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第1333日目 〈アモス書第9章:〈第五の幻〉、〈全世界の神〉&〈後の日の回復〉with南木佳士、讃〉 [アモス書]

 アモス書第9章です。

 アモ9:1-6〈第五の幻〉
 わたくしに示された幻、――主が祭壇の傍らに立っている。
 祭壇の柱頭を打って敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で祭壇を砕け。下敷きとならずに済んだ生き残りの者皆を、わたしは剣で殺す。誰も逃れられない。陰府へ、天上へ、カルメルの頂へ逃れても、探し出して引きずり出す。海の底へ逃げたら蛇に追わせて咬み殺させよう。敵に捕まっていたら敵に殺させよう。わたしの目は生き残った者の上にあるが、それは幸いではなく災いのためだ。そう主がいった。
 主なる神が触れれば大地は大きく震えて盛り上がり、或いは沈む。民はその御業と被害に泣き叫び、悲しみの声をあげる。それを行うはイスラエルの万軍の主。

 アモ9:7-10〈全世界の神〉
 主の目は悪に染まった王国へ向けられる。わたしはそれを地上から絶つ。しかし、ヤコブの家は滅ぼさない。篩に掛けられてもその網目から小石一つ落ちないように、わたしはイスラエルの家を滅ぼさない。
 但し、罪ある者は除く。かれらはわたしが剣で殺す。かれらは自分たちに災いが及ぶとは、わずかにも考えていない。

 アモ9:11-15〈後の日の回復〉
 その日、わたしは倒れたダビデの家を復興させて、昔日の繁栄をかれらに与える。エドムの生き残りと、わが名で呼ばれるすべての国を、回復したダビデの家に治めさせる。――その日、地の実りは人を潤す。
 「わたしが与えた地から/ふたたび彼らが引き抜かれることは決してない。」(アモ9:15)

 専ら後半についての話になりますが、やがて訪れる北王国イスラエルの滅亡のみならず、ここではその先にある南王国ユダの滅亡までをも視野に入れた預言がされているのにお気附きいただけるでしょうか。そこでは同時に、全イスラエルの回復も預言されています。
 分断された2つの王国の滅亡と、ユダ即ちダビデの家の復興を見据えて出された主の言葉の数々を、ここで立ち止まって改めて顧みることがいちばんの鑑賞となりましょう。第9章は「アモス書」のあちこちにちりばめられた主の言葉を集約した章であります。
 ――「アモス書」は本日を以て終わりになります。お読みくださってありがとうございました。明後日から次の「オバデヤ書」、間を置かず「ヨナ書」に入ります。



 好きだが単行本は買わず文庫になるまで待つ作家の一人が南木佳士。氏の作品には飾り気ない治癒力が宿る。火事で家と父を失ったあと氏の小説にどれだけ慰められたろう。煤と煙と水のなか残った文庫は悪夢と喪失感から立ち直る杖となった。短編集『先生のあさがお』が文春文庫から今月出た。これから読む。◆

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第1332日目 〈アモス書第8章:〈第四の幻〉、〈商人の不正〉&〈終わりの日〉withもう限界です、予定を実行します。〉 [アモス書]

 アモス書第8章です。

 アモ8:1-3〈第四の幻〉
 わたくしに示された幻、――主とわたくしの間に夏の果物(カイツ)が入った一つの籠がある。
 いまやイスラエルに終わりの時(ケーツ)が来た。もはや見過ごすことはできない。その日、宮殿の歌い女は泣き喚き、夥しい数の屍があらゆる場所に捨てられる。そう主がいった。

 アモ8:4-8〈商人の不正〉
 善人をなお虐げる者らよ。利を得ることばかりに熱心で、弱い人や貧しい人を端金で買い上げようと企むお前たちよ。わたしはそれらの所業をけっして忘れない。
 お前たちの不正をわたしは怒る。このために大地が揺れ動いたり、住人たちが嘆き悲しんだりしないだろうか。――わたしはヤコブの誇りにかけて誓う、お前たちの所業をけっして忘れない、と。

 アモ8:9-14〈終わりの日〉
 終わりの日、主の日、裁きの日が来る。その日、白昼に太陽は地平線へ沈み、真昼なのに地は暗闇に包まれる。祭りは悲しみに、喜びの歌は哀しみの歌になる。老若男女、貴賤を問わず、腰には粗布が巻かれ、頭髪はすべて剃り落とされる。
 終わりの日に、慟哭も同然の哀しみを与えよう。その最期が苦悩に満ちた日となるようにしよう。
 「わたしは大地に餓えを送る。/それはパンに飢えることでもなく/水に渇くことでもなく/主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きである。」(アモ8:11)――わたしを忘れたイスラエルは世界の遠近を彷徨してわたしの言葉を求めるが、かれらはそれを聞くことができない。
 サマリアの罪に靡き、ダンとベエル・シェバの偶像に依り頼んだ者たちは再び立ち上がることがない。

 いつか、どこかで耳にした覚えのある方がいるかもしれぬ。わたくしも聞き覚えがある。
 <主の言葉こそ民の糧>
 聖書に於ける殆ど唯一絶対の真実を、簡潔かつ豊かな表現で断言した章であり、とても心の洗われる箇所といえましょう。
 アモ8:10「どの頭の髪もそり落とさせ」の対象には、祭司もナジル人も含む。かれらの剃髪行為は、むろん、禁じられている。剃り落とさせる、というのは禁忌事項に触れるも同然の命令。律法を蔑ろにした民への罰は、律法を踏みにじる行為で対抗しなくてはならない、ということになりましょうか。怒りの激しさが端的に示された一節と申せます。



 さっきからずっとブラウザが立ち上がるのを待っている。なかなか電脳空間につながらない。イライラが募る。
 おお、船長、わが船長、もう限界です、わたくしは予定を実行に移します。
 ――今秋、PCを買い換えよう。光回線に移行しよう。なに、もとより予定にあったことじゃ。◆

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第1331日目 〈アモス書第7章:〈第一の幻〉、〈アモスと祭司アマツヤ〉他withこれからのスケジュールと予定変更について。〉 [アモス書]

 アモス書第7章です。

 アモ7:1-3〈第一の幻〉
 わたくしに示された幻、――刈り取られたあとの二番草、その大地の青草をイナゴが食べ尽くそうとする。
 主よ、ヤコブは立つことができぬ程小さいのです、赦してください。そうわたくしはいった。
 そのことは起こらない、と、思い直した主がいった。

 アモ7:4-6〈第二の幻〉
 わたくしに示された幻、――審判の火は大きな淵を舐め尽くし、畑をも焼き尽くそうとする。
 主よ、ヤコブは立つことができぬ程小さいのです、赦してください。そうわたくしはいった。
 そのことは起こらない、と、思い直した主がいった。

 アモ7:7-9〈第三の幻〉
 わたくしに示された幻、――主が下げ降りを手にして、城壁の上に立っている。
 この下げ降りをわが民イスラエルの真ん中に下ろす。もはやわたしはイスラエルの罪を赦さない。イサクの墓は荒らされ、聖なる高台は廃墟となろう。わたしは剣を持ってヤロブアムの家に立ち向かう。そう主がいった。

 アモ7:10-17〈アモスと祭司アマツヤ〉
 ベテルの祭司アマツヤがヤロブアム2世王に、陛下は殺され、イスラエルは他の地へ連れて行かれる、という預言をアモスがしています、と報告した。
 その後、アマツヤはアモスに会って、こういった、――お前は南のユダへ帰ってそこで生活しろ。ここベテルは王の聖所にして王国の神殿、お前はここで預言するな。
 アモスは答えた、――わたくしは預言者でもなければその弟子であったこともなく、(一介の)羊飼い、いちじく桑を栽培する者であった。或る日わたくしが仕事をしていると、主がわたくしを呼び、北のイスラエルに行って預言せよ、といった、だからわたくしはここへ来た。さあ、主の言葉を聞け。主はこういう、――お前の妻は遊女となり、子供らは剣に倒れ、お前は汚れた地で死に、イスラエルは遠い国へ連れてゆかれる、と。

 「下げ降り」とは「測り縄」のこと。一方の端に石や鉛など錘になるものを付けてあります。主に垂直線を計測するための道具である由。これを勢いよく振り下ろして、イスラエルの民をその罪もろとも断つ、というのでありましょう。
 既に<前夜>でも触れましたが、アモスの召命場面がアマツヤとの会話で明らかになります。名前を一巻の書物に残した15人の預言者のうち、自身の口から召命を受けたときのことを説明したのは、思えばアモスが最初で最後でなかったか。ちなみにアマツヤと対峙するアモ7:10-17は、「アモス書」で唯一動きのある場面でもあります。



 「アモス書」は今日(昨日ですか)の朝、読み終えました。残る2章の原稿も上がっているので、安心して続く「オバデヤ書」と「ヨナ書」の読書へ移ることができます。
 ラスト・スパート、といいたいところですが、実はまだ「創世記」と「出エジプト記」の前半部分、「レビ記」前夜の原稿を新たに書き、「申命記」途中までの原稿の体裁を現在のものへ整えるという大作業が待ち構えていました。旧約聖書の読書ノートの完全終了は仲秋の頃となりそうです。
 従って、たいへん恐縮ですが、予定しておりました<特集;9.11>と小説『ザ・ライジング』の連載は、旧約聖書続編の終了後に変更させていただきます。よろしくご了承いただけると嬉しいです。◆

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第1330日目 〈アモス書第6章:〈驕れる人への審判〉withゲーテ『ファウスト』を読み直してみようか、……〉 [アモス書]

 アモス書第6章です。

 アモ6:1-14〈驕れる人への審判〉
 エルサレムに安住し、サマリアで安逸を貪る者は災いである。諸国へ君臨する者、即ちアッシリアに従っているのだから。災いの日の訪れを一日でも先延ばししようとするから、不法による支配を受け入れているのだ。
 <今日>という日を思う存分に享楽して、やがて来ると預言された滅びの日について憂うことがない。かれらはその行いゆえ捕囚の列の先頭を行く。二度と象牙の寝台に寝そべったり、酒宴や異性の体を楽しむことはできない。
 わたしはヤコブが誇る神殿を忌み嫌い、城郭を厭う。サマリアの都とそのすべてを敵の手に渡してしまおう。わたしは命じる、大きな家を打って粉々にし、小さな家を打って塵芥とせよ、と。常ならそんなことはゆめあり得ぬのに、お前たちは自分の所業ゆえに裁きを毒草に変え、恵みの業を苦よもぎに変えてしまった……。
 ――イスラエルの家よ、わたしはお前たちに対して一つの国を興す。その国はレボ・ハマトからアラバの谷に至るまで、お前たちを苦しめる。

 「もし、一軒の家に男が十人残っているなら、彼らも死ぬ。親族と死体を焼く者が、彼らを家の中から選び出す。そのとき、一人が家の奥にいる者に、『まだ、あなたと共にいる者がいるのか』と尋ねると、『いない』と答え、『声を出すな、主の名を唱えるな』と言う。」(アモ6:9-10)

 ヤロブアム2世の御代に北王国イスラエルはその領土を最大まで押し広げました。その広大な版図を指して、「レボ・ハマトからアラバの谷まで」と表現します。この箇所はイスラエル全域を、主が興した<一つの国>アッシリアが支配下に置く日が来る、というのであります。
 第9-10節についてはどう書き換えればよいのか結論を出せなかったので、ご覧のように引用という形でお茶を濁してしまいました。注釈書や研究書など繙くとさまざま説明が出ていますが、わたくしがむしろ知りたいのは、この2節がなぜこの<審判の言葉>の途中に書かれているのか、なのです。それに答えを与えてくれる本は、残念ながらわたくしが読み得た範囲にはありませんでした。これについては意味をもっときちんと把握した上で本文のなかに塗りこめられるよう、今後も課題として残してゆきたいと存じます。
 内輪話になりますが、本章はなぜか全然筆が進まず、集中することもできなかったところでありました。思うような自分の文章へ移し換えることが困難だったのですね。上でもほぼ同じことを述べましたが、機会あれば改稿の筆を施したいと思うております。



 高校時代にゲーテ『ファウスト』を読んだのは、第2部にある運命の女神たちの言葉を確認したかったから。きちんと読めたというには自信がないが、古本屋で買った池内紀『ゲーテさんこんばんは』(集英社文庫)を契機に、そろそろ読み直してみようか、そう望んでいる今年になって177日が経つ今日なのであります。◆

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第1329日目 〈アモス書第5章:〈悲しみの歌〉、〈わたしを求めて生きよ〉他with思い出が好みを作ることもある。〉 [アモス書]

 アモス書第5章です。

 アモ5:1-3〈悲しみの歌〉
 主が悲しみの歌を唄っている。聴け、北王国の民よ。
 ――おとめイスラエルは倒れて二度と起きあがらない。地に捨てられた少女を助け起こす者はない。町から出た1,000の軍勢は100人を残して滅び、町から出た100の軍勢は10人を残して滅ぶ。

 アモ5:4-15〈わたしを求めて生きよ〉
 イスラエルの家よ、どの神にも助けを求めて行くな。ギルガル、ベテル、ベエル・シェバのいずれにも。あなたたちはわたし一人を支えとし、求め、生きる民。背いたり抗ったりすれば、ヨセフの家は劫火に焼かれる。ベテルでの偶像崇拝の罪により、その火を消せる者はどこにもいない。――と、主はいう。
 「裁きを苦よもぎに変え/正しいことを地に投げ捨てる者」(アモ5:7)よ、わたくしアモスの言葉を聞け。全地を創造し、天空を創造し、夜を朝に変え、昼を夜に変え、海の水を集めて地の面へ注ぐ方、その御名は主。その主が砦に破滅をもたらし、砦の堅固なる守りも破滅させる。
 イスラエルの民は町の門で訴えを公平に裁く者を憎み、真実を語る者を嫌う。弱き者、低き者から穀物の貢納品を乱暴に取り立てる。為、かれらは切石で造った家には住めず、ぶどう園で採れたぶどう酒も飲むことができない。お前たちの咎がどれだけ拭い難く、大きいか、わたくしは知っている。正義を信奉する者を目の敵にし、賄賂を得て私腹を肥やし、心か弱き小さな者の訴えを踏みにじる。人の大切な想いを嘲笑する。お前のことだ。
 民よ、悪を憎み、善を尊び、正義を貫け。
 そうすれば、主はヨセフの家の残りの者を顧み、憐れんでくれるだろうから。

 アモ5:16-20〈裁きの日〉
 裁きの日、主の日。それは闇、光にあらず。それは暗闇、輝きにあらず。

 アモ5:21-27〈祭りにまさる正義〉
 わたしは、と主がいう。どんな祭りも献げ物も喜ばない。歌声と音楽を遠ざけよ。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように押し流してしまおう。 
 荒れ野を放浪した40年の間、お前たちはわたしにどんな献げ物をささげただろうか。お前たちは自分たちの手で拵えた偶像を崇めたり、御輿にして担いだりしている。
 代償として、お前たちをダマスコの向こうの国へ捕囚として連れて行かせる。

 前夜の項で申し上げましたように、本書のキモとなる章に到着しました。「アモス書」は正義を訴える。公平を訴える。そのエッセンスともいえるのが本章なのであります。正直なところを申せば、「アモス書」は本章のみ読んでおけばいいのではないか、と、そんな不遜なことを考えます。もう少しいえば、〈わたしを求めて生きよ〉と〈裁きの日〉だけでもじゅうぶんかな、と考えているのも事実であり、本音なのであります。
 ……文章をもうちょっとシンプルにしたいのですが、なかなか徹底させられません。毎日、<豊かで簡潔な>文章が書ければいいのですが、四半世紀も文章を書いてきて、それがいっかな出来ずにいる、というのは、反省したいところであります。佶屈なところ、なだらかでないところ、色々ありましょうけれど変わらずお読みいただけると幸甚と存じます。



 思い出が好みを作ることはあると思います。好きだった人が夢中になっていたアニメやコミック。憧れの人が大事に読んでいた詩集や小説。わずかの期間、仕事を共にした人が聴いていた音楽。両親が若い頃に観て大事な思い出を作った映画。モータースポーツ、山登り、ヨット/クルーザー、スキューバダイビング、自衛隊、コーヒー、アロマ、etc.
 ――思い出のなかにいる人が好きだった、というだけで最初はそれらへ手を伸ばし、気附けばすっかり入れこんでしまっていた。そんな経験を持つ人が、本ブログの読者に何人かはいる、と信じます。
 たとえば? 卑近な例として自分を俎上に上せば、ボーイズ・ビー・クワイアという少年合唱団がある。20世紀後半以後の現代音楽と、ジャズがある。俳句がある。コーヒー&カフェがある。そうしてなによりも、(忘れてならない)聖書がある。そこから無限に拡散してゆく豊饒の世界が、道の先に広がっている。
 あなたはどうだろう? なにがある? 思い出せないか? 無理だろうか?◆

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第1328日目 〈アモス書第4章:〈サマリアの女たち〉&〈かたくななイスラエル〉withホームズ「踊る人形」を思い出す。〉 [アモス書]

 アモス書第4章です。

アモ4:1-3〈サマリアの女たち〉
 サマリアの女たち、バシャンの雌牛にたとえられるお前たちよ。主の厳かなる誓いに耳を傾けよ、――
 いつの日かお前たちは肉鉤、釣鉤に引っ掛けられてぶら下がる。城壁の破れ目から外へ放り投げられて、国の北境ヘルモン山の方へ捨てられる。
――このような日が来る。

 アモ4:4-13〈かたくななイスラエル〉
 どんなことがあっても、いつまで経っても、まったく立ち帰ろうとしないイスラエルへの主の言葉、――
 ギルガルとベテルへ行って偶像を崇め、税を納め、パンを焼き、献げ物をささげて、罪に罪を重ねていればいい。黒穂病と赤さび病とイナゴのせいで駄目になった農作物を前に呆然とし、消沈し、泣いていればいい。パンの一欠片も口に入れることかなわず、旱魃と水害で飲み水を失い、なお求めて彷徨えばいい。
 かつてエジプトを襲った疫病に倒れ、剣の犠牲になって死に、町のあちこちで屍の腐乱臭を漂わせればいい。かつてソドムとゴモラがわが怒りによって覆されたのと同じように、お前たちも覆されて、生き残った者は燃えさしのようになってしまえばいい。
 そうして、
 「イスラエルよ/お前は自分の神と会う備えをせよ。」(アモ4:12)

 殊後半に至って主の抑えきれぬ怒りが沸々と表面化しているように思います。全体的に申して、イスラエルへの激しい感情が噴出している章といえましょうか。サマリアの女たちへの肉鉤、釣鉤に引っ掛けられて城壁の破れ目から外へ放り捨てられる、なんて、意外と酷い表現といえないでしょうか。
 そこに登場するヘルモン山。もう忘れちゃっていますよね。この山はヨルダン川東岸、北王国の国境の北限に位置し、その南はマナセの半部族に与えられた嗣業の土地でありました。
 黒穂病と赤さび病、前者はパレスチナが雨期の頃、農作物を枯らす真菌性の病気である由。後者についてはよくわかりませんが、たとえば岩波版聖書や他の訳の聖書では「うどんこ病」としております。いずれにせよ、農作物に壊滅的被害をもたらす病気なのだ、と認識しておけばよいと思います。このあたりは農業に従事される方にレクチャーをお願いしたいものであります。
 引用こそしなかったけれど、アモ4:13はイスラエルへの審判の言葉のあとに来る主の<讃歌>である、とする本があります。そうなのかもしれませんが、わたくしは逆にこの節を、主の日の訪れが近いことを喧伝する一節のように読むのです。間違っているかもしれませんが、あくまでこう読む者もいる、という一つの例であります。



 今日は本章を読んでいて、ちょっと失笑してしまった話題であります。余談ですけれどね。
 引用したアモ4:12「イスラエルよ/お前は自分の神と会う備えをせよ」に、わたくしは楽しい記憶を引き起こされる経験をしました。この文言が「踊る人形」を思い出させたのであります。
 「踊る人形」は<シャーロック・ホームズ>シリーズの傑作の一つ。<踊る人形>という暗号がもたらした昔の男女の愛憎(しかも女性は既に吹っ切っている)を描いた作品ですが、最後の暗号が意味するところを英語に直せば“ELSIE PREPARE TO MEET THY GOD”、「エルシー、神に会う準備をせよ」。これを、ふと、思い出したのですね。それだけのお話しです。えへ。
 「踊る人形」は『シャーロック・ホームズの帰還』に収録。未読の方がもしいるならば、文庫のホームズ全集でぜひ読んでください。わたくしは高校生の頃からずっと改版前の新潮文庫で馴染みましたが(延原謙・訳)、いまこれからの読者なら、光文社文庫(日暮正通・訳)か創元推理文庫(深町眞理子・訳)の方が読みやすいでしょうね。訳題は光文社文庫が『~の生還』、創元推理文庫が『~の復活』になっています。お読みいただけば、わたくしの作品紹介の下手さもおわかりと思います。
 いや、実に面白いよ、ワトスン!!◆

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第1327日目 〈アモス書第3章:〈神の選び〉、〈神が語られる〉&〈サマリアの陥落〉with一人焼き肉(屋)がしたいです。〉 [アモス書]

 アモス書第3章です。

 アモ3:1-2〈神の選び〉
 イスラエルの人々よ、地上に数多いる部族のなかからわたしが選び、エジプトからこの地へ導いてきたのはお前たちだけである。そのお前たちがわたしに背き、拭い難き罪を重ねる――わたしはお前たちを裁かなくてはならない。

 アモ3:3-8〈神が語られる〉
 然るべき理由、きっかけ、衝動なくして、人も獣もなんらかの行動を取ることがあろうか。それと同じで、角笛が町のなかで鳴ったら誰もがおののくのではないか。町になにかしら災いが起これば主が為さしめたことだと思わないか。
 主なる神は定めたことを預言者に語らずして実行しない。ならば、主なる神が語ったことを預言者は預言せずにいられないのも、また必然であるまいか。

 アモ3:9-15〈サマリアの陥落〉
 アシュドドの城郭よ、エジプトの城郭よ、サマリアに来てその内情を見るがいい。ここは狂乱と圧政が支配する所となった。城郭に積みあげられるのは不法と暴力。もはやイスラエルは正しく振る舞うこともできない。
 サマリアよ、覚悟を決めよ。敵が来る。イスラエルは囲まれ、砦も城郭も落とされる。
 やがてイスラエルが罰せられる日が来る――その日、わたしはベテルにある祭壇へ罰を下す。犠牲の血が塗りたくられた四隅の角は、砕かれて地に落ちる。
 王が所有する避寒用の宮殿(冬の家)と避暑用の宮殿(夏の家)も、象牙の邸も大きな邸も壊されて、地上から消える。

 エジプトと併記されるアシュドドですが、70人訳聖書ではこの部分、「アッシリア」になっているそうです。エジプトと併記するなら、成程、アッシリアの方が相応しいか。しかし、本ブログでは読み替えることなくアシュドドのままと致しました。
 アモ3:7-8に、預言者を通さずして主はその企てを実行しない、ならば預言者は預かった主の言葉を民へ伝えずにいられようか、という意味の文言があります。わたくしはこれが昨日のアモ2:12への返答と考えます。また、預言者が世にある時代には主が予告なく、既に定めた未来の出来事を実行することはない、という点に、わたくしは幾許かの喜びを抱くのであります。
 サマリアについても一言。北王国の首都として扱われているのでしょうが、〈サマリアの陥落〉ではむしろ北王国の別称として使われているように思えます。



 夕食で作ったハンバーグに薯蕷(とろろ)をかけてみたら意外とイケて、和布蕪(めかぶ)入りのとろろはちょっと合わないかな、と感想を持ったさんさんかです。
 お肉つながりの話。近頃、一人焼き肉をしたくてたまりません。一人で無心に、誰に遠慮することなく好きな部位をたらふく、白いご飯と一緒に食べたい。……あ、焼き肉屋に一人で行ってみたい、ということですよ。なんでも本人のブログに拠れば、SKE48の古畑奈和は女子高生でありながら一人焼き肉に、しかも仕事先である馴れない東京(神奈川だっけ)の焼き肉屋に、一人で堂々と行ったことがあるそうだけれど。
 上野にお一人様用の焼肉店があるらしく、写真を見たことがありますが、店内写真にドン引きしました。ラーメンの一蘭と見紛う仕切り板で区切られたスペースの狭さ、そこに押しこまれるようにして坐り、こちらへ背中を見せて黙々と食べるその光景に……。そんなものなのかもしれないけれど、うぅむ、あまりに異空間。
 やはり焼き肉屋はお一人様お断りの世界なのでしょうか。三國連太郎さんが揮毫した看板を掲げるあの高級店なら、たぶん人目を気にせずがっつりとイケるのでしょうが。お財布に諭吉さん、3枚ぐらいスタンバイしてもらって出掛けるか?◆

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第1326日目 〈アモス書第2章:〈諸国民に対する審判〉2/2withヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース『SPORTS』30周年記念公演を待ち侘びる!〉 [アモス書]

 アモス書第2章です。

 アモ2:1-16〈諸国民に対する審判〉2/2
 主がいう、――モアブの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。かれらは戦場に於いてエドム王の骨を、灰になるまで焼き殺したからだ。それゆえわたしはモアブに火を放ち、その火がケリヨトの城郭を舐め尽くすようにする。あたりから鬨の声が上がり、角笛が響く。混乱の只中でモアブは死ぬ。そうして支配者は断たれ、高官は皆殺しにされる。
 主がいう、――ユダの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。「彼らが主の教えを拒み/その掟を守らず/先祖も後を追った偽りの神によって/惑わされたからだ。」(アモ2:4)それゆえわたしはユダに火を放ち、その火がエルサレムの城郭を舐め尽くすようにする。
 主がいう、――イスラエルの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。かれらは正しい者を金に換え、貧しい者を二束三文で売り飛ばすからだ。かれらは弱き者を虐げ、悩みのうちにある者の道を曲げる。祭壇の傍らには質草として取り立てた衣があり、税として取り立てたぶどう酒がある。
 イスラエルよ、忘れたか。荒れ野の40年のあとカナンへ導き、屈強のアモリ人を根絶やしにしたのがわたしであることを。お前たちのなかから預言者を立て、誓願によりわたしへ献身するナジル人を立てたのが誰であるかを。しかし、お前たちは預言者に預言するな、といい、ナジル人に酒を飲ませた。
 わたしはお前たちの足の下の大地を裂く。勇者も射手も、足の速い者も馬に乗る者も、何人と雖も立っていることも逃げることもできない。辛うじて難を逃れた勇者がいたとしても、その日、その者は裸で逃げることだろう。

 モアブがエドム王の骨を焼き灰にした(アモ2:1)とは、なにに起因するかわかりませんが、わたくしは王下3:26にあるイスラエル・ユダ・エドム連合軍vsモアブの戦いてモアブがエドム王を倒そうとした、という記述に拠るのではないか、と思います。
 同じモアブの項にあるケリヨトはエレ48:4にモアブの町の一つとして、ボツラ、ベト・メオン他と一緒に登場します。この町は民21:29,エレ48:7に出る国家神ケモシュの神殿があった町である由。
 ナジル人について触れたのはずいぶん前になりますので、改めて簡単に記しておこうか、と思います。ナジル人は本文に記した如く誓いを立てて主に仕えることを諒とした人たちのことで、規定や誓願については民6に詳しくあります。ナジル人として誓願を立てた期間中は、――
 ・ぶどう酒や濃い酒、その酢を断ち、ぶどう駅は一切飲んではいけない、
 ・髪は長く伸ばしておき、剃ってはならない、
 ・たとえ親兄弟のであろうと死体には近附いてはならない、etc……
 「ナジル人である期間中、その人は主にささげられた聖なる者」(民6:8)であり、「その人は誓願を立てたその誓願どおり、ナジル人であることの規定に従って行われなければならない。」(民6:21)



 メガ・ヒット・アルバム『SPORTS』リリース30周年を記念した来日公演が、今年10月、地味に開催されるヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース。
 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でファンになったさんさんかはさっそくチケットを取って、往時の東京ドーム公演のような勢いに満ちた、ロックンロールの素晴らしさを体感させてくれるに違いないかれらのライヴを、いまから待ち侘びるのであります。
 オリジナル・メンバーを2人欠き、ホーン・セクションの要たる人物を先年に亡くしたかれらがどんなサウンドを聴かせてくれるのか、非常に楽しみな半面、それと同じぐらいに不安が募っている。なんといっても新たなメンバーが加入してもう10年近くになるとはいえ、現メンバーのサウンドを生で聴くのは今回が初めてですからね。
 でも、HLNの日本公演は久しぶりの域を通り越して、もはや奇蹟に等しいイヴェント。まるでカルロス・クライバーの演奏会みたいに……。
 その日は万難を排してでも参戦するぜ!◆

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第1325日目 〈アモス書第1章:〈諸国民に対する審判〉1/2withマヌケにも程がある。〉 [アモス書]

 アモス書第1章です。

 アモ1:1-15〈諸国民に対する審判〉1/2
 ベツレヘムの南の町、テコアで牧者をしていたアモスが預言者として召命された。北王国イスラエルに移ったかれは、専らベテルにて主の言葉を伝えた。それはヤロブアム2世の御代、かの大地震から2年後のことである。

 諸国民は謹んで聞け。いま主の咆吼がシオンの山から轟く。大地は嘆き、果樹園は枯れる。
 主がいう、――ダマスコの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。わが民の住まうギレアドに侵攻して、そこを蹂躙したからだ。それゆえわたしはハザエルの宮殿に火を放ち、その火がベン・ハダドの城壁を舐め尽くすようにする。また、城門の閂を抜いて、支配者と王勺を持つ者を断つ。ダマスコを擁すアラム地方の民は皆、キルの地へ捕虜として引かれてゆく。
 主がいう、――ガザの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。捕虜としたわが民をエドムへ引き渡したからだ。それゆえわたしはガザの城壁に火を放ち、その火が城郭を舐め尽くすようにする。そうして支配者と王勺を持つ者を断ち、また、エクロンを撃つ。ガザ、アシュドド、アシュケロン、エクロン以外のペリシテの民も、皆滅びる。
 主がいう、――ティルスの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。捕虜としたわが民をエドムへ引き渡し、兄弟の契りを心に留めなかったからだ。それゆえわたしはティルスの城壁に火を放ち、その火が城郭を舐め尽くすようにする。
 主がいう、――エドムの3つ、4つの罪をけっして赦さない。「彼らが剣で兄弟を追い/憐れみの情を捨て/いつまでも怒りを燃やし/長く憤りを抱き続けたからだ。」(アモ1:11)それゆえわたしはテマンに火を放ち、その火がボツラの城郭を舐め尽くすようにする。
 主がいう、――アンモンの(人々の)3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。ギレアドに住まう妊婦の腹を裂き、自分たちの領土を拡大しようとしたからだ。それゆえわたしはラバの城壁に火を放ち、その火が城郭を舐め尽くすようにする。嵐の日に戦いが起こる、熱風の吹くなかで鬨の声があちこちから上がる。王も高官も捕囚となり、連行されてゆく。

 アモ1:2「羊飼いの牧草地は乾き/カルメルの頂は枯れる」を自分の言葉、自分の文章とするには難しい。何度も書いて、何度も消して、何度も直した。自信はない。考え倦ねて岩波版旧約聖書「十二章預言書」の脚注を参考に上記のような文章を作ったが、やはり自信はありません。
 城壁に火を放ち、城郭を舐め尽くす――これはその国、町の防御力を弱めるという意味合いもあるか、と思います。
 さて、ティルスへの審判のなかで<兄弟の契り>なる表現が出て来ます(アモ1:9)。これについては未詳ですが、サム下5:11や同24、王上5:15-26に見られるダビデとソロモンの神殿建築に伴うティルスの協力関係や、王上16:31に載る北王国アハブ王がシドン人の王の娘を妻にしてバアル神を崇めた云々の、いずれかを指すのかもしれません。
 エドムの項に於いて「彼らが剣で兄弟を追い」とあるのはなぜなのか、既に何度か触れましたが、ここでもう一度。イスラエルとエドムは同じ血を引く同胞でありました(創25:25、同36)――「(イサクの長子、ヤコブの兄)エサウはエドム人の先祖である」(創36:43)。それを踏まえた表現であります。



 たとえばお店のレジで、子供がいる前で店員に怒鳴ったり、声を荒げたりするパパやママ。そんな親に限って子供が長じた後、素行の悪さを嘆き、批難する。
 あなた方がかつて子供の前で示した態度が、その子の手本になっていたり、その子の記憶に刷りこまれた結果であることを、わかっているのかな。マヌケにも程がある。序に、世界はそれを自業自得と呼ぶ。◆

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第1324日目 〈「アモス書」前夜withどうだい、SF小説書いてみたら、と、友がいう。〉 [アモス書]

 預言者アモスはユダに生まれてイスラエルで活躍した人。その舞台は北王国の宗教的中心地ベテルでありました。ベテルはイスラエル南部に属す町であります。召命以前、アモスは牧者で、本人曰く、「家畜といちじく桑を栽培する者」(アモ7:14)であった。その仕事に従事しているとき、主により召命され、イスラエルへ行き預言せよ、といわれた由。
 預言書に名前を留める15人(ダニエルを除く)の内、アモスはいちばん古い時代に生きた。同じ王国で活動したホセアよりも前の人で、おそらくはエリシャと面識があったのではないか、と想像されます。
 かれが活動したのは南王国ウジヤ(アザルヤ)王、北王国ヤロブアム2世王の御代。両国が共に繁栄し、殊北王国にとってそれは最後の残照、まさに黄昏刻の最も眩い時代でした。そうした時期、アモスはイスラエルのベテルに赴き、主の言葉を伝える役割を担ったのです。
 そのアモスが語ったのは、<正義>についてでした。アモ5:15にある文言を引けば、<悪を憎み、善を愛し、正義を貫け>ということでした。わたくしはここに「アモス書」のキモが、中心となるメッセージが、主題が、あるように思えてなりません。ユダとイスラエルを含めた諸国民への審判(アモ1-2)、驕る人々、不正を働く商人への審判(アモ6、8:4-8)。そうしたところに、主による正義の執行があるように思うのであります。その結果としてもたらされるのがサマリアの陥落であり、北王国の滅亡であるのは、いうまでもありません。そうした後に約束されるダビデの町の繁栄とイスラエル民族の回復――。
 わたくしが預言書を読んでいていつも感銘を受けるのは、どれだけ痛ましい破滅の預言がされても最後には必ず<回復>という永遠に等しい希望が与えられる点であります。救いあってこその凶事といえばそれまでですが、これこそ未来を語る預言書の第一事であり、たとえば「ヨハネの黙示録」に於いてもこの構造はまったく変わっておりません。
 それでは、明日から「アモス書」を1日1章ずつ読んでゆきましょう。



 近頃部屋にいるときはアンドレ・リュウのCDしか聴いていないさんさんかです。
 台風4号と梅雨前線の微妙なコラボレーションにより天気が不安定な今日(昨日ですか。九州の皆さん、雨と風はだいじょうぶですか?)、仕事帰りに時々行く大崎のパブで友どちと会い、ジャンル小説について四方山話をしていました。
 そこで友が発した一言、――そんなに好きなんだからSF書けばいいじゃん、と。これまで読んできたSF小説、観てきたSF映画やドラマへのオマージュでいいじゃん、なにか1作ぐらい、長編で書けるでしょ、そろそろ引っ越し先のファンタジーから自分のいるべき場所へ戻ってこいよ、とも。
 うーむ、と、黒ビールの注がれたグラスを睨んで考えた。最近のさんさんかにしては珍しく真剣に考えた。以前線路の反対側で働いていたとき以上に、極めて真剣に考えた。
 ――でも、SF小説の創作から離れて何マイル、否、幾百光年、という為体の自分に果たして、かつて好きだったジャンルに立ち帰って再び創作の筆を執ることができるだろうか? 素朴にして深遠な問いをわたくしは友に投げかけてみた。わたくしにとってそれは「宇宙の真実」の解答を探す以上に困難な問題に思えたのだ。
 すると、友の答えて曰く、だいじょうぶ、なんとかなる。
 ――ドリス・デイかよ!? そんなツッコミを実際に入れて、再び考えた。いつの間にやら黒ビールは空っぽだ。4杯目のお代わりを頼んで、カウンターに額をくっ付けて(ぶっ付けて?)沈思黙考。けっして酔い潰れたわけではない。
 確かにファンタジーは、2001年9月と2003年7月の悲劇から逃れた先の世界であった。トールキンに再会し、エッセイ「妖精物語について」の一節に触れて嗟嘆すると共に安堵して、中つ国の片隅で心を慰撫しながら、このジャンルへのお礼にも似た小説を、短いものながら書き綴り、友人知己へのギフトにした。友はそれを念頭に置いて、そろそろ帰ってこいよ、といってくれたのである。……
 ……わたくしの本籍地はホラーのジャンルにある。知らず役所で戸籍移動の手続きをしていない限り、<本籍地:ホラー>と記載されているはずだ。でも、従来の浮気性ゆえそこだけで満足できないで、親しむ前より馴染みのあったSFに秋波を送ったりもしている。それは否定できない事実だ。実際に女性であれば一穴一本主義なのだがなぁ。それはともかく、ホラーも好きだが、その何分の一かの情熱を費やしてSFも好きなのである。否定はするまい、えっへん。
 <スター・ウォーズ>サーガと『宇宙戦艦ヤマト』でこの世にSFというジャンルがあるのを子供心に知ったわたくしは、(昨日の話を引きずるわけではないが)「ガンダム」に駄目押しを喰らってロバート・A・ハインライン『宇宙の戦士』を古本屋で探してきて読んだ。――苛酷で永遠の苦行にも思えた高校受験を終えて進学するや、通学の帰りにアーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』や『10の世界の物語』、アイザック・アシモフの『ファウンデーション』シリーズとロボット3部作、ハインライン『夏の扉』(定番中の定番!)、クリフォード・D・シマック『中継ステーション』、ブルース・スターリング『スキズマトリックス』、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、フランク・ハーバート『砂の惑星』シリーズ、オースン・スコット・カード『無伴奏ソナタ』、ロバート・シルヴァーバーグ『ヴァレンタイン卿の城』などを、古本屋で探すか新刊書店にて発売とほぼ同時に買って、キングやバーカー、HPLやポオ、マッケンやらと同時進行で読んでいたのだから、10代後半の読書欲って恐ろしいですね。うん? フィル・ディックとブラッドベリ、ティプトリーを忘れていたか。――取り立てて珍しいライン・アップではないが、これらを夢中になって読んだことは人生の宝物だ。
 さて、なにを話していたんだったかな。そうそう、SF書けや、っていうことか。
 まぁ、死ぬまでになら1作ぐらいは書けそうな気がするな。パブで会計を済ませて夜風に当たりながら友と駅へ、ふらふら、よたよた、と歩きながら、そんな大きな気分になった。なんだかマジで書けそうな気がしてきたぜっ! ありきたりな題材でもいいや。自分が愛着を持ち、失わずに書けるなら、科学的考証もなんのその、だ……。失言を深謝。
 現在は聖書に掛かりっきりなため、棚上げしている長編が2作あるのだが(樹海を舞台にしたものと、ちょっぴりエロいB級SFホラー映画めいたものね)、これを完成させたら、次の長編ではSFに挑みたいですね。――疲弊して倒れてそのまま起きあがらない可能性もあるけれど、やるなら全霊を傾けてやったあとで倒れたい。
 ――どんなの書きたい? 友が訊く。
 あんまりSF、SFしている小説は無理だろうから、そうね……キングの『トミーノッカーズ』とか……いや、ふざけてませんよ。友よ、眉根顰めたな、いま? でもね、正直なところ、理想とするSF小説っていうのがすぐに思い浮かばないんですよ。ダグラス・アダムズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズとか真面目な顔していっていいなら別だけれど。――おっと、品川に着いたぜ。乗り換えないとな。友よ、どこへ行く、君もこっちだろう。
 まぁ、どんなSF小説が書きあがるかわからないけれど、とにかくいまいえることはこれだけさ。即ち、――さあ、みんな、アンドレ・リュウの音楽みたくハッピーに行こうぜ!?◆

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