第2848日目 〈単行本と文庫本、買うならどっち?>〉 [日々の思い・独り言]

 単行本派か文庫本派か、と問うならば人よ、まずは対象を限定させることだ。然る後に続くべき質問では、それはあるまいか。
 そんな次第でここは国内外の別なく小説、そうして現代小説に絞ろう。それに則って、話をしてゆこう。その上でようやく自分の答えを述れば、──
 わが輩は単行本派である。と同時に文庫本派でもある。事実を申しあげた。中身の入った缶詰を投げるのは、くれぐれも自制してほしい。もし投げるなら、缶切りと、中身を食すためのお箸なりフォークなりをいっしょに頼む。
 両派なり、というのは単純に、作家によって異なりますため。双方に跨がる作家もあれば、どちらかのみな作家もある。外国人であれ日本人であれ、単行本でしか読むことかなわない作家がいるし、2,3年待てば文庫化される作家もある一方、はじめから文庫オリジナルで出す作家もある(今日はこのパターンが目立ちますな)。ゆえに、われは両派なり、というのだ。
 順番に考えてゆく。
 単行本しか出ない作家、待てば文庫化されるがさいしょは単行本が出る作家。この人たちについては当然、単行本を買う。──本当にその作家の作品が読みたいから。一刻も早く読みたいから。そうしてなによりも、その作家にこれからもずっと作品を書き続け、出版社にも出し続けてほしいから。読者にできる「作家の応援」とは新刊書店に並ぶ本を買って、かれらへ印税が振りこまれるようにすることだ。
 万年ノーベル文学賞候補の日本人作家、日本のまんなかで医師を務めながら本を書いた作家、世界的大ベストセラーでかつては「モダンホラーの旗手」と呼ばれたアメリカ人作家は、発表される新作、出る新刊を徹底的に追いかける心酔或いは畏怖、絶大なる信頼と鋼の如き愛を寄せる、単行本派な作家である。
 単行本を見送って文庫を待つ作家もある。それは大概、作家買いする程の存在ではなく、作品によって買ったり買わなかったりする作家だ。今日ベストセラー作家とされる人の本は、大体ここに入る。
 有り体にいって、敢えて単行本を買う気にならぬ作家、買うまでもない作家、いちいちを追っ掛ける程心酔或いは畏怖しているわけでもなく、また単行本を買わずとも他の誰かが売上げに貢献していまさらわたくしが買わずともじゅうぶんに生活が成り立ち、出版社からのオファーが引きも切らずな状態でありましょう? という作家を、ここでは念頭に置いている。
 まぁ、前段「いちいちを追っ掛ける程」云々は、単行本買いの作家の一部についてもいえることだが、その線引きは「心酔或いは畏怖」を除けばただ1つ、その作家へ寄せる絶大なる信頼と鋼の如き愛があるか否か。
 先年直木賞と本屋大賞をダブル受賞した作品が映画化された作家や、ミステリ小説と時代小説両ジャンルを横断して筆を揮う作家、今年筆名の一部を改めてその名でエッセイ集と新作小説を上梓した作家。──こうした人々はもとより真剣に追いかける情熱をかき立てられることなく、新作が出ても文庫を待つか或いは見送っても構わないと思うている、どちら付かずの人たちである。作品の出来不出来、クオリティの乱高下著しい(と、わたくしには感じられる)ため、単行本にせよ文庫本にせよ買うに冒険を伴うことしばしばで、そんなこともあってその仕事へ全幅の信頼も愛も持ちようがないのであった。
 そうそう、文庫オリジナルで出す作家についても、作品によって買ったり買わなかったりなのは、これまで述べたところとまったく変わるところはない。
 総括;単行本派か文庫本派か、それは作家によって、作品によって変わるので、一概に「こちら」と割り切って答えられやしない。繰り返すが、ゆえにわが輩は単行本派である、と同時に文庫本派でもある、というのだ。そも、そこまで単純明快な話でもあるまい。
 ご異論は?◆

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