第0168日目 〈申命記第34章:〈モーセの死〉〉 [申命記]

 申命記第34章であります。
 今日で、申命記の読書ノートは最終回です。

 申34:1-12〈モーセの死〉
 主の僕として生き、民を率いたモーセは、モアブの地にてみまかった。享年120。遺体はベト・ペオル近く、モアブの地にある谷に埋葬された。が、その正確な位置は誰も知らない。主がモーセを葬ったからである。
 民はモーセの死を30日30晩嘆き悲しみ喪に服した。後継者ヨシュアは、臨終に先立ってモーセに手を置かれ、知恵の霊に満ちていた。
 「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるためであり、また、モーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。」(申34:10-12)

 モーセという一人の英雄が息を引き取って表舞台から退場したことで、旧約聖書は一つの大きな節目を迎えました。即ち、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、そして申命記、いわゆる「モーセ五書」、新約聖書では「律法」と呼ばれるパートが結ばれたわけであります。
 出エジプト記から延々と我々の前に姿を見せ、艱難辛苦の具現者でもあったモーセ。その死を迎えたこの章を、筆者は大きな感慨と共に読み終えました。
 彼のカナン入植拒否という運命を突き付けられたイスラエルの民。これから後、ヨシュア率いる一行は凄まじい鬼神ぶりを発揮して、一挙に異民の地を攻め滅ぼしてゆきます。やがて、このノートでも、次のヨシュア記から新たに始まる「歴史」のパートについてゆっくりと、蝸牛より遥かに悠然と歩んでゆく予定でおります。



 三浦しをんのエッセイに触発されて、ようやっと重い腰をあげる。S.シン『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)を買って、読み出して……ません、まだ。他に読む本があるんじゃぁ~。

 さて、申命記も今日で終わり。そこで、知人のアドバイスに従って、こんな叫びをしでかしてみる。
 ━━誰か、コメントくれっ!◆

共通テーマ:日記・雑感

第0167日目 〈申命記第33章:〈モーセの祝福〉〉 [申命記]

 申命記第33章です。

 申33:1-29〈モーセの祝福〉
 これは逝去の直前にモーセが、民の前で語り唄って聞かせた歌である。

 イスラエルの各部族に、それぞれなりの祝福を与えてください、主よ。━━というのが全体のトーンである。
 「イスラエルよ、あなた方はいかに幸いなことか。/あなたのように主に救われた民があろうか。」(申33:29)

 一つの示唆を。いずれも申33:2より。
 「主はシナイより来り」→モーセがシナイ山にて十戒を授かったことに由来。
 「セイルから人々の上に輝き昇り」→イエスはセイル(エルサレム南方約160キロの一にあるペトラ)にて神、主の啓示を受け、新約聖書に見られる如く伝道した。
 「パランの山から顕現される」→ムハンマドがアッカに程近いパランの山にて神の啓示を受けたことを指す。
 即ち申命記第33章第2節では、特記すべき預言者三人について触れられているわけであります。



 吉田拓郎のCDを、昨日借りました。やっぱり名曲揃いですなぁ。うむふむ。
 脳内で「今日までそして明日から」や「結婚しようよ」、「落陽」がエンドレスで再生中であります。

 ストロベリー・フラワー(わたなべともえ)の「愛のうた」(ピクミンだっ!)もいいけど、「涙があふれた」は最強だよね!!!
 ♪君のこと、スキと言えずに、ごめん~。むずかしい言葉なら考えつくけど、たやすい言葉の方が言えない、って思う~。涙があふれた~(リフレイン)♪◆

共通テーマ:日記・雑感

第0166日目 〈申命記第32章:〈モーセの歌〉、〈モーセの最後の勧告〉&〈ネボ山に登れ〉〉 [申命記]

 申命記第32章です。

 申32:1-44〈モーセの歌〉
 (申31:19を承けて)モーセは主より伝えられた歌を、民に語り唄い聞かせた。その歌は概ねこのような内容であった。
 ~我らがまつろふ主は正しくまっすぐな方である。故に背き罪を犯し不正を働くな。
  嗣業の土地を与えた民を荒れ野からずっと見守ってきた主。
  その恩と愛のゆえに民は目的なく彷徨い、飢えることがなかった。
  だが民は一定の満足を得ると、心が荒びだした。裏切りである。
  主は憤り、怒った。故に隠れて民を見捨て、あらゆる災いを民の上に落とした。
  助けを求める民へ主はいった。
  背いた者は新しく汝らが崇める神の業に助けを求めればよいではないか。
  だが、あなた方を助けられるのは、この私を置いて他にはない。
  刃向かう者には滅びを。敬う者には祝福を。~
「国々よ、主の民に喜びの声をあげよ。/主はその僕らの血に報復し、/苦しめる者に報復して、その民の土地を贖われる。」(申32:43)

 申32:45-47〈モーセの最後の勧告〉
 モーセは斯く言った。「私があなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守りなさい。(中略)この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。」(申32:46-47)

 申32:48-52〈ネボ山に登れ〉
 モーセよ、と主は語りかけた。カナンの地を見渡せるネボ山に登れ。嘗てアロンがホル山でそうであったように、お前はそこで死ぬ。
 メリバの水の事件ゆえにお前は、イスラエルの民と一緒にカナンへ入ることはできない。あの事件が原因で、“乳と蜜の流れる地”カナンを望むこのネボ山で死に、先祖の列に加わるのである。

 出エジプト記から民を指導し、主の言葉を伝え、放浪の歳月を民と共に苦しんだ預言者モーセが、いよいよ120年の人生に幕を降ろそうとしています。



 『結婚しようよ』と『陰日向に咲く』を観ました。
 どちらかといえば、吉田拓郎の名曲をちりばめた『結婚しようよ』が、自分的には良かったですね。三宅裕司の親父っぷり。松方弘樹とのしみじみした会話。胸に染みますよぉ。
 藤澤恵麻も素敵な女優さんになったねぇ。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0165日目 〈申命記第31章:〈ヨシュアの任命〉、〈七年目ごとの律法の朗読〉&〈神の最後の指示〉〉 [申命記]

 申命記第31章です。

 申31:1-8〈ヨシュアの任命〉
 申3:23-28で示された如く、モーセはヨルダン川を渡ってカナンへ入ることはできない。この先、ヌンの子ヨシュアが後継として民を導く。
 モーセはヨシュアを叙任し、民の前に宣べた。

 申31:9-13〈七年目ごとの律法の朗読〉
 モーセは書き記された律法の書を、レビ人である祭司とイスラエルの全長老へ与えた。曰く、この律法の書を、七年目ごとに巡り来る仮庵祭のとき、すべての民の前で朗読して聞かせよ。
 あなた方の神、主を畏れる心を、いま生きているあなた方はおろか、まだ生まれていない子らまでもが抱くようにである。

 申31:14-29〈神の最後の指示〉
 主はモーセとヨシュアを臨在の幕屋へ呼び、自身も雲の柱となって立ち現れた。二人に主は警告を与えた。
 モーセ亡き後、人心は荒び乱れて戒めを破るだろう。これまでもいってきたように、民が背けば彼らの上に私の怒りが轟き、必ず滅びる。そこで私は歌を授ける。それを民の、私への証言とせよ。
 律法の書は契約の箱の傍らへ常に置き、民への証言とせよ。



 希望は決して捨てちゃダメなんだ。
 諦めないぞ。いつかは望みも叶う。
 どんな状況にあろうとも。
 どんな心境にあろうとも。
 どんな環境にあろうとも。
 自分に負けて、希望を自ら捨てたりはしない。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0164日目 〈申命記第30章:〈モアブで結ばれた契約〉2/2〉 [申命記]

 申命記第30章です。
 前章第29章の、そのまま続きであります。

 申30:1-20〈モアブで結ばれた契約〉2/2
 主はすべてのイスラエルの民の前に、祝福(命と幸い)と呪い(死と災い)を置く。

 (申29:27に於いて)国から追われ彷徨の身となった民が、主が今日命じるように心を尽くし、御声に聞き従うなら、再び彼らは集められて嘗て父祖のものであった地へ入らせ、更に繁栄させてくれる。
 万が一心変わりして主に背くことあれば、あなた方は滅びる。三度(みたび)このカナンの地へ足を踏み入れることは、ない。
 主は、天と地を証人として、これを告げる。生と死、祝福と呪いをあなた方の前に置く。あなた方は主を愛し、聞き従い、生きなさい。

「主はあなたの先祖たちの繁栄を喜びとされたように、再びあなたの繁栄を喜びとされる。あなたが、あなたの神、主の御声に従って、この律法の書に記されている戒めと掟を守り、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰るからである。」(申30:9-10)

「わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。(中略)御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。」(申30:11,14)

 前半では、追放された国(地)への帰還が示唆されますが、これは大戦後イスラエル国の建国の基盤になったテーゼでもありました。
 申30:14(「御言葉はあなたの」云々)はよくキリスト教や就中聖書入門の本に出てくる箇所で、どこかで同様のフレーズをお聞きになった方も多いかと思います。これは、特定の宗教の教典(経典)やその解説書、或いは説法に頻出するところでもある点、それぞれの宗教の伝播を担った人たちの精神的支柱でもあった、と考えるのは、決して間違いではないでありましょう。

 みなさんが今後、聖書を読む機会があって、たまたまでも申命記に立ち入ることあれば、(昨日も申したことですが)第28章から第30章までは一続きに、切れ目なく読まれてみることをお奨めします。
 そうすると、中東問題やヨーロッパ文学、思想について、より深くわかるところだと思う次第であります。



 磯山雅の『バッハ カンタータの森を歩む3』(東京書籍)を読みながら、付録CDを聴く(BWV213〈気を付けていよう、見張っていよう━━ヘラクレスの選択〉)。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0163日目 〈申命記第29章:〈モアブで結ばれた契約〉1/2〉 [申命記]

 申命記第29章、並びに第28章第69節です。

 申29:1-28〈モアブで結ばれた契約〉
 これはモアブの地で、主がモーセを通じて全イスラエルの民に結ばせた契約である。

 あなた方はエジプト脱出の際に主が見せた様々な奇跡を目にした。40年荒れ野を彷徨っても衣服も靴もボロにならず、飢えることもなかった。単(ひとえ)に民が、主こそ唯一の神だ、と知るためである。
 あなた方の行く手を阻むシホン王やオグ王の軍を退け彼の地を占領し、ルベン族、ガド族、マナセの半族へ嗣業の地として与えた。
 主との契約の言葉を忠実に守れ。そうすればあなた方は成功する。
 いま、全イスラエルの民がここに集まっている。「それは、あなたがあなたの神、主の契約に入り、あなたの神、主が今日あなたと結ばれる呪いの誓いを交わすためであり、今日、主があなたを立てて御自分の民とし、自らあなたの神となられるため」(申29:11-12)であり、いまここにいる者皆のみならず、「今日、ここに我々と共にいない者とも結ぶのである。」(申29:14)

 また、異民の地を進んできたあなた方は、彼らの神、木や石、金や銀で造られた偶像が崇められる現場も見てきた。イスラエルの民のなかから主に背き、異民の神を崇めるような裏切り者が出てはならない。
 自らに背く者を、主は決して許さない。「そのときこそ、主の怒りとねたみが燃えあがり、この書に記されている呪いの誓いがすべてその者にのしかかり、主はその名を天の下から消し去らされる。」(申29:19)
 主はこの国に災害と病をもたらし、全土を硫黄と塩で焦土と化す。嘗てソドムとゴモラが同様に消滅した如く(創19-20)。そして、後世の人々は惨事について語り継いでゆくだろう(申29:23-27)。
 「隠されている事柄は、我らの神、主のもとにある。しかし、啓示されたことは我々と我々の子孫のもとにとこしえに託されており、この律法の言葉をすべて行うことである。」(申29:28)

 この第29章と続く第30章、併せて昨日の第28章は、申命記の実質的な締めくくりであります。いちばん重要なことが述べられている点では他に比肩するものなく、これらの章だけは、是非原文(とはいっても翻訳文ですが)に直接当たっていただきたく存じます。



 毎晩、「事件記者モルチャック」を書き直す。戯れに書いていたエッセイ風小説が、仲間内では意外に好評なのに気を良くし、近々ブログに公開予定。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0162日目 〈申命記第28章:〈神の祝福〉&〈神の呪い〉〉 [申命記]

 申命記第28章です。

 申28:1-14〈神の祝福〉
 神、主の言葉に聞き従い、戒めを守って行動するならば、あなた方の前には常に祝福があり、恵みがあり続ける。あなた自身も家族も、作物も水も、なべて祝福と共にある。
 「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。」(申28:2)

 申28:15-68〈神の呪い〉
 神、主の言葉に聞き従わず、すべての戒めや掟に忠実であろうとしないならば、あなた方は常に呪いと共に生きることになる。疫病に倒れ敵に討たれ、祝福と恵みから見放される。心安らかな瞬間(とき)は永劫に訪れることがなく、人の嘲笑の的となり、奴隷に身を落としても買う者はいない。
 「これらの呪いは、ことごとくあなたに臨み、付きまとい、実現して、ついにあなたを滅びに至らせる。(中略)これらのことは、あなたとあなたの子孫に対していつまでもしるしとなり、警告となるであろう。」(申28:45-46)

 この長い長い章のエッセンスを抽出すると、以上のような具合になると思います。
 従い守る者には祝福を、背いて生きる者には呪いを。非情ながら単純明快な論理です。



 どうしようもなく精神的に参っている。あの子、おぐゆーさんがいてくれることを切に望んだ今日、フィル・ディックの『暗闇のスキャナー』と『ティモシー・アーチャーの転生』(共にサンリオSF文庫)を読む。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0161日目2/2 〈申命記第27章:〈石に掟を書き記せ〉&〈呪いの掟〉〉 [申命記]

 申命記第27章です。

 申27:1-8〈石に掟を書き記せ〉
 主はモーセを通して民にいう。
 ヨルダン川を渡りカナンの地へ入るとき、大きな石に漆喰を塗り、律法の言葉を書き記せ。然るにそれをエバル山へ立て、自然石の祭壇を築き、焼き尽くす献げ物をささげよ。和解の献げ物を屠って主の御前で喜び祝え。

 申27:9-26〈呪いの掟〉
 モーセは斯く命じる。
 シメオン、レビ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンの六部族は、民を祝福するためにゲリジム山へ立て。
 ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリの六部族は、民を呪うためにエバル山へ立て。

 レビ人は各部族を前に、以下を大声で宣言せよ。
 ・偶像を造り、崇める者は呪われる。
 ・両親を軽んずる者は呪われる。
 ・隣人との地境を動かす者は呪われる。
 ・盲人を道に迷わす者は呪われる。
 ・寄留者、孤児、寡婦の権利を歪める者は呪われる。
 ・近親姦を犯した者は呪われる。
 ・隣人を殺める者は呪われる。
 ・賄賂を取り他人を殺め、罪なき人の血を流した者は呪われる。
 ◎これら律法の言葉を守り行わない者よ、汝らは呪われてしまえ。
 以上の言葉に続いて、民は「アーメン」といわなくてはならない。それは「確かに」という意味である。

 ゲリジム山とエバル山は、既に申命記第11章で出ていました(申11:29-30)。ゲリジム山には祝福を置き、エバル山には呪いを置く、と。
 「この二つの山は、ヨルダン川の西のアラバに住むカナン人の領内を貫く街道の、更に西方にあって、ギルガルの前方、モレの樫の木の近くにある。」(申11:30)
 地理についてもう少しいうと、二つの山は、ヨルダン川と地中海沿岸のほぼ中央、塩の海(死海)とガレリヤ湖のほぼ中央の山間部に、北と南に向かい合うようにあり、谷間にはシケムの町があります。なお、エバル山の標高は940メートル、ゲリジム山の標高は881メートルの由。

 第27章は、十戒を基とした律法への服従を求めた章であります。即ち、主の命じる「民よ、我が掟と戒めを行え。我が言葉へ聞き従え」に、民は忠実であれ、という主旨でしょう。



 小説を書く。哀しい恋物語のはずが、流れはいつしか違う方向へ彷徨を始め……。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0160日目 〈申命記第26章:〈信仰の告白〉&〈神の民〉〉 [申命記]

 申命記第26章です。

 申26:1-15〈信仰の告白〉
 カナンへ入植して、初めて収穫を得たらば主の前に祭司と共に捧げて供え、幸いを与えられた感謝を報告せよ。
 「あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。」(申26:11)
 すべて主の言葉に従い戒めから外れた行為をしなかったことを、あなたは報告せよ。そうしてカナン━━“乳と密の流れる土地”を祝福してくれるよう祈りなさい。

 申26:16-19〈神の民〉
 主の言葉に従い戒めから外れた行為をしないよう生活と心身を律し、嘗て約束したように、イスラエルの民は神の民となれ。
 斯くあなた方は誓約せり。

 これまで読んできたモーゼ五書(創世記から申命記まで)の精髄であり、平井呈一の言を借りれば、旧約聖書の勘ドコとなる部分でしょう。



 この空の下、あなたは何処にいるんだろう?
 いまはただ、もう一度、あなたに逢いたい。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0159日目 〈申命記第25章:〈鞭打ち〉、〈アマレクを滅ぼせ〉他〉 [申命記]

 申命記第25章です。

 申25:1-3〈鞭打ち〉
 二人の男子が相争い廷へ出頭したら、無罪の者と有罪の者を確定させなくてはならない。有罪の者は地へ伏し、最高40回まで、罪の重さに応じて鞭打たれる。

 申25:4〈脱穀する牛の保護〉
 脱穀中の牛に口籠を掛けるな。

 申25:5-10〈家名の存続〉
 共に暮らす兄弟のどちらかが妻帯しており、彼が亡くなった場合、遺された兄弟は義理の姉、もしくは妹を娶らなくてならない。生まれた子供には兄弟の名を継がせ、イスラエルのなかで家名を存続させてゆかねばならない。
 もし遺された兄弟が義理の姉、もしくは妹を娶ることを拒んだ場合、彼女は町の長老へそれを訴えることができる。長老は男を召喚し説得を試みよ。それでも男が拒むなら、彼女は男の靴を脱がせ、顔に唾を吐いて、家名の存続を拒んだ男を罵るべきである。
 その後、男はイスラエルのなかで「靴を脱がされた者の家」と揶揄される。

 申25:11-12〈組み打ちの場合〉
 取っ組み合いをしている男の妻が相手の性器を摑んだら、その手は切り落とせ。

 申25:13-16〈正しい秤〉
 袋に大小二つの重りを入れたり、家に大小二つの升を置いてはならない。斯様な不正を働く者に災いあれ。

 申25:17-19〈アマレクを滅ぼせ〉
 エジプト脱出の折、アマレク人はあなた方のしんがりを撃って滅ぼし、神への畏れを抱きもしなかった。これから入植する土地では、天の下にアマレク人の記憶をわずかでも留めるようなことがあってはならない。



 もう永遠に会えないとわかっていても、想いはどんどん大きくなってゆく。
 人との別れなんて馴れているはずなのに、いま心に抱いているこの喪失感の深さはなんだろう。
 あの人がこちらを振り向いてくれる可能性は、決してないのかなぁ。
 はぁ。赤毛の女の子に恋するチャーリー・ブラウンの気持ちだよ。マジで。


 映画『東京少年』を観ました。堀北真希、石田卓也のコンビに、草村礼子、平田満が脇を固める。
 感想なのですが、あの、心に傷もつ身には、この内容、かなりグサグサささってくるんですけれどぉ。
 哀しい映画であります。ラスト20分の畳みかけの美しさと哀切さが一際心に残ります。
 涙腺が人より緩いおいらは、おうぇーん、おうぇーん、と声を殺して号泣。映画館じゃなくてよかったなぁ。

 そのあとに観たのが、『ケータイ刑事 THE MOVIE』。救われたわぁ。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0157日目1/2 〈申命記第24章:〈再婚について〉&〈人道上の規定〉〉 [申命記]

 申命記第24章です。

 申24:1-4〈再婚について〉
 恥ずべき行いをした妻を持つ夫には、離縁状を渡して去らせる権利がある。
 その妻が再婚相手からも離縁状を突き付けられたり、死別したような場合、最初の夫はいかなる理由があっても、彼女を再び妻とすることはできない。汚れているからである。

 申24:5-22〈人道上の規定〉
 ・新婚の夫はすべての公務(兵役含む)を免除される。妻を喜ばせることに励め。
 ・挽き臼やその上石を質に取るな。それは命に等しいものだから。
 ・同胞を誘拐して奴隷とするなかれ。背いた者は殺される。
 ・重い皮膚病には細心の注意を払い、レビ人の祭司に従え。ミリアムの一件を忘れるな。
 ・担保を取るなら相手の家の外で行え。相手が貧者なら日没までに担保を返却せよ。
 ・貧しい者を雇っても搾取するな。彼らの給料は労働の終わったその日のうちに支払え。
 ・死は個人の罪の故に定められる。父はこの故に、子は父の故に、ではない。
 ・寄留者や孤児の権利を歪めるな。あなた方も嘗ては寄留者だったのだ。
 ・穀物を刈り入れたり、オリーブの実を打ち落としたとき、それらに漏れがあったと気附いたとしても、取りに戻ってはならない。それは寄留者や孤児、寡婦のために残しておくように。あなた方も嘗ては奴隷(弱者)だったのだ。

 倩(つらつら)思うこと……
 申24:1-4→男性優位のキリスト教の真骨頂ですな。個人的には……馬鹿じゃねーか、こいつら。
 申24:5「新婚の夫は」云々→「わお!」、と叫んでしまった場面。<産めよ、増やせよ>ということだねっ!!
 申24:8-9「重い皮膚病には」云々→ミリアムについては、民数記第12章第10-15節をご参照ください。



 THE SORRY ON PARADEの新譜『キロメター』が通販開始になりました。
 僕も買います。だから、みんなも買いましょう。
 唯一無二の歌声と堅牢なサウンドに痺れるのです。
 URLは→http://sound.jp/sop_/

共通テーマ:日記・雑感

第0156日目 〈申命記第23章:〈会衆に加わる資格〉、〈陣営を清く保つこと〉他〉 [申命記]

 申命記第23章です。

 申23:2-9〈会衆に加わる資格〉
 以下の者は主の会衆に加わることが、永劫にできない。
  ・性器に損傷のある者、
  ・混血の者、
  ・アンモン人とモアブ人(エジプト脱出の際、呪いをかけてこれを阻んだからである)、
 但し、以下の者は三代後の子孫から会衆に加わることができる。
  ・エドム人(彼らは同胞である)
  ・エジプト人(あなた方はエジプトに寄留していたからである)

 申23:10-15〈陣営を清く保つこと〉
 敵に相対して陣を張るときは、すべての汚れから身を守るようにせよ。
 夢精した者は陣の外へ出、夕方沐浴して、日没に陣へ戻れ。用を足す際は掘った穴へ排泄物を落として埋めよ。

 申23:16-17〈逃亡奴隷の保護〉
 逃亡してきた奴隷を見たらこれを保護し、元の主人へ引き渡したりせず、あなたの町のどこかへ彼(彼女)を住まわせよ。

 申23:18-21〈神殿で禁じられていること〉
 男は神殿男娼に、女は神殿娼婦に、なるな。
 いかなる誓願であっても、主の厭うものを神殿へ携えてくるな。

 申23:22-24〈誓願〉
 誓願を立てたら遅滞なく実行せよ。また、誓願を中断しても、罪には問われない。

 申23:25-26〈人の畑のもの〉
 隣人のぶどう畑のぶどうは食べてもよいが、籠に入れて持ち帰ってはならない。
 隣人の麦畑に入って手で初穂を摘んでもよいが、鎌で刈って穫ってはならない。



 ……いちばん大事にしたいのは、<思い出>だと思う。

 ♪さよなら愛しい人よ… あなたに出逢えてよかった
 素直にそう思えるから悔やんでいない
 あなたを愛した日々は 僕にとってかけがえのない
 想い出になる Please last smile for me♪
 (SMAP「Last Smile」)

 では、先輩社会人さんさんか からのプレゼント。
 ━━旅立ちの時を迎えた、新社会人の方々へ。
 SMAPで「はじまりのうた」(『SMAP×SMAP』より)をどうぞ。
 がんばってね。◆
 http://www.youtube.com/watch?v=GGsIAs5oZ_8

共通テーマ:日記・雑感

第0155日目 〈申命記第22章:〈同胞を助けること〉、〈ふさわしくない服装〉、〈母鳥と雛鳥〉他〉 [申命記]

 申命記第22章です。

 申22:1-4〈同胞を助けること〉
 同胞の牛や羊が野で迷っているのを見たら、保護して彼の許へ連れ帰れ。もし誰のものかわからなかったら一旦連れ帰り、所有者が見つかるまで保護せよ。牛や羊に限らず、同胞が失くしたものを見つけたら、すべて同様にすること。
 倒れた同胞のろばや牛を見たら、必ず助け起こせ。

 申22:5〈ふさわしくない服装〉
 異性の着物を纏うなかれ。

 申22:6-7〈母鳥と雛鳥〉
 鳥の巣のなかに雛や卵があって、なおかつ母鳥が抱いているときは、必ず母鳥を追い払ってから雛や卵を取るようにせよ。

 申22:8〈屋根の欄干〉
 新築した家の屋根には欄干をつけること。

 申22:9-11〈混ぜ合わせてはならないもの〉
 ぶどう畑に他の種類の種を蒔くな。牛とろばをコンビで働かせるな。毛糸と亜麻糸で織った着物を纏うな。

 申22:12〈衣服の房〉
 衣服の四隅には房を付けよ。

 申22:13-21〈処女の証拠〉
 初夜に男が妻を嫌い、これは処女に非ず、と虚偽したら、妻の両親は娘が処女である証拠の布を長老へ提出させよ。男は罰金を払い、生涯妻を離縁してはならない。
 また、本当に処女でなかったら、妻は両親の家の戸口に立ち、町の人から石を投げられて死ななくてはならない。「彼女は父の家で姦淫を行って、イスラエルの中で愚かなことをしたからである。」(申22:21)
 ※別にさ、好きになった女なら、処女であろうがなかろうが関係ないじゃん。

 申22:22-29〈姦淫について〉
 不倫の現場を目撃された男女は処刑される。
 婚約中の女性が他の男と寝たら、二人とも処刑される。女性も合意の情事だからである。
 婚約中の女性が野原や荒れ地で他の男から暴行を受けたら、男はさっさと処刑されてしまえ。女性は助けを求めても得られなかったからだ。女性に一切の咎はない。
 男が婚約者のない女性を強姦した場合は、男は罰金を支払った上でその女性を妻に娶り、生涯離縁してはならない。
 ※女性が他の男に心を移すのは、男が不甲斐ないからです。体験談を元に、きっぱり言わせてもらうぜ。そのときに会社のお金を持ち逃げする女もどうかと思うけどな。
 でも、交際相手がいるとか、婚約者がいるとか、幸せだよね。おいら? 婚約者が死んで元カノとも縁を切り、小倉さんに振られたおいらは、そんなのと無縁の者でありますよ。生涯フリーのままかも。
 最近は、それが宿命なら素直に受け容れようか、とも思っている。
 ……いや、無理だな。



 あの人と声を交わしたことは、それほど多くはない。でも、GWの催事からその数日後にあった飲み会、新人研修の時とかにあの人が掛けてくれた言葉や、仕種の一つ一つ、すべてがはっきり覚えている。明瞭に思い出すことだってできる。
 でも、いまでもはっきり覚えているのは、12月23日に見せられた、あの嘲笑にも似た妖艶なる笑みであった。あのデスネ、いちおうお礼言っているんだから、なにか言ってくれても良かったんじゃないでしょーか? それだけで、とてもうれしくなれるのに……。知ってるのにずるいや。
 要するに、自分のなかから彼女の面影を消すのは、容易ではない、ということ。これにも20年の歳月が必要なのだろうか、と、ふと疑問が浮かんだ。

 見切り発車。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0154日目 〈申命記第21章:〈野で殺された人〉、〈捕虜の女性との結婚〉他〉 [申命記]

 申命記第21章です。

 申21:1-9〈野で殺された人〉
 野原で殺された人がいたら、発見した地点からいちばん近くの町へ行け。そこの長老たちに贖いとして、使役していない雌牛を連れてこさせ、川岸で首の骨を折るよう伝えよ。
 そしてその上で手を洗い、誓って自分たちが殺めたのではない、と証言させよ。斯くして彼らに着せられた罪は贖われる。
 これらの作業には、レビ人の祭司が立ち会う。

 申21:10-14〈捕虜の女性との結婚〉
 捕虜にしたなかに美しい女性がいて愛するようになったなら、家へ連れて帰り、一ヶ月の嘆きの期間(申21:13)を過ごさせた後、これを妻として迎えよ。
 彼女が離縁を申し出たら異を唱えず、その通りにさせよ。売り払ったりするなど、奴隷みたく扱うな。お前は既に彼女をじゅうぶん辱めたのだから。

 申21:15-17〈長子権について〉
 正室でなく側室が第一子を生んだら、どのような感情の諍いがあろうとも、側室の子を長子と認め、本来の二倍の財産を残さなくてはならない。側室の子が父の第一子(初穂)であり、長子権はその子のものである。

 申21:18-21〈反抗する長子〉
 親に逆らい、戒めても諫めても聞く耳を持たず行状の改まらない長子には、もはや死しか与えられない。長老の許で所行を告白した後、町の住民全員に石を投げられ撃ち殺されなくてはならない。
 悪を取り除き、見せしめとするためである。

 申21:22-23〈木にかけられた死体〉
 処刑された者を木の枝に吊すのはいいが、その日のうちに埋めよ。
 木にかけられた者は呪われた者、嗣業の土地を汚してはならない。

 この章は人の一生を、<死>という形でなぞっているように読めます。
 いままでの女性蔑視/軽視が嘘のような〈捕虜の女性との結婚〉、まるで大奥な〈長子権について〉など、背後のドラマを想像させられる章でもありました。



 ポオの短編でいちばん好きなのは「エレオノーラ」、次いで、「アッシャー家の崩壊」、「赤死病の仮面」、「楕円形の肖像」。あと一作、と思うけど、なかなか選べません。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0153日目 〈申命記第20章:〈戦争について〉〉 [申命記]

 申命記第20章です。

 申20:1-20〈戦争について〉
 侵攻が始まる。敵が多勢であっても怯むな。
 以下の者は戦列から離れて帰郷せよ。①新しい家を建てて、まだ奉献式を済ませていない者、②ぶどう畑を作って最初の収穫を済ませていない者、③婚約しただけで、まだ結婚していない者、④恐れて怯んでいる者。以上の者は戦列から離れて帰郷し、役割を果たせ。

 敵の町にはまず降伏勧告せよ。敵が降伏したら、男子は撃ち殺して滅ぼし、女子供、家畜、町にある物はすべて掠奪品とせよ。但し、これは遠く離れた異民の町に対してである。
 ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の町は問答無用でこれをすべて滅ぼせ。彼らはあなた方の神、主がいとう行為を行ってきた民だからである。

 奉納式とは日本でいえば上棟式であります。
 無差別殺戮と表裏一体な慈悲。これが旧約聖書の神の真髄であります。



 WBCの結果についてはなにもいうまい。まだ終わったわけじゃない。第1回でもコリアに2戦続けて負けたではないか。まだ、終わったわけじゃない。侍は敗北したのではない。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0152日目 〈申命記第19章:〈逃れの町〉、〈地境の移動〉&〈裁判の証人〉〉 [申命記]

 申命記第19章です。

 申19:1-13〈逃れの町〉
 主の与える土地へ入ったら、領土を三分割して道程などを正確に測量した上、それぞれの領内へ三つの<逃れの町>を作れ。更に領土が拡張されたら、同様にした上で新たに三つの<逃れの町>を作れ。
 逃れの町は意図することも、憎むこともないのに、偶発的な殺人を犯してしまった者が逃げこめられる場所。彼は生涯を町のなかで、復讐に遭うことなく暮らす。
 しかし意図あって殺人を犯した者が逃れの町へ逃げこんでも、救済措置は与えられない。復讐を果たさんと彼を狙う者へ引き渡され、報いを受ける。

 申19:14〈地境の移動〉
 土地の境界線は最初に定められた通りであり、不変である。合筆や分筆はされない。

 申19:15-21〈裁判の証人〉
 犯罪を立証するには二人、乃至三人の証言を必要とする。裁判の公正を保つためである。彼らは真実を語らなくてはならない。
 もし証人の誰かが偽証した場合、その者は相応の報いを受け、民への見せしめとされる。目の当たりにした民は恐れを抱き、悪事を繰り返さないだろう。



 幼稚園児の頃から見守ってきて、今年の春、大学を卒業した練馬の女の子へ。
 「新しいステージへ。卒業と就職、そしてご結婚、おめでとうございます。」
 なんだか娘が巣立つ姿を見るようで、面映ゆい気分です。

 おいら? 永遠にこの場所へ立ち留まるでしょう。気持ちの上では。
 おいらは、いまでもおぐゆーさんのことを想うと、胸がどきどきします。
 理由は知らされなかったが、振られたのに、まだ好きなんだなぁ、と。
 あの子が心を寄せてくれるなら、どんな下層の仕事にでも手を染めただろうなぁ。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0151日目 〈申命記第18章:〈レビ人および祭司に関する規定〉、〈異教の習慣への警告〉&〈預言者を立てる約束〉〉 [申命記]

 申命記第18章です。

 申18:1-8〈レビ人および祭司に関する規定〉
 同胞レビ人には嗣業の割り当てがなく、嗣業の土地も持たない。イスラエル人は彼らに牛や羊の初子の肩、両頬、胃といった部位を与え、穀物やぶどう酒、オリーブ油の初物、羊の毛の初物を与えなくてはならない。
 レビ人は主が望んで選んだ場所へ移動し、同じレビ人と共に神、主に仕える。

 申18:9-14〈異教の習慣への警告〉
 神、主の与える土地へ入ったらば、その地の習慣に与してはならない。主が望まぬことであるが為に。
 「あなたは、あなたの神、主と共にあって全(まつた)き者でなければならない。」(申18:13)

 申18:15-22〈預言者を立てる約束〉
 あなた方の神、主はわたしモーセがそうであったように、同胞のなかから預言者を選んでこれを立てる。ホレブ(シナイ山)での集会の日、あなた方が望んだからである。
 預言者の口に主は言葉を授け、その通りにする。もし言葉に従わない者があれば、主は自らの責任を追及する(どういうことか、既に読んできた方ならおわかりですね?)
 預言者が主の名の下に、主が授けていない言葉を告げるやもしれぬ。だが民よ、それは決して実行されないのだから、たちまち偽りの言葉だとわかる。預言者は怒りに触れて死ぬ。

 預言者モーセの後継はアロン、アロン亡きいまはヨシュア。みなレビ人から出た人です。



 WBC日本VS 韓国! 最注目の一戦━━の筈が、なんと、14対2で日本圧勝! しかも、七回コールド・ゲーム!! 
 よくやった、侍ジャパン! 「我々は世界へ行く」。もうこのまま頂点まで行っちゃってくださいっ!!!!!

 用事があって渋谷へ。その道すがら、キング&ストラウブの『ブラック・ハウス』(新潮文庫)を読み始めました。ゆっくり、じっくり読むタイプゆえ読了まで一ヶ月以上掛かるだろうが、物語の酩酊を心ゆくまで堪能させていただくことにします。
 マーク・シティのスター・バックスで短編のメモとプロットを書きつける。昨日観た映画とオーウェンの短編の奇妙な結合。切ない恋物語になるなぁ、またしても。舞台は京都、配役は……玉木宏と成海璃子でどうか?◆

共通テーマ:日記・雑感

第0150日目 〈申命記第17章:〈正しい礼拝〉2/2、〈上告について〉&〈王に関する規定〉〉 [申命記]

 申命記第17章です。

 申17:1-7〈正しい礼拝〉2/2
 主はかく語りき、とモーセはいう。
 わたし以外の神、森羅万象を崇め仕える者がいたら、それについてよく調査せよ。事実であれば、複数人の証人を立てて判決を下し、死刑を執行せよ。まず証人が、次いで民みなが手を下してこれを行う。
 「この悪事を行った当の男ないし女を門の外に引き出し、その男ないし女を石で打ちなさい。彼らは死なねばならない。」(申17:5)
 ※正しい裁判(申16:18-20)が行われる過程の一例。見方を換えれば、正当化された集団リンチ殺人なのだが……。

 申17:8-13〈上告について〉
 各町での裁判がどうにもうまく運ばないときは、それをレビ人の裁判官の手に委ねよ。彼は主が選んだ場所にいる。あなたはレビ人の裁判官が下す判決に従うようになさい。
 「あなたは彼らの示す指示と下す判決に従い、彼らが告げる言葉に背いて、右にも左にもそれてはならない。」(申17:11)

 申17:14-20〈王に関する規定〉
 王を立てる必要があるときは、主が選んだ者を王とし、即位させよ。但し、王は同胞からのみ選ばれる。
 王は民の心を惑わし蓄財に耽ってはならない。
 王は律法の写しを作成し、常に傍らへ置いて生涯これを読み、主を畏れ、言葉と掟と法を忠実に守るようにせよ。
 「そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルのなかで王位を長く保つことができる。」(申17:20) ※申命記を以てモーセ五書、即ち律法は終わる。この箇所はそれを暗に告げ、旧約聖書中盤のプロローグを成しているように思える。

 いつの間にやら、申命記も半分まで来ました。



 ピストン西沢氏は『ブレード・ランナー』を観ていると、冒頭3分で目がしょぼしょぼして、観るのを止めてしまうそうな(J-WAVE『グルーブ・ライン』`09,03,06放送分より)。

 暁方の夢は現実になる、という。今朝の夢が、そうなればいいな。wish you were here.◆

共通テーマ:日記・雑感

第0149日目 〈申命記第16章:〈三大祝祭日〉、〈正しい裁判〉&〈正しい礼拝〉1/2〉 [申命記]

 申命記第16章であります。

 申16:1-17〈三大祝祭日〉
 三大祝祭日とは、①過越祭、②七週祭、③仮庵祭、をいう。

 過越祭(出12:23初出)を祝え。
 聖所にて牛あるいは羊を屠って過越の生け贄とし、主へささげよ。刻は夕暮れ、エジプトを脱出した時刻である。
 酵母入りのパンは過越祭から六日間、食べることを禁ず。七日目に除酵祭を祝い、当日はどんな仕事もしてはならない。

 七週祭(出23:16初出)を祝え。
 主の祝福に応じてじゅうぶんなだけの、なおかつ、用意できる範囲内で可能なだけ多くの収穫の献げ物をささげよ。
 聖所にて家族やレビ人、寄留者、奴隷らと共に、主の祝福を喜び祝いなさい。

 仮庵祭(レビ23:24初出)を祝え。
 麦打ち場と酒ぶねからの収穫が済んだら、この祭りをして、収穫と手の業への主の祝福を、家族やレビ人、寄留者、奴隷らと共に喜び祝いなさい。

 男子は年に三回、それぞれの祭りの時に献げ物を携えて、主の前に立たなくてはならない。


 申16:18-20〈正しい裁判〉
 各部族は与えられた町で裁判官と役人を選出し、公平で正しい裁判がされるよう心掛けよ。ワイロの授受や不正の働きなど以ての外である。
 「ただ正しいことのみを追求しなさい。」(申16:20)


 申16:21-22〈正しい礼拝〉1/2
 主のために築かれた祭壇などの傍に、木や石の柱を立てるな。それは主が憎まれるものである。


 ざっと復習を。
 過越祭は、イスラエルのエジプト脱出を祝う(忘れない)祭り。主が、エジプト人の長子と家畜の初子を滅ぼす際、イスラエルの民の家の前を「過ぎ越し」たことに由来。
 七週祭は、別名「刈り入れの祭り」。過越祭から50日後、即ち七週間後、無事に小麦を刈り入れられたことを祝う祭りである。
 仮庵祭は、民が荒れ野を彷徨っているとき、天幕を張ってそこに仮庵を結び、仮住まいしたことを祝う(忘れない)祭りである。

 「だからなに?」なんていうな。



 ダラボン監督『ミスト』を観る。ラストはぁ……なるほど、そりゃ賛否両論になるわな。小説のラスト(「希望」)から改変した故に、原作者へのspecial thanks?
 とはいえ、さすがにダラボン。原作の味わいを濃厚に残している点、キング「映画」としては21世紀初の成功作ではないか。これ、好きだ。

 録画テープの整理をしていたら、偶然に和久井映見が出演した『ラジカル』と『ヘレンときよし』を発見。流しながら観る。
 はふん。たっぷり目の保養をさせていただきました。ちょいと(もとい、“かなり”)良い気分になったので、このまま寝る。
 はあ、こんな美しい人がこの世に、本当にいるんだ……。いや、でもおいら的にはおぐゆーさんの方が(……ごにょごにょ。♪ごーにょ、ごーにょ、ごにょ、うへへの子♪ ってなんじゃそれ?)。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0148日目 〈申命記第15章:〈負債の免除〉、〈奴隷の解放〉&〈初子の規定〉〉 [申命記]

 申命記第15章です。

 申15:1-11〈負債の免除〉
 七年目ごとに負債は免除される。隣人へ貸したものを取り立ててはならない。但し、それは同胞に限られ、外国人相手に負債は免除されない。
 貧しき者の声に耳を傾け、両手を大きく開いて彼らを受け容れよ。そして、彼らが必要とするものはじゅうぶんに貸し与えて、これを取り立てるな。与えるときに未練を持ってはならない。
 「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。」(申15:11)

 申15:12-18〈奴隷の解放〉
 同胞のヘブライ人の男女を奴隷として使っていたなら、七年目には彼らを解放し、自由とするように。彼らは六年も働いてくれたのだ。彼らを手ぶらで解放したりせず、「あなたの羊の群れと麦打ち場と酒ぶねから惜しみなく贈り物を与えなさい。」(申15:14)
 奴隷があなたやあなたの家族を愛し、共にいることを望むなら、家の戸に(奴隷の)耳朶を柱へつけてキリで刺し通さねばならない。そうしたら、彼(彼女)は終生の奴隷として、あなたやあなたの家族に生涯仕える。

 申15:19-23〈初子の規定〉
 牛と羊の雄の初子は神、主への献げ物。それ故、牛の初子を使役するすることも、羊の初子の毛を刈ることも禁ずる。
 傷や異常がある初子を献げ物とするな。但し、町中で食べることはできる。血を飲んではならぬ。

 律法の総ざらい、という性格を持つ申命記ですが、やはりこのあたりに来ると、ほの明るい光が雲間から射しこんだような、あたたかさを感じます。



 R.ミドルトンの短編「ある本の物語」を読む。あまりの切なさに落涙を禁じ得ず。A.マッケン『夢の丘』と双璧を成す、物語作者の魂の安息所。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0147日目 〈申命記第14章:〈禁止されている行為〉、〈清い動物と汚れた動物〉&〈収穫の十分の一に関する規定〉〉 [申命記]

 申命記第14章に入ります。

 申14:1-2〈禁止されている行為〉
 あなた方は主の宝の民である。それ故、哀悼のためと雖も死者の体を傷つけるなかれ。

 申14:3-21〈清い動物と汚れた動物〉
 清いとされる動物は食べてもよい。具体的に清い動物とは、━━
 01;牛
 02;羊
 03;山羊
 04;雄鹿
 05;カモシカ
 06;子鹿
 07;野山羊
 08;羚羊(れいよう)
 09;大カモシカ
 10;ガゼル
 11;「ひづめが分かれ、完全に二つに割れており、しかも反すうする動物」(申14:6)
 12;ひれやうろこのある魚類
 13;猛禽類やみさご、コウノトリ、青鷺の類などを覗く鳥(参照・申14:12-18)
━━以上が、清いとされる動物である。
 死んだ動物は汚れており、いとうべきものである。これの肉を食べたり、死骸に触れたりしてはならない。

 申14:22-29〈収穫の十分の一に関する規定〉
 ここは三つの段落(内容)に分けられます。区分すれば、①は申14:22-23、②は申14:24-26、③は申14:27-29、です。以下、それに沿って述べましょう。
 ①毎年の収穫物から十分の一を取り分け、「主がその名を置くために選ばれる場所」(申14:23)、即ち聖所で穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油をそれぞれ十分の一と、牛と羊の初子を食べて、主を畏れる心を忘れないようになさい。
 ②聖所が遠く離れた場所にあって、十分の一の収穫物を携えてゆけないときは、それを銀に換えて、必要とされるもの、望むものを購い、神、主の御前にて食べ、喜び祝いなさい。
 ③あなたの街に住む貧しきレビ人や寄留者、孤児、寡婦を見捨てるな。殊にレビ人は他と異なり嗣業の土地を持たぬ者。既に地方の聖所は閉鎖され、彼らは失職者である。そんな彼らのために、収穫の十分の一を三年ごとに皆が蓄え、彼らと共に食べて満ち足りるようにしなさい。
 「あなたが行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう。」(申14:29)


 この「十分の一」については何度読んでもさっぱりわかりませんでした。そこで図書館へ行って調べよう、と徒歩ていたら、ふと、こういうことか、と思い至り、到着して幾冊かにあたってみて、自分の得た想に確信を持ち、きちんと補い整理した次第であります。
 特に参考になったのは、D.F.ベインの『デイリー・スタディー・バイブル6 申命記』(丸橋裕・訳 新教出版社)でした。これに拠ると、十分の一税を納めることには、二つの意義があった、といいます。
 即ち、①神への供物、②聖所の維持費と人件費、の意義であります。
 おそらく、とベインはいいます。申命記の時代、既に聖所は一箇所(エルサレム)に統合されて地方の聖所は閉鎖、故に地方で働くレビ人は職を失い貧窮した。これを救うため、三年ごとに町のなかで収穫の十分の一が蓄えられ、彼らへ供されるようになった、と。
 これは新約聖書へつながる社会的良心であり、それによって構築された社会福祉制度である、とも。これは次の第15章へもつながっていえることであります。



 数日分の『CSI』シリーズを消化。なぜか『科学捜査班』では眠くなる……。今日(昨日だが)の『マイアミ』と『NY』は二度目のコラボ。アドレナリン大噴出、『CSI』史上最強のエピソードです。
 さて、今月末から『LOST』シーズン1からシーズン4まで一挙放送。何度だって観る。
 他AXNでは『スティーヴン・キングの8つの悪夢(ナイトメアズ)』、『グレイズ・アナトミー』シーズン2が放送開始。
 あとは……『アフター・ワールド』のキャッチアップ放送を、お願いしますっ!!!
 あ、『釣りキチ三平』実写版が今月下旬にロードショーだそうで。主演は須賀健太、監督は『おくりびと』の人。観に行きますよ~。久しぶりに釣り行くか!?◆

共通テーマ:日記・雑感

第0146日目 〈申命記第13章:〈他の神々の礼拝に対する警告〉〉 [申命記]

 申命記第13章です。

 申13:2-19〈他の神々の礼拝に対する警告〉
 預言者や夢占い師の挙動、甘言に誑(たぶら)かされて、主に背いたりしてはならない。彼らの術中に陥って迷わされるな。それこそ預言者や夢占い師の思う壺である。

 血縁・知縁ある者から他の神へ仕えようと誘われても、その企みに乗ってはならない。同情もかくまうことも禁ずる。その者は打ち殺される。
 町(共同体)のなかから斯様な者が現れたら、事実を確かめた上で、町の者すべてを剣にかけて殺し、町を焼き尽くさなくてはならない。これは献げ物である。
 その町は永遠に廃墟となり、再建されることはない。


 嘗て出エジプト記(出21:17)やレビ記(レビ20:27)に、女呪術師、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる、とありました。それをもう少しふくらませて補強したのが、この章であります。
 とはいえ、町に関していえば、もうこれはホロコースト以外の何物でもありません。斯様に<大虐殺>を<献げ物>と規定するから、歴史上の様々な悲劇的事件が正当化され、実行者のイデーが正義とすり替えられてきた。アウシュビッツやツイン・タワーはその最たる例でありましょう。



 帰宅して、長澤まさみ主演『ガンジス河でバタフライ』を観る。30分のインターヴァルのあと、もういっぺん。これはひょっとすると、長澤まさみの最高傑作じゃないか? 長澤まさみ、惚れ直したぜっ!!!!!!!
 おもろい。はっちゃけとる。うーん、ええわぁ、何から何まで。
 ふしぎと、前向きになれる、元気をくれる映画です。
 インド行きて~。ガンジス川でバタフライして~。人に恵まれた旅って良いよね。
 脚本を書いたクドカン主演(?)のインド旅のDVDも明日借りてこよう。
 ━━主人公のように、自分に向き合ったのはいつだ? 20代初め? それ以降は流されて生きてきたなぁ。このあたりで一回リセットすっか、と考える。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0145日目 〈申命記第12章:〈礼拝の場所〉、〈犠牲の肉と血〉&〈異教の礼拝に対する警告〉〉 [申命記]

 申命記第12章です。

 申12:1-12〈礼拝の場所〉
 ヨルダン川を渡って目指す嗣業の土地へ入ったら、先住民の崇めていた異教の神々を廃し、偶像と神殿を破壊せよ。微塵たりとも痕跡を残すな。
 国が平らかになったら、神、主が選んだ場所に、焼き尽くす献げ物、いけにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献げ物、最良の満願の献げ物を携えてゆき、神、主の御前で家族、奴隷、レビ人と共に喜び祝え。

 申12:13-28〈犠牲の肉と血〉
 肉は胃に、血は土に。血は命の水であり、その命を口に含んではならない。
 但し、焼き尽くす献げ物は肉も血も主のものである。他の献げ物の場合は、血は祭壇の側面に注ぎ、肉は食べてもよい。
 「正しいと見なされたことを行うならば、あなたも子孫もとこしえに幸いを得る。」(申12:28)

 申12:29-31(申13:1)〈異教の礼拝に対する警告〉
 あなた方が嗣業の土地カナンへ入植した初期、先住民は一掃され彼らの神は駆逐されているはずである。
 だがもし万が一、残党による礼拝を見かけても参加してはならない。忌むべき行為を犯すなかれ。あなた方の神はわたしである。
 郷に入れば郷に従え、という言葉があるが、特にこの場合は厳禁である。
 「彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々に捧げたのである。」(申12:31)

 そろそろコンコル・ダンスを買うか、と真剣に検討中。申命記あたりまで来ると、以前の事柄が頻出するため、聖書の前のページを繰ることも多くなるのです。
 婚約者の形見分けのとき、聖書とコンコル・ダンスを貰い受けていればよかったな、と溜め息。まあ、後の祭りですけれどね。



 映画『タクシー・ドライバー』を(十数年ぶりに)観る。<現代>を先取りした映画。監督スコセッシと主演デ・ニーロ、肌合いが似た二人。気のせいでしょうか? ハードボイルドともノワールとも単純に呼べない、ドライな描写が印象的な、余韻たっぷりの名作です。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0144日目 〈申命記第11章:〈主の御業〉&〈祝福と呪い〉〉 [申命記]

 申命記第11章に入ります。

 申11:1-12〈主の御業〉
 エジプトや荒れ野で主が行った御業を、放浪のイスラエルはつぶさに目撃してきた。
 民は主の戒め、言葉と掟と法をとく守り、暮らしなさい。そうすれば、やがて得るだろうカナンの地で長く生きることができるだろうから。
 「あなたたちは、あなたたちの神、主の訓練を知ることも見ることもない子孫とは違うことを、今日知らねばならない。」(申11:2)
 カナンはエジプトと異なり、潤いと肥沃に恵まれた土地である。
 ※エジプトの国を襲った災いと脱出(出7:8-出14)、ダタンとアビラムを見舞った災い(民16)を引き合いに出されています。

 申11:13-32〈祝福と呪い〉
 民が主に従い使えるならば、雨を降らせ穀物を実らせ、大地に恵みを与えよう。民の子孫は天地の寿命が尽きるその日まで命脈を保つ。主に従うならば民は向かうところ敵なく、カナンはもちろん、その周辺諸国までことごとく占領し、民のものとなる。
 しかし、民が主から心を離して信心を他へ向けたらば、「主の怒りがあなたたちに向かって燃え上がり、天を閉ざされるであろう。雨は降らず、大地は実りをもたらさず、あなたたちは主が与えられる良い土地から直ちに滅び去る。」(申11:17)
 主はモーセを通じて、いった。━━民よ、わたしの言葉と掟と法と戒めを忠実に守りなさい。

 「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。」(申11:26-28)

 主が率いる民こそ真のイスラエルの民。子孫の受ける恵みよりも多くを享受し、幾多の困難をくぐり抜けた民。
 それ故にこそ、主から心を離したときは、〈滅亡〉という最も過酷な呪いが待ち受けていることも覚悟せよ。
 そんな厳しさと緊張感に満ちた章です。



 出掛ける(≠散歩する)。一歩一歩するたび、心に浮かぶよしなし事を御すこともせず、弄ぶ。
 黒い妄想から桃色の妄想まで、たっぷりと。散歩中のおいらの頭のなかは、暗黒世界の犯罪からお気楽度120%のお花畑まで、多種多彩。
 名附けて、“that`s 妄想パラダイス”。別名“気まぐれ妄想映画館”。
 それが桃色に至ったとき、……思わず赤面。むずかゆくなって、なぜかタップを踏む。
 そのとき、おいらの脇を、ものすごいスピードで自転車が通過していった。どんだけ逃げたってごまかしたって、CSIはだませないんだぜ(まだ妄想進行中)。

 キング『ビュイック8』を読了。どっちつかずの、中途半端な作品、と思う。感想は別にあるが、評価はそんなところ。
 『ローズ・マダー』と『ジェラルドのゲーム』程ひどくはないが、欠伸をかみ殺し、早く終わらないかな、と考えたことがあるのは事実。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0143日目 〈申命記第10章:〈再び戒めが授けられる〉&〈神が求められること〉〉 [申命記]

 申命記第10章です。

 申10:1-11〈再び戒めが授けられる〉
 嘗てあったことを思い出しなさい、とモーセが語って曰く、━━
 アカシヤ材で契約の箱が造られ、同じ木材から切り出した板の二枚に主は十戒を書きつけ、私モーセがそれを契約の箱に収めた。
 その後、我々は遠近(をちこち)を彷徨い、途中アロンを看取って、特にレビ族を選び祝福して主への献身を嗣業と課した。故に他の部族と異なりレビ族は嗣業の土地を持たない。
 主は私モーセにいった。イスラエルの民を率いて乳と密の流れる約束の地カナンを目指せ、民はカナンへ入植してその地を得る、と。

 申10:12-22〈神が求められること〉
 神、主が民へ求めてやまぬのは、民が自分に忠実であることと、民が自分を信じることである。主は偉大である、とモーセはいう。
 民へ神、主は望む━━心正しく偏見に惑わされず、弱者を守り、寄留者を愛することを。嘗てはイスラエルの民もエジプトの地に於いて寄留者だったからだ。
 「この方こそ、あなたの賛美、あなたの神であり、あなたの目撃したこれらの大いなる恐るべきことをあなたのために行われた方である。」(申10:21)

 後半、意外と主は駄々っ子である……。



 人生のタイム・リミットを突きつけられる。
 ブログの完結が先か、俺が先か。
 いずれにせよ、最後は一人きり。一緒にいて欲しい人は、そこにいない。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0142日目 〈申命記第9章:〈かたくなな民〉〉 [申命記]

 申命記第9章です。
 註釈つきで長いですが、宜しくお付き合いください。

 申9:1-29〈かたくなな民〉
 嘗てイスラエルの民はアナクの子孫を前にしてひるみ、剣を交えぬうちから敗色ムードを漂わせていた。
 主はかく語りき、進み戦い滅ぼし勝者となれ、と。
 但し、民が勝利するのは、正義からではない。アナクの子孫があなた方の神、主に逆らう者だからである。
 「あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。(中略)あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。」(申9:6-7)

 イスラエルの民よ、あなた方はエジプトを脱出したその日から、ホレブ(シナイ山)でも、タブエラでも、マサでも、キブロト・ハタアワでも、カデシュ・バルネアでも、ずっと主の命令に背き、時には疑い、尻ごみしてきた。
 そのたび、主は民を滅ぼそうとし、私モーセは四十日四十夜許しを乞うてひれ伏した。
 「あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。あなたの僕、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御貌を向けないでください。」(申9:26-27)
 「彼らは、あなたが大いなる力と伸ばされた御腕を持って導き出されたあなたの嗣業の民です。」(申9:29)

 神を敬う者だけが生き残る、神に反旗をひる返す者は殲滅されよ。
 こんな神/主の意志が端的に吐露された章として記憶すべきかもしれません。

 では、わたくしたちも思い出しましょう。
 タブエラは民数記第11章で言及された土地、意味は「燃える」。そこでは、肉もなければ魚もない、野菜も果物もない、主は我々を飢え死にさせる気か、という民の不満に主が怒りました。
 マサは出エジプト記第17章で言及された土地、意味は「試し」。そこでは、喉が渇いて仕方がないから主の力が本当なら飲み水を出してくれ、と民が主を疑い、試しました。なお、メリバ(争い)も同じ箇所で言及されました。イスラエルの民がカナン入植を阻まれる原因となった場所であります。
 キブロト・ハタアワはタブエラと同じく民数記第11章の、第31-34節で言及された土地、意味は「貪欲の墓」。そこでは、海から運ばれてきたウズラを民は際限なく集め食らったことに主は怒り、激しい疫病を蔓延させたのでした。故に、この地はキブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と名付けられた、ということです。



 『椿山課長の七日間』(12ch)を観る。
 和久井映見登場の場面のみ、眼はぱっちり開けて特に見る。
 んはぁ~。むふぁあ~。
 和久井さんへのファン度(好き度)を仮に数式(これが!?)に表すなら、こんな感じか。
 おぐゆーさん>>>亡き婚約者≒和久井映見
 即ち、現実者>雲上の人、ということ。うむ、一件落着(←なにが?)。

 小説を書く。なぜ自分で自分を拘束して、首を絞めるのだろうか?
 好きというのと同じレベルで、開放感を味わいたいからだ。
 先が見えたときに味わう一種の淋しさは、では、なんなのだろう━━?◆

共通テーマ:日記・雑感

第0141日目 〈申命記第8章:〈神の賜る良い土地〉&〈主を忘れることに対する警告〉〉 [申命記]

 申命記第8章に入ります。
 内容も文章もシンメトリーの構図を持つ、なかなかうまいです。

 申8:1-10〈神の賜る良い土地〉
 イスラエルの民は我が戒めを忠実に守れ。
 40年の間荒れ野を彷徨ったのは、課せられた試練であり、主を敬い畏れる心を根づかせ強くさせるためだったのだから。
 カナンの地に住まうとき、民は主に感謝し、主を讃えよ。

 申8:11-20〈主を忘れることに対する警告〉
 主の戒めと法と掟へ背く者に災いあれ。
 心おごって主の恩を忘るゝ事勿れ。
 斯様な者あらば必ず滅び去る故ぞ。
 末の幸福は父祖と約を交わした為なり。

 嘗てあったあれこれは、神なる主の視点で見れば、「試練」でしかない。
 なるほど、旧約聖書の<狡猾にして残酷な>神の面目躍如であるな━━。



 今日(昨日ですか)は亡き婚約者の月命日。独り花を片手に青山へ行ってきました。
 その墓前にて数時間、黙考し酒を呑む。おぐゆーさんのことを考えている俺がいた。
 生きている人は太陽になり得ても、死者は呪いに満ちた地獄の業火でしかない、か。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0140日目 〈申命記第7章:〈七つの民を滅ぼせ〉、〈神の宝の民〉&〈恐れるな〉〉 [申命記]

 申命記第7章に入りましょう。
 カナン「入植」を「侵攻」と位置づけた章です。

 申7:1-5〈七つの民を滅ぼせ〉
 カナンに暮らす七つの先住民を、入植前にことごとく、女子供も躊躇うことなく討って滅ぼせ、と主はイスラエルの民へ語りかける。
 万一残党があったとしても、これとの縁組みは厳禁とする。民を滅ぼす起因となるからである。
 「あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシュラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。」(申7:5)

 申7:6-15〈神の宝の民〉
 イスラエルは私の聖なる民である、と主は語った。最も貧弱なるがゆえに主はイスラエルの民を愛し、ファラオから解放し導いた。祝福された民はその家畜さえ子々孫々にわたって繁栄し、常に健やかである。疫病は敵対者のみを襲う。
 「あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが、御自分を否(いな)む者にはめいめいに報いて滅ぼされる。主は、御自分を否む者には、ためらいなくめいめいに報いられる。あなたは、今日わたしが『行え』と命じた戒めと掟と法を守らねばならない。」(申7:9-11)

 申7:16-26〈恐れるな〉
 カナンの地をあなた方は徐々に侵略してゆき、最後にはこれをすべて手中にする、と主は約束する。
 立ちはだかる敵を恐れてはならない。くじけそうになったときは、ファラオに対して主が為したことを思い出せ。あなた方は必ず敵を滅ぼし、カナンを征服する。彼らの神を焼き、金銀へ目を奪われることがないように。欲望はいつか必ずあなたを逆に滅ぼす結果となるだろうから。
 「いとうべきものをあなたの家に持ち込んではならない。そうすれば、あなたも同じように滅ぼし尽くすべきものとなる。それを憎むべきものとして憎み、徹底していとい退けなさい。それは滅ぼし尽くすべきものである。」(申7:26)

 出エジプト記第33章にこんな句がありました。曰く、「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」(出33:19)と。
 この申命記第7章は、この句の遠いエコーであるように思えます。というよりも、この句こそが旧約聖書の通奏低音といえるかもしれません。



 寒い日が続く。……心がいちばん寒いのは、おいらだけ……? 
 好き。いつでもオッケー。あなたの笑顔をおいらにください。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0139日目 〈申命記第6章:〈唯一の神〉&〈主の命令を守ること〉〉 [申命記]

 申命記第6章であります。

 申6:1-15〈唯一の神〉
 (申5で述べた)十戒とは言葉と掟と法である。忠実に守れば、イスラエルの民は幸いを得、大いに増える。これは代々に渡って語り聞かせてゆくことでもある。
 殊にあなたたちをエジプトのファラオから解放し導いた神、主の他は一切崇める対象としてはならない。
 「あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃えあがり、地の面から滅ぼされないようにしなさい。」(申6:15)

 申6:16-25〈主の命令を守ること〉
 主の御心をゆめ試すなかれ。
 イスラエルの民よ、主/神の言葉と掟と法とは、これ即ち命令である。守り従うならば報いを受けて、幸いに生きられる。

 つらつら思うに、「幸い」=「幸福」、「喜び」ではないのだろうな。「報い」も「思し召し」とか「恩恵」を単純に意味しているのではないのだろう……。



 山本一力の短編集『蒼龍』を車中にて読む。やはり「節分かれ」と「蒼龍」が最後まで心に残り、知らず知らず、じん、とくる。◆

共通テーマ:日記・雑感

第0138日目 〈申命記第5章:〈十戒〉&〈神の言葉を取り次ぐ者〉〉 [申命記]

 申命記第5章であります。
 出エジプト記第20章に相当する章です。

 申5:1-22〈十戒〉
 ホレブ(=シナイ山)にてモーセは、主と契約を交わした。
 そのうちでも特に重んじられるのが、映画でも有名な<十戒>である。
 01:我以外の神を崇めるなかれ。
 02:偶像を作ってこれを拝むな。
 03:神の名をみだりに口にするな。
 04:安息日を厳守せよ。
 05:父母を敬い尊べ。
 06:人を殺めて罪を犯すな。
 07:欲情に駆られてレイプするなかれ。
 08:泥棒に手を染めるなかれ。
 09:他者を偽り欺くなかれ。
 10:他人のものを欲しがるな。
 ━━主はモーセとイスラエルの民と、これを契約した。
 「主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。」(申5:3)

 申5:23-33〈神の言葉を取り次ぐ者〉
 モーセは民に請われて、主と彼らの間に立つ依り代を務めることに同意した。
 「どうか、あなたが我々の神、主の御もとに行って、その言われることすべてを聞いてください。そして、我々の神、主があなたに告げられることをすべて我々に語ってください。我々は、それを聞いて実行します。」(申5:27)
 「あなたたちは、あなたたちの神、主が命じられたことを忠実に行い、右にも左にもそれてはならない。あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたたちは命と幸いを得、あなたたちが得る土地に長く生きることができる。」(申5:32-33)



 例年通り横浜国際女子駅伝(今回はFINAL)の見物/応援に。ナショナル・チームが有終の美を飾り、祝10回目の優勝!! やはり渋井の走りは迫力です。
 その後、友人らと中華街で食事、バーへ移動してシャーリー・ジャクスンとフィッツジェラルド、最近観た映画の話を肴とし、嗜酒深更に至りタクシーで帰宅。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。