第2856日目 〈荷風記す"霊南坂右手の宮内省御料地"とは、いずこのことなりや。〉 [日々の思い・独り言]

 永井荷風は麻布の偏奇館へ移居した大正9/1920年から翌年にかけて、『新小説』誌に「偏奇館漫録」と題する随筆を5回に分けて発表した。その第3回に曰く、「赤坂霊南坂を登りて行く事二三町。道の右側に見渡すところ二三千坪にも越えたるほどの空地あり。宮内省の御用地という。草青く喬木描くが如し」と。
 現在の霊南坂は起点の右側にアメリカ大使館を置き、左側にはThe Okura Tokyoがある。坂はゆるい登り坂となって奥へ進み、スペイン大使館・スウェーデン大使館のある高台へ至り、御組坂を下りて左手に折れれば偏奇館跡碑が、然程の自己主張もなく建っている。そのときあなたの目の前には泉ガーデンが、どん、と建ち、その向こうに首都高速都心環状線を見ることができるはずだ。偏奇館跡のある道を泉ガーデンの車寄せの方へ歩き、泉屋博古館分館へ続く橋をくぐると、やがて道は左手にゆるやかなカーブを描いて降りる格好となる。そうなれば、アークヒルズ一帯が視野に収まるのも時間の問題である。
 静かな六本木一丁目から賑わしい六本木一丁目へ。さっきまで歩いていた霊南坂からのコースがどれだけ静けさに満ちていたか、実感されるのではないか。
 先の「偏奇館漫録」にて荷風が書いた宮内省の御料地とは、おそらく霊南坂教会やアメリカ大使公邸からアークヒルズ一帯であると思しい。というのもまさしくその界隈には、麻布御用邸があったからだ。御用邸である、御用地ではない。麻布御用地は現在の有栖川宮記念公園である(漢字変換処理能力を測るにこの単語は、1つの判断基準となろう)。
 ──先程は霊南坂を登って途中で右手に折れてしまったが、そのまま歩みを進めると、皇女和宮が晩年に住んだ静寛院宮邸があった一帯に辿り着く。──
 荷風ともあろう者がどうして「宮内省の御料地」などぼやかした書き方をしたのか、わからない。皇室への崇敬? まさか、敗荷散人にそのような感情、あろうわけがない。不敬罪になるのを恐れたか? 馬鹿馬鹿しい。ならば「宮城」と書いた作家は全員罪に問われたか。勿論、これを荷風の無関心の裏返しと考えれば、納得はできる。さすが、とは口が裂けてもいえないが。
 今日、そこに御用邸があったことを示す碑などが建てられているのか、改めて仕事帰りに歩いて探してみよう、と思うている。◆

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