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第0564日目 〈エズラ記第10章:〈異民族の妻子との絶縁〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第10章です。

 エズ10:1-44〈異民族の妻子との絶縁〉
 祈るエズラの周囲に大きな会衆の輪ができた。エラムの一族、エヒエルの子シェカンヤが進み出て、エズラにいった。━━異民族の娘と縁を結んだと雖もイスラエルにはまだ希望が残されている、と。我々は神と契約を結び、彼女らを離縁します、と。
 「お立ちください。あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください。」(エズ10:4)
 斯くしてすべての捕囚の子ら、ユダとベニヤミンの男子に宛てて、3日以内にエルサレムへ集合するよう布告が出された。彼らは神殿の庭に坐った。やがて雨が降り始めた。彼らは緊張と寒さに体を震わせていた。
 そこへ祭司エズラが現れて、いった、━━「今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい。」(エズ10:11)
 ユダとベニヤミンの男子は全員、それに応えた(!)。ただ愛執の年やみ難きゆえか、アサエルの子ヨナタンとティクワの子ヤフゼヤがそれに反対し、レビ人メシュラムとシャベタイが同調した。彼ら4人を除く捕囚の子らは、粛々とその命令に従った。
 [エズ10:18-43にかけて、異民族の娘と結び縁を持った一族の者が、まるで懲らしめのようにもして縷々と名を列記されている。
 その数は、祭司の一族では17人、レビ人では6人、詠唱者では1人、門衛では3人、イスラエル人では87人。他にももっといたであろう。]
 「以上の者は皆、異民族の娘をめとった。その女の中には子を産んだ者もあった。」(エズ10:44)

 律法に従うならば絶縁は首肯できる事態。だのに今一つ納得しかねるのは、どうしても現代的な思考で考えるためか。そんななかで4人の者が反対したという記述に安堵し、救いを感じてしまうのも同じ理由によるのだろう。



 残念なことにGWはほぼ全日仕事だ。LFJにショパンを聴きに行けないのだ。安心?
 『ハリー・ポッター』シリーズを読み直すことも、『1Q84』を全巻一気読みすることも、『チボー家の人々』と『嵐が丘』を読み直すことも、哀れなるべし、出来ないのだ。
 ん、ド? ほっておけ。仕事ということは奴と付き合うということだ。行きの電車のなかと昼休みにちょこちょこ読み進めている。でもね、『悪霊』の方が断然面白いですよ(当社比較)。
 今年のGWは、(変わることなく)旧約聖書とドストエフスキーで決まりだ。呵々。合間合間でトマス・オーウェンの短編集を読みますけれどね(枕頭の読書)。◆

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第0563日目 〈エズラ記第9章:〈異民族の娘との結婚〉&〈エズラの祈り〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第9章です。

 エズ9:1-6〈異民族の娘との結婚〉
 或るとき、イスラエルの長たちがエズラの許を訪れた。彼らはいった、
 ━━かつてのカナン人やアモリ人がやっていたような異民族の娘との結婚を、あろう事かイスラエルの民もレビ人も祭司も、しかも官職に就く者たちが率先して行っています、と。
 「彼ら(イスラエル人)は自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。」(エズ9:2)
 それを聞くと<わたし>エズラは悲しみ、呆然となった。事態を憂い、イスラエルの神、主の言葉を畏れる者たちが集まってきた。夕べの献げ物の刻に<わたし>はようやく身を起こし、跪き、我が神、主に祈り始めた。

 エズ9:6-15〈エズラの祈り〉
 「(捕囚となっていた我らに)わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けてくださいました。
 (中略)
 (━━なのに━━)
 わたしたちは御命令に背いてしまったのです。」(エズ9:8,10)
 レビ18:24-28,申7:3-4にてモーセを通して神から授けられた命令━━イスラエルが聖なる民であり続けるための、異種交配の厳禁━━を、帰還した民は破ってしまった。
 太古に神がいったように、我らイスラエルは今度こそ滅びてしまうのか?
 「御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」(エズ9:15)

 エズ9:6は両方の小見出しにまたがっています。
 レビ記、申命記の該当箇所を読んで、ちら、と心を過ぎったことを思い出しました。このあたりって、20世紀の或る独裁者が唱えた主張と瓜二つでありませんか?
 信徒は逆上するかもしれない、一緒にするな、と。が、エズラの祈りと独裁者の主義をたまたま似通ってしまっただけでまったく別物だ、なんて、いったい誰が反証できますか?



 村上春樹『1Q84』BOOK1&2(初版・帯付き)を入手。これを餌にして、ドの『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』をひたすら読み耽ろう。あ、『二重人格』を忘れていたぜ。
 同じ日、つまり今日(昨日ですか)、映画『のだめカンタービレ 最終楽章・後編』を観てきました。拙い感想は、「ネヘミヤ記」乃至は「エステル記」が終了したあと、ひっそりこっそり公開予定です。◆

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第0562日目 〈エズラ記第8章:〈バビロンから上って来た人々〉、〈旅の初めの祈り〉、〈エルサレムに到着〉他〉 [エズラ記]

 エズラ記第8章です。

 エズ8:1-14〈バビロンから上って来た人々〉
 ここではエズラに連れられてバビロンから上って来た家長とその家系が記録されている。これはエズ1にてゼルバベルに連れられてユダ/エルサレムへ上って来た人々に合わせて、〈第二次帰還〉と位置附けられる。
 エズラに連れられて上ったのは、総計1,514人であった。

 エズ8:15-20〈レビ人の勧誘〉
 アハワ(という地/町。現在地不明)に向かって流れる川のほとりで、<わたしたち>一行は野営した。すると、一行のなかにはレビ人がいないのがわかった。
 そこでエズラはカシフヤ(という場所)の頭イドの許へ使いを出し、神殿での奉仕に仕えるレビ人を寄越してほしい、と依頼した。イドはこれを諾い、レビの子マフリの一族のシェレブヤという有能な者をその兄弟18人と共に寄越し、他にも全部で240人のレビ人がエズラの許へ寄越されてきた。

 エズ8:21-23〈旅の初めの祈り〉
 アハワ川のほとりにて、エズラとその一行は旅の無事を祈って断食した。
 自分たちの護衛役を彼らは求めなかった。出立前、王に断った手前もあるからだ。
 いずれにせよ、願いは聞き入れられた。

 エズ8:24-30〈神殿の祭具を寄託〉
 エズラは祭司長のなかからシェレブヤとハシャブヤ以下10名を選び、出発に際してペルシアの人々(その地に残ったユダの民を含む)から神殿への礼物としてささげられた一切のものを、きちんと量って彼らに寄託した。
 それらはエルサレムに到着して、その地にいる祭司とレビ人の長、イスラエルの家長たちに渡されるまで厳重にあずかっているように、とエズラは命じた。

 エズ8:31-36〈エルサレムに到着〉
 エズラとその一行は第1の月の12日にアハワ川を出発し、やがてエルサレムに到着した。3日間休息を取り、4日目に寄託された礼物を祭司メレモト(ウリヤの子)に渡した。続けて彼らは、焼き尽くす献げ物をささげた。
 アルタクセルクセス王からの命令書は地方総督たちに手渡された。イスラエルの神殿と民は彼らの支援を受けられるようになったのである。

 ペルシアの後ろ盾を得て、ユダはいわば自治州として機能し始めたかに見えます。が、これは政治的には隷属を強いられた代償でもありました。
 つまりそれって、ギヴ・アンド・テイク、ということ。ペルシアとしても自分たちに得るところがなくては、捕囚を解放して先祖の地に帰らせ、神殿の再建に代表される信仰の回復を許可したりはしなかったでしょう。
 捕囚の子らの一人と雖もペルシア政府の高官であったエズラやネヘミヤを帰還させた理由は、専ら政治的理由によるのであります。



 ドストエフスキー読書計画、現在は『悪霊』上巻を読んでいます。
 地の文の語り口、その狡猾さは、『白痴』を超えているのでは?◆

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第0561日目 〈エズラ記第7章:〈エズラの帰還〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第7章です。

 エズ7:1-28〈エズラの帰還〉
 アルタクセルクセス王の治世第7年の第5の月の一日に捕囚の子ら(の一部)を連れてエズラという者が先祖の地に帰り来たった。エズラは祭司アロン(モーセの兄)を祖に持つ、主の律法に通じる者である。彼は、同胞のなかにあっては祭司、ペルシアにあっては書記官に任職されていた。
 出発に際して、アルタクセルクセス王はエズラへ親書を送った。アラム語で書かれた新書の内容は、だいたい以下のようなものである。
 汝エズラに次の使命を託す、━━
 ・神の律法に従ってユダとエルサレムの事情を調査すること、
 ・エルサレムに建てられた神殿に我らが寄進した金銀を納めること、
 ・バビロニア諸州で汝が得る金銀を、ユダがささげる献げ物と一緒に持ってゆくこと、
である。神殿にかかわる経費は国費負担とし、ユーフラテス西方の全財務官には要求があれば応じるよう命じておく、とも、王は伝えていた。ペルシア諸州全土に神の怒りが降らぬよう、神の命令とあればすべてを滞りなく実行されなくてはならないから。
 アルタクセルクセス王の新書は、こう結ばれていた、━━
 「エズラよ、ゆだねられた神の知恵によってあなたは治める者と裁く者を任命して、ユーフラテス西方のすべての民、あなたの神の律法を知るすべての者を治めさせ、律法を知らない者にはあなたたちは教えを授けよ。あなたの神の律法と王の法律に従わない者は、すべてこれを厳しく裁き、死刑または流刑、財産没収、または投獄によって処罰しなくてはならない。」(エズ7:25-26)
 斯様なペルシア王の配慮に触れ、「わたし」ことエズラは先祖の神、主に感謝した。
 「わたしは、わが神なる主の御手の加護によって勇気を得、イスラエルの中でわたしと共に上がって行こうとする頭たちを集めた。」(エズ7:28)

 いよいよタイトルロール、エズラが登場しました。エズラが率いた捕囚の子らは、いわば第二次帰還団。
 次章はペルシア出発からエルサレム到着までが語られます。といっても、殆どが出発前の祈り(断食)に費やされるのですが。



 「ブログのタイトル変えたら?」と、世人がいう。曰く、音楽の記事なんて殆どないじゃん、と。うむ、否定はしない。が、そんな企み、これっぽっちも持っていない。
 音楽を聴くことは、癒しであり励まし。そうしてなにより愉しみであるから。映画も読書も好き。だが、音楽は事故後のぼくには、なによりの支えだったから。
 わかるかい、それが?◆

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第0560日目 〈エズラ記第6章:〈ダレイオス王の返事〉&〈神殿の完成〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第6章です。

 エズ6:1-12〈ダレイオス王の返事〉
 ……総督タテナイたちの報告を受け、ダレイオス王はバビロンにある記録保管所を調べさせた。件の勅令を書きつけた巻物は、メディアの都エクバタナで発見された。そこには、次のようなことが記されていた、━━
 キュロス王はその治世第1年、捕囚を解放して彼らの先祖の地への帰還を許した。重ねて、第一神殿の基礎を保ったまま第二神殿を建て、かつてバビロニア王が略奪した祭具類はエルサレムの神殿へ戻して元の場所へ置いて納めよ、と命じたことも記されていた。
 それゆえに、とダレイオス王は総督タテナイたちに命じた。エルサレムで新たに築かれている神殿の工事に干渉するな、と。むしろ、タテナイたちには、工事(作業)に手を貸すようにも命じた。更に工事費用については、ユーフラテス西方から上がる税収による国費で賄われる、とされた。
 ダレイオス王からの返事は、以下のような、何気に怖い文章で締め括られる。以下にそれを引く、━━
 「この定めに違反するものはだれであれ、自分の家から抜き取られた角材にはりつけにし、その家も廃墟とすることを、わたしは命ずる。この命令をあえて犯し、エルサレムにあるこの神殿を破壊しようとする王や国があれば、そこを御自分の名の住まいとされた神が、一人残らず滅ぼされるように。わたしダレイオスが、この命令を下す。命令どおり実行せよ。」(エズ6:11-12)

 エズ6:13-22〈神殿の完成〉
 ユーフラテス西方の総督タテナイとシェタル・ボゼナイ、その仲間たちによる援助と、「イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって」(エズ6:14)、預言者ハガイとゼカリヤに促されて進められてきた第二神殿の建築工事は、ダレイオス王の治世第6年、アダルの月の23日に完了した。
 「イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った。この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊百二十匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二頭をささげた。」(エズ6:16-17)
 それから後、捕囚の子らは第1の月の14日に過越祭を行った。捕囚の地から帰って来たイスラエルの人々も、イスラエルの神なる主を尋ね求めて、その地の諸民族の汚れを離れてきた人々も、皆が過越のいけにえにあずかった。
 過越祭が終わると続けて、七日間にわたって除酵祭が、やはり喜び祝いつつ行われた。「主がアッシリアの王の心を彼らに向け、イスラエルの神の神殿を再建する工事を支援させて、彼らに喜びを与えられたからである。」(エズ6:22)

 宿願であった第二神殿の完成に湧く民の喜びが伝わってくるような、そんな章です。
 が、問題もやはり一つ。エズ6:14の引用箇所、なぜここでアルタクセルクセス王が登場するのか? 先にも指摘した記憶がありますが、ペルシア王の登場順序にこんな錯誤があるのはなぜなのか、それとも二重の名を持っていたのか、など疑問は尽きないのですね。ふむう……。



 村上春樹がいなかったら、と、騒々しい中華料理屋の片隅で考える。というのも事前に「頼むから静かにしてくれ」という短編を読んだからだ。作者は、レイモンド・カーヴァー。中央公論新社の翻訳ライブラリー『頼むから静かにしてくれ Ⅱ』に収録されている。
 村上春樹がいなかったら、『ノルウェイの森』も『1Q84』も読めなかったに相違ないが、それとほぼ同じ確率で、我らはカーヴァーの小説に親しむことはできなかった。この、幸福な巡り会い。二人が生きた時代と二人の小説家の感性に、感謝。◆

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第0559日目 〈エズラ記第5章:〈神殿の工事の開始〉&〈ダレイオス王への書簡〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第5章です。

 エズ5:1-5〈神殿の工事の開始〉
 アルタクセルクセス王の勅令により中断された神殿の建築工事であったが、預言者ハガイとゼカリヤに主の言葉が臨んで人々へ伝えたので、ゼルバベルとイエシュアはこれに力を得て作業が停まったままだった神殿の工事を再開した。神の預言者たちがそこへ加わって助けた。
 工事再開を聞きつけて、ユーフラテス西方の総督タテナイとシュタル・ボゼナイたちが急ぎエルサレムへやって来た。彼らはユダの民に問うた、誰の許しを得て神殿工事を再開したのだ、お前たちを指揮する者は誰か、と。その工事を中断せよ、とも。
 が、ユダの民は総督の命令に従わず、そのまま作業を続けた。神の目が(ユダの長老たちの)上に注がれていたからである。

 エズ5:6-17〈ダレイオス王への書簡〉
 エルサレムの現状を目にして、総督タテナイたちはペルシア王ダレイオスに報告書を送った。アラム語で書かれた報告書には、だいたいこんな内容が記されていた、━━
 エルサレムで神殿工事が再開されたと聞き、向かってみるとそれは本当だった。ユダの民は熱心に作業に励んでいた。我らは彼らに訊ねた、誰が工事再開を許したのか、汝らの指揮者は誰か、と。すると、彼らユダの民はこう答えました、━━
 我々は何十年も前にバビロニアにより破壊された主の神殿を再建している。これはペルシア王キュロスが布告し、我々捕囚の子らにのみ命じられた作業である。一方でキュロス王はエルサレムから略奪された祭具類を、ユダの人シェシュバツァルという人に託し、彼を長官とし、「これらの祭具を携えてエルサレムの神殿に行き、そこに納め、神殿をかつてあった所に再建せよ、と言われた。そこで、そのシェシュバツァルはエルサレムに来て、その神殿の基礎を据えた。そのときから今に至るまで建築は続いており、まだ完成していないのである。」(エズ5:15-16)
 調べてください、と総督タテナイたちは訴えた。かつてキュロス王が本当にそんな布告を出し、彼らユダの民に神殿建築を命じたのか、を。この件について王御自身のご裁定も併せて頂きたく存じます。━━報告書は斯く〆括られ、ダレイオス王へ届けられたのである。

 ハガイとゼカリヤは共に捕囚解放後のユダに現れた預言者。「ハガイ書」と「ゼカリヤ書」という預言書の著者でもある。併読をお奨めします。
 引用文にはしませんでしたが、この当時、昔のユダ王国があった地域は「ユダ(の)州」と呼ばれ、ペルシア帝国の行政区域の一つとなっていました。因みに、北王国イスラエルのあった地域は「サマリア州」であります。
 それにしても、近過去の出来事は、それが如何に大きな事であっても、こう簡単に人々の脳裏から消えてしまうものなのでしょうか。……そうかもしれません。現在の学生たちのなかには昔日本とアメリカが戦争をした事実を知らない、或いは戦争した年代や相手国を間違って覚えている輩もあるそうですから!
 当事者にとってはどれだけ大きな出来事であっても、縁なき側には記憶に留める程のものではない、ということなのかもしれない、と思います。



 ボスニア内戦と9.11の資料を読み、ノートを取って過ごした雨降りの今日。気分をさっぱりさせるため、録画していた『レミーのおいしいレストラン』を(また)観ます。◆

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第0558日目 〈エズラ記第4章:〈工事の中断〉、〈アルタクセルクセス王への書簡〉&〈アルタクセルクセス王の返事〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第4章です。

 エズ4:1-5〈工事の中断〉
 その地に住まっていたユダとベニヤミンの敵は神殿建築を中断させようと画策し、ゼルバベルと家長たちに取り入って自分たちの信仰を偽り、作業を内部から攪乱させようとした。
 が、ゼルバベルに、これは自分たち捕囚の子らに課せられた仕事なのであなた方の手を借りるわけにはいきません、と断られると、「その地の住民は、建築に取りかかろうとするユダの民の士気を鈍らせ脅かす一方、ペルシアの王キュロスの存命中からダレイオスの治世まで、参議官を買収して建築計画を挫折さえようとした。」(エズ4:4-5)

 エズ4:6-16〈アルタクセルクセス王への書簡〉
 ペルシアの四代目の王クセルクロスの治世、ユダとベニヤミンの敵によりエルサレムとユダの住民に対して告訴状が書かれた。
 続く五代目の王アルタクセルクセスの治世には、特に行政官レフムと書記官シムシャイによってエルサレムの現況についての書簡が(王宛に)書かれて届けられた。内容を要約すれば以下の如し、━━
 かつての捕囚の民は反逆と悪意の都としてエルサレムを再建している、殊に基礎が据えられた城壁の工事が完了すればペルシア王を大いに脅かすことになろう、昔の記録を調べ給へ;そこには歴代の王と諸州に損害を与え反逆を繰り返したが為に破壊されたエルサレムのことが記されているだろうから、と。
 その書簡は、こう警告して締め括られた、曰く、━━
 「この都が再建され、城壁が完成すれば、ユーフラテスの西方には、王の領土がなくなるということを、あらかじめお知らせします。」(エズ4:16)

 エズ4:17-24〈アルタクセルクセス王の返事〉
 翻訳された書簡を読んだアルタクセルクセス王は、行政官レフムと書記官シムシャイを中心とするサマリアとユーフラテス西方の彼らの同僚たちに返書を送った。内容は以下の通り、━━
 記録を調べたところ貴殿らがいうように、歴代にわたってエルサレムは反逆と反乱を繰り返してきたことが確認された。また、エルサレム([南王国]ユダ)にはいつの時代にも強い王がいてこれを統治し、ユーフラテス西方を支配し、種々の税を納めさせていたことも確認された。エルサレムで行われている工事を即刻やめさせよ、国家と王室に損益が及ばぬうちに。━━
 このアルタクセルクセス王の書簡は複本が作られ、行政官レフムらの前で読みあげられた。彼らは直ちにエルサレムへ赴き、武力を以て工事を中断させた。
 「そのときから、エルサレムの神殿の工事は中断されたまま、ペルシアの王ダレイオスの治世第二年にまで及んだ。」(エズ4:24)

 希望に暗雲が立ちこめます。悪意に操られたペルシアの介入により、帰還した民の拠り所であった神殿の再建が危うくなった━━この事態に直面した民を襲った絶望は如何ばかりのものであったでしょうか?
 この時代のペルシア王の名と在位期間を下に書き留めておきます。
 1;キュロス        前550-530
 2;カンビュセス     前530-522
 3;ダレイオス(一世) 前522-486
 4;クセルクロス     前486-465
 5;アルタクセルクセス 前465-424
 これを念頭に置いて読むと、本文は年代的に錯綜してることがわかります。様々に議論があるそうですが、我らはここで深入りするのは避けましょう。そんなの学者センセーたちにお任せしておけばよい。
 エルサレム再建を快く思わぬ衆が、ペルシア王に疑惑の種を植え付けて成功した。神殿建築(エルサレム再建)はそれが為にしばし宙に浮いた。
 その事実を踏まえておけば、それでじゅうぶんでありましょう。



 昨夜は会社有志の飲み会に参加のため、ブログ更新が遅れて申し訳ありませんでした。
 でも、病みあがりだったけれど、行ってよかった! ここに来て、ようやく最高の仲間に巡り会えたように思います。旧財閥系不動産会社時代と同じような……。
 明日は会社主催のパーティー。じ、実は休みなので躊躇していましたが、他部署の人と知り合う良いチャンスなので、夜からえっちらおっちら出掛けることにしました。
 その前に、映画『ソラニン』か『シャッターアイランド』(吹き替え版)でも観てこようかな、と企み中……。◆

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第0557日目 〈エズラ記第3章:〈礼拝の開始〉&〈神殿の基礎〉、映画『シャーロック・ホームズ』を観てきました。〉 [エズラ記]

 エズラ記第3章です。

 エズ3:1-7〈礼拝の開始〉
 「(帰還した年の)第七年になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。」(エズ3:1)
 というのも、神殿の基礎を据えるための前準備として、祭司たちを中心としてモーセの律法の定めに従い、新たに築かれたイスラエルの神の祭壇の上で種々の焼き尽くす献げ物がささげられるからであった。
 この祭司たちの行為はいうなれば、我が国における地鎮祭に相当しようか。いずれにせよそれは、第二神殿の建築に際して、されねばならぬ儀礼であった。
 またユダの民は、石工と大工、シドン人とティルス人に手間賃を払い、ペルシアの王キュロスの許しを得て、レバノン杉を海路でヤッファの港まで運んでいた。祭司たちが旧神殿の跡地で種々の献げ物をささげている最中にも、神殿再建のための実際的準備が進んでいたのである。

 エズ3:8-13〈神殿の基礎〉
 帰還の翌年、ゼルバベルとイエシュアは、自分たちの他の兄弟やすべての捕らわれの地より帰り来たった人々と共に、第二神殿建築のための工事に着手した。
 神殿の基礎が据えられ、定礎式が行われた。「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と主を讃える歌がうたわれた。
 神殿の基礎が据えられた。民は歓喜し、かつて旧神殿(第一神殿)の偉容を目にして未だ記憶に焼きついている老齢の祭司、レビ人や家長たちは随喜の涙を流してこれを見た。
 「人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いたからである。」(エズ3:13)

 帰還した民は一丸となって、それこそ総力を挙げて第二神殿の建築(神殿の再建)に取りかかったことを報告する章です。
 焼き尽くす献げ物について本文は3節にわたって記します。ここでは敢えて省いた箇所ですので、よろしければエズラ記それ自体にあたって読んでみてください。



 夜09時。仕事をバタバタ終わらせ、109シネマズへ飄然と赴く。
 というわけで、今週末で上映終了の映画『シャーロック・ホームズ』(2009 米)を観てきました。監督はガイ・リッチー、脚本はアンソニー・ペッカム。ロバート・ダウニー Jr.(ホームズ)とジュード・ロウ(ワトスン)がこれまで誰も見たことがない世界最強のコンビに扮して、19世紀末のロンドンを舞台に悪を追い詰めてゆく、……というのが基本コンセプト。
 小学生時分からそれなりにホームズ譚を愛読し、ジェレミー・ブレットのホームズ像が刷りこまれている身には、今回のダウニー・ホームズはちと辛いものがありそうだ、とあまり期待していなかった。
 ━━な・の・に! このダウニー・ホームズは実に素晴らしいぞ!? これまでの映像作品で殆ど描かれてこなかった武闘家ホームズを堪能するならこの一本!
 そう、原作でもホームズは腕力でモノをいわせたことがあった、確かにいままでの映像作品でも描かれてきた。でもそれは、よくいって控えめな演出で、エレガントをぎりぎりで守ろうとする“逃げの演出”が見え隠れしていた。が、あれを映像に置き換えるなら、今回の映画版がいちばん理に適っているのではないか。どうだろうか?
 黒魔術と秘密教団が絡むとなればどうしても思い出すのは、1980年代半ばに日本でも公開された『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』(観に行った!)。なんかね、折りにつけ脳裏をあの映画の一場面が過ぎってならぬのさ。余韻にしても然りでね。そうだ、映画『シャーロック・ホームズ』で初めてベーカー街が映し出される際のカメラ・アングルね、あれって、グラナダ・テレビ版ホームズ(前述のジェレミー・ブレットがホームズを演じていた)のオープニングと一緒だよね。思わず、「おお!」と一人感動してしまいましたよ。うむ。これってオマージュなのか、そうなのか!? ん、パロディ? 偶然?
 建築途中のタワー・ブリッジでのクライマックス・シーンは、正直物足りませんでした。もっとブラックウッド卿との戦いが描かれるかと思っていたのだけれど……あっさりしていたな、というのが偽りなき感想です。2人(役者/役柄)とも疲れちゃったのか、或いは、ホームズとしては下に落っこちたアイリーンが心配だからさっさとブラックウッド卿いなくなってくれよ、ってところ? いや、まさか。
 シャーロッキアンにこの映画がどう受け取られるのかは知りません。けれど、未だベッド・サイドにホームズ物語を置き、新訳が出ればいそいそと買いこんできて読み耽る者としては、これ程爽快かつ痛快なホームズに出会えた喜びを、声を大にして歌いあげたいのであります。
 このスタッフとキャストで、モリアーティ教授との因縁の対決を描いた続編を希望しております。そのときは大槻ケンヂがプログラムで指摘するように(なぜワトスンはホームズ最大の事件を記録に残さなかったのか?)、監督ガイ・リッチーなりの解答を出してくれるのではないでしょうか。
 二の足を踏んでいた映画が面白いとなんだか得した気分。そんな気分を味わわせてくれた『シャーロック・ホームズ』でした。◆

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第0556日目 〈エズラ記第2章:〈帰還した捕囚の民〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第2章です。

 エズ2:1-70〈帰還した捕囚の民〉
 これはゼルバベルをリーダーとして、第一次ユダ/エルサレムへの帰還を果たした民の一覧である。ゼルバベルはかつて代下36:6でバビロニアの捕虜となったヨヤキム王の孫にあたる。
 ゼルバベルの他に帰還者の指導にあたったのは、━━
 ・イエシュア
 ・ネヘムヤ
 ・セラヤ
 ・レエラヤ
 ・モルドカイ
 ・ビルシャン
 ・ミスパル
 ・ビグワイ
 ・レフム
 ・バアナ
である。なお、モルドカイは後に「エステル記」で再登場を果たす。
 帰還したイスラエルの男子の数は、パルオシュの一族やベツレヘムの男子など総計24,144人であった。
 帰還した祭司の一族はエダヤの一族、即ちイエシュアの家族やイメルの一族など総計4,289人であった。
 帰還したレビ人は、イエシュアとカドミエルの一族など総計74人であった。
 帰還した詠唱者は、アサフの一族128人であった。
 帰還した門衛の一族は、シャルムの一族やアテルの一族など総計139人であった。
 神殿の使用人として帰還したのはツィハやハスファなど35の一族、ソロモンの使用人として帰還したのはソタイやソフェレトなど10の一族で、両者の一族の総計は392人であった。

 時同じくしてペルシアの各地━━テル・メラ、テル・ハルシャ、ケルブ、アダン、イメルからユダ/エルサレムへ帰還した者もあった。彼らのうち、以下の一族の者は、「自分の家族と血筋が、イスラエルに属するかどうか示せなかった」(エズ2:59)。
 ・デラトの一族
 ・トビヤの一族
 ・ネコダの一族 その総計652人。
 また祭司の一族のうちで、ホバヤとハコツ、バルジライの一族は、「自分たちの家系の記録を捜したが発見できず、祭司職に就くことを禁じられた。」(エズ2:62)さりげなく酷(むご)い一文であった。
 一方捕囚から解放されたユダの民がエルサレムに到着した際、ペルシア王キュロスの命により旧王都を統治していた総督は、ウリムとトンミムを身につけた祭司が立つまで、彼らが聖なる食べ物に与ることを禁じた。

 ━━エルサレムに到着した。ユダの民は帰還を果たした。
 家長の幾人かは灰燼に帰して崩落した主の神殿(の跡地)に赴き、その地に新たな神殿、いわゆる<第二神殿>を再建するため、それぞれが随意の献げ物をささげた。
 「祭司、レビ人、民の一部、詠唱者、門衛、神殿の使用人はそれぞれ自分たちの町に住んだ。イスラエル人は皆それぞれ、自分たちの町に住んだ。」(エズ2:70)

 ゼルバベルについて。これまでの旧約の展開なら、民はゼルバベルを新たな指導者/統治者として戴き、必然的に彼を中心とした記述がされていたでしょう。
 が、既に捕囚を経験した彼らにとって、真に自分たちが生活の拠り所とし、かつ指針と仰ぐのは、先祖の神、主である、と認識した。ゆえにゼルバベルが捕囚前のような統治者(候補)として表舞台に登場してこなかったのだ、と考えられるのでありましょう。



 村上春樹の最新作『1Q84』BOOK3を発売日に買いました。併せて偶然にも、ヤフオクで『1Q84』BOOK1&2の初版・帯付きを落札。
 到着したら、読み始めたばかりなドの『悪霊』上巻を中途で止して、全3巻一気読みをしようと目論んでいます。◆

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第0555日目 〈エズラ記第1章:〈ペルシアの王キュロスの布告〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第1章です。

 エズ1:1-11〈ペルシアの王キュロスの布告〉
 歴代誌末尾で語られたように、ペルシア王キュロス(クロスとも)はその治世第1年にイスラエルの神、主により心を動かされ、バビロン捕囚となっていたユダの民を解放する旨、国中に布告した。
 イスラエルの神、主に属する者は誰でも、主の神殿を再建するためユダのエルサレムへ上ってゆくがよい、と。また、この地に残る者は彼らに与えられるものを与え、エルサレムの神殿にささげる随意の献げ物を持たせるようにせよ、と。
 残る者は皆、王が命じるのに従って、捕囚から解放されて自分たちの地へ帰る喜びにあふれたユダの民を支援した。キュロス王も、かつてバビロニアの王ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から略奪した祭具類を彼の神々の宮から取り出させ、ユダの首長シェシュバツァルの前で(ペルシアの)財務官ミトレダトに数えさせた。このシェシュバツァルは、ユダの民が捕囚の地から━━70年の歳月を経て━━ユダのエルサレムへ上ってゆく際、件の祭具類を携えていた。
 もう一度いう、捕囚の身から解放されたユダの民は、一路ユダを、かつての王都エルサレムを目指した。
 時に前538年のことである。

 ここで語られるのは、捕囚の第一次帰還。続く第二次帰還はエズラがリーダーとなって、もう少し後の時代になされます。
 歴代誌下第36章とエズラ記第1章を跨いで紹介された、このキュロス王の布告がどれだけユダの民にとって希望となったか、想像に余るものがあります。



 想定外の体調不良で想定外の3連休が発生。
 最終日、ようやく本を読む元気が出たので、勢い(?)を駆ってドの『白痴』下巻を一気読み、約350頁。斯くしてなかば無理矢理ながら読了! 
 ラストはまぁ、よかった。が、このメタボ級の長編小説を読み直すことは、断じてあるまい。これのいったいどこがどう名作なのか、誰か説明してくれ。
 ドストエフスキーの目指した<無条件に美しい存在>ムイシュキン公爵とは、即ち<KY>貴族であった。んー、これってなにかの笑い話かい?◆

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第0554日目 〈「エズラ記」前夜〉 [エズラ記]

 明日から、旧約聖書の読書ノートは「エズラ記」に入ります。
 祭司エズラの名を冠したこの書物では、捕囚から解放されたイスラエルの民がユダ/エルサレムへ帰還し、神殿を再建する様子が中心に据えられます。途中、歴代のペルシア王による作業中止の布告が出されもしますが、民はめげずに神殿の工事を進めます。やがてエズラがペルシアから第二次帰還団を率いて到着し、その後は律法に従って或ることに着手します。
 「エズラ記」は次の「ネヘミヤ記」と密接なつながりを持つ書物でもあります。単独で読んで漠然とまとまりの悪さを感じていましたが、かつてこの2書は一つにまとまっていた書物であった、ということを知り、ああそうだったのかなるほどな、と得心したのは、実はつい数日前のことであります。
 そんな背景もあるため、可能な限り「エズラ記」と「ネヘミヤ記」は間を置くことなく、ノートをブログでも公開してゆくつもりでおります。実現されるか否か、ちょっと楽しみにしていてください。

 久しぶりにラヴェルのバレエ音楽《ダフニスとクロエ》を聴きましたが、優雅で心を蕩けさせられる音楽ですねぇ。演奏は、エルンスト・アンセルメ=スイス・ロマンド管弦楽団、ローザンヌ・ロマンド放送合唱団による(UCCD-7092)。
 ラヴェルとカップリングされて売られ、語られること多いドビュッシー。さんさんかは、どちらかといえばラヴェルが好きです。フランス音楽ってものに初めて触れたのは、ラヴェルが最初━━《ボレロ》と《マ・メール・ロワ》だった、と記憶します。◆

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