第2823日目 〈渡部昇一の露伴受容 2/2〉 [日々の思い・独り言]

 かなうならば、渡部昇一の露伴論をまとまった形で読んでみたかったですね。『努力論』や『修省論』以外では露伴のなにを読み、なにを考えたのか。それをエッセイにしていただきたかった。『わが書物愛的伝記』(広瀬書院 2012/4)という本の後ろに著作目録があるのですが、それにざっと目を通してみても露伴にかかる著作はあまりなく、架蔵する渡部の著書を閲してみても先の2書以外に触れたところは皆無に等しい。交流のあった方々の文章を読んでみても、渡部昇一は露伴の『努力論』と『修省論』は実によく読んでいた様子だが、その他の露伴の本ではどのようなものを読んでいたのか、記したものは目に入ってこない。残念です。渡部の露伴論は生田先生の幻の荷風論と同様、読んでみたかった著作の1つです。
 わたくしが架蔵する渡部の著書は氷山の一角に過ぎず、勿論、未架蔵未読のなかに露伴について語ったものは随分あることと想像されます。が、渡部昇一は、まぁあれだけの数の著書を生涯に遺したのだから仕方ない部分はあるけれど、いちどどこかで語ったことを他の本でも繰り返すことが特徴の1つであります。佐藤順太先生のエピソードなど、果たして何回読んだことか。それが手を変えず品を変えずなのだから、「ああ、またこの話題か」とその箇所はさっと目を通すばかりとなるのですが、こういうときだけはその弊害がこちらに益するところとなる。つまり、他でどれだけ語られていようと、主旨や紹介されるエピソード、表現や比喩に至るまでさしたる変化はない。手厳しいようかもしれませんが、渡部の著書を或る程度の数読んでいれば自ずと感じられることであります。
 では、渡部昇一が初めて露伴の『努力論』に触れて語ったものは、なんという本に於いてであったのか。架蔵する範囲で確認できたのは、1981年2月に大修館書店から刊行された『読書有朋』が最初でした。生涯の盟友となる書誌学者、谷沢永一との対談で、1979年11月刊『読書連弾』に続く第2弾。このあと谷沢と組んだ対談本は陸続と刊行されて、それが渡部の頑健極まる知的生産を支える柱の1つであったことは否むことのできない事実。谷沢永一の存在あらずんば渡部昇一の著述活動は早くに涸れていたであろうと、わたくしは思うております。
 それはさておき、『読書有朋』の始めの章、「この人のこの一冊 新『青年に読ましたき本』」の2冊目に渡部が取り挙げたのが『努力論』でした。この前に谷沢が肥田皓三、浦西和彦と組んで完成させた岩波書店『露伴全集』別巻の拾遺上下、附録計3巻という尋常でない仕事を達成させたのを寿いで(?)、谷沢の口から刊行に至る裏話が語られての流れで、『努力論』がここで紹介されたのです。巻なかばの口絵には渡部蔵と思われる『努力論』と『修省論』の書影が載る。
 渡部は、こういうています。曰く、露伴が『努力論』のようなものを書いたのは残念だ、小説だけを書いてくれればよかったのに、という人があるけれど、なんにもわかっちゃいないですね、露伴があれを書いたから意味があったんであって、あれを読んで評価できない人ってたいがいエリートコースに乗った人たちばかりなんですよ、苦労したことがなかったんでしょうね、と。
 これは裏を返せば『努力論』を夢中になって読んだ人たちは、決して経済的にも学歴的にも恵まれているとはいい難い、でも向学心があったり、立身や人間関係になにか恃むところがあった人たちだったのだろう、ということができますね。時代は異なれどもサミュエル・スマイルズ著中村正直訳『西国立志編』や本多静六『私の財産告白』の読者層とかぶるところが多いのではないか、とわたくしは思います。渡部も奨学金頼みで生きていた大学時代、やはり苦労して身を立てた恩師から奨められて読んだ『努力論』と『修省論』だったので、そうした人たちに共感共鳴する部分多々あったのでしょう。
 『努力論』を読みたいな、と思うたのは、もしかするとこのときが初めてであったかもしれない。行動はしませんでしたが、それゆえに当時、岩波文庫が『努力論』を新刊書店に置いていたか知らないのです。対談当時は品切れであった様子ですが、それから10年を経過してわたくしが『読書有朋』を立ち読みしてその後ほどなくして行き付けの古本屋にて2冊セットで購入するまでの間に、復刊フェアなどで一時的に並ぶことはあったかもしれませんが、すくなくとも東京・神田神保町・新宿・池袋・横浜の岩波文庫を扱う新刊書店で『努力論』を見た記憶がありません。だから、神保町の川村書店にて古本で購入したのですよ。
 知る限りで、渡部昇一が幸田露伴並びに『努力論』について触れたのは、『読書有朋』が最初のようです。そうしてこれが契機となったのか、『諸君!』(文藝春秋)1986年1月号から1989年1月号に連載した「随筆家列伝」で露伴を取り挙げた際、この『努力論』を全面的にフィーチャーしました。
 実はこの本、どうしたわけか古書市場に出回ることもネット・オークションに出品されることも稀なようで、捜し歩いて捜し歩いて足を棒にすれども見附からぬ、ちょっとしたキキメの如き1冊と化していました。勿論、わたくしの知らないところで販売されていたでしょうが、それをいい始めたらキリがありません。これまで何度か市立図書館で借りて読んでいましたが、内容は朧にしか覚えていない。このたび、ようやっと帯附きの良品を入手できたので、1日1章、4日かけてじっくりと精読しました。本書で「随筆家」とは「随筆も書いた人」という括り。取り挙げられたのは佐々木邦、三宅雪嶺、八並則吉、幸田露伴であります。
 露伴の漢学の知識、『論語』理解や『水滸伝』翻訳、俳句など、様々な視点から露伴という巨像にアプローチして、紹介解説を施したものですが、わたくしはこれを露伴について書かれたエッセイのなかでも第一等に属する1編と思うております。露伴の『努力論』を読む前に渡部のこの章を1度でも読んでおけば、文章に苦労させられることはあっても内容がチンプンカンプンという惨事に見舞われることはないと思うてもいます。
 とまれ、露伴について書かれたこの章だけじっくりと読んでおれば、渡部昇一の露伴受容、露伴理解、露伴論は、概ね事足りると断言します。実際のところ、これを読んだあとに先程の『読書有朋』を含めて、露伴について書いた文章を検めてみましたが、いずれも大同小異、新しい材料を搬入して書かれたものは1つもない。10年1日というが、まさにその状態であります。専門家でないのですから当たり前だ、というて構わぬのでしょうが、なんだか淋しさを感じるのは事実なのでした。
 さて、とはいえ、『随筆家列伝』刊行から8年後。渡部昇一は『努力論』の編述を試みました。『幸田露伴『努力論』を読む 人生、報われる生き方』がそれです。1997年11月に三笠書房から刊行されています。既に露伴独特の文章表現や、繰り出される漢語・典拠等の不明から読者離れを起こしている『努力論』の現代語訳を試み、かというてそれは所謂逐語訳ではなく、むろん超訳なんて代物でもなく、「露伴の観察や意見をよく浮き立たせるように」(P7)して成った、いわば、「エッセンシャル・オブ・『努力論』 プレゼンテッド・バイ・渡部昇一」という1冊であります。
 村上春樹流にいえば、原典の持つアロマを損なうことなく移し替えた、となりましょうか。とまれ、『幸田露伴『努力論』を読む 人生、報われる生き方』は、なにやらAmazonの素人書評を読むと感情まじりの文章で罵倒する人のあるのが目に付きますが、そんな愚見に惑わされることなくご自身で判断されることを強くお奨めします。1度読んだだけでわからなければ2度、せめて3度ぐらいは読み直した上で、罵倒するならされればよろしい。元々『努力論』が一読即理解咀嚼できるものではありませんし、そもこうした類の本は何度も読み返して自分の滋養にする性質のものですから、1度読むだけで済まそうなど呆れた所業としか言い様がありません。むろん、向き不向きがありますから向かぬと思うた方はさっさと売り払って、それを読みたいと想うている人へと還元する最後のお務めを果たしてもらいたいものであります。
 また話が横道にそれましたね。幸田露伴の人生論で『努力論』と並ぶ著作に、『修省論』があります。こちらは『努力論』と違って文庫で読むことは残念ながらかないません。全集の第28巻を図書館で読むか借りるか、全集をいっそのこと思い切ってどん、と買うてしまうかしないと手許には置けぬが無念でありますが、じつは渡部昇一は『幸田露伴『努力論』を読む』の2年後、1999年1月に同じ三笠書房から、『幸田露伴『修省論』を読む 得する生き方 損する生き方』という本を出しています。編述のスタンスは『努力論』のときと一緒。こちらもいまはわたくしの書架にあって折りに付け読み返している1冊であります。この2冊は是非にもセットでお読みいただくのが良いと思います。
 心寒くなる疑問ですが、もし渡部昇一が『努力論』を読んでいなかったら、読んでも感銘受けることがなかったら、そうして『努力論』について人と話したり学生に奨めたり、或いは書くことがなかったなら、果たして『努力論』は現在と同じように読まれていたでありましょうか。仮に読まれていたとしても、アランの『幸福論』がもてはやされた時期に便乗してプッシュされていたか、或いは(これは現実にいまでも存在しているものですが)「超訳」シリーズの1冊に組みこまれてそれきりになっていたのではないでしょうか。すくなくとも、いまのように〈古典〉の地位を獲得して、永続的に読まれる環境は整えられていなかったのでは?
 渡部昇一あることでいま、『努力論』が読まれる素地は作られているのだ、とわたくしは考えています。渡部は、『努力論』中興の祖、というてよいのかもしれません。◆

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