第2826日目 〈影の人生を努力にささげる人たち;ジャニーズのタレントたち。〉 [日々の思い・独り言]

 小山田いく『すくらっぷブック』の第何話かで、主人公のクラスが文化祭に向けて映画撮影を行うことになった。脚本を書くのはいちばん文学に親しんでいる主人公なのだが、どうにもキャラクターが動いてくれなくて途方に暮れてしまう。そこにクラスの知恵袋役、学級委員長が助言をすることで、主人公の悩みは解決して良い脚本ができあがり……という流れなのだが、そのとき委員長が伝えた一言は、こういうものであった。曰く、「影の暮らしが描けていないからじゃない?」と。
 フィクションに登場する数多のキャラクターにも、生まれてから死ぬまでの人生がある。さまざまな人生経験があるのだ。われらが物語で親しむのは、かれらの長い人生のほんのわずかな時間に過ぎない。物語が始まる前と終わったあとの人生があることを端的であっても覗わせること、それがキャラクター作りには必要なんじゃない? そこへ思いが至っていなかったから動きもせず薄っぺらくなってしまうんじゃない? と、かの委員長はいうのだ。
 これはなにもフィクションに於いてのみ適用される話ではない。現実の世界であっても事は同じである。あなたのまわりにいる人々の、ゆりかごから墓場までの人生に思い巡らせたことがどれだけありますか。曲がる角を間違えて、袋小路に迷いこんでしまった人もあるだろう。おしゃぶりをくわえているときから順風満帆、なにも努力も苦労も経験することなく死んでゆく人が、果たしてこの世にどれだけあるだろう。
 人は見る側のなかでのみ生きるに非ず。タレントなどその最たるものでないか。われらはテレヴィに映るその光景でしか、かれらを知らない。インタヴューで語られる声でしか、かれらの内面を知ることはない。ジャニーズ。かれら程実際と虚像が乖離しているタレントも、そういないように思う。
 昨年のクリスマスの頃から今日まで、自分の能力不足を痛感する出来事が続いた。自分ではそれなりに分析や研究などして、その場に臨んでいるつもりなのだが、現実はいつだって空振り、空回り。溜め息が出てしまう。こちらのことは棚にあげて、相手の見る目のなさを心中罵る。事実に目を向けることなく誹謗する連衆に呪詛の言葉を投げつける。でも、勿論自分に敗因、失態の原因があるのはわかっている(最後の一点以外は)。自分を客観的に観察したり、目標を実現させるための努力を怠っているのだ。
 そうして、もういちど、ジャニーズ。<影の努力>というものについて考えるに、この集団のそれは見習うに値する。
 きっかけは、今年のマックの顔を木村拓哉が務めるというニュース(マックというたかておいらが愛用するパソコンやあらへんで。りんごのMacやなくてマクドナルドや)。撮影中に見せた木村の「役者魂」をLINEニュースが伝えている。曰く、「ちょいマック登場「迷う」篇の撮影で、ちょいマックを買いに行くシーンでは、テーブル席で立ち上がる場面のみの撮影であったにもかかわらず、木村はそのまま店舗カウンターまで足早に歩き、「すみません!」と演技を継続。カメラに映らない場所でもワンシーンを演じ切る役者魂でスタジオの空気を盛り上げた」と。また、共演者に「ちょいマック」の発音を指導する場面が、「言い訳編」のメイキングで見ることができる。
 努力の話ではないが、一つ事を中途半端にすることなく完遂するという意味では、相通じる部分はあろう。まぁ、ただたんにわたくしが書きたかっただけのことだが、うむ、それはともかく。
 撮影現場に台本を持ちこんだことがないとか、カメラの回っていないところでもずっと投げ輪の練習をしていたとか、バラエティの収録のわずか30分弱の休憩中にドラマの長台詞を覚えて撮影ではNGを出さなかったとか、もうあなたの努力エピソードはどれだけあるのか、というぐらい枚挙に暇がない。
 むろん、木村拓哉に止まらない。V6の岡田准一や井ノ原快彦、TOKIOの国分太一、嵐の櫻井翔、NEWSの手越祐也、そうして戦友というべき中居正広……というよりも、影の努力を惜しまぬジャニーズが存在するのか、疑問である。
 岡田はデビューしてまだ仕事が少ない頃、毎日映画3本鑑賞・本1冊読破を己に課して、長く実行していたという。映画については仕事が終わったあとTSUTAYAであろうか、ゲオであるか、それとも他であろうか、映画を3本借りて観続けるうちに自ずと自分の血となり肉となった。肉体鍛錬もその頃から始めていたようで、成果は『SP』に結実し、昨年の『V6の愛なんだ2019』では都内の高校のアクション映画のために背筋も震えるような熱血指導を施した。
 池上彰は著書のなかで、国分と井ノ原のコミュニケーション・スキルのずば抜けて優れていることを挙げているが、その背景にあるのは番組資料や共演者に関する資料の読みこみにとどまらず、アンテナを周囲に張り巡らせ、新聞を中心とする各種媒体で世の中の動向をチェックする不断の努力である。櫻井については連合三田会の集まりで、会う人ごとに自分から話しかけて、相手から必ずなにかを持ち帰る様子であった、と仄聞する。
 そうして、わたくしがいちばん手本にしたいと思うのが、中居正広だ。「中居ノート」に代表される努力家エピソードを、木村に劣らず豊富に持つ人である。おそらくジャニーズの努力家といわれてかれを挙げる人は、圧倒的に多いように思う。冒頭でわたくしが書いた、自分の能力不足が引き起こした敗北と反省、改善をもうすこし具体的に、多少なりとも恥ずかしさはあるけれど、その告白と絡めて本稿中居正広編をお披露目することを約して、筆を擱かせていただきます。もう寝ないと明日がヤバいのだ。従って本当に久しぶりに、堂々とこの言葉を書きつけることができる。即ち、to be continued.◆

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