あきらかに『ウォー・ゲーム』の影響を受けている。思い出すままに粗筋を書くと、──
 コンピューター好きの中学生男子が或るとき防衛省(当時は防衛庁)のコンピューターにハッキングして機密情報へアクセスしてしまう。それを突き止められてかれは当局に拉致されて、まぁいろいろあってアメリカに渡り、防衛省の機密プログラムの開発者と共に新たな作業に携わる。その数年後、それを終えたかれの許に、かつての恋人が訪れてハッピーエンドという、拙いにも程がある短編だ。
 そも当局ってなんだ、どうしていきなり舞台がアメリカに飛ぶのか、など様々な疑問が、こうして粗筋を書いていても頭のなかで乱舞しているけれど、これは間違いなく、わたくしがはじめて書いた、と宣言できる小説である。映画のパンフレットへ載る粗筋に毛が生えたぐらいの代物でしかないけれど、これは間違いなくわたくしがはじめて、書くことを愉しみ、物語を生み出す喜びを感じた小説である。
 お小遣いで買ったはじめての翻訳小説、初ハヤカワ文庫、殆ど処女作に近い小説のモデル(たぶんこの言葉は正確ではない)という、幾つかの点で、『ウォー・ゲーム』はわたくしにとって思い出深く、今後どれだけボロボロになったとしても握玩の1冊であり続ける。
 とはいえ、裏表紙のダメージについては対処の必要があろう。パラフィン紙1枚、死蔵の文庫から剥ぎ取って『ウォー・ゲーム』に纏わせようかな。どう思う?◆

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第2778日目 〈その言葉を探しにゆけっ!!〉 [日々の思い・独り言]

 ふと記憶の底から甦ってきた言葉を追って、時間を過ごすことが間々ある。今日もそうだった。なにかの拍子に、「そういえば紀田順一郎がなにかの本で、仕事帰りに疲れて帰宅して、思うように本が読めないとき窓の外へ向かって大声で、『トリストラム・シャンディー!』とか読んでいる本のタイトルを叫ぶとふしぎと集中できた、って書いていたなぁ……」と思い出したのだ。
 さあ、それはいまからほんの1時間半程前のことである。
 架蔵する紀田の著書は多い。渡部昇一と荒俣宏同様、学生時代からわずかの中断あるとはいえ、ずっと読み続けてきたのだからそれも当然だが、記憶の底から甦ったそのエピソードは20代前半に読んでいるのはたしかゆえ、今世紀になって出版された、或いは購入した本はすべて省いてよいことになる。加えて、内容が内容なので読書論以外の著書に可能性を見出す必要はない。となれば、自ずと候補に挙がる著書は限られてきて──。
 手始めに、いちばん近くにあった『黄金時代の読書法』(蝸牛社 1980/6)を取って、ぱらぱらページを繰っていった。しかし、ここにはなかった。たしか自伝的パートの一節であった、と思うから、そうした部分を含まない本書にあまり関わり合うこともあるまい。
 次に、『書斎生活術』(双葉社 1984/5)を開いてみた。日比谷図書館で借りて一読以来、どうしても手許に置きたくなって方々の古書店を探し歩いて、ようやく御茶ノ水駅近くの、いまは代替わりした古本屋の軒先で購入した、一際愛着ある本だ。おまけに本書には書斎遍歴を中心とした、自伝の側面を持つ文章が載る。これは期待できる。おそらくこれにて一件落着となろう……と思うたが、甘かった! 見附からなかったのだ。
 そんな馬鹿な、と己を責めても、ないものはない。ない袖は振れない、という道理。その代わり、しばし読み耽ってしまい、上述の捜索時間1時間半の内、約40分はじっくり本書を読み耽っていたね。はたと気が付いて作業に戻ったときには、もう探すの止めようかな、なんて考えが脳裏を過ぎったことは内緒だ。
 その次に手にした『現代人の読書』(三一書房 1964/6)は、当初から期待の薄い本であった。記憶に残るその一節、それが載るページの版面と、本書の版面には著しい相違があるからだ。活字は斯くまで細かくはなく、ページの余白もこれ程狭くはなかった──序でにいえば、本書はがちがちの読書論であり、若き日の著者の情熱が漲った1冊であるけれど、逆にいえば件のエピソードの入りこむ余地はない1冊でもあるからだ。為、目次へ目を通し、ざっとページをめくっただけで早々に却下。
 実は4冊目に手にした『知性派の読書学』(柏書房 1977/7)も、事情はさして変わらない。個人的には渡部昇一との対談が載る貴重な1冊であり、その時点に於ける著者の読書論の到達点であり、また前述の『黄金時代の読書法』や『書斎生活術』、或いは『古書街を歩く』などの著作の萌芽となる部分を含んだ見逃すベからざる本なのだが、今回は無用の1冊と相成った。
 さて。前段にて幾冊かの書名を挙げたのには理由がある。ちゃちな伏線である。では、解決編へ、読者諸兄よ、一緒に進もう。進んでくれ。
 こんなはずはない。紀田の著書は1冊たりとも処分していないし、件のエピソードは文庫ではなく単行本で読んでいる。ならば、この1時間超の間に手にした本のどこかで、それは発見されるのを待っているはずなのだ。
 ああ、もうチクショウめ。口のなかでそう呟きつつ、もう一度、『黄金時代の読書法』を手にしてみる。いま一度、きちんと検めてゆこう、と考えたのだ。見落としている可能性はじゅうぶんあるのだ。そうして、探し物は一度で見附からない、と(わたくしのなかでは)相場が決まっている……。2周目で見附けられなかったら、仕方がない、範囲を広げて20代後半以後に買った単行本や文庫まで点検してみよう。この時点で実は、定時のブログ更新は諦めていたんだよね。
 そんなこんなで『黄金時代の読書法』を開く。すると、目の前に驚嘆すべき光景が広がった。そこにあったのは、かつて著者が夜遅く仕事から帰宅してからの読書は辛かった、気分転換を図ったりもしたが、ふと思いついて本のタイトルを窓の外へ向けて叫んだら意外と効果があることに気が付いた、という回想。──おお、なんてこったい!
 つまりは開いたページに、探していたエピソードが書かれてあったのだ。まるでそのページに組まれた活字が、「だれかをおさがしかな?」とにんまり笑っているかに見えたねぇ。え、それってチェシャ猫のように? そう、まさにそんな感じだ。
 いろいろ迷走もあったけれど、求める文章に出会い、新たに確認できたので、良しとしよう。こう書いておけば、心配ない、綺麗に締められるはずだ。
 こうして捜索は終わった。事の序でに前のページを繰ってみたら、満員電車内での文庫の持ち方について触れた文章があったので、それについて倩思うことを綴って本稿擱筆とする。
 紀田はこう説明する;開いた文庫の前を小指と人差し指で押さえ、後ろを中指と薬指で支える。ページをめくるときは、遊んでいる親指で行う。これなむ<片手運転>と称す云々。
 試しに手近の文庫を持ってきて、試してみた。無理だった。持つことはできても、めくれない。至難の技である。めくろうとしても人差し指が邪魔してできず、かというて人差し指を動かそうとしても頑として動いてくれようとせず──。紀田順一郎の運指はどうなっているんだ。アアボクハブキッチョナノデショウカ、オシエテクダサイ、ミナノシュウ(ことりちゃん風に。内田彩の声で、勿論当然)
 わたくしの場合は文庫の前を小指と親指で押さえ、なかの3本で支える。めくるときは親指で行う。高校時代からこの方半世紀以上続けてきた方法である。けっきょく自己流がいちばんなのだ。◆

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第2777日目 〈デパートでの古書即売展が愉しみだった。〉 [日々の思い・独り言]

 デパートでの古書即売展に胸躍らせて、足取り軽く、期待を膨らませて出掛けていたことを、若き古書マニアへ話しても通じないことに愕然とした。
 たしかに、デパートや百貨店の催事会場にて古書即売展が開かれなくなって、もう随分になるな。こちとらが学生時代と就職浪人時代、まぁ、つまり1980年代後半から1990年代中葉までの、バブル経済が頂点を極めてゆっくりと崩壊に向かおうとしていた頃のこと。それが実際に弾けて一気に日本経済がどん底に落ちこんだ頃のこと。年に何回か地元デパートや百貨店で開催される古書即売展を、首を長くして待ちわびていた。
 新聞に載る催事情報へ目を配り、その日に備えて日雇いバイトを重ね、そうして得た数枚の諭吉さんを数枚ありがたく拝した後、一部を銀行口座へ預け入れたらば手許に残った福沢先生はすべてが書籍購入のための軍資金となった。貯えた軍資金を懐に仕舞い、人いきれでムンムンする催事会場へ足を運び、古書が詰めこまれた平台へ目を走らせ、探し求める本が並んでいないかひたすら目を血走らせる……。
 会場に満ちあふれる出展者側と客の側がかもす熱気と興奮。目指す本があと数センチ、わずか一瞬の遅れによって目の前でかっさらわれたときに怒りと落胆。逆に思いがけずお宝本が安価で手に入ったときの幸福。買おうか買うまいか迷っているとき、耳許で囁く悪魔の声。折良く探していた本を台で見附けて胸に抱きしめたときの法悦。古書即売展ならではだ。もっとも、神保町の古本祭りを知ってからは、そこでも同様に味わうあれこれでもあったのだが。
 紀田順一郎『新版 古書店を歩く』(福武文庫 1992/3)冒頭で活写されている古書即売展の様子は、既にわたくしが参加するようになった時代には見掛けることのなくなっていたが、トラブル面では残滓ともいうべき出来事は出来していたなぁ。実際、わたくし自身、若造と舐められたせいか、胸ぐら摑まれたり威嚇されたりしましたけれどね。が、残念なことに、喧嘩上等な人間ゆえ怯むことなく堂々と啖呵切ってお相手申しあげたところ、一緒に会場からつまみ出されましたがね。
 『新版 古書店を歩く』や他の人が書いた古書即売展に関する文章など読んでいると、やはりこれらの開催に先んじて目録が発行、頒布されていたそうだが、不幸にしてわたくしはそれを入手、事前に目を通してどんな本が出品されているか、確認したことがなかった。横浜のデパートで催される古書即売展程度にまで目録が発行される、なんて考えも及ばなかったときですから、仕方ないといえば仕方ないか。もっとも、開催直前に始めた日雇いバイトの給料で、目録に載る欲しい本をどれだけ購入できたか、甚だ疑問ではありますが。
 1990年代中葉以後、新聞で古書即売展の広告を見ることもめっきりなくなり、21世紀になり改元もされた今日では尚更であるが、もしかすると最早デパートや百貨店を会場にした古書即売展は絶滅してしまったのであろうか。うむ、絶滅危惧種ではなく、絶滅種。であれば、冒頭の若き古書マニアの知らぬも首肯できるのだが、なんだか淋しい。当時の古書マニアといまの古書マニアって、明らかに購書の理由も探求と蒐集への執念も変質してしまったもの。
 擱筆に際してお断りしておくが、これはあくまで神奈川県横浜市に於ける状況である。そうして全国紙・地方紙・地元の新刊書店と古書店等で把握し得た限りデパートでの古書即売展が開催されていないと言うのである。他の都市部での状況は考慮していないので、ご承知の程を。◆

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第2776日目 〈今宵のビールは格別に美味い。〉 [日々の思い・独り言]

 これまで書いたことはありませんでしたが、ただいま1件、係争中の案件を抱えております。
 昨日11月26日、首都圏からは外れた関東地方の町で、関係者と卓を共にして約2時間程話し合いを行ってきました。むろん、内容については詳細はおろか匂わすこともしませんが、実りある話し合いだったと信じたい。
 結論を出すべきタイミングではないゆえ、まだまだ係争は続くことになる。が、向かうべき方向性の確認が取れただけでも、大きな進展であった──。
 大きく動くのは年が明けたあと。金銭絡みの話がそのあとに出るので、また一悶着起こるのが必至とはいえ今回顔を合わせて、皆がいうべきを発言。いちおうの落着を見た。
 昨日の話し合いに向けた準備を進めるなかで多くの弁護士や司法書士、行政担当者、知己の人々、大学の同窓会組織にご相談させていただいた。この方々の助言等がなければ、おそらく観的に、感情を抑えて、神経すり減らつつも、うるさい係争相手と冷静に渡り合うことはできませんでした。改めてこちらでも謝意を表させていただきます。
 守るべき者があると、否応なく戦いの火中に身を投じなくてはならぬ場合もある。それについては一時、というよりも最終的には独りであたることでもあったせいでか、いろいろ抱えてこんで相当ヤバい対処まで想定したのだけれど、お陰様でどうにかこうにか、事態の一時収束を果たすことができた。
 それゆえにこそ、……帰宅したあとに開けたビールが殊更美味く感じたのでありました。ああ、ビールってこんなに美味いものだったのか。◆

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第2775日目 〈太宰治『二十世紀旗手』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 Twitterで既にご存知の方には、同じ話題となることをお断りしておきます。
 今日(昨日ですか)の昼、太宰治『二十世紀旗手』を読了しました。『晩年』上梓後に書かれた、小説とも散文詩とも断章とも、或いは熱に浮かされた状態で書き殴った呪詛とも、様々に受け取ることが可能な、なんとも不可思議な1冊でありました。
 かりに『晩年』を初期太宰文学に於ける<陽>とするならば、『二十世紀旗手』に収められた7編はその<陰>を為す。太宰の生涯や思想の解読、理解には必読必至の作品集;そのための<鍵>が埋まった1冊と申せましょう。
 大仰かもしれませんが、志ある者は座右また枕頭へ侍らせて複読、そうして徹底的に読み倒すべき。既にそのような動きは起こっているのかしれませんが、『地図』と『晩年』とこの『二十世紀旗手』は、これからの太宰受容に於いて3冊セットでこそ読まれてゆくのが相応しいように、わたくしは考えるのであります。
 太宰自身や解説にて奥野健男がいうように、冒頭に置かれた「狂言の神」と「虚構の春」は、『晩年』所収の「道化の華」と併せて読むと、また一段と奥行きが出た読書体験になるでしょう。となれば復刻版(三部曲『虚構の彷徨』)を読まれるがベストとなるけれど、まぁ文庫を取っ替え引っ替え読むのも、なにかしらの相乗効果が生まれて楽しいかもしれないね。
 「雌に就いて」はあたかも『源氏物語』の「雨夜の品定め」を想起させるような装いだが、話が進んでゆくにつれて鎌倉の海で心中未遂を起こした際、本当に死んでしまった相手の女性の姿が終盤になって、ゆらぁ、と立ち現れてくるような、そんな背筋の凍るような怖さと、未遂に終わった女性への哀れさと苛みが同居した、太宰文学初期の歴然たる<怪談>というてよいでしょう。
 意味ありげに最後へ配された「HUMAN LOST」は、これまた頭をぐらんぐらんさせるようなふしぎで奇妙な1作。本作扉ページへ書きつけたメモを、ここに転記させていただきます。曰く、「千々に乱れて思ひ至らぬ及ばぬ箇所ありと雖も、要所に剥き出しの告白あり敏感に反応して心痛くまた塞がりぬ。本気で太宰を愛するならば本編は熟読、我が物とする必要あり。不可軽不可無視一作也」と。
 言葉を補うとすれば、この告白とは呪詛とも懺悔とも宣戦布告とも戯けとも、如何様にも受け止められるそれであります。これこそが太宰、と思わしめる満身創痍の絶唱が、この「HUMAN LOST」といえましょう。本作が後の傑作、『人間失格』の萌芽というのも納得なのです。
 <第二次太宰治読書マラソン>はこのあと、随筆集『もの思う葦』へ移り、そのまま中後期の作品に続きますが折節、どうにもこうにも理解の及ばなかったきらいのある「創生期」や講演録のスタイルで、かつては親しうしたが或るとき袂を分かった作家、中村地平を語った「喝采」など、吸引力のある作品の並んだ本書へ立ち戻ってみることになる、とはっきり予感しているのであります。『二十世紀旗手』はそんな意味でも、不可思議な小説集なのでした。◆

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第2774日目 〈渡部昇一の著書からもう1人;岩下壮一『カトリックの信仰』他を読んだっけ。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日のエッセイをお披露目した後、「そうだ、渡部昇一の著書でもう1人、親しむようになった著述家がいたな」と思い出した。カトリックの司祭で神山複生病院長を務めた岩下壮一である。
 いちばん最初に岩下の名前を知ったのは、渡部のなんという著書であったか、もう忘れてしまった。いまはもうなくない駅ビルの本屋で買った、『楽しい読書生活』(ビジネス社 2007/9)だったと記憶するのだが……。
 無人島に持ってゆくなら、という読書家なら一度は受ける(とされている)永遠の質問ヘの回答で挙がったのが、岩下壮一『カトリックの信仰』だった。
 ちょうど聖書を読み始めていた時分だったこともあり、読みたくて捜したけれど講談社学術文庫版は既に絶版。ネットの古書店でたまに見附けても高値が付けられ、神保町や高田馬場、神奈川県内の古書店を廻っても事情はさして変わらず。そも実物を見たのは、唯の1度だけだ。
 2015年7月にちくま学芸文庫から復刊された際、さっそく1本を購い求めたところ、部分部分で「なんとなくわかるな」と思うことあれど、歯の立たぬところの方が圧倒的に多かった(とはいえ、その4ヶ月前に岩波文庫から出た『信仰の遺産』(2015/3)よりは、わかりやすい本だった)。「キリスト教の真理とは」、「信仰の本質とは」、「神学とは」といった点を懇切丁寧に、平明な文章と砕けた語り口で、未熟者にもわかるよう説いてくれている点が背中を押して、つい幾度も手に取って読んだのである。
 正直に告白すれば、わたくしは生涯を費やして神父の著書を読んでも、一知半解の域を超えることはないのであるまいか、と嘆息している。『カトリックの信仰』はカテキズム、公教要理の概説書として未だこれを凌駕する物なし、という程の立場を与えられた本だが、どうにもこの、専ら問答形式で行われているキリスト教教理を解説したカテキズムそれ自体に然程馴染んでいないとなれば、それも宜なるかな。
 実は聖書を読んでいた頃、次に読む、或いはこれから読みたく思う書物として、いろいろ考えた。そのなかにあったのが、『小教理問答』(ルター著)と『ハイデルベルク信仰問答』。これはカテキズム、公教要理のテキストである。知らぬ間にカテキズムへ近附こうとしていたことにいまさらながら吃驚だけれど、結果としてこの望みは果たされていない。
 まだ視力がしっかりしているうちに、岩下神父の著書にしろ公教要理のテキストにしろ、読んでしまいたい、と願っている。
 蛇足ながら、『信仰の遺産』には表題作の他、随筆が数編併録されているがその内の、「十字架へ向かって」と「キリストに倣いて」、「G・K・C管見」は無類に面白い。はじめて神父の文章へ接するのに最適ではないか。いきなり本丸、二の丸へ挑んで挫折するぐらいなら、これらの随筆で馴染んでおくのが宜しいか、と……。
 最後に。岩下壮一の伝記として小坂井澄『人間の分際』(聖母文庫 1996/7)がある他、神山複生病院長時代の岩下を描いた重兼芳子『闇をてらす足おと』(春秋社 1986/11)も出版されている。他にも文献等あるやも知れぬが、それがし未見なり。◆

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第2773日目 〈渡部昇一の著書からは知的刺激をたくさんもらった。〉 [日々の思い・独り言]

 高校生の頃から渡部昇一の著書に親しむと雖も歴史や日本人論にはどうも付いてゆくことできぬ部分多々あり、その方面に関してはけっして模範的読者とは言い難い。壮年期に著した画期的史論『日本史から見た日本人』(祥伝社 古代編・鎌倉編・昭和編:1989/5)と、晩年の『渡部昇一の少年日本史 日本人にしか見えない虹を見る』(致知出版社 2017/4)は何度も読み返して都度新たな感銘を受け、よくぞ書いてくれたものだ、と感謝さえしているのだが、……。
 ところで渡部昇一の本を読んで紹介されている著述家や小説へ興味を持ち、実際に読んでみたところすっかり虜になってしまった最右翼は、佐々木邦と幸田露伴、そうして徳富蘇峰という面子になる。
 幸田露伴は岩波文庫の『努力論』に始まり、幻想文学方面からのアプローチが同時期にあったせいで「幻談」を読んで腰を抜かし、続いて谷沢永一との対談本で露伴全集架蔵の夢を抱いたものの叶わず図書館で借り出すことを長く行っている。
 佐々木邦はたまたま父の書棚にあった講談社少年文庫の『苦心の学友』を読んで「ン、これは面白いぞ。ぜったい自分好みの作家に違いない」と合点してあちこちの古本屋を探し歩いて、だんだんと点数を増やしていった。どれもこれも裏切られることなく、その健全な道徳観と明朗なユーモアは、時に<黄金のワンパターン>とさえ感じるけれどそれが逆に妙に心地よく、却って絶対的安心を佐々木邦に抱くことになったっけ。
 徳富蘇峰についてはいまに至るも専ら『近世日本国民史』の読者でしかなく、それも講談社学術文庫版でしか読んだことがない、と来れば語るに資格なしかもしれぬが、渡部が晩年に一条真也を相手に対談した『永遠の知的生活』のなかで、学術文庫版には朝鮮出兵の巻が未収録であることを教えられて(P36 実業之日本社 平成26/2014・12)、「仕方ない、多少の値が張ろうとも元版を買おう」と決意(?)せざるを得なくなり……全100巻あるそうですが……いやぁ、道はとっても遠いであります。
 高校時代から始まって、そうね、いちばん頻繁に読み耽って影響を受け続けたのは20代後半までかしら。正直なところ、実社会に出て自分のスタンスが社内で築けて、だんだんと日々の生活がルーチンになって来る頃までは、渡部昇一の本はどれもこれも読むのが苦痛だった。理由? 自分でお考えなさいな。優しくないか、なんというか、実社会を見聞するだけの人がなにをいうているのか、という一種の反感、かなぁ。うまくいえないけれど。
 まぁ、そんな徒し事はともかく。
 ちかごろも渡部昇一が取り挙げていた小説に(本格的な)興味を抱いて図書館で全集を借りたり、八重洲ブックセンターで買ったりした本が、幾冊か。ちなみに図書館で借りた小説はその後、ヤフオク! で文庫版を落札した。順番に申し述べれば、伊藤整『氾濫』(新潮社→新潮文庫)と『潤一郎ラビリンスⅢ 自画像』(中公文庫)である。
 前者は不断の知的活動の集積がどのような効果を生むことにあるか、その例として挙げられた(『知的生活の方法』P124-7 講談社現代新書 1976/4)。後者はプラトン思想を谷崎が真に理解して咀嚼していたかの例として(『発想法』P59-62 講談社現代新書)。
 わたくしは本稿でこれらの紹介を行うために筆を執っているのでは、実はない。或る本を読んで別の本に繫がる、広がってゆくきっかけの大切さを、お伝えしたいだけである。
 書評は本の紹介のためにあるのではない。読者にその本を読ませる、買わせることを目的とする。横暴な言い方だろうか。もし、書評の究極目標はそこにはない、という向きがあれば是非名乗り出ていただきたい。お話ししよう。
 その役目を果たすのは本来書評であろうが、ご承知のように本の紹介はなにも書評でのみされるものではない。教養書や実用書(と称して果たしてよいものか)で取り挙げられる本についてもいえる。勿論、唯の書名や作者の羅列が読み手を唆すことは、まずない。肝心なのは、どのような視点で取り挙げられたか、では?
 前述の『氾濫』であれば主人公の1人、町工場の技師である真田は戦前から接着剤に興味を持ち、自分でもデータの収集とカードへの記入に余念がない。戦中の苦しいときでも国内外の文献に載る研究結果が出ているとそれをカードに書き写していた。そうしてそれを基に、小さな実験を繰り返して、とにかく戦前戦中を過ごした。戦後になって友人から、海外の研究者が行っている推計学というのを教えられるや、「いままでのデータの推計学的な処理をやり、いろいろな接着剤の性質を数式で示すことに成功した」(P126)のだ。それが外国でも認められると、真田は工場の技師長を務めながら会社の要職にも就く。
 カード・システムの効用について触れた箇所だったことから渡部は、真田がコツコツと自分の興味ある分野のデータをカードに書いて、それが結果として大きな業績となった点を取り挙げたのだが、この箇所が、はじめて読んだときから30年に渡って頭の片隅に引っ掛かっていた。漠然と研究職に就けたらいいいなぁ、とぼんやりと考えている自分の読書であったから尚更であったかもしれない。
 いまになってようやっと『氾濫』を読んでみる気になったのは、単にその気になったから、というばかりでなく、ちかごろのわたくしが再び渡部昇一の本をまとめて読み耽る機会を作って実行し、加えてこれまでダンボール箱のなかに眠っていた古典文学や近代文学のテキストや研究書を大量に書架へ並べられるようになったからだろう。まぁ平たくいえば、自分の内に再び<研究>の火が揺らめきはじめたのだね。
 それが長年引っ掛かり続けていた記憶と融合したタイミングで図書館へ探している別の文献探して訪れた際、それが思い出されて検索してみたら、書庫に全集や文庫が架蔵されていることが判明、勇んで借り出して読み耽り、自分の手許にも置いておきたくなるぐらいのお気に入りとなった──。
 これの新潮文庫版は昭和36/1961年7月初版、昭和51/1976年8月26刷となっている。当然活字は小さいがかすれたり潰れたりしていない点が幸いで、つい先日も3度目の読み返しを行ったばかり。いまの時点では鍾愛の書、握玩の書とまではならないが、かつて研究者を目指して文献資料のデータや論文のヒントとなるようなメモ・アイデア、在野の国文学者/民俗学者の著述目録をカードに写したり書きこんで増えてゆくのを幸福と思うていた自分には、これ程共感と羨望を覚える小説もそうあるまい、と思うておるのだ。渡部昇一の本を読んでいなかったら、ぜったいに出会うこともなかった小説であったよ、この『氾濫』は。
 斯様に、先人の著書で名前を取り挙げられる著述家や著書に読者がなにかを感じて、手を伸ばすには、自分に興味あるテーマや視点、角度からアプローチされていることが必要なわけだし、或る意味で奇跡に近い遭遇となるが、それを果たした者のその後の読書に於ける幸福度はきっと計り知れないものがあるに相違ない。
 わたくしの場合、他の誰よりも渡部昇一の著書はそうした幸福を、幾人もの著述家に於いて実感させてくれた、そんじょそこらの書評や教養書の類よりも、ずっと益多くいまなおその恩恵を被っている恩書である。
 ……いま何冊か、書架から持ってきたのだが、特に『発想法』からは多大な導きを得ておりますな。鴎外と逍遙の論争から森鴎外の(「舞姫」や「山椒大夫」など以外の)著作を読み、吉川幸次郎や福原麟太郎、内藤湖南の著書を古本屋で漁るようになり、原勝郎『日本中世史』を捜し歩くようになった。正直なことを申しますと、ここまでさせる本の著者をわたくしはこの人以外に知ったことがありません。そんな人がもうこの世に亡いことを、つくづく残念に思います。そうしていまの人たちが書くものの過半に知的刺激を受けられぬのを、同じように。◆

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第2772日目 〈田山花袋は読まれているのか?〉 [日々の思い・独り言]

 三浦しをんは高校時代、国語の授業で田山花袋「蒲団」を読んだ折、教室中が一斉に騒々しくなった旨エッセイのなかで回顧している。ラストシーンに触れての言であるが、同じ市内の高校に、然程変わらぬ時期に高校時代を過ごしているにもかかわらず、わたくしは高校時代に教科書で花袋を読んだ記憶がまったくない。学校で使用する教科書は異なるから、当たり前といえば当たり前の話だが。
 はじめて花袋の小説に触れたのは進学した後、近代文学の講義に於いてである。「蒲団」の展開や結びに納得するところ多かったわたくしだが、教室の後ろの方に坐る女性たちはそうでもなかった様子。汚いものに触れるか目撃したかのような、そんな声にならぬ悲鳴がかすかに聞こえてきたのを、いまでもよく覚えている。
 が、わたくしは田山花袋に非道く惹かれるところがあったのだ。おそらく<地縁>がいちばん作用したと思しい。そうして……こうもあけすけに自らの恋情や欲望を綴り、或る意味で何物にも囚われぬ自由な行動を主人公/語り手が発揮する小説へお目に掛かったことなんて、これまでなかったものね。これを契機にわたくしはしばらく自然主義文学へどっぷりと嵌まりこむのだが、二十歳前後の頃程自然主義文学へ心惹かれて読み耽るにふさわしい年齢が、他にあると思うかい?
 「近代文学が好きです」というと当然、次は「誰が好き?」と質問が来る。「鏡花と荷風と谷崎と秋江と、漱石と露伴と春夫と太宰と……」なんてずらずら挙げてゆく最後に、「あと忘れちゃいけないのが、花袋っすね」というと、割合高い頻度でずっこけられるか、「どこがいいの!?」と追及される。もう馴れましたけれどね。
 あの、皆ね、「蒲団」のイメージに囚われすぎ。たしかに、「蒲団」はややアレなお話だ。その見方を否定する気はないが、物語の流れを追って、語り手の心情等汲みながら読んでくれば、最後の展開は至極真っ当な帰結といえる。煽情的な部分だけ切り出して伝播する愚かさを、世間の「蒲団」観にわたくしは見るのだ──。
 しかし、そうした人々は果たして花袋の代表作たる、向学心に満ちた青年が田舎に埋もれてゆく様を描ききった『田舎教師』を読んでいるか。叔父一家をモデルにした家庭小説『時は過ぎゆく』はどうか。健脚で知られた花袋の面目躍如といえる数々の紀行文や『温泉めぐり』、或いは大正年間の東京ガイド『東京近郊 一日の行楽』(※)をいちどでも読んだことはあるか。幼き頃を語り、その後の東京生活を綴った随筆『東京の三十年』はどうだ。関東大震災後の東京をルポした『東京震災記』は読んだか。児童文学の小さな傑作というも過言ではない『小さな鳩』を知っているか。脱走した一兵士が捕らえられて銃殺されるまでを描いた『一兵卒の銃殺』はどうだ。「蒲団」1作でゆめ断ずるべからず。
 ちなみに文庫化されているものだけをここでは挙げたつもりだが、「数々の紀行文」と『小さな鳩』は単行本や復刻版となることをお断りしておく。
 取り敢えず文庫で読める作品は──直近の収穫は、行きつけになった古本屋の棚で偶然発見して衝動買いした『近代の小説』と『野の花・春潮』(角川文庫)である。幾らでお買いあげ? そんなの告白できません──一通り読んでしまったかな、と思うている現在、すこしばかり収納スペースの生まれた書棚を見て企むのが、『田山花袋全集』のお迎えであるのはおおよそ見当の付いている読者諸兄も居られよう。それは正解なのだ、が……! 他の文学者のように新しい全集が出ているわけではなし。現在ある全集は戦前、昭和11/1936年から翌12/37年に内外書籍から刊行された全集全16巻を、文泉堂書店が昭和48/1973年から翌49/74年にかけて復刻・刊行した際「別巻」を新たに加えたものなのだ。読むには構わないのだが、書誌や校訂の点にどこまで信用を置いてよい代物なのか、不安で仕方ないのである。
 近代文学で最も愛するは鏡花に荷風、太宰と花袋、となるが、殊花袋については未だまともな文章を書き得ておらぬため(精々が過去に『温泉めぐり』の感想があったぐらいか)、太宰や鏡花と同じように書いてみるつもりだが、正直なところ田山花袋の作物を読まずして過ごすこと幾年になるか。その日に備えてあちこちに散らばった花袋の文庫と復刻版をまとめて積みあげ、数日読み耽ってみるところから始めるか。◆

※『東京近郊 一日の行楽』(大正12/1923年 博文館)と『東京の近郊』(大正5/1916年 実業之日本社)から東京にまつわる文章を抄出して、現代教養文庫から平成3/1991年に刊行された1冊である。□


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第2771日目 〈永井荷風/金阜山人「四畳半襖の下張」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 平井呈一を入り口に永井荷風の文学へ深入りしていった人は、どれだけいるのだろう。わたくしの世代であれば紀田順一郎か荒俣宏の著作物によって、平井翁と荷風散人の関わりをゆくりなくも知ることとなり、「来訪者」と『断腸亭日乗』を繙き、症状次第で2人の関係が破綻する引き金となった金阜山人名義の春本「四畳半襖の下張」を捜しまわる。これはわたくしの場合に他ならないのだが。
 とはいえ、一時期は制約が厳しかったと仄聞する「四畳半襖の下張」の閲覧も、いまでは容易だ。21世紀の現在では週刊誌に全文が掲載されたこともある。わたくしがそれを読みたくて立心偏をたぎらせていたのは1990年代の後半だったけれど、東京都中央図書館であっけなく掲載誌(裁判沙汰になった”あの”雑誌である)のコピーができたのに拍子抜けして、近くに住む友どちの家に転がりこんで鼻息荒くして廻し読みしたことも良い思い出だ。
 生田耕作先生曰く、荷風はあの春本を書くにあたって江戸時代の艶本を片っ端から読み漁って研究した上で「四畳半襖の下張」を書いた、だから分量も描写も「江戸時代の春本の模造品」というてよいが、一流の文章家である荷風の手に掛かると仕上がりの見事さは芸術品としか言い様がない、と(「いま再びワイセツを論ず」『卑怯者の天国 生田耕作発言集成』P164-5 人文書院 1993.9)。
 江戸時代の艶本類は岡田甫や林美一といった在野の研究者が牽引役となって発掘や翻刻研究が進み、いまでは堂々と新刊書店の棚に、雑誌の特集や新書として紹介する本が並ぶ始末。良き哉、良き哉。その岡田甫や林がかかわった江戸艶本の集成ともいうべきが『秘籍 江戸文学選』全10巻(日輪閣)である。すずらん通りに当時あった薄暗い古書店の、エロ雑誌やコミックが並ぶ平台の奥、帳場の横の棚に赤い函入りで全巻がばら売りされているのをいいことに、毎週1冊ずつ買ってその面白さに夢中になり、その後も林美一の艶本研究書や翻刻と研究で構成される『江戸枕絵師集成』(河出書房新社)と一緒に耽読すること多々。
 こうした作品群に触れた上で生田先生の言葉を踏まえて「四畳半襖の下張」を読むと、まさしくその通りなのである。ただ一つ異なる点あるとすれば、特に<江戸三代奇書>と称された『阿奈遠加之』、『藐姑射秘事』、『逸著聞集』に顕著な掛詞、枕詞、典拠、本歌取りといった古典文学ではおなじみの手法が「四畳半襖の下張」では影を潜めていることだろうか、その分、先生が話題に上した『春情妓談水揚帳』や『双蝶々千種花』といった、もう少し砕けた文章で書かれた艶本が荷風の目にかなったというのは面白い。つまり、はじめから荷風は男の下半身と女の性欲を刺激する気満々で、それらを範として当世風擬古文を駆使、超猥褻ながら一世一代の最高傑作を物したのである。これに較べれば、他の荷風作品の私家版にある色事の場面など温い方であるまいか。
 ──わたくしは平井呈一をきっかけに荷風散人の小説を知った。地元の図書館から借りた『現代日本文学体系』(筑摩書房)の荷風の巻に、偶然「来訪者」が収まるのを見附けて読み耽り、当時参加していた関西の同人誌にこれを題材にしたエッセイを書いた程だ。その後、生田先生の荷風好きに導かれて、岩波文庫に入る荷風作品を読破して(そのなかには復刊されたものもあり、また古書店で数千円を叩いて買うたものもある)、全集をも数年かけて読破した──最後の一押しは、荷風が教鞭を執った三田の、自分が学生であったこと──。
 ここで再び冒頭の問題;果たして平井呈一を入り口に荷風散人の作物へ耽溺した者どれだけありや?
 すくなくとも1人は確実にここにいる──のだが、ここ10年ばかりは手にすることもなく過ごしてきた。が、幸いにも今年2019年は荷風生誕140年、没後60年のメモリアル・イヤー。岩波文庫と中公文庫から荷風の小説・随筆が刊行されている。岩波文庫からは「来訪者」が、「花火」など戦前戦中に書かれた作品を集めた1冊のなかに収められて、出た。他にも数冊、新刊があったように記憶する。中公文庫からは戦前の作品集『麻布襍記』と戦後の作品集『葛飾土産』が文庫化、また私淑した森鴎外に言及した文章を柱に据えた『鴎外先生』が下の安岡章太郎の文庫と同じタイミングで出版された。
 関連書目として中公文庫から、安岡章太郎の『私の濹東綺譚』も増補新版が今月、というか今日(昨日ですか)発売された。こちらは新潮文庫版を底本に未収録だった評論を加え、かつ荷風の『濹東綺譚』を全文収録するという、快挙というか盲挙というか、取り敢えず喝采を送りたい体裁である。
 今年ももう1ヶ月半しか残っていないが(おお、なんと!?)、幾らメモリアル・イヤーとはいえ荷風の本がこう何冊も出るというのは、驚きであり、一方で納得である。とどのつまり、みんな、荷風が好きなんだ。あの生き方に羨望覚えぬ者があるか? 時勢に従わずして恒産あるがゆえに斯く生き、斯く書くことができたのは指摘するまでもないが。むろん、いま売らねばいつ売るのか、という商魂あってこその話でもある。
 とはいえ、まだまだ手ぬるい。世人は荷風の業績をもっと知るべきである。そんな次第で中公文庫編集部は春本「四畳半襖の下張」出版の英断を、是非。◆

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第2770日目 〈好きな作家の本だけは、新刊書店で買う。〉 [日々の思い・独り言]

 話を<小説家>に限定する。
 ささやかながら、読書好きが好きな作家に応援できることといえば、その著書を新刊で買う、という点のみに尽きるのではないか。
 好きな現役作家はこれからも作品を書き続けて欲しいから、どうしても不可能な場合は除いて新刊書店で、単行本でも新書でも文庫でも身銭を切って買うようにしている。1冊と雖も売れれば印税として計上され、作家の懐は──雀の涙程度であっても──潤うことになる。そうすれば、次の本を出せるようになるかもしれない。淡い期待かもしれないけれど、常々そんなことを考えて、本屋さんのレジへ本を積みあげるのだ。
 メジャーとかマイナーとか、日本人作家とか外国人作家とか、その区別に意味はない。真にその作家を応援したいなら、新刊発売日であろうとなかろうと、新刊書店の平台から、棚から、本を手に取り、ああまたこの人の新作が読めるんだなぁ、うれしいなぁ幸せだなぁ、と倩思いながら、レジへ直行するだけだ。取り寄せであっても、その変わるところはなにもない。但し、既に絶版品切れとなっているものは仕方ない。古本屋を廻って歩くことになるが、それもたいした労ではあるまい(ネット古書店やヤフオク! 使ってもいいわけだから)。
 以前──たしか相沢沙呼『小説の神様』であったか、いまちょっと本が手許にないので記憶に頼るが、曰く、海賊版サイトで漫画読み放題はユーザーには課金する必要なく楽しめて便利だが、それが積もって作家や出版社にお金が入らなくなり、自然、作品の売れ行き不振で打ち切り、最悪の場合は作家に作品発表の舞台がなくなってしまう、と。幾つかの場面に分かれてそんな主張がされるので、必ずしも正確なところではないが、内容として間違っているところはないはずだ。
 この部分を読んで、大いに共感したことである。自分が買うことで作家の命脈が保たれるならば、(ラモーンズばりに、否、それとも『ペット・セマタリー』ばりに?)ヘイヤッホーやったろうじゃないか、と心中叫んで新刊書店での購書に励むことになるのは、至極当然であろう。
 とはいえ、日本人作家でそんな風に本を買う作家というのは、実はすくなくなってしまった。物故した作家ばかりでなく或る時点で、荷風の台詞を借りれば「あの人は駄目になりました」と口のなかで呟いて買うを止めた作家もあるからだ。悲しく、そうして、淋しい。近年欠けた作家のなかでいちばん痛かったのは、葉室麟の逝去だった。ライトノベル出身の直木賞作家だったら、微塵も感情が動かなかっただろうけれど。
 では新刊が出れば必ず買う、もう入手不可能なもの以外は新刊書店で買うように努めている現役作家はどれだけいるだろうか、と検めてみると、朝井まかてと綾辻行人、南條竹則と西崎憲、南木佳士と村上春樹、スティーヴン・キングとカズオ・イシグロ、イアン・マキューアンぐらいか。ピックアップして意外と少ないことに驚いている。いちばん衝撃的なのは、このなかでコンスタントに新刊書籍(翻訳書)を発表している人が、朝井まかて独りだけという事実。参った。
 まぁ、立ち読みしてから買うかどうか決める作家なら、(見切りを付けた/三行半を叩き付けた作家程ではないけれど)たくさんいるんだけれどな……敢えて名前は伏せるが。
 生き続けるということは、すべての著書を読みたいぐらいに鍾愛する作家が減ってゆくのを意味するんだな、とつくづく感じている。◆

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第2769日目 〈ナイトキャップ代わりに、東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』。〉 [日々の思い・独り言]

 前途を暗くするような案件を2つ、個人的に抱えている。1つは争続、1つは転職。あら、韻を踏みましたね。それはさておき。
 やるべきことが多くて、あっという間に1日が過ぎ去り、自分のことが殆どできない、という有り様。言い訳ではなく、本当のこと。本を読む時間は今年でいちばん少なく、精々が1時間程度だ。ゆえ、太宰治『二十世紀旗手』もようやく4本目の「創生期」に入り、でもこれ結構好きかも、と思いつつページを繰っている。が、それは毎日ではない。就寝前のナイトキャップ代わりには東川篤哉の代表作、『謎解きはディナーのあとで』を1作ずつ、こちらは毎晩読んでいる。
 東川篤哉の本書は親本を以前の勤務先の同僚から借りて愉しく、新幹線のターミナル駅にあるスターバックスで読み耽ったのが、良い思い出だ。当時はまだドラマ化前だったので脳内キャスティングを勝手に試して面白がっていたが、当初櫻井翔と北川景子という配役には、小首を傾げてしまったのだ。微妙に的外れな気がしてならなかったからだ。
 当初、わたくしが読みながら思い描いていたのは、影山:玉木宏、宝生麗子:松井玲奈だったのだ。(当時の)総大将玲奈ひょんに関しては逆に周囲が「え?」と困惑する側だったのだが、その後、『ニーチェ先生』や『神奈川県厚木市ランドリー茅ヶ崎』での演技を見れば好配役であったことがおわかりいただけるだろう。勿論、当時のわたくしの配役の主たる根拠となったのは寧ろ、『マジすか学園』と『SKE48のマジカル・ラジオ』だったのだが……。
 個人的配役も実際の配役も、どちらもけっして悪くない、と譲らぬわたくしだが、そのあたりはさておき。
 なんだろうな、この、サクサク読み進められて、キャラクターは皆適度に常識的でいながらその実相当な序婦式外れで、出来する事件は一件一筋縄で行かぬように見せかけながらその実問題編となる箇所をじっくり読んで推理すれば概ね名探偵・影山執事とほぼ同じ結論に辿り着ける論理と不合理のギリギリの一線に踏み留まる内容で、そうして後腐れなく気持ち良くエンディングを迎える、ミステリ小説を読む快感を堪能できる作品のクオリティの高さは。あれだけ売れまくっていまなお版を重ね、新しい読者を生み出している現実に納得できる。
 喜ばしいな、斯様な良き就寝前の小説があることは。今日、CMでおなじみ某新古書店でもていなかった第3巻を購い(なかなかこの巻、110円コーナーには落ちませんあぁ)、いつ第2巻が読み終わっても安心できる状況は作り出した。
 むろん、松本清張を忘れたわけではない。『西郷札』を読もうとベッドの宮台に手を伸ばしたら、間違って第1巻が手に触れて、戻すのも面倒だからそのまま読み始めたらすっかり夢中になってしまい、いっそ全巻読んでから清張に戻ろう、と思っただけのことである。
 信じていない人、いる? あ、やっぱりいるよね。読者諸兄よ、あなた方に幸いあれ。◆

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第2768日目 〈あまりに熱量ある青春の残滓に接して、みくらさんさんかは涙する。〉 [日々の思い・独り言]

 むかし使っていたレンタル倉庫から取り出した荷物が、ダンボール箱で数箱分ある。内容物が箱の表面に記入してあるのでそれを信じて開けてみると、なんということか、まるで違うものがそこから出てきた──。
 箱の中身は、これまで書いたエッセイやレポート、論文、小説、覚え書き、短歌、戯曲、等々。古いものでは中学2年の作文に始まり、いちばん新しいところで1990年代後半に認めたレポート類となる。
 なつかしさとよろこびでに胸が張り裂けそうだった。擬古文で書いた恩師の追悼文や本ブログの原形といえるような放談、能楽や上田秋成にまつわる文章など古典文学関係の書き物があとからあとから出てきたのだ。1つ1つを丁寧に読んでいる時間はなかったのだけれど、そのどれに目を通しても当時の思い出が鮮明に浮かんでくる。研究職に就くことを望んで動いていた時分であるのも手伝って、斯様に多量のエッセイや論文が残されたのだろう、といまや当時の残滓すら欠片も持たぬいまのわたくしは顧みて斯く分析する。
 いやぁ、しかしよくこれだけの量を書いたなぁ、とわれながらその生産力に感心してしまう。日付を確認すると、1990年代前半から中葉にかけては自主的に書いたものが、ほぼ2週間に1編の割合で書かれている。内容が精読や調べ事を踏まえてのものになるから、或る意味でこの2週間に1編の割合で書かれたエッセイは、たとい短いものであったとしても、体力と知識欲に満ち満ちていた若き日ならではの作物といえよう。
 遅まきながら訪れていた青春の墓標に接して、いまの自分の零落ぶりを落涙を禁じ得ぬところである。
 ……箱に記入された内容物と、実際の中身が違う、というところから本稿は出発した。開梱した1箱目からこの為体では、他の箱も疑ってかかるべきかもしれない。この1箱のみが、他とは別の場所に置かれていたので、逆にこの箱だけが例外だ、と思いたいのだが、果てして……?◆

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第2767日目 〈確定申告の時期となりにけり。〉 [日々の思い・独り言]

 整理していたつもりが、実は全然整理できていない。書類の内容は把握していても、日付けの記入/記載のされていない/書かれていない覚え書きや提案書の類については、いつそれが発行されたのか、どう小首を傾げても思い出すことができない。時系列が崩れた書類の山(丘?)は、最早記憶をどうたぐっても正しい順番に並べられはしない。書類の片隅に、ちょこっと日付けを記入するだけの、ちょっとの手間を惜しんだ自分を恨めしく思う。
 混まないうちに準備を進めよう、と来年の確定申告の準備を始めているのだが、上記のような理由で一部書類に混乱が生じている。金融機関と管理会社の書類は或る程度までとはいえ正確に並べることができるのだが、建設会社から渡されたり交わしたりした書類に関しては、大部なこともあり、どうしても時系列に並べ直すことができないのだ。
 まぁ、紛失した書類があるわけでなし。青色申告会へ持参する書類に漏れがあったとしても、行方不明な書類があるわけでもない。気楽に構えて、出掛けよう。願わくば、今年中に確定申告が完了できますように。◆

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第2766日目 〈松本清張『或る「小倉日記」伝』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 松本清張の短編集、『或る「小倉日記」伝』(新潮文庫)を読みながらずっと脳裏をかすめ続けたのは、上田秋成が初めて書いた小説、『諸道聴耳世間猿』である。「末期浮世草子中の秀作」(『上田秋成全集』第7巻解題 中央公論社 1990,8)と謳われる『諸道』がどのような内容か、敢えて一言で断ずるなら、一ツ事に執した人がそれゆえにこそ道を踏み誤る、となるだろう。
 『或る「小倉日記」伝』に則していえば、集中5編にこの傾向が見られる。森鴎外の小倉時代を研究する若者を取り挙げた表題作。考古学研究者が己の信ずるところへ従って愚直に生きる姿を描いた「断碑」と「石の骨」。気鋭の延期式研究者が悪女に搦め捕られて将来を棒に振る「笛壺」。俳句に熱中するあまり、家事も育児も顧みず、宗匠へ自分をアピールするのに熱心な女性の生涯を捉えた「菊枕」。
 学問文芸に一方ならぬ情熱を抱いた人が、それが原因で生じた様々の軋みに取りこまれて道に迷い、或る者はそのなかで故人となり、或る者はそのまま転落し、或る者はそれまでの居場所から放逐される。
 この点を皮肉めいた教訓譚に仕立てれば浮世草子的となり、慈悲と共鳴をたっぷり注ぎつつ冷徹さを保とうとすれば清張の小説になる。つまり、踏みつけられる者、虐げられる者に抜群の同情を寄せながらも、かれらの生涯を語り伝えんとするその筆致はドキュメンタリーのように冷徹である、というわけだ。
 こうした姿勢は上に挙げた以外の作品にも共通していて、「赤いくじ」や「父系の指」、「喪失」などでもお目に掛かることができる。
 「赤いくじ」は敗戦を挟んだ朝鮮、全羅北道高敞を舞台にした、と或る出征軍人の妻に惚れた軍人と軍医のお話。戦時下でのメロドラマ、三角関係、といってしまえばそれまでだけれど、アメリカ軍がこの町へ進駐してきてからは、事態が一変する。かれらへあてがう慰安婦のくじ引きに件の人妻が当たってしまったのだ。軍医が人妻を連れて逃亡し、軍人は恋のライヴァル憎しでそれを追う。結末は書かぬ。本編にて清張の目は、軍医へ専ら向けられている。それはすべてをとして、また捨てて、弱者たる人妻を庇護する軍医への同情と、声にならぬ応援から生まれたものだ。<判官贔屓>というて、たぶん、過ぎはしまい。
 「父系の指」は、地主の長男に生まれながら里子に出されたことで人生の辛酸を舐める結果になった父を持つ男の話。父を心のなかで蔑んでいるが、裕福に育てられて社会の名士となった父の弟、即ち叔父一家と接するに及んで決定的にかれらとの絶縁を決める。お人好しでエエカッコシイの父親の描かれ方は、息子の嘲りや怒りと対比されて、なんだか楽天的を通り越して無辜の人である。ムイシュキン公爵の縁に連なる人と、わたくしの目には映るのだが──。
 さて、この『或る「小倉日記」伝』には〈傑作短編集(一)〉と添え書きがある。カバー裏には「現代小説の第1集」と。本書にはいわゆるミステリ小説は収められていない。時代や職業に違いこそあれ、いずれも市井の人々の生活を掬いあげた作品ばかりである。
 清張は美術の世界を舞台にした小説に傑作・名作・佳作を多く残したという。本書にも、そのうちの1つに数えてよいものがある。「青のある断層」がそれだ。
 主要人物は大まかに、2人。さしたる出来映えでもない絵を老舗画廊が買い取ってくれたことで有頂天になり、その後も希望持って絵を持ちこみ続ける青年と、以前から引き立てていた画家を再起させんの目的でのみ件の男が持ちこむ絵を買い取り続ける画廊主である。
 画廊主は買い取った絵を見せてスランプ気味の画家を発憤させ、一方で青年はそんな事情あるを知らず、未来が切り拓かれたことを妻と喜ぶ。
 が、青年はだんだんと疑問を抱き始めるのだ。自分の絵は果たして老舗画廊が買ってくれる程のものなのか、と。そうしてかれは改めて絵の勉強をやり直すため、有名画家に従いて画き続けることにした。すると画廊はかれの絵を買わなくなったのである。どうして買ってくれていたのか、どうして買ってくれなくなったのか。青年はどう考えてもわからない。
 かれは妻と一緒に故郷へ帰ることに決めた。東京を去る記念に、とかれらが泊まることにした修善寺の奥の閑かな温泉宿は、かつてスランプ気味の画家が隠れて画廊主が青年の絵を携えて通った宿であった、しかも皮肉なことに、部屋まで同じ。むろん、青年は画家の許に画廊主が足を運んでおり、画家の発憤材料に自分の絵が利用されていたことは、知らないままだ。精々が同じ部屋に逗留していたことを知って、「光栄ある因縁」(P399)という程度だ。
 青年は有名画家のスランプ脱出に利用された駒である。最初から世に出る可能性のない、死んだ芽だった。そうしてそれを知らぬまま、絵を止して田舎へ引っこみ、そこで無名の勤め人として生きることを決めざるを得なかった、偶然の悲運に見舞われた男なのだった。
 そんな青年へ、わたくしは心よりの同情と共感を抱く。正直なところ、他人には思えない程の、共感。一方で画廊主の、商人としての無情と才智に感銘を覚える。おそらく前者については小説家を廃業した自分が、後者に関しては現在の会社員としての自分が、斯く思わしめたのだろう。本書のなかで特に、わたくしはこの短編が好きだ。最も好きなうちの1つだ((今1つは「或る『小倉日記』伝」である)。
 読み終えてもう10日ぐらいになるが、この間、今日感想文を書くにあたって開いたのを別にしても、はて、何回読み返したかしら。これはめずらしい事象である。年齢を重ねるにつれて、何度も何度も読み返す小説は減ってくる。弱々しくも積み重ねてきた人生経験が、フィクションへの共振を拒んでくるのだ。
 拒む、とは誤解を与えるかもしれない。こういえばいいか、1,000の物語に触れても何度だって読み返したくなるものは1つ、2つあればマシな方である、と。年齢が若ければ割合は上がるし、高くなればその分割合は下がるのだ。稀にこの原則を真に崩す存在があるけれど、概ねに於いて斯様にいえるのではあるまいか。
 とまれ、先日触れた『徳川家康』により、今回の『或る「小倉日記」伝』によって、そうして現在ゆっくり読み進めている『西郷札』によっても、自分にとって松本清張は何度となく読み返すに値する作品を幾つも持つ、自分の肌に合う小説やルポルタージュ等を書く作家なのかもしれない。読む本に、しばらく不足はない。ダブル・デーの読書マラソンを阻害せぬ程度に節度を持って、ミスター・セイチョウ・マツモトを読んでゆきたい。◆

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第2765日目 〈書棚の入れ替えを行いました。これは今後も継続されます。〉 [日々の思い・独り言]

 久しぶりに書棚の入れ替えを行いました。かねてより予定していたものが、体調を崩すなど事情重なり、いまになった次第──。もっとも、入れ替えというても些細な量ではありますが。
 以前から気に掛かっていたのです。古典籍研究の本を詰めこんだ棚と、古典文学のテキストやリファレンス書を収めた棚が離れていることに。
 詳らかにお話しすれば、家屋の構造壁となる部分が2列ある造付け書架を分かつ形になっており、古典籍研究の棚と古典文学のテキスト等の棚がそれぞれ左右にある、というわけ。離れていても別段不便が生じているわけではないが、見た目がどうにもバランスを欠くような気がしていてね。いつかそのうち、左右に、ではなく、上下に並べて見栄え良くしたいなぁ、と倩感じていたのでした。
 やはり関係書目は、並べて置くべきですよ。上下の棚でも左右の棚でも、どちらでも構わないから。ただ当方の場合、前述したように左右の書架を分かつ形で構造壁が走っている関係上、左右よりは上下の方が勝手が良い、と判断したまでの話。
 実際そのように並べてみると、やはり問題点は生じてしまう。最大級の問題は、そこに古典籍の目録類を並べるだけの高さを確保できない、という点だ。
 古典籍や古書籍の目録、それが国内のものであれ欧米のものであれ、ご存知の方も多かろうが、とにかくサイズは大判で、本文に上質紙が使われることが多く、そのせいも手伝って1冊の厚さはそれなりにあるのだ。背表紙を隠してしまえば、殆ど分冊された第7版の『広辞苑』である。
 こそっと告白すれば、ここに『諸橋大漢和』縮刷版全13巻をも収めようとしているのだから、わが書架は文字通りのパンク状態。流石にそれはちょっと、である。別の棚に雑誌や大判書籍を収めた棚が2段あるが、そちらもいまは満杯。では、どうすればいいか、となると、例の両面抽斗になった桐棚を動かす以外にないのだが、今度はそれを移す先がない。為、堂々巡りと相成るわけで。
 大掃除と称して不要な蔵書と不要な書類等を処分した結果、空間が生じて現在は求める本が然程労せずして探し当てられるという快挙を継続できているが、まだまだ不完全である。取り敢えず造付け書架にどんな本が入っているか、把握できただけで良しとすべしだろう。或る程度までまとまった形で1つの棚に本を収められただけで、諒とすべきかもしれない。が、いちど胸中へ生じた不便、それに基づく改善プランはじゅうぶん検討に値する。
 更なる利便性を求めて、されどゆめ完璧をめざすのではなく。それをモットーに、いましばらくどの棚にどんな(分野の)本を収めるか、すでに書架に居場所を得た本と床に積まれた本、ダンボール箱に仕舞われたままの本を点検してゆきながら、ああでもないこうでもない、と頭を悩ませてみましょう。殆ど《テトリス》でありますな。呵々。◆

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第2764日目 〈岩波文庫の、ここが嫌いだ。【備忘】〉 [日々の思い・独り言]

 私的〈岩波文庫の100冊〉を性懲りもなく選んでいる最中なのですけれど、その過程でどうしても気に喰わないことがただ一つ。
 もう30年ばかり定期的に復刊を繰り返してくれているお陰で、古本屋を探してもなかなか見附けられなかった書目が容易に入手できるようになるのは、たいへんありがたいことだ。古本屋の棚に見附けてもちょいと売り値のお高い書目が、重版されることもあるので、そちらに関しても感謝の言葉しか見当たらない。
 が、復刊・重版されるもののなかには、もう活字が細くなっていたり、かすれて読めなくなっている部分を孕む書目も、稀にある。紙型がすり減ってきたのだろうが、これは困る。文庫は視力の良い人たちの専有物ではないのだ。まぁ、こんなこといっている時点でそろそろ老眼か、と自覚しつつある証拠なのだが、この点、どうにか解決できないものだろうか。
 もはや改版の領域にさしかかるお話だが、殊に黄帯の復刊書目なんて、相当ヤバいものがある。書名は出さぬが、中世期の某作が復刊されたときは、やれ嬉しや、と勇んで書店へ駆けつけたが、巻を開いて活字の薄さに並行して、けっきょく購うのをやめた程である。その後どうしても必要になり、渋々買うたけれど……。
 岩波文庫をたくさん並べて本棚に並べて悦に入っている、それを写真に撮ってSNSにあげて阿呆みたいに喜んでいるだけの輩には無縁の問題であろうが、買った岩波文庫をきちんと読む側には大問題なのですよ。
 本稿、いわゆる備忘の域を出ぬがため、実際に私的〈岩波文庫の100冊〉をお披露目する前後で改めてこの問題を、今度は実例を挙げてお話ししましょう。いまは寝る。◆

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第2763日目 〈ぼくの「松本清張」初体験。〉 [日々の思い・独り言]

 松本清張を病床にて愉しく読んだ旨先日お話しした。そのあと、自分が初めて読んだ清張作品はなんであったか、と考えてみた。
 「或る『小倉日記』伝」と「西郷札」だけはもうずいぶんと以前に、なにかのアンソロジーで読んでいるのだが、実はそのはるか昔、既に清張作品との邂逅を果たしていた。しかもその1冊は、初めて読んだときから常にそばへあり続けて、いまも書棚の目立つところに置かれている。
 まだ小学校に通っている頃だ。近所の商店街にあった小さな本屋さんで、両親が買ってくれたその本。これこそが人生初の「握玩の書」かもしれない。
 当時のわたくしは日本史にどっぷりと、はまっていた。小学3年生か4年生の時分、父が買ってくれた日本史の偉人たちの生涯と所縁の地をコンパクトに紹介した1冊を入り口に、テレビの歴史ドラマや祖父が所蔵していた講談本に(興味があるものにだけ)接するようになった。その前後に『漫画 日本の歴史』全16巻を1冊ずつ買い与えられたことにより、わたくしの日本史好きは小学校高学年にして早くも深みにはまり、地縁なるものも手伝って徳川家康が特に好きだった。
 「え!?」といわれる方が、あるかもしれぬ。その方は当時、家康がさしたる人気を持っていなかったことを知っている方に、相違ない。が、他地域ではともかく、わたくしの育った静岡県では家康人気、それなりにありましたよ。まぁ、静岡県とはいえ、あちらは駿河、こちらは伊豆ですけれどね。そうした流れで、徳川家康の伝記を両親が買ってくれたのは、必然といえるだろう。
 と、ここまで書けば、成る程、と思われる方も多くあるだろう。然り、件の徳川家康伝の作者が松本清張だったのである。書名を、『徳川家康 江戸幕府を開く』という現在は新装版が刊行されている由。
 講談社からシリーズで出ていた偉人の伝記シリーズ、〈火の鳥伝記文庫〉には日本史の偉人たちのみならず、西洋諸国の偉人、芸術家の伝記も収められた、全巻揃えれば今日なおクオリティとヴァラエティの点で他に劣ることなきシリーズと断言してよい。『徳川家康』はその第22番目、昭和57/1982年9月刊。
 果たしてどれだけ夢中になって、わたくしは清張描く家康伝を読み耽ったか。破損の程は経年劣化を加味してさえあまり非道くないけれど、あと2,3回読めば完全に背が割れてノドも裂け、半壊状態になるのは避けられまい。だってあれから何10年経っていると思うんです? 逆にそのような状態になっていないことが、奇跡に思われる。たしかに幻想文学へ夢中になった10代後半からの数年間、そうしてここ数年は、手にはしても開かないことも多かったから、その分半壊の瞬間が先に伸びているわけだけれど、いずれはたぶん──。
 じつは今日(昨日ですか)、某ブックオフで松本清張の河出文庫版『軍師の境遇』を買ってきて、その解説で初めて知ったのだけれど、『徳川家康』は昭和30/1955年4月に『世界伝記全集』(講談社 *)の1冊として刊行された。この前年には『決戦川中島』の筆が執られ、更に『徳川家康』の翌年から『軍師の境遇』が連載開始。いずれも中高生を読者対象とした著作であるが、成る程、それゆえにこそわたくしも10代前半で『徳川家康』を夢中になって読み耽り、何度となくページを繰って倦くことを知らなかったわけであるな。因みに『軍師の境遇』の雑誌初出時のタイトルは『黒田如水』。然様、軍師黒田官兵衛を取りあげた作品である。但し厳密な伝記ではなく、秀吉の中国攻めに協力した時代を切り取った一幕物だ。
 話が(いつものように)脱線した。悠留詞手九舵紗依。
 家康の生涯を丁寧に追ったのみならず、時代小説の書き手でもあった清張らしく家康を取り巻く家臣や主君たちとのつながり、かれらの心情も上手に掬い取るあたりに、きっと感じ入るところがあったのだろう。そう、たとえば、──
 幼少時から今川方、織田方にて人質となり暮らしたなかで後の治世で生かされる生活の知恵(たとえば竹千代時代、安部川での石合戦を見物した際の挿話など)。元服して元信と名を改めた家康が岡崎に戻った折、鳥井忠吉から蔵のなかで、縄で結った貨幣を縦積みにして保存してある理由を聞く場面。信長の命により愛息信康を切腹させなくてはならなくなった家康が苦悩する場面。三方原の戦いで甲州勢に敗れた家康が浜松城に逃げ帰ったとき、敢えて閉門させず篝火を焚かせて敵を却って怯えさせた件。関ヶ原の戦いの直前、石田三成勢に攻められた伏見城を守る老臣鳥居元忠が遂に自害する場面。冬夏の大坂の陣を終えた家康が文治国家作りに精出す、かれの学問好きを伝える諸場面。……他枚挙に暇がない。
 どれもこれもがわたくしには思い出深いものである。後年、渡部昇一が『知的生活の方法』で子供の頃に読んだ少年講談へ触れて、真田幸村の戦略がいちいち淀君に邪魔されてゆくところを読んで悔しくてそのページを拳骨で何度も殴りつけた、という文章を書いているのに触れて、ああこの感じわかるなぁ、と首肯したものであった。歴史上の偉人への強い共感がそうさせたのだろう。
 はっきりいうが、これまで家康伝は戦後もたくさん書かれてきたが、およそ清張の本作の上をゆくものは、あったとしても極めて数が少ないだろう。学術的に正確であったり、新発見私説の類がどれだけ詰めこまれてあろうと、たいがいの家康伝には血が通っていない。家康を描きながらその実、家康がそこにいない本が多すぎる。そんなもの、学生のレポートにも劣る。これまで読み得たなかでわたくしが今後も侍らせたく思う家康伝とは、山路愛山と松本清張、まずはそれだけでじゅうぶんだ。言葉が過ぎる? いや、そうは思わない。他に優れた書物勿論ありと雖も、この2書に優って益あるとは、どう小首を傾げても考えられないのだ。
 ──初めての清張作品が、ジュニア向け伝記小説であった、という人は、いったいどれだけいるのだろう。われらが子供のこと、当たり前のようにあってしかも複数社から手を変え品を変えて刊行されていた、そうして学校図書館の(「少年探偵団」シリーズと並んで)常連であった、いわゆる「偉人の伝記」というものが廃れたと仄聞する現代に、斯様な奇特な人物が現れることは、おそらくないのではないか。が、わたくしと同世代かその上の世代、もしくはすこしだけ下の世代であれば、こうした経験を持つ人は幾らでもいるような気がしているのだが、ついぞこれまでお目に掛かったことはない。
 わたくしはこの邂逅を人生の慶事の一つに数えている。推理小説や日本史ルポなどではなく、一流の小説家にして歴史考証家である清張が、特にこれからの時代を担う若き人たちのために腕を揮って書きあげた歴史小説のうち、殊にこの『徳川家康』が当時、近所の商店街の小さな本屋さんの棚に並んでいたことに、運命の悪戯を感じる。それを両親が見附けて購い、わたくしへ贈ってくれたことに、心の底からの感謝をささげる。最終的にわたくしを日本史好きに仕立てあげ、やがて江戸文芸就中〈国学〉なんてものの研究へ向かわせたのは、間違いなく、松本清張の『徳川家康』だったのだから──。
 いちどだけ、これの角川文庫版を見た。そもそもの版元である講談社から文庫化された様子は見られぬ。が、それは正直なところ、構う話ではない。精々が〈火の鳥伝記文庫〉版が全半壊或いは紛失等して読めない状態になったとき、代替品として持っていたいな、と思う程度。それよりもむしろ、かつて『中学コース』に連載されたという『決戦川中島』が読みたい。幻冬舎(発行元は一草舎出版)や講談社青い鳥文庫から刊行されていたそうなので、今度探してみるつもり。
 松本清張『徳川家康』、初めての出遭いからずいぶんと時間が経った。もしかすると病床にて、小説については清張作品だけ受け入れることができたその遠因は、案外と子供時代の『徳川家康』を愛読耽読したあたりにあるのかもしれない。オカルトじみたお話かもしれないが、本気でそう考えているのである。◆

*正確なところは現在問い合わせ中のため定かでないが、全20巻で構成されるこの全集を基にして、一部著者を入れ替えるなどして、1981年に〈火の鳥伝記文庫〉は創刊、刊行されたようだ。現在確認できる〈火の鳥伝記文庫〉は112点(新装版を除く)。
 時代を反映して手塚治虫や山下清、黒田官兵衛、嘉納治五郎などが新たにラインナップに加わっており、また、アインシュタインやシュリーマン、ジャンヌ=ダルクなどありそうで実はなかった人物の伝記も収めている。□

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第2762日目 〈iTunesは不要な作業を、わたくしにもたらす。〉 [日々の思い・独り言]

 それでは、昨日の続きを。処分するCDはその日の昼に宅配業者が来てくれて、都合4箱になったダンボール箱(音楽書籍を含む)を運び去ったことで清々しくも虚脱感と寂寥感を覚えたあと、夕方のことである。
 今度はもうずっと愛蔵してぜったいに棄てない、と決めてある音盤を、近所のスーパーで拾ってきたダンボール箱に移して、視界の外へ積みあげる。過去形でないことにご注意を。なにゆえに現在形なのか? 一部については仕舞いこむ前にiTunesへ取りこんでしまう心づもりであったからだ。昨日は夕食や食後の団らん、風呂など除いて概ねすべての時間を、その作業にあてたのだった。
 その数40枚ちょっと。1枚の例外を除くといずれもクラシックである。モーツァルトのピアノ協奏曲全集とピアノ・ソナタ全集、木管楽器を主役に迎えた室内楽と協奏曲、計20枚。ショパンのピアノ曲全集と室内楽曲全集、歌曲集、勿論ピアノと管弦楽のための作品も2枚分、〆て19枚。その他、カラヤン=フィルハーモニア管弦楽団の感想曲集・バレエ音楽集・プロムナードコンサート、サティのピアノ曲集、そうしてこれが唯一の例外;ジョージ・ウィンストン《ディセンバー》。
 まだ作業は終了していない。本稿を書く傍らでiTunesへ、モーツァルトのピアノ協奏曲第5巻を取りこんでいる真っ最中なのである。ようやく中葉、まだまだ続く。ちなみに現在、2019年11月13日(水)午前00時37分……。
 単に取りこむだけなら、ものすごく楽ちんだ。さりながらこの作業には常に、最大級の難事が出来する。クラシックだけの事象かもしれないが、取りこむ際にiTunesが電脳空間から引っ張ってくるデータ、楽章とかアルバム・タイトル、アーティストの情報ね、これらがまこと好い加減を極める代物なのだ。
 モーツァルトに関していえば、いずれも同じアーティストによるソナタと協奏曲である。にもかかわらず、iTunesは1枚ごとに違うアーティスト名称を表示してくるのだ。カール・エンゲルがピアノを受け持っているのだけれど、iTunesはアーティスト名を「カール・エンゲル」とするときもある、「Karl Engel」とするときもある。なんの情報も取得できずにブランクで表示してくる場合すら、ある。協奏曲に至ってはソリスト、オーケストラ、指揮者の名前も順番もバラバラに出てくる。要するに、何分の一かの確率でしか同じ表記になることがないのであった。
 それを解消するために、どうすればいいか? けっきょく、アナログな手法に頼る他なかったりする。わたくしの場合は、このように行う──取りこみ作業中に、NAXOS Music Libraryかタワー・レコードのサイトを開いて、曲名や楽章のデータをテキストに転記。並行して専らアーティストの所属する事務所やレコード会社、或いはWikipediaからアーティストの外国語表記(正しい表記)を、同じくテキストに転記。そうしてiTunesのアルバム情報乃至は曲情報をテキストから一気に、コピー&ペーストと呼ばれることが一般的な編集を施す。
 こんな作業をちまちまやっており、われながらやや非効率的なところも感じつつ、それでも一定レヴェルの精度の維持と他アルバムとの比較を考えれば、それ程面倒臭い作業ではない。むしろ、愉しい瞬間の方が、多い。
 なぜといって、そも必要な情報をきちんと提供してくれるサイトの発見までに時間を要すことだってあるからだ。が、帯に短し襷に長し的なサイトに辿り着くたびに、逆に偏執狂のような執念を燃えあがらせる。そうしてこちらの要求へ十全に応えてくれるサイトへ辿り着いたときの、エクスタシーにも等しい歓び!! 楽聖の《合唱》交響曲の〈歓喜の歌〉が脳内にて大音量で再生されるのは、そんなときだ。
 が、そうはいってもこの作業、時間が掛かってしまうのは既に述べたとおり。ゆえに机に積みあげた40枚ちょっとのCDを1日で取りこみ終えられようはずもなく、モーツァルトとカラヤンをすべて落としこんだらもう今日は終わりにするつもり。まだ体調も万全とはいい難く、おまけに、眠い。目も痛くなってきた。
 こんな作業を、明日も行う。たぶん、終わるだろう。いや、終わらせなくては。明日のメインは、イディル・ビレットの弾くショパン。明日に不安しか感じていなかった20代のなかばに、1週間に1枚ずつ、いまはもうないレコード・ショップで買い集めて、幾度となく聴き耽った愛着一入なんて言葉では言い表せないぐらいの、ショパンである。まぁおわかりの方も居られようが、レーベルはNAXOSゆえ、iTunesがとんでもないデータの取込を行う心配はあるまい……と思うているが、果たして?
 ──ああ、アルバム・ジャケットですか? 最低300×300の画像を見附けるのが、アルバムによっては難しいのですが、最終手段として手持ちのCDのジャケットをスキャン、iTunesのアルバム情報へ貼り付けるので、じつはさしたる不安を感じていないのが本当のところです。うぅん、ただ図書館で借りたCDについては、たしかに難儀することはありますね。
 アルバム・ジャケットついでにいうと、前述のカール・エンゲルのモーツァルト、ピアノ協奏曲全集とピアノ・ソナタ全集ですが、複数枚になっているのを1つにまとめたく企んだ(目的の曲を探しやすくする、という魂胆がある)際は、全集のアルバム・ジャケットを1枚、取得するだけで済んだ。
 これを全16枚、バラバラに取得、或いはスキャンしようとしたら、取りこみ後のiTunesの画面がとんでもないことになるのは、目に見えている。というのも、嗚呼、ピアノ協奏曲全10枚、ピアノ・ソナタ全集全6枚、それぞれすべて同じジャケットで、タイトルの後ろに巻数が表示されているだけに過ぎぬ代物なのだ。つまり、それが第何巻であるかは開いてみねば分からぬ、という、クラシックならではの問題に悩まされるわけである(各アルバム情報を謝って削ってしまったせいで、あとで泣く泣く情報編集を行ったことを、ここに書く必要はあるだろうか?)。
 実はこのアルバム・ジャケットについても、それなりの愉しみがある。これもやはりクラシックならではとなるが、過去にLPで発売されていた音盤だと特に、当時のアルバム・ジャケットを拾ったりスキャンしたりして、それをアルバム情報へ貼り付けることがあるのだが、LPレコードのジャケットの豪華さと味わい深さ、そうして存在感は、時に手持ちのCDや過去にリリースされた際のジャケットとは雲泥の差としか言い様がない。ホント、CDのジャケットって貧弱だなぁ。
 ……それでは、また明日。◆

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第2761日目 〈さようなら、音盤たちよ。〉 [日々の思い・独り言]

 風邪引き就床を余儀なくされて中断していた、奮起して本日、エイヤッ、とばかりに数10枚の国内盤クラシックCDを、殆ど帯附きでダンボール箱へ。まぁ時間が経てば買い直すものも出て来ようけれど、いまは取り敢えずこれまでの人生を彩ってくれた音盤たちに別れを告げる。さらば、さらば。  もうわたくしの手許に売りに出すCDは、1枚もない。従ってこれを以てわが生涯に於ける、10年以上の長きにわたって断続的に行ってきた音盤処分の悲喜劇は、幕を閉じる。10,000枚以上あったものが、やむなき事情とはいえ減ってゆく光景を、もうこれで見ずに済む。清浄を覚える一方で途轍もない喪失感に見舞われるのは、なぜだろう。  音楽は趣味を越えた殆ど信仰の対象だった。それがいまはどうだ、CDを処分するのは量を減らしてスリム化し、また新たなる音盤を買い入れるための資金稼ぎと空間捻出その他の理由から、はっきりと別方向へ舵を切った。耳の病を患ったお陰でこの為体だ。忌々しい。  ……残された、生涯の終わりまで付き添う役を担った音盤は、斯くして300余枚となり、それら残ったCDはわずかの例外を除いてすべてダンボール箱へ仕舞いこみ、押し入れのなかへでも。──さらば、さらば。◆

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第2760日目 〈病床の読書〉 [日々の思い・独り言]

読書がはかどる!//さすが、読書スポットとしても名高い…//病床!!!! ──20冊目「町田さわ子のいない日」 『バーナード嬢曰く。』第2巻 P51 2015,8 一迅社

 ちょっとタチの悪い風にやられて本ブログを一旦休止、けっきょく11日間床へ臥せっておった。熱は数日で下がりはしたものの、咳と口腔の痛みはまるで治まらず、それだけの日数を臥す羽目となった。
 熱が下がって微熱を維持し始めると、途端暇になった。不断に襲ってくる咳に悩まされること頻々なれど、意識ははっきりしており、ずっと体を横にしているせいもあり時間の経つのが遅く感じられる。ならばこの状況を最大限に、そうして有益に活かすべく、できることはたった一つ──読書だ。斯くして床に就いて3,4日過ぎた頃から、<病床での読書>は開始されたのだった。
 が、挫折の機会はすぐに来た。罹患とほぼ同じタイミングで読み始めていた、太宰治『二十世紀旗手』(新潮文庫)。冒頭の「狂言の神」がちょうど読み挿したままだったので、こちらにまずは手を着けた──そうして早々に抛った。しつこく続く微熱に集中力を妨げられただけでない。なによりもこの短編、病床で読むにはまったく似合わぬのだ。
 ご存知の方も居られようがこの「狂言の神」、要するに自殺に失敗するお話なのである。こんなもの、読んじゃあアカンですよ、床へ臥せっているときに。心を暗くするものを読んで平然としていられるのは、肉体と魂が健康で抗体がしっかり働いてくれているときだけですよ。まァ精々が中期の作物ぐらいか、病床でも読める太宰治の小説は(モチロン個人差ガアリマス)。
 斯くして早々にフィクションを見切って次に狙い定めたのは、伝記や回想録、歴史書であった。先般の大掃除のお陰でほぼ16年ぶりに書架へ並べ得た本のなかから、弘文荘主人・反町茂雄『日本の古典籍』(八木書店)を久しぶりに読んだら、とても面白かった。時に無味乾燥、埃をかぶった湿っぽい和書──わが国の古典籍の魅力やふしぎ、奥深さ、良縁奇縁を語らせてこの人以上の好役はない。やはり商人として1冊1冊、1巻1巻、1枚1枚を直接手にして吟味研究、手ぐすね引いて良品を購い求めんとするコレクター相手に詳細な書誌情報を書いて目録へ載せてきた反町だからこその文業。相手の購買意欲をそそらせる記事であると同時に古典籍研究の基礎データを遺漏なく精確に調査・執筆すること、そのための資料や参考文献が手許にあっていつでも閲覧できるという強み、加えて著者が幼少時より種々の書物を読み散らしてそれを自らの糧としてきたその精華を、反町が書き残した数々の文章に認めるのは極めて容易なことだろう。
 さておき『日本の古典籍』を皮切りに、いずれも再読となるが、『一古書肆の思い出』全5巻(平凡社)と『定本 天理図書館の善本稀書』(八木書店)を、起きている間は何度も姿勢を変えつつ愉しく読んだ。偶さか『日本古典文学大辞典 簡約版』(岩波書店)や『古典籍展観大入札会目録』(東京古典会)、藤井隆『日本古典書誌学総説』(和泉書院)へ寄り道したのは必然とはいえ、内緒である。いずれ『思い出』と『善本稀書』に関しては感想の筆を執ろう。
 他に読んだのは、加藤守雄『折口信夫伝』(角川書店)と鎗田清太郎『角川源義とその時代』(同)、上笙一郎『文化学院児童文学史 稿』(社会思想社)、大瀧啓裕『翻訳家の蔵書』(東京創元社)太田省一『中居正広という生き方』(青弓社)、等々。まだ数冊の漏れがあるが、面倒なので省く。
 われながら面白く思うたのは、小説の読めなさ加減である。原因のよくわからぬ事象ゆえ、今後も考えを深めてゆきたいが、今回に限れば太宰以外にも挑戦した(というてよいのか)作家はあったのだ。いちいち列挙する愚は控える。手当たり次第に読み散らしたけれど、いずれもダメ。洋の東西過去現代、どれもこれも。10ページも読んでいると集中力が途切れて睡魔が襲ってくる。──そうしてそれに負けた。
 実は面白く思うたのはこの点に限らぬ。ここに唯一の例外が存在したのである(意外ではあるまい、常にこのような法則は働く)。松本清張だ。以前からまとめて読むつもりで何冊か、買って積んでいたが、トイレの帰りに目についた山のいちばんてっぺんにあった『或る「小倉日記」伝』(新潮文庫)を持ってベッドへ戻り、ページを開いたところ……心うばわれて読み耽ったのである。舐めるように読み、太宰とはまた異質の語りの巧みさに感嘆、無名人の生涯を個々の出来事に絡めて豊かな筆致で描き出す手腕と切り口に唸らされた。……実際のところ、床上げの日にはそれは読了し、これまた買いこんであった『西郷札』(同)へと進んで半分程度を消化したところである。
 この先、自分がどれだけの清張作品を読むかは見当が付かない。もし嵌まることがあるにせよ、せめてそれはダブル・デー、即ち太宰治とドストエフスキーに於ける<第二次読書マラソン>を完了させたあとにしたいのだが、さりながら此度の病床にて唯一受け付けられた小説の書き手が松本清張であった、という動かし難き事実については、これからも然るべき考察を加える必要があろう。
 暇潰し目的で始まった病床の読書が、済んでみたら他日のエッセイのネタが幾つも出来ていたことに、われながらびっくりしています、というお話でした。◆

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第2759日目 〈床上げと再開のご挨拶〉 [日々の思い・独り言]

 順序が逆になりましたが、表題の通りご報告させていただきます。
 拙みくらさんさんかは先月10月最終週より体調を著しく崩して臥し、一昨日までベッドから離れることができなかった。本ブログについても病気の治療を優先するため、しばらくの休止を決めました。
 ちょっと床に臥していたのが長くなったけれど、そのお陰というべきか、幸いに一昨日床上げする迄に回復しました。と同時に本ブログも更新再開。本来ならこの原稿が昨日お披露目されるべきだったかもしれませんが、天の配剤により今日と相成った。あれは<病癒えたる者から神への感謝の讃歌>だったであろうか?
 とはいえ未だ十全でないのは事実。もしかすると突発的にお休みするかもしれないが、おそらくその可能性は極めて低いことは、わたくし自身がよく知っております。
 とまれ、本日のこの稿を以て床上げと再開のご挨拶とさせていただき、改めての始動を誓うものであります。
 これからもどうぞ宜しく。◆

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第2758日目 〈太宰治『晩年』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 昭和11/1936年は二・二六事件が起こった年である。年表を概観するだけでわかるように、この年を境に日本は軍国主義が本格的に台頭、5年後の太平洋戦争へと舵を切った。太宰治『晩年』は社会が不穏な空気に覆われつつあるその年の6月、上野桜木町に当時あった砂小屋書房から刊行された。同年3月刊行予定だったのが、二・二六事件の影響でずれこんだ由。
 この本を出版するまでの間に太宰は、じつにたくさんの習作を物し、その数は原稿用紙5万枚、作数100に余る旨太宰本人が書き残している。ここに収められた全15編はいずれも商業雑誌や同人雑誌、校内新聞に発表された。遺書のつもりで出版したこの作品集へ作品を収録するにあたり、作者がどう基準を設けてどう定めたか、真相は不明。加えて書かれた作品のどれだけが公にされたか、寡聞にしてわたくしは知らない。が、収録作のいずれもが昭和8年から11年にかけて雑誌へ載ったことから推して、雑誌に掲載された作品=編集者に評価されて、読者の目に触れて読まれるに足る作品=作品集に収めるにふさわしい作品、と太宰が判断したと考えることに、なんら不都合なことはないと思われる。
 さて、先行して「彼は昔の彼ならず」の感想を書いた。今回は『晩年』全体の感想を記すに留める。流石続けて2度目の読書となるとさして感想など変わるまい、と高を括っていたが然に非ず、変動の激しかったことに驚いている。これを当方の読書の浅さと取るか太宰文学の懐の深さと取るか、或いはそれ以外なのか、その判断は読者諸兄にゆだねよう。さて。
 このなかからなにかしらの形で琴線に触れたのは9作、但し実質7作。読了して数日が経ったいまでも殊に記憶に残るは「道化の華」と「ロマネスク」、続けて「思い出」と「魚服記」、「地球図」と「雀こ」、「めくら草子」であった。他の小説? いやぁ、わたくしにはどうもよくない。
 しかし、わが国近現代文学史を瞥見して『晩年』程、その鮮烈な存在感を放っている処女作品集があるだろうか? 否、としか申しあげようがない。比肩するもの仮にあるとすれば、さてなんだろう、戦前戦中を見渡しても該当しそうなものはない。相当に目を凝らした末に変化球となるが、山崎俊夫『童貞』(大正5/1916年 小川四方堂)を挙げられる程度。むしろ戦後に安岡章太郎『悪い仲間』(昭和28/1953年10月 文藝春秋新社)と吉行淳之介『驟雨』(昭和29/1954年10月 新潮社)があるのが救い。あとはダメ。等しく。あくまで個人の所感。
 ──寄り道したが、『晩年』と上記作品集の共通項を見附けるとなれば、類い稀なる文章力と描かれた世界の陰翳のくっきりした様子、そうして退廃の気配を潜ませた雄編が揃う点、となろうか。とはいえ、もしかすると<収録作品の質>という点から俯瞰すれば、じつは『晩年』がいちばん足並み揃わずばらけているように思われる。「道化の華」と「ロマネスク」を頂点にして、山嶺と谷底にたいへんな高低差がある。
 ここで意識は最前の、「太宰は如何なる基準で以て収録作品を選択したか」という話に飛ぶのだけれど、それはひとまず置いておく。新潮文庫版『地図』をも俎上に乗せねばならぬ話だからだ(ついでに当然、全集も)。
 蓋しいえることは、太宰がどれだけ作品に対して執着を持っていたか、執筆の動機や作業過程並びに推敲等に於いてどれだけ心に去来することが大きかったか、そうした心理的理由が大きく作用していたのではなかったか。太宰のなかで、書かれた作品は余程のものでない限り、等しく自身の「青春のまたとない記念」たり得たものばかりだった。それゆえに悩みを重ねて──時に愛着、執心が選択眼に迷いや澱みを生じさせたかもしれない──、現在あるが如き形で『晩年』は成った。すべてに<自分の言葉>が、<自分の訴え>が、<自分の考え>が塗りこめられている。これでよし、とおそらく太宰は胸のうちで呟いたことだろう。
 最後にいわずもがなの余談を綴って、本稿の最後を汚すとしたい。「ロマネスク」は昭和9/1934年8月初旬、静岡県三島市の坂部武郎宅滞在中に執筆したというが、この時期のことを描いた好短編が「満願」である。『ビブリア古書堂の事件手帖』第6巻では太宰文学の愛好家3人が会を結成して「ロマネスクの会」と名乗った。また、「道化の華」は『二十世紀旗手』(新潮文庫)所収の「狂言の神」「虚構の春」と合わせて<虚構の彷徨>三部作を構成し、実際昭和12年/1937年に短編「ダス・ゲマイネ」を併録して新潮社より刊行された(他の太宰の刊本同様、日本近代文学館からの復刻本がある)。

 「ロマネスク」は初期太宰文学の高峰である。贔屓の引き倒しになるかもしれないが、もし太宰が『晩年』1冊で消えていたとしても、この1編あることでかれの名前は文学史に刻まれていたに相違ない。わたくしはそう信じる。それだけ「ロマネスク」には太宰の語りの自在さ、素材の生かし方、明朗な文章、人生の悲喜交々や陰翳を巧みに捉えて昇華させる類い稀な想像力、などなど、いわゆる太宰文学の特質とされる諸点が遺憾なく発揮されているのだ。◆

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