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第2800日目 〈埋もれるを潔しとしなかった劇作家、池田大伍。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日書いたことに自ら影響されたか、また図書館へ出向いて池田大伍の戯曲が載った本を借りてきた。一緒に、どうやらずいぶんと前に処分してしまっていたらしい『元曲五種』も。
 図書館が蔵する大伍の作品集は、いずれも戦前戦中の出版物のため禁帯出扱いで、書庫から出してもらって閲覧するが精々だった。昭和17年11月刊『池田大伍戯曲選集』(武蔵書房)を兎にも角にも書庫出納してもらい、半日を費やしてざっと一読。専ら時代物に編を絞った1冊ゆえ斯く思うは当たり前かもしれぬが、登場人物は端役に至るまで瑞々しく描かれてその台詞もなかなかに粋で、読むだけでこうまで面白く、ページを繰る手の急くのを留めるのもやっとなぐらいだから、実際の舞台へかけられたところを観たらさぞかしさぞかし……と思うのだ。ダメ元で大伍劇の上演が近々あるか、様々な劇場のHPを検めてみたが残念、空振りに終わった。
 正直なところ、同時代を見渡せば岡本綺堂や小山内薫など、劇作のビッグ・ネームが控えて観客を愉しませていた時代の人ゆえ、池田大伍の作品なぞ初演終わりで幾度となく再演を重ねるようなものなど殆どなきに等しいのであろう、そうしてその程度の位置を占める劇作家なのだろう、と高を括っていたのだが、さてさてどうして。読み得た限りでいえば、どうしてこれらが舞台に掛けられないのだろう、と小首を傾げること頻りなぐらい、粋でいなせな、生命力に満ちあふれた作品なのだ。江戸っ子気質あふれる劇曲を書いた人、ともいえるだろう。思うに池田大伍、埋もれるを潔しとしなかった劇作家である。このあたりを梃子にして、池田大伍復権の足掛かりとできそうだ。
 現時点に於いて池田作品の最後の上演は新橋演舞場にて、2012年5月の「五月花形歌舞伎」での「西郷と豚姫」以来途絶えている様子(調査漏れの可能性は勿論、否定できない。識者よりのご報告を待つ)。たとい一部の作品だけであったとしても、然るべき時代に陽の目を見て上演されることは幸福なことである。
 同時代の戯曲作家たちの作物のなかにあって、池田作品がどのような地歩を占め、また群雄割拠する時代にあってかれの作品がどれだけ大衆にウケて、同業者たちから評価されていたか、そういった作家としての池田大伍をもっと知りたくなったのである。
 荷風が作者と一緒に観劇した「名月八幡祭」は幸い、前述の選集に収録されていたので慎重にコピーしてきた。週末、無聊を慰めるのも兼ねて読もうと思い、別に『名作歌舞伎全集』第20巻と第25巻を借りて来た。こちらには「西郷と豚姫」と「男達ばやり」を、利倉幸一の解説附きで収める。
 「名月八幡祭」と『名作歌舞伎全集』の収録作(綺堂作品が4作も入っているの!)を、太宰も荷風も脇に押しやってしばらく読み耽って楽しい時間を過ごすことを糧に、いまはもう休むとします(ここ数日、就寝が明け方なんだ)。◆

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第2799日目 〈池田大伍と永井荷風;荷風が経験した、数少ない濃厚な人間関係。〉 [日々の思い・独り言]

 ぼんやりと秋庭太郎『永井荷風傳』を読んでいて昭和17年の項に入った途端、むくり、と起きあがってその名を思わず確かめ、天井をしばし睨んだことである。そうして『断腸亭日乗』にあたり、ふむ、と頷いた次第。
 池田大伍、本名池田銀次郎というがその名である。劇作家として作品を残し、また『元曲五種』てふ著作が現在でも東洋文庫で購読可能。明治18/1885年9月6日〜昭和17/1942年1月8日、享年57。死因は急性肺炎であったという。
 『断腸亭日乗』昭和17年1月9日条;卓上の新聞を見るに池田大伍君昨日病歿の記事あり。行年五十八と云。余大伍君とは文芸の趣味傾向を同じくせしを以て交最深かりしなり。今突然そのなきを知る。悲しみに堪えざるなり。告別式明後日
 その日の欄外には朱筆で「池田大伍歿」と。
 同年1月11日条;大伍君葬式に行きたしと思ひしが風邪行くこと能はず。
 ……そうか、荷風と池田大伍は交誼を結ぶ仲であったのか。文芸の趣味傾向とは、専ら演劇を中心にいうているのかもしれない。それにしても成る程、自分のなかで両者の結びつきはすこぶる意外であった。もっとも、全集も秋葉の著書も入手して書架に備えるようになったのは今月のことなのだから、仕方ない。
 試みに新版荷風全集第30巻を持ってきて「池田大伍」を検めると、古くは大正8年8月1日に既にその名があり、没した年までコンスタントに登場している。殊大正末期から昭和5年あたりまでは殆どレギュラー・メンバー。『断腸亭日乗』は大正6年9月16日起筆のため、それ以前と思われる2人の出会いについては残念ながら不詳としか言い様がない。ただ年譜や荷風の文章、池田大伍の仕事から推し量るに、二代目市川左團次が仲立ちの役を果たしていたであろうことは、めずらしくWikipediaが正確な情報を提供している。
 わたくしが池田大伍の名を初めて知ったのは、いまを遡ること四半世紀ばかりむかし。三田で国文学を学ぶ傍ら民俗学に秋波を送っていた時分である。要するに、恩師の縁で折口信夫の学統に引っ掛かり、そこから池田彌三郎の著作を神保町の古書店の棚や古書目録で目につく端から買い集めていた頃に池田大伍の名前を知り、そのまま『元曲五種』を購い読むに至ったのだ。
 池田大伍は池田彌三郎の叔父にあたる。池田の実家は銀座で長く営業した天麩羅屋「天金」、三代目池田金太郎は彌三郎の父、大伍の年子の兄だ。池田彌三郎『銀座十二章』(旺文社文庫/朝日文庫)の「天金物語」に拠れば、初代関口金太郎によって屋台から始まった天金はその後現在の和光がある場所に店を構え、明治23年、初代逝去に伴い養子池田鉸三郎が二代目として店を継ぎ、その大伍の兄・彌三郎の父である三代目池田金太郎、彌三郎の兄四代目池田延太郎を経て昭和45/1970年、五代目の時代にその歴史に幕を降ろした。かつての常連客に徳川慶喜がおり、好んでかき揚げを食したという(徳川家に天ぷらって或る意味、鬼門に思うのだけれど)。また、森茉莉も両親(つまり、鴎外夫妻!)に連れられて通った様子。岡本綺堂の随筆にも「天金」の名が出る。
 大伍は劇作家であった。その仕事の全貌はなかなか見えづらく、国立国会図書館に通って著作一覧を作ろうとしたが、諸事あり音をあげて放棄していまに至る。恩師に教えられて『名作歌舞伎全集』第25巻を図書館から借りて『西郷と豚姫』を読んだが、正直なところ、あまり印象に残るようなものではなかった。年末休みに入る前に出掛けて、借り出してみようと思うのだが、さて読後感に変化が生じるか、われながら期待である。
 さて、『断腸亭日乗』に池田大伍が初登場するのは大正8年8月1日、帝国劇場にて尾上菊五郎の『怪談牡丹灯籠』鑑賞の帰途、雨降りのため傘を連ねて帰った、という短かな一文に於いて。この日の鑑賞は、当時荷風がかかわっていた玄文社発行の雑誌『新演藝』観劇合評会のためである。年譜に基づけばこれに先立つ同年6月6日、日本橋若松家にて芝居合評会があり、荷風は大伍と顔を合わせているはずだが、『断腸亭日乗』にはなんの記録もない。さして記すべき印象を持たなかったのかもね。
 荷風が大伍の芝居を鑑賞した最初の記述は、大正10年10月20日条に見られる。曰く、「帝国劇場に往き池田大伍君の傑作名月八幡祭を看る」と。実はこの日も雨だった。まだ途中の読書ゆえ、この後大伍作芝居を荷風がどれだけ鑑賞したかわからないけれど、荷風が友人の作品を評した文章などあれば読んでみたいものである。
 消えては浮かびあがる池田大伍と、荷風はほぼ四半世紀の長きに及ぶ期間、交友を持つに至った。はっきりいって、荷風の性格を考えればこれは驚愕するにじゅうぶん値する事実である。途中で断絶期間があってその後また交友が復活した、というならまだしも(荷風の性格上これも考え難いけれど)、全集の索引を閲してみてもそのような断絶は認められない。平井呈一を信頼して日記の副本の作成を依頼したり、死後の著作管理の一切を任せる、というたのとは別のレヴェルで、荷風が生涯で経験した、数少ない濃厚な人間関係の1つといえるのではないか。それとも若き日に結ばれた交誼は齢重ねた後のそれとは別次元のもの、か。
 考えてみれば、折口信夫と永井荷風は同時代の人であった(荷風が8歳年長)。折口の著作、弟子たちの著作に登場する固有名詞が『断腸亭日乗』に現れたって、ちっともふしぎでない。ただ、池田大伍の名前を秋葉の著書で見掛け、荷風全集を引っ繰り返すまでその事実にまるで気が付かなかったのだ。天金というキーワードで以て更に芋蔓式に繫がっていったとなると、もはや本稿をどう結んでよいか、わからぬ。為、ここで擱筆とする。
 なお、池田彌三郎が叔父・池田大伍に触れた文章は『わが戦後』(牧羊社 昭和52年10月)と『わが町 銀座』(サンケイ出版 昭和53年9月)他に見られる。◆

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第2798日目 〈猪場毅、荷風に絶交されしこと。〉 [日々の思い・独り言]

 来週に刊行が迫った『荷風を盗んだ男 「猪場毅」という波紋』(善渡爾宗衛・杉山淳編 幻戯書房)の予約を先達て済ませたのですが、「通常注文で入ってくる出版社ではないので、もしかすると来年頭の入荷になるかもしれません。それでも宜しいですか?」といわれてしまった。もとより承知、首肯して注文伝票に諸々記入してきました。むかし神保町の某書店でも同じこといわれたなぁ、と、帰途立ち寄ったスタバでぼんやり想いだしたことであります。
 本書は版元の案内文に拠ると、佐藤春夫・永井荷風の当該著作から「来訪者」の木場貞のモデルとなった猪場の肖像を浮かびあがらせる資料集。編者による「解説」が本書刊行の経緯など語ってくれるだろうが、目次を一瞥して個人的に瞠目したのは、生田耕作先生校訂の「四畳半襖の下張」を収めた点だ。
 いま資料が手許にないので正確ではないが、これはたしか、生田先生が晩年、京都の小出版社から刊行した豆本叢書の特別版としてあった1冊でなかったか。存在を知って以来八方手を尽くして捜したが、そのうち日常の些事に紛れていつの間にやら捜索を止めてしまった思い出を伴うこの『四畳半襖の下張』に、このような形であうことになるとは、いやぁまさか夢にも思わなんだ。
 『四畳半襖の下張』−『来訪者』を巡る人間関係はこれまで専ら、(比較的資料にあたりやすかった)平井呈一サイドから考えられること多く、ではもう1人の<来訪者>木場貞こと猪場毅とはどのような人物だったか、てふ疑問へそう簡単に応えてくれる資料は揃っていなかった。わたくしが知り得た限り、猪場毅に触れて色眼鏡で見ることなく書かれたのは、私家版や同人誌等を除けば秋庭太郎の4巻より成る浩瀚な荷風研究書を嚆矢とし、その後は松本哉『永井荷風の東京空間』(河出書房新社 1992・12)がある程度でそのあとに続くものは、殆ど皆無であるまいか。
 猪場毅は俳人富田木歩に弟子入りして「芥子」という号をもらい、また前掲の『荷風を盗んだ男』はその木歩が著した随想「芥子君のこと」をプロローグに収める。俳人として相当に腕を鳴らしたと聞く猪場の新たな一面を知ることができそうだ。
 現在、その猪場の作品集が分厚な1冊にまとまっている。昨年12月に東都我刊我書房から出版された『真間 伊庭心猿作品集』がそれ。伊庭心猿は猪場毅の号の一つ、仏語「意馬心猿」に因んでいる。
 さてこの1冊、なにぶん高価であるゆえ未入手、内容の点検も当然できていないのだけれど、ここには伊庭の俳句や随筆等がどれだけ収められているのだろう。松本が報告しているハガキ大サイズの小冊子『絵入 墨東今昔』も全編が収められていることは、期待して良いのだろう。なにしろ総ページ数、384ページである。逆に収録されていなかったら、中指立てて汚い四文字言葉を叫びたいところだ。
 平井呈一がそうであったように、猪場についても荷風は日記『断腸亭日乗』に記し、出会いから蜜月、そうして破局に至るまでをつぶさに追うことが可能である。猪場毅については『真間』と『荷風を盗んだ男』を読んだあとつらつら考えてみることにするが、絶縁の決定打になったのは、『下谷叢話』の版権問題であったという。
 『下谷叢話』は私淑する森鴎外の史伝に触発されて、外祖父である儒者、鷲津毅堂とその縁に列なる大沼枕山の事績を調べあげて書かれた好著だ。これは幾度かの、丹念に追うと時にこんぐらかるような改訂を経て、いまでは岩波文庫で手軽に読めるようになった。改訂と出版の歴史は成瀬哲生の解説に詳しいが、猪場毅はいったいどこで、どのように絡んでくるか。
 猪場毅は東京日本橋浜町の産、幼くして母に死に別れてからは、「孤独の父と共に隅田川を遡り居所を転々とし、……母方の親戚をたより現在の紀伊に移り申し候」という。これは『断腸亭日乗』に書き写された猪場毅からの手紙の一節である。その後、上京して荷風に親近して浅草遊びなどに付き合い、やがて冨山房に入社。ここでお待たせ、『下谷叢話』の登場だ。
 『下谷叢話』は大正15/1926年3月、春陽堂から開版せられたのが世に出た最初である。その後披見し得た資料によって遺漏多く、改訂の必要を感じた荷風はさっそく手を入れ始めて昭和13/1938年11月、<冨山房百科文庫>の一として『改訂 下谷叢話』の刊行にこぎ着けた。
 その後、──昭和25/1950年8月刊中央公論社版『荷風全集』第13巻所収『下谷叢話』は、全集収録にあたり荷風が生前最後に補筆修訂したヴァージョンを底本に採用(その更なる底本は冨山房版と見てまず間違いないだろう)、昭和38/1963年11月刊の岩波書店版第一次全集第15巻では中央公論社版を底本とし、平成の世になって新たな編集方針の下刊行された最新の『荷風全集』は件の冨山房版を底本に採った。なお、岩波文庫が底本に仰いだのは、第一次全集即ち中央公論社版。荷風の補筆改修が入った最後の、謂わば著者の意思が最終的に反映された手沢本である。
 では、猪場毅に話を戻そう。
 最前、『下谷叢話』の版権問題が、荷風と猪場毅の絶縁の決定打となった旨申しあげた。事情は詳らかでないが、それは昭和15/1940年07月13日(土)の『断腸亭日乗』に記された、「冨山房書店不正の事」てふ一文に詳しい。要約すれば、こういうところである、──
 冨山房は社員の猪場を遣わして『下谷叢話』他一著を合本にして出版する事を提案、自分はこれを認めたが、猪場は他出版社の例に倣い特に出版契約書の類は作成しない、といった。昭和14年に出版された『下谷叢話』だが、冨山房は猪場解雇後に出版契約書を送り来たった。その条文に曰く、向こう15年間は同書の他社からの刊行並びに全集編入を認めない、と。
 荷風、これに激して書くは以下の通り──「冨山房は始より其版権を横領する目的を以て余の許に店員猪場を遣せしものなるや明なり。猪場はこの事を承知の上にてなせしものなれば其行為は詐欺なり。冨山房出版部と彼との間には利益分配の黙契ありしや亦疑を入るゝに及ばず」(第一次全集第23巻P50 昭和38/1963年3月)と。このあとは猪場への人身攻撃の体を為すが、谷崎潤一郎と佐藤春夫の許には既に出入りを禁じられている旨報告されている(いみじくも戦後、平井呈一が幸田露伴の許を訪ねたら途端に「帰れっ!」と罵倒、追い返されたという挿話が思い出されることである)。
 また、秋庭太郎『考證永井荷風』は「『下谷叢話』版権問題の故を以て、荷風は弁護士の意見を問ひ、その結果、荷風は猪場宛に絶交状を郵送した」(P537 岩波書店 昭和41/1966年9月)と書く。
 この件に関しては荷風の報告を見るだけなので、裏附けになる資料或いは逆に「否」を呈す資料を披見し得ないのが残念だが、これは後日の宿題としたい。それとも、『真間』と『荷風を盗んだ男』ではこのあたりの事情が説明されていたり、或いは猪場自身の筆で語られているのだろうか。嗚呼、前者については早急に入手の要ありとわかってはいる、わかってはいるのだが……っ!!
 「来訪者」や『断腸亭日乗』から浮かびあがる猪場毅は殆ど極悪人である。触れるモノ触るモノことごとくに悪感情を抱かせる、そういう星の下に生まれついたとしか言い様のない人物である。秋庭『永井荷風傳』(春陽堂書店 昭和51/1976年1月)が伝えるところでは、『樋口一葉全集』並びに『一葉に與へた手紙』編集に際して、和田芳恵が複雑な心境を綴った文章が紹介されている。編集者としての才覚を高く評価した上で和田の曰く、「世の中を猪場は甘くみたようである」(P444)と。
 が、家庭人としてはまた別の顔だった様子で、養嗣子清彦が秋庭太郎に宛てた書簡は言外にそれを窺わせる節が見て取れる。社会人としての顔と家庭人としての顔がまるで違う男なぞ掃いて捨てる程いることは、男性諸氏なら覚えもあるだろう。むろん、清彦氏も荷風との一件、文豪たちとの間に生じたトラブルについて仄聞するところは多々あったろう。とはいえ、毅に対して含むところはなかったはずだ。そうでなければ、「どうか事実のまゝの父の像をお書き下さい」(P446)なんて台詞は出るまい。
 猪場毅の著書は前述『絵入 墨東今昔』の他、『心猿句抄やかなぐさ』や『絵入 東京絵ごのみ』などがある由。
 その猪場は荷風に先立つこと2年前、昭和32/1957年2月25日に千葉県市川市真間の自宅にて逝去した。享年51。『断腸亭日乗』にその報はない。亡くなる直前まで書かれた日記と雖もその頃は既に天候と来客、食事のこと程度しか記していないため、荷風がかつて交を結んだ猪場の逝去を知っていてなお記録しなかったか、知らぬまま幽冥の人となったか、定かでない。資料にざっと目を通したに過ぎぬところもあるので、もうすこし調べてみる必要があろう。
 荷風生誕140年・没60年のメモリアル・イヤーに『真間』と『荷風を盗んだ男』の刊行さることで(とはいえ、『真間』はちょうど1年前の出版だが)、荷風の交友に於いて殆ど未開の地であった猪場毅の像がようやくわれらの前に立ち現れる。これによって今後、荷風研究がどのような方向を目指すのか、見守りたい。◆

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第2797日目 〈Twitterの義理「いいね!」、やめませんか?〉 [日々の思い・独り言]

 表題の通りですが、下記に補足を。補足という割には長いけれど。
 未フォローの人のツイートも、タイムラインには流れてくる。フォロワーがリツイート或いは「いいね!」するので、1日放置するとけっこうな量のツイートがTLを占めている。まぁ、どんだけ大量の人がTwitterを使用しているか、証明している事象といえましょう。
 では、本題。
 TLで見掛けたツイートになにかしらのリアクションをすると、遅かれ早かれその人から、こちらが投稿したものに対して「いいね!」が来る。嬉しいといえば嬉しい。
 が、それが最新の投稿についての「いいね!」なので、「ツイートへ反応してくれたお礼に、こちらの投稿のうちいちばん上にあるツイートに「いいね!」してくれた(だけ)のだな」と、淋しいとも侘しいとも、もしくは嘆きとも受け取れる溜め息を吐くのが常である。その投稿についての興味ゆえ「いいね!」したのではないのは、はっきりしているから。
 営業ならともかく、たいして気にも留めていないツイートへリアクションするのは、どうしてだ。 相手のタイムライン遡るのが面倒だから、目についたいちばん上の投稿に反応返しているだけでしょ? はたして胸を張って「否」といえる人が、どれだけいるか。
 要するに、あなたのそれって義理の「いいね!」だよね。
 その行動を促す衝動は、なにに起因するのか。せっかく「いいね!」してくれたのだから、あなたのツイートにもなにかしらの対応を示すのが誠意だと思ってます、と? それは違う。誠意でもなんでもない。ただの演出だ。
 さっぱりわけがわからない。わたくしは義理で「いいね!」したことがいちどもない。それともTwitter界隈で斯様な<義理>は、常識であったのか?
 フォローしている人からの「いいね!」、本当に読んでくれた未知の方からの「いいね!」、これは本心から嬉しい。やった、と意味もなく拳を握りしめて、ガッツ・ポーズしたくなる。後者の場合、それが契機でフォローしてくださる方が多数なので、なおさら嬉しい。でも、明らかにわかる義理の「いいね!」となれば、話は別だ。
 わたくしの「いいね!」基準は、こうだ。読書アカウントの場合は、自分も読んで気にかけた本、作家を取り挙げていれば、投稿内容を読んだ上で「いいね!」する。読書アカウント以外でも、殆ど基準は変わらない。関心ある内容、興味ある内容、大いに首肯できる内容、ちょっと心があたたかくなる内容、あまりに痛ましき出来事へ触れたツイート、リツイートすることでより多くの人の目に触れることを願うツイート、などなど。こうしたこと以外で「いいね!」したり、リツイートしたりしていたら、それは懸賞絡みの内容でありますな。
 フォロワーさんが10,000人を超えました! 今日中に10,000人超え目指したいのでご協力お願いします! ──こうした報告宣伝ツイートを見るたび、フォロワーの数を無尽蔵に増やしてなにを目指しているんだろう、と疑問に思う。
 どれだけフォロワー数が多くても、過半が幽霊ではねぇ。唯一有益であるのは、自分のツイートがよりたくさんの人の目に触れる、という点でのみでしょうな。呵々。
 ちょっとあなたの義理「いいね!」、その行為を考え直してみては?◆

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第2796日目 〈「やっぱり冬は明け方よ!」 同感です。〉 [日々の思い・独り言]

 まだ星は空にあって、凜と輝いている。吐く息は白い。手袋をわすれた手をコートのポケットにつっこみ、猫背ぎみで駅への道を急ぐ。──地下鉄の階段をのぼって地上に出ると、お天道様は東の空にすっかりのぼり、銀座の歩道は通勤姿の人でいっぱいだ。しかし、肌をさす空気のつめたさは、あいかわらず。目が覚め、意識も体もシャキッ、とする。そんな毎冬のルーティンの最中にてかならずというてよい程頭に思い浮かぶは、あの言葉以外になにがあろう、──
 「冬はやっぱり明け方に限るわよねっ!」
 咨これを知らぬものがあろうか、王朝時代きっての才媛、清少納言のこの言葉を?
 冬はつとめて。けだし卓見である。動乱の時代であろうと、泰平の時代であろうと、それは21世紀のいま、平成から令和に改元されたこんにちでも、変わるところはない。
 ところで、『枕草子』初段ではそのあと、どのように続くだろう。「春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて」で一括りにしていると、それに続く清少納言の本懐はわすれてしまいがちだ。わたくしも全文を正しく覚えているわけではないけれど、思い出せるところを書いてみよう。ただいま東銀座なう、手許にテキストがないのでね。──インターネット? それに頼るは負けであります、と、なぜわからぬか。
 話がそれた。元へ戻そう。清少納言女史、冬を語りて曰く、「冬の早朝ってあわただしい。女御がしゃかりきになって炭を熾し、火鉢をあちらの部屋こちらの部屋へと運ぶの。その時間帯はとっても寒いから、この仕事はテキパキこなさないとならないわけ。でも日がのぼるにつれてあたたかくなってくると、火鉢の炭はくたっとしてしまい、わたしたちも早朝の無駄のない動きはどこへやら。やっぱりくたっとして、だらけてしまうの。なんか気に喰わない」と。
 清少納言はかわいらしい。文学史に名を留めた女流のなかで三本指に入るかわいらしさだ。かしこさといじらしさが同居し、才智にあふれ、人の縁にめぐまれてそれを大切にした女性である。すべて中宮定子のサロンなくしては花開き、認められなかったであろうことだ。もし清少納言が定子に使えることなかりせば、われらは『枕草子』という随筆文学の傑作に親しむことはできなかったに相違ない。
 早朝の、心身を鍛えて活発にさせる、あの峻厳な空気のつめたさは、もうすっかりゆるんだいま、午前09時03分。火鉢の炭の如く、後宮の女御たちの如く、くたっ、として、だらけてしまう、と清少納言がいうたのは、だいたいいまぐらいの時刻のことか。正直なところ、頭の回転は鈍り、本稿の筆の運びも停まりがちだ。くたっ、とだらけてしまうた結果である。この状態をさして清少納言は「気に喰わない」というか。となればわたくしも、「スミマセン」と殊勝に頭をさげて、その後はしばらく女史のご機嫌伺いに勤しむつもりだが──それも悪くない、ワネ。ぐふふ。◆

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第2795日目2/2 〈またしてもやってくれたね、SSブログ?〉 [日々の思い・独り言]

 読者諸兄に一言、お詫び申しあげます。
 本日午前2時より公開の「第2795日目1/2 〈などてわたくしは単行本派となりしか。〉」の閲覧に、支障が生じております。
 改行がきちんとなされておらず、第3段落以後はすべて1つの段落にまとまってしまうという、忘れた頃にやって来るSSブログ(旧:So-netブログ)の珍事件。過去にも何度か同様のケースがあり、その都度運営元に質問のメールを投げているのだが、今日に至るまで唯の1度も返事はない。6年の間に唯の1度も、というのはどれだけSo-netが、いまはSONYが自社運営のブログを等閑視しているかの良き証拠といえましょう。
 「よくある質問」やウェブの検索結果のレイアウト崩れに対する対処方法は、試してみてもなんの解決にもならなかった。「新たに編集したときに、レイアウト崩れが生じるケースがあります」だって? そんな久しぶりに投稿するような人を想定したって、意味ないだろう。毎日更新している人をこそ対象にした回答を載せてほしいよ。SONYの衆楽は技術やハード面に原因があるのではない。ソフト即ち人とCS対応の無様さが原因だ。So-netのなかにいた者として、心底からそう思う。
 さて、というわけでどうあってもレイアウト崩れは解消しようがないので、この日のブログはこのまま放置。責任はブログ運営元にある。SONYの株、売却しようかな。
 この対応の杜撰ささえなければ、可もなく不可もないブログなので、ずっと使い続けたいのですけれどねぇ。◆

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第2795日目1/2 〈などてわたくしは単行本派となりしか。〉 [日々の思い・独り言]

 本屋さんでふとした拍子に目が留まり、手にした1冊が心へ響いたのをきっかけに、その人の他の本も読んでみる。いつしかその作家は自分のなかで重要な位置を占めるようになり、生涯付き合うも辞さぬぐらい鍾愛の存在となる。
 大概の場合、そのきっかけは文庫が演じる。それからは過去に出版された本、好きになってから出版された本を追いかけてゆく。学生だった人は社会人になる。社会人だった人は昇格昇給や転職を経験する。一時的であっても可処分所得が増えるにあたって、それまで文庫一辺倒だったのが単行本に手を出せるようになった。喜ばしいことである。
 あなたが新刊書店で好きな現役作家の本を買うことは即ち、その作家が「今後も作品を書き続けられますように」という祈りに等しい。出版社では、その作家の本を出すことで利益が発生する=初版部数のすべてを捌くことはできないまでも、確実に購入する層がいることが数字で可視化できる=次の本の出版を打診する、てふサイクルが生じる。これが円滑に、継続的に回るようになれば、まさしくだ。  好きになったら──否、毒を喰らわば皿まで、という言葉を体現するかの如く、その作家の初版本や署名本、限定本、版元違いなど生活事情と懐事情の許す範囲で、買い集める人が出てくる。コレクターの領域に達するかはともかく、偶然の出会いを運命と感じて、「わたくしのところにいらっしゃい。悪いようにはしませんよ」と胸のうちで呟きながら、慈しむような眼差しで本をレジへ運ぶ……が、きっとかれは気が付いていない。その目はまさしく猟奇の人のそれであり、口角の上がり具合は周囲の人を引かせる程で。  堀北真希曰く、好きな作品は文庫でも単行本でも持っていたい、と。よくわかる。涙が出る程、共感できる。その言葉に出会う、はるか以前から実行していた身には、あたかも百万の援軍を得たかのような福音であった。ドイルを読み耽った高校時代、乗換駅にある大型書店の洋書売り場でペーパーバックを買ったのも、とどのつまりは同じことである。おかげで英語の長文に対する免疫はできたし、辞書をこまめに引く癖もついた。小説の背景にあるヴィクトリア朝に興味を持って、図書館にこもったりもした。かというて英語の成績が極めて優れたものになったか、といえば、それは別の問題だ。難しいね、このあたりの関係は。  では、近代文学の場合はどうなるか。初版本を狙うが常道、されど蛇の道は蛇である。いちど足を踏み入れたら完治不能の古本病に罹るは必至。罹患しているわたくしがいうのだから、間違いない。読者諸兄よ、安心してこちら側へくるといい。さあ、遠慮はいらない。  まぁ、それは冗談として、初版本を購う程資力のない場合は、復刻本がオススメだ。復刻本には復刻本の良さがある。なんというても、当時の読者がどのようなフォーマットで、どのような閑職をてに感じながら、それを読んでいたか。それを想像する余地がじゅうぶんにある。  わたくしが初めて買った復刻本は、荷風『すみだ川』。函入りのはずがそれのない、いわゆる裸本であるが、当時はそれで満足だった。荷風作品のなかではお気に入りの作品の一つであったがゆえに。その後、室生犀星や田山花袋、佐藤紅緑や佐々木邦の復刻本を折に触れて買い集め、気が向いたときに読んでいる。  そうして昨年から朧ろ気に気が付いていたことを、ここで告白したい。復刻本や単行本で好きな作家の本を読むことの、最大級のメリットを。  かつて渡部昇一『続 知的生活の方法』(講談社現代新書 1979・4)を読んだときは、実感としてわかるところのすくなかった点だが──質の良い本を買え、という項でいみじくもこういうのだ。これから先、どれだけの本が読めるかと考えた場合「安い本をたくさん買うよりも、少し高くても活字の大きい本とか、装丁の趣味のよい本とか、挿絵のよい本とかを買ったほうがよいと考えるようになる」(P51)と。続けて、渡部はいう。曰く、「年を取るととくに字の細かいのは読むのが辛い」と……そうなんだよ! いまにしてこれを実感できるようになったのだ。ちなみに渡部が本書を書いたのは、いまのわたくしと同じ年齢である様子。  そう、けっきょくは視力なのだ。メガネの度数がだんだん合わなくなってきているのに加えて、或いはパソコン仕事がウェイトを占めているので、休憩を取ってもモニターとにらめっこすることに変わりはない事情がそれに拍車を掛ける。  わたくしが単行本のみならず、初版本や復刻本、全集にちかごろ力を注ぎ始めたのは、むろん可処分所得の幾許かをそちらの購入に避けるようになったことと、活字の大きさと版面の余裕に読みやすさを感じたからだ。最近は文庫は通勤用に携帯するケースがしばしばで、家にいるときはなるべく読みやすい単行本等で読書に励んでいる(それでもハズキルーペは手放せないときあり)。  復刻本と全集、次は太宰治と夏目漱石、幸田露伴、泉鏡花を迎え入れたいものであります。◆

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第2794日目 〈焼けぼっくいに火がついた;三島由紀夫を猟書するであろう来年。〉 [日々の思い・独り言]

 周期的に読みたくなる作家はどうやら誰にでもあるようで、1年ぶりに再会した元同僚は煙草の煙を宙に見送りながら、自分はコリン・デクスターと鮎川哲也っすね、といった。ロジックを尊ぶかれらしい発言である。
 人間の細胞は7年周期で入れ替わる。国書刊行会から出ていた『ウィアード・テールズ』全5巻のうち第何巻であったか、E・ホフマン・プライスが往時を回想したエッセイのなかと思う。巡り巡って再びそこへ立ち帰る、という意味ならば、成る程こちらも納得のゆくところ大いにある。
 ちかごろ無性に読みたくて溜まらなくなっているのは、おなじみ永井荷風ともう1人、三島由紀夫だ。高校時代に狂的なまでに熱中して、その後クラシック音楽のLP購入の資とされた、三島由紀夫。わずか数日ながら同じ世に生きたかれの作品によって、わたくしは<文学>の森に足を踏み入れた。そのまま勝手気儘にこの森を歩いて数十年になろうとしている。
 新潮文庫と中公文庫を中心とした三島作品の他、自決に触発されて数々出版された三島特集雑誌や単行本・新書など、学生時代に買い集めた三島本はむろん、これという価値を持たぬありふれたものであったり、古本屋の棚の隅っこで埃をかぶっているような代物ばかりである。つまり、学生の自由になるお金で買い集められるぐらい安価なものばかり拾い集めてきたわけ。それが為に数だけはあったのだ。
 当時蔵していたものはただ4冊の例外を除いて、綺麗さっぱり売り払った。古本屋から帰ったあと、空っぽになった本棚をみてどんな思いが去来したか、もう覚えていない。
 掃除の際、廊下に積んであったダンボール箱をひょい、と開けたら、黄帯の岩波文庫や秋成本と一緒に、その例外たる4冊が出てきた。新潮文庫の『潮騒』と『永すぎた春』と『女神』、『グラフィカ 三島由紀夫』がそれである。『グラフィカ 三島由紀夫』は没後20年企画<甦る三島由紀夫>の一環として、新潮社が新たに刊行した3点のうちの1つ(もう2点は、『三島由紀夫戯曲全集』と村松剛『三島由紀夫の世界』)。
 この数日、ぽつりぽつり、三島の小説を読んでいて、人工的美の世界とその内側へ潜む昏い影に心が再び囚われてゆくのに抗えない。懐かしさ、とか、そうした感傷的な気持ちは正直なところ、あまり感じていない。なぜなのかは、わからない。
 まぁ、そうした流れあって、他の三島の作品を読みたいな、と、思い立ったらおとなしくしていられぬいま、今宵。別件で開いていたGoogleで「三島由紀夫 古書」で検索してみる。「日本の古本屋」と「スーパー源氏」を中心に数千点の結果が表示された。雑誌の特集や怪しげなものまで含んでの数字にひるみそうだが、なに、大したことはない。雑魚は視界に入っても意識を向けることなく、無心に三島自身の著作だけを猟犬の如き目で追ってゆく。追って追って、追い続けて、──
 疲労。
 高校時代に読んでいた文庫は軒並み買い漁るとしても、その他についてはさしたる獲物は見附けられなかった。好きな作品の初版本は状態如何で検討するとして、全集はもう少し選択肢があると期待していたが、残念、駄目だった。
 いちど着火して再び燃えあがったこの炎、此度もそう易々とは鎮まりそうにない。
 来年は荷風と秋江の他、三島由紀夫の本を蒐集する1年となりそうです。◆

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第2793日目 〈「本日、休載」という台詞は、そろそろ聞き飽きているだろうか?〉 [日々の思い・独り言]

 これまで何度となく、事情はさておき「本日のブログはお休みです」てふ旨の文章を残してきました。「“明日”ならまだしも、“本日”と謳っておいて中身が通常と同じようにあるのは、なかなか詐欺師じみたことを行っているな」と反省頻りな年末であります。むろん、読者諸兄は「反省頻り」という言葉も信じては、いけない。
 新聞や雑誌で時折見掛ける休載のお断りは大概、1行で済み、文字数も精々が20字ぐらいか。が、本ブログに於いて「お休みしまーす!」というときは9割近い確率で、分量も内容もいつもと同じなのはたぶん、当初こそ「お休みのお知らせ」なつもりでいたのにスイッチが入ってしまい、由なしこと様々あれこれ書き綴っていたら普段と変わらぬものを書いていた、冒頭のお休み宣言はそのまま残すのは一種のジョークと思うてほしい、そんな気持ちの表れでありましょうか。
 ──結果として今日もまた、詐欺めいた台詞で始まり、くだらぬことを書き留める。──
 さて、年末である。回顧するにも抱負を述べるにも、ぴったりな時期の到来である。おせち料理の申込みをしているご家庭には、業者から配送予定のハガキが届き始める時分である。
 今宵行うは回顧に非ず、抱負を述ぶ。鬼も嗤うを控えるだろう。嗤いたくて口許がゆるむを隠せぬ鬼は、どうぞ引っこんでおれ。
 来年は年明け早々、青色申告会に参上して確定申告の準備を進めなければならない。次回が5回目になるのかな、事務所訪問は。建てた年は通常年よりも様々な方面で収支が発生するから、仕方ないのですよ。とはいえ、お陰様で殆どの勘定科目の数字はほぼ確定しており、検めるべきは保険料その他幾つかの科目ぐらいかしらん。今年のうちに作業が概ね終わるであろうということは、来年の確定申告時期に大騒ぎする必要はなくなる、ということに他ならない。いまの大変さが以後の楽を生むのだ。
 現実的なところで目下最大の課題は上の確定申告、そうして改葬だけれど、そろそろ既存の人間関係を整理する必要も切に感じている。これね、或る年代以上の人、或る年数社会人をやっている人は、ぜったいにやった方がいいです。経験から斯く断言させていただく。
 実はわたくし、来年は荷風の「来訪者」みたいな小説を書こうと思うているが、その材料はこの数年で経験した裏切りや不信を基にしているので、もしかすると読まれた方みなみな気分を害する類の作品になるやもしれぬ。が、わたくしは書かなくてはならない。これは告発なのだ。
 そうそう、聖書各書物の〈前夜〉も進めないとイカンですね。10月に「列王記」の第一稿を書いてからというもの、まるで手を着けていない。ここで一つの区切りになっていますから、気が抜けたかな。粗雑であっても該当書物の〈前夜〉はすべて、第一稿をあげておかないと。
 また、来年は本ブログが第3000日を迎える年であります。よんどころない事情が出来しない限り、毎日更新を途切れさせることなく続けて、その日を迎えたいものであります。その日までに「マカバイ記 一」と「エズラ記(ラテン語)」はお披露目できるかなぁ……。
 読書については、決めてあることはただ一つ。おなじみ、現時点で未読な太宰治とドストエフスキーの各巻を読了することだけ。他には、ない。合間合間で気が向いたように、都度読むべき或いは読みたい本を読んでゆくのも、またおなじみなお話。
 来年のこと、ねぇ。大上段に振りかぶってはみたものの、あまり思いつくことがないですね。侘しいものです。ただ、大過なく、家族が事件や事故に巻きこまれることなく、火事や盗難に遭うことなく、事件や事故に遭うことなく、病気という病気に罹ることなく、ぶじに、健やかに、過ごすことができれば、それだけでじゅうぶんなのであります。◆

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第2792日目 〈福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 創元推理文庫から『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』が復刊される、と知ったのは、はて、Twitterが先であったか、ウェブの「今月出る文庫、来月出る文庫」が先であったか、覚えていないけれど、とまれその情報に接したとき、「いやっほー!」と心のなかで快哉を叫んだのだけは、覚えている。
 それは福永武彦、中村真一郎、丸谷才一、という自他共に認めるミステリ中毒者が、20世紀中葉の推理小説を俎上に上して、愛情たっぷりに語り倒した愛好家必読の1冊。今日はその感想文ではなく短な書誌めいた一文を書き綴ってゆくものとする。退屈でしょうが、お付き合いいただけると嬉しいです。
 『深夜の散歩』の基になったのは、雑誌『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(以後『EQMM』と略す。なお本誌は現在は隔月間となった『ミステリ・マガジン』の前進である)に3氏が連載したエッセイ。福永武彦「深夜の散歩」、中村真一郎「バック・シート」、丸谷才一「マイ・スィン」、以上3部から成る。
 書題にもなった「深夜の散歩」は福永が担当、『EQMM』1958年7月号から1960年2月号まで連載。巻頭言の「Quo vadis?」、アガサ・クリスティ『ゼロ時間へ』を俎に乗せた「ソルトクリークの方へ」にはじまり、アンドリュウ・ガーヴ『ギャラウェイ事件』を取り挙げた「ウェールズ地方の古い廃坑の方へ」で終わる。全18編。
 中村が担当した「バック・シート」は、1960年5月号から1961年7月号まで『EQMM』に連載された。エド・マクベインの人気シリーズ<87分署>の魅力を語った「アイソラの街で」にはじまって、中村のスパイ小説観を綴った「スパイ小説」まで全15編より成る。
 最後に丸谷才一。連載は1961年10月号から1963年6月号まで、15編が『EQMM』誌上に載った。クリスティ『クリスマス・プディングの冒険』を振り出しにした「クリスマス・ストーリーについて」にはじまり、推理小説と呼ぶよりも探偵小説と呼び続けたいと語る「新語ぎらい」まで。
 (丸谷のパートで個人的に好きなのは、創元推理文庫から完訳版が出て間もないウィルキー・コリンズ『月長石』を推奨する「長い長い物語」。およそ『月長石』については歴史的意義やその長ったらしさばかりが強調されて、冷静に、ミステリ・ファンの側から陳述された文章を、寡聞にして知らないからでもあろう)
 上記をまとめた単行本が昭和39/1964年に早川書房から、ハヤカワ・ライブラリの1冊として刊行。その際のタイトルは、『深夜の散歩 ミステリの楽しみ』であった。このあと、「三人の著者のミステリに関するエッセイを追加」して講談社から上梓されたのが、『決定版 深夜の散歩 ミステリの愉しみ』。昭和53/1978年に刊行されたこの決定版は、3年後に講談社文庫に編入された。
 ここで整理を。ハヤカワ文庫版『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』(1997・11)は、1964年刊のオリジナル版を再現したヴァージョン(解説;瀬戸川猛資)。一方、今回創元推理文庫版が底本に採用したのは、講談社から刊行された決定版である。
 残念ながらわたくしはまだ、講談社刊決定版を所持できていないので追加されたエッセイが、創元推理文庫に収められる文章のどれなのか、確定できない。ついでにいえば、創元推理文庫の帯には「文庫初収録の文章を含む」とある。それがどの文章なのか、特定もできないでいる。そういう意味では本稿、ちょっと時期尚早かもしれないが、その点はどうぞご寛恕を。この点に関しては、講談社の決定版を入手次第、続稿を執筆、ここにお披露目することとしたい。
 『EQMM』連載後にまとめられた各氏の文章は、ハヤカワ文庫版と創元推理文庫版との間に本文の異動は認められない。みな故人ゆえそれも当たり前といえばそれまでだが、底本が異なれば異動の有無或いは程度について確かめてみるのは当然であろう。
 最後に、ハヤカワ文庫版になくて創元推理文庫版にある文章だけ、以下に記してお茶を濁す。
 福永武彦;『EQMM』や『ミステリ・マガジン』、中央公論社『世界推理小説全集』並びに『世界推理小説名作選』に寄せた文章が6編。
 中村真一郎;『ミステリ・マガジン』や『世界推理小説名作選』、集英社『世界文学全集』に寄稿した文章が3編載る。
 丸谷才一;3氏のなかではいちばん多く、10編を集める。初出は『EQMM』の他新聞や『世界推理小説名作選』など。連載こそされたが単行本未収録であった「マイ・スィン」の何回分かを併収。「元版「深夜の散歩」あとがき」にあるように、幾つかの回は丸谷自身の判断で収録が見合わされた由。これは今回も踏襲された。◆

 追記
 このように楽しんで読むことのできるミステリの案内書は、じつはけっして多くない。小泉喜美子『ミステリーはわたしの香水』(文春文庫)や『メイン・ディッシュはミステリー』(新潮文庫)、青柳いづみこ『ショパンに飽きたら、ミステリー』(創元ライブラリ)、ちょっと変化球かもしれぬが『綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー』全3巻(講談社)が、わたくしがこのジャンルに分け入って行くときに頼る、心強い案内書です。□

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第2791日目 〈近松秋江「青草」の朗読台本に、アブリッジのテクニックを学ぶ。〉 [日々の思い・独り言]

 まさかいまになって気が付くとは……という経験、ありませんか? 何年も接していたにもかかわらず、疑問も調査もすることなく受動的に過ごし、最近ふとした拍子に調べてみたら、これまでの思いこみが瞬時に瓦解していった、という経験は?
 わたくしはあります。正確にいえば何度となくそうしたことはありましたが、今回程「なんてことだ……」と仰け反ったことは、ありませんでした。
 それはこういうことなのです。何年も前ですが、文学作品の朗読を寝るときに聴いている、と書きました。その折話題にしたのは、泉鏡花「怪談 女の輪」及び永井荷風「すみだ川」でした。これはみな、iTunesからダウンロードしたオーディオブック。他にやはりiTunesからDLしたPodcastで、宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」と萩原朔太郎「猫町」が、おなじように寝るときに聴くこと多い朗読作品でありました。
 実はもう1作、iPod touchに入っている朗読作品がありまして、それは近松秋江「青草」であります。朗読は羽佐間道夫。力の抜けたような、寂寥さえ漂わせる声がなんとも秋江綴る情痴の世界にぴったりで、是非にもこの人の声で「黒髪」三部作、「別れたる妻に送る手紙」と続編「疑惑」も聴いてみたいなぁ、と思わしむるぐらいに相性の良さを感じさせるのであります。
 それに居心地の良さばかり感じていたせいではなく、勿論わたくしの怠惰がいちばん大きく作用しているわけですが、さいきん岩波文庫の秋江を掘り出したのを契機に、朗読を聴きながら原作(この場合、原作というが本道なのか?)小説を読もうと思い立った。前日に「すみだ川」で試したところ、なんとも心地よい経験だったものだから、今日もその至福の時間を求めんや、と。
 そうして「青草」を開いて、耳を傾けた──ところ、のっけから目を疑い耳を疑ったのでした。
 26ページの短編、朗読時間は46分。冷静に分析するまでもなくちょっと考えてみれば、この時間でその分量を無削除版で収めるなんてこと、不可能に決まっているのです。羽佐間道夫の読むペースを加味すれば、尚更正解へ近附くのは容易だったでしょう。
 冒頭の1行に続くは第2段落でなく、第3段落。しかもその後も段落の途中で離れた箇所に飛ぶわ、接続をなだらかにするため接続詞等が補われるわ、と放送時間内に収めるアブリッジのテクニックを望むと望まざると勉強させられた、そんな思いでありました。
 複雑な気分ではありますが、元はラジオ日本の番組「聴く図書室」。その作業も致し方ないよね、と頷ける部分もあるけれど、やはり無削除版を聴きたい。
 ──原作のどの部分を省き、また表現や言葉が補われて、番組用朗読台本が作成されたか。いずれ本ブログにてお披露目させていただきます。けっして件の朗読番組や朗読者を貶める意はなく、純粋にテキスト生成の推移を知りたい、自分自身の手で台本作成を追体験してみたい、という動機からであります。こうした動機や実作業が発展、枝分かれした処の1つに、偽筆偽作というものがあるのかしらん、と、そんな考えがいま、ふと脳裏を過ぎったりして……。
 この作業のため、八木書店刊『近松秋江全集』全13巻を買いこみました。というのは冗談ですが、図書館で「青草」所収の第1巻と書誌の載る第13巻を借りてきたのは、事実であります(でもどうしたわけか、月報がない。別に製本されている?)。来週からはいっさいの予定が手帳には記入されておりませんので(淋しい)、この後ろめたくも愉悦迸る作業に勤しめるときの訪れを、わたくしは楽しみにしているのであります。◆

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第2790日目 〈みくら徒然草 いろんなこと。〉 [日々の思い・独り言]

○岩波文庫の発掘や荷風全集の購入、秋江著作集の読み返し、などなど種々の要因あったがゆえと思われますが、今朝方ふと、近代日本愛欲小説史の構想を得て昼間、手帳におおよそのプランを走り書きした。
 既にどこかで誰かが着手、上梓もされているだろうことは承知だ。とはいえ、こちらにもそれなりに塗れた過去もあるので、そんな経験を足掛かりに、好きで読み散らしてきたこの種の小説を、自分なりに体系づけてみようかな、と思うたのであります。
 問題はどこで境界線を引くか。これが難しい。まぁ、ゆるりゆるり、と考えてゆきましょう。

○清水幾太郎『わが人生の断片』上下(文藝春秋 昭和50/1975年6−7月)を拾い読みしています。神保町の古書店の見切り棚で安く買いこみ、そのまま錦華小学校裏の公園でおにぎりをぱくつきながら、読書した思い出がよみがえってきます。
 この人の名前をどのような経緯で知ったか忘却したけれど、例によって渡部昇一の著書から発展したのではなかったか。脳裏に留まる名前であったため、見切り棚でそれを揃いで見附けるや迷いなく、嬉々としてレジの親父の前に持っていった覚えが、あります。
 本書以外にも1冊、架蔵するものがあったと思うが、記憶の誤りか処分したか、どちらかかもしれない。その本は『この歳月』(中央公論社)のはずなのだが……函入りだったよな、たしか。
 清水は社会学の泰斗にしてオーギュスト・コント研究の第一人者。本書のあちこちにも、それらにまつわる話題が散見されますが、今回10数年ぶりに読み返すに至るまでずっと覚えていたエピソードが、──
 ロシア語を学ぶ必要がある、と考えた清水はロシア語講習会に通ったがテキストの偏重に厭気がさして行くのを止してしまったこと。講習会参加が仇になって後日刑事に出頭を命じられたこと。ナウカ書店を介して『ソヴィエト小百科辞典』を購入して社会学に関する項目を、露独辞典と文法書を頼りに読んだが、けっきょくかの国に社会学というものは存在し得ない概念なのだ、と落胆したこと。──この昭和6年のエピソードが自分と印象に残っていたことを覚えている。
 通読したのは正直なところ、はじめの1回だけなので、発掘再会をきっかけに是非にも読み通してみたいと望むうちの1冊であります。

○今日このような変則的なスタイルを採ったのは、ちと明日の朝は早く出掛けねばならない用事が出来したからです。
 いやぁ、原稿料と印税が踏み倒されましてねぇ……。その仕事を紹介してもらった編集プロダクションに問い合わせたところ、なんでもクライアントがバックレたらしい。
 編プロの被害も大きかろうが、こちらの被害も大きい。それをアテにして年末年始の支払いやら私的用事の予定を立てていたところがあるゆえ、すっかり頭を抱えている次第。
 あすはその件で編集プロダクションを訪ね、その足で知り合いの弁護士に相談してくるつもりです。

○──という次第で読者諸兄よ、今日はここまで! おやすみなさい。◆

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第2789日目 〈ようやく<岩波文庫の100冊>お披露目のメド、立つ。〉 [日々の思い・独り言]

 暇な時間を使って気がついた端から、例の<岩波文庫の100冊>のリストを更新しています。
 おかげさまでリストの書目は順調に増えてゆき、いまは200と3冊に膨れあがりました。まだ記憶の底から浮かびあがってすぐに消えてゆく書目が多く、それらをぶじにリストへ加えることができたとしても、いずれにせよ100冊まで絞りこむ作業がたいへんになるのは同じこと。
 それにしても、部屋のあちこちから岩波文庫の出てくること、出てくること。どうしてこんなにあるのか、正直なところ、小首を傾げてしまいます。むろん、重複するものもあり、なんだってこうまで同じものを買いこんでいたのだろう、と不思議になります。
 勅撰和歌集、就中八代集はよいのです。ダブリで4セット、更に『古今集』と『後撰集』、『新古今集』が数冊ずつあるのは、然るべき理由が当時はあったからこその現象。『芭蕉紀行文集』と『おくのほそ道』もまぁ、良しとしましょう。たしかにこの2冊はこれまでの人生の一時期、幾度となく読み返して深入りし、あげく買い直した記憶があるものだから。
 が、わからぬのはどうして『梁塵秘抄』が3冊、『水鏡』が同じく3冊あるのか、ということであります。持っている理由がとんとわからぬ。読みたいと思うたときにどれだけ捜しても見附からず、仕方なく買うたらばそのあと出てきて、「あちゃあッ」と天を仰いだてふパターンを踏まぬ書目ゆえ、なにがどうしてこうなったのか、皆目不明である。そういえばデュマ・フィス『椿姫』と柴田宵曲『古句を観る』も、ダブリが生じた理由に思い当たる節がない本でありました。
 ──それはさておき、100冊のリスト作成は何ヶ月か前に作り始めたときよりも、ずっと順調です。不完全ながらいちどは叩き台になるものができあがっている、というのが、いちばん大きな理由かもしれない。なるほど、ヒルティ曰く、仕事は思い立ったときに始めるのが最前である、とは真のようでありますね。
 とはいえ、絞りこみの作業が、では楽になるかというと、そうでもない。そんなこと、あるわけがない。むしろ難事に変貌するというてよい。でも、……1冊リストに入れるとあとからあとから芋蔓式に、連鎖反応的に、次々思い出されてくるのだから仕方がありません。その連想に歯止めは効かない。むしろ、思いつくままに一旦はリストアップして然る後、うんうん唸りながら愉しい絞りこみ作業へ移ればよい。というか、そう思えなければやっていられない(部分もある)のであります。
 さきほど、ストック原稿や手帳に書きつけた下書き、アウトラインなど瞥見して今後の見通しを検めてみたところ、この<岩波文庫の100冊>はどうやら年内にはお披露目できそう。これまでの経緯を鑑みるに、架蔵する岩波文庫の新規発見を避ける意味では、もう部屋の掃除をするのは止めにしておいた方がよさそうです……。◆

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第2788日目 〈戦後になって書かれた荷風小説について。〉 [日々の思い・独り言]

 ちかごろよく思うのだけれど、戦後になって書かれた永井荷風の小説に、ぱっ、としないものを感じるのはどうしてなのだろう。Twitterでもいちどだけ、そんなことを呟いたことがある。学校の図書室で荷風全集を借りだしていた時期、戦後になって発表された作物を収めた巻へ至ったとき、なにやらとまどいを覚えたのがそもそもの始まりだ。
 今日までの間に新しい荷風全集が刊行されて、こちらは公立図書館で、興味のある巻だけ借りて読んだ。並行して同時代の作家たちが荷風について語った文章を行き当たりばったりに読むようになり、そのなかでいちばん衝撃を受けたのはご多分に洩れず、石川淳の「敗荷落日」である。
 「最近の荷風はダメだ。読む価値もない。そも人品も怪しくなった」と真っ向から切って捨てたものは、それまで読んだことがなかった。その語調の激しさは読んでいるこちらが震えてしまう程だけれど、一方で意を強うしたところもある──戦後作品の粗悪ぶりを感じていたのは、よかった、わたくし独りではなかった、と。
 著作年譜を点検すると、荷風の小説は昭和12/1937年春発表の『濹東綺譚』を頂点にして、その後は偏奇館焼失の昭和20/1945年3月10日以後ゆっくりと、精彩を欠き、生命力が衰えてゆくようだ。蔵書みな灰燼に帰し、知的生産を支える屋台骨が崩れ去ると荷風散人はかつての詩魂失い、それは没するまで復すことがなかった様子である。
 それまでの荷風の小説は江戸の情緒をたっぷり身に纏うた、徳川時代から連綿と流れて継がれてきた人情話を、その優れたる、並外れたというてよいかもしれぬ文章力で以て芸術の域へまで高めたところに特徴の一があった。荷風の知的生産の屋台骨を崩落せしめたのは、なにも空襲により住処をなくし蔵書をなくしたばかりではない、戦災が荷風文学の温床となる江戸の情緒と近代の<粋>を根こそぎ奪っていったのだった。
 戦中に書かれた小説には、まだ『すみだ川』や『雨蕭々』に、或いは『濹東綺譚』に書かれた良き時代の空気が息づいていた。告発小説など種々のアプローチを許す「来訪者」にしても然り。が、戦後に書かれた小説は、どうだろう。
 疎開と移住を繰り返してようやく市川に落ち着くまでも、そのあとも、書かれる小説には最早かつての荷風文学の面影なく、残滓を嗅ぎ取ることはできてもその様は専ら風俗記録に等しい。
 翻って日記『断腸亭日乗』の昭和20年から昭和34/1959年4月29日(逝去前日)までを開くと、年を追うにつれて記述が非常に簡素になってゆき、ちょっと長めの記述があったとしても10日に1回程度の割合でしかなく、さすがに戦前戦中のような密度の濃さは期待できない。
 但し、それはあくまで『断腸亭日乗』に於いてである。かつて荷風が日記にあれこれ書き留めた仄聞観察の類は、たしかに戦後の日記からはだんだんと影を潜めていった(最後には天気と来客、出掛けた先の記録に留まった)。が、見方を変えて、むかしは日記に記録していた風俗や生活者の営みなどを、今度は小説に仕立てるようになった、と、そう考えれば戦後の小説の変容ぶりも(すくなくともわたくしは)納得なのである。
 戦後に書かれた小説の好い点は、敗戦後の焼跡の混乱や、公記録に残りようもない市井の事柄(出来事)、風俗習慣などがそこに留め置かれていることだ。まさしく風俗記録、社会記録である。
 たしかに作品の根底を流れるものに、戦前も戦後も変わりはないかもしれない。ただ、荷風の目にクローズアップされる部分が以前とは違うようになったのだ。とはいえ、書かれる小説のクオリティがさがる一方で終ぞ復活することのなかったことは、けっして否めぬ事実といえるだろう。
 斯様に申しあげてきて痛切に思う;わたくしはまだまだじっくりと、腰を据えて、まだまだ戦後作品と取り組む必要がある。まず自分のなかから、『四畳半襖の下張』−猪場毅/平井呈一−「来訪者」に至るラインを、こびり付いた固定視座をいったん棄てる必要があろう。それは難しいかもしれないが、いちどはそのフィルターを外さないと。
 幸いと第一次荷風全集全29巻を、第28巻までは初刷ながら比較的良好な状態でこのたび入手する機会に恵まれた(月報揃い)。次は1990年代に刊行されて21世紀になって第二刷が出、その際補遺2が付された新版全集を狙うが、こちらは初刷と第二刷、両方を購い求めることになりそう。月報の内容が異なるのだ。けっして荷風研究者ではないのに、なんだろう、この、憑依されたかのような行動は。
 しかしながら、最低必要なテキストは手許に届いた。新版全集の話はともかく、これからの冬の夜長は辞書を引き引き怪奇小説を読むのではなく、ハズキルーペを掛けて荷風全集を読み耽ろう。そうすれば自分のなかで荷風にまつわる別の件で課題としていることについて、気附けるところもあるだろう。◆

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第2787日目 〈途中報告;<岩波文庫の100冊>の進捗状況について〉 [日々の思い・独り言]

 <岩波文庫の100冊>を今年中にお披露目しよう、とゆで卵を作っているときに決意して、思いつくままにリストを作り始めたらいつの間にやら、どうしてそうなったかわからぬうちに、部屋のなかで所在が確認できる岩波文庫の総ざらいへ替わっていた。
 HDDに保存してある写真に、岩波文庫が映っているものは無いか、片っ端から確認してゆく。部屋のあちこちを睨視して、ここには岩波文庫が何冊か挿してあったはず、と記憶を頼りにサルヴェージする。目視できる場所に置かれた文庫を一旦スマホで撮影したり、或いは机に積みあげてひたすらリストへ入力。
 できあがったリストは、それでも架蔵するすべての岩波文庫ではゆめあり得ず、最後の保存をした時点で相当数の漏れを確認できる、いわば暫定的なリスト(『大鏡』や『栄花物語』が抜けているゾッ!)。現時点でリストアップされた文庫は、198冊。殆ど所蔵リストを兼ねているせいで、同じ書題もしくは作品でも複数タイトルを所持する場合は両方を記録した。
 一例を挙げれば、『古今和歌集』。現在まで長く流通する佐伯梅友校訂、二条家相伝本即ち貞応二年本を底本としたものの他、かつて尾上八郎校訂の嘉禄本が活字になって出回っていた。両方を架蔵してどちらにも親しんできたこともあり、リストには貞応本と嘉禄本、それぞれを底本とした『古今和歌集』を入れた。
 また、若山牧水の歌集も喜志子夫人が編集したものと伊藤一彦が新たに編集したものが岩波文庫にはあるけれど、歌人への偏愛あり殊前者は数冊読み潰した愛着ある1冊であるゆえ、現役か否かを問わずその両方をリストに加えている。
 とはいえリストを作る上で、ふと立ち止まって「ふむぅ」と悩んでしまうことも、度々。旧版と新版がある作品は、どちらを選ぶか、と世人には「なんだ、そんなことか」と呵々大笑されてしまうような悩みなのだが……。『古今和歌集』や牧水歌集は、同じ悩みを纏うはずがなんの躊躇いなく両方を選べたのになぁ。なんだか可笑しいね。
 新版になんの愛着も想うこともなく切り捨てられるようであればともかく、両方に馴染んだ場合は「さて……」と悩み始めてしばらく考えこむ羽目に(上述の2書がどれだけ例外であったか知るべし)。──解決はまだしていない。為、ここで書くこともこれ以上には、無い。ただ付言すれば、『源氏物語』と『田舎教師』はいちばん最後まで結論を出せないだろう。
 黄帯と緑帯も然りだが、赤帯と青帯はそれ以上に不完全。なにがまだリストに加わっていないか、はっきりとわかっている。白帯なんか、まるで手附かずだ。そういえば、フレイザー『金枝編』全5巻(白帯)って、いつの間にやら版元品切れのようですね。嘆かわしい。
 不完全ながら、しかしリストの作成は一時中断する。ひとえに眠いからに他ならない。
 それでは。◆

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第2786日目 〈部屋のお掃除;パンドラの箱は開けられた(第1回)〉 [日々の思い・独り言]

 パンドラの箱、別名;大きな方の葛籠箱を、開けてみた。全部ではなく、3箱。途端、いろいろなものが飛び去っていったが、たしかに──神話が伝えるように──希望がそこには残った。……あ、「そこ」は指示代名詞の「そこ」と「底」の掛詞であります(駄洒落とも、笑えぬ言葉遊びともいう)。
 希望とは、①秋成研究の書物や雑誌が思いの外残されていたこと、②岩波文庫の黄帯が大量に仕舞われていて、そのなかには八代集読書に用いた手沢本が含まれていたこと、③折口信夫の初版本や特集雑誌、そうして中公文庫版全集が揃いで残されていたこと、である(2019年12月07日00時11分現在)。
 秋成本で「おお!」と驚喜したのは、国書刊行会版『上田秋成全集』全2巻及び補巻として刊行された『秋成遺文』、鵜月洋『雨月物語評釈』(角川書店)、日本古典文学集成『雨月物語・癇癪談』『春雨物語・書初機嫌海』といったテキスト群(影印本を含む)、『共同研究 秋成とその時代』(勉誠社)、高田衛『上田秋成研究序説』(旧版)などの研究書が出てきたこと。購入したことは覚えているが、それが倉庫へ仕舞いこんだのか、或いは火事の際処分した大量の蔵書の内であったか、よく覚えていなかったのだ。
 いま書架に収まる本と併せて考えるとどうやら、秋成の作品集や研究書は展覧会のパンフレットも含めて散逸したものは、限りなくゼロに近い様子だ。ということは、以前同様わたくしにはまだ資料を自由に使い倒して秋成に関する文章を書く機会がある、ということだ。これは2ヶ月程前に古典のテキストを書架に並べ得たときと同じぐらいの慶事というてよい。
 が、その喜びは束の間。すぐに上書きされてしまった。岩波文庫黄帯の大量発掘が、その原因だ。「大量」というてもその数、たかだか41冊。内、重複は2作、分冊が3作。ゆえ、実数はもうすこし減る勘定ですが、ここへ既に書架に並ぶ或いは室内のダンボール箱に収まる黄帯を加えたら、その数おそらく100冊になんなんとす(あら、100冊ですって、奥様。このままリスト作れちゃいますわね──黄帯だけで。むふぅ!)。
 変な風に押しこんだのか、運搬の途中でずれたのか、よくわからないけれど、幾冊かの本は全体が撓み、表紙カバーともども波打っている。どういうわけか、その被害は西鶴に集中。『西鶴文反故』、『好色五人女』、『本町二十不孝』、『世間胸算用』、一九で『東海道中膝栗毛』が、現時点で把握できる被害確認書目。但し、『世間胸算用』は角川文庫ソフィアの1冊であることをお断りしておく(黄帯の『世間胸算用』は無事。序にいえば『武道伝来記』も然り)。
 未だあるを確認できない書目も、存在する。就中『胆大小心録』と『漆山本 春雨物語』が。処分などぜったいあり得ぬものゆえ、未開梱の箱のなかにあると期待したいが、さて?
 岩波文庫の黄帯発掘を完全に上書きしなかったとはいえ、折口関係の本の発掘もまた喜ばしい出来事であった。穂積生萩の著書2冊(『私の折口信夫』講談社と『執深くあれ』小学館/山折哲雄との対談)があったのは実際のところ、かなり想定外だったのだが、それ以上に想定外というか「ウソッ!?]とキャサリンばりに思わず叫んでしまったのが、中公文庫版折口信夫全集全巻揃いが敷き詰められていたことである。
 これこそ疾うに、いまはもうない伊勢佐木モールの古本屋に売り払ってしまったと思いこんでいたものだから、いやもう、なんというてよいやら、言葉が出て来ないのであります(人はね、本当にうれしいときは却って言葉が出ないものなのですよ)。活字が小さかったりで多少の読みにくさはあると雖も、この文庫版全集の価値が貶められることは、今後まずあるまい。
 ちかごろ自分の心が古典文学の読書へ再び向きつつあるのを、感じている。書架にテキストが並んでいるせいか。が、作品を読んで辞書や註釈、或いは現代語訳に助けを求めること殆ど無く読みこなせるということは、おお神よ感謝します、まだわたくしの能力も然程劣ってはいないということの証し。と、わたくしは自負したい。
 なればこそ年末年始はすべての太宰を休んで、たとえば『万葉集』を読み通してみようか……令和元年ですし。では、どこの出版社から出ている『万葉集』を読むか、というお話になるのですが、ここは一つ、今回大きな方の葛籠箱から発掘した1冊である明治書院「和歌文学体系」の『万葉集』全4巻本にしましょうかね……と思うたら、どうしたわけか、あるのは第1巻だけで残りの巻がないではないか!? という次第で来週か再来週、東京に出て(上京!)購い、重い思いをして多摩川越えて帰宅するとしましょうか。書店さん、帯附き用意して待っててね!◆

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第2785日目 〈部屋のお掃除;『万葉集』発掘編。〉 [日々の思い・独り言]

 時間を縫っての部屋の掃除が続いております。動かせるところは概ね済ませたので、隙間を埋めるような些末な作業に留まっているのが、なんとも隔靴掻痒というところであるけれど……
 こんな現象に見舞われている──思いがけぬ場所から思いがけぬ本や書き物が出てきたり、在るとわかっていながらホコリや他の書籍に阻まれていた本をようやっと取り出せたり……、と。
 前者を代表させるのは、やはり1980年代後半から1990年代後半まで、10年超にわたって書き散らしたエッセイや論文、小説のメモ・断章などだ。日常記録や物思いのあれこれを擬古文で書き綴り続けたレポート用紙116枚よりなる随想は、発見をなによりも落涙随喜した作物である。てっきり火事の際、処分してしまったものと思うておったから、感慨は一入。否、その程度の言葉ではとうてい足りぬ。しばし読み耽って自分が夕飯当番なのをうっかり忘れかけたことは当面、キミとボクとの秘密にしておこう。
 一方、後者の代表といえるのが、つい先程棚の奥から引っ張り出してきた、日本古典文学全集版『万葉集』全4巻(集英社)。第1巻の箱だけやたらと綺麗なのは、それが学生時代のテキストで学校の図書室にて購ったためと思しい。残り3冊は神保町の古書店で購入した──記憶が曖昧だけれど、たしか白山通り沿いの店にて1冊ずつ買ったのではなかったか。
 日本古典文学全集は判型こそ岩波の大系と同じで函入り月報ありな点も然りだが、ビニールのクロスカバーが掛かっているところにわたくしは愛着を感じている。けっして推奨される環境での保管ではなかった架蔵の『万葉集』だが、まるで刊行当時に新刊で購入したと同じような美麗かつ破れ汚れなく、その気になれば頬ずりさえできるが(やらないけどさ)、新刊書店で大系本を購入しても破れシワの問題が付きまとったパラフィン紙よりは、ずっと良い。勿論、美麗なカバーが掛けられた全集本を架蔵しているからこその発言であるのは承知している。
 が、大系本にパラフィン紙が掛けられていようといまいと、それが購入の判断材料になることはないのに較べ、殊全集本に関しては可能な限り件のビニールカバーがあってほしい。同じ巻でカバーのあるものとないものがあれば、売価に多少の差があろうとわたくしはカバーがある方を選んで買う。むろん、月報が付され、本体も状態が良いならば、という前提は譲れないが。とはいえ、そこには、全集本は帯がなくても構わないけれど、大系本は帯が付いているのが望ましい、という逆転現象も生じることを忘れてはならない。
 さて、次に発掘の標的となるのは、廊下に積みあげられた7箱のダンボール箱である。これは火事のあった当時、某倉庫会社に預けていたのを自宅新築後に取り出してきたものだが、ここにはたしか秋成がアダンで作られた筆を使っていた旨研究した本や、大和岩雄の『古事記』偽書論が入っているが、たぶんそうした専門書の類よりも多い数の雑本が仕舞いこまれているはず。実際のところは勿論、開梱してみないとわからない。いうなれば件の7箱はなにが出てくるかわからないという意味で、パンドラの箱とも欲張りじいさんが選んだ大きな葛籠ともいえる代物だ。
 ──実は今日(昨日ですか)、ニトリに行ってきたんです。そうして思ったんです。早く部屋を片附けて居心地の良い、読書スペースを片隅に設けた空間を創らなくっちゃな、と(取り出す本が増えればその分、かの空間の完成の日は遠のくという事実は、ちょっと棚にあげて忘れることとする)。あちこち採寸して、できるところから手を着けていくのですが、ああ、いったい完成までにどれだけのお金が掛かるんでしょうね?◆

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第2784日目 〈太宰治『もの思う葦』の刊行は、奥野健男最大の功績だと思う。〉 [日々の思い・独り言]

 太宰治は『二十世紀旗手』に続いて、『もの思う葦』を読んでいます。新潮文庫。
 先月26日の宵刻、帰宅途次の上野東京ラインの車中でページを開いたまではよかったけれど、肉体的精神的疲労(専ら後者)により、がんばっても2ページちょっとしか進められず、そのままカバンの肥やしになっていたところを一昨日から読書再開。山村修いうところの<チューニング>が済んで作品への擦り寄りができてしまうと、一瀉千里とまでは行かないけれど、スキマ時間を使ってすこぶる調子よく読み進めております。
 本書は太宰の書いたアフォリズム集である表題作を巻頭に、最晩年の『如是我聞』を掉尾に置いた。全5部編成の第1部は『もの思う葦』と『碧眼托鉢』、第2部は文学や人生にまつわる文章を、第3部は身辺雑記というてよいか自己と郷里について語った文章を、第4部は作家論を、第5部は前述の通り『如是我聞』を、それぞれ収めた、奥野健男選・編の1冊だ。
 今日ようやく第2部に差し掛かったところゆえ感想などまだ出せないが、奥野曰く「小説家である矜恃にかけて随筆を書くことをいさぎよしとしなかった」(P311)太宰のその種の文章を文庫で読めるだけで貴重なのに加え、それがことごとく新潮文庫所収の小説鑑賞にフィードバックさせられる内容ばかりとあれば、解説子の思惑はおそらくそのあたりにあったのではないか。
 『晩年』で「『晩年』に就いて」に触れたり、川端康成宛檄文を取り挙げたり、と、奥野は太宰文学解説のため各巻にて折に触れて小説以外の文章へ触れてきた。解説の筆を進めながら奥野はゆっくりと、太宰随想を集成した一巻の編纂を企画、その実現めざして新潮文庫編集部へ働きかけていたと想像すると、否、想像しないまでも、そうして事実が異なっていたとしても、貴重な太宰随想をまとめてくれたことに感謝である。実現の自負はどうやら本人にもあったらしく、同書解説にて刊行の意義を自ら高らかに宣べているあたり、新潮文庫版作品集に於ける奥野最大の功績というてよいだろう。
 太宰のエッセイ、そういえば寡聞にしてあるを殆ど聞かないなぁ、となかば訝しく思うていた矢先というてよいタイミングで本書を手にすることになったのは、神慮が働いたがためとわたくしは都合良く解釈したい。むろん、太宰には随想なのか小説なのか、どちらとも杳として判別できぬ作品が幾つもある。それゆえにこそ『もの思う葦』があることは貴重であり、太宰ファンには「福音」というは過ぎた表現かもしれないが、それに近しい喜ばしき出来事なのだ。
 ──たぶん再来週には読了できるはず。ということは、きちんとした感想文はそれから旬日経ぬうちにここへお披露目できるはず。その日が来ることを信じたい。◆

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第2783日目 〈本を読むのが遅いのだけれど、気にしてなんかいないよ。〉 [日々の思い・独り言]

 本を読むのが遅くってねぇ、呆れてみたり自嘲してみたり、時間の捻出に悩んでみたり励んでみたり。
 例。太宰治『晩年』、どれだけの時間を掛けた? 「道化の華」を中途で止した1回目ではなく、『地図』のあとの2回目。すこぶる多くの日を費やしたのではなかったか。顧みる;実際に読んでいた日<何だ彼だで読めなかった/読まなかった日。愚にもつかぬ式である。とはいえ、それゆえにこそ、『二十世紀旗手』と併せて3冊、続けて読むと宜しかろ、といえるようにもなった。
 例。聖書、人生の何分の一をささげた? 一書につき原則1日1章、足掛け8年実質7年。一書読み終わりたれば少々のインターヴァルを置いた。「エレミヤ書」の途中で1年近く、読むのを止めてもいる。続編の「一マカ」と「エズ・ラ」には遺恨あり、けっきょく読書は未だ続行中。完全読了まであとどれぐらい、なんて質問はなしにしてほしい。わたくしも知らぬがゆゑに。
 例。松本清張『西郷札』、もう2週間ぐらい枕許にあるのでは? 就眠儀式。寝る前に1編ずつ読んでゆこう。これの前に読んだ『或る「小倉日記」伝』の経験を基に、斯く決めた。が、この短編集に代わってからこの方、就寝前の読書はまるで停滞している。なんのことはない、他のことにかかずらってそれが終われば寝床へ直行、バタンキューなのである。
 ──嗚呼、遅読の実例を臆面もなく曝した。むろん、ゆっくり読むこと、スキマ時間の読書をばかり実践しているわけではない。先日のこと、争続と確定申告に頭を悩ませていた時分である。かねてよりの宿願と一寸した必要あって谷崎潤一郎の『細雪』と『新々訳 源氏物語』を2日掛けて読み返した(何度目だね?)。わたくしにはこれ、じゅうぶん速いペースなのだ。
 毎日継続される読書なのか、一過的な、或いはすこしく腰を据えてかからねばならぬ読書なのか。要するに、「ケース・バイ・ケース」である。「事情と都合にあわせて柔軟に、臨機応変に対応できる読書スタイルであるべし」というところかしらん。
 もはや、エミール・ファゲの時代ではないのである。◆

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第2782日目 〈そういえば、「岩波文庫の100冊」なんて企画を企んでいたね。〉 [日々の思い・独り言]

 本について語り合える殆ど唯一となった、リアルの友人(なんだか奇異な表現だね)と電話で話していた折。ふと話が途切れたあとにかれがいうには、そういえば岩波文庫の100冊ってどうなったの? と。
 なんだ、それは? 逆に訊ねたわたくしの耳に、かれの深い溜め息が聞こえてきた。岩波文庫の100冊、だって? 夏になると大手文庫出版社がこぞって始める、お抱え作家の依怙贔屓じみたあの空疎なラインナップの岩波文庫ヴァージョンか?
 ならば思い出せてあげよう。そう前置きして、かれが朗読し始めたのは、かつてわたくしが本ブログに投稿したエッセイの一節であった──。
 顔が赤くなるのを感じました。いや、頬が火照って顔全体が紅潮してゆく。脳内が落ち着きをなくし、口は開けど言葉が出て来ない……。いやぁ、こんなフィクションでお馴染みの反応を人間は現実にもするのですね。斯様な企画をぶったこと、本当に忘れていたのです。
 電話を終えたあと、夜も深更に至る時刻であるにもかかわらず寝る気にならず、Macを立ちあげてフォルダにしまったブログ用原稿を検めて……こんなことを書いていたのかぁ、とわれながら呆れてしまいました。
 そうして翌る日の昼、確定申告の準備へ取り掛かる前に確認できる範囲で、架蔵の岩波文庫を点検してみる。合点がいった、まるでさも簡単にリストが作成できるような、楽観的な物言いに。この方法を採れば、たしかに労せずしてリストはできあがるわ、と。
 ただ、そのときにどう結論を下したのか、それとも留保中なのか、よくわからない(というか、覚えていない)のだけれど、1人1冊にするのか、上限を決めてそのなかであれば何冊選んでもいい、とするのか。かりに留保中とすればいま、この時点でのわたくしの判断が優先されるわけだから、結論はまだ出ていない、ということにしよう。どこにもその記録がない以上、斯く判断して差し支えあるまい。
 というわけで、この件に関しては、1人上限3冊までとしましょう。3冊の根拠は特にない、日本人は「3」という数字が好きだよね、おいらも好きだ、というだけのこと。
 これにより、緑帯と赤帯(就中イギリス・ドイツ・フランス・ロシア文学)はセレクトの作業に、想定した程は考えこまなくても済むのであるまいか。どんな作家であっても、リストへ入れるぐらい愛読している、または握玩する作品なぞ、あろうわけがない。すくなくとも今回リストを作成するわたくしは、そうなのであります。
 ──点検ついでに表紙と背表紙を撮影してみたが、それを一見するにいちばん最初のリストは100冊を簡単に超えることでありましょう。そこから絞りこんでゆく作業に頭を悩ませるところは新潮文庫のときと同じですが、1人上限3冊というゆるめた制約がそれを、幾らか軽減してくれるに相違ない。期待をこめて、そう自らにいい聞かせよう。
 これというのも、岩波文庫に入る2冊の近松秋江をリストに入れたいがための我が儘である。秋江は講談社文芸文庫で読む方がいまは簡単だが、このリストはいま手に入る岩波文庫のリストではないのだ。でなければ、十一谷義三郎が三宅幾三郎と共訳したラフカディオ・ヘルン『東西文学評論』を持ってくる大義名分もなくなってしまうではありませんか。
 ……あれ、ハーンが3冊を超えてしまう予感がするよ。平井呈一の訳で『怪談』と『心』、『東の国から』を選ぶつもりだったのだけれど、このままだと4冊になってしまうね。んんん、やはりここでも絞りこみに頭を悩ませることになるのか。やれやれ。◆

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第2781日目 〈鏡花の花柳小説が大好きです。〉 [日々の思い・独り言]

 澁澤龍彦が生前に温めていた企画、『泉鏡花セレクション』全4巻が今年10月から、3ヶ月毎に配本開始(国書刊行会)。八重洲ブックセンターでもらってきた内容見本を眺めているのですが、総ルビ旧仮名遣いなのは良しとして、新字体なのかぁ、と残念に思う一方で、1980年代後半から顕在化していつしか市民権を獲得、いまや鏡花といえばこれ、といわれてまるで他のジャンルの小説が存在しないかのような扱われ方をしているのが、幻想文学に属する小説・戯曲群である。
 三島・澁澤ラインが称揚し続けて幾つかの代表作が顧みられるようになったのに加えて、様々な偶然と時代の必然が作用して気運が高まりつつあった状況を承けて、東雅夫大兄が<幻想文学者・泉鏡花>宣教を繰り返し続けた結果、どこの出版社でも鏡花の幻想文学は出せば或る程度までの数字を見込める商品と相成った。
 代表作といわれる作品に加えて、全集を繙かねば読めなかったような小品の数々まで、手軽に読めるようになった現在の状況は、鏡花好きの一人であるわたくしとしても非常にうれしく、また一過性に終わるかと思われたブームが定着し、人々の意識から忘れかけていた(大学の卒業論文のタネにもならぬぐらいには等閑視されていた)ジャンルの復興に尽力した多くの方々へ敬意を表して止まぬ者だ。
 けれども──あまりに「鏡花=幻想文学」の図式は先鋭化し、従来の鏡花像を覆して他ジャンルが顧みられなくなる程巨大なものになり過ぎてしまった。高校生の時分から鏡花の怪異・幻想物に親しんできたと雖も、それを踏み台にして花柳物や人情物にまで手を出して却ってそちらの方に好きな作品が多くなった者としては、当たり前のように定着してしまった固定観念の横行に、小首を傾げてしまう。
 鏡花の場合、花柳界や伝統芸能の世界に幻想・怪異を侵入させた小説に絶品があるのは、『註文帳』と『歌行燈』が証明している。『註文帳』は遊女の怨霊が由来の剃刀に憑いた話だから、幻想小説好きの鏡花ファンなら読んでいて然るべきだが、では『歌行燈』は? 『註文帳』程に露骨でない分、その気になれば作品の地下に流れる暗い水流の存在にさしたる注意を払うことないまま読了してしまうことだってできるわけだが、それだけに鏡花の工芸品の如き非の打ち所ない完全無欠の文章へ巧みに塗りこまれた、登場人物たちの背後に寄り添って離れようとしないわけのわからぬ不気味さに、体を、ぶる、と震わせるだろう。
 とはいえ、である。鏡花の数多ある小説から重要なジャンルの一つである花柳小説などにも親しんでくれる人があるとうれしいな、と切に思うのだ。前述の『註文帳』は岩波文庫で読めるが、そこに併録された『白鷺』は、別に文庫袖の惹句に乗っかるつもりはないものの、鏡花著す花柳小説の白眉と断言したってよい作品だ。一時はこればかり読んで他の鏡花小説を相当軽んじたっけ。同じ鏡花マニアの知己にその魅力を語り、口角泡を飛ばしたことも、ある。此度本稿執筆にあたり、摘まみ読みしていたらまたぞろ鏡花の小説を、幻想物以外の小説を読み耽る一刻を持ちたくなった。可能であれば機を見て、これらの感想文など書いて本ブログにてお披露目させていただきましょう。
 それにしても、どうして鏡花の花柳小説がいまは顧みられなくなってしまったのだろう。泉鏡花記念館に寄贈される程クオリティの高いコレクションを築き、現代に在ってはめずらしく鏡花の幻想物に対して冷淡な態度を崩そうとしなかった生田耕作先生は、〈幻想小説〉作家鏡花にお熱な読者をかりに〈幻想坊や〉〈怪奇坊や〉と曰うた。わたくしもご多分に洩れずそのお一人であるが、ただ鏡花の花柳小説やその他義理人情の物語群に、幻想小説を読んでいたときには抱いたことのないような鍾愛を感じ、その世界に深く淫したのだから、先生にはお目こぼし願いたく思うている。
 年端もいかぬガキが花柳小説になんぞ、どうやって入れあげたのか、というお話になると、こちらの口も重くなるのだが、今回は特別にちょっとだけ。要するに、花街色街へ出入りして遊興に耽り、芸者遊びも覚えたのだ。流石に周囲の目があるから総揚げして遊ぶようなことはなかったけれど。気附けばそんな経験が鏡花の描いた花柳の世界へ親しむ決定打となったのかもしれない(勿論、鏡花のみならず荷風や秋江、川崎長太郎を読む際にもこの経験は活きましたねぇ)。それだけにはじめて生田先生の鏡花偏愛の文章のなかに件の一節を見出したときは、まるで同臭の士でも見附けたかのように歓喜驚喜したのだ。
 ちかごろの鏡花論が、牽強付会の説が跳梁跋扈し、あまつさえそれが受容される幻想小説へ傾き、花柳小説が見向きもされていないに等しいのは、偏に<遊び>の経験を欠いた人たちが大手振っていることも影響しているように、わたくしの目には映る。お茶屋遊びぐらいしたことあるよ、と反論してくる方あるやも知れぬが、或る程度深入りしてあの世界の女性たちと懇ろになったり手玉に取られたり、お金をずぼずぼ持ってゆかれるなんていう苦い思いの一度や二度なくして、<遊んだ>と、果たして本当にいえるのかな、とは疑問に思うておる。
 むろん、鏡花の花柳小説を味わうためにそんな遊びをする必要はこれっぽっちも、ない。ただわたくしはそうした経験があったからこそ贔屓の引き倒しというていいぐらい耽読鍾愛するまでに至ったのだ、というだけの話。そうして、たまには幻想小説から離れて鏡花の花柳小説をじっくり読んでみませんか、とお誘いしたいだけのこと。◆

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第2780日目 〈確定申告の準備は大変だね。〉 [日々の思い・独り言]

 (更新が遅れてしまいました。申し訳ありません。)
 先週の金曜日からこの方、確定申告の準備に追われています。アパートを建て替えて最初の確定申告なせいもあり、これまでに較べてやることが幾つも増えた。記入すべき数字を可視化するため、Excelに賃料や礼金・敷金を入力してSUM関数で集計し、広告宣伝費や管理委託料他についても同じように。とりあえず或る程度の材料を揃えたところで、昨日は終了。
 それにしても、Excel様々であります。確実にミスが生じてそれに気付かない可能性があるから、電卓を叩くのはできれば避けたいのですよ。日商簿記検定、或いは公認会計士や税理士試験を受験する/したとか、それを生業にしている/いたのであれば、相応の機能を持った電卓を扱い馴れているだろうから、流石に計算ミスが頻出することもあるまいけれど。
 が、現実は然に非ず。電卓を持ち出す機会なんて、滅多にないのです。スマホやパソコンにデフォルトで入っている計算機アプリがあれば、事足りるぐらいのことでしか使うことはありません(目的としては、給料計算や単純な四則演算が関の山)。
 そうはいっても実のところ、上記の試験や職業で使うような電卓ね、ややお値段お高めですが、欲しいのですよ。不動産の仕事を続けていれば所有して可能性もありますが、残念。でも、そちらの仕事で使うとすれば、試験では使用禁止になっている(と聞く)関数機能や計算式の記憶機能が付いた電卓だったろうから、どちらにせよ所有はしていなかったか。呵々。
 ──かつての職場がExcel漬けであったのに加え、教えるのが上手く、また殆どの機能に通じていた上長が隣の席にいたことで、こちらもすっかりExcel操作に馴れて、業務で使用するのに必要な関数はだいたい覚えることができた(気附けばすっかりショートカット派になっていたわたくしである)。
 その職場にいた頃だ。自分で練習しようと思いたって、DellのノートPC、17インチを購入した。職場と同じように使うのは無理があったけれど(個人で報告書の類は作らないものね)、そこを離れて以来、頻繁にExcelを触る場面が減ってしまったことは、正直なところ恐怖でしかなかった。覚えたことを忘れてしまうではないか、さっさとExcelが使える現場に戻って、これまでのように、否、これまで以上に使いこなせるようになりたいのに……。
 と思うていたら確定申告の準備を始めた途端、忘れかけていたExcel操作を思い出すことができました。「理屈じゃなくて、体で覚えちゃった方がいいですよ」といわれた理由が、いまではよくわかりますよ、F谷さん。
 このDellのノートPC、昨日は午後いっぱい、よく働いてくれました。夕食の手伝いで前を離れたわずかの間に、アップデートを始めて1時間超も時間を喰ったことは、まぁ結果として上記の段階まで終わらせられたから、目を瞑ると致しましょう。
 ところでこうした事務作業、殊に関数(数式)を使う場面が頻々となる作業の場合、やはりWindowsへ軍配が上がりますね。
 MacではNumbersが、Excelに代わるアプリケーションとなりますが、こちらはどうも事務には向かぬ。これまでもNumbersで貸借対照表や資産管理表など作ってみたが、ダメ、Numbersはこちらの要望を満たさない。使用可能な数式が限られており(最低限、これだけあればいいでしょ、という感じだ)、応用が利かない。iWorkのテキストなど開けばこちらの疑問は解決し、更なる応用も利くかと思いきや、失望させられるだけだった。エクセルと比較するのは、やはり酷か。
 Macから離れることはない。が、実務に即した作業はWindows一強というてよかろう。Windowsには、その点以外で様々不満があるけれど、いまは口を開かぬとしよう。
 さて、今日は、昨日中途で終わってしまった通信費やその他の科目について作業を進めよう。青色申告決算書と確定申告書を受け取ったら、転記するだけでよい状態にしておきたいですからね。先は長い、根を詰めずに進めてゆこう。◆

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第2779日目 〈初めてのハヤカワ文庫:デイヴィッド・ビショフ『ウォー・ゲーム』。〉 [日々の思い・独り言]

 BSで放送されて録画してあった映画『シャイニング』を久しぶりに観た。勿論、続編『ドクター・スリープ』公開にあわせての放送だが、観ながら思い出しました、はじめて買ったスティーヴン・キングの単行本は、この『シャイニング』であったことを。
 パシフィカから出版された上下巻で、カバー・アートは映画の場面をあしらったヴァージョン。これ以前にほんの短い期間流通した、たしかイラストのジャケット・カバーがあったけれど、本気で捜すことなくいまに至っている。1980年代後半の文春文庫版は、訳者の深町眞理子がパシフィカ版の訳文に手を加えて復刊されたもの。
 「はじめて買った」というつながりでもう1つ、思い出したことが。いま自分の手許には、はじめて買ったハヤカワ文庫があるではないか、と。これも例によってダンボール箱のなかから発掘した1冊だが懐かしくなって、映画を観るまでの間、青色申告会から帰って昨年分の修正申告の作成と総括集計表を記入したあと、ソファを占領してあちこち拾い読みしていたのだ。
 これはもしかすると、はじめて買った翻訳小説でもあったか。──購入直前に映画館に連れていってもらって観た映画のノヴェライズであることも手伝って、読んでみようという気になったのだろうね。その小説の──
 ──タイトルを『ウォー・ゲーム』という。著者はデイヴィッド・ビショフ、訳者は田村義進。この著者を知っているか? わたくしは知らない。調べてみると、アメリカのSF作家でテレヴィ作品にも多くかかわった人である由。幾つかの翻訳もあるらしい。著作リストのなかにはラヴクラフトやディック、トールキンの名を冠した著書もあった。現物を手にしたことはなく、正直なところ検索してみる気にもなれなかった。理由はどうあれ。
 ところでこの映画を御存知の方が、どれだけおられるだろう。マシュー・プロデリック主演の、知らず北米防空司令部の軍事コンピューターにハッキングしてしまい、世界全面核戦争のカウント・ダウンが始まる……という、内容としては今日でもじゅうぶん通用するであろう映画だ。当時はこのような、来たる時代の風潮を巧みに予想して、うまくフィクションへ仕立てた映画や小説が多かったように記憶する。この『ウォー・ゲーム』もそのうちの1作というてよい。
 何年振りか(もしかすると、10数年振りかも)で開いた文庫のページは往時の白さを失い、まぁ全体的に良い感じの色合いに風化し、それでも本体のコンディションは並よりもやや上、というところかしらね。
 ただなぁ……これあってこそ、初期の蔵書の証しといえるのかもしれないが、カバーは裏表紙にダメージが非道く、破れたあとを補修しているのだが、じつは補修に使ったのがセロテープなんだよね。それがどうしたのか、と訊ねる方もあろうから説明しておくと、セロテープは変色し、粘着剤が熔けてべとついている箇所もある。奥付のページにその跡が移り、まるで害はないのだけれど、ちょっと知らない人なら触るを躊躇するだろうな、という程度には障りがあるかな、と思う。
 でも、わたくしはこれを随分と熱心に読んだことを、はっきり覚えている。中学生のときに買った1冊だが、まだ自分には未知の代物であったコンピューターの万能振りをよく伝える読み物で(だって学校の成績を改竄したり、国内の企業に片っ端からアクセスして企業情報を盗み出したりしているのだよ、マシュー扮する引きこもり系オタク高校生はっ!?)、主人公がゲームを開発したり、正体不明のプログラムについて大学生と相談したり、かれの部屋の様子に痺れるものを感じたりしたんだよな。そう、国木田花丸ではないが、「未来ずらぁ」だよ、まさしく。
 なによりもこの小説がわたくしに及ぼしたいちばんの影響がなにか、と問われれば、答えざるを得ない──現存するいちばん古い自作小説は、あきらかに『ウォー・ゲーム』の影響を受けている。思い出すままに粗筋を書くと、──
 コンピューター好きの中学生男子が或るとき防衛省(当時は防衛庁)のコンピューターにハッキングして機密情報へアクセスしてしまう。それを突き止められてかれは当局に拉致されて、まぁいろいろあってアメリカに渡り、防衛省の機密プログラムの開発者と共に新たな作業に携わる。その数年後、それを終えたかれの許に、かつての恋人が訪れてハッピーエンドという、拙いにも程がある短編だ。
 そも当局ってなんだ、どうしていきなり舞台がアメリカに飛ぶのか、など様々な疑問が、こうして粗筋を書いていても頭のなかで乱舞しているけれど、これは間違いなく、わたくしがはじめて書いた、と宣言できる小説である。映画のパンフレットへ載る粗筋に毛が生えたぐらいの代物でしかないけれど、これは間違いなくわたくしがはじめて、書くことを愉しみ、物語を生み出す喜びを感じた小説である。
 お小遣いで買ったはじめての翻訳小説、初ハヤカワ文庫、殆ど処女作に近い小説のモデル(たぶんこの言葉は正確ではない)という、幾つかの点で、『ウォー・ゲーム』はわたくしにとって思い出深く、今後どれだけボロボロになったとしても握玩の1冊であり続ける。
 とはいえ、裏表紙のダメージについては対処の必要があろう。パラフィン紙1枚、死蔵の文庫から剥ぎ取って『ウォー・ゲーム』に纏わせようかな。どう思う?◆

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第2778日目 〈その言葉を探しにゆけっ!!〉 [日々の思い・独り言]

 ふと記憶の底から甦ってきた言葉を追って、時間を過ごすことが間々ある。今日もそうだった。なにかの拍子に、「そういえば紀田順一郎がなにかの本で、仕事帰りに疲れて帰宅して、思うように本が読めないとき窓の外へ向かって大声で、『トリストラム・シャンディー!』とか読んでいる本のタイトルを叫ぶとふしぎと集中できた、って書いていたなぁ……」と思い出したのだ。
 さあ、それはいまからほんの1時間半程前のことである。
 架蔵する紀田の著書は多い。渡部昇一と荒俣宏同様、学生時代からわずかの中断あるとはいえ、ずっと読み続けてきたのだからそれも当然だが、記憶の底から甦ったそのエピソードは20代前半に読んでいるのはたしかゆえ、今世紀になって出版された、或いは購入した本はすべて省いてよいことになる。加えて、内容が内容なので読書論以外の著書に可能性を見出す必要はない。となれば、自ずと候補に挙がる著書は限られてきて──。
 手始めに、いちばん近くにあった『黄金時代の読書法』(蝸牛社 1980/6)を取って、ぱらぱらページを繰っていった。しかし、ここにはなかった。たしか自伝的パートの一節であった、と思うから、そうした部分を含まない本書にあまり関わり合うこともあるまい。
 次に、『書斎生活術』(双葉社 1984/5)を開いてみた。日比谷図書館で借りて一読以来、どうしても手許に置きたくなって方々の古書店を探し歩いて、ようやく御茶ノ水駅近くの、いまは代替わりした古本屋の軒先で購入した、一際愛着ある本だ。おまけに本書には書斎遍歴を中心とした、自伝の側面を持つ文章が載る。これは期待できる。おそらくこれにて一件落着となろう……と思うたが、甘かった! 見附からなかったのだ。
 そんな馬鹿な、と己を責めても、ないものはない。ない袖は振れない、という道理。その代わり、しばし読み耽ってしまい、上述の捜索時間1時間半の内、約40分はじっくり本書を読み耽っていたね。はたと気が付いて作業に戻ったときには、もう探すの止めようかな、なんて考えが脳裏を過ぎったことは内緒だ。
 その次に手にした『現代人の読書』(三一書房 1964/6)は、当初から期待の薄い本であった。記憶に残るその一節、それが載るページの版面と、本書の版面には著しい相違があるからだ。活字は斯くまで細かくはなく、ページの余白もこれ程狭くはなかった──序でにいえば、本書はがちがちの読書論であり、若き日の著者の情熱が漲った1冊であるけれど、逆にいえば件のエピソードの入りこむ余地はない1冊でもあるからだ。為、目次へ目を通し、ざっとページをめくっただけで早々に却下。
 実は4冊目に手にした『知性派の読書学』(柏書房 1977/7)も、事情はさして変わらない。個人的には渡部昇一との対談が載る貴重な1冊であり、その時点に於ける著者の読書論の到達点であり、また前述の『黄金時代の読書法』や『書斎生活術』、或いは『古書街を歩く』などの著作の萌芽となる部分を含んだ見逃すベからざる本なのだが、今回は無用の1冊と相成った。
 さて。前段にて幾冊かの書名を挙げたのには理由がある。ちゃちな伏線である。では、解決編へ、読者諸兄よ、一緒に進もう。進んでくれ。
 こんなはずはない。紀田の著書は1冊たりとも処分していないし、件のエピソードは文庫ではなく単行本で読んでいる。ならば、この1時間超の間に手にした本のどこかで、それは発見されるのを待っているはずなのだ。
 ああ、もうチクショウめ。口のなかでそう呟きつつ、もう一度、『黄金時代の読書法』を手にしてみる。いま一度、きちんと検めてゆこう、と考えたのだ。見落としている可能性はじゅうぶんあるのだ。そうして、探し物は一度で見附からない、と(わたくしのなかでは)相場が決まっている……。2周目で見附けられなかったら、仕方がない、範囲を広げて20代後半以後に買った単行本や文庫まで点検してみよう。この時点で実は、定時のブログ更新は諦めていたんだよね。
 そんなこんなで『黄金時代の読書法』を開く。すると、目の前に驚嘆すべき光景が広がった。そこにあったのは、かつて著者が夜遅く仕事から帰宅してからの読書は辛かった、気分転換を図ったりもしたが、ふと思いついて本のタイトルを窓の外へ向けて叫んだら意外と効果があることに気が付いた、という回想。──おお、なんてこったい!
 つまりは開いたページに、探していたエピソードが書かれてあったのだ。まるでそのページに組まれた活字が、「だれかをおさがしかな?」とにんまり笑っているかに見えたねぇ。え、それってチェシャ猫のように? そう、まさにそんな感じだ。
 いろいろ迷走もあったけれど、求める文章に出会い、新たに確認できたので、良しとしよう。こう書いておけば、心配ない、綺麗に締められるはずだ。
 こうして捜索は終わった。事の序でに前のページを繰ってみたら、満員電車内での文庫の持ち方について触れた文章があったので、それについて倩思うことを綴って本稿擱筆とする。
 紀田はこう説明する;開いた文庫の前を小指と人差し指で押さえ、後ろを中指と薬指で支える。ページをめくるときは、遊んでいる親指で行う。これなむ<片手運転>と称す云々。
 試しに手近の文庫を持ってきて、試してみた。無理だった。持つことはできても、めくれない。至難の技である。めくろうとしても人差し指が邪魔してできず、かというて人差し指を動かそうとしても頑として動いてくれようとせず──。紀田順一郎の運指はどうなっているんだ。アアボクハブキッチョナノデショウカ、オシエテクダサイ、ミナノシュウ(ことりちゃん風に。内田彩の声で、勿論当然)
 わたくしの場合は文庫の前を小指と親指で押さえ、なかの3本で支える。めくるときは親指で行う。高校時代からこの方半世紀以上続けてきた方法である。けっきょく自己流がいちばんなのだ。◆

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第2777日目 〈デパートでの古書即売展が愉しみだった。〉 [日々の思い・独り言]

 デパートでの古書即売展に胸躍らせて、足取り軽く、期待を膨らませて出掛けていたことを、若き古書マニアへ話しても通じないことに愕然とした。
 たしかに、デパートや百貨店の催事会場にて古書即売展が開かれなくなって、もう随分になるな。こちとらが学生時代と就職浪人時代、まぁ、つまり1980年代後半から1990年代中葉までの、バブル経済が頂点を極めてゆっくりと崩壊に向かおうとしていた頃のこと。それが実際に弾けて一気に日本経済がどん底に落ちこんだ頃のこと。年に何回か地元デパートや百貨店で開催される古書即売展を、首を長くして待ちわびていた。
 新聞に載る催事情報へ目を配り、その日に備えて日雇いバイトを重ね、そうして得た数枚の諭吉さんを数枚ありがたく拝した後、一部を銀行口座へ預け入れたらば手許に残った福沢先生はすべてが書籍購入のための軍資金となった。貯えた軍資金を懐に仕舞い、人いきれでムンムンする催事会場へ足を運び、古書が詰めこまれた平台へ目を走らせ、探し求める本が並んでいないかひたすら目を血走らせる……。
 会場に満ちあふれる出展者側と客の側がかもす熱気と興奮。目指す本があと数センチ、わずか一瞬の遅れによって目の前でかっさらわれたときに怒りと落胆。逆に思いがけずお宝本が安価で手に入ったときの幸福。買おうか買うまいか迷っているとき、耳許で囁く悪魔の声。折良く探していた本を台で見附けて胸に抱きしめたときの法悦。古書即売展ならではだ。もっとも、神保町の古本祭りを知ってからは、そこでも同様に味わうあれこれでもあったのだが。
 紀田順一郎『新版 古書店を歩く』(福武文庫 1992/3)冒頭で活写されている古書即売展の様子は、既にわたくしが参加するようになった時代には見掛けることのなくなっていたが、トラブル面では残滓ともいうべき出来事は出来していたなぁ。実際、わたくし自身、若造と舐められたせいか、胸ぐら摑まれたり威嚇されたりしましたけれどね。が、残念なことに、喧嘩上等な人間ゆえ怯むことなく堂々と啖呵切ってお相手申しあげたところ、一緒に会場からつまみ出されましたがね。
 『新版 古書店を歩く』や他の人が書いた古書即売展に関する文章など読んでいると、やはりこれらの開催に先んじて目録が発行、頒布されていたそうだが、不幸にしてわたくしはそれを入手、事前に目を通してどんな本が出品されているか、確認したことがなかった。横浜のデパートで催される古書即売展程度にまで目録が発行される、なんて考えも及ばなかったときですから、仕方ないといえば仕方ないか。もっとも、開催直前に始めた日雇いバイトの給料で、目録に載る欲しい本をどれだけ購入できたか、甚だ疑問ではありますが。
 1990年代中葉以後、新聞で古書即売展の広告を見ることもめっきりなくなり、21世紀になり改元もされた今日では尚更であるが、もしかすると最早デパートや百貨店を会場にした古書即売展は絶滅してしまったのであろうか。うむ、絶滅危惧種ではなく、絶滅種。であれば、冒頭の若き古書マニアの知らぬも首肯できるのだが、なんだか淋しい。当時の古書マニアといまの古書マニアって、明らかに購書の理由も探求と蒐集への執念も変質してしまったもの。
 擱筆に際してお断りしておくが、これはあくまで神奈川県横浜市に於ける状況である。そうして全国紙・地方紙・地元の新刊書店と古書店等で把握し得た限りデパートでの古書即売展が開催されていないと言うのである。他の都市部での状況は考慮していないので、ご承知の程を。◆

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第2776日目 〈今宵のビールは格別に美味い。〉 [日々の思い・独り言]

 これまで書いたことはありませんでしたが、ただいま1件、係争中の案件を抱えております。
 昨日11月26日、首都圏からは外れた関東地方の町で、関係者と卓を共にして約2時間程話し合いを行ってきました。むろん、内容については詳細はおろか匂わすこともしませんが、実りある話し合いだったと信じたい。
 結論を出すべきタイミングではないゆえ、まだまだ係争は続くことになる。が、向かうべき方向性の確認が取れただけでも、大きな進展であった──。
 大きく動くのは年が明けたあと。金銭絡みの話がそのあとに出るので、また一悶着起こるのが必至とはいえ今回顔を合わせて、皆がいうべきを発言。いちおうの落着を見た。
 昨日の話し合いに向けた準備を進めるなかで多くの弁護士や司法書士、行政担当者、知己の人々、大学の同窓会組織にご相談させていただいた。この方々の助言等がなければ、おそらく観的に、感情を抑えて、神経すり減らつつも、うるさい係争相手と冷静に渡り合うことはできませんでした。改めてこちらでも謝意を表させていただきます。
 守るべき者があると、否応なく戦いの火中に身を投じなくてはならぬ場合もある。それについては一時、というよりも最終的には独りであたることでもあったせいでか、いろいろ抱えてこんで相当ヤバい対処まで想定したのだけれど、お陰様でどうにかこうにか、事態の一時収束を果たすことができた。
 それゆえにこそ、……帰宅したあとに開けたビールが殊更美味く感じたのでありました。ああ、ビールってこんなに美味いものだったのか。◆

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第2775日目 〈太宰治『二十世紀旗手』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 Twitterで既にご存知の方には、同じ話題となることをお断りしておきます。
 今日(昨日ですか)の昼、太宰治『二十世紀旗手』を読了しました。『晩年』上梓後に書かれた、小説とも散文詩とも断章とも、或いは熱に浮かされた状態で書き殴った呪詛とも、様々に受け取ることが可能な、なんとも不可思議な1冊でありました。
 かりに『晩年』を初期太宰文学に於ける<陽>とするならば、『二十世紀旗手』に収められた7編はその<陰>を為す。太宰の生涯や思想の解読、理解には必読必至の作品集;そのための<鍵>が埋まった1冊と申せましょう。
 大仰かもしれませんが、志ある者は座右また枕頭へ侍らせて複読、そうして徹底的に読み倒すべき。既にそのような動きは起こっているのかしれませんが、『地図』と『晩年』とこの『二十世紀旗手』は、これからの太宰受容に於いて3冊セットでこそ読まれてゆくのが相応しいように、わたくしは考えるのであります。
 太宰自身や解説にて奥野健男がいうように、冒頭に置かれた「狂言の神」と「虚構の春」は、『晩年』所収の「道化の華」と併せて読むと、また一段と奥行きが出た読書体験になるでしょう。となれば復刻版(三部曲『虚構の彷徨』)を読まれるがベストとなるけれど、まぁ文庫を取っ替え引っ替え読むのも、なにかしらの相乗効果が生まれて楽しいかもしれないね。
 「雌に就いて」はあたかも『源氏物語』の「雨夜の品定め」を想起させるような装いだが、話が進んでゆくにつれて鎌倉の海で心中未遂を起こした際、本当に死んでしまった相手の女性の姿が終盤になって、ゆらぁ、と立ち現れてくるような、そんな背筋の凍るような怖さと、未遂に終わった女性への哀れさと苛みが同居した、太宰文学初期の歴然たる<怪談>というてよいでしょう。
 意味ありげに最後へ配された「HUMAN LOST」は、これまた頭をぐらんぐらんさせるようなふしぎで奇妙な1作。本作扉ページへ書きつけたメモを、ここに転記させていただきます。曰く、「千々に乱れて思ひ至らぬ及ばぬ箇所ありと雖も、要所に剥き出しの告白あり敏感に反応して心痛くまた塞がりぬ。本気で太宰を愛するならば本編は熟読、我が物とする必要あり。不可軽不可無視一作也」と。
 言葉を補うとすれば、この告白とは呪詛とも懺悔とも宣戦布告とも戯けとも、如何様にも受け止められるそれであります。これこそが太宰、と思わしめる満身創痍の絶唱が、この「HUMAN LOST」といえましょう。本作が後の傑作、『人間失格』の萌芽というのも納得なのです。
 <第二次太宰治読書マラソン>はこのあと、随筆集『もの思う葦』へ移り、そのまま中後期の作品に続きますが折節、どうにもこうにも理解の及ばなかったきらいのある「創生期」や講演録のスタイルで、かつては親しうしたが或るとき袂を分かった作家、中村地平を語った「喝采」など、吸引力のある作品の並んだ本書へ立ち戻ってみることになる、とはっきり予感しているのであります。『二十世紀旗手』はそんな意味でも、不可思議な小説集なのでした。◆

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第2774日目 〈渡部昇一の著書からもう1人;岩下壮一『カトリックの信仰』他を読んだっけ。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日のエッセイをお披露目した後、「そうだ、渡部昇一の著書でもう1人、親しむようになった著述家がいたな」と思い出した。カトリックの司祭で神山複生病院長を務めた岩下壮一である。
 いちばん最初に岩下の名前を知ったのは、渡部のなんという著書であったか、もう忘れてしまった。いまはもうなくない駅ビルの本屋で買った、『楽しい読書生活』(ビジネス社 2007/9)だったと記憶するのだが……。
 無人島に持ってゆくなら、という読書家なら一度は受ける(とされている)永遠の質問ヘの回答で挙がったのが、岩下壮一『カトリックの信仰』だった。
 ちょうど聖書を読み始めていた時分だったこともあり、読みたくて捜したけれど講談社学術文庫版は既に絶版。ネットの古書店でたまに見附けても高値が付けられ、神保町や高田馬場、神奈川県内の古書店を廻っても事情はさして変わらず。そも実物を見たのは、唯の1度だけだ。
 2015年7月にちくま学芸文庫から復刊された際、さっそく1本を購い求めたところ、部分部分で「なんとなくわかるな」と思うことあれど、歯の立たぬところの方が圧倒的に多かった(とはいえ、その4ヶ月前に岩波文庫から出た『信仰の遺産』(2015/3)よりは、わかりやすい本だった)。「キリスト教の真理とは」、「信仰の本質とは」、「神学とは」といった点を懇切丁寧に、平明な文章と砕けた語り口で、未熟者にもわかるよう説いてくれている点が背中を押して、つい幾度も手に取って読んだのである。
 正直に告白すれば、わたくしは生涯を費やして神父の著書を読んでも、一知半解の域を超えることはないのであるまいか、と嘆息している。『カトリックの信仰』はカテキズム、公教要理の概説書として未だこれを凌駕する物なし、という程の立場を与えられた本だが、どうにもこの、専ら問答形式で行われているキリスト教教理を解説したカテキズムそれ自体に然程馴染んでいないとなれば、それも宜なるかな。
 実は聖書を読んでいた頃、次に読む、或いはこれから読みたく思う書物として、いろいろ考えた。そのなかにあったのが、『小教理問答』(ルター著)と『ハイデルベルク信仰問答』。これはカテキズム、公教要理のテキストである。知らぬ間にカテキズムへ近附こうとしていたことにいまさらながら吃驚だけれど、結果としてこの望みは果たされていない。
 まだ視力がしっかりしているうちに、岩下神父の著書にしろ公教要理のテキストにしろ、読んでしまいたい、と願っている。
 蛇足ながら、『信仰の遺産』には表題作の他、随筆が数編併録されているがその内の、「十字架へ向かって」と「キリストに倣いて」、「G・K・C管見」は無類に面白い。はじめて神父の文章へ接するのに最適ではないか。いきなり本丸、二の丸へ挑んで挫折するぐらいなら、これらの随筆で馴染んでおくのが宜しいか、と……。
 最後に。岩下壮一の伝記として小坂井澄『人間の分際』(聖母文庫 1996/7)がある他、神山複生病院長時代の岩下を描いた重兼芳子『闇をてらす足おと』(春秋社 1986/11)も出版されている。他にも文献等あるやも知れぬが、それがし未見なり。◆

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第2773日目 〈渡部昇一の著書からは知的刺激をたくさんもらった。〉 [日々の思い・独り言]

 高校生の頃から渡部昇一の著書に親しむと雖も歴史や日本人論にはどうも付いてゆくことできぬ部分多々あり、その方面に関してはけっして模範的読者とは言い難い。壮年期に著した画期的史論『日本史から見た日本人』(祥伝社 古代編・鎌倉編・昭和編:1989/5)と、晩年の『渡部昇一の少年日本史 日本人にしか見えない虹を見る』(致知出版社 2017/4)は何度も読み返して都度新たな感銘を受け、よくぞ書いてくれたものだ、と感謝さえしているのだが、……。
 ところで渡部昇一の本を読んで紹介されている著述家や小説へ興味を持ち、実際に読んでみたところすっかり虜になってしまった最右翼は、佐々木邦と幸田露伴、そうして徳富蘇峰という面子になる。
 幸田露伴は岩波文庫の『努力論』に始まり、幻想文学方面からのアプローチが同時期にあったせいで「幻談」を読んで腰を抜かし、続いて谷沢永一との対談本で露伴全集架蔵の夢を抱いたものの叶わず図書館で借り出すことを長く行っている。
 佐々木邦はたまたま父の書棚にあった講談社少年文庫の『苦心の学友』を読んで「ン、これは面白いぞ。ぜったい自分好みの作家に違いない」と合点してあちこちの古本屋を探し歩いて、だんだんと点数を増やしていった。どれもこれも裏切られることなく、その健全な道徳観と明朗なユーモアは、時に<黄金のワンパターン>とさえ感じるけれどそれが逆に妙に心地よく、却って絶対的安心を佐々木邦に抱くことになったっけ。
 徳富蘇峰についてはいまに至るも専ら『近世日本国民史』の読者でしかなく、それも講談社学術文庫版でしか読んだことがない、と来れば語るに資格なしかもしれぬが、渡部が晩年に一条真也を相手に対談した『永遠の知的生活』のなかで、学術文庫版には朝鮮出兵の巻が未収録であることを教えられて(P36 実業之日本社 平成26/2014・12)、「仕方ない、多少の値が張ろうとも元版を買おう」と決意(?)せざるを得なくなり……全100巻あるそうですが……いやぁ、道はとっても遠いであります。
 高校時代から始まって、そうね、いちばん頻繁に読み耽って影響を受け続けたのは20代後半までかしら。正直なところ、実社会に出て自分のスタンスが社内で築けて、だんだんと日々の生活がルーチンになって来る頃までは、渡部昇一の本はどれもこれも読むのが苦痛だった。理由? 自分でお考えなさいな。優しくないか、なんというか、実社会を見聞するだけの人がなにをいうているのか、という一種の反感、かなぁ。うまくいえないけれど。
 まぁ、そんな徒し事はともかく。
 ちかごろも渡部昇一が取り挙げていた小説に(本格的な)興味を抱いて図書館で全集を借りたり、八重洲ブックセンターで買ったりした本が、幾冊か。ちなみに図書館で借りた小説はその後、ヤフオク! で文庫版を落札した。順番に申し述べれば、伊藤整『氾濫』(新潮社→新潮文庫)と『潤一郎ラビリンスⅢ 自画像』(中公文庫)である。
 前者は不断の知的活動の集積がどのような効果を生むことにあるか、その例として挙げられた(『知的生活の方法』P124-7 講談社現代新書 1976/4)。後者はプラトン思想を谷崎が真に理解して咀嚼していたかの例として(『発想法』P59-62 講談社現代新書)。
 わたくしは本稿でこれらの紹介を行うために筆を執っているのでは、実はない。或る本を読んで別の本に繫がる、広がってゆくきっかけの大切さを、お伝えしたいだけである。
 書評は本の紹介のためにあるのではない。読者にその本を読ませる、買わせることを目的とする。横暴な言い方だろうか。もし、書評の究極目標はそこにはない、という向きがあれば是非名乗り出ていただきたい。お話ししよう。
 その役目を果たすのは本来書評であろうが、ご承知のように本の紹介はなにも書評でのみされるものではない。教養書や実用書(と称して果たしてよいものか)で取り挙げられる本についてもいえる。勿論、唯の書名や作者の羅列が読み手を唆すことは、まずない。肝心なのは、どのような視点で取り挙げられたか、では?
 前述の『氾濫』であれば主人公の1人、町工場の技師である真田は戦前から接着剤に興味を持ち、自分でもデータの収集とカードへの記入に余念がない。戦中の苦しいときでも国内外の文献に載る研究結果が出ているとそれをカードに書き写していた。そうしてそれを基に、小さな実験を繰り返して、とにかく戦前戦中を過ごした。戦後になって友人から、海外の研究者が行っている推計学というのを教えられるや、「いままでのデータの推計学的な処理をやり、いろいろな接着剤の性質を数式で示すことに成功した」(P126)のだ。それが外国でも認められると、真田は工場の技師長を務めながら会社の要職にも就く。
 カード・システムの効用について触れた箇所だったことから渡部は、真田がコツコツと自分の興味ある分野のデータをカードに書いて、それが結果として大きな業績となった点を取り挙げたのだが、この箇所が、はじめて読んだときから30年に渡って頭の片隅に引っ掛かっていた。漠然と研究職に就けたらいいいなぁ、とぼんやりと考えている自分の読書であったから尚更であったかもしれない。
 いまになってようやっと『氾濫』を読んでみる気になったのは、単にその気になったから、というばかりでなく、ちかごろのわたくしが再び渡部昇一の本をまとめて読み耽る機会を作って実行し、加えてこれまでダンボール箱のなかに眠っていた古典文学や近代文学のテキストや研究書を大量に書架へ並べられるようになったからだろう。まぁ平たくいえば、自分の内に再び<研究>の火が揺らめきはじめたのだね。
 それが長年引っ掛かり続けていた記憶と融合したタイミングで図書館へ探している別の文献探して訪れた際、それが思い出されて検索してみたら、書庫に全集や文庫が架蔵されていることが判明、勇んで借り出して読み耽り、自分の手許にも置いておきたくなるぐらいのお気に入りとなった──。
 これの新潮文庫版は昭和36/1961年7月初版、昭和51/1976年8月26刷となっている。当然活字は小さいがかすれたり潰れたりしていない点が幸いで、つい先日も3度目の読み返しを行ったばかり。いまの時点では鍾愛の書、握玩の書とまではならないが、かつて研究者を目指して文献資料のデータや論文のヒントとなるようなメモ・アイデア、在野の国文学者/民俗学者の著述目録をカードに写したり書きこんで増えてゆくのを幸福と思うていた自分には、これ程共感と羨望を覚える小説もそうあるまい、と思うておるのだ。渡部昇一の本を読んでいなかったら、ぜったいに出会うこともなかった小説であったよ、この『氾濫』は。
 斯様に、先人の著書で名前を取り挙げられる著述家や著書に読者がなにかを感じて、手を伸ばすには、自分に興味あるテーマや視点、角度からアプローチされていることが必要なわけだし、或る意味で奇跡に近い遭遇となるが、それを果たした者のその後の読書に於ける幸福度はきっと計り知れないものがあるに相違ない。
 わたくしの場合、他の誰よりも渡部昇一の著書はそうした幸福を、幾人もの著述家に於いて実感させてくれた、そんじょそこらの書評や教養書の類よりも、ずっと益多くいまなおその恩恵を被っている恩書である。
 ……いま何冊か、書架から持ってきたのだが、特に『発想法』からは多大な導きを得ておりますな。鴎外と逍遙の論争から森鴎外の(「舞姫」や「山椒大夫」など以外の)著作を読み、吉川幸次郎や福原麟太郎、内藤湖南の著書を古本屋で漁るようになり、原勝郎『日本中世史』を捜し歩くようになった。正直なことを申しますと、ここまでさせる本の著者をわたくしはこの人以外に知ったことがありません。そんな人がもうこの世に亡いことを、つくづく残念に思います。そうしていまの人たちが書くものの過半に知的刺激を受けられぬのを、同じように。◆

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第2772日目 〈田山花袋は読まれているのか?〉 [日々の思い・独り言]

 三浦しをんは高校時代、国語の授業で田山花袋「蒲団」を読んだ折、教室中が一斉に騒々しくなった旨エッセイのなかで回顧している。ラストシーンに触れての言であるが、同じ市内の高校に、然程変わらぬ時期に高校時代を過ごしているにもかかわらず、わたくしは高校時代に教科書で花袋を読んだ記憶がまったくない。学校で使用する教科書は異なるから、当たり前といえば当たり前の話だが。
 はじめて花袋の小説に触れたのは進学した後、近代文学の講義に於いてである。「蒲団」の展開や結びに納得するところ多かったわたくしだが、教室の後ろの方に坐る女性たちはそうでもなかった様子。汚いものに触れるか目撃したかのような、そんな声にならぬ悲鳴がかすかに聞こえてきたのを、いまでもよく覚えている。
 が、わたくしは田山花袋に非道く惹かれるところがあったのだ。おそらく<地縁>がいちばん作用したと思しい。そうして……こうもあけすけに自らの恋情や欲望を綴り、或る意味で何物にも囚われぬ自由な行動を主人公/語り手が発揮する小説へお目に掛かったことなんて、これまでなかったものね。これを契機にわたくしはしばらく自然主義文学へどっぷりと嵌まりこむのだが、二十歳前後の頃程自然主義文学へ心惹かれて読み耽るにふさわしい年齢が、他にあると思うかい?
 「近代文学が好きです」というと当然、次は「誰が好き?」と質問が来る。「鏡花と荷風と谷崎と秋江と、漱石と露伴と春夫と太宰と……」なんてずらずら挙げてゆく最後に、「あと忘れちゃいけないのが、花袋っすね」というと、割合高い頻度でずっこけられるか、「どこがいいの!?」と追及される。もう馴れましたけれどね。
 あの、皆ね、「蒲団」のイメージに囚われすぎ。たしかに、「蒲団」はややアレなお話だ。その見方を否定する気はないが、物語の流れを追って、語り手の心情等汲みながら読んでくれば、最後の展開は至極真っ当な帰結といえる。煽情的な部分だけ切り出して伝播する愚かさを、世間の「蒲団」観にわたくしは見るのだ──。
 しかし、そうした人々は果たして花袋の代表作たる、向学心に満ちた青年が田舎に埋もれてゆく様を描ききった『田舎教師』を読んでいるか。叔父一家をモデルにした家庭小説『時は過ぎゆく』はどうか。健脚で知られた花袋の面目躍如といえる数々の紀行文や『温泉めぐり』、或いは大正年間の東京ガイド『東京近郊 一日の行楽』(※)をいちどでも読んだことはあるか。幼き頃を語り、その後の東京生活を綴った随筆『東京の三十年』はどうだ。関東大震災後の東京をルポした『東京震災記』は読んだか。児童文学の小さな傑作というも過言ではない『小さな鳩』を知っているか。脱走した一兵士が捕らえられて銃殺されるまでを描いた『一兵卒の銃殺』はどうだ。「蒲団」1作でゆめ断ずるべからず。
 ちなみに文庫化されているものだけをここでは挙げたつもりだが、「数々の紀行文」と『小さな鳩』は単行本や復刻版となることをお断りしておく。
 取り敢えず文庫で読める作品は──直近の収穫は、行きつけになった古本屋の棚で偶然発見して衝動買いした『近代の小説』と『野の花・春潮』(角川文庫)である。幾らでお買いあげ? そんなの告白できません──一通り読んでしまったかな、と思うている現在、すこしばかり収納スペースの生まれた書棚を見て企むのが、『田山花袋全集』のお迎えであるのはおおよそ見当の付いている読者諸兄も居られよう。それは正解なのだ、が……! 他の文学者のように新しい全集が出ているわけではなし。現在ある全集は戦前、昭和11/1936年から翌12/37年に内外書籍から刊行された全集全16巻を、文泉堂書店が昭和48/1973年から翌49/74年にかけて復刻・刊行した際「別巻」を新たに加えたものなのだ。読むには構わないのだが、書誌や校訂の点にどこまで信用を置いてよい代物なのか、不安で仕方ないのである。
 近代文学で最も愛するは鏡花に荷風、太宰と花袋、となるが、殊花袋については未だまともな文章を書き得ておらぬため(精々が過去に『温泉めぐり』の感想があったぐらいか)、太宰や鏡花と同じように書いてみるつもりだが、正直なところ田山花袋の作物を読まずして過ごすこと幾年になるか。その日に備えてあちこちに散らばった花袋の文庫と復刻版をまとめて積みあげ、数日読み耽ってみるところから始めるか。◆

※『東京近郊 一日の行楽』(大正12/1923年 博文館)と『東京の近郊』(大正5/1916年 実業之日本社)から東京にまつわる文章を抄出して、現代教養文庫から平成3/1991年に刊行された1冊である。□


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