第2880日目 〈新潮文庫から巻頭の口絵写真が消えたのって、いつ頃からなんだろう?〉 [日々の思い・独り言]

 新潮文庫のシェイクスピアで確かめたいことが一点あって、先日の昼下がり、通い馴れた新刊書店まで行ってきました。ひさしぶりの徒歩はさすがに疲れたよ。なんというても片道約3キロ、所要時間約40〜50分である。運動不足の身には、やや応えます。
 2階の文庫売り場で新潮文庫の棚からシェイクスピアを、とりあえず目的の1冊を開いたときのわたくしの表情をもし目にする機会あった人あらば、きっとその人はさぞかし滑稽な場面を見たことだろう。あると思うていたものがなかったことに、わたくしは驚愕したのでありました。
 同年輩の本読みなら記憶にある人多いだろうが、かつて一部の文庫には巻頭に口絵写真乃至はイラスト載せるものがありました。口絵写真の場合は片側1ページ、イラストは見開きになることが多かったかな。一応お断りしておくと、いまわたくしの念頭にある文庫は、写真を載せるものが新潮文庫のシェイクスピア、イラストを載せるものがハヤカワ文庫の一部作品であります。
 今回気になったのは、『リア王』の写真がどの劇団の、誰が扮したものであったか、それをどうしても知りたかったせいです。きっかけは……いわなくっちゃダメですか? 舞台裏を公開するようで気が引けますが、ああ単純な話なのでした、新潮文庫のシェイクスピアは全巻持っているのですが、『リア王』だけが4年ほど前に改版されたヴァージョンで、口絵写真を欠いていたからであります。他の作品はすべて、高校時代に3冊100円で古本屋の見切り棚から拾ってきたゆえ、写真のある版なのですが、『リア王』は何度となく処分しては買い直し、を続けているうち手許には件の写真のない文庫がある羽目になった、という次第。
 棚の前でそんな発見(?)をしたからだと思います、本稿を書くことを思い立ったのは。それからというもの、古本屋は勿論、新古書店も何軒か回って、いつ頃から巻頭の写真やイラストがなくなってしまったのだろう、とチェックして歩くようになってしまいました。その暫定的なご報告を、今日はさせていただきたく思います。
 正確な時期は不明なれど、1つのターニング・ポイントになるのは、平成10年代半ばであるようです。
 手持ちの、口絵写真あるシェイクスピア、例えば『お気に召すまま』は火事のあとにいちど買い直して平成15年6月第97版、高校のときに買いこんで現在まで架蔵する例えば『十二夜』は昭和61年10月第78版、またあるのを知っていながら電車のなかで読む本がなくなったため古本屋の均一本のなかからサルヴェージした『マクベス』は平成18年5月第102版、となっている。然るに件の『リア王』はといえば、平成28年6月第109版で、こちらは口絵写真のないものだ。
 そういえば、新潮文庫にわたくしの知る限り、三島由紀夫『サド公爵夫人・わが友ヒトラー』にも巻頭の口絵写真が付いていた、と記憶する。わたくしが高校時代に三島に狂ってわずかなバイト代の殆どを注ぎこんで新刊書店で買い漁った新潮文庫の三島作品集のなかに、この戯曲集もあったのだが、軒並み処分してしまったのですぐさまと確認すること能わず、同じく今回新刊書店でチェックしたのだけれど、こちらからも口絵写真は消えていた。淋しい。
 すべての刊行物を並べて自分の目でチェックしたわけでないから遺漏あるは止むなしことだが、こうして架蔵分だけで確認した上で推論を述べるなら、前述のように平成10年代中葉に粛々と行われた「改版」のタイミングを以て口絵は削られることになったと思しい。原材料の高騰とか、活字の大きさを変えることでページ数が増え、コストが嵩むようになったとかで、削除の理由はいろいろ考えられる。改版を機にそれまでの解説に代わって新しいものに差し替えられたりしたケースも、あったはずだ。コストをさえるための判断、というのがもっとも現実的なお話だろう。
 ハヤカワ文庫の場合も、やはり同じことがいえそうだが、こちらは新潮文庫のようにチェックするだけの材料がないため、他の人へお任せすることとしたい。たしかSFやファンタジー、映画のノヴェライズに、写真やイラストが多用されていたのではなかったか。特にいまでも印象に深く刻まれているのはフランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』の映画スチールやハネス・ボク『金色の階段の彼方』、或いは『インディ・ジョーンズ』シリーズのノヴェライズですね。これらの口絵イラストがどれだけ物語への没入度を深めてくれたことかっ!? これの廃止されたことを、わたくしはつくづく悲しく思う。◆

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