第2853日目 〈太宰治「善蔵を思う」を読んで、ナザレのイエスをも思う。〉 [日々の思い・独り言]

 毎度のことで恐縮ですが、ゆるゆると太宰治『きりぎりす』を読み進めている。今日は集中のなか程に置かれた「善蔵を思う」を読んだ。三鷹に移って早々に、みずぼらしい老婆に8輪の薔薇を押しつけられて憮然と過ごす太宰が、郷里の名士を集めた会合に出席して醜態を演じ、その翌る日に訪ねてきた洋画家の友どちになかなか優秀な薔薇であると誉められ、どんな人間であってもうちに秘めているはずの善意を信じて生きてゆこう、「この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った」(P171 新潮文庫)ところで筆が擱かれる。
 本巻にも好きな作品が目白押しで困るのだが、殊「善蔵を思う」は、『きりぎりす』のなかでも1,2を争う名品、いわば白眉と思う。改めて感想の筆を、いつものように執るつもりですが、前に置かれる「皮膚と心」「鴎」と並んで偏愛すること他に劣ることなき逸品とはいえるだろう。そのなかにこんな一節を見附けたことで、昨日に続いて新約聖書に絡めたエッセイをそうすることにした。その一節に曰く、「私は永久に故郷に理解されないままで終わっても、かまわないのだ」(P169)と。
 故郷の人たちは自分の醜聞を知っている、「郷里の恥として、罵倒、嘲笑している」(P160)に相違ない、と太宰は己をカリカチュアか卑下かする。この一節に触れて、脳裏に瞬いたのは、イエスが故郷ナザレにて宣教しようとして相手にされなかったエピソードだ。頭を振り振り、かれは弟子たちに呟く。「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(マタ13:57)と。
 勿論、太宰をイエスに仮託しようというのではない。が、そのときのかれらの境遇が、よく似ているのだ。2人とも故郷に受け入れられなかった(すくなくとも、そう思っていた)し、故郷の口さがない人たちからあれこれ揣摩憶測で語られていた。それが自身のなかで枷になったか、かれらは故郷へ帰ることに二の足を踏んだ──イエスがそれでもナザレに帰ったのは、神の子の務めを果たすという使命在ってこそのことである。太宰にはむろん、それがなかった。躊躇う気持ちはあっても、帰りたくない気持ちはあっても、それを封じこめて帰郷する必要があった;作品のため、家族を守るため、幾度も太宰は金木の地を踏んだ。
 時代がかれらに追いついた、とはあまりに野暮天な表現である。時代よりもかれらが先を歩いていた、と陳腐なことを申しあげるつもりもない。「生前の誹り、死後の誉れ」とは佐藤春夫が上田秋成を評していうた讃辞と記憶するが(間違っていたら、ごめん)、共に生まれ故郷でむかしから自分を知る人たちに受け入れられることなく、或いは<故郷の恥>と誹られて和解することなく、若くして死出の旅に出た2人の姿を重ね合わせてしまうたのである。そういえば2人とも、享年は30代ですな。
 全編を読了したら、改めてこの「善蔵を思う」を読み返す。◆