第2854日目 〈影よ、お前は何者だ?〉 [日々の思い・独り言]

 いつの頃からか覚えていないが、視界の端を黒い影が過ぎるのだ。前触れなし、出現する条件も一定でない。
 その影は虫のように見えるときもあれば、朧に人の姿をしているときもある。視界に入るか入らないか、ぎりぎりのところに誰かがいる──脇に退いた方がいいか、と思うてひょい、とそちらを見やると、何者の影も気配も、ない。狐につままれた気分で、わたくしはまた歩き出す。
 こちらの思い過ごしかもしれないが、人の影に見えるときの<それ>は、なにやら口許(と思しきあたり)に薄ら笑いを浮かべているようである。誰かに付き纏われる謂われは、ない。死霊にも生き霊にも祟られる覚えがない。わたくしは至極健全に、正直に、正しく生きてきた。誰彼を恨んで丑の刻参りをしたこともなければ、呪詛の祈祷を行ったこともない。
 では、あれはいったいなんだったのか。わたくしにはわからない。どう小首を傾げても、思いあたる節はない。わたくしのまわりをいつもうろついているのは、親しきひとたちの霊だけだ。父と叔父、従兄弟、母方の祖父と叔父叔母たち、そうして婚約者。が、かれらが件の影となってわたくしの視界をかすめて消えるわけはない。かれらはきっと、出るなら堂々と、わたくしの眼前に現れるだろう。暇だから遊びに来たよ、とか、お迎えに上がったよ、とか、出て来る理由はともかくとして。
 あれはいったい、なんだったのか。わたくしの視界を侵犯してはまた立ち去ってゆく、いと腹立たしき影は果たして何者ぞ。
 わたくしに用事があるなら、わが国の領海を侵しては去るどこぞの国の船舶みたいな行動はやめたまえ。死霊であっても生き霊であっても、それ以外の存在であっても構わぬ、お前たちにプライドはないのか。人でなくなったあとも矜恃を保て、馬鹿者。きっとそんな連衆だろう、心霊動画に現れて人を驚かせるのは。死んだあとまで生者を脅かしたり、迷惑をかけたりするな。傍迷惑な奴らや。
 まぁ、あの人の生き霊になら取り憑かれて、精搾り取られたってかまへんけどな。
 あれ。んんん、これがひょっとして、怪談実話というものか?
 「──はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止し給え。嘘でないものを、一度でいいから、言ってごらん」(太宰治「善蔵を思う」 『きりぎりす』P148 新潮文庫)
 でもな、これ、ホンマのことなのよ。読者諸兄よ、信じてほしいねん。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。