第2871日目 〈東武伊勢崎線、準急A太田行きに乗る。〉 [日々の思い・独り言]

 と或るアニメがきっかけで好きになった声優さんがいるのだけれど、その人の出身地は群馬県太田市であるという。へー、そうなんだ。『カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW』のナレーションみたいな反応で恐縮だが、知ったときはそんな風に独り言ちた。
 そうしてわたくし、田舎は群馬県館林市なのである。太田市とは、邑楽町をはさんでご近所さんだ。──生まれも育ちも縁ないが父祖の地であり祖母が住まい、お墓もそこにある関係で、群馬には相応の愛着があるのだ……今年の秋メドでずっぱりと縁切りの予定で動いているが(万歳)。
 その声優さん、まぁ名前を出してしまうと内田彩さんなのだが、太田市出身であることに触発されたとほぼ同時に脳裏へ浮かんだのは、そういえばいまはもう廃止されたが、東武伊勢崎線の準急は行き先別に「A」と「B」というのがあったなぁ、ということ。「準急A」の運転区間は始発浅草から北千住までが各駅停車・北千住から太田まが準急区間・太田から終点伊勢崎までが各駅停車、「準急B」の運転区間は始発浅草から北千住まで各駅停車・北千住から東武動物公園まで準急区間・東武動物公園から終点伊勢崎まで各駅停車、であった。
 かつて館林に行く際は国鉄/JR京浜東北線で神田まで出て、そこから銀座線に乗り換えて終点の浅草まで行き(駅間で一瞬、車内灯が消えて補助灯に切り替わっていたのが懐かしい。浅草と田原町の間だったかな)、太田行きの準急Aに乗るのが常であった。物心ついたときから、電車を使うときはそうしていた……というよりも、その方法しかなかったのである。事情が変わったのは湘南新宿ラインが開通してからで、その後は専らこちらを使い、久喜経由で館林行きの電車に乗るようになったのだ。当然のことながら、久喜から乗る電車の種類がなんであるか、頓着しない。そこに行きさえすればいいのだから。館林が終点だしね。
 そんな次第なので、いつの間にか東武伊勢崎線の路線図から準急の区別がなくなっているのを知ったときは、そりゃぁたいそう驚きましただよ。厳密にいえば現在も東武伊勢崎線に「準急」は存在する。が、それはかつての準急ではないのだ。2003年3月のダイヤ改正にて「準急A」と「準急B」の区別は廃止された。いまは「準急」と「区間準急」である。
 さて。ここから先、可能であるなら東武線の路線図を下記URLから開いていただけると、嬉しい(https://railway.tobu.co.jp/guide/line/isezaki_line.html)。
 現在の東武伊勢崎線は、東武スカイツリー線の別称を持ち、併せて始発駅を2つ持つ;浅草駅と押上駅〈スカイツリー前〉である。「準急」と「区間準急」の始発駅も異なり、浅草駅始発は「準急」、押上駅始発が「区間準急」となる。
 押上駅を出発した準急は次の曳舟駅を出たあとは北千住駅までの各駅を通過、そのあとも西新井と草加に停車して、新越谷から先は終点の久喜まで各駅停車。
 浅草駅を出発した区間準急は北千住まで各駅停車し、その後は西新井、草加に停まって新越谷から先は終点まで各駅停車である。区間準急と代わらぬではないか、といわないでほしい。実はこの区間準急、久喜から先も延々と各駅停車を続けて利根川を渡り県を変えて終点の太田まで走るのだ(分福茶釜で有名な茂林寺の最寄り駅は途中駅「茂林寺前」である)。
 正直なところ、運転区間と名称がちぐはぐではないか、と思わないでもない。「区間準急」が文字通り、特定区間だけ準急として走りますよ、というのなら、それは押上発の準急にこそ冠せられるべき呼称ではあるまいか、と。浅草発の区間準急の方が余程、過去の準急としての務めを果たしておりますぜ? なんだ、「区間準急」なんて限定的な、実態と異なる名称は。ふぅ、どうしてこんな逆転現象のようなことが起こったのでしょうか。
 東武伊勢崎線の「準急」はね、浅草と太田と結ぶ、地平線の向こうに筑波と赤城の山影を見晴るかす関東平野を縦に貫き、ひたすらまっすぐ北の地を目指し、空っ風にも赤城おろしにも負けることなく、今日も元気に走り続ける唯一無二の存在でなくてはならんのですよ。「東武電鉄」って「武蔵国の東側を走る電車」のことなんだぜ(西武電鉄は西側ですな)。
 最近はさすがに両者の区別も混乱することなくなり、かつてのような義憤を感じても華麗にスルーする術を身に付けたので、ありのままを受け容れるようになったが、それでも東武伊勢崎線の準急の呼称だけは永く釈然としない気持ちを抱えたまま、これからも生きてゆくのだろうなぁ。
 わたくしが隠れ京急ファンなこともあって、独りで館林へ行くときは湘南新宿ラインではなく、京急線直通浅草線の終点押上駅から乗ることの方が多い。「スカイツリー前」という名称が示すように、東京スカイツリーの根元にある駅ゆえ、いつ行っても賑やかかつ前進困難な(時間帯・曜日のある)駅なのだけれど、東武伊勢崎線も浅草線/京浜急行線も坐れて快適なることが、まぁ唯一無二の利点といえようか。
 もっとも浅草駅で区間準急に乗るメリットも相応にあり、やはりその魅力の大なる点はホームが急角度に湾曲して車両との間に50センチばかりの隙間があく箇所あるところと、駅を出た途端に隅田川を堂々たる風格で渡って右手にアサヒビール本社とスカイツリーを、左手に隅田川両岸を彩る桜並木と緑を眺められるところは、他線ではけっして得られぬ目の保養といえよう。隅田川の花火大会のときは車内からもその光景を見られる。──押上経由だとこのような、子供の頃から当然のように眺めていた光景を目にする機会、すっかりなくなってしまっているのが淋しい。
 余計なことを付言すれば、横溝正史の短編「貸しボート十三号」では生首半チョンパな死体がボートに乗って隅田川を、東武伊勢崎線浅草駅を出てすぐの鉄橋の下を、人目に怪しと思われることなく流れ流れて浜離宮の沖合へ辿り着いてカップルを驚かせ、金田一と等々力警部が呆れるように笑ってしまったのでありました。
 ──筆を擱こうとして思い出したけれど、むかし館林駅の東武佐野線ホーム側にあったラーメン屋さん、美味しくって、館林駅で乗り換えに時間あれば必ず寄っていたなぁ。昔ながらのラーメン、中華めんという方が相応しいかもしれないけれど、ラーメン王石神の舌には合わぬだろうけれど、これまで食べたなかで五本指に入る<うまいラーメン>だった。そういえば太田駅にもむかし、ホームの端っこにラーメン屋があったような記憶があるのだが……?◆

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