第2845日目 〈難聴も帰還も、きっと、なにかのご縁。〉 [日々の思い・独り言]

 かかりつけの医師によると、ほぼいつも聞こえる耳鳴りと、数人以上の集団のなかにあるとき相手の声が甲高くて聴き取りづらいことがあるというのは、もう仕方のないことで、ずっと付き合い続けてゆくしかない、とぞ。昨日、月に1度の経過観察の折、訊ねてみると、そのようなお返事でした。やっぱり……。
 突発性難聴に始まり真珠腫性中耳炎で左耳がやられ、治ったねぇ、と喜び安堵してかつての罹患を忘れかけた時分に、滲出性中耳炎とその後遺症かウィルス感染による失聴を右耳で経験して退職を止むなくされる結果に落ち着いて、爾来投薬と通院に専念して貯金を切り崩しつつ暮らしてきたこの約3年、悲喜交々の連続でしたが、この先どれだけ生きられるのか不明ながら、難聴ゆえの不安や苛立ち、そうして諦念を飼い慣らしてゆくことに正直なところ、自信はありません。
 こんな気持ちをつらつら吐き出しているのは、きっと来週から、古巣に戻っての就業が決まったため。聞くのに殆ど支障ない左耳を使うのであれば、問題ないでしょう。医師のその言葉を唯一の後ろ盾に、やはり自分はコールセンター業界から離れられそうもないからそのなかでいろいろ探していたけれど、就職活動(なのだな、やっぱり)を始めて約2ヶ月を経てやっと雇用契約を結ぶことのできた企業が、20年近く前に在籍していた企業であるというのも、会う人々が口を揃えていう台詞を借りれば、<これもなにかのご縁>。
 不安はある。だからめげずに通い、無理なく働いて、実績を残さなくてはならない。要するに、就業前からさっさと現場から離れることを視野に入れているわけです。それがわが身の健康を守るたったひとつの冴えた方法、それがわが耳を守って生きてゆくために与えられた最後の手段。誉められたことでは勿論、ない。が、長く働くためにも必要な考えではないでしょうか。口が達者でよかったな、と変な感心をわれ知らずするのは、やはり職業病かもしれません。
 ちかごろのわたくしの興味の1つは、難聴が記録される近現代の文士や音楽家、その他広く文芸家のそれがどの程度の症状であったのか、どんな風に過ごしたか、そんな事柄を知りたく思い、自身或いは第三者による記録の証言に目を通すことである。病名などは昔と現代とで隔世の感あること否めぬところなので、また本人も聞こえ方について記すこと少なく周囲の人も大同小異の発言しか残していないパターンが散見されるため、古い時代の人になる程検討と推測を重ねることになるわけですが、逆に現代の人たちの場合は突発性難聴もしくはそれと推測される罹患者が群を抜いて多くサンプリングされるのは、これが現代病であるかもしれません。加えて現代の場合、突発性難聴なのかメニエール病なのか判然とせぬ場合もあり、却って膨大になる資料等を前に「やれやれ」と肩をすくめて溜め息を吐きたくなるのが本音であります。
 いまは、2020年02月05日00時40分。外を行く車も人もなく、部屋も静かだ。耳鳴りは、本稿を書き始めた時分に較べれば低くなっていると雖も、いつ途絶えてくれるかわからない。時々、耳許ではなく室内で鳴り響いている錯覚に駆られる。ずっと金属音じみた耳鳴りが、音量一定の大きさで起きている間ずっと聞こえている不満と、聴力不調がもたらすやもしれぬ人間関係の不協和音に怯えながら、生きて仕事するのは、チトどころかソウトウ辛いものがある。が──、
 <進むべき道はない、しかし、進まなくてはならない>のであります。いつもの言葉で恐縮です。でも、物事をよく観ようとするならば(それを心掛けたい)、難聴になったのもきっと<なにかのご縁>ですよね。◆

共通テーマ:日記・雑感