第2828日目 〈荷物を可視化した上で、部屋を片附ける。〉 [日々の思い・独り言]

 部屋を片附けていて気が付いたのは、自分の持ち物をいったんすべて、可視化することがいちばん大事だ、ということ。可視化、という言葉には誤解があるかもしれない。片附けの場面で「可視化」は「持ち物をその場に広げてみる」ことを指すようだが、わたくしがいう「可視化」はちょっと異なる。
 本、本、本。紙、紙、紙。ゴミ、ゴミ、ゴミ。これらを一堂に会して可視化するのは、なんと恐ろしく、やる前から意気消沈することであろう。第一、そんなに広いスペースがあったら、片附けに大騒ぎする必要なんて、ない。あきらかな不要品だけ、燃えるゴミの日か資源ゴミの日に、えっちらおっちら出しに行けば済む話だ。
 その場にいったん広げろ、というのではなく、山の向こうに眠る荷物がなんなのか、その山を切り崩して自分の目で確かめろ、そうしてそれを撮影するか記憶するかして、「どこになにがあるか」把握できるようにしろ。それが、わたくしのいう「可視化」だ。広げられるに越したことはないけれど、ね。
 昨年の夏から、Twitterの読書家たちの投稿に触発されて始めた部屋の片附けは、現在は静穏を保っている。小規模なレヴェルでの片附けは、常に進行しているが、それとて今度古本屋に処分する本の選別が精々だ。
 ちかぢか大きな規模で片附け(と本の処分)を始める。いまは隠れたる荷物を収めた写真を机に広げて、頬杖ついて唸り声をあげているところだ。部屋に何竿かある書架を見やって、溜め息を吐いているところでもある。既にキャパシティは越えている。どこにどうやって収めればイインジャイ、と心中叫びながら、どうにかしようともがいている、いま。
 いずれにせよ、ダンボール箱6箱分ぐらいの本を処分しないといけない。では、どの本を手放すか。逡巡した末に国産ミステリの過半を古本屋へ引き取っていただくと決めた。部屋のあちこちに積まれた箱がそのまま、宅配業者が運び出す箱になるのだから、まぁ、或る意味で楽ちんだな。むろん、事はそう簡単でなく、いちおう開梱して売る気のない本がそこに入っていないことを確認しなくてならないが。
 足もお金も時間も使ったことで、加えて長年の猟書の勘もあって、めずらしい本も相応に含まれたコレクション(響きが良いね。実態は単なる集積物だが)になっている自負はある。売却先もブックオフのように本のことを知らない業者ではないので、価値は評価していただけると信じているが、こちらの期待する買取値を大幅に下回る覚悟はできている。手放す気なぞ毛頭ない本だけれど、うむ、仕方ない。
 国産ミステリ以外にも、どの本を売り払うか、選別はできつつある。とまれ、部屋の有効床面積が増え、書架の棚も結構なスペースが生じる計算だ。断腸の思いといえばその通り、が、それ以上に安堵の気持ちが強いのは、なんともいえず不思議。そうか、これが終活、って奴か。成る程、成る程。
 売る、と決めた本はさっさと書架から退かす。『ONE PIECE』はその一つ。ジャンプ・コミックスで既刊全巻を持っているが、実は『ジャンプ』と同じ判型のLOG派(総集編、といわれている)なのだ。
 そんな次第で今回、<令和のお部屋掃除>第2年目の先陣を切る今回の売却の本当の主役は、国産ミステリなどではなく、『ONE PIECE』である。既刊全95巻を退かしてみて、新書サイズながらさすがに95巻となると、相当な幅を喰っていたんだな、としみじみ思う。とはいえ、LOGが未刊のエピソードのコミックスは残しておきたいので、それだけこっそり取り除ける。
 国産ミステリと『ONE PIECE』その他諸々がこれまで占めていた場所には、眠っていた本や資料が──それらは殆どすべてが、このたび可視化されたものである──収納されることになる。然る後、さらなる蔵書の処分が行われ……都度、その様子が写真に収められて、「どこになにがあるか」把握するための原資料となる。ちょっと捜して「ないなぁ」となったら、その写真に立ち帰って、そも架蔵しているのか、調べるのだ。
 可視化とは自分の持ち物を把握するのみならず、整理するための方策であり、所在を知る手段であり、捜索時間を短縮化する方途なのだ。◆

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