第2811日目 〈新版『荷風全集』第31巻を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 『荷風全集』第31巻「別巻」の添付CD、永井荷風朗読『断腸亭日乗』と対談2つを聴いておりました。これの未開封なることと月報が欠ページなく添付されてあったことが、このたび第31巻だけを別に入手するきっかけになったのです。
 日記は昭和20年8月12日条、翌日13日条より一部抜粋、わずか1分にも満たぬ朗読なれど、柔らかな耳あたりの荷風の肉声に思わず陶然としてしまいました。この声音でフランス詩を朗読したものがあったら、是が非にも聴いてみたい。聞いて心地よく響く美しいフランス語の調べは、ここで聴く荷風の肉声にぴったりと合っているのです。むろん、そこには荷風がかつてフランスに遊学(……?)して、帰国後も三田の教壇に立ってフランス語やフランス文学を教え、就中その詩歌を愛してやまなかった事実が、意識に働いているのは否めぬことでありますが。
 対談のタイトルはそれぞれ「荷風よもやま話」「続 荷風よもやま話」、NHKラジオにて昭和28/1953年1月6日及び同月24日に放送された。対談の相手はともに嶋中鵬二、当時中央公論社の社長であった人物です。この対談がまた聴いていて面白く、前述の朗読とはうってかわった荷風の放胆な喋りを堪能できるのです。
 加えて嶋中が荷風先生の話をうまく誘導して、文章からではわかりにくかった微妙なニュアンスが浮き彫りにしているあたりは、顧客との会話を仕事とする者には参考になる部分があります。老獪とも手練れとも感じる、けっこう下世話な口調の嶋中ですが、実はこのとき御年29歳、1ヶ月後にようやく30になるというのだから、正直、たまったもんじゃぁありませんや。
 なお、本巻の、或る意味で本当の核は後半を占める、「永井荷風──人と作品」ではないでしょうか。これは、アメリカ時代の荷風の消息を伝える新聞記事に始まり、同時代作家による荷風評、荷風賛の文章が一堂に会した、貴重な資料の集成であります。
 大部なものであるからまだ全部は読み通せていないけれど、読んだなかでは木村荘八の随筆「濹東綺譚余談」に心が躍った。木村は『濹東綺譚』の挿絵を描いた絵師。今日では作品と一体化して離すことなど考えられぬ数々の挿絵──挿絵史、木村の画業を語るうえで欠くべからざる挿絵の数々が描かれるに至った事情や、墨東を歩きまわって写生するなどして取材を試みた様子が、飾り気のない文章で書かれた木村の随筆を読んでますます、『濹東綺譚』へ深く心を遊ばせるのでありました。
 市川左団次・猿之助や妾の関根歌の懐古談、谷崎や正宗白鳥の評を載せるが、個人的には最後に載る菅原明朗「舞台裏の思い出」が気にかかった。『四畳半襖の下張』事件を顧みての1ページの荷風談ばかりでなく、過日本ブログでも話題にした池田大伍の名をそこに見たからです。なんでも菅原は銀座の歩道で、池田大伍と連れ歩く荷風に偶会した際、荷風からこんなことをいわれたそうだ。「何のはずみか、芸術論が始まって、引込みがつかなくなっていたんです」(P427)と。
 荷風と池田の間に、どのような芸術論が勃発して、引っ込みがつかなくなるぐらい白熱したのだろう。2人の間に戦わされた芸術論は、どのような内容だったのか。とても興味がある。が、いまや三田にもどこにも、その話をして「ふむぅ」と一緒になって考えてくれる相手は、いない。せめて岩松先生のお元気なうちに、この随筆に出あって考えることができていたなら、と悔やまれてなりません。
 正月休みが明けて世間が落ち着いた頃に、昔日の面影を偲ぶも難しくなった、けれど辛うじて遺構が保存された都心のエアポケット、坂、坂、坂な六本木一丁目の町を歩いて偏奇館跡地を探して、荷風を感じる歴史遺構探訪をしてこようと思っています。◆

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