第2820日目 〈南木佳士の文章について。〉 [日々の思い・独り言]

 藤原定家にとって『拾遺和歌集』は握翫の書であった。歌学書『三代集之間事』で3番目の勅撰集『拾遺和歌集』に触れて、「窃かに之を握翫す」と述べている。だれからも隠れてたいせつに、慕うようにして読んだ、という。この伝でいうと、わたくしの握翫する作家は、南木佳士だ。
 氏の小説については追って感想文やいろいろ考えたことをお披露目する予定でいるので、今日はわたくしが氏に惚れて慕うようになった最大の魅力、即ち文章に関してその全体印象を、無謀にもその作物からの引用無しで述べてみる。
 南木佳士の文章とは、こういうものだ──なんの特徴もない、Flatな文章。読んで引っ掛かることなく、すいすい進む。が、ふしぎと心の奥の、いちばん深い場所に残り続ける。その文章が眠るあたりは、穂乃果にあたたかい。何気ない一行、一語、表現の裏ににじむユーモアと諦念、これがあるからこそ、氏の作品はあれだけ「死」について語りながら、陽だまりのような明るさとやわらかな希望に満たされているのだ。
 その文章を真似するのは難しい。赤川次郎や村上春樹の文章を真似ようとしてあえなく玉砕するのと同じように、難しい所業だ。
 いちど、南木佳士の短編、エッセイを原稿用紙に書き写したことがある。そのときに気付いたのだが、南木氏の文章はとくに語彙の豊富さを誇るものではなく、比喩が巧みなわけでもない。表現の華麗なる点を恃むものでもない。むしろ、朴訥として、不器用な文章である。でも、どこかに、すとん、と心の底に落ちる言葉が、ある。
 太宰文学の永遠なる由縁の一は、継承者を持たなかったことだ、と、なにかの太宰論で読んだ。文章や表面上のスタイルは容易に模倣できる。それゆえにエピゴーネンを数多く生み出した点では、近代文学者のうちでも筆頭格だろう。が、どれだけ模倣者を生み出そうとも、太宰文学が内包した思想や太宰の体のうちから滲み出た文章を芯から理解して継承させた作家は、ついぞ現れなかった。
 わたくしは南木氏の文章、或いは作品についても同じことを思うのだ。日々死と直面する医療の現場に在って、人間の強靱さと脆さを目の当たりにしてきた氏の筆から出る言葉は、衒いも空威張りも、虚勢もうわべの繕いも、いっさい剥いだ、等身大の言葉であり、仮面を脱ぎ捨てた生身の言葉である。だからこそ、却って生命力に満ち満ちて、たとい無骨な文章だろうと香気あふれる作品を構成して読み手の心を、本人も気付かぬ程に深いところで震わせるのだ。このような文章の、また斯様な文章で構築された作品の後継者に、果たしてだれがなり得よう。
 文章で読ませる作家というのは、そう滅多にあるものではない。
 獅子文六がいままた新たな読者層を得て華々しく復刊されているのは、なによりも文章の力に由来するところ大ではあるまいか。作品自体は戦後の復興期に書かれて時代風俗や慣習は既に時代遅れのものになっているにもかかわらず、陸続と復刊された原動力は、作品の面白さに加えて、というよりもそれ以上に文章力である。そうしてそれが、読みやすさ(リーダビリティ)につながってゆく。変に衒学的になることも技巧的になることもなく、民衆の口にのぼる言葉を採用して、ひたすら平易な文章を書くことに誠実であったからこそ、時代を超えて読まれる大衆小説家となり得たのだろう。
 南木佳士を大衆小説家と呼ぶのはさすがに躊躇われるし、またけっしてそのような人物でもないと思うけれど、文章力と読みやすさという点では獅子文六にも、赤川次郎や村上春樹に劣るものではない、と断言する。
 毎日飽きることなく毒にも薬にも話題にもならぬ文章を書き続けているわたくしだが、せめて生きている間にただの1編でよいから虚勢をいっさい剥いだ、嘘のない文章を書き残したい。◆

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