第2819日目 〈中央公論社版『上田秋成全集』の完結を願う。〉 [日々の思い・独り言]

 完結しないまま終わった文学全集が、この世に果たしてどれだけあるのだろう(本稿にて文学全集とは、個人の全集を指す)。短期決戦であろうと長期にわたろうと、無事に完結した全集が世の大勢のように見えるのだが。
 勿論、今日のような出版状況になる以前は、未完で消えていった全集は多かった、と聞いたことはある。現代ではそんなこと、まずあるまい……と思うていたら、確実に1つ、未完で終わった様子の文学全集が、いまわたくしの手許にある。
 中央公論社が1990年8月から全13巻別巻1の予定で刊行を開始した、『上田秋成全集』である。
 第1回配本は第7巻小説篇一、『雨月物語』を収めた巻だった。内容見本を火事で失くしてしまったので確かなことはいえないが、3ヶ月に1冊の配本が予定されていたのではなかったか。それを承けて学友に、なんとか買い揃えてゆくことができそうだ、なんて話をした覚えがある。とまれ、貧書生ながら配本のたび、1冊ずつ買い揃えていった。自分の貧弱な書棚に宝物が1つずつ増えてゆく歓びを味わいつつ。
 そのうち、消費税率その他物価の上昇に伴ってか、1冊の価格は改定されて、遂に本体価格10,000円を突破した。それでも辛うじて刊行は続けられた。第12回配本は第12巻歌文篇三、刊記は1995年9月。いま考えれば既に青息吐息、風前の灯火状態であったようにも感じられる。別のいい方をすれば、断末魔の叫びはそろそろあげられていた──。
 やがて上田秋成全集編集委員会の中枢、中村幸彦が逝去した。平成10/1998年5月のことだ。中村は岩波書店の旧日本古典文学大系「上田秋成集」を始め秋成研究、近世文学研究の泰斗である。同じ時期、版元は経営危機に陥り、自力再建のメド遂に立たず読売新聞社資本の導入でその傘下となり中央公論新社と改称するに至ったこと、良識ある読書人なら存じあげておられよう。
 『上田秋成全集』は残すところ2巻で、刊行中絶の憂き目に遭った。『上田秋成全集』は不孝な時期に刊行された、良心的な仕事であった。そうして研究者、愛好家に紅涙絞らせることとなった。ああ、せめて第13巻が刊行されていれば……と。かつて2度ばかり、問い合わせたことがある。別巻は無理でも第13巻の刊行はあり得ぬか、と。返答は、あり得ぬ、存命の編者も高齢乃至は余力なく云々。高齢はともかく、余力とはなんだ。
 ちなみに第13巻は歌文篇四、天理図書館や個人蔵の秋成筆短冊や帖面、「海道狂歌合」及び稿本、書簡などが収録される予定であった。中村ひとりが欠けたと雖も、残りの委員で翻刻や編集作業は進められたであろうと思われるが、それが為されなかったところを見ると、「編集委員会」の実態また能力に小首を傾げざるを得ない。所蔵者の協力が得られなかったり、なにかしら学者特有のトラブルが生じて話がこじれて、刊行のメド立てられなくなり、頓挫に至ったか。
 が、わたくしはいまなお第13巻、そうして秋成肖像や「年中行事絵巻」、茶器など写真に収めた別巻の刊行を待ち望んでいる。同じように思うている愛好家や大学、図書館もあるだろう。まだまだ未刊の2冊を求める層があることを、中央公論新社(と読売新聞社)は知ってほしい。本社機能が京橋の社屋から大手町の親会社のビルに移ると共に、骨抜きにされたわけであるまい。
 古本屋で既刊12巻が紐で括られて破格の安値で売られている光景を見るにつけ、火事をくぐり抜けて書架にいまも並ぶ『上田秋成全集』が視界に入るたび、哀しみを覚えずにいられない。未練たらしくわたくしは、未刊の第13巻と別巻の刊行を願い、待つ。◆

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