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第0015日目 [出エジプト記]

今日は、出エジプト記31章です。つまり、最後のコーナーを回った、ということです。
モーセ五書のノートが終わったら、創世記に戻って出エジプト記の未載部分までのノートを書きます。


31章で主は、幕屋や祭壇、祭具一式を実際に作るに際してユダ族のフルの孫、ウリの子であるベツァルエルを作業監督に指名しました。「彼に神の霊を満たし、どのような工芸にも知恵と英知と知識を持たせ、……、すべての工芸をさせる」(出31:3,5)
ベツァルエルの助手として、ダン族のアヒサマクの子であるホリアブを、主は指名しました。
「彼らはわたしが命じたとおりに作らなくてはならない」(出31:11)

安息日を守れ、と主はいいます。守らねばその者は死刑、それだけ安息日を重視して生活せよ、と主は教えます。
安息日を守りなさい、というのは創世記に於いて主が世界を創造されるとき、六日働いて七日目に休んだからです(創2:2-3)。
すでに安息日についての仰せは、出20:8や23:12などに見られます。

それを伝え終えると、主は、「二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった」(出31:18)


銀座へ映画を観に出掛けました。『マルタのやさしい刺繍』。
とてもチャーミングであたたかい、ほろりとさせられる、元気が出る映画でした。
今年観た映画のベスト3に入れるつもりです。観ていらっしゃらない方、是非どうぞ……。
夢を実現するのに年齢は関係ないんです。
いぶし銀のような渋い光沢を放つ生き方も、じつに良いものです。◆

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第0014日目 [出エジプト記]

14日経っても、相変わらず出エジプト記を読んでいます。


今日は30章です。
主はモーセにいいました。


・香を焚く祭壇を、アカシヤ材で作りなさい。

香を焚く祭壇も持ち運びできるようにこしらえ、そこで焚く香は特別にしつらえられた香でなくてはならない。
これ以外の香や焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、葡萄酒などの献げ物を供えてはならない、と主は命じました。


・聖別の油を作り、代々に渡ってわたしのために使いなさい。

指示の通りに作った油を臨在の幕屋、契約の箱、すべての祭壇と祭具に注ぎなさい。そうすればそれらはすべて神聖なものとなる。
アロンとその子らにもこの油を注ぎなさい。そうすることで彼らは祭司として聖別される。
この油は他のことに使ってはならない。


・手を清めるための洗盤を作りなさい。

青銅で作った洗盤と台を臨在の幕屋の前に置いて、水を入れる。
臨在の幕屋に入るときと祭壇に近づくときは、必ずそこで手を清めてからにしなさい。
これを代々に渡って守りなさい。


・祭壇で焚く香を作りなさい。

ナタフ香、シェレヘト香、ヘルベナ香と純粋な乳香を同量取って香料を作り、臨在の幕屋の前に置きなさい。
これを神聖なものだから私用で使ったり、私用に同じものを作ったりしてはならない。
【岩波訳によると、ナタフ香は「マメ科、モミ科の樹木の樹脂から作った香料」、シェレヘト香は「語源や意味は不詳」、ヘルベナ香は「セリ科オオイキョウ属から取れる樹脂で作った香料」だそうです。】


また、主はモーセにこういいました。

「あなたがイスラエルの人々の人口を調査して、彼らを登録させるとき、登録に際して、各自は命の代償を主に支払わねばならない。登録することによって彼らの災いが降りかからぬためである」(出30:12)
成人男子だけが規定の銀半シュケルを主への献納物として支払うように、と念を押しています。
財産があるからといってこれ以上支払ってはならないし、財産がないからといってこれ以下の支払いで済まそうとしてもいけない。
ある意味で冷酷なお達しでありますが、これは今日でも教会で受け付けている献納金のことであります。
「命の代償金は臨在の幕屋のために用いる。それは、イスラエルの人々が主の御前で覚えられるために、あなたたちの命を贖うためである」(出30:16)
※これは後に、「民数記1:1-2」で改めて述べられます。



玄関脇のお茶の木を剪定しました。花を付けた枝は丁寧に切り離し、仏壇に供えます。◆

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第0013日目 [出エジプト記]

出エジプト記は今日で13日目。
終わるまでは、安息日を設けずにいようと思っています。



今日は、29章を読みます。


28章で、アロンとその子らを聖別して祭司に就かせる旨、主がいいました。
今日の29章では彼らの祭司聖別の儀式について、いろいろ決まり事をモーセに伝えられます。

聖別の儀式では……
①若い雄牛1頭と傷のない雌の子羊2匹
②酵母を入れないパン
③酵母を使わずオリーブ油を混ぜて焼いた、上等な小麦粉入りの輪型のパン
④オリーブ油を塗った、酵母を入れていない上等な小麦粉入りの薄焼きパン
以上を一つのかごに入れて、幕屋の前まで来なさい。

然る後、アロンとその子らは祭服一式を身につけ、それらを決められた通りに、主の御前に献げなさい。

その後に、任職式での献げ物の処理の仕方が述べられてゆきます。
主は、これを七日間続けなさい、と命じられました。
「あなたはわたしが命じたとおり、アロンとその子らのために七日の間任職式を行いなさい。罪の贖いのために毎日、贖罪の献げ物の雄牛をささげ、祭壇のために罪の贖いの儀式を行って、それを清め、またそれに油を注いで聖別しなさい。七日の間、祭壇のために罪の贖いの儀式を行って、聖別すれば、祭壇は神聖なものとなる。祭壇に触れるものはすべて、聖なるものとなる」(出29:35-37)


次に、七日続く任職式での献げ物について。

祭壇には毎日絶やさず、1歳の雄羊2匹を、朝に1匹、夕べに1匹ずつ献げなさい。
朝に献げる雄羊には1/4ヒンのオリーブを砕いて取った油を混ぜた1/10エファの小麦粉と、1/4ヒンの葡萄酒を献げなさい。
夕べの献げ物では、雄羊と穀物、葡萄酒をいっしょに献げなさい、と主は命じております。これは燃やされて、主に献げるなだめの香りとなるのです。
これが、代々に渡って臨在の幕屋で行われる「日ごとの焼き尽くす献げ物」(出29:42)となります。


「わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかける。わたしはそこでイスラエルの人々に会う。そこは、わたしの栄光によって聖別される」(出29:42)

「わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる。彼らは、わたしが彼らの神、主であることを、すなわち彼らのただ中に宿るために、わたしが彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る。わたしは彼らの神、主である」(出29:45-46)


補注です。
1ヒンは約3.8リットル、従って1/4は約1リットルとなります。
1エファは約23リットル、1/10エファは約2.3リットルです。



庭になっている柿をもぎました。軸のやわらかいもの、固いもの、両方ありました。
味は、固い方が甘く、やわらかい方はそれほど……、というところです。
赤ん坊の頃から庭にある柿の木、これからも大切に丹精してゆきたいものです。◆

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第0012日目 [出エジプト記]

のろのろと進む「出エジプト記」、今日は28章です。主の指示はまだまだ続きます。


28章で主はモーセに、祭服一式をアロンとその子らのために誂(あつら)えるよういいました。
祭服一式とは、エフォド、裁きの胸当て、上着、額当て、格子縞の長い服、ターバン、つづれ織りの飾り帯のことです。

エフォドとは何度か聖書中に出てくるのですが、ここでは大祭司がまとう祭儀用に仕立てられた華麗な着衣を指します。これには、イスラエルの子らの名を刻んだ2個のラピス・ラズリを肩紐につけているのが特徴です。

裁きの胸当ては、神託用の道具を入れるための胸ポケットです。12の宝石に12の部族の名を刻んで、2枚の胸当てにつけます。「アロンは聖所に入るとき、裁きの胸当てにあるイスラエルの子らの名を胸に帯び、常に主の御前に記念とする」(28:29)
胸当てに入れる小道具はウリムとトンミムです。注釈によると、神託伺いのときに使う一種のくじの由。「アロンはこうしてイスラエルの人々の裁きを、主の御前に常に胸に帯びるのである」(28:30)

上着はエフォドの上に羽織るもので、青一色の布で仕立てるよう、主は命じました。裾のまわりに金の鈴とざくろの飾りを、交互に付けているのが特徴です。
「アロンが聖所で務めをするとき、この上着を着ける。それは彼が中に入って、主の御前に出るときにも、立ち去るときにも、鈴の音が聞こえるようにして、死を招くことがないためである」(28:35)

額当ては、純金で作られ、花模様が刻まれ、模様の上に「主の聖なる者」と刻みなさい、と指示されています。
それを、亜麻で作ったターバンの正面に来るよう身に付けなさい、とも。

これがアロンのための祭服について、主がいわれたことです。
アロンの子らのためにも、祭服が作られます。ずっと簡素なものになりますが……。
「アロンとその子らがそれを身につけていれば、臨在の幕屋に入ったとき、あるいは聖所で務めをするための祭壇に近づいたとき、罪を負って死を招くことがない。これは彼とその後の子らにとって不変の定めである」(28:43)

アロンとその子らには、30章30節で見るような純粋の油を注いで祭司の職に就かせるよう、主はモーセにいいました。


図書館の窓際の縁に腰掛けて調べごとをしていました。
すると、ご年配の方が寄ってきて、自分はもう帰るので席が空くからお使いなさい、と勧めてくださいました。恐縮する思いで、快く使わせていただきました。
おかげで、調べごとも、聖書読書も進み、たいへん気持ちよく過ごすことができました。ありがとうございました。
ぼくもその方のように、自然に譲りあえるようになりたいです。◆

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第0011日目 [出エジプト記]

出エジプト記27章を読みました。
なんだかやっと先が見えてきた、という感じです。
このあたりはみないちど読み、また読み直して考える作業(?)が続いてきました。
これからも、その読み方は変えられないかな、と思うております。


27章で、主はモーセにいいました。

持ち運びのできるよう、中を空洞にした祭壇を作りなさい。
指定した方法で、幔幕を四囲にめぐらせて幕屋の庭を囲い、
純粋の油をともしびにする常夜灯を作り、至聖所の垂れ幕の前に置きなさい。


法の規定の項目(出20:1)以来、主はモーセに、民がしなくてはならないこと(してはならないこと)、やるべきこと、作るべきもの、など、細かに指定してきました。
それらはすべて、これまで見てきたように、これからも見るように、聖書に寸分洩らさず記されています。
聖書を読んで挫折する人の多くは人名の列挙に嫌気がさしたのだ、とよく聞きますが、それだけでしょうか。そういう人も、いるにはいるでしょう。たぶん、途中から読んだらそうなるのも道理であろう、と思います。
素人考えで恐縮ですけれど、聖書を始めから、創世記1:1から読んできたら、その程度では挫折はしません。
そういう場合に(そうしてこれが多いではないか、と勝手に推測しますが)挫折する可能性が最も高く、聖書と永遠にさよならする可能性が高いのは、いま読んでいるまさにこのあたりではないのでしょうか。
というのも、幕屋の建設、小物の造作、いずれもこれまでは出てこなかった事柄であり、これまであった物語的要素が姿を消すからであります。正直、いま読んでいる箇所が、いちばん緊張感も集中力も途絶えがちです。
自分の体験をベースにしかお話しできませんが、そんな風に思わせられることたびたびな、出エジプト記後半部分です。

でも、主からの命令通りに作られた幕屋や小物類は、これからのお話の背景になるでしょう。
そのときになってどれだけ理解ができているのか、お話の背後に隠れた意味を理解できるか。いままで読んできた部分を咀嚼できているかどうかで変わってくることでしょう。
あわてたりしないよう、いまはひたすらじっくり、ゆっくり読んでゆきます。
それに、聖書に速読は似合わない。言葉の一つ一つを噛みしめて読むよりないのだ、と、ようやくわかってきました。

ゆっくり、丁寧に。


昨日の面接の結果が伝えられる日を不安に待っている今日、図書館から環境問題の本を借りました。◆

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第0010日目 [出エジプト記]

出エジプト記の26章に入りました。
昨日は契約の箱にまつわる決めごとでしたが、26章ではそれを収める幕屋建設にまつわる決めごとです。


まず、主はモーセに命じて、幕屋(礼拝所)をおおう幕を作らせました。
ケルビムの模様を描かせた幕を綴りあわせて、青銅の輪っかを作って一つにし、幕屋を作ります。
続いて、山羊の皮を綴りあわせて幕屋の天幕を作らせました。

次は幕屋の壁板と横木を、共にアカシヤ材で作ります。
「山で示された方式に従って幕屋を造りなさい」(出26:30)

それが済んだら、今度は至高所の垂れ幕。
ケルビムの垂れ幕を作り、横木に設けた鉤へ掛けます。これが幕屋と至高所を隔てる垂れ幕です。
至高所は最も神聖な場所を指し、2体のケルビム像と契約の箱が置かれます。
この垂れ幕の前には机を置き、その上に燭台を置くように、と主はモーセにいいました。

その次に、天幕の入り口の幕が作られました。


素人考えで恐縮ですが、幕屋とそこに収められる小物類について決めごとを記すこのあたりが、いちばん退屈かもしれない。
でも、ここを終えれば再び物語が始まる。それに大切な箇所ですから、すっ飛ばしたりせず着実に読み進めようと思います。


今日、祖父のお墓参りに行きました。「ありがとう」といいたくて。◆

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第0009日目 [出エジプト記]

聖書読書マラソン、出エジプト記は25章に入りました。
ここから出エジプト記はほぼ最後まで、祭儀にまつわる事柄を主はモーセに伝えてゆきます。


25章では、イスラエルの民から主への献上物を受け取り、それで以て以下のものを作りなさい、と命じられました。
「わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らのなかに住むであろう。わたしが示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい」(出25:8-9)

まず、十戒を収める箱をアカシヤ材で作らせました。
次に、それにかぶせる“贖いの座”を純金で作らせます。
これが所謂“契約の箱”で、映画『レイダース・失われた聖櫃(アーク)』に登場したものです。
「わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに伝える」(出25:22)

次に、供物を献げるための机を、アカシヤ材で作らせました。
また、そこに乗せる皿や水差しなど小物を純金で作らせました。

純金で燭台を、形状まで事細かに指定して作らせました。これの図が、聖所事典に載っています。
また、ともしび用の皿を七枚、作らせました。

「あなたはこの山で示された作り方に従い、注意して作りなさい」(出25:40)


コラムを書き終えた日の夜は、お酒を飲みながら、一週間撮り溜めていたアメリカのドラマを観ます。
『ブラザース・アンド・シスターズ』シーズン1なのですが、今度は最後まで見通そうと決意の上で視聴中。
あまり変わらない家族の問題をこちらも抱えているので、限りなく共感しながら胸を熱くして観ております。◆

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第0008日目 [出エジプト記]

「出エジプト記」から契約の書に関するノートを書いてきました。
五日目、最後となる今日は、23章01節から24章18節まで、書きます。
【】はさんさんかのメモです。



23:01-03「法廷において」
主はモーセにいいました。
・うわさ話を広めてはいけません。
・悪者に加担して正義を欺いてはなりません。
・長いものに巻かれて悪を行ってはなりません。
・一時の感情で判官贔屓をしてはいけません。


23:04-05「敵対する者とのかかわり」
主はモーセにいいました。
・敵の家畜が道に迷っていたら、必ず敵の家に届けなさい。
・敵の家畜が倒れていたら見捨てず、助け起こしなさい。
【隣人愛の実践ですね。】


23:06-09「訴訟において」
主はモーセにいいました。
・貧者・弱者への判決を曲げてはなりません。【貧富にかかわらず正義は下されなくてはなりません、ということでしょうか……。】
・偽りの証言をしたり、罪なき人・正しい人を殺してはなりません。【後のイエスを連想させます。】
・賄賂の授受をしてはいけません。
・寄留者を虐げてはなりません。あなた方もかつてはエジプトの寄留者だったのですから。


23:10-11「安息年」
主はモーセにいいました。
・6年使った畑は7年目には休閑地にしなさい。


23:12-13「安息日」
主はモーセにいいました。
・6日働いたら7日目には休みなさい。共に働いた家畜も、使役した奴隷たちもみな、です。
・主の命じたことをよく守り、他の神の名を唱えたりしないように。


23:14-19「祭りについて」
主はモーセにいいました。
・年に三度、神のための祭りを催しなさい。※1
・除酵祭を守りなさい。※2
・収穫の始めには刈り入れの、年の終わりには取り入れの祭りを催しなさい。
・年に三度、すべての男子は神の前に進み出なさい。※3
・いけにえの血と酵母の入ったパンを、いっしょに献げてはなりません。
・献げた供物は翌日に残さないようにしなさい。
・あなたの土地で取れた最上の初物を主の宮に持ってきなさい。【「主の宮」とは聖なる場所を意味します。】
・子山羊を煮るときはその母山羊の乳で煮てはいけません。※4


23:20-33「違反への警告」
主はモーセにいいました。
・主が民の前に使いを遣わします。それを心に留め、使いの声に耳を傾け、逆らわず背かずにいなさい。
 「彼はわたしの名を帯びているからである。しかし、もしあなたが彼の声に聞き従い、わたしの語ることをすべて行うならば、わたしはあなたの敵に対し、仇に仇を報いる」(出23:21-22)
・あなた達はあなた達の神にのみ仕え、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人の神々の前に臥してはなりません。わたしは彼らを根こそぎ絶やします。彼らはあなた達の国に住むことはできません。彼らがあなた方イスラエルの民に、主への罪を犯させなようにです。


24:01-18「契約の締結」
・主はモーセに、モーセとイスラエルの民の長70人、アロンたちを連れてシナイ山へ登れ、と命じました。
シナイ山でモーセは主から契約の書を受け取り、民にその内容を語り聞かせました。その内容に民は同意したのでした。
【語り聞かせた内容は、もちろん、五日に分けてノートしてきた諸々のことです・これが「契約の締結」です。】
・そこで彼らは20:24にあったような祭壇を築き、献げ物をしました。民は主の姿を見て【実際は足許だけなのですが】食事し、飲みました。
・再び主はモーセに、教えと戒めの石の板を授けるからシナイ山の頂に登ってきなさい、といいました。モーセは留守をするよう長老たちへいい置いて、シナイ山の山頂へ登ってゆきます。7日目に主は煙の中からモーセへ語りかけました。
・モーセは40日40夜、シナイ山の頂にいて留まっていたそうです。



補足しますね。
※1:「年3回のお祭り」は、現在のキリスト教では「復活祭」、「聖霊降誕祭」、「収穫感謝祭」を指します。
※2;「除酵祭」(岩波訳では「巡礼祭」)は出12:15で触れられています。
「七日の間、あなたたちは酵母を入れないパンを食べる。まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べたものは、すべてイスラエルから断たれる」◆
※3;「年に三度、すべての男子は神の前に進み出なさい」とは、意味がよくわかりません。
※4;「子山羊を煮るときはその母山羊の乳で煮てはいけません」は、異教の習慣の禁止を指しています。出20:25-26に呼応。



聖書を読んでいると、あちこちで呼応する箇所があります。
始めはよくわからずとも読み進んでゆくとわかってくる、といわれましたが、今日の箇所ではそれがよくわかりました。
これが聖書を読む醍醐味であり、楽しみであり、難しいところでもあるのかもしれません。



今日は、アフリカの国境をネタにしたSNS用のコラムを書きました。◆

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第0007日目 〈出エジプト記:第22章第15節-第30節〈処女の誘惑〉、〈人道的律法〉&〈祭儀的律法〉〉09改訂済み [出エジプト記]

 出エジプト記第22章15-30節です。
 契約の書に関するノートは四日目になりました。

 出21:15-16〈処女の誘惑〉
 主はモーセにいった、━━
 処女を犯したら結納金を払って妻にしなくてはなりません。拒まれたときは、結納金に相当するだけの銀を相手方へ支払いなさい、と。

 出21:17-19〈死に値する罪〉
 主はモーセにいった、━━
 ・女呪術師を生かしておいてはならない(出21:17)、
 ・すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる(出21:18)、
 ・主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる(出21:19)、と。

 出21:20-26〈人道的律法〉
 主はモーセにいった、━━
 ・寄留者を虐待したり迫害してはいけません。寄留者の気持ちはあなた方がいちばんよくわかっているでしょう?
 ・未亡人・孤児を苦しめたりしてはいけません。やったらあなたを槍で刺して、奥さんと子供を未亡人・孤児にします。
 ・高利貸しになってはいけません。利子を取ってもなりません。例えば隣人の上着を利子にしたらば、必ず夕方には返しなさい。それが隣人の肌をおおう唯一の着物だからです。

 出21:21-30〈祭儀的律法〉
 主はモーセにいった、━━
 ・神、主、つまり私をののしっちゃダメ!
 ・貢ぎ物(豊かな収穫と葡萄酒の封建)を遅らせたり、断(た)ってはなりません。
 ・あなたの初子を献げよ。牛と羊の初子についても七日目までは母と一緒でよいが、八日目には私にそれをささげよ。
 ・民は私に属する者となりなさい(=私だけを信じなさい)。
 ・野外で殺された獣の肉を食べてはいけません。

 「人道的律法」での高利貸し云々の件、思わずシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に出てくるユダヤ人高利貸しシャイロックを思い出します。
 また、「祭儀的律法」での初子を献げよ、というのは、どうにも意味がわかりません。調べてみても、やはり意味不明、と書かれています。なぜ神は自らの民の初子を親から切り離して献げさせるのか? 字義通りに解釈すれば残虐極まりない。ここになんらかの意味を汲み取る事は可能か?

 このあと、幾つかの決まり事を主はモーセに伝えて、契約の締結となります。
 「出エジプト記」は民に生きるにあたっての規範を細々述べたあと、主をまつるために実際的な規則を綴ってゆきます。
 おそらくそのあたりは今週末ぐらいには書けるのではないか、と思います。
 それからは、また元のような読書ノートに戻るつもりです。


 春から夏にかけて働いていた有楽町の某コンヴェンション・ホール。そこの先輩トレーナーが好きなのです。16歳差……。◆

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第0006日目 〈出エジプト記:第21章第37節ー第22章第14節〈盗みと財産の保証〉〉09改訂済み [出エジプト記]

 出エジプト記から、契約の書についてのノート三日目です。
 今日は21章37節から22章14節までです。

 出21:37-22:14〈盗みと財産の保証〉
 主はモーセにいいました。
 ○盗んだ牛や羊を処分してしまったら、牛一頭につき牛五頭、羊一匹につき羊四匹で罪を償いなさい(出21:37)。
 ○盗人がなにも所有しない無財無産の者なら、盗人は己を身売りしなくてはなりません(出22:2b)。
 ○盗んだ家畜が生きたまま盗人の許で発見されたら、2倍にして償うようになさい(出22:3)。
 ○家に侵入した盗人を殺してしまっても罪には問われません。但し、日中に殺してしまったなら、流血の責任を負いなさい(出22:1-2a)。
 ○自分の家畜に他人の畑で草を食べさせた場合は、自分の畑で獲れる最上の作物と、自分のブドウ畑で獲れた最上のブドウを以て償いなさい(出22:4)。
 ○自分のところの火事で隣の作物などを駄目にした場合は、ちゃんと償いをしなさい(出22:5)。
 ○隣家への預け物が盗まれたときは……、
  例1:盗人が見つかったら盗人自身に倍返しをさせなさい(出22:6)。
  例2:盗人が見つからなかったら、隣家の者は神の前で自分は盗んでいないと誓わなくてはなりません(出22:7)。
  例3:紛失物について言い争いが生じたら、双方は神の前に立ちなさい。そして、神から有罪とされた方が相手に倍返しをしなさい(出22:8)。
  例4:家畜を預けてそれが傷を負ったり死んだり、奪われるなどしたとき、隣家の者は自分は手を下していない、と誓えば罪を償わなくてもいいです。但し、隣家から確かに盗まれたのなら、所有者に償う必要があります。野獣に殺された場合は、その証拠を持ってゆけば、罪を償う必要はない。(出22:9-12)
  例5:借りた家畜が傷ついたり死んだりした場合、貸し主が共にいたら罪には問われませんが、お金を払って借りた際は代金をちゃんと支払わなくてはなりません(出22:13-14)。

 聖書にはこのあと、細かな規定が(うんざりするほど)出てきます。
 しかしそれは、「出エジプト記」後半の根幹をなす部分でもあるようですので、じっくり腰を据えて進んでゆきたいと思います。◆

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第0005日目 〈出エジプト記第21章2/2:〈身体の障害〉&〈財産の損傷〉〉 [出エジプト記]

 「出エジプト記」から、契約の書についてのノート二日目です。
 今日は以下の二項目、21章18節から36節までのノートを書きます。



 出21:18-32〈身体の障害〉 
 主はモーセにいいました。
 ・誰かと争い相手を怪我させて床へ臥させてしまった場合、回復したら、怪我させた人は罪を免れますが、その間の生活の保障と療養をさせなくてはいけません。
 ・自分の男女奴隷を打ってその場で死なせてしまったら、死刑になります。しかし、一両日でも生きていれば、罰せられることはありません。
 ・誰かの妊婦に暴力を振るい流産させてしまったら、その夫の要求する賠償を、仲裁者の裁定に従って支払うように。その他の損傷がある際は、「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷を以て償わねばならない。」(21:23-25)
 ・自分の男奴隷の目を潰してしまったら、彼を自由の身として去らせなくてはいけませんよ。歯を折ってしまった場合も同様です。
 ・牛が大人・子供の別なく男女を死なせてしまったときは、牛は石で打ち殺し、その肉を食べてはいけません。牛の所有者に罪はありませんけれど、前々から牛に人を突くクセがあり、所有者に警告がされていたときには、所有者は死刑になります。賠償金を要求されたら、素直に支払わなくてはなりません。
 ・牛が男女奴隷を死なせてしまった場合は、銀30シュケルを奴隷の主人に支払い、牛は石で打ち殺さなくてはいけません。


 出21:33-36〈財産の損傷〉
 主はモーセにいいました。
 ・地面の水溜の蓋を閉め忘れて、そこへ牛かロバが落ちて死んでしまったら、その飼い主に銀を支払うこと。但し、落ちて死んだ牛かロバは、水溜の所有者のものになります。
 ・自分の牛が他人の牛を突いて死なせてしまった場合、生きている方の牛を売って得た代金を折半しなさい(代金の半分を相手に支払いなさい)。牛に以前から突くクセがあって所有者が注意を怠っていたのなら、代償は代金ではなく、代わりの牛でなされなくてはいけません。



 聖書を読んでいると、意外に血なまぐさい記述があって驚かされますが、「命には命、目には目、歯には歯、……」というのもその一つでしょう。
 それにしても、牛が人を突く、とは、なんともイヤァなクセでありますね。奴隷を死なせた際の“シュケル”は重さの単位で、約11.4gとのこと。


 「モーセ五書」としてまとめられ、律法と称されている箇所の核心へ、いよいよ至りつつあるのかな、との印象を強くしました。


 また、続きを書きます。
 なお、昨夜は25章を読みました。

 図書館へ行く道すがらに見た夕暮れが、淡い色合いになっているのを発見(?)しました。◆

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第0004日目 〈出エジプト記第20-21章:〈祭壇について〉、〈奴隷について〉&〈奴隷について〉〉 [出エジプト記]

 「出エジプト記」20章の残りから24章まで読みました。
 今日は昨日書けなかった契約の書にまつわるお話をレジュメってみようと思います。

 とはいえ、ここは読んでいてまとめると、非常に長い。
 読み終えて取ったメモも数枚に渡りました。
 まとめて一日分として書くと大変なので、数日に分けて書いてみます。



 「契約の書」
 出20:22-26 <祭壇について>
 主はモーセにいいました。
 ・土、もしくは石の祭壇を作って、和解の捧げ物、焼き尽くす捧げ物、牛、羊をその上に捧げなさい。
 ・石の祭壇を作るときは、ノミを使って切り出した石ではいけません。
 ・祭壇に登るときは階段を用いないように。あなたの隠し所が露わにならないからです。


 出21:1-11 <奴隷について>
 主はモーセにいいました。
 あなたがヘブライ人の奴隷を買ったなら……
 ・(奴隷が)6年間働いたら、7年目には無償で自由にさせなさい。
 ・奴隷が独身で買われたなら独身のまま自由にさせ、妻を伴っていたら夫婦で去らせなさい。
 ・主人が奴隷に妻を与え、子供ができたなら、奴隷は妻と子供を主人の許へ残して去らせなくてはいけません。
 ・六年経って、奴隷が主人と妻子から離れ自由の身となるのを拒んだら、主人は神の入り口の柱で彼の耳をキリで刺し通して、一生仕えさせなさい。
 ・誰かが自分の娘を奴隷として売る場合、男奴隷の場合と処遇は異なります。
 例1:彼女が不要になった場合、主人は彼女が再び売買されるのを許さなくてはならない。また、外国人に売ることはできない。
 例2:彼女を自分の息子の妻とした際は、実娘と同じように扱わなくてはならない。
 例3:主人の息子が別の女を娶っても、衣・食・夫婦の交わりを断ってはならない。
 例4:主人の息子がそれを守れなかったときは、女奴隷は無償で解放されます。


 出21:12-17 <死に値する罪>
 主はモーセにいいました。
 ・人を打って死なせてしまったら死刑です。
 但し、偶然死なせてしまったら死刑になりません(「私はあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる」出21:13)。
 ・誰かを誘拐したら死刑です。
 ・父と母を打ったり呪ったりしたら、必ず死刑です。



 今日はここまでに。これから数日は、契約の書についてのノートが続きそうです。
 この契約の書にまつわる部分は十戒の内容を敷衍させた箇所、十戒の注釈という思いがしました。

 毎日を慎ましく、静かに暮らしたい、と願っています。◆

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第0003日目 〈出エジプト記第19章:〈シナイ山に着く〉&第20章:〈十戒〉〉 [出エジプト記]

 「出エジプト記」の19章を読み直し、20章まで読みました。

 19章は、こんなお話でした。

 モーセとイスラエルの民の一行は、シナイの荒れ野に到着しました。
 そこで宿営している間、モーセは山に登り、主から約束されました。「3日目に聖別した民と共にシナイ山に登りなさい、そこで主に会わせよう」と。
 3日目、モーセは聖別した民と一緒に山へ登りました。
 煙におおわれたシナイ山の頂で、モーセは主から、民が境界を越えて命を失うことがないよう警告させ、祭司と民が越境しないように、と重ねて伝えられました。


 20章は十戒のお話です。これまでのぼくには、旧約聖書でいちばんのクライマックスです。
 同じシナイの山で、主はモーセに告げました。

  ①主のみを神として、他の神を敬ってはいけません。
  ②偶像を作り出し、崇拝してはいけません。
  ③主の名をみだりに口にしてはいけません。
  ④安息日を守って生活しなさい。
  ⑤父と母を敬いなさい。
  ⑥人を殺してはいけません。
  ⑦姦淫してはいけません。
  ⑧盗みを働いてはいけません。
  ⑨嘘をついたり、だましたりしてはいけません。
  ⑩人のものを欲しがってはいけません。

 こんなことを、主は仰ったそうです。

 それを聴いた民はモーセに訴えました。
 あなたが依り代になって主の言葉を伝えてください、そうでないと我々は死んでしまいます、と。
 モーセは答えました。
 主の声がみなさんに聞こえたのは、主がみなさんを試したのであり、また、罪を犯させないようにしたのですよ、と。


 20章の後半1/3は21章以下に続く契約の書に関しての記述になるようです。
 ゆっくり読んで、自分なりにわかったら、ここに書きこむことにします。

 シナイ山はどこにあるのでしょう? 岩波訳『出エジプト記』の86ページに地図がありますが、ここに出てくる「ジェベル・ムーサ(モーセの山)がそうなのでしょうか?


 今夜はうっかり長くなってしまいました。今宵はこの辺で……。◆

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第0002日目 〈出エジプト記第19章:〈シナイ山に着く〉〉 [出エジプト記]

 昨夜も寝しなに「出エジプト記」の続きを、一章だけ読んでいました。

 モーセはイスラエルの民と共にシナイ山へ到着しました。いよいよ十戒のお話に入るところです。
 しかし、中途半端なところで区切ってしまったので、きちんと読めていません。
 明日になったらこの章を読み直してみることにしました。


 これからヒルティの『眠られぬ夜のために』を読んで、電気を消します。◆

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第0001日目 〈出エジプト記第16-18章:〈マナ〉、〈岩からほとばしる水〉、〈エトロのモーセ訪問〉〉 [出エジプト記]

 「出エジプト記」16-1から18-27まで読みました。

 シンの荒れ野に到着したモーセ一行が、主から、パンを一日に1オメル、六日目には2オメルをいただき、七日目には安息日を設けるよういわれたのが、16章。

 17章では、イスラエルの民から飲み水を求められたモーセが主へ訴え、ホレブの岩を杖で打つことで解決した話と、イスラエルの民とアマレク人の戦いでモーセが勝利を祈る場面を描いた話が、紹介されます。

 18章ではモーセの舅、エトロがやってきて、モーセ一人で民全体を収め、裁くのは困難だから、民のなかから優れた者を選び出し、それぞれ、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長を定めて彼らに民を裁かせなさい、大きな事件の場合にモーセが裁けばよい、と助言を与えて、再びミディアンの地に去ってゆきます。


 私が使っている聖書は、新共同訳ですが、岩波版と新改訳をかたわらに置いて、言葉をかみしめるように、読んでいます。◆

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