第2889日目 〈太宰治の晩年作品を読み直すプロジェクトの第3回(最終回);『ヴィヨンの妻』〉 [日々の思い・独り言]

 再読の醍醐味はなんというても新しい気附きにある。見逃していた表現や言葉に新鮮な感銘を受け、以前読んで心震えた箇所に再会して懐かしくなったり、感動の更新をしたりしなかったり、時には作品それ自体への態度を改める機会になったりすることも。

 いよいよ最後の本である。
 これ程惜しむ気持ちでページを繰り続けた短編集も、ない。一粒一粒が美味の極み、いちどに食べて刹那の幸福へ浸るのをこらえて、惜しむように、ひたすら惜しむように読む。そんな気持ちにさせられる短編集、滅多になし。が、惜しむというのはけっしてそんな理由からばかりではない。一作一作読み終える毎に作者の人生の終焉が、着実に近附いてきているとわかっているから、惜しむ気持ちに拍車が掛かる。そんな短編集が果たして世に何冊あるというのか?
 ──太宰治『ヴィヨンの妻』はわたくしに斯く思わしめる1冊である。後期といいつつ事実上の創作活動の〆括りの頃に書かれた、最後の<脂の乗った時期>の作物ばかり集めた、加えて代表作として挙げられる多くの短編を含んだ本であるぞ、『ヴィヨンの妻』は。
 文学事典や文学年表の類に名が載る短編には、どのようなものがあるだろう。相違は多少こそあれ、「ロマネスク」「走れメロス」「女生徒」「駈込み訴え」の他は、「トカトントン」「ヴィヨンの妻」「桜桃」そうして「グッド・バイ」というあたりか。前文の後半は、いずれも後期の作で、「グッド・バイ」を除いた3編はみな、本書に載る。<第二次読書マラソン>の掉尾を飾った『グッド・バイ』と同じく、死力の限りを尽くして書きあげた珠玉の作品を多く収めるが、実はわたくし、10年前にはじめて読んだときからどうも、「ヴィヨンの妻」が好きでない。
 好きでない理由を探らんとだらだら綴ってみたことがあるけれど、けっきょくわれながら原因について皆目見当が付かず、どうにも股のゆるい文章になってしまったので棄て置いた。逆に今回の再読で己が意識に赤丸急上昇(小林克也の口調で再現されることを望む)して、すっかり魅了されてしまうのが、「おさん」である。これはずいぶんとドライな質感の夫婦小説だ。戦後はすっかり魂の抜けてしまったような夫を支える妻が語り手という、太宰お得意の<女性語り>の一編である。
 どうもこの妻の感情というものが見えてこない。「ヴィヨンの妻」の大谷妻以上に捉えどころのない女性だ。わたくしは男だからこんな風に思うのかもしれないけれど、男の側からはまるで実体のない、観念的な存在と映るのだ。内に抱えこんだ虚無や闇の深さ、絶望感、夫へ向ける淡泊な眼差しなど、これまで太宰が書いてきた女性たちのなかでもこの人は、頗る付きで印象あざやかである。
 「おさん」は気持ちが逆転した作品だった。では、前にも増して好きになった作品があるかと聞かれたら、ある、と答える。それが「家庭の幸福」と「桜桃」の2作。
 「家庭の幸福」はこう結ばれる。曰く、<家庭の幸福は諸悪の元>、と。これは太宰の本音であろう。家庭を大切にし、最優先で考えるのは、所帯を持った男の上書きされた本能。重要な会議よりも親や女房の健康が大事。接待よりも子供と過ごす方が大事。ラジオを聞きながら太宰治が夢想する小説の主人公、小役人の津島修治氏の脳みそは家族の幸福ばかりが占めており、時間ギリギリで駆けこんできて出生届の受取を願う女性の訴えなど退けて然るべき些事、些事、些事。<家庭の幸福>に取り憑かれた男にとって、女性が自殺してしまってもそんなのは知ったことでない。<家庭の幸福は諸悪の元>とは、来し方を顧みて深く頷けるところがある。太宰は家庭を大切にしすぎたあまりに諸悪のなかの悪の親玉に抗えず入水して果てたのであろう……。さて、入水しようとしなかろうと、<家庭の幸福は諸悪の元>に頷き身に覚えある者、われ以外に幾たりあるや。
 そうして、「桜桃」。完成した短編としては最後の作品である。実に空虚で、寒々とした小説である。読後、なんともいえぬ読後感に襲われ、どうにかして言葉を紡ごうとしても口から出る直前に消えてなくなってしまう。太宰最後の短編は、とても苦い味がする。読み終えたあとは魂抜けたような気分になってしまう。太宰が「桜桃」と『人間失格』にて従来の路線にいったん区切りをつけ、「グッド・バイ」で新しい世界を拓こうとしていたなら、それは本当に残念なことだ。そうでなく、「グッド・バイ」が死を前にしての奇妙な明るい気分の具体化だとしたら、『人間失格』は勿論のこと、「桜桃」はもっと凝縮された形で太宰のラスト・テスタメントと受け取るより他にない。
 哀しみとやるせなさと、重苦しさ。複雑な気分を抱えて、わたくしは『ヴィヨンの妻』の巻を閉じた。◆

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第2888日目 〈太宰治の晩年作品を読み直すプロジェクトの第2回;『人間失格』〉 [日々の思い・独り言]

 前回『人間失格』を読んだのはちょうど、10年前のいま5月のことであった。新潮文庫版は手許になかったようで、新古書店で買ったぶんか社文庫で読んでいる。当時なにを思うたか、感じたか、忘却の彼方だ。レイテを遡上することができたとしても、もはやその片鱗、残滓すら摑めはするまい。
 『人間失格』は昭和23(1946)年、熱海の起雲閣別館、三鷹市下連雀と大宮市大門町の仕事場にて、3月8日から5月9日もしくは10日頃にかけて執筆された。全206枚。同年、『新潮』誌6月号から8月号まで連載。擱筆した日以後、太宰に完成、完結した作品はない(※)。
 新潮文庫版の解説で奥野健男は、「太宰治の全作品が消えても、『人間失格』だけは人々にながく繰り返し読まれ、感動を与え続ける、文学を超えた魂の告白と言えよう」(P165」と述べた。然り、然り。これに異を呈す者ありや。ちなみに『人間失格』を指して森安理文は、「太宰が最後の地獄からあげた巨大な鬼火ともいうべき雄篇」であり「彼の芸術的自叙伝」という(『微笑の受難者 太宰治』P169 現代教養文庫/社会思想社 1979/4)。この森安の本については先の野原の1冊と同じく、好いものなので他日感想を認めてご紹介しましょう。
 閑話休題。
 後期のみならず太宰の文学遺産すべてのなかで、この『人間失格』程、作者の代名詞となり得た作物はない。そうして、傑作、名作、代表作、いずれのタイトルを1作で獲得してしまうている小説も、他に見当たらぬ。好みの問題はさておき、殆ど唯一無二の作品と言えるだろう。
 幼き頃から本当の自分、素顔の自分を曝すのを異様に恐れて、竹一に「ワザ、ワザ」と見抜かれ、「あなたは真面目な顔をして冗談を言うから可愛い」とねんごろになった女に指摘されてオドオドするもなお、周到に道化を演じ仮面をつけ、天賦のフェロモンをまき散らして女たちの慈しみを誘い、そもそのはじめから根太が腐っているがゆえ長ずるにつれて生活構築に無能ぶりを発揮し、遂には脳病院へ担ぎこまれて「人間、失格」(P147)と自認するに至る主人公、大庭葉蔵である。
 その滅びのプロセスはまこと、嗟嘆と戦慄の連続だ。わたくしはここにアナトール・フランス『舞姫タイス』の修道院長パフニュスやドストエフスキー『白痴』のムイシュキン公爵に連なる系譜を想像してしまう。自覚の有無という違いこそあれ、やはりその滅びのプロセスには嗟嘆と戦慄がつきまとっている。が、かれらにも況して葉蔵に近しい縁者を求めるならば、太宰中期の傑作、「右大臣実朝」より三代将軍実朝その人を除外するわけにはいかない。作中の有名な台詞、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(『惜別』「右大臣実朝」P21 新潮文庫)──ここに両者の相通ずるところ、重なり合うところを見出せはしないだろうか?
 太宰文学の総決算と『人間失格』は語られること、しばしばである。当時既に山崎富栄との仲は泥沼化し、書かれる作品はどれが遺作となっても不思議でない気迫に満ちていた。そんななかで書かれた『人間失格』が別格中の別格であり、かつ他を霞ませてしまう程の巨大さを示しているのは、裸身どころか内蔵・骨格まで自らオペしてみせた、一種の解剖記録であると同時に、津島修治としての、太宰治としての人生にけじめを付ける覚悟で築かれた墓標であるためだ。
 わたくしはこれ程までに作者が自分の心の内をストレートに、アナリスティックに語り果せた作品のあることを知らない。太宰文学が種々の誹謗や嘲笑、誤解を浴びながらも永遠の光芒を放ち続けているのは、その文学の持つ<特殊性>に拠る。
 太宰は青春のハシカ、という断定に「否」を唱えはしないけれど、そこで終わらぬところに<特殊性>を認められはしないか。それは言葉を換えれば、<多面性>であり<懐の深さ>である、と、そういえるだろう。
 自然主義文学のように恥部秘事さえ赤裸々に描いたかと思えば(「道化の華」)、再話という形を借りて自分の本音・心情を塗りこめ世の中の風潮に抗う(「お伽草子」)。剣をかざして遮二無二振り回した挙げ句己を傷附けて流れる血を眺めて悄然としていたり(「創生期」)、いちど腹を括ったら捨て身の勢いで斬りこんで相手の喉元へ匕首を突きつけることさえやってのける(「如是我聞」)。「走れメロス」や「駈込み訴え」のように中高の教科書に載って陶然とさせられる小説があれば、「右大臣実朝」や「未帰還の友に」「フォスフォレッセンス」の如く或る程度人生経験を積んでから読むと胸に迫り深みに気附かされるような作品もある。「親友交歓」のようにユーモラスなものがあれば、「葉桜と桜桃」のようにシンボリックな小説もあり、一方でひたすら内省的な『人間失格』の如きも、かれにはある。
 「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。」(P64)
 「自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の笞を受けるために、うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。」(P97)
 「幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る」(P109)
 思えば津島修治の人生には、太宰治の文学にはたびたび、上に引用したような祈りにも告解にも似た想いが、様々に変奏されてわれらの前に現れていた。時にそれは津島修治と太宰治という2人の人間の間で共有され、また独立したものとなり、或いは引き裂かれるものとなった。
 『人間失格』は件の想いが最も純化、結晶したものである。そうして津島修治と太宰治はこの1作を以てようやく、完全に一体化した──人間は太宰文学の総決算であるばかりでなく、人生の〆括りの瞬間が目と鼻の先で待ち構えていてもう避けられないところに自分がいることをあきらかに悟った人の、告解録(敢えて「遺書」という言葉は用いまい)として成った、古今に類無き巨編である。そんな風にわたくしには映るのだ。
 「いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。」(P149)
 ──次の『ヴィヨンの妻』で最後になります。◆

 ※『太宰治全集』別巻(筑摩書房 1992/4)の「著作年表」「年譜」に従えば、生涯最後の完成作たる短編「桜桃」は昭和23年2月下旬頃に脱稿(三鷹市下連雀の仕事部屋で?)、長編「グッド・バイ」は5月15日に第1回を起稿して6月4日頃に第13回分までを脱稿(未完)。
 随筆「如是我聞」は2月27日に第1回を脱稿、第4回の口述筆記を6月4日から5日にかけて、『新潮』誌編輯記者野平健一相手に完成させる(未完)。「如是我聞」は1年間連載する希望を太宰自ら伝えて書かれ、『新潮』誌に3月号から7月号まで掲載された(4月号は休載)。□

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第2887日目 〈太宰治の晩年作品を読み直すプロジェクトの第1回;『斜陽』〉 [日々の思い・独り言]

「里見八犬伝は、立派な古典ですね。日本的ロマンの、」鼻祖と言いかけて、熊本君のいまの憂鬱要因に気がつき、「元祖ですね。」と言い直した。
 熊本君は、救われた様子であった。急にまた、すまし返って、
「たしかに、そんなところもありますね。」赤い唇を、きゅっと引き締めた。「僕は最近また、ぼちぼち読み直してみているんですけれども。」
「へへ、」佐伯は、机の傍にごろりと仰向きに寝ころび、へんな笑いかたをした。「君は、どうしてそんな、ぼちぼち読み直しているなんて嘘ばかり言うんだね? いつでも、必ずそう言うじゃないか。読みはじめた、と言ったっていいと思うがね。」
「軽蔑し給うな。」と再び熊本君は、その紳士的な上品な言葉を、まえよりいくぶん高い声で言って抗議したのであるが、顔は、ほとんど泣いていた。
太宰治「乞食学生」 『新ハムレット』新潮文庫 P141


 最後に残していた『グッド・バイ』をゆっくり読み進めながら、いつしか10年前に読んだきりな後期の、晩年の諸作を再読する希望を持つようになっていた。そのまま未読のドストエフスキー作品へ移るつもりが、相も変わらず太宰を読んでいるのは、件の希望を実行中だからに他ならない。
 『斜陽』と『人間失格』、短編集『ヴィヨンの妻』(最後に置かれたのは絶筆「桜桃」)の順番。そうしてそんなに長くない感想を以下に並べてゆこう。

 10年前に抱いた感想は、もう覚えていない。漠としたものも、或いはその欠片すら。今回は1日で読み切ったわけだけれど、当時よりずっと胸に刻まれた作品となったことは間違いない。
 没落華族の悲哀と新時代の新しい価値観が同居した作品であるのは発表当時(昭和22/1947年)からいわれ続けて、今日でもなお常套句というか枕詞のようにくっ付いて語られることが多い『斜陽』だが、そうした一面があるのは勿論として今回読み直してみるとやはりこれは<母と娘の物語>であり、<女の情念の物語>である、と再認識せざるを得ない。そうしてそれは見事に作品全体の、前半と後半に分けられる。
 <母と娘の物語>としては、特にわたくしは文中のそこかしこに痛々しいものを感じてしまう。それがとどのつまり、母を想う子供の話であるからだ。母に甲斐甲斐しく尽くしているのに、他の兄弟が大切、頼りにしている、と知るや感情の押さえどころなく慟哭してしまう子供の話と思うためである。主人公かず子の置かれた状況はそのまんま、いまのわたくしが身を沈める環境に等しい。
 病気を抱えている母、その死の影にかず子もわたくしも怯えている。ああ、われらは親を、いたわらねばならぬ。能う限りに於いて心労を感じさせてはならない。心配事を増やしたり、心痛に顔色を暗くさせてはならない。生活の、お金の心配をさせては駄目だ。孝行しなくてはならぬ。死が家族を分かつまで、母には心配も苦労もさせることなくただ穏やかに、悲しみや不安の影さすことなく暮らしてほしい。ただそのことだけを子供は願い、祈り、母を安心させるために健全に生きようと思う。が、──
 けっきょく子供は子供以外の何者でもなく。かりに家庭を持って独立していても血がそのことを忘れさせることはなく、子供はいつまでも母に甘えて自分を押し通し、無下に扱われると頬ふくらませ駄々こねて不機嫌を露わにする。子供はいつまで経っても子供である。
 そんな自分を反省し、悔恨するのが、かず子だ。そうして母在りし間はどこか浮世離れ、というか足許危なっかしげでフワフワした言動があったけれど、<最後の貴婦人>と綽名された母逝去後は、特に上原に対してアグレッシヴな行動に出、遂にはその子を宿し、この子がいれば私はじゅうぶん、とまで述懐するに至るのだ。頼る者、支えとする者を失った女性は得てして逞しくなる。かず子はまさにそれを地でゆく存在だった。『斜陽』という作品から悲しみや不安という感情の密度が薄まり、ともすれば恐ろしささえ感じる<女の情念の物語>へ変化するのは、だいたいこのあたりからである。まさに、戦闘開始、である。
 が、それは当初より太宰の構想のうちにあったものではなく、外的要因によって変化した部分もあったようだ。「戦闘、開始」てふこれまでのかず子からは思いもよらぬ覚悟の独白に始まる第6章。ここに、かず子が上京して鍾愛の作家上原を、馴染みの居酒屋を探し当てて訪ねる場面がある。この場面というのはデフォルメされているとはいえ実は、太宰の実体験に基づく場面でもあるそうだ。新潮社に籍を置き太宰と面識、親交あった野原一夫に拠れば、この場面に於けるかず子は太田静子であり、懐妊の出来事に至るまで彼女の姿をトレースしたものである由。
 もともと『斜陽』が太田静子の日記を元ネタにしていて、その日記も日を書き継いで成る普通の意味での日記ではなく、終戦の年に逝った母の思い出を綴った回想録のようなものだった(そも日記を書くよう促したのも太宰だったという)。その日記を昭和22年1月に借覧、翌月には借り出して、沼津市内浦の安田屋旅館の駿河湾を望む新館2階の部屋で『斜陽』の第2章まで書き進めた。その年の12月、静子は娘、治子を産み、太宰はそれを認知した。デフォルメされた形であるとはいえ、『斜陽』は太田静子との交際なくしてけっして生み出されることなかった太宰のみならず戦後文学の代表作である、というて過ぎはしないだろう。
 なお、前述の第6章ではかず子が居酒屋の女主人ともう1人の女性と3人でうどんを食べる場面があるのだが、静子の日記や野原の前掲著書に拠るとこの「もう1人の女性」というのは、太宰情死の相手となった山崎富栄であった。太田静子の日記はともかく野原の著書『回想 太宰治』(新潮文庫)についてはまた別の機会に紹介したい。
 さて。
 チェーホフ『桜の園』同様、没落華族の悲哀と憂鬱をたっぷりとした筆致で綴られた『斜陽』であるけれど、これはおそらく当時の現役作家のうちでも太宰治にしか書けなかった題材であるかもしれない。チェーホフ然りだが、太宰もかつての富裕層、名門と呼ばれて敬われた階級が社会が根本から引っ繰り返ったことで没落の一途を辿らざるを得なくなってゆく様をその目でしかと見、肌で感じて魂を揺すぶられ、嗚呼、と嗟嘆するのを否めぬ立場の者であった。実家、金木の津島家は相当な痛手を被った様子。それは、<没落><斜陽>と形容するにじゅうぶんすぎる程の出来事であった。こんないい方が妥当かわからないけれど、かれは没落階層のなかに身を置いて、およそあらゆる意味での変化、展観を目撃したのである。そんな人物の職業が小説家となれば、戦後日本の象徴的出来事の1つであった有産階級の斜陽をテーマに据えた小説を物すことになるのは、必定としか言い様がないだろう。
 『斜陽』は昭和22(1947)年3月から6月にかけて執筆、『新潮』同年7月号から10月号まで連載された後、12月に単行本として刊行された。
 ──短く済まそう、その決心は空しく消えた。反省のひと言、無能てふ自分への蔑みの台詞のみ。まだ少々いい足りぬところはあるが──かず子の弟直治のこと、上原のこと、M.C、かず子たちの転居先となった山荘の在処、革命のこと、etc.etc.──、「どうしてもこれだけは」というところは述べ尽くした気もするので、本稿これにて筆を擱きましょう。
 次は、『人間失格』ですね。(to be continued,)□

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第2886日目 〈太宰治『グッド・バイ』を読みました。with新潮文庫版作品集全冊読了の報告。〉 [日々の思い・独り言]

 「実に悪い時代であった。その期間に、愛情の問題だの、信仰だの、芸術だのと言って、自分の旗を守り通すのは、実に至難の事業であった。」(「十五年間」 新潮文庫『グッド・バイ』P60)
 ──この新潮文庫版『グッド・バイ』は戦後に発表された短編を収めた1冊であります。
 戦争、空襲、そうして敗戦の記憶がこびりついている時代の作品ということで、本書収録の諸編にもそれらは影を落としています。発表年代の早い作品には戦時中の不安や苦労が、生々しく刻みこまれました(「薄明」「たずねびと」「十五年間」)。それが、国が復興の兆しを見せ始めると、あかるさや華やぎ、やさぐれた雰囲気を映した作品が取って代わるようになります(「春の枯葉」「メリイクリスマス」「饗応夫人」「女類」)。まこと、小説は時代を映す鏡であります。太宰に限らずこの時代を経験した小説家はその後、自分の経験や見聞した作品を少なからず残しています。
 「十五年間」という短編があります。「東京八景」の補巻と続きですが、この「十五年間」、読み進むにつれてひどく背筋を伸ばさせられてゆく作品です。奥野健男は本作を指して、自己を語るに性急すぎて底の浅い感じがしなくもない(P392)、と評しますが、イヤイヤ、そんなことはない。饒舌かもしれないけれど、これがそれぞれの事象に対する太宰の主張であります。踏み潰されても侮蔑されても立ちあがる、魂の強者・太宰治の絶唱、糾弾と訴えの声であります。
 戦後一年経たずして太宰はよくこんな逞しくて厳しく精神を律した一作を書いた。戦前戦中戦後を通して、ただの一度も筋を曲げることなく、本当にこの時代にあって殆ど唯一の、気骨ある人であった。誰だ、太宰文学を青春の麻疹と十把一絡げにまとめ、作者を指して青白くてナマッチイ輩と申すは。
 これは「十五年間」を読了してページの余白へ書きつけた感想ですが、表現に一部改めた方が良いかと思うところありと雖も内容について発言を変える部分はまったくありません。
 太宰畢生の大作、『人間失格』は死の年、即ち昭和23(1948)年3月から5月12日にかけて執筆、入水自殺の前後に雑誌分載されました。その頃にやはり執筆、発表されたのが、本文庫の最後に置かれた「渡り鳥」と「グッド・バイ」であります。
 この2作にはこれまでの太宰文学に、まるでゴーストのように取り憑いていた宿命的な暗さや彼岸へのほのかな憧憬というべきものがありません。呪縛を断ち切って自在に魂を羽ばたかせて、どこまでも思うがままに紺碧の空を飛びまわって太陽の陽射しをたっぷり浴びたかの如き、突き抜けたあかるさと健康的な笑いを感じさせてくれるものがあるのです。
 これはもしかすると、あの世をまぢかに見てしまった者ならではの達観や諦念、或いは一切空の境地に辿り着いた者だけが書くことを許された、もはや<神品>としか言い様のないものであります。行間から滲み出るあかるさやあたたかさというのは、逆説的にはなりますが、案外とそんなところから生まれてくるのかもしれません。
 「渡り鳥」(『群像』昭和23年4月号)は、編集者をしている男の目を通して、文壇・ジャーナリズムに寄生する衆の生態を暴いた、キレ味のみごとな作品。このなかで太宰は、文芸の本質について自ら思うところを余すところなく、ざっくばらんな調子で語り倒しております。わたくしはこれを読みながらフト、落語家の高座に触れる思いでした。「渡り鳥」というこの短編そのものが、落語の速記本のようでもあるからでしょうか。が、それ以上に全体の結構に落語の諸演目と共通するのを感じるのです。是非にも上手の噺家によって朗読されるのを期待したい気持ちに襲われたことを、序に告白しておきます。
 そうして未完の傑作、「グッド・バイ」。朝日新聞のために用意されていた13回分を以て中断となった、太宰治の白鳥の歌、そうして唯一無二の新ジャンルの開拓を予告していた作品であります。どのようにいうてもキリがないので、新潮文庫の余白へ認めた感想を引いて、お茶濁しとさせてください。これまで述べたことと重複する部分もありますが、その辺はお目こぼしの程願いたく存じます。曰く、──
 「なんて事! 続きが読みたい。是程続きを渇望し、未完なるを惜しむ小説はなかった。このあとケイ子との離別話はどんな風になるか、兄者はどう絡んでくるのか。田島が最後の切り札と恃むキヌ子の怪力は揮われるのか。未完なればこそ様々妄想もふくらむが、かというて漱石の如く誰かが続きを書いたら複雑な心境となるらむ。オレガ読ミタイノハ、コンナモノデハナイ、ってね。
 ──底抜けのあかるさ、ほがらかさを備えた、新しい太宰文学の誕生を予告して去ったのが、この「グッド・バイ」。これまで読んできたどの作品よりも自由闊達、ユーモアと躍動感に満ちあふれた、唯純粋に「面白い!」と膝を叩いて笑い転げたい一品。太宰が最後に斯様な上質の喜劇(でも少しく影のある)小説を遺してくれたのは、幸い事でありました。以上全冊読了。」
──と。
 ここに言い足すことは、なにもありません。敢えて一言申しあげるなら、「思い出」から「グッド・バイ」へ至るまでの巻、太宰の創作活動が刹那の停滞こそあれただの一度も後退なぞなく、最後の最後まで大車輪で前進猛進を続けて止むことのなかったことでありましょうか。今更わたくしの指摘するところではないけれど、その遺産の過半を読み通したいまだからこそ実感できるのであります。

 えぇと、既にあちこちで呟いたり喚いたりしていたことですが、足掛け10年実質1年強を費やして新潮文庫版太宰治作品集全18冊を読み終わりました。2010年5月、『ヴィヨンの妻』に始まり同年10月、『新樹の言葉』を第一期として、次は昨2019年6月、『晩年』で再開して今年4月24日、『グッド・バイ』の読了を以て第二期とす。
 毎日毎時、読書に耽っていられる環境にあれば話は別だが、完治不能の読書浮気症患者ゆえ、飽きたら他へ手を移し、そのままどんどんランデブーの相手を変えて時ばかりが過ぎてゆく。ふとした拍子に「あいつ、いまどうしているかな?」的に意識へ上ることはあれど、かというて浮気症完治に努めておとなしくするわけでもない。気附けば長い時間が経ってしまった。でも、離れた心を再び呼び戻し、夢中にさせて抵抗させないだけの<力>を太宰治は、かれの文学は備えていることを、このたびわたくしは身を以て経験した。この実感、短期決戦の可能な人にはけっして持てまい。
 そう強がりいうて、弱々しく呵々と笑い、『ヴィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』を夏までに読み直してしまおう、とぼんやり考えながら、本稿めでたく擱筆。次に読む作家のイニシャルも、D。◆

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