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第0245日目 〈士師記第21章:〈ベニヤミンの犯行〉3/3〉 [士師記]

 士師記第21章、最終章です。

 士21:1-25〈ベニヤミンの犯行〉3/3
 今日、即ち内紛の終わった日、イスラエルからベニヤミンが切り離された。イスラエルはミツパの地にて、ベニヤミン族へ娘を嫁がせて彼らと婚姻を結んだりしない、と誓った。
 そして、主に嘆いた。「イスラエルの神、主よ。なぜイスラエルにこのようなことが行われ、今日イスラエルから一つの部族が欠けることになったのですか。」(士21:3)
 翌る日、民は祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
 共同体はベニヤミンへ和解の使者を送り、先の内紛に参加しなかったという理由で討ったギレアドのヤデシュの町に住んでいた処女400人を、ベニヤミンの種を残すために妻として渡す、と呼びかけた。ベニヤミンは首肯したものの、まだ足りなかったので、イスラエルは、シロの町に住む娘たちが踊りに出てきたら銘々連れ帰って妻にせよ、と提案した。
 「もし彼女らの父や兄がわたしたちに文句を言いに来たら、こう言おう。『我々に免じて憐れみをかけてやってほしい。我々は戦争の間それぞれ妻を迎えることができなかったし、あなたたちも彼らに娘を与えることができなかった。与えていたら、あなたたちは罪に問われたはずだ』」(士21:22)
 ベニヤミンはその通りにシロの娘たちを連れ帰り、イスラエルはそれぞれ自分たちの嗣業の土地へ、自分たちの天幕へと帰って行った。
 「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。」(士21:25)

 ベニヤミンも同胞であることに変わりはなく、彼らがこのまま子孫を設けぬまま滅びてゆくのは見るに忍びない、ということなのかもしれませんが、……都合の良い話だなぁ。
 荒れ狂った士師記の終わりにふさわしいのかどうかわかりませんが、一息に読み通してみたら、また違った視点が得られるかもしれません。いずれにせよ、この書物が見過ごせぬ物語群を内包した書物であることに、異存はないでしょう。



 アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』(白水uブックス)を、今日から読んでいます。
 なにもかもがミステリアス。なにもかもがむせ返る熱気に包まれている。
 油断しているとのっぴきならぬ場所へ連れてゆかれそうな、力のある小説です。これがタブッキの小説を語る際によくいわれる「遊技性」という奴か?◆

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第0244日目 〈士師記第20章:〈ベニヤミン族の犯行〉2/3〉 [士師記]

 士師記第20章です。

 士20:1-48〈ベニヤミン族の犯行〉2/3
 イスラエルの人々がミツパへ集まってきた。ベニヤミン族の犯行を沙汰するためである。ベニヤミン族もこれを知った。
 イスラエルの人々が件のレビ人へ、犯行に至る経緯の説明を求め、レビ人はこれに答えた。最後にこういって、彼の話は締め括られた。「あなたたちイスラエルのすべての人々よ、ここで話し合って協議していただきたい。」(士20:7)
 が、問うまでもなく衆意は一つだった。我々は誰も自分の天幕へは戻らない、兵を選んでベニヤミン領ギブアへ攻めのぼろう━━「『ベニヤミンがイスラエルの中で行ったすべての非道を制裁しよう。』こうしてイスラエルの者が皆、一人の人のように連帯を固めてその町に向かって集まった。」(士20:10-11)
 全イスラエルはベニヤミンへ決議を叩きつけ、宣戦布告した。イスラエル同士が討ち合う内紛が始まった。
 しかしながらベニヤミン族ギブアの彼らは強く、内紛の初日と二日目はイスラエルの敗退に終わった。両日でイスラエルは40,000人の兵を失った。敗色ムード漂うイスラエルに主は告げた。
 「攻めのぼれ。明日、わたしは彼らをあなたの手に渡す。」(士20:28)
 イスラエルはギブアの町の周囲に伏兵を配し、その日を戦った。二日続けての勝利に、ベニヤミンは驕(おご)っていた。撤退するイスラエルが張り巡らせた罠にまんまとはまり、激戦の果てにベニヤミンは倒れ、イスラエルは鬨(とき)の声をあげた。その日に滅んだベニヤミンは25,000人である。「ベニヤミンの人々は自分たちに不幸な結末が訪れるとは思ってもみなかった。」(士20:34)
 さて、伏兵だが、ベニヤミンがイスラエルを追撃したあとで、彼ら伏兵はギブアを攻めて、占領を知らせる狼煙(のろし)を高々とあげた。それは雲の柱のようだった。「ベニヤミン人は、自分たちに不幸な結末が訪れるのを知って、うろたえた。」(士20:41)
 もはやベニヤミンに力はなく、ギブアの向こう側まで蹂躙されるのを許した。イスラエルの追撃を逃れたのはわずかだった。
 「一方、イスラエル人はベニヤミンの人々のところへ戻ってきて、町の男たちから家畜まで、見つけしだい、残らず彼らを剣で撃ち、どの町にも見つけしだい、火を放った。」(士20:48)

 これまでにも、同胞同士のささやかな規模の内紛(小競り合いというか喧嘩の大きくなったもの)はありました。が、士20ではこれまででもっとも大規模で、凄惨な内戦が語られます。
 前章での寄留者への仮借ない攻め上げが、斯くも大きな戦争を引き起こしたのです。その過程は凄まじく、処置は徹底しています。
 まだ士師記は1章を残しますけれど、主への信仰が不在の時代、そして、王さえいなかった時代を物語る士師記が、こうしてイスラエル同士の諍いで幕を閉じるのは、なにやら暗澹とさせられるのであります……。



 2009年の6月第1週は人生に於いて最も顧みるに不愉快な週となるであろう。これを帳消しにするwonderfulなことがありますように。
 たとえば? おぐゆーさん!
 伏して願い奉る。◆

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第0243日目 〈士師記第19章:〈ベニヤミン族の犯行〉1/3〉 [士師記]

 士師記第19章です。

 士19:1-30〈ベニヤミン族の犯行〉1/3
 これもイスラエルに王がいなかった時代の話である。
 エフライムの山地の奥に一人のレビ人がおり、ユダのベツレヘムから一人の側女を迎えた。が、側女は主人/夫を裏切り、実家へ帰った。レビ人は一軛(くびき)のろばと従者を連れてベツレヘムへ下り、側女を連れ戻そうとした。側女の父が乞うのに何日も滞在したけれど、遂に或る日、レビ人は側女と従者を連れてエフライムへの帰途に就いた。
 彼らはエブス人の町即ちエルサレムを過ぎて、同じベニヤミン領のギブアで夜明かしをすることにした。だが、泊めてくれる家もなく、広場で途方に暮れていた。そこへ畑帰りの老人が通りかかり、レビ人一行の事情を聞くと、自分の家へ招いた。老人はエフライム出身の者であった。
 その夜のことである。ギブアの町のならず者たちが老人宅へやって来て、レビ人を引き渡せ、と迫った。我々は彼を知りたい、と。老人はこれを断っていった。「この人がわたしの家に入った後で非道なふるまいは許されない。ここに処女であるわたしの娘と、あの人の側女がいる。この二人を連れ出すから、辱め、思い通りにするがよい。だがあの人には非道なふるまいをしてはならない」(士19:23-24)
 ならず者たちは側女を連れ出して朝まで輪姦し、側女は老人宅の敷居に手を掛けたところで事切れた。
 レビ人は側女の遺体をろばに乗せて郷里へ帰った。そうして遺体を十二の部位に切断して、イスラエルの十二の部族へ送りつけた。
 それを目にした同胞たちは、戦(おのの)いて、いった。「イスラエルの人々がエジプトの地から上ってきた日から今日に至るまで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。このことを心に留め、よく考えて語れ。」(士19:30)

 士19:29「(前略)イスラエルの全土に送りつけた。」に続く七十人訳本文、「彼は自分が遣わした男たちに命じて言った。『あなた方はイスラエルのすべての人にこう言いなさい。「イスラエルの子らがエジプトを出た日から今日に至るまで、このようなことがあったか」』」と入る由。ずっと流れが良く、すっきりとした本文になったことであります。
 いや、それにしても、残酷と申しますか猟奇と申しますか……でも、ここが旧約聖書らしい箇所であることも、また事実といえましょう。



 散髪の帰り、100円ショップで必要なものを買い求めるも、帯に短し襷(たすき)に長し、の感深し否めません。
 近頃は更新がうまくゆかず、空白の日が生じること度々のようですが、だいじょうぶ、毎日きちんと更新中です。反映されるのが遅いのは、システムの関係かもしれません。◆

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第0240日目 〈士師記第18章:〈ダン族の移動〉2/2〉 [士師記]

 士師記第18章です。

 士18:1-31〈ダン族の移動〉2/2
 そのころダン族は嗣業の土地を求めて、あちこちを彷徨っていた。土地を探し調べる役として、彼らはツォルアとエシュタオル出身の5人を選出し、調査に派遣した。5人はやがて、エフライムの山地はミカの家に至った。そこで一晩を明かし、レビ人の祭司と知り合った。
 若者がレビ人でミカの家の祭司であると知ると、5人は土地探しの旅がうまくゆくか、神に問うてほしい、と頼んだ。若者はいった、安心せよ、と。「主はあなたたちのたどる旅路を見守っておられる」(士18:6)
 ダン族の5人は旅路をずっと北上し、ナフタリ族とヨルダン川東岸のマナセの半部族の嗣業の土地にはさまれた、ベト・レホブに属する平野にあるライシュと呼ばれる地へ辿り着いた。そこは穏やかで安らかな、シドン人のように静かで彼らからは隔たった、権力者もなく外界とは没交渉の地であった。
 5人はツォルアとエシュタオルへ戻り、報告した。ライシュへ攻めのぼり、これを奪おう、と。「神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ」(士18:10)
 ダンの氏族600人が武器を携行して北上を開始した。途中、エフライムの山地のミカの家に立ち寄り、エフォドやテラフィム、彫像などを奪って例のレビ人の祭司を同道させた。ミカはこれを追ったが、かなう相手ではないとわかると、退散した。
 ダン族はライシュを攻め、これを占領し、その土地の名を“ダン”と改めた。
 「ダンの人々は、自分たちが拝むために例の彫像を立てることにした。またモーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を務めた。こうして、神殿がシロにあった間、ずっと彼らはミカの造った彫像を保っていた。」(士18:30-31)

 この章を、民13のカナン偵察の場面と読み比べると面白いと思います。むろんその規模では比較になりませんが、民数記では皆が一様に消極的であったのに対し、士師記の当該章では浮き足だってはおるまいか、とこちらが不安になるほど積極的かつ大義名分まで付け加えられています。
 でも、なぜダン族は申命記で与えられた嗣業の土地(ヨシュ19:40-48)を失って、新たな土地を探して彷徨っているのか? ヨシュ19:47では「ダンの人々は領地を奪われた後、北上し、レシェムを攻めてこれを占領し」云々とありました。ティンデル「士師記」を執筆したアーサー・E・カンダルは、嗣業の土地として与えられたなかに先住していたアモリ人やペリシテ人の力を完全に排除することができず、それがダン族の境界線設定を不明確なものとし、だんだんとツォルアやエシュタオルのような高地へ押しやられていった、その結果として「ついに切羽詰まった彼らの多くの集団が、さらに快適で確実な場所を求めることを決断したのだ」(P174)と指摘しております。この節を裏附ける記述は、既に士師記のみならず前のヨシュア記でも触れられておりました。
 前に行ったり後ろに行ったり、聖書を読むのは普通の読書と異なる性質を持つのは事実ですが、毎日読んでいるとさすがに記憶される部分もあるので、それがよみがえったら、前後のページを行きつ戻りつすればよいと思います。まず大切なのは、毎日、できれば決まった時間に、決まった分量を読むことでありましょう。もっとも、聖書読みに毎日を規定されては本末転倒ではありますが。



 タブッキ『供述によるとペレイラは……』が面白くてたまりません。『舞姫タイス』と同様、読み惜しんでおります。この人の本、他にも読んでみようかな……。◆

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第0239日目 〈士師記第17章:〈ダン族の移動〉1/2〉 [士師記]

 士師記第17章です。
 【「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。」(士17:6)これが士師記の通奏低音であり、各士師登場の下地であり、彼らの物語の前提となっている。
 出エジプトと荒れ野彷徨、カナン侵攻を経験した世代が、歴史の表舞台から退場したことでイスラエルは大きく混乱した。そして人心も荒んだ。
 換言すれば、預言者ヨシュアの死がもたらした影響の大きさが窺え、ヨシュアと、共にイスラエルを指導した長老たちがどれだけ民の支柱となっていたかが推察できる。彼らの指導力と統率力が絶大であったか、推して知るべし、であろう。
 それが、士師記の時代を生きるイスラエルの民の姿であり、王(指導者・統率者)不在の時代に人々が陥った神、主の罠であった。】

 士17:1-13〈ダン族の移動〉1/2
 エフライムの山地に住む男ミカの家には彫像と鋳像があり、別に神殿を持ちエフォド(神像)とテラフィム(やや小振りの神像)を造り、息子の一人の手を満たして祭司としていた(士17:1-5)。
 まさしく民は自分の正しいと思うことを行っていたのである。
 さて。一人のレビ人がいた。ユダ族の若者で、ユダのベツレヘムにいたがそこをあとにして違う寄留地を求めて彷徨っていたところ、ミカの家に行き当たった。若者がこれまでの経緯を説明すると、ミカは、ならばわたしの家に住むとよい、といった。祭司となってほしい、銀十シェケルと衣服一式と食糧を与えるから、と。
 若者は諾ってミカの家に寄留し、祭司となった。
 「ミカは、『レビ人がわたしの家の祭司になったのだから、いまや主がわたしを幸せにしてくださることがわかった』と言った。」(士17:13)

 如何でしょう、人心の乱れここに至れり、との感がしませんか。
 これまでわたくしたちは旧約聖書をゆっくり読んできました。ミカの行いがどれだけ主の心に背き、シナイ山で交わされて締結された、その後も折に触れて交わされ締結されてきた種々の契約に抵触しているか、逐一でなくとも思い出されることでしょう。
 即ちこれは、当時既に契約の内容が人々の心から薄れ、主との契約によって活かされているという意識が希薄になってきていたのだ、と、さんさんかは思うところであります。



 自分の心の声に従うばかりが良策ではありません。
 人生を左右する出来事であればある程、先の先まで考え尽くして良い面悪い面、人間関係にまで思いを巡らせて、徹底的に検討を加えてしまうべきであります。
 ときには自分の願いを封じこめて未来を選択する意志が必要なのです。◆

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第0238日目 〈士師記第16章:〈サムソン〉4/4〉 [士師記]

 士師記第16章です。

 士16:1-31〈サムソン〉4/4
 サムソンはソレクの谷のデリラを見初めた。彼女はペリシテ人であった。当時、既にサムソンの怪力や激情はペリシテ人の知るところとなっていた。彼を打ち負かし、縛り上げて苦しめようと画策するペリシテ人の領主たちの頼みを聞き入れたデリラ。
 デリラはサムソンに訊ねた。サムソンは答えた。「乾いていない新しい弓弦七本で縛ればよい。そうすればわたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」(士16:7) ペリシテ人の領主たちはさっそくその通りにした。が、サムソンは魂胆を見破っていた。「(サムソンは)弓弦をまるで麻のひもが火にあぶられて切れるように断ち切ってしまった」(士16:9)のである。
 ペリシテ人の企みは失敗に終わった。デリラはサムソンに訴えた、━━、なぜあなたは私に嘘をつくの? あなたを縛りあげるにはどうすればいいのか、と訊いているだけなのに。
 サムソンは答えた。「まだ一度も使ったことのない新しい縄でしっかりと縛れば、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」(士16:11) ペリシテ人の領主たちはさっそくその通りにした。が、サムソンは魂胆を見破っていた。「腕の縄をまるで糸のように断ち切ってしまった」(士16:12)のである。
 ペリシテ人の企みは失敗に終わった。デリラはサムソンに訴えた、━━、なぜ二度も私に嘘をつくの? あなたを縛りあげるにはどうすればいいのか、と訊いているだけなのに。
 サムソンは答えた。「わたしの髪の毛七房を機の縦糸と共に織り込めばいいのだ。」(士16:13) ペリシテ人の領主たちはさっそくその通りにした。が、サムソンは魂胆を見破っていた。「釘も、機織り機と縦糸も引き抜いてしまった」(士16:14)のである。

 「デリラは彼にいった。『あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたは私を侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった。』来る日も来る日も彼女がこう言ってしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、ついに心の中を一切打ち明けた。『わたしは母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう』
 デリラは彼が心の中を一切打ち明けたことを見て取り、ペリシテ人の領主たちに使いをやり、『上ってきてください。今度こそ、彼は心の中を一切打ち明けました』と言わせた。」(士16:15-18)
 サムソンがデリラの膝枕で眠っている間に、彼の髪の毛七房は削ぎ落とされ、彼の体からは力が抜けた。斯くしてサムソンは倒れた。
 ペリシテ人はいけにえを彼らの神ダゴンへささげ、領主たちも民もサムソン拿捕を喜び祝った。サムソンはペリシテ人の前へ引き立てられてき、見せ物とされた。
 サムソンは自らの神、イスラエルの神、主へ祈った。いま一度我に力を与え、ペリシテ人へ復讐を果たさせよ、と。
 「それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。そこでサムソンは、『わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい』と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった。彼の兄弟たち、家族の者たちが皆、下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬った。彼は二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。」(士16:29-31)


 サムソンの物語第1回(もうずっと遠くに日に思えます)の末尾にちょっと書いたサン=サーンスのオペラの中心を成すのが、今日掲げたサムソン最後の物語であります。興味のある人は、オペラと較べてみると面白いと思います。
 しかしながら、サムソンは士師としての役割を本当に果たしていたのか、彼が大士師として語られるのはその点疑問であります。資格云々でいえば、これまで見てきた大士師と同列には論じられないように思えます。さりながらサムソンの物語が色と匂いに充ちているのは事実で、この点は他の大士師の物語と毛色が異なるようであります。でも、十分に面白く読むことができますし、新しい物語のタネを幾つも含んでいるのも、これまた事実といえましょう。
 一連のサムソン物語には、古より語られてきた伝説や伝承の英雄譚の原型が見られそうです。例えばさんさんかは、デリラとの問答の末についに真実を告白してしまうサムソンの愚かさに、たびたびの引き合いで恐縮ですが、ワーグナーのオペラに出て来る〈純なる愚か者〉……ジークフリートやパルジファルを連想するのです。確か、それらの原典であるドイツや北欧の神話、アーサー王や王女クードルーンの物語にも、そんな裏付けとなる人物が登場してきた、と記憶します(文献が手許にないのでうろ覚えのまま書いています。事実誤認があればお許しください)。
 さて。怪奇小説党の方には見過ごせぬ固有名詞が登場したのではないでしょうか。そう、「ダゴン」です。以前このブログでラヴクラフトという人の小伝を書きましたが、彼の初期短編にやはり「ダゴン」(“Dagon”1923)という小説があります。クトゥルー神の眷族で半人半魚の衣類です。旧約聖書ではこの士師記第16章が初出、「サムエル記上」第5章第2-5節でも登場します。契約の箱が奪われた後の章ですけれど、イスラエルの神、主とペリシテ人の神ダゴンの力比べめいた場面が、ちょっと印象に残る章でありました。なお、大瀧啓裕氏は『ラヴクラフト全集』第3巻の解説にて、ダゴン神が顔と手は人間で体は魚をしている魚を司る神である、と紹介しております(P319 創元推理文庫:東京創元社)。
 この最後のサムソン物語、読んでいてどうにもやりきれぬ思いに駆られました。自分が板挟みになっているせいかもしれません。嗚呼……。



 今宵はつのだたかしのリュート曲集。ヴァイセのシャコンヌがしみじみと胸に迫ります。◆

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第0237日目 〈士師記第15章:〈サムソン〉3/4withチャイ5で眠い。〉 [士師記]

 士師記第15章です。

 士15:1-20〈サムソン〉3/4
 一旦帰郷したサムソンだったが小麦の収穫の頃、ティムナへ再び姿を現した。が、嘗ての妻が他人に嫁したと知るや、「今度はわたしがペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない。」(士15:3)といい、ジャッカル300匹を捕らえて尾を結び、結び目に松明を挿して火を点し、ペリシテ人の畑に投げ入れた。麦畑といいオリーブの木といい、あたりは燃え落ちた。
 ペリシテ人がその惨状を見て、犯人と動機を知ると、彼らはサムソンの元妻だった女性とその父を焼き殺した。サムソンは彼らへ徹底的に報復した。
 ペリシテ人がユダへ攻めのぼった。ユダの人々は理由を聞かされるとサムソンの許へ行き彼をなじり、自分たちに捕らえさせて、彼を敵の手に渡そうとした、━━
 ━━とそのとき、主の怒りがサムソンにくだった。彼は自分を縛っていた縄を引きちぎり、ろばの顎骨で1,000人を打ち殺した。終わって顎骨を投げ捨てた場所はラマト・レヒ(顎骨の高台)と呼ばれるようになった。
 サムソンは主に勝利を感謝し、飲み水を欲した。主はレヒのくぼんだ土地を裂いて、そこから水をあふれ出させた。その泉はエン・ハコレ(祈る者の泉)と呼ばれた。
 「彼はペリシテ人の時代に、二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。」(士15:20)

 激昂しやすい男、サムソン。これで士師とは……。主はなぜ彼を士師としたのか、ナジル人としたのか。キリスト者でない自分には、単なるウツケ者としか思えません。



 チャイコフスキー交響曲第5番の第4楽章(カラヤン=VPO)を聴いていて眠くなったなんて、初めての経験。つかれているのかな……今夜はもう寝ます。読みかけの本も、今宵ばかりはやめにしよう。◆

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第0236日目 〈士師記第14章:〈サムソン〉2/4〉 [士師記]

 士師記第14章です。

 士14:1-20〈サムソン〉2/4
 サムソンはペリシテ人の娘に恋をした。妻にしたいと願った。両親はそれを拒んだ。いまイスラエルを支配するのはペリシテ人であったからである。また、それが主の計画であり、打倒ペリシテ人の突破口になると考えられなかったからである。
 サムソンは求婚の途上ライオンを殺し、ナジル人の誓約(民6:6)を無視して死骸に近附き、そこから蜂蜜を取った。
 イスラエル人のサムソンとペリシテ人の娘の婚礼の宴が、ペリシテ人の地ティムナで催された。父が来、人々がそれぞれ30人の客を連れて集った。
 婚礼の席上でサムソンがいった、
 「食べる者から食べ物が出た。
  強いものから甘いものが出た。」(士14:14)
これのなぞときをした者に麻衣と替え衣それぞれ30着を与えよう、と。
 が、ペリシテ人はわからなかった。3日経った晩、彼らはサムソンの新妻へ詰め寄り、答えを聞き出してこい、と迫った。「さもないと、火を放ってあなたを家族もろとも焼き殺してやる。まさか、我々からはぎ取るために招待したわけではないだろう。」(士14:15)
 妻は夫へ泣きすがり、サムソンは首を横に振るばかり。が、7日目になって遂に答えを教えた。妻はペリシテ人に教え、ペリシテ人はサムソンに答えを披露した。
 「わたしの雌牛で耕さなかったなら
  わたしのなぞは解けなかっただろう。」(士14:18)
 主の怒りがサムソンへくだり、彼は離れたアシュケロンへ行って民を虐殺、屍衣をはぎ取り、ペリシテ人のなぞを解いた者へ与えた。
 サムソンは怒りに燃えたまま自分の父の家へ帰った。妻は妻でなくなった。サムソンの付き添いの友人へ改めて嫁いだからである。

 〈愛は身分を越える〉なるロメ・ジュリばりの設定から一転、(ナジル人の)誓約の破棄を経て、〈禁じられた問い掛け〉=〈禁忌を破る〉によって夫婦生活が破綻する。
 東西の民話や伝説でお馴染みなプロットを、まずは旧約聖書で堪能するとなると、サムソンの物語に辿り着きます。



 本日のノートを認めていたら、なんだか急に、久しぶりに、ワーグナーの《ローエングリン》を聴きたくなりました。誰のにしようかなぁ~っ。◆

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第0235日目 〈士師記第13章:〈サムソン〉1/4〉 [士師記]

 士師記第13章です。
 士師サムソンの物語、全4回の第1回であります。

 士13:1-25〈サムソン〉1/4
 イスラエルが再び乱れた頃、ダン族にマノアという男がいた。妻は不妊症であった。その時分、主はペリシテ人にイスラエルを渡しており、ペリシテ人の支配は40年に及んでいた。
 或る日、妻の前に主の御使いが現れ、やがて男子を授かる、と告げた。
 「『その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼はペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。』」(士13:5)
 妻はそれを夫へ告げ、夫はぜひ自分も聞きたいと思い、主の御使いがまた現れてくれるよう祈った。果たして主の御使いは夫婦の前に現れた。
 その子が生まれてくるために為すべき事はなにか。夫は訊いた。
 それは、と主の御使いがいった。それは次の如し、━━
 ・ぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは、一切口に含んではならない。
 ・強い飲み物、汚れたものを一切口に含んではならない。
 ・「わたしが彼女に戒めたことは、すべて守らなければならない。」(士13:14)
 マノアはもてなしの子山羊をごちそうしたい、と申し出たが、主の御使いはそれを断り、主に焼き尽くす献げ物としてささげよ、といった。
 マノアと妻は子山羊と穀物の献げ物をささげた。祭壇から炎が天へのぼると、主の御使いも一緒に天へのぼっていった。夫婦はそれを見てひれ伏した。
 私たちは神を見てしまった、死なねばなるまいか、と戦(おのの)くマノアを、妻は諫めた。死なねばならないなら、献げ物なんて必要なかったでしょう? と。
 やがて妻は男児を出産、サムソンと命名された。ダン族マノアの息子、新たな士師サムソンである。
 サムソンの運命が急転するのは、彼がマハネ・ダン(「ダンの宿営地」の意味)にいるときであった。

 個人的には士師記で三本指に入る、好きなエピソードです(第15章がちょっと中だるみしますけれど)。
 わたくし同様オペラや古伝説の類が好きな方なら、第16章まで続くサムソンの物語に、ワーグナーの楽劇で有名なジークフリートを思い浮かべながら愉しんで読んだ、というわたくしの感想に首肯いただけるものと思います。
 オペラ序でにいえばこのサムソンの物語、フランス近代の作曲家サン=サーンスによってオペラ化されました。《サムソンとデリラ》がそれです。1877年にワイマールで初演、台本はF.ルメールによるフランス語、アリア〈あなたの声に我が心は開く〉が夙に有名なオペラです。さんさんかのお奨めディスク(CD)はジュゼッペ・パターネ盤(DENON)とチョン・ミュン=フン盤(DG)。◆60319

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第0234日目 〈士師記第12章2/2:〈イブツァン〉、〈エロン〉&〈アブドン〉〉 [士師記]

 士師記第12章の2/2です。

 士12:8-10〈イブツァン〉
 エフタの後、ベツレヘム出身のイブツァンが士師となり、7年間、イスラエルを裁いた。
 遺体は故郷ベツレヘムに葬られた。

 士12:11-12〈エロン〉
 イブツァンの後、ゼブルン族のエロンが士師となり、10年間、イスラエルを裁いた。
 遺体はゼブルン族の嗣業の土地のなかにあるアヤロンの地に葬られた。

 士12:13-15〈アブドン〉
 エロンの後の士師はピルアトン出身ヒレルの子アブドン。8年間、イスラエルを裁いた。
 遺体はピルアトンに葬られた。


 小士師の出自とイスラエルを裁いた期間、埋葬地についての記述が簡述されています。
 『古事記』中巻と下巻を思い出します。一部の歴代天皇の記述が、第12章と同じく簡述されているからです。
 知りたい方は、岩波書店の日本古典文学大系や岩波文庫、もしくは講談社学術文庫をご覧になれば宜しいかと思います。



 録画した『MR.BRAIN』を観ました。いや、相変わらずこれ、いいなぁ。和製『CSI』にキムタクと綾瀬はるか、加えてGacktの演技が上等。早くもDVDボックス希望。
 部屋を片付けていたら10年前の雑誌が出てきた。いまは無き『太陽』1999年06月号(平凡社)。嗚呼、吉田健一や生田先生のようなダンディになりたい。永田降衣や夢野久作のような洒落者になりたい。田村隆一の如く正しい人物でありたい。
 「何となし酒の海に浮んでゐるやうな感じがする」(吉田健一「飲む場所」:『私の食物誌』)
 「酒に対しては礼儀正しくあるべし。(中略)酒を愛するコツは、酒と会話することさ」(田村隆一「詩人からの伝言」)◆

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第0233日目 〈士師記第12章1/2:〈エフタ〉2/2〉 [士師記]

 士師記第12章の1/2です。

 士12:1-7〈エフタ〉2/2
 アンモン人との戦いに際して、エフタはエフライムを召集しなかった。エフライムはこれに憤りを覚え、エフタを詰問した。
 エフタはいった、アンモン人といい争っているとき(士11:12-28)、エフライムに助けを求めても反応はなかった。戦う段になっても援助は得られぬと判断し、召集しなかったのだ、と。
 ギレアドとエフライムはそれをきっかけにして争った。ギレアドはエフライムを討ち、ヨルダン川の渡しまでを手中に収めた。敗走した者も含めて、エフライムは42,000人を失った。
 エフタは6年間士師として在り、イスラエルを裁いた。
 亡骸はギレアドの町に葬られた。

 またもエフライムが士師に難癖をつけました。が、今度はギデオンのときとちがってエフタの説得下手が祟って、同胞イスラエルが争う羽目に。
 これが原因でエフライムは人口を減らし、衰退、弱体化してゆきます。



 近所のオフィスビルで火災警報が鳴りました(05月29日16時28分頃)。誤報と判明しましたが、テナントとして入っている店舗スタッフの危機管理能力の欠如に、ほとほと呆れました。◆

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第0232日目 〈士師記第11章:〈エフタ〉1/2〉 [士師記]

 士師記第11章です。

 士11:1-40〈エフタ〉1/2
 アンモンへ戦いを仕掛け、ギデオン全住民の頭となったのは、ギレアドの勇者エフタであった。
 出自が卑しいため同族の者から虐げられトブの地に移り住んだが、いまや次の士師として召命されたのだ。
 エフタはトブへ訪れたギレアドの長老たちの要請を断り続けたが、「主がわたしたちの一問一答の証人です。わたしたちは必ずあなたのお言葉通りにいたします。」(士11:10)と誓ったので、イスラエルが陣を置くミツパへ赴き、主の御前で自分がいった言葉を繰り返した。

 エフタはアンモンの王へ使者を送った。汝らは何故イスラエルを攻めるのか、汝らの占拠した土地をすべて平和裡に返還せよ、と。
 再度の使者が士師エフタの言葉をアンモンの王へ伝えた。イスラエルには出エジプトからカナン入植までの土地取得に至る正当性があり、いまさらアンモンの民らが自分たちの土地を取り戻そうとは何事か、と。
 「わたしはあなたに何も間違ったことをしていない。あなたこそ戦いを仕掛けて、わたしに不当なことをしている。審判者である主が、今日、イスラエルの人々とアンモンの人々の間を裁いてくださるように。」(主11:27)
 ※「あなた」=アンモン。
 【エフタの登場からここまでは、なんだかカッコいいなっ!】

 兵を進めてアンモンを屈服させる前、エフタは勝利して帰還した暁には、最初に戸口から出てきたものを焼き尽くす献げ物としてささげる、と(軽率にも)誓ってしまった。イスラエルは戦に勝利し、民は帰還した。
 が、勝って帰ったエフタを戸口から出て最初に出迎えたのは、ただ一人の娘であった。エフタは嘆き悲しんだ。娘は父に、主への誓い通りに我が身を焼き尽くす献げ物としてささげてくれ、と頼んだ。二ヶ月間山中をさすらって処女のまま死ぬのを悲しんでからなら、自分は主への焼き尽くす献げ物として身を挺そう、と。これは即ち、子供を産み育てることを知らぬまま、という意味である。
 エフタはそれを聞き入れ、娘は二ヶ月の後に焼き尽くす献げ物として主へささげられた。
 以来毎年、一年のうちの四日間、イスラエルの娘たちはエフタの愛娘の死を嘆き悲しむようになった。


 子供を焼き尽くす献げ物として主へささげなくてはならない、というのは、嘗て創世記でもアブラハムが経験しました(創22:2-18)。
 息子イサクを連れてモリヤの地へ行け、そこで私(主)に彼を焼きつく献げ物としてささげよ。アブラハムはその残酷な指示に従い、息子を連れて件の地へ出掛けた。イサクの訝しみも反らして(「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」創22:8)。が、それは主の試しであった。息子イサクはアブラハムの信仰を計るダシであった。焼き尽くす献げ物は別にささげられた。アブラハムの信仰ゆえに、主は彼の子孫の繁栄と守護を約束した。
 アブラハムの子孫の繁栄と守護━━それが主とイスラエルとの間に結ばれた契約であり、後の出エジプトから“乳と蜜の流れる地”カナンへの入植という、モーセを経てアロンがつなぎ、ヨシュアが完成させた、主との約束の礎でありました。
 (創世記を読んでいない方は[つまり、このブログから聖書と付き合い始めた、という方は]、これを契機にまるごかしに創世記を読んでみることをお奨めします。このブログで創世記に戻るのは、かなり先のことになりますために、それとこの先創世記を踏まえた記述も出て来るでしょうから、そのたびに新たに創世記を繙き流れのわからぬままつまみ読むよりは、ずっと健全であると思います)
 さて。
 しかしエフタの場合は違う。アブラハムのそれと異なり、自分のうっかりから斯く申してしまった。はっきりいわずとも救い難い(エフタ、早くも旧約聖書イチの<うっかりさん>候補に認定)。だからこそ主からのお目こぼしはなく、娘をささげる羽目になった。自分が勝利して生還したら、まず戸口に姿を現しそこから出て来るのは己の身内でありましょう。それについてまるで考えずに軽率な誓いをしてしまったがゆえの悲劇であり、笑うに笑えぬ真に馬鹿げた喜劇で、第11章は締め括られたわけであります。
 もっとも、創世記と士師記では背景となる主への信仰がまるで異なるので、一概に同列には申し上げられませんけれど。

 エフタの物語は次の第12章にまたがります。その第12章はエフタといわゆる小士師3人の記述に分けられます。そこで記述を通りやすくするために、次の章は2日に分けてゆくこととします。



 雨が降る降る、風もたっぷり吹いてくる。スカパー!はやはり光に切り替えるべきだ、と決心。でも、明日になったら、まぁいいか、で済んでしまっていそうな予感。
 全体の見通しもなく書き出した小説はゆるゆる進行中。村上春樹と三浦しをんの新作の誘惑に全面降伏することなく筆を執り続けられればよいのだが、早くも惨敗の予感。
 タブッキ『供述によるとペレイラは……』もあるからねぇ。◆

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第0231日目 〈士師記第10章:〈トラ〉、〈ヤイル〉&〈イスラエルの罪と罰〉〉 [士師記]

 士師記第10章です。

 士10:1-2〈トラ〉
 その後、イサカル人トラが士師として立ち、23年間イスラエルを裁いた。

 士10:3-5〈ヤイル〉
 次の士師はギレアド人ヤイル。22年間イスラエルを裁いた。
 30人の息子がろばに乗り、町を持ち、その町はハボト・ヤイルと呼ばれ今日まである。

 士10:6-18〈イスラエルの罪と罰〉
 ヤイルがいなくなるとイスラエルは乱れた。異神を崇めて主を捨てた。主がペリシテ人とアンモン人の手に民を売り渡したので、彼らは18年間苦しんだ。敵はヨルダン川西岸のイスラエルの土地までも侵略した。
 イスラエルは主に助けを求めた。
 が、主の曰く、「わたしはもうあなたたちを助けない。あなたたちの選んだ神のもとに行って、助けを求めて叫ぶがよい。」(士10:13-14)
 民は改悛し、自分たちのなかから異神崇拝を一掃した。「主はイスラエルの苦しみが耐えられなくなった。」(士10:16)
 敵アンモン人がギレアドに陣を敷くと、イスラエルも(ギレアドの)ミツパに人を敷いた。「民ギレアドの指導者たちは互いに言い合った。『アンモンの人々に戦いを仕掛けるのは誰だろうか。その人がギレアド全住民の頭となろう。』」(士10:18)

 士10:6-18は士11-12の士師エフタの物語のプロローグであります。
 士師が立つに至るまでの前史(過程)を、これまでよりやや詳しく語っており、読みながらちょっと面白いな、と思うた次第です。



 昨日、アナトール・フランスの現在容易に入手できる本として、『舞姫タイス』の他に、『エピクロスの園』を挙げました。が、岩波文庫の最新の目録ではこれさえ品切れらしく、書名が消えております(くぅーっ!)。というわけで、図書館から借りるがよい(ちょ~上から目線)。古本屋をハシゴするなりネットで探すのも、むろん、可。
 さて。アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』(白水uブックス)を読み始めました。ずいずい引きこんでゆく、馬力のある小説だ……。ファシズムの足音が聞こえてくる時代のリスボンを舞台に、新聞編集者のペレイラが「思いもかけぬ運命の変転に見舞われる」(同書あらすじより)物語。物語それ自体の面白さに加え、須賀敦子の日本語が端正で、綺麗。訳文がしっかりしていてこそ読まれる外国文学が誕生する、という当たり前の最低条件を認識させてくれる格好の見本。またちょっとずつ読み進めます。

 決算資料! 株主総会の資料作りで忙しい時節だ、みんな、深夜残業がんばれよっ!◆

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第0230日目 〈士師記第9章:〈アビメレクの過ち〉〉 [士師記]

 士師記第9章です。

 士9:1-57〈アビメレクの過ち〉
 士師ギデオン、即ちエルバアルの息子にアビメレクという者がいた。母は側女、即ち奴隷であっった。
 そのアビメレクは母方のおじたちを通してシケムのすべての首長を弄して、自分をイスラエルの統治者とさせた。「あなたたちにとって、エルバアルの息子七十人に治められるのと、一人の息子に治められるのと、どちらが得か。ただしわたしが、あなたたちの骨であり肉だということを心に留めよ。」(士9:2)
 統治者アビメレクは異母兄弟70人を一つの石の上で殺した。が、末子ヨタムだけは逃げ延びた。アビメレクがシケムのすべての首長とベト・ミロの全員によって王に推されてその位に就いたとき、ヨタムはゲリジム山の頂で呪いの歌を歌った。
 「もし今日、あなたたちがエルバアルとその一族とに対して誠意をもって正しく行動したのなら、アビメレクと共に喜び祝うがよい。もしそうでなければ、アビメレクから火が出て、シケムの首長たちとベト・ミロをなめ尽くす。またシケムの首長たちとベト・ミロから火が出て、アビメレクをなめ尽くす。」(士9:19-20)
 ヨタムは逃げた。アビメレクを避けてベエルに住んだ。
 3年の統治の後、アビメレクとシケムの首長たちの間に不協和音が奏でられ出した。首長たちは王を裏切った。
 「こうしてエルバアルの七十人の息子に対する不法がそのままにされず、七十人を殺した兄弟アビメレクと、それに手を貸したシケムの首長たちの上に、血の報復が果たされることになる。」(士9:24)
 士9:25-55はその“血の報復”をつぶさに語った件りである。
 アビメレクは最後の戦地、テベツの町の強固な塔にこもった女の放った挽き臼の上石で頭蓋骨を砕かれ、部下に介錯させて死んだ。
 「神は、アビメレクが七十人の兄弟を殺して、父に加えた悪事の報復を果たされた。また神は、シケムの人々の行ったすべての悪事にもそれぞれ報復を果たされた。こうしてシケムの人々は、エルバアルの子ヨタムの呪いをその身に受けることとなった。」(士9:56-57)

 〈驕り〉と〈失墜〉がこの章のテーマであります。偉大な父を持った、出自の卑しい男がたどる一代記、といってもいいでしょう。栄華とは縁遠いアビメレクの一生は、これまで読んできた旧約聖書の数々のエピソードのなかでも、一際異彩を放つものであると同時に、アンチ・ヒーローの要素に充ちたピカレスク・ロマンとして読むことが可能でありましょう。
 これをもっと剛毅かつ骨太にして、汗と血と土と男の匂いをぷんぷんさせると、我が国の戦記物語の傑作中の傑作『平家物語』になる、とはいいすぎでしょうか。しかし、さんさんかは『平家物語』や『承久記』を読むのとまったく同じ醍醐味を味わわせていただいた、と正直な感想を残しておこうと思います。



 アナトール・フランス『舞姫タイス』(白水uブックス)をほぼ24時間前に読了しました。
 舞台は古代エジプト、“舞姫タイスの改悛”を果たさんとする修道院長パフニュスの煩悶があらすじの太軸。無事タイスをアレクサンドリアから連れ出して尼僧院に入れてからの、パフニュスの肉欲と信仰のせめぎ合いには、男性諸氏なら絶対身に覚えあるはず。
 こほむ、それはともかく……。
 読み出して約3週間ですか。読まなかった日が半分ぐらいあるね。怠けていたんじゃあ、ない。読み終わるのがもったいなかったのです。
 1890年原著刊行とあって文章はあの時代らしく現代よりずっとペダントリーに充ちて、筋運びも時代がかっているわけだが、これねぇ、読んでいて時間が経つをの忘れるんですわ。その気になれば数日で読み終われるでしょう。だけど、それはあまりにもったいない。小説を読む面白さ、終わりが近づくのが残念かつちょっと恐ろしい、そんな未練がましさを覚えた久々の小説でした。
 嘗てフランスは日本でも(なんか面妖な表記……)爆発的な人気を保ち、生田耕作師曰く、昔の大学生なら読んでいて当然な作家の一人でありました。そのフランスの単行本(文庫も含めて)が、現在は『舞姫タイス』と『エピクロスの園』(岩波文庫)ぐらいしか容易く入手できない、遺憾な出版流通状況。
 せめて、もう一つの代表作『赤い百合』と再編集された短編集だけでも、新書や文庫で読めるようならぬだろうか(『赤い百合』は2001年に臨川書店から、杉本秀太郎の新訳が刊行済み)。いや、いっそ、『アナトール・フランス小説集』全12巻を、白水社はuブックスから出し直してくれぬか。
 アナトール・フランスの『舞姫タイス』、むろん、マスネの代表作にしてフランス・オペラの至宝《タイス》(1984年初演)の原作です。〈タイスの瞑想曲〉という曲、聴いたことがありませんか? ときどき閉店の音楽に使っているデパートや本屋さんがありますよね。◆

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第0229日目 〈士師記第8章:〈ギデオン〉3/3〉 [士師記]

 士師記第8章です。
 士師ギデオンのお話、第3回目(最終回)です。

 士8:1-35〈ギデオン〉3/3
 戦いが終わって、エフライムの人々がギデオンへ詰め寄った。なぜ我々を対ミディアン戦に召集しなかったのか、と。ギデオンは答えた、貴方たちが果たした役割に較べたら私のしたことなど顧みるに値しない、と。エフライムの人々の憤りは和らいだ。
 ギデオンは敗走中の敵兵、特にミディアン王ゼバとツァルムナを追って、300の兵と共にヨルダン川を渡った。東岸の町スコトとペヌエルの人々に食糧の補給を頼んだが、断られた。ギデオンはスコトとペヌエルの人々に後悔させた。
 さて、ミディアン王と敵兵はカルコムの地で野営をしていた。ギデオンらはそれを奇襲して相手を大混乱に陥れ、ミディアン王ゼバとツァルムナを捕らえた。そして、自らの手で処刑した(士8:15-21)。
 ギデオンはミディアン人の装飾品すべてを用いてエフォド(神像)を作った。民が、ギデオンにイスラエルを統治してほしい、と願ったが、それを断ったためでもある。
 イスラエルはその後40年、即ちギデオン存命中は平穏であった。
 やがて士師ギデオンは死に、父ヨアシュの墓に葬られた。その前、シケム出身の側女が息子を産んだ。それはアビメレクと名附けられた。

 ギデオンの死後、イスラエルはたちまち乱れた。バアルの神(バアル・ベリト)を崇めた。
 「すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった。」(士8:27)
 「イスラエルの人々は、周囲のあらゆる敵の手から救い出してくださった神、主を心に留めなくなった。彼らはまた、イスラエルのために尽くしてくれたエルバアル、すなわちギデオンのすべての功績にふさわしい誠意を、その一族に示すこともしなかった。」(士8:34-35)


 前章のノートで「一筋縄ではいかぬ、旧約聖書らしい展開」が第8章ではある、と書きましたが、その根拠がおわかりいただけたでしょうか。━━なんといっても、士師自らが契約に背く行為をしてしまったのですから! それがなんともさりげなく指摘されているあたり、意地悪さと(不似合いな)謙虚さを感じさせられます。
 エフォドは祭司の祭服でもありますが、ここでは註釈に従って「神像」としました。が、祭服であってもなんら咎はありません。いずれにせよ、士師は禁忌を破ったのです。
 それにしても、イスラエルって性懲りもない民ですね。



 北朝鮮核実験! 旧約時代のイスラエル同様性懲りもない国である。もはや6カ国協議(実体は4カ国協議か)も制裁も無意味だ。そろそろ後悔させてやった方がいいんじゃない?
 それはさておき。新しい小説を書き始めましたが……どこへ流離ってゆくつもりなのか、この短編は。制御できないほど、物語に内在する〈力〉を感じてならぬのです……。◆

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第0228日目 〈士師記第7章:〈ギデオン〉2/3〉 [士師記]

 士師記第7章です。
 士師ギデオンのお話、第2回目です。

 士7:1-25〈ギデオン〉2/3
 ギデオン率いるイスラエルはエン・ハロド(ハロドの泉/イサカル族領北境)に陣を敷いた。その北側、モレの丘にミディアンの連合軍が陣を移していたからである。
 イスラエルの軍勢は総てで32,000人。これは人多しというので、ギデオンは主の指示に従って兵を精選した。まずは恐れおののかない者10,000人が残った。次いで、水辺で膝をついてかがんで水をすくって飲んだ者300人が、最終的に対ミディアンの精鋭部隊となった。
 その晩、ギデオンは(主が命じたように)従者プラを伴って、ミディアンの陣中を偵察した。そこで彼はミディアン兵二人が夢占(ゆめうら)の話をしているのを聞いた。
 「神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼(ギデオン)の手に渡されたのだ。」(士7:14)
 ギデオンは勝利を確信した。
 深夜、ミディアンとの戦いの火蓋が切って落とされた。イスラエルの100人ずつに分けられた小隊はそれぞれ角笛を吹き、水がめを砕いて、「主のために、ギデオンのために剣を」(士7:20)と叫んで敵陣を包囲して討ち、敵も同士討ちを起こした。
 斯くしてミディアンは敗れた。
 ギデオンはエフライムへ使者を出し、敗走するミディアン兵を討たせ、将軍オレブとゼエブを殺させた。その首はヨルダン川西岸にいた自分の許へ持ってこさせた(士7:24-25)。

 これまでの士師記であれば、抑圧者を成敗して「めでたし、めでたし」で終わるところでした。
 が、ギデオンの場合、そうは問屋が卸しません。彼の物語を、一筋縄ではいかぬ、複雑になさしめているのは続く第8章の存在ゆえであります。
 抑圧者ミディアンを退治したギデオンの物語は、このあと実に旧約聖書らしい展開を見せます。第6章のノートの冒頭で、「都度前日、先々日の分も読み返して」と申した理由も、明日が終わったらおわかりいただけると思います。



 「丸の内(大手町)のOLにアンケート」とかあるじゃん、テレヴィの番組内容で。
 気がつくと、じっ、と画面を仰視している俺がいる。んんん、あの人出るかなぁ、って。
 哀れだね、悲しいね、可笑しいね。キチガイだね、ドン引きだね、後ろ指さされ者だね。
 そんなおバカさんに、洒落のめしてこの文句を捧げよう。
 ♪あら哀しいね、あらおかしいね、オッペケペッポー、ペッポッポー♪◆

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第0227日目 〈士師記第6章:〈ギデオン〉1/3〉 [士師記]

 士師記第6章です。
 ここは士師記のなかでも長大な部類に入る物語、本章から第8章へまたがる挿話です。
 慣例に従って一日一章、〈ギデオン〉の物語も3日に分けてノートしてゆきます。
 都度前日、前々日の分も読み返していただければ幸いです。
 では、……、

 士6:1-40〈ギデオン〉1/3
 デボラのあとに立った士師は、ギデオンといった。
 ヨルダン川東岸のマナセ族、アビエゼルはヨアシュの末子、ギデオンである。

 デボラとバラクのあとで民が悪を行ったので、主は、今度はミディアン人の手に7年間彼らを渡した。ミディアン人はイスラエルの土地を荒らし、農作物を荒らし、命の糧となる家畜も奪い、イスラエルの民を圧迫した。
 このときに主が選んだ士師が、ギデオンである。
 まず主は自分の遣いとして一人の預言者をイスラエルのなかへ送りこみ、民に後悔させた。主の声に聞き従わなかったゆえに、いまの苦しみがあるのだ、と。
 預言者はギデオンの前に立ち、いった、「勇者よ、主はあなたと共におられます。」(士6:12)と。
 ギデオンは自分が士師として不適格者である、と抗弁したが、主/預言者はそれを諫めて諭した。
 「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」(士6:16)

 ギデオンはテレビンの木の下(預言者がギデオンと会った場所)に献げ物を置いた。すると岩から火がおこり、焼き尽くす献げ物がささげられたのである。預言者が主の御使いであることを、ギデオンは悟ったのである。
 「『ああ、主なる神よ。わたしはなんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。』主は彼に言われた。『安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。』」(士6:22-23)
 ギデオンは町にあった異神バアルの祭壇を破壊し、アシェラ像を切り倒した。既にアモリ人の神を敬っていたイスラエルの民はこれを見て憤激したが、ギデオンの父ヨアシュの説得と檄によって静まった。
 「『あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか。バアルをかばって争う者は朝とならぬうちに殺される。もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争うだろう。』」(士6:31)
 ギデオンは父ヨアシュによってエルバアル(バアルは自ら争う)と呼ばれた。

 ミディアン人らが進軍、渡河してイズレエルの平野に陣を敷いた。
 ギデオンの許にアビエゼルが結集し、呼びかけに答えてアシェル、ゼブルン、ナフタリ、そしてマナセが合流した。
 ギデオンはイスラエルの連合軍を率いる前に、羊の毛と土を使った最後の試しを、主へ行った。主はことごとくそれに応じた。
 斯くしてギデオンは、主が本当にイスラエルを救おうとしているのだ、と知ったのである。


 ギデオンが預言者によって士師となるよう選別、数々の過程を経て士師として立ち、イスラエルを率いて、ミディアン人を中心とする枢軸軍(他アマレク人と東方諸部族)との戦いに赴く、というのが、第6章の(相当強引な)ダイジェストです。

 ここで着目したいのが、ギデオンが士師となるまでの問答と葛藤についてです。
 思い出せば、モーセのケースとよく似た構造を持っているではありませんか。モーセも出エジプトの指導者となるまでに、ギデオンと変わらぬ段階を経ておりました。
 即ち、炎のなかの顕現-自分が不適格者であることの告白-「わたしは必ずあなたと共にいる。」-主であることの証しを相手に見せる-圧政側への抵抗の狼煙を上げる、であります。
 以てモーセとギデオンをイコールで結びつけるは愚の骨頂。されどもこの近似は面白いな、と思うところであります。

 なおミディアンは、そのモーセの妻が出身者(出2:15-16,21)であり、ミディアン人をイシュマエル人とする(士8:24)ところから、創世記に出てきたイサクの異母兄弟イシュマエル(創16:15)がその始祖とされる人々。
 つまり、イスラエルとは近しい関係にある間柄ながら、たびたびイスラエル侵略を行ってきたことで専ら読者の記憶に残っているのが、彼らミディアン人であります。
 そのミディアンはアカバ湾(紅海)の東北一帯を占め、士師記第6章ではユダ族の嗣業の土地の南側一帯を占領し、その勢いは地中海沿岸のガザにまで及んだ、とのことであります。




 キムタクの新ドラいいねっ! 『MR.BRAIN』(TBS)、おいら好みのドラマです。
 まぁ、オープニングやあちこちの場面で『CSI』シリーズの影響が見られるけれど(エンディングのチョイスについても)、それでも及第点!
 もうテレ朝の人情押しつけ京都シリーズ(特に『科捜研の女』!!! 『京都迷宮案内』は例外中の例外です)や船越某主演の暑ッ苦しいだけのうるさいドラマ(連ドラ、二時間共に)は、いらない。◆

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第0226日目 〈士師記第5章:〈デボラの歌〉〉 [士師記]

 士師記第5章です。

 士5:1-31〈デボラの歌〉
 これは、ヤビン王に勝利した日、デボラとバラクによって歌われた頌歌である。
 大意はこうである。

 ~民よ、主を讃えよ、諸国の王よ、主を讃え跪け。
  我らイスラエルがカナンへ入植した後もたびたび、我らは先住民の抑圧に苦しんだ。
  一部の者は彼らの神を崇めた。主は怒り、敵の手に我らを渡された。
  道を行き交う者の姿は絶え、農村は衰退した。
  ここに至って女預言者デボラが士師として、バラクと共に立ちあがり、
  カナンの王ヤビンに戦いを挑んだ。
  「わが心はイスラエルの指揮する者らと共に
   この民の進んで身をささげる者と共にある。」(士5:9)

  士師デボラは各部族へ号令を発し、参戦を命じた。
  が、ルベンとギレアド、ダンとアシェルは黙殺した。彼らは後に非難された。
  イスラエルとカナンの両軍は、地中海へ注ぎこむキション川で激突した。
  敵は敗れた。敗走者が多く出た。
  カナンの将軍シセラは敗走途上、ヤエルの手で命を絶たれた。
  それゆえに、ヤエルはイスラエルの女性たちのなかで最も祝福される存在となった。
  一方シセラの母は不帰の人となった息子の生還を待ち続けた。~

「このように、主よ、あなたの敵がことごとく滅び、主を愛する者が日の出の勢いを得ますように。」(士5:31)
 国はその後、40年の静穏を保った。

 詩編をわざわざ見るまでもなく、聖書には歌がてんこ盛り(その点、我が国の『古事記』とよき勝負)。
 なかでもデボラの歌が単なる頌歌の域に留まらぬ、仄かながら文学性を漂わせるのは、最後が敗残の将シセラの母の哀れで〆られているゆえであります。これなくば、単なる、さして記憶に残らぬ歌で終わっていたことでありましょう。



 東大本郷第二生協のレジにいるおばちゃんはひどいな。
 横暴の極み。あれでは暇潰しのパート集団と影で罵られても故なきことではない。
 昔はこうではなかったが……。勘違いしている輩が増えて悲しいよ。
 そのあとの、三井物産社員からの接待にまつわる呆れた醜態と暴言は語るまい。◆

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第0225日目 〈士師記第4章:〈デボラとバラク〉〉 [士師記]

 士師記第4章です。

 士4:1-24〈デボラとバラク〉
 嘗ての士師エフドが逝くと、再たイスラエルは乱れた。主はカナンの王ヤビンに民を売り渡したため、ヤビン王は20年の間彼らの上に在った。
 民が助けを願ったので、主は女預言者デボラを士師に立てた。イスラエルは彼女に裁かれた。そして、彼女の采配になるカナン攻めが始まる。
 デボラはナフタリの山地ケデシュの町からアビアノムの息子バラクを呼び寄せた。そこで主の命令を伝えた。ゼブルン人とナフタリ人計10,000人をタボル山へ集結させ、キション川に集まるヤビンの軍を破れ、と。「私は彼をお前の手に渡す。」(士4:7)
 バラクはデボラと連れ立って戦うことを望み、デボラはそれを諾った。但し、戦勝の栄誉に浴するのはデボラのみである。「主は女の手にシセラを売り渡されるからである。」(士4:9)
 シセラはヤビン王の将軍で、ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。彼はイスラエルの蜂起を聞くと、900両の鉄の戦車と自身の軍を率いて、キション川へ向かった。両軍は激突し、シセラは敗走した。

 ━━双方の軍がぶつかり合うに期を同じうして、「カイン人のへベルがモーセのしゅうとホバブの人々、カインから離れて、ケデシュに近いエロン・ベツァアナニムの辺りに天幕を張っていた。」(士4:11)(註1)というのも、「ハツォルの王ヤビンとカイン人へベル一族との間は友好的であったからである。」(士4:17)
 シセルはへベルの妻ヤエルにかくまわれて、しばしの休息を取った。
 眠るシセラのこめかみに、ヤエルは地まで突き刺すほどに釘を打ち、これを死に至らしめた。敗走するシセラを追撃してきたバラクに、ヤエルは死した敵の将軍の骸(むくろ)を見せた。
 「神はその日、カナンの王ヤビンをイスラエルの人々の前で屈服させてくださった。イスラエルの人々の手は、次第にカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを滅ぼすに至った。」(士4:23-24)

 註1)モーセのしゅうとホバブは、イスラエルとは因縁浅からぬミディアン人であった(出2:16,21、民10:29)。
 猶この引用箇所、新改訳聖書では下の如く訳される。
 「ケニ人ヘベルは、モーセの義兄弟ホバブの子孫のカインから離れて、ケデシュの近くのツァアナニムの樫の木のそばで天幕を張っていた。」
 ここに限っていえば、新改訳の方が日本語としてずっと正常だ。新共同訳は常に本文を切磋する必要あり。
 聖書と雖も、まず日本語として読むに耐える、磨きあげられた文章であることが最優先。その上で正確な翻訳を目指して改訂を繰り返されるのが、理想的な筈。それとも、聖書の翻訳とは巷に溢れる翻訳とはまったく別次元の、若干なら日本語として機能していない訳文があってもいい、というのか。
 せっかくカトリックとプロテスタントが共同して翻訳を作成するようになったのだから、英語に於ける欽定訳聖書の如き存在の日本語聖書であることが、新共同訳に課せられた課題ではあるまいか。


 さて。
 殊この章に限ったわけではないのですが第4章で顕著なこととして、視点や文章の主語が定まらない(腰が据わっていない)ために、全体のまとまりを若干欠くように思われてならぬのであります。
 読み返すたび、その感はますます深まってゆくのである、と自身の覚え書きも兼ねて、ここに記し残しておきます。




 読む本がなくなった帰りの電車のなかで考えた。こんなこと、……
 ……ヘミングウェイ、スタインベック、フィッツジェラルド、ラヴクラフト、フォークナー、O・ヘンリー。20世紀前半のアメリカ文学の好みを篩(ふるい)にかけると、なんのおもしろみもない上述のリストができあがります(順不同)。
 アニタ・ルースやエリナ・グリン、ヴァン・ベクテンなど大衆小説の書き手で好きな人もいますが、敢えて手許に残すとなれば、結局あの6人のみ。
 んんん、仮にこれが20世紀後半なら……そうですね、キング、カーヴァー、サリンジャー、チャンドラー、デリーロ、か(同じく順不同)。いやいや、もっと他に誰かがいたような……。
 ああ、酒のせいで思い出せない……!!◆

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第0224日目 〈士師記第3章2/2:〈オトニエル〉、〈エフド〉&〈シャムガル〉〉 [士師記]

  士師記第3章(2/2)です。

 士3:7-11〈オトニエル〉
 それでもイスラエルは主に背き、蛮行姦淫を続けたのである。
 主は怒り心頭に発して、民をアラム・ナハライム(ヘブライ語でメソポタミアを指す)の王クシャン・リシュアタイムの手に渡した。
 民は8年間それに苦しみ、自分たちの神、主へ助けを乞うた。
 主は士師を立ててイスラエルを裁かせた。その者をケナズ人エフネの子カレブの弟(甥とも)オトニエルという。
 オトニエルはクシャン・リシュアタイムと戦ってこれを倒した。以後、40年の平穏が保たれた。
 やがてオトニエルは死んだ。
【カレブは民32:12,ヨシュ14:6他に登場した。ケナズ人はエドムの一族と結びつき(創36:11)、ユダ族と関係があった。
 オトニエルはヨシュ15:17,士1:13に登場した。いずれの場合も、キルヤト・セフェル(旧名をデビル)の町を陥落させ、カレブの娘アクサを町の相続の証しとして妻に貰い受けた、という件りで触れられている。アクサは乾燥地帯のゆえに父カレブに泉を所望し、上の泉と下の泉を与えられた。】

 士3:12-30〈エフド〉
 斯様なことがあっても尚、イスラエルは主に背いて蛮行姦淫を繰り返した。
 主は怒り心頭に発して、民をモアブの王エグロンの手に渡した。
 エグロン王はアンモン人とアマレク人を集めてイスラエルを破り、なつめやしの町、即ちエリコを占領した(ヨシュ6:26「この町エリコを再建しようとする者は/主の呪いを受ける」と矛盾)。
 民は18年間それに苦しみ、自分たちの神、主へ助けを乞うた。
 主は士師を立ててイスラエルに遣わした。その者をベニヤミン族のゲラの子、左利きのエフドという。
 エフドは民と謀り、エグロン王へ貢ぎ物を携えて前に立った。
 そうして、屋上にしつらえられた涼しい部屋に一人いる王を剣で殺め、イスラエルの許へ帰った。
 エフライムの山地で吹いた角笛に集まってきたイスラエルを率いて、エフドは王亡き騒然とするなつめやしの町、エリコを攻め、モアブへ向かうヨルダンの渡しを掌中に収めた。モアブ人は誰一人として生きて逃れられなかった。
 平穏は以後80年保たれた。
【最初に登場した士師オトニエルのときとは一転して、プロットを備えたエピソードが現れた。このように動きのあるエピソードは久しぶりではあるまいか。
 ところで、エリコの町は再建されたのか? そうではあるまい。ティンデル・士師記(アーサー.E.カンダル)によれば青銅器時代のエリコ一帯は長く誰にも占領されなかった、しかしここは十分な給水設備を有して下流ヨルダン低地を支配していた、と想定される、とある。一時的に占領したのが、荒廃したエリコの町であった、という程度で考えればよいであろう】

 士3:31〈シャムガル〉
 エフド亡きあとの士師はアナトの子シャムガルであった。
 彼は牛追い棒で600人のペリシテ人を打ち殺した。
 シャムガルは小士師である。

 活躍が短く触れられるだけの士師を「小士師」、大きく取りあげられる士師を「大士師」と、学問的には呼ぶ由。但し、常ながら例外はある。やがて登場するエフタ(士11-12)が、その例外に属する士師です。
 「大士師」と「小士師」については、岩波・旧約聖書Ⅳ『ヨシュア記・士師記』の解説が簡潔ながら有益でありましょう(P248-249)。



 駅近のトリス・バーにて暫し黙酒する。
 飲みながら、借りた蝶々の本を読む。
 確信に満ちた思いがついに浮上した。
 おぐゆーさんってホント、蝶々に酷似の顔立ちをされておられます。◆

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第0223日目 〈士師記第3章1/2:〈主に背く世代が興る〉2/2〉 [士師記]

 士師記第3章(1/2)です。

 士3:1-6〈主に背く世代が興る〉2/2
 主はイスラエルを試すために、諸国の民を残した。即ち、ペリシテ人の五人の領主、すべてのカナン人とシドン人、(バアル・ヘルモンの山からレボ・ハマトに及ぶレバノンの山地に住む)レビ人、である。
 斯様に先住民を残したのは、、イスラエルに戦うことを覚えさせるためであり、モーセによって授けられた戒めにイスラエルが聞き従うかどうかを試すためであった。
 だが彼らは息子・娘を先住民の娘・息子と婚姻させ、他の(先住民の)神々を崇めた。

 ヨシュア記で多くの否占領地域があったのは、イスラエルに試練を与えるためでした。しかし、イスラエルの新しく興った世代は、主に背いて律法に背くことの恐ろしさを、まだわかっていません。それは、これからつぶさに語られてゆきます。
 なお、既にヨシュ記にて我らは士師の一人と出会いました。その名はオトニエル。彼はこのあと第4章で再登場し、イスラエルを裁き救い、永遠の眠りに就きます。



 みなさん、お金は大事に使いましょう。
 フランス『舞姫タイス』は間もなく読了です。えへ。◆

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第0222日目 〈士師記第2章2/2:〈主に背く世代が興る〉1/2〉 [士師記]

 士師記第2章(2/2)です。

 士2:6-23〈主に背く世代が興る〉1/2
 ヨシュアと彼に仕えた長老たちが死ぬと人心は荒び、主から離れて先住民の神へ仕えて、ひれ伏すようになった。それは主の御業を知らない世代が、イスラエルに興ったからである。
 民の背きに主は怒り、彼らを敵に手に渡した。苦境に陥ったときには憐れみを覚えて士師たちを立てて遣わし、救ったが、民は士師たちが死ぬとまた異神を崇めて姦淫に耽った。その、契約に背いた悪行は断たれることがなかった。
 主はイスラエルを試す、といった。それゆえ、イスラエルの嗣業の土地のなかに住まう先住民を追い払わなかった。イスラエルをヨシュアの手に渡すこともしなかった。

 「ヨシュアの手に渡す」とは「先祖の列に連なる」と同義と考えてよろしかろうと思います。嘗て祭司アロンが死ぬ場面(民26:20)にその表現は出てきました。
 《ダーク・タワー》ならば、「道の果ての開拓地」ですね。
 日本神話なら「黄昏国(よみのくに)」(ヨモツクニ、ヨミツクニとも)か。『日本書紀』では「黄昏(よもつくに)」(大系・上 第五段一書第六)「昏国(よもつくに)」(同 第五段一書第十)となりますが。素戔嗚尊の件りでは「根の国」とも表現されています

 ここで初めて、士師が現れて民のために戦った、と記述されます。



 母譲りの源氏鶏太(げんじけいた)好きで、文庫化された作品は殆ど読んだ、と自負しています。
 が、如何せん昔の文庫なので、活字が小さい、小さい……。夜や電車の中で読むには、ちと難儀な代物。自然と蒐集範囲は状態の良い単行本へ。
 全点復刊とはいわないから、代表作と目される十数作でも(できれば単行本で)新装されないか、と淡い期待を抱く平成21年仲春の夜半。
 そんな状況下で発行された未知谷の選集はよかったなぁ。◆

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第0221日目 〈士師記第2章1/2:〈カナンの征服〉2/2〉 [士師記]

 士師記第2章(1/2)です。

 士2:1-5〈カナンの征服〉2/2
 (士1に於いてカナン人がなんらかの形で嗣業の土地のなかに住まっているのを承けて)
 ギルガルから主の使い(ピネハスか?)がボキム(由来は後述)へやって来て、主の言葉をイスラエルに告げた、━━
 主は民に問うた、なぜ私との契約に違うことをしたのか、と。
 「私の声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。」(士2:2)
 民の弁明を待たずに主はいった、「私は彼らを追い払って、あなたたちの前から去らせることはしない。彼らはあなたたちと隣り合わせとなり、彼らの神はあなたたちの罠となろう。」(主2:3)
 これを聞いた民は一斉に嘆き悲しみ、声をあげて泣いた。それゆえこの地はボキム、即ち「泣く者」と呼ばれるのである。
 イスラエルはボキムの地にて、主にいけにえをささげた。

 ここでは破られた契約について語られました。
 では、根本となる“契約”とはなんだったのか? 出エジプト記にてすべて語られていました。当該箇所をざっと挙げると、出20:3-6,14,出23:31-33というところでしょうか。もう一遍、出エジプト記第20章(十戒)以降に目を通して良いかもしれません。

 第1章と第2章の前半は士師記の序章みたいなものですが、士師記で繰り広げられ、展開されるイスラエルの過酷な運命が、既にここで端的に触れられます。
 主はなぜ民を見捨てるような真似をしたのか。
 民は主に見捨てられるような、どんな行いをしたのか。
 士師記とは、これらを巡る、或る意味で救いようのない書物であります。

 個人的なことを申せば、第2章を読んで小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の小説、「破られた約束」を思い出しました。
 根本的に士師記も八雲も、“破約”の構造は同じです。つまり、こういうこと、━━
 あなたと私の間に交わされた約束/契約は、絶対的な効力を有します。これに背いたときには、問答無用であなたの上に災いが降りかかって、それから逃れることはできません。



 アナイス・ニンの『小鳥たち』(矢川澄子・訳 新潮文庫)を読みました。……うわぁ、エロティック!
 いやらしいとかエッチじゃなくて、官能もフェチも倒錯も、筆を極めた者が綴れば、斯くも高い次元にまで引き上げられる、という好き見本。
 特にお若い一流企業のOL方、殊に真っ当な常識と理知性を持つお嬢さま方は、ぜひご一読を。◆

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第0220日目 〈士師記第1章:〈カナンの征服〉1/2〉 [士師記]

 士師記第1章です。

 士1:1-36〈カナンの征服〉1/2
【ここは3つのパートに分けられる。ユダ族とシメオン族、他小部族によるカナン侵攻を描く第1パート(士1:1-21)。ベテル占領の次第を物語り、ヘト人の脱出組が築いたルズの町の建設に触れた第2パート(士1:22-26)。各部族の嗣業の土地内にある未だ征服せざるカナン人の住む町が列記される第3パート(士1:27-36)。以上である。順番にノートする。】

 第1パート/士1:1-21
 ヨシュアの死後(実際には「モーセの死後」の誤転写かと思われる)、イスラエルの人々は主へ訊ねた、誰がいちばん最初にカナンへ攻めこむべきでしょうか、と。
 主は答えた、それはユダ族である、私は彼らの手に敵を渡した、と。
 ユダ族は同胞シメオン族と連携してカナンへ侵攻し、カナン人とペリジ人を滅ぼした。また、アドニ・ベセク(「ベセクの王」の意味)と戦ってこれを捕らえ、両手足の親指を切断。エルサレムへ連行して、死者の列に加えた。
 エルサレムはユダ族によって攻撃され、焔のなかに沈んだ。ユダ族とシメオン族は続いて周辺の町を攻め、倒した。

 第2パート/士1:22-26
 ヨセフの一族はベテル(旧名を「ルズ」という)の町へ接近した。探りを入れるために出された斥候は、町の入り口から出てきた男を訊問、侵入口を問い質してこれを得た。ヨセフの一族は、町中へそこから攻め入ってベテルを占領した。
 訊問された男はお目こぼしを受けて町を事前に脱出し、ヘト人の土地へ流れ着いて新たに町を築いた。そこはルズと呼ばれるようになり、今日までそこにある。

 第3パート/士1:27-36
 カナンはイスラエルの手に渡り、各部族には約束通り嗣業の土地が、ヨシュアと祭司エルアザルによって分配された。
 しかし、先住のカナン人すべてを根絶やしにできたわけではない。生き残った(イスラエルにとっては追放できなかった)カナン人は未だこの地に在り、住み着いており、一部はイスラエルの監督下で強制労働に服していた。
 これは即ち、主との約束/契約に違うことであった。主が“乳と蜜の流れる土地”カナンをイスラエルの民に渡すと彼らの父祖、つまりアブラハムに約束したときに示した条件は、あくまで先住のカナン人の絶滅を前提としたことを、思い出しておこう。

 どうにも始めからキナ臭い匂いが漂う士師記。
 いままでの書物とあきらかに異なる雰囲気のなか、一旦ヨシュア記の時代に戻って語り直されます。それは、既にその頃から民の心に二心が生じていたことを暗示すると共に、士師記第1章がヨシュア記の補足も兼ねているせいかもしれません。

 なお、〈カナンの征服〉は第2章前半部分にまたがります。第2章〈カナンの征服〉2/2として、明日に公開いたします。



 母校の同窓会イヴェントの打ち合わせで御茶ノ水へ。なにやら広報担当に……。しばしは無聊をこれで紛らわそう。
 民主党の代表は無念にもポッポーマウンテン(敬称無用)に決定した様子。
 なにも変わっていないじゃないか。これで総選挙戦うんだと。笑わせんな。小沢院政体制を公にしただけじゃないか、馬鹿者どもの集団が。政策責任が棚上げになる分、ロシアより質が悪いな。世襲禁止のお約束はどこに行った、ハト野郎?◆

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第0219日目 〈「士師記」前夜& あの島が還ってくる……!〉 [士師記]

 士師記前夜であります。

 「士師(しし)」とは裁きつかさ、即ち、救い手、救助者であり、律法の伝統に組みこめば、「法に従って裁決を下す者たち」(岩波・旧約聖書Ⅳ『ヨシュア記・士師記』P245)である。
 ここではカナンに残った先住民たちにイスラエルが抑圧され苦境に立たされたとき、主が遣わした者を、士師と呼ぶ。むろん、主の遣わした存在とは雖も霊的な意味でのそれではない。そうした意味でいうなら、主こそまことの士師であろう。
 士師記の主題(ライト・モティーフ)は、第2章で明確に述べられている。少々長くなるが、引用する、━━
 「主を知らず、主がイスラエルに行われた御業(みわざ)も知らない別の世代が興った。イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を興らせた。」(士2:20-12)
 これを念頭に置いて読めば、繰り返し繰り返し行われるイスラエルの民の背反と神、主の怒りともたらされる慈悲の構図━━一歩誤ればシチュエーション・コメディにもなりかねない━━について、すっきりとした視界で見渡すこともでき、あらぬ混乱もせずに済むのではあるまいか。我が身を省みてそう思うところである。

 「士師記」とは、民が主に背き、士師たちによる民の救いと征服者の討伐が繰り返される、という内容を持つ書物で、物語性のあふれた史書なのであります。




 今週は『白いカラス』(日本公開108分版)と『イブラハムおじさんとコーランの花』を観ました。どちらも観終わってしばらく経ってから、胸に迫ってくるものを持つ映画。
 感想をみんなでわいわい語り合う類のものじゃなく、一人でじっくり噛みしめて思いを巡らせ、これを知る人と出会ったらコーヒーでも飲みながらぽつり、ぽつり、と片言の感想を口に上すような、そんな、掌中の珠の如き映画、かな。個人的なところでいえば『コーヒー&シガレッツ』や『カルテット』などといっしょで。
 共に音楽の使い方が上手な映画だった。ペーソスの効いた、良作。

 『白いカラス』(The Human Stain 2003・米)はアンソニー・ホプキンス、ニコール・キッドマン、エド・ハリス、ゲイリー・シニーズが出演。監督はロバート・ベントン、原作はフィリップ・ロス(集英社から原作本が出ているらしいのだが、見当たらないよ~)。
 『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』(Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran 2003・仏)の出演者はオマー・シャリフ(『アラビアのロレンス』、『ドクトル・ジバゴ』、『13ウォーリアーズ』)、ピエール・ブーランジェ(本作が映画デヴュー)、イザベル・アジャーニ(『カルテット』、『サブウェイ』、『ポゼッション』、『カミーユ・クローデル』他。大好き!)他。監督・脚本はフランソワ・デュペイロン(『うつくしい人生』、『将校たちの部屋』など)、原作・脚本はエリック=エマニュエル・シュミット。
 観て。語らず胸中で反芻してみて。


 そして、━━おいらはこの日を待っていたッ!
 2009.6.21、AXN(725ch)へ遂に、『LOST』season5が出現。
 もちろん日本最速の放送です。
 あの島とオーシャニックのメンバーが還ってくる……!!◆

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