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第1633日目 〈マカバイ記一第16章:〈ヨハネ、ケンデバイオスを破る〉、〈シモンの最期〉、〈ヨハネ、プトレマイオスの陰謀を逃れる〉&「マカバイ記一」を終わるにあたってwithMacBookAirで原稿を書く際にぴったりなBGMは?〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第16章です。

 マカ一16:1-10〈ヨハネ、ケンデバイオスを破る〉
 ゲゼルの町にいたヨハネはエルサレムへ上り、父シモンに敵将ケンデバイオスの所業の数々を報告した。するとシモンは息子のうちも年長の者即ちヨハネとユダを呼び、後事を託した。「今やわたしは年老いてしまった。しかしお前たちは神の慈しみを受け、成長して一人前になった、お前たちは、わたしとわたしの兄弟に代わって、わが国民のために出て行って戦うのだ。天の助けがお前たちにあるように。」(マカ一16:3)
 父により選ばれた精鋭たちを率いて、ヨハネとユダは出発した。モデインで夜を明かし、明け方に渓流を挟んだ場所で、ケンデバイオスの軍勢と対峙した。ユダヤ軍は初めのうちこそ渓流を渡ることに躊躇いがあったけれどヨハネが率先して渡河するのを見て、ようやく意を決して渓流を渡った。そうして渡った岸で陣営を整えたのである。
 ラッパが吹き鳴らされた。ヨハネとユダ、ユダヤ軍は数の上では自分たちより優る敵に向かって勇猛に戦った。ケンデバイオスの軍勢は敗走し、自分たちの砦へ逃げ込んだ。が、そこに火が放たれて敵軍は滅びた。ヨハネたちはなににも邪魔立てされることなく、無事にエルサレムへと帰還した。

 マカ一16:11-17〈シモンの最期〉
 平和が訪れ、掻き乱された。ユダヤ人でシモンの娘婿プトレマイオスが義父を殺して、自分が代わってユダヤの支配者となろうと思い上がったのである。
 プトレマイオスは前136年(第177年、シモンの年第7年)第11の月(サバトの月)、エリコの町へ視察に下って行く途中のシモンとかれの息子マタティアとユダを砦の町ドクへ迎え入れて歓待し、かれらが酔うたところを襲撃して、随伴するわずかの兵共々殺害した。
 「こうして、プトレマイオスは恐るべき裏切り行為を働き、善に報いるを悪をもってしたのだった。」(マカ一16:17)

 マカ一16:18-24〈ヨハネ、プトレマイオスの陰謀を逃れる〉
 このプトレマイオスはシリア王アンティオコス7世に事の次第を記した書簡を送り、支援を願い出た。ユダヤの国、その町々の統治も自分に任せてほしい、とも。一方で密使をゲゼルの町へ、エルサレムへ送り込み、ハスモン朝の内からの切り崩しを図った。
 が、名もなき忠者のお陰でヨハネは暗殺を免れた。かれは自分を殺す意図を持ってゲゼルへ潜入した輩を探して見附け出し、捕らえて殺した。
 「ヨハネの行った他の事績、彼の戦い、彼の発揮した数々の武勇、城壁の建設、彼の業績、これらのことは、ヨハネが父を継いで以来の彼の大祭司在職中の年代記に記されている。」(マカ一16:23-24)

 ここに「マカバイ記一」は終わる。が、ではない。次の「マカバイ記二」は「マカバイ記一」のその後が語られるわけではない。ユダヤの独立を賭けて、マカバイ家を中心に行われてきたセレコウス朝シリアへの抵抗運動、通称<マカバイ戦争>──これは或る意味で独立戦争と言うてよかったろう──の続きが、聖書のなかで語られることはない。諸々の歴史書等で語られることを拾い集めて再構成するのみだ。「マカバイ記二」はどちらかというと「マカバイ記一」の補遺として扱われるべき一書である。  ゆえに、結局このあと<裏切り者>プトレマイオスがどうなったのか、旧約聖書続編のなかで語れることはない。ヨハネがヨハネス・ヒルカノス1世として独立国家ユダヤの王となり、ハスモン朝が成立したことによって擱筆されたのであろうが、なんともすっきりしない幕切れではある。読者をこんなに欲求不満にさせる書物が聖書のなかにあろうとはね! 呵々。  お気附きかもしれませんが、「マカバイ記一」は神についての言及がありませんでした。「神」、「主」という語が出てこなかった、と言うた方が正しいかもしれません。それに代わる表現として、「天の助け」などがある。唯一本章に於いて「神の慈しみを受けた子」とシモンが息子2人に向かって言いますが、これとて信仰の対象としての神なる主を指すのではなく、むしろ慣用表現と受け止めた方が宜しいでしょう。  マカバイ戦争の時代もしくは「マカバイ記一」が執筆された当時にあっても、<神>なる言葉は滅多なことでは使われない、みだりに口にしてはならない大切な語だったのでしょう。出20:7「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」が万人の心に浸透していたのかもしれない。この時代は律法が旧約聖書の時代よりもずっと尊ばれていた頃でしたから。
 計画したわけではないけれど、本書前夜から最終章まで丸1ヶ月を費やすことになってしまいました。2週間強で完了するはずだったのですけれど、おかしいですね、どこで予定が狂ってしまったのでしょう。オッペケ節でも歌っちゃいたい気分です。  次の「マカバイ記二」ではこんな風にならないように気を付けますが、もう夏になるんですよねぇ……嫌な季節に気力を振り絞らねばならぬとは……。
 ちなみに本章のノートを書いたのは5月25日、1週間前のことです。この日、AKB48のメンバー2人が岩手県の握手会場にてノコギリ男に襲撃され、怪我を負いました。  メンバーはもう既に退院し、検査通院をしているようですが、彼女たちを圧巻から守った20代の男性スタッフはどうなったのだろう。退院はしているだろうけれど、術後の経過を知りたい。  ともあれ、殺傷事件に至らなかったのだけが幸い。これで握手会などイヴェントがなくなったり縮小されたりしないことを望みます。  本稿はiMacで作成していますが、ふと、MacBookAirで原稿を書く際のBGMはなにがいちばん相応しいかなぁ、と考えました。現時点で聴いているのは、プラターズのベスト盤から「Sentimental Journey」。その前はブルース・スプリングスティーン《High Hopes》でした。  クラシック? ジャズ? それ以外? もちろん書いている原稿の性質にもよるのだろうけれど、わたくしがいちばん相応しいと考えるのは、ヤエル・ナイムのファーストアルバムの一曲「New Soul」なんですよね。或る意味で万人納得のチョイスだと自負しております。──このカラクリのわかる人、いますよね?◆


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第1632日目 〈マカバイ記一第15章:〈アンティオコスの呼びかけ〉、〈アンティオコス、トリフォンを攻める〉他with東京嫌い、横浜好きのささやかな疑問。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第15章です。

 マカ一15:1-10〈アンティオコスの呼びかけ〉
 デメトリオス2世(ペルシア・メディア地方にて虜囚中)の弟アンティオコスは、地中海諸島の一つからユダヤの統治者シモンに宛てて書簡を送った。曰く、──
 わたしアンティコオス・シデテスはユダヤに対して、税と貢を免除し、独自の貨幣の鋳造と流通することを許可し、軍備とすべての砦の所有を認め、エルサレムと聖所の完全なる自由を承認する。 
 わたしアンティコオス・シデテスは、シデの地から海路を使って混乱と害悪が跋扈する先祖の国へ上陸し、国を荒廃させ、王国内の諸都市を破壊した蛮人どもを駆逐・追放するつもりでいることを、ここにお伝えしておく。
──と。
 このアンティオコス・シデテスこそアンティオコス7世である。

 マカ一15:11-14〈アンティオコス、トリフォンを攻める〉
 前139年(第174年)、アンティオコス・シデテスはシリアへ上陸してトリフォンを追撃した。トリフォンを守る兵はわずかの数でしかない。殆どがアンティオコスに従いたからである。
 アンティオコスは海に面した町ドルへ、トリフォンを追い込んだ。町は海路も陸路も封鎖され、孤立した。

 マカ一15:15-24〈ローマ、ユダヤを支持する〉
 その頃ユダヤには、ローマへ同盟更新に赴いていた使節ヌメニオスの一行が帰還している。ヌメニオスはローマの執政官ルキウス・リキニウス・クラッススから諸国の王に宛てた書簡を携えていた。それに曰く、──
 「我々は、諸国民とその王たちに、進んで書状を送ることにした。それは、彼らがユダヤ人たちに危害を加えぬよう、ユダヤ人とその町や国土を戦争に巻き込まぬよう、またユダヤ人の敵対者と同盟を結ぶことのないようにするためである。 我々は、彼らから盾を受領することにした。従って、彼らの国からあなたがたのもとに、害悪を及ぼす者が逃げ込んで来たならば、その者たちを大祭司シモンに引き渡し、彼がユダヤ人の律法に従って罰することができるようにしていただきたい。 」(マカ一15:19-21)
 執政官ルキウスは同じ内容の書簡を、プトレマイオス王、デメトリオス王、アタロス、アリアテラス、アルケサスの諸王に宛てたのみならず、ローマ領内全域の役人たち、そうしてユダヤの統治者にして大祭司であるシモンに書き送った。

 マカ一15:25-41〈アンティオコス、シモンを裏切る〉
 シリア軍によるドルの町包囲は続いていた。ユダヤのシモンはアンティオコス7世に援軍を差し向けたが、王はこれを拒んだ。それのみならず、先の書簡で約束した協定のすべてを破棄して、ユダヤに対する態度をすっかり変えたのである。
 王は高官アテノビオスをエルサレムのシモンに派遣して、斯く通告させた。ユダヤが不当に占拠しているヤッファ、ゲゼル、エルサレムはシリアの所有する町である。ユダヤはこれらの地に大きな損害を出し、荒廃させた。速やかに銀500タラントンを破壊と租税の賠償として支払え。拒否すれば、われらは軍事行動に移る。
 シモンはアテノビオスの台詞を聞くと、こう答えて曰く、──
 「我々は他国の土地を奪ったことも、他人の土地を支配したこともない。これは、我々の先祖の遺産であるのに、不当にもある期間敵によって占領されていた土地である。我々は、時を得て、先祖の遺産を取り戻したまでだ。
 しかし、あなたが要求しているヤッファとゲゼルについて言えば、これらの町々は、我々の民と領土に対して、大きな損害をもたらしたのである。だが、これらの町のために百タラントンを支払おう。」(マカ一15:33-35)
 アテノビオスは憤慨して帰国した。アンティオコス7世は激怒した。王は高官ケンテバイオスを海岸地方の総司令官に任命すると、オルトシアへ脱出したトリフォン追撃と、こまっしゃくれた態度を取るユダヤ攻撃を命令した。

 文中にも記したとおり、アンティオコス・シデテスは歴史書等ではアンティオコス7世として知られる人物であります。かれはデメトリオス1世(デメトリオス・ソーテール)の子で、デメトリオス2世(デメトリオス・ニカノル)の弟。育った町とされるシデは、小アジア沿岸の町であった。かれは兄嫁クレオパトラ・テアを娶り、トリフォンを討ってセレコウス朝シリアの新たな王位に就いたのでありました。
 聖書には「ルキウス」(マカ一15:16)としか記されぬ人物は誰か? 古代ローマに於いてルキウスの名を持つ人物は何人もいるけれど、ここに名を留めるのは、共和政ローマ最高の弁論家であり、政治家であったルキウス・リキニウス・クラッスス(前140-91年)であった。同盟市戦争の原因となった法案を採択したことで知られる。
 このルキウスが採択した法案とは、<ローマ市民権なき者ローマに住むこと能わず>というものだった。そうして実際、ローマ市内から市民権なき者たちが追放された。これに反発したローマ連合に参画する諸都市の民が、一斉に蜂起して勃発したのが同盟市戦争である。
 ヤッファ、ゲゼル、エルサレムとその周辺地域の一括返還を、アンティオコス7世は求めたのだろう。が、シモンにそんな気はまったくなかった。
 ──ユダヤが不当な占拠をしている、と非難されて然るべきは精々がヤッファとゲゼルで、少なくともエルサレムはかつて一度もあなた方の町であったことはない。古い世からここはわれらユダヤの都であった。われらは先祖の遺産であったエルサレムとその周辺地域を取り戻しただけである。──シモンの主張は正しいし、後世の読者たるわれらもそれに異を唱える理由などまったくないのであるが、アンティオコス7世を激怒させるにはじゅうぶんな返答であったろう。
 一括返還を求めたのに、「それはそれ、これはこれ」と問題を切り分けて、エルサレムについては譲らず、ヤッファとゲゼルはわれらを脅かした町だから攻めて占領したのだから、銀100タラントンを支払うに吝かではない、と言われてしまっては、王も激怒して当然かもしれません。アテノビオスが報告したその他諸々のこと;シモンの生活ぶりなどについては、おそらく王にとってはそこまで重要事ではなかったことでありましょう。
 なお、トリフォンが海の警備の隙を突いて脱出、向かった先であるオルトシアの位置などは未詳であります。
 ……それにしても、「マカバイ記一」も終盤になって、ようやくノートがまとまりを見せ始め、本来あるべき姿になってきたようであります。まあ、なにもできぬまま終わるよりは良いかもしれませんが。



 三鷹とか吉祥寺のいったいどこが良いのか、さっぱり理由がわかりません。
 かくも鬱然として、かくもサラダボウル的な町のいったいどこが良いのか?
 憧れと現実の折り合いをつけられるのかしら、ここを求めて彷徨ってきた人たちは?
 やっぱり横浜最強。ここ以上に暮らしやすい町が東京都にあるのかな。◆

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第1631日目 〈マカバイ記一第14章:〈デメトリオス、捕らえられる〉、〈シモンをたたえる歌〉他with独り言;至福の時間を過ごしたことの代償とは?〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第14章です。

 マカ一14:1-3〈デメトリオス、捕らえられる〉
 前141年(第172年)、兵を率いてデメトリオス2世はペルシア・メディア地方へ赴いた。彼の地の王アルケサスに対トリフォン戦の援助を請うためである。が、デメトリオスはペルシア・メディアの領内へ入るや、アルケサス王の命を承けた指揮官の1人によって捕らえられてしまった。

 マカ一14:4-15〈シモンをたたえる歌〉
 シモン在世中、全地は休息し、平和を謳歌した。
 かれは民のために善きことを求め、民はシモンの権威と栄光に喜びを感じた。シモンは領土を拡大し、得た地から汚れたものを排除した。刃向かう者は一人としてなかった。
 全地は休息し、平和を謳歌した。民は心安んじて地を耕し、収穫と実りを得た。町々は食糧で満たされ、防備は強く保たれた。
 「 シモンは地に平和をもたらし、イスラエルは無上の歓喜に酔いしれた。人々は、おのおののぶどうの木、いちじくの木の下に憩う。彼らを脅かす者はいない。彼らに戦いを挑む者は一掃されて地上から消え、シモンが世にあるかぎり、王たちは砕かれた。シモンは民の低き者を残らず励まし、律法を順守した。シモンは、律法に従わず悪を行う者を根絶した。」(マカ一14:11-14)

 マカ一14:16-24〈スパルタからの書簡〉
 さて。ヨナタンの死はローマへ伝えられ、スパルタでも知られるところとなった。人々は嘆いたが、兄弟シモンが代わって大祭司となり、総司令官となったことを聞くや、かつてヨナタンとの間に結ばれていた友好関係の更新を思い立ち、シモンとの間に同盟を結ぶことを望んだ。その旨記した銅板はユダヤ国へ贈られ、エルサレムにて集会の場で披露され、ユダヤ人たちの知るところとなった。
 シモンは同盟を確認したことの証として、ローマに金の大盾を贈った。

 マカ一14:25-49〈シモンをたたえる碑〉
 スパルタ、ローマとの友好関係が更新されたことを知り、ユダヤの民は言った。われらはどのようにしてシモンとその息子たちに感謝の念を示せばいいだろう。かれらの一族は結束してユダヤのために立ち、敵と戦い、イスラエルに自由をもたらしてくれたのだ。
 そこでかれらはシモンとその一族の事績を銅板に刻んで、石碑にはめ込み、シオンの丘に建てた。前141年(第172年、シモンの年第3年)、エルルの月の18日、アサラメルの町で開かれた祭司と民と長老たちの集会にてそれは決められ、建てられたのだった。
 マタティアの子にしてユダ・マカバイとヨナタンの兄弟であるシモン。かれは大祭司職と軍の総司令官に就き、祭司を含むユダヤ民族の統治者として、ユダヤの全地を守った。

 デメトリオスを捕虜としたペルシア・メディアの王アルケサス。史実に基づけばこの王はミトラダテス1世(在;前171-138年)、アケメネス朝パルティアの第5代王である。かれは同じ前141年、バビロニア地方に侵攻してこれを併合、メソポタミア地方を支配しました。
 世界史は常にすべての国家、すべての地域の動向を事細かに、時系列で記録しているわけではない。特定の年代、特定の国/地域が連動してスポットライトを当てられるぐらいだ。本書に於いてはシリア・パレスティナ以外の地域・国家の動きはなかなか感じ難いが、こうして固有名詞を調べてゆくことで意外なところで旧約聖書で登場した国家の行く末を知ることになる。
 ここでいえばまさしくバビロニアがそうだ。かつてユダヤを恐怖と混乱と悲しみに陥れ、国家滅亡、捕囚を経験させた強大な新バビロニア帝国が、いまは無残な姿を曝し、ペルシア・メディアの一地方に成り下がっている。歴史のどう猛なまでの動きが垣間見える挿話である、と申しあげて宜しいでしょう。
 ──歴史のすべてを俯瞰することができたら楽しいだろうなぁ。



 自宅でMacBookAirを使い、クラシカジャパンを視聴しながら原稿清書中。これからブーレーズ=パリ管によるシェーンベルクとバルトークを聴きます。あした寝不足になるけれど、至福の時間を味わった代償なら、良とすべしか。◆

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第1630日目 〈マカバイ記一第13章:〈シモン、ヨナタンの後を継ぐ〉、〈シモン、一族の記念碑を建てる〉他with本書についての決意表明〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第13章です。

 マカ一13:1-24〈シモン、ヨナタンの後を継ぐ〉
 トリフォンが本腰を入れてユダヤ滅亡に乗り出したと聞くと、ユダヤ人は皆震え上がり、怖じ気づいた。シモンは民の間に動揺と不安が広がるのを押さえるため、エルサレムへ上って、民を集めてこう言った。曰く、──
 「諸君は、わたしとわたしの兄弟たち、またわたしの父の一族が、律法と聖所のために何をしてきたか承知のことと思う。我々は、幾多の戦いと苦難に遭遇してきた。これらのことでわたしの兄弟はイスラエルのために一人残らず殺され、わたしだけが一人残された。こうなった今、どんな艱難に出会おうともわたしは命を惜しまない。わたしは兄弟たちよりも優れた者ではない。すべての異邦人が敵意をもって我々を壊滅に追い込もうと集まっている。この際わたしは、わが民族、わが聖所、諸君の妻子のために復讐を誓う。」(マカ一13:3-6)
 民の心はシモンの言葉によって喜びに湧き、奮い立った。そうして、ヨナタンの跡を襲ってユダヤの指導者になってほしい、われらはあなたの言葉に従おう、われらはあなたと共に戦い、どんな命令にも従おう、と言った。シモンは諾った。
 斯くしてシモンはユダヤの指導者として立った。かれは全兵士を召集して、対トリフォン戦の準備を進めた。その一方で、エルサレムの城壁の完成を急がせ、周囲の防備を強化していった。
 その頃トリフォンも軍隊を率いてプトレマイオスの町を出、ユダヤ領内へ侵入していた。ヨナタンは未だトリフォンの掌中にある。そのヨナタンに代わって立ったシモンに宛てて、トリフォンはヨナタン釈放の条件を通達してきた。曰く、銀100タラントンを支払えばヨナタンは釈放しよう、その後ユダヤはシリアに逆らわぬ証としてヨナタンの息子2人を引き渡すのだ、と。
 逡巡の末、シモンはトリフォンの通達に従うことにした。あとになって、ヨナタンが殺されてしまったのはシモンが釈放の交換条件に首を縦に振らなかったからだ、と陰口を囁かれるのを恐れ、民の間に憎しみの心が生まれるのを恐れたからであった。勿論、シモンはこのトリフォンの言葉が真実でないことを知っていた。隠された意図があることを知っていた。それでもかれは、ユダヤの人心が揺らぎ、いらぬ内紛の起こることを避けたかったのである。結局、シモンは銀100タラントンを支払い、ヨナタンの息子2人をシリアに引き渡した。
 が、ヨナタンが釈放されることはなく、トリフォンはユダヤ侵攻を進めた。とは言え、行く先々でユダヤの頑強な抵抗に遭い、なかなか思ったような戦果は上げられなかった。
 或るときのこと。トリフォンはアドラの町を目指したが、ユダヤ軍の抵抗に遭って進路を阻まれ、道を迂回せざるを得なくなった。すると今度は大雪に見舞われてそれ以上進むこと能わず、ギレアドに転進した。そうしてゲネサル湖の北にあるバスカマ近郊でヨナタンを殺害して、亡骸をそこに埋めた。トリフォンは自分の国へ帰還した。

 マカ一13:25-30〈シモン、一族の記念碑を建てる〉
 兄弟ヨナタンの死を知ったシモンは、人をやってかれの亡骸を掘り起こさせ、エルサレムへ持ち帰らせた。そうして先祖の町モデインに埋葬した。
 「シモンは、父と兄弟たちの墓の上に記念碑を建てたが、それは裏も表も滑らかに磨かれた石で飾られ、高くそびえたっていた。また父母と四人の兄弟のために、互いに向き合う七つのピラミッドを建立した。更にそのピラミッドと調和した巨大な石柱を周囲に建て、これらの石柱の一本一本に永遠の名を記念して、甲冑を彫り込み、海路を行く者が皆見ることのできるよう、甲冑の傍らに船を刻んだ。彼がモデインに作ったこの墓碑は今日に至るまで残っている。」(マカ一13:27-30)

 マカ一13:31-38〈シモンの第一年〉
 トリフォンは自分が擁立したアンティオコス6世を欺いて殺害し、王となってアジアの王冠を戴き、この地に大きな災いを引き起こした。
 シモンはユダヤ領内の各地に新しく砦を築き、その周囲に城壁を巡らせて見張り塔を造った。一方でデメトリオスに書簡を送り、トリフォンの所業が略奪であることを理由に免税を願い出た。デメトリオス王の返書に曰く、──
 わたしはユダヤとの完全なる友好を確立させる用意があり、免税の手筈を整えるよう既に担当者へ伝えてある。「あなたがたに約束したことは確かに履行されている。」(マカ一13:38)
──と。
 前143年(第170年)、イスラエルは敵の軛から解放された。
 それゆえに民は、自分たちの書く公文書や契約書にこう記すようになる。即ち、<偉大なる大祭司にしてユダヤ人の総司令官、指導者であるシモンの第一年>と。
 シモンとユダヤ軍はエルサレム北西、平野部の町ゲゼルに向けて陣を敷き、ここを攻撃した。ゲゼルの民がシモンに哀願したので、この町に駐屯していたトリフォン側の兵は追い出され、シリアが崇拝する神の偶像を引き倒したりしてそのすべてを取り除き、これを祀っていた家という家は清められた。「こうして汚れたすべてのものを町から取り除き、律法を順守する者たちをそこに住まわせた」(マカ一13:48)のである。
 シモン自身も、この清められた町ゲゼルに家族共々移り住んだ。

 マカ一13:49-53〈要塞の清め〉
 エルサレムに駐屯するシリア軍は周辺地域から孤立した。周囲は既にユダヤが完全掌握して、そこからシリア軍は放逐されていたからである。エルサレムのシリア軍は窮乏してゆき、ついに餓死する者が続出した。そこでかれらはシモンに哀願して、慈悲の右手を差し伸ばしてくれるよう懇願した。
 「第百七十一年の第二の月の二十三日にシモンとその民は、歓喜に満ちてしゅろの枝をかざし、竪琴、シンバル、十二絃を鳴らし、賛美の歌をうたいつつ要塞に入った。イスラエルから大敵が根絶されたからである。 」(マカ一13:51)この日は祝日に定められた。
 シモンは要塞の近くにある神殿の丘の守りをよりいっそう強化させ、仲間と共にエルサレムへ移り住んだ。ゲゼルの町には代わってかれの息子、成人したヨハネが住んだ。

 喜びに湧くユダヤ人たちの姿を想像しましょう。ここに至って遂に、再びエルサレムは完全なるユダヤの都となった。かれらはかつての王都の完全奪還を果たしたのだ。万歳!



 これまでも<呟き>程度にこぼしてきたが、本章の清書をしながら改めてここに、正式に表明する;旧約聖書続編のノートが終わって新約聖書に入るまでの間に、「マカバイ記一」のノートを書き改めて<新稿>として読者諸兄にお披露目することを。誓います。悠久の希望に賭けてこれを誓う。
 時期? うぅん、たぶん来年でしょうね。えへ。◆

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第1629日目 〈マカバイ記一第12章:〈ローマおよびスパルタとの友好関係の更新〉、〈ヨナタンとシモン兄弟の戦いぶり〉&〈トリフォン、ヨナタンを捕らえる〉with原稿入力時間の短縮を目指したい(2/2)。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第12章です。

 マカ一12:1-23〈ローマおよびスパルタとの友好関係の更新〉
 現在のユダヤを脅かす最も大きな敵即ちデメトリオスを排除したヨナタンは、これを契機に以前結んでそのままだったローマとの同盟関係を更新、いっそう強化させようと思い立ち、2人の使者を選んで派遣した。使者は、アンティオコスの子ヌメユオスとヤソンの子アンティパトロスという。かれらはローマ元老院と、スパルタなどローマの属州に宛てた書簡を携えていた。
 ヌメユオスとアンティパトロスはローマに着いてすぐ元老院へ赴いた。かれらがヨナタンの言葉を伝えたところ、友好関係の更新と強化について元老院から同意を得られたのだった。元老院はかれらが無事に帰国できるよう、帰路にある属州を治める役人たちに当てて書簡を認め、2人に渡した。

 ヨナタンがローマに派遣した2人の使者に持たせたスパルタ宛ての書簡;
 「あなた方との兄弟としての友好関係を更新するため、あえて書簡を送ることにした。それはあなたがたと疎遠にならないようにするためであり、あなたがたからの書簡も、ひさしく絶えているから出る。」(マカ一12:10)と。
 この間、ユダヤはスパルタを思い、日々の献げ物をささげ、スパルタの栄誉をわが喜びとしてきた。この間、ユダヤは周辺にいる異邦の王たちとの戦いを余儀なくされ、艱難辛苦の末にこれを破り、退けた。しかしわれらはどれだけ苦境にあろうとも友好関係にあるあなた方に対して救援を求めたりしなかった。なぜらならば、われらには救い手である天の存在があるからだ。
 今回わたしは2人の使節をローマへ派遣した。ローマとユダヤの友好関係を確認し、更新し、強化するためである。わたしはあなた方スパルタの人々が同じように友好関係をより良きものとしてくれることを希望する。これについてどうか、良きお返事を頂戴したい。

 マカ一12:24-38〈ヨナタンとシモン兄弟の戦いぶり〉
 ヨナタンはデメトリオス軍の指揮官たちが結集して、大軍を率いてユダヤへ戦いを挑もうとしていることを知った。そこでかれはエルサレムを発ってシリアのハマト地方へ出陣、奮闘して敵をユダヤ国内へ一歩たりとも踏み込ませなかった。
 敵軍へ送り込んでいた密偵が戻った。かれらが報告することには、終結した敵は夜襲の計画を立て、その準備を着々と進めている由。ヨナタンは兵士に、「決して寝てはならぬ」と命じて、一晩中敵襲に備えさせた。
 敵はこの様子を知るや、自陣に篝火を焚いたまま、わらわらと逃げていった。ユダヤ軍は朝になって敵陣に踏み込むまでこれを知らなかった。知ったからにはもう追うより他なく、かれらは即座に追走を始めた。が、敵は既にエレウテロス川を渡ったあとだった。ヨナタンはこれ以上の追撃を諦める代わりに、ザバタイと呼ばれるアラビア人の集団を討って戦利品を得、ダマスコへ入ってしばしの休息を取った。
 ──その一方でヨナタンの兄弟シモンもエルサレムを発って、アシュケロンやヤッファで敵と戦い、これを破っていた。ヤッファではそこの住民たちが砦をデメトリオス側の者に引き渡そうとしているのを知った。
 ダマスコから帰ってきたヨナタンは、このことを聞くと、長老たちと相談してユダヤ領内に新たな砦を築き、また、エルサレムの城壁をさらに高くし、要塞と町の間に高い塀を造って要塞を孤立させることを決めた。要塞内の者たちが市内に出入りすることができないようにするためだった。一方で市民が集まり、崩れていた東側の渓流沿いの城壁を修復した。ヨナタンも、カフェナタと呼ばれる城壁を再建した。

 マカ一12:39-53〈トリフォン、ヨナタンを捕らえる〉
 さて、トリフォンである。かれは自分がアジアの王となって覇権を握るには、ヨナタンの存在が極めて危険かつ目障りで邪魔である、と改めて認識していた。そこでかれを殺すため、軍勢を率いてエルサレムへ向かうが、トリフォン接近を知って出てきたユダヤの大軍に恐れをなし、却ってヨナタンを丁重に迎えてシリアの友人たちに紹介した。そうしてかれを友好の証として、プトレマイオスの町へ招待した。
 トリフォンは言葉巧みにヨナタンを誘導し、わずかの兵を除いて他は全員ユダヤへ帰還させることに成功した。プトレマイオスの町でヨナタン一行は住民の襲撃に遭い、ヨナタンは城門内に閉じ込められ、ヨナタンに従ってきた兵たちは殺された。
 トリフォンは歩兵隊と騎兵隊をガリラヤ地方へ展開させ、帰国途中のユダヤ軍を一掃しようと図った。プトレマイオスの町でヨナタンとかれに従っていった兵たちに起こったことを知ったユダヤ軍は覚悟を決め、命を賭して戦おうとしているのを知ったトリフォンの軍勢は、敢えて戦うことなくそのまま引き返した。為にユダヤ軍は全員無事に帰還することができたのである。
 ユダヤの人々はヨナタンの敗北/捕虜となったのを深く嘆き、かれに従った兵たちの冥福を祈った。全イスラエルが大きな悲しみに暮れた。そうして周囲の異邦人たちがそれに乗じてユダヤ人を滅ぼそうと狙っていた。

 これまでにもユダヤが軍事的な意味合いで、周辺諸国の目に脅威的存在と映ったことがたびたびありました。
 本章に於いてもそれは然りでありまして、アンティオコス6世を擁立したことで権力を掌握したトリフォンが、目の上のたんこぶのようにユダヤを扱い、その強さの根源というてよいヨナタンを捕縛したところからも、それは推察できましょう。プトレマイオスの町の住民が束になって襲いかかり、ヨナタンとかれに従うわずかの兵を捕らえ、殺したことを考えると、トリフォンが如何に弁舌巧みで人心操作に長けていたかが想像できましょう。ナチス・ドイツの総統ヒトラーも同じように弁舌巧みにして人心操作に長けた人物でありましたね。いつの時代も権力を握る者に必要な共通項は変わることがない、ということでありましょうか。
 スパルタについてご説明しておく方がよいでしょうか。世界史の授業でわれらは何度もこの名前を耳にしているはずですが、改めてスパルタがどのような町であったか、世界史小辞典のように簡潔に述べておくのも無駄ではないでしょう。──スパルタは、古代ギリシアの都市国家(ポリス)でした。軍事的に非常に強大かつ優秀であり、一時は周辺諸国に対して大いに影響力を持ったけれど、マケドニア王国の台頭と軌を一にするかのように没落してゆき、時代の覇者がローマに移ると共にこの属州として編入されたのでした。しかしそれでもかつての軍事大国スパルタは厳然と、その存在を周囲に知らしめて一定の自治権を認められていた、とのことであります。ヨナタンがローマ属州に宛てた書簡のうち特にスパルタ宛てのものが「マカバイ記一」で記録されているのは、そうした所以であるのかもしれません。
 エルサレムの町は未だシリアの手にあり、ヨナタンにとってこれの奪還は宿願であったことでしょう……。



 ここまでの所要時間は2時間弱、文字数は2,748語。通常よりもやや多め、しかし「マカバイ記一」になってからは当たり前になってきた分量です。
 とはいえ、斯くも時間がかかっているのは偏にミスタイピングが多いせいであろう。恥ずかしながらわたくしはブラインドタッチができる者ではない。習得しようとしてはいるが、なかなかどうして上手くゆかぬものである。タイピングのスピードは速いけれど、しばしば入力ミス、変換ミスを繰り返して、気附けば映画1本上映できちゃうぐらいの時間が経っていた。
 職場で暇な時間ができると、イントラ掲載のタイピングプログラムで練習し、自宅にいてもe-typingで各種パターンを試している。でも、どうしても特定のラインを超えることができない。むろん、K点だとかバッケンレコードなんていう記録を出すことはできないけれど、特定のライン/壁というべきか、それを超えられずにいるのだ。
 ブラインドタッチを習得することが急務、そうしてほとんど唯一の課題。そうすればもっと時間を短縮させられ、指の疲れも感じることなく、集中力が途切れることなく一本の原稿を仕上げることができるのかもしれない。普段なら、そうなればいいな、と呟いて終わるのだが、今回は違う。そうせねばならぬのだ。ブラインドタッチねぇ……パソコン使い始めたときからやや自己流でタイピングしてきてしまったからなぁ。今更悪習を絶つことはできるのだろうか? 否、絶たねばならない!◆

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第1628日目 〈マカバイ記一第11章2/2:〈ヨナタン、デメトリオスを援助する〉&〈アンティオコスとヨナタンの同盟〉withみなとみらいで雀がさえずる。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第11章2/2です。

 マカ一11:38-53〈ヨナタン、デメトリオスを援助する〉
 戦いが終わって地に平和が戻り、抵抗勢力もなくなったのを見るとデメトリオス2世は、先祖代々セレコウス朝に仕えてきた兵たちを解雇して、傭兵だけを残した。兵たちは皆、王を憎んだ。
 そのなかにトリフォンという者がいた。かれはアラビア人イマルクエを訪ねてシリアを離れた。というのも、このアラビア人はアレクサンドロス・バラスの遺児アンティオコスを養育していたからである。トリフォンはこの遺児を擁立してデメトリオスへ対抗しようというのだった。そうしてかのアラビア人の許より<錦の御旗>たるアンティオコスを連れてシリアへ戻ったのである。
 その頃ヨナタンはデメトリオス王に使者を送り、エルサレム要塞と各地の砦の町に駐屯中のシリア軍を撤収させるよう要求した。これを好機と見たデメトリオス2世は快諾し、即座に交換条件をかれに提示した。即ち、自分への抗議活動と抵抗運動を鎮圧させるため、ユダヤは軍を動員して王を援助せよ、と云々。ユダヤはこれを承けてデメトリオス王に加勢、抵抗する者たちを駆逐してかれらの土地を制圧。生き残った者たちはユダヤ軍の勢いに消沈し、王に和平を懇願した。双方は意義なく講和を結んだ。
 「こうしてユダヤ人たちは王と全国民の前で面目を施し、王国内に名を高め、多くの戦利品を持ってエルサレムに帰還した。しかし、デメトリオス王は、国の玉座に戻り、彼の前にその地が平穏に戻ると、前言を翻し、ヨナタンに対して態度を変え、ヨナタンから受けた恩恵に報いようとせず、彼をひどく悩ませるようになった。」(マカ一11:51-53)

 マカ一11:54-74〈アンティオコスとヨナタンの同盟〉
 ますます驕るデメトリオス2世の前に、アレキサンドロス・バラスの遺児アンティオコスを擁立するディオドトス・トリフォンが立ち塞がった。デメトリオスに裏切られた兵のすべてがトリフォンの下に参集し、かつての主君の退位と追放を求めて戦った。デメトリオスは敗走し、トリフォン率いる象部隊によって首都アンティオキアは制圧された。
 そうして各地でトリフォン=アンティオコス軍とデメトリオス側の残党が小競り合いを繰り返す。そのなかにはヨナタン率いるユダヤ軍もいて、今度はトリフォン側について戦っていた。トリフォン=アンティオコス軍は勝利した。ヨナタンは幼きアンティオコスより大祭司の職能と、ユダヤ、アファイレマ、リダ、ラマタイム各地方の統治を認められ、かつここにトリフォン=アンティオコス勢と同盟を結んだのである。またこの折、兄弟シモンはティルスからエジプト国境に至る地中海沿岸地帯の総司令官に任ぜられた。
 いまやシリア全軍がユダヤ軍と手を組み、親デメトリオスの残党に戦いを挑んだ。アシュケロンで、ガザで、ダマスコで、ガリラヤのケデシュで、ベトツルで。進撃は続いた。
 が、ハツォル平原にて異国人の部隊と戦ったとき、敵の策略にはまってヨナタンの軍は敗走した。軍の総司令官アブサロムの子マタティアとカルフィの子ユダ以外戦場に残った者はいなかった。──ヨナタンは敗走した。が、敗北ではない。かれは衣を裂き、頭から塵をかぶり、祈った。そうして再び戦場へ戻って戦い、親デメトリオスの異国人の軍隊を撃破して、これを退けた。
 ヨナタンはエルサレムへ帰還した。

 翻心と前言撤回は権力者、権力に群がる者の常なれど、代々仕えて戦ってくれた兵士の一斉解雇とそれに伴う反乱、友邦の援助という経験をしてなお、<裏切り行為>を続けるデメトリオス2世は、国民から総スカンを食らい、友邦から背を向けられても仕方ない、と思う。自業自得? そんな生易しい言葉では済まされないでしょうね。
 新キャラとしてアンティオコスの名を持つ者が登場しますが、これはアンティオコス6世(アンティオコス・ディオニュソス)といい、アレクサンドロス・バラスとクレオパトラ・テアの子であります。ふと、バラスの運命の物悲しさを思わされる箇所でありました。



 みなとみらいのヴェローチェで中年雀がさえずる。曰く、──
 MBP/MBAでドヤ顔、iPadでドヤ顔、iPhoneでドヤ顔。書き物していてドヤ顔、読書していてドヤ顔、独り音楽を聴きながらドヤ顔。いったいどこに差があるのだろう? 結局、見る側の偏見、断定、思い込み、もしくは羨望でないか。◆

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第1627日目 〈マカバイ記一第11章1/2:〈エジプト王の野心と死〉、第1627日目 〈ヨナタンの巧妙な駆け引き〉&〈ヨナタンにあてたデメトリオス王の書簡〉withパートナーはお前だけ。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第11章1/2です。

 マカ一11:1-19〈エジプト王の野心と死〉
 プトレマイオス朝エジプトの王プトレマイオス6世は、同盟相手アレキサンドロス・バラスの領土を狙って策略を練り、海と陸からなる軍隊を召集、編成していた。
 プトレマイオス6世は友好的な態度でシリアに入り、通過する町の住民から歓迎を受けた。というのも、プトレマイオス王はアレキサンドロス王の義父であったので、特別に歓待するように、という指示が出されていたからである。エジプト王は住民たちにも友好的な態度を崩さなかった。ゆえに自軍を駐屯させることもさして難しいことではなかった。
 また、アゾトの町に近附いた王とその一行に土地の者たちが寄ってきた。土地の者たちはヨナタンが焼き払った町の荒廃した様子、埋葬されることなく放置されたままな住民たちの亡骸を見せた。しかし王はそれに心動かされることはなかった。実を言えば、死体は王が通ることを知った土地の者たちがあらかじめ道に山積みにしていたのだった。一方で王が黙ったままでいたのは、いずれシリアにこの光景が拡大するであろうことを予期していたからだ。
 ヤッファの町に到着したエジプト王を、威儀を正してヨナタンが出迎えた。2人は挨拶を交わして、夜を明かし、翌朝エレウテロス川で別れた。ヨナタンはエルサレムに帰った。
 その後、プトレマイオス王はアレキサンドロス・バラスとの同盟を破棄し、新たにシリアの王デメトリオス2世と協定を結んだ。このエジプト王は、以前アレキサンドロス・バラスに嫁がせた娘クレオパトラ・テアを取り戻してデメトリオス2世と婚姻させ、締結済みの協定と同盟をより強固なものとした。「こうして彼はアレキサンドロスとたもとを分かち、二人の間の敵意はあらわになった。」(マカ一11:12)プトレマイオス6世はセレコウス朝シリアの首都アンティオキアに入り、アジアの王の冠を得て、エジプトとアジア両方の王冠を戴く者となった。
 アレキサンドロス・バラスは反乱鎮圧に赴いていたキリキア地方でエジプトが同盟を破棄、デメトリオスと協定を結んだことを知った。かれは直ちに反転してプトレマイオス征伐に向かったが、エジプト軍の攻撃に遭って敗走を余儀なくされた。アレキサンドロス・バラスはアラビア地方へ逃げ込んだが、彼の地でアラビア人ザブディエルの剣で首を斬られて命を落とした。首は献上品としてプトレマイオス6世へ贈られた。
 が、そのプトレマイオス6世も3日後に崩御した。シリア各地の砦の町へ駐屯するエジプト兵たちは、王の崩御を知って蜂起した住民によって皆殺しにされた。
 ──脅かす者はいなくなった。政敵はいずれも世を去った。斯くして前146年(第167年)、デメトリオス2世はセレコウス朝シリアの王位に就いた。かれの目の上のたんこぶは今やユダヤのヨナタンだけであった。

 マカ一11:20-37〈ヨナタンの巧妙な駆け引き〉
 プトレマイオス王とヤッファで会見した翌朝、ヨナタンはエルサレムに帰った。未だ完全奪回に至っていないエルサレムを再びユダヤ人の都とすべく、攻城機を組みあげたり町を包囲したりして、攻撃の準備を進めていたのである。
 この様子を、同胞ユダヤ人を憎み、律法に背く不埒者どもがデメトリオス王に報告、ヨナタンを讒訴した。王は憤慨し、ヨナタンに対して早々にエルサレムの包囲を解き、プトレマイオスの町に来て釈明するよう求めた。が、ヨナタンもすぐには返事をしない。エルサレム包囲を続けさせた。そうしてイスラエルの長老たちと祭司たちから同行者を選んで危険を顧みずエルサレムへ侵入、多くの金銀財宝を奪ってきてからプトレマイオスの町へ出発した。それは頑なになっていた王の態度を和らげるための土産品だったのである。事実、王はその金銀財宝を受け取ったことでヨナタンたちを歓迎したのである。
 再び、同胞ユダヤ人を憎み、律法に背く不埒者どもがデメトリオス王に接近して、ヨナタンを讒訴した。が、デメトリオス王はこれに耳を傾けない。かえってヨナタンとの友情を再確認し、かれを大祭司職に任じ、数々の栄誉を確かめ、自分の第一級の友人として遇するばかりでなくその筆頭格に据えたのであった。
 この機会にヨナタンはデメトリオスに以下のことを求めた。即ち、ユダヤ、サマリアから割譲・編入されたアファイレマ、リダ、ラマタイムの三地方、サマリアの租税の免除である。その代わり、300タラントンの支払いを、ヨナタンは王に約束した。

 マカ一11:30-37〈ヨナタンにあてたデメトリオス王の書簡〉
 前節のヨナタンの願い出を聞いた王は、それを了承する旨の書簡を記して、父ラステネスとユダヤの友人ヨナタンに送った。曰わく、──
 私デメトリオス2世はユダヤに対して恩恵を施す。つまり、ユダヤ、サマリア並びにアファイレマ、リダ、ラマタイムの三地方の全地域をユダヤ国民の土地とすることである。外地からエルサレムへいけにえをささげに来るすべての者から徴収していた、地の産物税と果実の税を廃止する。十分の一税やその他の諸税、塩税、王冠税、これらすべての税収をユダヤ国民に譲渡する。
 「今後永久に、これらの決定のうち一つとして取り消されることがあってはならない。」(マカ一11:36)
 それゆえ、ヨナタンは心してこの書簡の写しを作り、聖なる山の目立つ場所へ掲げるように。
──と。

 サマリアから割譲された地リダとはどこだろう? おそらく本章(マカ一11:34)が初出かと思われますので、備忘を主たる目的にしてちょっと書いておきます。この町の名前は、さんさんかが読書とノートに用いる新共同訳聖書巻末の地図6に載ります。ヤッファとエマオのほぼ中間にあるのがリダ。
 新約聖書「使徒言行録」第9章第32節にある挿話が、この町の名を読者の記憶に留めさせているかもしれない;「(使徒)ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいた聖なる者たちのところへも下っていった。そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。」
 このリダは少なくとも旧約聖書、旧約聖書続編に於いてはさして重要な役回りを果たさぬ町というてよいかもしれません。むしろこの町は新約聖書、イエス没して後の「使徒言行録」の時代に於いて(のみ)名が知られると申しあげてよろしいか、と思います。
 なお、「アファイレマ」はこれまでわれらは「エフライム」という名で知り、「ラマタイム」はサマリアの山岳地帯の町、預言者・士師サムエルの出身地にして埋葬地である「ラマ」という名でわれらは知っておりました。
 ここで読んだようにヨナタンは──というよりもユダヤは、先祖の都にして旧イスラエル王国/南王国ユダの王都エルサレムを奪還するには至っておりません。神殿を擁すシオンの山をどうにか取り戻したが精々の状態です。実質的な奪還にはヨナタンでなく次の指導者シモンの時代を待たねばなりません。イスラエルが完全に敵の軛から放たれる前143年(第170年)までには、ユダヤは幾つもの戦と悲しみを経験しなくてはならないのでした。
 あちこちでいわれていることですが、ヨナタンは権謀術数に長けた人であります。時の趨勢を見極め巧みに周辺の大国間を泳ぎ回り、都度優勢な側と協定・同盟を結び、結果としてユダヤ再独立、ハスモン朝勃興の道を整備した人でありました。とはいえ、斜め上からヨナタンを見た場合、日和見主義と当て擦られても仕方ないかな、と思うたりします。うむ。



 久しぶりの原稿となります。これは初めてMacBookAirで書く(清書/入力)する原稿であり、外にパソコンを持ち出して心地よい緊張感の下で書く原稿となる(なぜか近所のドトールにて)。そればかりでなく、約3ヶ月ぶりにATOKを用いて作成したものでもあります。
 一太郎ユーザーであり続けたせいもあるのかもしれないけれど、やはり自分にはATOKがいちばん馴染みます。ことえりやGoogle日本語入力で感じていた不満やストレスは、微塵も感じない。ただいま、ATOK。君がいちばん信頼できるよ。パートナーは君しか考えられない。◆

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第1626日目 〈マカバイ記一第10章3/3:〈アレキサンドロス大王とプトレイマオス王の同盟〉、〈ヨナタンの成功〉&〈ヨナタンとアポロニウスの戦い〉with原稿入力時間の短縮を目指したい(1/2)。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第10章3/3です。

 マカ一10:51-58〈アレキサンドロス大王とプトレイマオス王の同盟〉
 アレキサンドロス・バラスはプトレマイオス朝エジプトの王プトレマイオス6世に使者を送り両国の間に友好関係を築こうと提案した。また、6世の娘を自分の妻に欲しい、と願った。そうすれば自分は娘婿として、義父と妻にそれぞれふさわしい贈り物を捧げることができるだろうから。
 プトレマイオス王はこの申し出を受諾した。但し、プトレマイオスの町まで出てきてほしい、そこでわれらは会見し、娘をあなたに嫁がせよう。
 2人の王は地中海沿岸にある町プトレマイオスにて会い、婚礼の宴が設けられた。アレキサンドロス・バラス王、プトレマイオス6世、6世の娘にしてシリア王アレキサンドロスの妃となるクレオパトラ・テアにふさわしい絢爛たる婚礼の宴であった。時に前151年(第162年)。

 マカ一10:59-66〈ヨナタンの成功〉
 その宴席にはヨナタンも招かれていた。「ヨナタンは威儀を正してプトレマイオスに行き、二人の王と会見し、王たちとその友人に金銀、それに多くの贈り物をし、彼らの好意を得た。」(マカ一10:60)
 が、そこには律法に背く者ども、イスラエルの疫病のような男たちも集まっていた。この連衆はアレキサンドロス・バラス王にヨナタンについて讒言したけれども、王は賢明にもこれに耳を傾けたり一瞥することがなかった。
 王は、ヨナタンにいまの服を脱いで紫の衣に着替えるよう言った。かれがそうすると、今度は自分の隣に坐らせて、重臣たちを呼び、これからヨナタンを連れて町の中央へ行き、民衆の前でこう言ってくるのだ、と命じた。曰く、今後如何なることがあろうともヨナタンに対して讒言することは許さぬ、また如何なる理由があろうとかれを妨害することも許さぬ、と。律法に背く者ども、イスラエルの疫病のような男たちは紫衣をまとい王の栄誉を受けているのを見、また王の言葉を聞いて、すごすごと退散した。
 「王はヨナタンをたたえ、彼を第一級の友人の一人に加え、軍の指揮官及び地方長官に任命した。かくしてヨナタンは無事に、また満足してエルサレムに帰った。」(マカ一10:65-66)

 マカ一10:67-89〈ヨナタンとアポロニウスの戦い〉
 前147年(第165年)、セレコウス朝シリアに新たなる王位請求者が現れた。前王デメトリオス1世の子デメトリオスである。かれは虜囚の地クレタを出て先祖の地に入ったことを知ると、アレキサンドロス・バラスは不安になり、アンティオキアへ戻った。
 デメトリオスはフェニキアの総督アポロニウスにコイレ・シリアの総督をも兼務させ、ただ一人自分に刃向かう存在となったユダヤを滅ぼすため大軍を召集、出撃させた。アポロニウスはヤムニアに陣を敷くと、大祭司ヨナタンに書簡を書き送った。エルサレムを擁す山岳地帯でしか戦えないことを証明したいなら、平野部に降りてきてわれらと戦ってみせよ、と挑発する内容の書簡だった。「わたしが誰であり、我々の後ろ盾が誰であるか、聞いて教わってこい。」(マカ一10:72)
 憤慨したヨナタンは兵を率いてシオンの山から平野部に降り、敵の守備隊が駐屯するヤッファの町に向かって陣を敷いた。
 小競り合いの後、ユダヤ軍はヤッファの町を落とし、アゾトの町でアポロニウスが指揮する敵の本隊とぶつかった。後方からは敵将があらかじめ潜ませておいた1,000の騎兵が迫り、ユダヤ軍を包囲した。ユダヤ軍は終日攻撃に遭って苦しめられたが、ヨナタンの励ましによってよく耐え、防戦に務めた。
 やがてユダヤ軍に反撃の狼煙を上げる時が来た。敵軍の馬に疲れが見え始め、敵兵の足も乱れ始めたのである。ヨナタンはすかさず敵の密集部隊に切り込んで、粉砕した。セレコウス朝シリアの軍隊は退却してアゾトの町へ、町中にあるベト・ダゴンの神殿に逃げ込み、かれらの神に救いを求めた。ユダヤ軍はそのアゾトを、周辺の町もろとも焼き滅ぼした。「ヨナタンはその地を離れ、アシュケロンに向かって陣を敷いた。町の者たちが威儀を正し、盛大に彼を迎えた。」(マカ一10:86)ヨナタンはおびただしい量の戦利品を携えて、エルサレムへと帰って行った。
 ⎯⎯この戦果を聞いたアレキサンドロス・バラスは、ヨナタンに更なる栄誉を与えた。また、エクロンとその周辺地域すべてをかれの所領とした。

 ヤムニア、ヤッファ、アゾト、エクロン、アシュケロンはいずれもユダヤ西部の平野部に位置し、エクロン以外の町は地中海沿岸にあります。
 アゾトという町を、われらはかつてアシュドドという名で知っていた。その昔、奪われた契約の箱がこの町のダゴンの神殿に運び込まれたけれど、もたらされる災厄をペリシテ人が恐れ、この契約の箱をガドの町へ移した、という描写がサム上5:1-8にある。新約の時代になるとアシュドドはアゾトの名で呼ばれるようになった。旧約聖書の時代から新約聖書の時代へ、時間は確実に流れていることを実感させられますね。



 ここまでの入力と執筆に1時間18分43秒かかっています。これが早いかどうか、と訊かれたら、決して早くはない、むしろ遅い方ではないだろうか、と考える。
 挿話の要約(語り直しと開き直れるのはいつだろう?)部分は下書きが済んでいるのだから、そのまま入力すれば時間の短縮は図れる(筈な)のだが、どっこい事情はそれを簡単には許さない。あくまでそれは下書きであって決定稿ではないからです。
 推敲を重ねてきれいに清書したものをかたわらに置いていれば、もうちょっと時間の短縮ができるのではないか。タイピング・ミスなど他にも時間がかかる原因は思いつくが、まずは入り口から改めてゆくようにしないとね。
 原稿執筆の資料がぜんぶ電子書籍化されて、すこしでも安価に提供されていればなぁ。これが実現されていて、入力の段階で改めて聖書を読み直したり、資料に基づいて書き直したりする必要がなくなれば、もう少しきれいな、暫定決定稿というべき原稿が書けると思うのだけれど。絵に描いた餅なんかではなく、真剣なお話です。
 ちなみにここまでで1時間34分44秒。呵々。◆

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第1625日目 〈マカバイ記一第10章2/3:〈ユダヤ人にあてたデメトリオスの書簡〉&〈アレキサンドロスとデメトリオスの戦い〉、マカ一ブログ原稿に見る反省点/休んだ理由withディックの『ヴァリス』新訳について〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第10章2/3です。

 マカ一10:22−45〈ユダヤ人にあてたデメトリオスの書簡〉
 しまった、とデメトリオス1世は思った。ユダヤ人がアレクサンドロス・バラスと同盟を結び、自分たちの立場を強化するなど想定外の出来事であったからである。憂慮したかれは、ユダヤ人を味方にしようと誘いの書簡を書き送った。内容は、概ね以下の通りである、⎯⎯
 一、あなた方があたしに対してのみ忠実であり続けてくれるなら、恩恵を以て報い、以下のようにユダヤ人の負担を軽減しよう。
 一、全ユダヤ人の貢、塩税、王冠税、家畜税、十分の一税、租税を免除する。
 一、今後、私が受け取るべき収穫の1/3、果実の半分を放棄し、ユダの地及びサマリアとガリラヤからユダに編入する地から受け取ることはしない。
 一、エルサレムとその周辺を聖地とし、それまで私が持っていたエルサレムの要塞の支配権を放棄し、その権限は大祭司に譲る。
 一、王国内の各地に散ったユダヤ人の捕虜を全員、無償で解放する。
 一、安息日と、すべての祝祭日とその前後3日間、新月と記念日には、王国内の全ユダヤ人に休日と解放を約束する。これらの日々にユダヤ人が税の取り立てを強要されたり、不当な苦しみを受けることはない。
 一、ユダヤ人の成人男子30,000人を私の軍隊に加えて、王の兵たちと同等の待遇を与える。あれらの監督官や指揮官はユダヤ人のなかから選出され、任命され、その律法に従って歩ませる。
 一、ユダヤに併合されるサマリアの三地方は、大祭司一人の権威に服従させる。
 一、プトレマイオス朝エジプトとその属領をエルサレムの聖所に寄進する。私は、毎年の税収から銀15,000シェケルを与える。また、神殿に与えられるべきなのにそうされず余剰となっているものは、今後従来通り神殿の仕事に充当させる。
 一、聖所の収入から毎年徴収していた銀15,000シェケルを免除する。
 一、王に対する負債、その他のあらゆる負債を負ってエルサレムへ逃げ込んだ者たちの負債一切を免除する。
 一、聖所の再建と修築、エルサレムの城壁とその周囲の砦の再建、その他ユダヤの各地の砦の再建に掛かる費用は、すべて王の会計から支出することとする。
⎯⎯以上が書簡の内容である。

 マカ一10:46-50〈アレキサンドロスとデメトリオスの戦い〉
 が、ユダヤは⎯⎯ヨナタンとかれを戴く者たちは、デメトリオス1世の言葉を信じなかった。それ以前に聞き入れようとも思わなかった。かれらはデメトリオスがユダヤ人に対して行った非道の数々を覚えているのだ。むしろユダヤ人は、自分たちに和平を提唱してきたアレキサンドロス・バラスに好感を持った。ゆえにかれらは、アレキサンドロスと同盟を結んだのである。
 アレキサンドロスは軍隊を召集してデメトリオスの軍勢と戦った。「戦いは熾烈を極め、日没に至った。」(マカ一10:50)アレキサンドロス軍はデメトリオスの軍勢に圧倒されて敗走した。が、この戦いでデメトリオス1世は戦死してしまう。

 デメトリオス1世の提言。この部分だけを取り出せばなんと寛大な君主であろう、と錯覚すること間違いなし。が、本文にも書かれているように、ユダヤ人就中ヨナタンとその取り巻きは全くこれを疑い、鼻から検討する気もなく、より具体的な和平交渉を提案してきたアレキサンドロス・バラスに与することを決めたのである。
 それぐらいにデメトリオス1世が後のナチスや反ユダヤ団体によるユダヤ人弾圧と同じぐらい残虐な行為に及んだ、というよりは、むしろその提案のあまりにも現実性を欠いた点にあるというてよいでしょう。
 書簡を受け取ったヨナタンやユダヤ人たちの目が点になり、王の厚顔無恥ぶりに呆れる光景が目に浮かぶようでありませんか。デメトリオスは提言の内容を拡大しすぎた。それゆえに実現が疑問視される案までが話題に上った。王の甘言はユダヤ人の疑惑を招くだけだったのだ。自らの策に溺れた、というのが相応しい。哀れ、デメトリオス。ユダヤがアレキサンドロスに信を置いたのも至極当然であります。
 

 ちょっとこの数日反省していました。「マカバイ記一」に入ってからというもの、テキストをちゃんと読み込んで原稿を書くことを怠りがちでした。資料にあたって疑問点を解決したり、地理や人名、人間関係を整理したりすることに、神経を行き届かせることができませんでした。
 良くないことです。改善しなくてはなりません。少しでも質の良い原稿を作ってゆかねばならない。自分のためにも読者諸兄のためにも。先日吐露した、時間が経ったときに読み返して、「いちばん粗を見出し、いちばん改稿の筆を多く入れるべき」(第1618日目)と反省したのは、上述のような理由からでもありました。
 休んでしまった原因はまったく以て個人的な要因に拠るのだが、その一方で、気持ちを新たにして、以前のように真摯な態度で聖書読書と原稿執筆に打ち込まねばな、と己に言い聞かせてもいた期間でもあったのです。
 どうか読者諸兄よ、本ブログを見捨てたり、見離さないでほしい。わたくしも能う限りの努力をしてゆくから。



 フィリップ・K・ディック『ヴァリス』の新訳が先日刊行されました。ハヤカワ文庫SFより、山形浩生・訳。本作には既に大瀧啓裕による本邦初訳があった。初刊はサンリオSF文庫、後には創元推理文庫から藤野一友の表紙絵そのままに復活した。われらの世代にとって『ヴァリス』とはあくまで大瀧啓裕の翻訳であり、藤野一友の表紙絵であるがために、今回の新訳刊行は少しばかり複雑な気持ちで迎え入れることになる。
 山形訳は読みやすい。小説として楽しむ分にはなんの問題もない。ディックの教養に訳者が引きずられて、日本語が晦渋になって読書の酩酊に水を差すようなことは、この山形訳では経験しなかった。翻訳もすこぶる自然だ。が、そのぶん大瀧訳にあった或る種のいかがわしさ、経典としての立ち位置は失われてしまったように思う。本編は勿論だが、殊に釈義の翻訳では、やはり教養に裏打ちされた大瀧訳の方に軍配を挙げたい気分である。
 純粋に小説として楽しみたいだけで七面倒臭い部分はなるたけ敬遠したいなら新訳で、小説としてのみならず晩年のディックの思想をも視野に入れた濃厚な読書を経験したいなら旧訳で、ということになるでしょうか。
 個人的には、この新訳を読んだ感想を大瀧啓裕に聞いてみたい。そんな、あまのじゃくな魂胆も抱く。◆

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第1624日目 〈マカバイ記一第10章1/3:〈デメトリオスとヨナタンの同盟〉&〈アレキサンドロス王、ヨナタンに近づく〉with長い目で見守ろう;永野護『ファイブスター物語』休載に寄せて〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第10章1/3です。

 マカ一10:1-14〈デメトリオスとヨナタンの同盟〉
 前153年(第160年)、自らをアンティオコス4世の遺児と偽るアレキサンドロス・バラス(アレキサンドロス・エピファネス)は地中海沿岸の町プトレマイオスに上陸して、ここを占領した。デメトリオス1世はアレクサンドロス・バラスに対抗するため、おびただしい数の軍勢を派遣する一方、ヨナタンを同盟者とし、軍を動員する権限を与えたのである。それに伴い、王は自国領内のユダヤ人の人質を返還すると約束し、実行した。
 ヨナタンはエルサレムに入り、都の再建に取り掛かった。かれは作業員に、「城壁を作り、また四角形の石を使ってシオンの山を囲み、これを砦とするように命じた。」(マカ一10:11)
 以前バキデスが築かせた幾つかの砦にいた異国人はヨナタンの力が強化され、エルサレム入場を恐れて逃げ出し、自分たちの国へ帰っていった。が、ベトツルだけは未だ律法や掟を捨てた不敬虔な者たちの逃れの町として機能していた。

 マカ一10:15-21〈アレキサンドロス王、ヨナタンに近づく〉
 アレキサンドロス・バラスは、デメトリオスがヨナタンにした約束のことを知り、また、ヨナタンとその兄弟たち、その軍勢・支持者たちがこれまでセレコウス朝シリアに対して行ってきた抵抗の数々について仄聞した。そうして、ヨナタンを同盟相手に欲し、かれに書簡を送った。そのなかでアレキサンドロス王はヨナタンを大祭司に任命する、と約束する。
 前153年(第160年)の第7の月、かれヨナタンは仮庵祭にて大祭司の証したる聖なる衣を纏うた。その傍ら、軍勢をユダヤ中から召集して、たくさんの武器を準備した。

 セレコウス朝シリアの内紛が表面化する。正統なるシリアの王デメトリオス1世と、王位簒奪を狙う偽者アレキサンドロス・バラス。ヨナタンはこうした対立関係の発生に乗じて両者を観察、天秤にかけて、より優位な側を選んで同盟相手としてユダヤの存続を図る。
 事実、このあとのヨナタンの対外行動はまるで<鵺>のようだ。デメトリオス1世(同盟)→アレキサンドロス・バラス(臣下)→エジプトのプトレマイオス6世(栄誉)→デメトリオス2世(臣下の如く)→トリュポン(寝返り)→トリュポンの欺きにあって処刑さる、といったように。
 こうしたヨナタンの行動は、始めこそユダヤを想うての手段だったろうが、いつしか誰に即くのがいちばん得か、と算盤を弾く損得勘定になりはしなかっただろうか。
 いずれにせよ、国を想う一心がいつしか軌道を外れ、己の望みを成就させる結果となったのだ。それが如実に現れてしまったのが、アロンの家に連なるツァドク家の者のみが就くことのできる大祭司職を掌中にした点であったことは疑いもない。
 表面化しないまでもユダヤの一部に反感が募り、支持を失いかねない事態に陥ったこともあったかもしれない。土岐健治はこれに触れて、「マカベア戦争当初の理念からの離反・ハスモン家の実態が、ようやく明らかになってきたと見るべきであり、内部分裂は加速し、諸派叢生が促された」(『旧約聖書外典偽典概説』P27 教文館)と言う。納得である。



 『New Type』誌上にて昨年春から連載再開された永野護『ファイブスター物語』が来月号より休載。早くも、と言うなかれ。長く続いたものだ、と諦め口調でそう讃えるべき。単行本第13巻の準備のため、という理由とあっては致し方ない。
 とはいえ、この作者には映画『ゴシックメード』製作のためとかなんとか言いながら、都合約9年休載していたという前科があるから、第13巻がいつ発売になるのかなんて予定を聞かされても、にわかには信じ難いのである。
 まぁ、過去1年分にいつもながらの加筆・修正、コマ差し替え、表紙絵の作成、カラーページのリファイン等々、作者のやるべき作業は他の漫画のコミックス化よりずっと多いのは事実だから、第13巻刊行予告が実際に雑誌誌上に載るまで、長い目で見ていよう。そうね、やっぱり1年弱というところか? 奇跡的に陋屋に残留が決定した『リブート』既刊7巻を読み返しながら、その日が本当に来るのをお祈りしよう。
 ……でも、発売中の『New Type』今月号は絶対買っておかなくっちゃ、だな。だって……ファナの鎖骨!!◆

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第1623日目 〈マカバイ記一第9章:〈バキデス、アルキモスとの戦い、ユダの死〉、〈平和の回復〉他withリュックサックが欲しくてならぬ。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第9章です。

 マカ一9:1-22〈バキデス、アルキモスとの戦い、ユダの死〉
 ニカノル戦死の報を承けたデメトリオス1世は、再びバデキスを対ユダヤ戦の将に任じて、右翼精鋭部隊を与えて出発させた。バキデスらは行き手を遮る敵を排除して進み、前161年(第152年)エルサレムに向けて陣を敷いた。更にそこから出て、20,000の軍勢と2,000の騎兵を伴いベレトへ入った。
 ユダ・マカバイの軍勢は敵のあまりにも巨大なるを見て、恐れおののき、怯み、震えあがり、戦うを放棄して去った。残ったのはわずかに800。ユダ・マカバイには新たに兵を掻き集める時間の余裕もなく、ひどく狼狽した。少数の兵であっても勝利の可能性はある。かれは残った兵にそう説いたが、兵は皆一様に懐疑的であった。かれらはむしろユダ・マカバイに戦いを思い留まらせようとさえした。が、ユダ・マカバイにそれを聞き入れるつもはなく、「死ぬべき時が来たら、潔く死のうではないか。我々の栄光に汚点を残すことがあってはならない」(マカ一9:10)と言うばかりであった。
 斯くしてユダ・マカバイ最後の戦いが始まった。バキデス率いるシリア軍は強かった。バキデスは右翼精鋭部隊と共にあり、密集した部隊がその両側から接近してバキデスを守り、進軍のラッパを吹き鳴らした。
 ユダ・マカバイは敵将バキデスの所在を知り、攻撃をそこに集中させた。但し、右翼の陣営を破ることが出来たとはいえそれを壊滅させるには至らず、危機を知った左翼からの攻撃に遭い、進撃を阻まれた。戦闘は熾烈を極め、シリア軍・ユダヤ軍いずれにも相当の死傷者が出た。そうして戦いはユダ・マカバイの戦死という事態を伴って終結した。
 ⎯⎯ヨナタンとシモンは兄弟ユダ・マカバイの遺体をモデインにある先祖の墓に葬った。ユダ・マカバイの死を全イスラエルが哀しんだ。イスラエルを救う勇士は逝ってしまった。「ユダの行ったさまざまの業績、彼の戦い、その大胆さ、その偉大さは、書き尽くすことができない。あまりにも多すぎるのである。」(マカ一9:22)

 マカ一9:23-31〈ヨナタンが指導者となる〉
 ユダ・マカバイ亡きあとのイスラエルは、律法に従わない者たちがたくさん現れて、跋扈した。バキデスはなかでも不敬虔な者たちを選び出し、イスラエルの支配者に仕立てた。調子に乗った連衆はユダ・マカバイと縁ある者を探し出してはバキデスに差し出して、バキデスはその者たちを処刑した。
 「大きな苦しみがイスラエルに起こった。それは予言者が彼らに現れなくなって以来、起こったことのないような苦しみであった。」(マカ一9:27)
 事態を憂いたユダ・マカバイの友人たちが集まり、かれの兄弟ヨナタンの許に出掛けて、言った。どうか亡きユダ・マカバイに代わって民を導き、戦いの指揮を執ってください。⎯⎯斯くしてヨナタンは指導者として、指揮官として、兄弟ユダに代わって立ったのである。

 マカ一9:32-53〈バキデスとの再度の戦闘〉
 バキデスは、ヨナタンが新しくユダヤを率いる者となったことを知ると、ヨナタン殺害を企てた。が、この計画はヨナタンたちの耳に入り、為にかれらはテコアの荒れ野にまで退き、アスファルの貯水池に陣を敷いた。
 メデバ出身のヤンブリの者たちによって兄弟ヨハネが殺された。シリア軍との戦いが始まるに際して自分たちの携行品を、友人であるナバタイ人に預かってもらおうとして、その役にヨハネが任じられて出掛けた途次でのことであった。その報復にヨナタンは兵を選んで発ち、ヤンブリの者たちを全滅させると、戻ってきてヨルダンの沼地に陣を構え直した。
 バキデスはヨルダン川の東岸まで出陣した。ユダヤの安息日のことである。ヨナタンたちも同じ東岸へ出撃した。やがて戦闘が始まり、両軍は激しく衝突した。ヨナタンは自らの手でバキデスを討とうとしたが、バキデスはヨナタンを避けて後方へ退いた。ユダヤ軍はヨルダン川の対岸に泳いで渡り陣を立て直そうとしたが、バキデスはこれを追わせなかった。
 そのシリア軍はエルサレムへ入り、町とその周辺の砦の防備を強化した。各所に部隊が配備され、食糧も蓄えられた。また、ユダヤの指導者たちの息子を捕らえ、要塞化されたエルサレムに監禁した。

 マカ一9:54-57〈アルキモスの死〉
 前160年(第153年)、聖所の中庭にある仕切り壁の撤去を命じたアルキモスは、その作業中発作に見舞われて死んだ。バキデスはアルキモスの死を見て、王のところへ戻った。
 以後2年、ユダヤの地は平和だった。

 マカ一9:58-73〈平和の回復〉
 バキデス不在の間、律法に従わぬ不敬虔な者どもが集まり、こんなことを話し合った。見ろよ、ヨナタンとその部下たちはすっかり安心して平穏に暮らしている。バキデスを呼び戻そうではないか、かれならヨナタンたちを一晩のうちに一網打尽としてしまうに違いない。そうしてかれらはバキデスのところへ行き、計画を練り、細部を詰めた。
 バキデスは大軍を率いて出発した。かれはユダヤ中の同盟軍へ秘密裡に書簡を送り、ヨナタン率いるユダヤ軍掃討に協力するよう要請した。が、計画は漏洩し、ヨナタンはバキデスの計画に同調したうちで土地の者50人を処刑した。
 シリア軍とユダヤ軍はベトバシで相見えた。ヨナタンとシモンは別に行動してシリア軍に打撃を与えた。バキデスの策略も戦術もすべてが水泡に帰した。かれは自分を唆して遠路ここまで連れ出した律法に不敬虔な者たちをことごとく斬殺し、自分の国へと引き上げることを決めた。
 それを知ったヨナタンは使者を派遣してバキデスに和平の締結と捕虜の返還を交渉させた。バキデスにとってもこれは悪くない提案だったので、さっそく同意して和平の締結と捕虜の返還を約束した。そうしてシリア軍の将バキデスは自分の国に帰り、もはやユダヤの領土へ侵攻することはなかった。
 「イスラエルでは剣はさやに納まり、ヨナタンはミクマスに住んだ。こうして彼による民の統治が始まり、不敬虔な者たちはイスラエルから一掃された。」(マカ一9:73)

 バキデスは対ユダヤ戦の不毛・無意味なることを悟っていたのかもしれません。「マカバイ記一」の記述を読んでいても、疲弊した消耗戦のようにしか読むことができない。馬鹿馬鹿しくなってしまったのでしょう、かれはユダヤと和を結び、ユーフラテス川の向こうにある自分の国へ帰還します。その道すがら、かれの胸中に飛来していたものはなんだったのでしょうね。
 本章を読んでいて頭を悩まされたのは、やはり地理にまつわる部分でした。マカ一9:33,42,43-48に於けるヨナタン側の地理が今一つよく理解できなかったのです。
 マカ一9にて「荒れ野」と称されるテコアは死海の西に広がる地域、かつて預言者アモスの出身地としてわれらが知っていた場所であります。マカ一9:33に出る「アスファルの貯水池」はテコアの荒れ野のどの辺りにあったのでしょう。「ヨルダンの沼地」(9:)はヨルダン川東岸を指すと考えて良いでしょうか? わたくしは出掛けたことがないのですが、今日でもヨルダン川東岸には沼地となっている場所があるのでしょうか。
 ヨナタンの台詞、「背後はヨルダンの流れで、しかも我々は沼地と林に囲まれて」(9:45)云々とあるところから、ヨナタンがヤンブリを全滅させて陣へ戻るまでに、ユダヤ軍はテコアの荒れ野にあると思しきアスファルの貯水池の傍らからヨルダン川東岸へ陣を動かして、そこで待機していたことになります。どのようなルートを辿って移動したのだろう? 死海の南を回って東岸部を北上、ヨルダン渡河をすることなくバキデス率いるシリア軍の前に出た、とはさすがに考えにくい。それこそ時間と労力の無駄でありましょう。無意味な南下ルートを辿っている間、守備の薄くなった、殆ど無防備に等しいユダヤの地をシリア軍が攻めたら、ユダヤ軍は為す術がありませんしね。
 死海西岸部を北上してからヨルダン川を渡り、バキデスのシリア軍と向かい合った、と考えるのがいちばん自然であります。戦いが始まる前、ユダヤ軍の正面にはシリア軍がいて、背後にはヨルダン川がある。かれらが陣を置いているのは沼地と林に囲まれた場所。……わたくしが最初の読書で頭を悩ませたのは、ユダヤ軍が如何なるルートでテコアの荒れ野からそこへ移動したのか、ということでありました。
 今回のことに絡めて申し上げれば、最初の読書は基本的に外で行われることが多いため、持ち歩ける資料は殆どありません。iPhoneからインターネットで調べるにしても、限界があります。電子書籍で信頼できる辞典や地図が購入・閲覧できるのであれば別ですが、調べた範囲ではそのようなものはありませんでした。殊地理については最初の読書ではわかりづらく、地図と辞典を並読して組み立てるより他なく、モレスキンに書いた、この地理についての疑問はいま読むと赤面ものであります。
 本稿を清書するにあたり、改めて架蔵する資料類をあたってみたところ、以上の不明点が概ね判明したので、余計な恥をかかずに済んで安堵しているところであります。
 それにしても、「マカバイ記一」の著者はユダヤの地理に通じた人物だったのかもしれませんが、もう少し詳しく書いてくれてもよかったんじゃないのかな、と愚痴の一つ二つも言いたくなります。



 リュックサックが欲しい。MacBookの購入が具体化したいま程、新しいリュックサックを真面目に物色しているときはありません。ただでさえ荷物が多いのに、その上ノートPCが加わるとなれば、軽くて容量の多いものを探すことに真剣になるのは仕方のないところ。
 AppleStoreに気になるリュックサックはあるけれど(カートには既に入っている)、量販店等で同じものにお目にかかったことがない。つまり、実際に背負ってみたり普段持ち歩く荷物を入れてみたり、という<お試し>ができないので、本当にこれで良いのかなぁ、と迷ってしまうわけです。それまではこれ以外にない、と思うていた商品でも、購入が現実味を帯びてくると情けないぐらいに意思/決断がブレてしまうのですよね。
 ノート2冊を入れたモレスキンのフォルダー、ペンケース、バッテリ、本数冊(聖書と概説書、レヴュー用の本、村上春樹の短編集+α)、iPod touch、折りたたみ傘、財布。これらを収められる、軽くて容量の大きいリュックサックはなかなか店頭でも見附からないのですよね。
 今月は悩み事が多い。MacBook AirかMacBook Proか。どのリュックサックにするか。どのメーカーの無線LANルーターにするか。iPod classicも一緒に買ってしまおうか。……物欲の季節というわけではありませんが、殆ど同時に必要になるものばかりだから致し方ない。
 うぅん、んんん、悩みは尽きないよ。◆

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第1622日目 〈マカバイ記一第8章:〈ローマ人についての報告〉&〈ローマとの同盟〉with昨日の話の続きと、MacBookを買いますよ、という話。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第8章です。

 マカ一8:1-16〈ローマ人についての報告〉
 その頃ユダ・マカバイは人伝にローマ人の評判を聞いた。聞くところによればローマは軍事的に優れて強大で、アンティゴノス朝マケドニアの王フィリポス2世とペルセウスを倒してその地を征服し、アンティオコス朝シリアの王で<大王>を名乗ったアンティオコス3世を破ってかれのみならずアンティオコス・エピファネスやデメトリオスを人質にしていた、という。
 シリアにはインド、メディア、リディア、その他かれらの領土で最上の土地をローマに割譲するよう求めた。それらの土地はアッタロス朝ベルガモン王国の王で、かつてマグネシアの戦いでアンティオコス3世を破ったエウメネス2世に与えられた。
 領土奪回のためギリシア人は撃って出たが、ローマの軍隊に駆逐されて捕虜となり、却って略奪を恣にされ、更なる制圧を余儀なくされている。斯くしてギリシアは今日に至るまでローマに隷属しているのである。
 ユダ・マカバイはそう聞いた。
 「しかしローマ人たちは友好国や彼らに依存している国々とは、友好関係を維持したが、遠近を問わず王という王を制圧したため、その名を聞く者はだれでも、彼らを恐れるのである。 彼らが後ろ盾となって王にしようとする者は王となった。しかし、彼らが失脚させようとする者は失脚した。こうしてローマ人の名声は大いに高まった。
 だが、こうしたことにもかかわらず、彼らローマ人のうちだれ一人として、栄誉を願って冠をつけたり、紫の衣を身に着けたりする者はいない。彼らは自分たちのために元老院を設置し、三百二十人の議員たちが、民衆に秩序ある生き方をさせようと、日々検討を続けている。 彼らは、自分たちを統治し、自分たちの全地を支配する人を年ごとに一人信任する。そしてすべての者が、この一人の者に服従する。そこにはねたみもなければ、うらやみもない。」(マカ一8:12-16)

 マカ一8:17-32〈ローマとの同盟〉
 この報告を受けたユダ・マカバイは、さっそく使節を2人、ローマへ派遣した。ギリシア人の王朝が自分たちの上に覆い被さり、軛となっていたからである。
 道程は険しく、遠かったが、使節は無事ローマに到着し、元老院に通された。渡羅の目的を訊かれて、かれらは答えた。「あなたがたと同盟平和関係を樹立し、あなたがたの同盟国、友好国として書き加えられるためであります」(マカ一8:20)と。
 ローマにとってこの申し出はとても好ましいものだった。セレコウス朝シリアへ内政干渉するまたとない好機だったからである。ローマは同盟の覚え書きを記した書面をエルサレムへ送った。その内容は以下の通りである、⎯⎯
 ローマ或いはローマの同盟国で戦争が起こったらば、ユダヤは直ちに挙兵して全力でこれに当たり、他国と協同して戦うように。敵に武器や食糧、移動手段、金銭を与えるなかれ。これはローマで取り決められた通りである。勿論、ローマ或いはその同盟国は、ユダヤが戦争状態になったとき全力を挙げてこれを守り、協同して戦う。「守るべきことを守り、偽りなくこれを実行する。」(マカ一8:28)この同盟に加えられるべき事柄、削るべき事柄あれば、双方合意の上でこれを加除する。同意なくしての変更は無効である。
 なお、シリアの王デメトリオスには既に警告の書簡を送ってある。つまり、「もし、ユダヤ人があなたのことでなおも嘆願するならば、我々としても彼らのために断を下し、海陸から、あなたに対し戦いを挑むであろう」(マカ一8:32)と。
 ⎯⎯エルサレムに送られた、ローマとユダヤの同盟の覚え書きの内容は、概ね以上の通りである。

 このあたりからユダヤが本格的に世界史の表舞台へ登場する。きっかけは、ローマの台頭とシリア・パレスティナ地方の情勢不安定。ローマはシリア進出の口実としてユダヤの同盟請願を受け入れ、シリアは対ローマの後衛或いは協力者としてユダヤとの関係を築こうとする(マカ一10:15-11:25)。しかし実際ローマはユダヤに軍隊を派遣したことはなく、シリアが出した和平案をユダヤは例外なく破棄したという。
 そろそろわれらも高校時代の教科書を押し入れの奥から出してきたり、大河ドラマの時期になると更に売れ行きが良くなる山川の世界史を開いてみる頃になったのかもしれません。



 昨日の話の続きをちょっとだけ。
 結局ADSLはプロバイダ契約ともども解約して、ケーブルテレビの無線LANに乗り換えることにしました。アドレスを残すかどうか迷うところですが、今月中には無線LANルーター買ってきていろいろ設定とかしないとな……。ますます休みの日にはどこにも出掛けなくなる。困ったものです。
 でも、いずれは、と思うていたので、ちょっと時期が早くなっただけのことなんですよね。
 ……あ、来月当たり、MacBookを買うことにしました。ただし、この期に及んでMBAにするかMBPにするかで悩んでいる。いま検討中のモデルだと重さは0.5kgぐらいしか違わないのですよ、ケースを含めればもう少し違いは出るのでしょうが。年がら年中腰が痛い、と呻くわたくしにとって重量の問題は軽視できないことなのです。
 おまけに持ち歩く本がね、そこそこ目方のあるものですから。うん、聖書っていう本なんですけれどね。こればかりはタブレットで代用できないのだ(iPadなんていらないよ、と言うているわけではない)。ゆえに荷物は多くなり、重くなり、リュックは大きく容量があればあるだけ良い、という話になってしまうわけであります(それが正義!)。
 iMac購入から半年も経たぬうちに、MacBookを買う夢が現実になろうとは、自分自身びっくりしています。ますますAppleの思う壷……。◆

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第1621日目 〈マカバイ記一第7章:〈デメトリオスの支配と弾圧開始〉、〈アルキモスの策略とその結果〉他withわたくしのせいではないのだ。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第7章です。

 マカ一7:1-11〈デメトリオスの支配と弾圧開始〉
 前162年(第151年)、セレコウス4世の子デメトリオスがローマを脱出してシリアに来た。先祖の王宮へ入ろうとしたとき、親デメトリオスの兵たちがアンティオコス5世とリシアスを捕らえてかれの前に連れてきた。2人はデメトリオスの命令で処刑された。斯くしてかれはセレコウス朝シリアの新しい王となり、デメトリオス1世を名乗った。
 イスラエル中から律法に従わぬ不敬虔な連衆が、王の許にやって来た。その筆頭格は、アロンの家系で大祭司職を狙うアルキモスだ。かれはユダヤ民族を批判し、訴えた。
 王の友人を皆殺しにして、われらを追放したのはユダ・マカバイとその兄弟たちです。どうか信頼される方をわれらに遣わし、王国の地に満ちたユダ・マカバイとその軍勢による破壊行為の一切をその方に見させ、報告させてください、ユダ・マカバイとその兄弟たち、かれらを支える者たちを一掃してください。
 デメトリオス1世はアルキモスの訴えを聞き入れ、ユーフラテス川東岸地方の総督バキデスを派遣することに決めた。そうしてバキデスは大軍を引き連れてユダヤ一掃のために出陣したのである。
 バキデスは予めユダ・マカバイに和平策を提案した。が、既に大軍迫るを知り、和平も偽りであることを知っていたユダ・マカバイはそれを破棄する。

 マカ一7:12-25〈アルキモスの策略とその結果〉
 その頃、「ハシダイ」と呼ばれる律法学者の一団がバキデスとアルキモスに接触し、公正な判断を下すよう熱心に説いていた。アロンの家系に連なる者が自分たちを不当に扱うわけはない、と考えてのことである。
 アルキモスは甘言を操ってハシダイを安心させ、かれらに自分を信用するよう促した。そうした上で、ハシダイのうち60人を捕まえてその日に全員を殺したのであった。
 これにイスラエルの民はおののき、セレコウス朝への恐怖を募らせた。かれらは口々に言った、「あの者たちには真実も正義もない。だからこそ、取り決めも立てた誓いも破ってしまったのだ。」(マカ一7:18)
 アルキモスは大祭司の職を守るため、不敬虔なる者どもを集め、ユダヤの大地を荒らし、イスラエルに深刻な打撃を与えた。ユダ・マカバイは周辺のユダヤ領全域に出兵して、これを撃ち倒した。アルキモスはユダヤの強力なることを思い知り、王の許へ帰っていった。そうしてユダヤを悪しざまに罵った。

 マカ一7:26-32〈ニカノルの攻撃〉
 次にデメトリオス1世が派遣したのは、武勇の誉れ高くイスラエルを憎悪するニカノルであった。王からイスラエル殲滅を命じられたニカノルは、大軍を率いてエルサレムへ入り、ユダ・マカバイに和平策を提案した。しかし、ユダ・マカバイがこの提案も偽りであることを見抜いたため、これは棄てられた。
 ニカノルはカファルサラマの地でユダヤ軍と対決したが、兵を犠牲にするだけの戦いに終わった。ニカノルは敗走して、エルサレムへ逃げ込んだ。

 マカ一7:33-50〈ニカノルの神殿冒瀆とユダヤ軍の勝利〉
 エルサレムへ逃げ込んだニカノルは、その後シオンの山に足を踏み入れた。神殿では祭司や町の長老たちが和やかな物腰で敵将ニカノルを迎えた。かれはユダヤ人を鼻であしらい、嘲笑し、罵倒し、傲慢な口を利いて神殿とその諸事、儀式一切を冒瀆したのである。
 もしいますぐユダ・マカバイ・マカバイとその軍勢を引き渡さないなら、この神殿を焼き払ってやる。そうニカノルは言って、シオンの山を立ち去った。
 祭司たちは祭壇の前で泣いて言った。あなたの民の祈りと願いの家を冒瀆したニカノルを罰して、かれらを生き永らえさせないでください。
 ⎯⎯シオンの山を立ち去ったニカノルは軍勢を率いてベト・ホロンに陣を敷いて、ユダヤ軍を迎え撃つ用意を整えた。ユダ・マカバイもアダサの地に陣を敷き、ニカノルの軍勢との戦いに備えたその地でユダ・マカバイは祈った。
 そうしてアダルの月13日、両軍は武力衝突した。ニカノルが真っ先に倒れたことで、かれの軍勢は総崩れとなった。ユダヤ軍は一昼夜の距離にあるゲゼルまで敵を追い、周辺の村々の住人の助けもあってこれを討ち滅ぼした。誰一人、セレコウス朝の兵は生き延びられなかった。民はこの日を非常に喜び、毎年アダルの月13日を記念日として祝った(ニカノルの日)。
 「しばらくの間ではあったが、ユダの地には平和が訪れた。」(マカ一7:50)

 あちこちに陣を敷いてユダヤ全土を戦いに疲弊させる、ユダ・マカバイ率いるユダヤ軍と諸将率いるセレコウス朝の軍隊。地名と地図を一々追い、確かめるのも大変なので、「エルサレムを中心にした各地で両軍は戦いを繰り広げて、いずれかがその度勝利した」という程度の認識で良いと思います。
 デメトリオスが入城した「先祖の王宮」はアンティオキアのことでしょうね。先日わたくしは「エルサレム=アンティオキア」なのか、「エルサレム≠アンティオキア」なのか、不明である旨、当該日の原稿に記しました。
 これは後者が正しく、アンティオキアはセレコウス朝の祖セレコウス1世の建てた町で、セレコウス朝シリアの首都。現在もトルコに同じ名前の町があります。ここからエルサレムは約370キロ乃至は380キロ、というところでしょうか。
 恥ずかしいにも程のある誤りでした。お披露目済みでこの誤りに基づいて書かれた記事については後日折を見て訂正、再公開をし、既に書かれているがまだお披露目されていない原稿については判明した事実に基づいて適宜修正、完成記事を公開してゆきます。己の蒙昧を図らずも暴露する結果となり、慙愧の念に絶えません。大変申し訳ありませんでした。



 わたくしの部屋はまだADSLなのですが、そろそろ無線LANにしようかな、と考えています。iMac購入前後から計画していたのですが、iPhoneがあり、じきにMacBook Airが加わることも思えば、導入も時間の問題となりましょう。
 おまけにiMacでも使えますよ、と言われて鵜呑みにしていたプリンタが実は使えないことが発覚し、仕事柄好い加減使えるプリンタがないと困る状態になってきており、それゆえに無線LAN対応のプリンタを購入しようか、と考えると、ADSLとはお別れを告げる時が来ていることをひしひしと感じていた矢先に、地元のケーブルテレビに電話回線の変更等を申し込みました。
 が、調査・契約から2週間ほど経ってもうすぐNTTから切り替わるタイミング、つまりいまになって今後ADSLが使えなくなるかもしれません、これから調査に行きます、なんていう世迷い事を言うてきた。調査のとき、切り替えてもなんの支障もなくADSL回線は使えますよ、ご安心ください、と太鼓判を押されたから、夏頃までに無線LANの導入をすればいいか、と買い物の優先順位をMacBook Airと交換したのに、今更なにか、その掌返しは。
 ADSLが使えなくなると、無線LANの導入・構築までは本ブログの更新が滞る可能性はほぼ100%に等しい。これがなにを意味するか、彗眼の読者諸兄にはご推察いただけよう。わたくしのせいではないのだ。◆

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第1618日目 〈マカバイ記一第6章:〈アンティオコス・エピファネスの死〉、〈アンティオコス・エウバトルの攻撃〉他withTwitter始めてみました。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第6章です。

 マカ一6:1-17〈アンティオコス・エピファネスの死〉
 国庫を満たすため、アンティオコス4世はアンティオキアを経ってペルシア・メディア地方への遠征を行ったが、それは失敗に終わった。のみならず、王自身かの地で客死したのであった。
 かれは自らを襲った苦痛の原因がエルサレムで犯した数々の悪行にある、と、死の床で考え、集まった友人全員に言った。「こうした不幸がわたしに降りかかったのは、このためなのだ。見よ、わたしは大きな苦痛を負って、異邦にあって死ぬばかりである。」(マカ一6:13)
 王は信頼篤い友人フィリポスに、全王国の統治と支配を任せた。王冠や指輪など王権を象徴するそれらを、任命の証とした。また、自分の息子アンティオコスを将来の王とすべく、フィリポスに指導と養育を委ねた。
 ⎯⎯それを聞き及んだアンティオキアのリシアスは直ちに、幼い頃から養ってきた王子アンティオコスを王位に就けた。これがアンティオコス・エウバトル、即ちアンティオコス5世である。時に9歳であった。

 マカ一6:18-32〈アンティオコス・エウバトルの攻撃〉
 聖所周辺にイスラエルの民を封じ込め悪行を重ねる要塞守備を一掃しよう、とユダ・マカバイは考えた。が、自分たちの陣営から離脱者が出て敵に合流し、逆にアンティオコス5世にユダ・マカバイの軍勢を排除・一掃するよう嘆願したのである。「もし先手を打って彼らを捕らえなければ、彼らはもっと大がかりなことをするでしょう。そうなればあなたは彼らを抑えきれなくなります。」(マカ一6:27)
 王は怒り、王国内のみならず周辺諸国、地中海の島々からも兵を集めて体制を整えた。そうしてユダに従くイドマヤ地方の要塞ベトツルに対して連日攻撃を加えた。一方ベトツルの防衛隊は一歩も敵の攻撃に怯むことなくここを死守し、果敢に戦ったのである。
 ⎯⎯ユダ・マカバイはシオンの山を出て、西方10キロの位置にあるベトザカリアへ赴き、そこに陣を敷いた。

 マカ一6:33-47〈ベトザカリアの戦い〉
 セレコウス朝シリアの軍隊も同様に陣を敷き、隊を整え、武装して、ユダ・マカバイの軍勢を迎え撃った。
 この戦闘でユダの弟エレアザルが戦死した。防具を着けた一際大きな象にアンティオコス5世が座乗していると考え、大胆にも密集した敵軍に突っ込み、象に痛手を負わせて命を奪ったものの、その下敷きとなってしまったのである。
 ユダ・マカバイは敵の強力なることを目の当たりにし、自軍を後退させた。

 マカ一6:48-54〈シオンの山の包囲〉
 アンティオコス5世は続けてシオンへ上り、神殿を擁す山を包囲した。それは長期間に渡った。
 ユダ・マカバイとその軍勢は抵抗したが、籠城を支えるだけの食糧は底を尽いていた。戦禍と不作を避けてシオンの山へ逃げ込んできた異邦人たちに、食事を与えなければならなかったからである。
 最悪なことにその年、大地は安息していた。飢えが民を苦しめ、人々の多くが聖所を去った。

 マカ一6:55-63〈リシアスの和睦の提案〉
 前王の信を受けたフィリポス帰還の知らせを聞いたリシアスは、ひとまずアンティオキアへ戻った。そうして王アンティオコス5世や軍の指揮官、兵たちに、ユダヤ人との和睦を提案した。いわく、⎯⎯
 「我々の力は日ごとに衰え、食物も乏しく、しかも包囲している場所は強固だ。王国の命運は我々の双肩にかかっている。この際、この人々には和解の印として右手を差し出そう。そして彼らおよびその民族全体と和を結ぼうではないか。 また彼らに、従来どおり自分たちの慣習に従って生活することを許してやろうではないか。彼らが怒って、抵抗しているのは、我々が彼らの慣習を破棄させようとしたからだ。」(マカ一6:57-59)
 この提案は双方にとって得策であったため、セレコウス朝もユダヤもこれを受諾し、直ちに和睦が結ばれた。王と指揮官が誓ったことで、シオンの山のなかにいるユダヤ人たちもこれを信じたのである。
 が、アンティオコス5世はシオンの山の守りが堅固なるを見るや和睦を破棄し、シオンの山の砦を破壊した。それから自分たちの留守中に戻ってアンティオキアを支配するフィリポスを退け、武力を以て町を奪還した。

 アンティオキアはエルサレムである、と考えてきましたが、果たして両者は同一の町と判断してよいのだろうか。「マカバイ記一」の記述を読んでいると、地理関係の不明なることと併せて頭を悩まされれるのが、この「アンティオキア=エルサレム」或いは「アンティオキ≠アエルサレム」なのか、という点であります。仕事帰りに図書館で聖書辞典の類で調べてきます。つくづく旧約聖書続編に対応した聖書辞典が欲しいです。
 さて、今回の原稿、他の日に較べて多少なりとも簡潔になったように思うのですが、如何でしょうか。でも、……本章の原稿を書いた数日前の時点ではこれでも構わなかったが、いまパソコンに入力しながら読み直していても、不満と不明が出て来ます。たとえば半年後、一年後に顧みていちばん粗を見出し、いちばん改稿の筆を多く入れるべきと考えるのは、おそらくこの「マカバイ記一」ではあるまいか。が、いまは丹念に手を加えるべき時ではない。不完全であっても完結させること。それが大事だ。言い訳? 否、責任の所在を明らかにしただけであります。



 Twitter始めました。情報収集目的で始めたものだが、欲が出て、ときどき呟いてみたりしている。これを使いこなせれば、きっと楽しいのかもしれないなぁ……。◆

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第1617日目 〈マカバイ記一第5章:〈隣接諸民族との戦い〉、〈ギレアドとガリラヤ在住のユダヤ人の危機〉他withドラマ『スリーピー・ホロウ』を観ています。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第5章です。

 マカ一5:1-8〈隣接諸民族との戦い〉
 シオンの山に神殿が再建され、昔日の栄光は取り戻された。が、周辺の諸民族はこれを不快極まりない出来事と考えた。激怒したかれらはヤコブの子孫たちを一掃し、これに従う民の根絶やしを謀った。
 ユダ・マカバイ。かれはイスラエルを包囲し、民に対するつまづきや罠となり、かつ苦しめる敵に対して戦い続けて、これらを撃ち破った。イドマヤ、アンモン、ヤゼルといった地方の敵がユダ・マカバイの軍勢の前に倒れて悠希、それに伴いイスラエルの勢力は拡大していった。

 マカ一5:9-20〈ギレアドとガリラヤ在住のユダヤ人の危機〉
 さて。その頃北方のギレアドとガリラヤに危難が訪れていた。それらの地方に住む異邦人によって、ユダヤ人一掃の計画が立てられていたのである。彼の地のユダヤ人はシオンのユダ・マカバイらに宛てて、救援を乞う書簡を送った。助けて、ユダ・マカバイ、あなただけが頼りです、という風に。
 さっそくシオンのユダヤ人は大集会を開いた。いまこの瞬間も艱難のなかにあって異邦人の攻撃に苦しめられている同胞たちのために、果たしてなにを成し得るかを協議するためである。
 その席上、ユダ・マカバイは兄シモンに言った。3,000の兵を率いてガリラヤへ行き、同胞の救出に当たってください。わたしは与えられた8,000の兵を率いてギレアドへ向かいます。
 続けてかれは、自分の留守中ユダヤを守る者として、ザカリヤの子ヨセフと民の指導者アザリアを任命した。出陣前にユダ・マカバイは、ヨセフとアザリアに言った。われらが不在の間は決して敵と戦うな、と。が、この指示は守られなかったのである。
 そうしてシモンとユダ・マカバイは軍勢を率いて、それぞれ目指す地に向けて出発した。

 マカ一5:21-45〈シモンとユダ、同胞を救出〉
 シモンはガリラヤの異邦人と戦い、眼前の敵を一掃した。敵兵から武具を剥ぎ取り、戦利品として多くの物を略奪した。斯くしてシモンとその軍勢は、ガリラヤ地方とアルバタ地方に住む同胞たちを解放して、ユダヤへ連れて帰った。
 一方ユダ・マカバイはヨルダン川を渡ってギレアド地方へ入り、同胞たちの現状について地元のナバタイ人から情報を得ていた。ユダヤ人たちの多くが、ボソラ、アレマのボツル、マケド、カルナイムなど、強固な守りで固められた大きな町に閉じ込められており、明朝にも異邦人たちがそれらの町に攻め込んでユダヤ人を全滅させようとしている、ということだった。
 ユダ・マカバイとその軍勢はボソラへ向かい、戦いの後にここを占領した。次に向かった砦の町は既に異邦人の攻撃を受けており、天にまで届くかというぐらいの叫び声が町のなかから起こっていた。かれは兵を3隊に分けて、敵の後方から襲撃した。⎯⎯相手がユダ・マカバイと知るや、敵は戦わずして四方へ逃げ去っていった。ユダ・マカバイは進撃の勢いを緩めることなく、マアファ、カスフォ、マケド、ボソルなどギレアド地方の町々を攻めてゆき、異邦人をことごとく退けてこれを滅ぼしていった。
 勢い衰えぬユダ・マカバイ勢は、セレコウス朝の将軍ティモテオスの軍勢と渓流に面したラフォンで対峙した。兵に率先して水かさの増した渓流をユダ・マカバイは渡り、アラビア人など怒れる周辺諸民族を吸収して大軍となったティモテオスの軍隊を破り、かれらが逃げ込んだカルナイム地方の町々を焼き払ってこれらを陥落させた。
 「もはや誰もユダに抵抗することができなくなった。」(マカ一5:44)
 シモン同様、ユダ・マカバイは解放したギレアド地方の同胞を連れて、ユダヤへ帰還した。

 マカ一5:46-54〈エフロンでの破壊〉
 かれらがユダヤへ帰るためには、途中でエフロンという町を通過する必要があった。ユダ・マカバイは町を通過する許可を求めたが、返事は「否」であった。のみならず、町の入口は石で塞がれ、入れないようにされてしまった。迂回路はなく、ここを突破するよりユダヤ人に手段はなかった。
 ゆえにユダ・マカバイとその軍勢は一昼夜に亘ってエフロンを攻撃した。「彼らは男子をことごとく剣にかけて殺し、町を跡形なく破壊し、戦利品を奪って、敵の屍を踏み越えて、町を通過した。」(マカ一5:51)
 こうしてかれらはヨルダン川を渡り、大いなる歓喜のうちにエルサレムへ、シオンの山へ、1人の犠牲者を出すことなく帰還したのである。

 マカ一5:55-64〈ヨセフとアザリアの敗北〉
 シモンとユダ・マカバイの武勲を伝え聞いたヨセフとアザリアは、功名心に駆られて、自分たちが不在の間は決して敵と戦わないように、というユダ・マカバイの指示を無視して、西方の町ヤムニアに出撃した。
 が、敵将ゴルギアスの攻撃に遭ったかれらは、2,000人の犠牲者を出したのみならず、ユダヤ国境まで追撃された。ヨセフとアザリアは斯様に大敗北を喫したのは、かれらがイスラエルの救い手となる家のものではなかったためである。
 「彼らはイスラエルを救うことをその手に委ねられた者たちの一族には属していなかったのである。それに引き換え、勇士ユダとその兄弟たちは、全イスラエルのみならず、彼らの名声を伝え聞いたすべての異邦人の間で大いに栄誉をたたえられた。人々は彼らのもとに集まって、歓声を上げた。」(マカ一5:62-64)

 マカ一5:65-68〈ユダ、南部と異国の地を奪う〉
 更にその後もユダ・マカバイは戦いに明け暮れた。ユダヤ南部にてエサウの子孫エドム人と戦い、ヘブロンにある砦を破壊し、周囲に火を放った。
 異国へ向かう途中通過した町マリサでは、一部の祭司が功名心に駆られて戦場へ出て倒れることもあったが、ユダ・マカバイは異国の地のアゾトへ入ると、そこにある異教の祭壇を引き倒して、神々の像を焼き、戦利品を奪い、ユダヤへ帰還したのである。

 イスラエルの救い手となるのはマタティアの一族のみで、他の家の者は何人であろうとそれを果たすことはできない。本章はそれを、ヨセフとアザリアの敗北、祭司の戦死という2つの記述で以て語っております。
 それにしても。イスラエル/ユダヤの自治自立という目的があると雖も、なんだかユダ・マカバイは血に飢えた猟犬のようであります。エフロンの一件はまさに好例。
 進むべき道を塞ぐものあればすべからく敵であり、ゆえに殲滅してもなんら構わない。それが無用の流血であっても、いったいなんの問題があろうか。そんな風にでも考えているのだろうか。これまでの読書で出会ってきたなかでも、好戦的という点では最右翼に位置づけられるのが、このユダ・マカバイであります。



 あと1ヶ月程で最終回を迎えるアメリカドラマ『スリーピー・ホロウ』(FOX)に夢中です。面白いドラマやらないかな、と番組表を繰っていたときに偶々見附けたので、あまり期待せずに観始めたのですが、すっかりハマってしまいました。ジョニー・デップ主演の同名映画ではありませんので、ご注意を。
 1871年アメリカ独立戦争のさなか、敵軍兵と相打ちになって命を落としたイカボッド・クレーン(トム・マイソン;『砂漠でサーモン・フィッシング』他)が250年の時を経て、現代のアメリカ、スリーピー・ホロウの町に蘇る。時同じうしてイカボッドを倒した敵軍兵、首なし騎士も現れて、2人の運命が再び交差して起こる、ややオカルト風味のミステリ・ドラマです。むろん、典拠となるのはワシントン・アーヴィングの同名短編、新潮文庫た岩波文庫で読めます。
 ドラマが進行するに従ってイカボッドの隠された過去が明らかとなり、また、首なし騎士を始めとする<闇の者>たちを操る<モロク>が画策する黙示録的終末と、それを阻まんとするイカボッドと警察官アビー、その上司や協力者たちとの対立が激化してゆく。
 「あらすじ紹介メチャ下手大賞」受賞者のわたくしが言うと、なんの楽しみもないドラマになってしまうが、ご関心ある向きは是非、FOXにチャンネルを合わせて(スカパー!ならch.651)火曜日の本放送、翌日以後の再放送をご視聴いただきたい! 残念ながらソフト化されていない作品のようで、TSUTAYAとか他のショップを回ってみても見つからない。D-Lifeでは放送しているのかしら。詳しくは番組HP(http://tv.foxjapan.com/fox/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/1843)をご覧ください。
 本作は脚本、配役、設定、演出、どれを取っても文句なしの第一級品と言えましょう。『フラッシュフォワード』、『LOST』、『CSI:MI』、『CSI:NY』いずれも終了してしまったいま、わたくしが完全に夢中になれる殆ど唯一の新作ドラマが『スリーピー・ホロウ』。次のキャッチアップ放送では全話録画だっ!!
 本国では既にシーズン2の制作・放送も決定。それも納得の2014年イチオシドラマです。◆

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第1616日目2/2 〈マカバイ記一第4章:〈アマウスの勝利〉、〈リシアスとの戦い〉&〈聖所の清め〉withMacBook Air mid 2014にするのか、俺?〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第4 章です。

 マカ一4:1-25〈アマウスの勝利〉
 敵将ゴルギアスはユダヤ人の陣営に、夜陰に乗じて奇襲をかけ、これを殲滅しようと画策した。が、ユダ・マカバイはこの動きを素早く察知した。そうしてセレコウス朝の軍隊は集結しているアマウスへ移動、夜明けと共に数でははるかに優る敵軍に戦いを挑み、これを破った。敵の生き残りは西に、南に、這々の体で逃げていった。
 この様子を山から伺っていた敵の見張りがいた。味方が敗れたことを悟り、眼下の光景にとても怖気づき、またユダヤ人の軍勢が隊を整えて戦いの準備を進めている様子を目にした見張りは、ことごとく異国へ逃げていった。
 ユダ・マカバイとその兄弟は、「イスラエルを解放し、救済される方」(マカ一4:11)を讃美した。
 「こうしてこの日、イスラエルに大いなる救いがもたらされたのである。」(マカ一4:25)

 マカ一4:26-35〈リシアスの戦い〉
 どうにかこうにかアンティオキアに帰り着いた兵もいた。かれらはリシアスに、あま薄手の戦いについて報告した。アンティオコス4世の命令が果たせなかったことを知ったリシアスは、動揺し、落胆した。
 が、翌る前164年(第148年)になると、対ユダヤ・イスラエル戦を自ら率いて戦うため、軍隊を召集してイドマヤ地方へ進軍、ベトツルに陣を敷いたのである。
 ユダ・マカバイは10,000の兵を率いてこれに相対す。かれは敵の強固な陣営を前に祈り、⎯⎯
 「あなたを愛する者たちの剣で彼らをなぎ倒させてください。あなたの御名を知る者すべてが、賛美をもってあなたをたたえるようにしてください。」(マカ一4:33)
⎯⎯そうしてリシアスの軍隊へ向けて進撃した。
 かれらは刃を交えて幾多の同胞が地に倒れた。リシアスは自軍の劣勢を悟り、ユダヤ軍がますます士気をあげるのを見て、アンティオキアへ後退した。かれは次の戦いに備えて、傭兵をたくさん集めた。

 マカ一4:36-61〈聖所の清め〉
 リシアスの軍隊が交代するのを見届けたユダ・マカバイは全軍を集結させ、一路シオンの山を目指して進んでいった。
 シオンの山。そこにかつての面影はなく、凄まじく荒れ果てていた。ユダヤ人たちはそれを見て大いに嘆き、大いに哀しんだ。しかし、落胆しているばかりではなにも始まらない。
 かれらは律法に基づいて、これに忠実でなんら咎められることのない者を新しく祭司に任命した。祭司たちは聖所を清める作業に着手、汚れの石を不浄の場所へ移したりした。
 「それから汚されてしまった焼き尽くす献げ物のための祭壇の処置をめぐって協議し、それを引き倒すことが最善ということになった。異教徒がそれを汚したので、そのことで自分たちが非難されないためである。こうして彼らはその祭壇を引き倒した。そしてこの石を神殿の丘の適当な場所に置き、預言者が現れて、この石について指示を与えてくれるまで、そこに放置することにした。そして祭司たちは、律法に従って、自然のままの石を持って来て、以前のものに倣って新しい祭壇を築いた。」(マカ一4:44-47)
 神殿と聖所は修復されてゆき、雑草の生い茂った中庭も清められた。祭具類は新しくされた。燭台には火が灯されて内部を明るく照らし、香壇では芳しき香が焚かれ、供えのパンの机には供えのパンが置かれる。垂れ幕が垂らされる。斯くして為すべきことはすべて為されて、神殿と聖所は本来の姿を取り戻した。
 アンティオコス4世が不遜にも聖所に入り込み、汚したその日からちょうど3年後、即ち前164年(第148年)の第9の月(キスレウの月)の25日、ユダヤ人は早朝に起床して焼き尽くす献げ物のための新しい祭壇の上に、律法に従っていけにえを供えた。かれらは伏して拝み、自分たちを正しく導いてくれた方を天に向かって讃えた。
 「こうして祭壇の奉献を八日にわたって祝い、喜びをもって焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物と感謝の献げ物のいけにえを屠った。彼らはまた神殿の正面を黄金の冠と小盾で飾り、門と祭司部屋を再建し、戸を取り付けた。民の間には大きな喜びがあふれた。こうして異邦人から受けた恥辱は取り除かれたのである。」(マカ一4:56-58)
 ユダ・マカバイとかれの兄弟、イスラエルの全会衆は、この祭壇奉献の日を全会衆はこの祭壇奉献の日を、以後毎年同じ第9の月の25日から8日間に渡って、喜びと楽しみを以て祝うことにした。これは今世紀の現在も、<ハヌカの祭り>として続けられている。
 それに加えてかれらは、シオンの山を守るため、周囲に高い城壁と堅固な等を築いた。二度と異邦人の手によってシオンの山が汚されたり踏みにじられたりしないようにである。ユダはこれに留まらず、エルサレム南西にある町ベトツルの防御をより強固なものとし、イドマヤ地方の砦とした。

 アンティオコス4世不在時のセレコウス朝は、どうも腰砕けてばかりいるような気がする。王を戴いてこそ実力を発揮する軍隊、代理の者が頭にあってはどうにも士気が鈍ってやる気が出ない。まさかそんなわけもあるまいに、ではこの弱々しさはどうしたことか。
 なんだかね、ゴルギアスもリシアスもユダヤを倒さんという欲ばかりが先行して、肝心の戦略や兵の動かし方に欠けるものがあったようにさえ思えてくるのであります……。殊、リシアスの場合、王不在時にユダヤを根絶やしにしておくよう厳命されていましたしね。もしかすると、プレッシャーに負けてしまったのかもしれませんね。呵々。
 もっとも、逆に考えれば、それだけユダヤ軍が強力になって会戦馴れしてきたのかもしれませんが。
 今後もたびたび出てくるので、ここで註解すべき点を一つ。
 アンティオキアはセレコウス朝シリアの首都として、アンティオコス4世がペルシア=メディアへ出陣する場面で名が登場した。これはわれらのよく知る固有名詞で言えば、エルサレムとなる。この別称はセレコウス朝以前にこの地方を領土としていた、プトレマイオス朝エジプトが名附けたものであるらしい。少なくとも地図には斯く表記されている。
 そうしてシオンの山は、勿論エルサレムのなか、或いは隣接する位置にあって神殿を擁す場所である。リシアスとの戦いに勝ったユダヤは神殿のあるシオンの山を奪回、これを再建した後ここの守りをベトツルの町ともども固めたのだ。別の言い方をすれば、かれらは敵の懐深く入り込んでその喉元に刃を突き付ける形となったのである。
 ただ、どちらの勢力もエルサレムを完全掌握することはできなかった。それが両者の頭痛の種となったことは間違いないでありましょう。



 MacBook Air mid 2014の購入を真剣に迷っている、と言うて早1週間。勿論、まだ購入していません。
 CPUが1.4GHzデュアルコアIntel Core i5 プロセッサにアップデートし、国内価格が約5,000円安くなった、という程度の変更内容なら、昨年のモデルでも良いかなぁ。が、バッテリの駆動時間が少し長くなっていると聞けば、MacBook Air mid 2014を選ぶのが得策だろう。そう思う一方で、Macを購入検討に入れた今年1月頃から、店頭で散々触り倒したMacBook Air mid 2013にも後ろ髪が引かれるのだ。んんん、そこはかとなく湧きあがる愛着でしょうかね?
 どちらでも構わないじゃん、そんな余計な悩み事を増やすなよ。それもそうなのだが……原稿を書き上げる時間の短縮化を図るなら、まさしくどちらでも構わないじゃん、という答えは正しい。有無を言わせぬぐらいに、正しい。
 結局、MacBook AirのRetinaモデルがこの先いつ出るのか、本当に出るのか。そんなことわからないし、出るかどうかもわからないものを指をくわえてぼんやり待つのも阿呆らしい。このあたりで決断を下すしかないのだろうな。
 「マカバイ記 一」の読書が終わる頃には、どちらのモデルかわからないけれど、買ってしまっているような気がする。うーん、なんだか怖いなぁ……。まさにこれって、アイヴスの作品を捩れば<答えの出ない悩み>ですよね。ちなみにこの問題が解決したら、次はiPadですね! 実は3月頃、まじめに考えたんですよね、これなら家族で使えるなぁ、って。でも、これはまた別の話題。ちゃお!
 ……はあ。◆

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第1615日目 〈マカバイ記一第3章:〈ユダ・マカバイ〉、〈ユダ、セロンを撃つ〉他with——HIGH HOPE!!〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第3章です。

 マカ一3:1-12〈ユダ・マカバイ〉
 故マタティアに代わってその子の1人、ユダ・マカバイが立って律法を尊ぶ一団を率いた。兄弟と、イスラエル全員がかれを支えた。父の遺言通り、ユダ・マカバイは「律法に従わない者たちを/捜し出しては追いつめ、/民を混乱させる者たちを、焼き殺した。」(マカ一3:5)
 敵はかれの働きに恐れを抱き、震えあがり、不法を行う者らは等しく混乱した。
 と同時にかれは、敬虔なるユダヤ人にとって救い手であった。「救いの道は彼の手で開かれた」(マカ一3:6)からである。
 前165年。サマリア地方にセレコウス朝の将軍(司令官、総督とも)アポロニウスがいた。アポロニウスは進撃を続けるイスラエルを撃つため、異邦人を召集してサマリアに大部隊を集結させた、その数は一説に22,000人とも伝えられる。が、これまでの戦いを戦い抜いて勝利してきたユダ・マカバイ率いるイスラエルは、アポロニウスの大軍を打ち破った。アポロニウス側の兵の多くが深手を負い、動ける者は皆いずこかへと逃げていった。ユダ・マカバイは敵将アポロニウスの剣を自分の戦利品とし、その後もこれを手にして戦い、勝利を重ねていった。

 マカ一3:13-26〈ユダ、セロンを撃つ〉
 同じ前165年のこと。セレコウス朝の将軍セロンは、ユダ・マカバイの武勇を聞きつけ、俄然強めな態度に出た。「王国一の栄誉は俺のものだ」(マカ一3:14)と曰うて。
 セロンの軍勢は、イスラエルに仇なそうと企む不敬虔な連衆を取り込みながら、拡大していった。やがてかれらはエルサレムの北西約10キロの位置にあるベト・ホロンの上り坂にさしかかった。
 一方ユダ・マカバイはセロンの軍隊の接近を知り、かれを捕らえようとわずかの兵を率いて出撃した。兵はセロンの軍隊の規模に驚き、怯んだ。あれだけの大軍相手にどうやって戦えというのですか。しかもわれらは今朝からなにも食べていないのです。
 ユダ・マカバイは兵を叱責して、鼓舞した。少人数でも多勢に打ち勝つことはできる。「我々は命と律法を守るために戦うのだ。天が我々の目の前で敵を粉砕してくださる。彼らごときに怯むことはない。」(マカ一3:21-22)
 斯くしてユダ・マカバイとその一団はセロンの軍隊に奇襲をかけ、これを混乱させて退けた。剣から逃れ得た者たちは這々の体でペリシテへと逃げていった。

 マカ一3:27-37〈ペルシアおよびユダヤへの王の遠征計画〉
 「ユダとその兄弟に対する恐怖の念が広まり、恐怖が周囲の異邦人たちを震え上がらせた。その名は王の耳にまで達し、ユダ・マカバイの戦いぶりが異邦人の間でも語りぐさになった。」(マカ一3:25-26)
 王即ちアンティオコス4世はユダ・マカバイとイスラエルの連戦連勝、勢力拡大、戦力増加について聞き知るや激怒した。そこで王は、国内の全戦力を召集してユダ=イスラエル戦に備えて常時待機させた。しかし、いつ何時不測の事態が訪れるとも知れなかったので、常時待機を維持させるための費用は莫大なものとなり、為に国庫は危機に曝された。
 どうにかしなくてはならなかった。
 大層苦慮した挙げ句、アンティオコス4世はペルシアとメディアへの遠征を決意した。彼の地より租税を徴収して、大量の銀を集めて国庫の支えとする考えであった。
 王自らペルシア=メディア遠征の指揮を執ることにした。ユーフラテス川からエジプト国境に至る王国の国事一切は、要職に在って血縁にあたるリシアスに委ねられた。王は、自分の留守中にエルサレムとユダヤの根絶やしを命じ、住む者がなくなった地には他国民を入植させよ、と言い置き、首都アンティオキア(エルサレム)を出発した。
 前165年のことである。

 マカ一3:38-45〈ニカノルとゴルギアスの出陣〉
 リシアスはプトレマイオス、ニカノル、ゴルギアスら将軍を選び、対ユダヤ戦に出発させた。巨大な軍勢は、平野にあってエルサレム西北西に位置するアマウス近くに陣を敷いた。
 ユダ・マカバイはセレコウス朝の巨大な軍勢が迫ったのを知ると、戦いに備えて祈りを捧げた。また、慈悲と哀れみを天に求めるための集会が開かれた。ユダ・マカバイの言葉、⎯⎯
 「同胞を絶望の淵から奮い立たせ、民と聖所のために戦おう。」(マカ一3:43)

 マカ一3:46-60〈ミツパの戦い〉
 かれらはエルサレム北方のミツパに行った。その日、かれらは断食して粗布をまとい、律法の巻物を広げた。祭司服と初物の献げ物、十分の一税を持ってきて、誓願の日数の満ちたナジル人を立たせ、天に向かって叫んだ。
 聖所は踏みにじられて荒らされ、祭司たちは悲嘆に暮れて辱められています。この者たちをどうしたらよいでしょう。どこへ連れてゆけばよいでしょう。異邦人どもがわれらに対してなにを企んでいるか、おわかりでしょう。あなたの助けなくして、どうしてかれらに立ち向かえましょう。
 ⎯⎯ユダ・マカバイは民の間に指揮官を立て、一部の者を律法の定めるところに従って各々の家に帰らせた。この後、ユダとイスラエルは出立し、アマウスの南に陣を敷いた。ユダ・マカバイは言った、⎯⎯
 「武具を着けよ。勇気を出せ。明朝は、我々の聖所を滅ぼそうとして集まっているあの異邦人どもとの戦いだ。備えを怠るな。わが民族と聖所に加えられる災いを目にするくらいなら、戦場で死ぬ方がましではないか。万事は天の御旨のままになるであろう。」(マカ一3:58-60)

 ナジル人は忘れた頃に登場する。そんな気がします。新共同訳聖書に付された「用語解説」に拠れば、「特別な請願によって「神にささげられ、聖別された人」の意。その誓願の継続中は、酒を絶ち、頭髪を剃らず、死体に触れなかった」(P15)と云々。ここでは誓願の期間の満ちたナジル人を立たせて、天への訴え者としたというのでしょうか。
 マカ一3:56「家を建てている者、婚約した男、ぶどうの植え付けをしている者、心ひるんでいる者、以上の者たちは律法に従っておのおの家に引き返すよう彼は勧告した」の典拠は、申命記第20章第3-9節。念のため、該当箇所を以下に記します、⎯⎯
 祭司たちが出陣前に民へ告げる、「イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。役人たちは民に勧めなさい。『新しい家を建てて、まだ奉献式を済ませていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が奉献式をするようなことにならないように。ぶどう畑を作り、まだ最初の収穫をしていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が最初の収穫をするようなことにならないように。婚約しただけで、まだ結婚していない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が彼女と結婚するようなことにならないように。』 役人たちは更に民に勧めて言いなさい。『恐れて心ひるんでいる者はいないか。その人は家に帰りなさい。彼の心と同じように同胞の心が挫けるといけないから。』役人たちが民への勧めを終えたならば、各部隊の長は民の指揮を取りなさい。」
 久々のせいもあってか、なかなかアタリを付けられなくて「民数記」と「申命記」を頭から読み直してしまいましたよ。連休ならではの技ですね。



 “May the force be with you”ということで、今日(昨日ですか)は《スター・ウォーズ》の日。勝手に決めたわけでなく、ちゃんとルーカス・フィルムが制定した由緒正しき謂れの日です。それに因んでCSチャンネルのザ・シネマでは、サーガ6作品と関連作品、特別番組を只今放送中。
 掃除や原稿書きの合間にときどき観ていましたが、やっぱりとてつもなく興奮させられる。のめり込めて、純粋に楽しめる。カメラの動きに合わせて思わず自分の体も動いちゃったりしてね(ex;スピーダーバイクのシーンとか)。年齢を重ねても初見の時と同じように楽しめる映画、極めて貴重であると思います。
 この原稿を仕上げたら、このiMacで《スター・ウォーズ》のDVDを鑑賞、エキサイティングするとしましょう! ボックス売りとバラ売りの、どちらを観ようかな……。

 皆様、この大型連休をどのようにお過ごしですか?
 わたくしはこの時期のみ開催のイヴェントへバイトに出掛け(残念だけれど、LFJAJではないんだな。あのイヴェントにはおぐゆーさんの思い出が染み付いているよ……)、本ブログ用原稿と書き溜めエッセイの筆を執り、若干ながら予定が遅れている部屋の片付けをする、という普段と殆ど代わり映えのしない日々を過ごしております。刺激はないけれど、こんな長い休み、最高に気持ちいいです!
 昨年初頭に入社したIT系企業にあのまま在籍していたら、と思うと、寒気と恐怖と虫唾が同時に走ります。30数名いたはずの同期の過半が去り、業務繁忙・業績不振でブラック企業化しているとのことなので、もしかするとわたくしは良い時に退職したのかもしれない。
 今更ながら、誤解まみれで事実無根の噂のみを根拠に、被害者たるわたくしの話へは一切耳を傾けぬまま即日退職に追い込んでくれた<思考の公園>に住まう方々(元凶たる、当時退職を装って姿を消していた同期を含む)には、心よりの感謝を申し上げたい気分。いや、本心です。
 この方々の陰謀なくして今日のわたくしはなく、最高の仕事と最高の環境、最高の仲間に巡り会えた幸せは手に入れられなかったから……。これはルサンチマンではない。わが本心から生まれたかれらへの感謝の言葉であります。
 これからのわたくしが望みたいもの? それはねぇ、……
 GIVE ME LOVE,
 GIVE ME PEACE.
 ——HIGH HOPE!!◆

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第1614日目 〈マカバイ記一第2章:〈マタティアとその子ら〉、〈安息日の惨劇〉他with憂い事、非常事態宣言〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第2章です。

 マカ一2:1-28〈マタティアとその子ら〉
 時に前167年、エルサレム北西約30キロにあるモデインという町に、一人の敬虔なユダヤ人マタティアが、5人の息子と一緒に暮らしていた。ヨハネ、シモン、マカバイと呼ばれるユダ、エレアザル、ヨナタンである。かれらはエルサレムで起こった凶事の数々を知って、声をあげて、衣服を割いて粗布をまとい、泣き悲しんだ。
 その年の或る日、アンティオコス4世の命令を伝えに、セレコウス朝の役人がモデインヘやって来た。背教を促しに来たのである。町の住人すべてが集められた。マタティアとその息子たちも役人の前に集められた。役人がマタティアに目を留めて、言った。曰く、⎯⎯
 あなたはこの町の有力な指導者で人々の信頼も篤い。だから、あなたには率先して王の命令に従ってほしい。そうすれば、たくさんの褒美が与えられることだろう。
⎯⎯と。
 が、マタティアは頑としてこれを拒んだ。たとい王の領土内で暮らすすべての人々が、王の命令に従って先祖の宗教を棄てたとしても、わたしはそんな命令に従って生きるつもりはない。わたしは先祖の神との契約に従って生きる。「律法と掟を捨てるなど、論外です。わたしたちの宗教を離れて右や左に行けという王の命令に、従うつもりはありません。」(マカ一2:22)
 そのとき、1人の住民が、異教の祭壇へ生贄を捧げようと進み出た。恭順の意を示そうというのだろう。しかしマタティアはこれを見て大いに憤激し、律法への情熱ゆえにかの者を斬殺した。またその勢いで、王の役人の1人も同じ目に遭わせ。マタティアは続けて異教の祭壇を引き倒す。それらは往古、ピネハスがジムリに対して行ったと同様、律法への情熱が為さしめたものであった(ex;民25:7-8,14-15)。
 モデインの住民に向かってマタティアは、律法に従って生きる者、契約を固く守る者はわたしに続け、と言って町を去り、山中へと逃れた。5人の息子たちがそれに従っていた。

 マカ一2:29-38〈安息日の惨劇〉
 時を同じうして、荒れ野には背教を拒み、王の命令に従わぬ者たちが集まっていた。このことは当然、王の役人たちと軍隊の知るところとなった。
 安息日。セレコウス朝の兵たちは荒れ野の隠れ場に潜むユダヤ人たちに恭順と排莢を呼び掛ける。が、ユダヤ人たちはこれを拒絶した。安息日を汚せ、という王の命令など聞けるものか、と言って。
 すると兵たちはユダヤ人の攻撃に掛かった。けれども安息日なるがゆえにユダヤ人たちは応戦せず、隠れ場を守ることなく、大地に倒れていった。かれらの曰く、「我々は全員潔く死ぬ。お前たちが我々を不当に殺したことを大地が証言してくれよう」(マカ一2:37)と。
 この安息日に殺されたユダヤ人は1,000人に及んだ。

 マカ一2:39-48〈抵抗の始まり〉
 同胞を見舞った安息日の惨劇を知ったマタティアとその同志たちは、犠牲となったかれらを心より悼み、決意した。
 荒れ野の同胞は安息日を守って敵に抗うことなく死んでいったが、われらはそれを良しとしない。たとえその日が安息日であろうと、敵が襲いかかってくるならば、剣を持って戦おう。荒れ野の隠れ場で死んでいった同胞のような最期は決して遂げまい。
 ⎯⎯マタティアの下には続々と志を同じうする者が馳せ参じてきた。イスラエル屈強のハシダイの一群もそのなかにいた。その後も陣営は規模を大きくしてゆき、結束を固めた。かれらは異教に染まって先祖の生活を顧みなくなったユダヤ人を討ち、町々にある異教の祭壇を破壊した。割礼を受けていないユダヤ人がいれば力づくで割礼を施させた。こんな風にしてかれらは各地を回ったのである。
 「こうして彼らは不遜な者どもを追撃し、勝利への道を着々と手にして、異邦人や、王たちの手から律法を奪回し、勝利の角笛を罪人に渡すことはなかった。」(マカ一2:47-48)

 マカ一2:49-70〈マタティアの遺言〉
 前166年マタティアに死期が近附いた。
 かれは5人の息子たちに遺言した。曰く、⎯⎯
 「今は高慢とさげすみのはびこる、破滅と憤りの世だ。お前たちは律法に情熱を傾け、我らの先祖の契約に命をかけよ。我らの先祖がそれぞれの時代になした業を思い起こせ。そうすればお前たちは、大いなる栄光と永遠の名を受け継ぐことになる。」(マカ一2:49-51)
 アブラハムを思え。ヨセフを思え。ヨシュアを、カレブを思え。王ダビデを思え。預言者エリヤを思え。ハナンヤ、アザルヤ、ミシャエルを思え。ダニエルを思え。
 神に希望を置く者は決して力を失わない。罪人の言葉を恐れるな。かれの栄光は明日には消え失せる。、息子たちよ、律法を拠り所として雄々しく生きよ。律法によってのみお前たちには栄誉が与えられるのだ。
 息子たちよ、兄弟シモンの言葉に耳を傾けよ。かれは知略に長けた者である。
 息子たちよ、兄弟ユダ・マカバイを軍の指揮者として仰げ。かれは諸国民との戦いを戦い抜くであろう。
 「お前たちは、律法を実践する者全員を集め、民のために徹底的に復讐することを忘れるな。異邦人たちには徹底的に仕返しし、律法の定めを固く守れ。」(マカ一2:67-68)
 前166年、マタティアは5人の息子を祝福したあと、逝去した。遺体はモデインにある先祖の墓へ葬られた。
 全イスラエルがかれの死を深く悼んだ。

 マタティアは<マカバイ戦争>のシナリオのファースト・シーンを書いた人でした。
 セレコウス朝の役人の前で堂々と自己の信ずるところを述べ、眼前で敵に恭順を示す輩あれば、同胞であろうとためらうことなく殺められるマタティア。律法への情熱を失うことなく抱き続けた人だからこそ、その意志が誤ることなく揺らぐことなく、5人の息子たちへ伝わったのでありましょう。
 息子たち、専らユダ・マカバイの活躍は次章以後で語られてゆきます。そうしてマタティアの血筋は再びこの地方に王朝国家を芽生えさせることになるのです。
 マタティアという人物の、その律法主義の頑なさ、その国粋主義の強烈さ、その行動理念の過激さに感じ入るところ大だったわけですが、これは亡国を経験した民族ならではのアイデンティティなのかもしれません。



 おわかりいただけるかもしれないが、本書に入ってブログ原稿は長いものばかりである。なんとか知恵と能力を絞って短くしようと思うものの、あまり成果はない。
 これまでならモレスキンのノートに1ページか1.5ページ程度で収まっていた原稿が、現在は2ページ以上になることが当たり前である。必然的に清書を読む時間、不明点があれば調べる時間、原稿を書く時間、帰宅してパソコンに清書する時間が、以前に比べて長くなるわけだ。
 わたくしがちかごろ軽くて駆動時間の長い、13インチ程度のノートPCの購入を真剣に検討しているのは、それゆえのことなのだ。おまけに最近は残業と早朝出勤がしばしばで、ますます時間は足りなくなってくる。おお!
 頭痛の種の一つが読者離れの懸念だ。長くなる原稿を読んでくださる方がどれだけいるだろうか? 原稿作成にかかる時間の短縮と読者離れを防ぐ、一挙両得の方法はないものか。……実は一つだけある。考えられる限り、唯一現実的な、<たったひとつの冴えたやりかた>。
 つまり、原稿の分割である。これまでもたびたび採ってきた方法だ。ほぼすべての章が「1/2」、「2/2」となるが、案外「マカバイ記一」はこのスタイルがぴったりかもしれない。こちらも息切れすることなく、読者も飽きず読みやすく、これこそ一挙両得なのではあるまいか?
 とはいえ、これの採用をいますぐ行うわけではない。当面は常の通り、1日1章の原則を貫徹する。本ブログが「マカバイ記一」の読書中に分割掲載を行ったら、一種の非常事態宣言であると思うていただいて構わない。◆

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第1613日目 〈マカバイ記一第1章:〈アレキサンドロス大王とその後継者〉、〈アンティオコス・エピファネスの登場〉他with新MacBook Airが発売されましたが、……〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第1章です。

 マカ一1:1-9〈アレキサンドロス大王とその後継者〉
 マケドニアの王アレクサンドロスは幾多の戦いを経て、その領土を東へ、西へ、北へ、南へ、伸ばしていった。栄華ここに極まれり。が、病に倒れて遂に崩御すると、跡目争いが勃発した。ディアドコイ戦争である。斯くしてアレキサンドロス大王のマケドニア帝国は分裂し、3人の将がそれぞれ王朝を樹立、3朝鼎立の時代を迎えた。地には悪がはびこった。

 マカ一1:10-15〈アンティオコス・エピファネスの登場〉
 時代が下り、世代は変わり、セレコウス朝シリアから最悪の王、悪の元凶アンティオコス・エピファネス(アンティオコス4世)が現れた。ギリシア人の王朝第137年、即ち前175年のことである。
 この頃、イスラエルには律法に背いて生きる者が続出していた。かれらは積極的に周辺諸国の民と交わり、かれらの習慣を取り込んでゆき、かつての生活を忘れてゆく。「こうして彼らは異邦人の流儀に従ってエルサレムに錬成場を建て、割礼の跡を消し、聖なる契約を離れ、異邦人と軛を共にし、悪にその身を引き渡した。」(マカ一1:14-15)

 マカ一1:16-28〈アンティオコスの遠征と神殿略奪〉
 シリアでの支配権を固めたアンティオコス4世は、プトレマイオス朝エジプトを後退させて落とした要塞都市からの略奪を繰り返した。次に遠征の標的となったのはイスラエルであった。
 前169年(ギリシアの王朝第143年)、王とその軍勢はエルサレムに入城。王は不遜にも神殿の聖所へ入り込み、すべての装飾品を剥ぎ取り、祭具や宝物を略奪した。それのみならず、都の住民を無差別に殺戮し。そうしてかれらは自分たちの都へ帰った。
 イスラエルの全地に大いなる悲しみがあふれ、ユダヤの全家は哀しみに暮れ、恥辱を身にまとった。

 マカ一1:29-35〈エルサレム再び汚される〉
 2年後、王は再び来て、言葉巧みに都の民を騙し、エルサレムに更なる破壊と略奪を敢行した。
 ダビデの町即ちエルサレムに強固な城壁が巡らされ、この都は要塞化された。そこには罪深い異邦人と、律法に背く者たちが配置され、武器や食料、戦利品がここに蓄えられた。これは、ユダヤ人にとって大いなる罠となった。

 マカ一1:36-40〈都を嘆く歌〉
 要塞は聖所に対する罠。聖所のまわりに罪なき者の血が流され、斯くして聖所は汚された。都はいまや他国民が住むところとなり、異郷の地も同然となった。
 聖所は荒れ野の如くとなり、都の栄誉は諸国民の嘲笑の的となった。エルサレムの尊厳はいまや悲しみに取って代わった。

 マカ一1:41-63〈アンティオコスのユダヤ教迫害〉
 占領政策の一環として、アンティオコス4世は諸民族の習慣を排して各地でヘレニズム化を推し進め、エルサレムとユダヤに対してはかれらの宗教であるユダヤ教の禁止を発布した。多くのユダヤ人がこれに同調して、セレコウス朝の宗教に鞍替えした。そうして先祖たちがしたように、異教の偶像にいけにえをささげ、安息日をも汚したのである。
 多くの民が律法を捨て、セレコウス朝の流儀に従って生き、悪を犯した。
 神殿の祭壇には「憎むべき破壊者」の像が建てられた。周囲の町々に異教の祭壇が築かれ、戸口や大路で香が焚かれた。律法の巻物は見附かり次第焚書の憂き目に遭い、契約の書を持っていたり律法に従って生きる人々は発見されるや即時処刑された。悪き者たちは町を隈なく練り歩き、ユダヤ人への暴行を欠かすことがなかった。毎月25日には、主の祭壇上に築かれた異教の祭壇でいけにえがささげられた。割礼を受けた子の母親、その乳飲み子、その家の者、割礼を施した者は、いずれも処刑された。
 アンティオコス4世によってユダヤ人は、「律法を忘れ、掟をすべて変えてしまう」(マカ一1:63)生活を余儀なくされた。が、心ある敬虔なるユダヤ人たちはそれを潔しとせず、「聖なる契約に背くよりは、死を選んで死んで」(マカ一1:63)ゆくこともあったのである。斯様にしてイスラエルは、神の激しい怒りの下に置かれたのだった。

 これまでアッシリア、バビロニアによる占領政策をわれらは垣間見てきました。が、セレコウス朝シリアによるそれは、本章での描写が詳しくなっているせいか、より過酷で、いっそう凄惨であります。
 こうも民族の宗教が弾圧されたのは、いったいなぜだったのでしょう。セレコウス朝シリアが支配下に収めた国はいずれも例外なく、こうした宗教弾圧がなされたのでしょうか。他に伝える資料があるならそれは未見でありますが、ユダヤ教は紀元前から迫害され続けてきた歴史があるのだ、ということが本書に於いて理解されます。
 「マカバイ記 一」が旧約聖書続編でしか読むことができないのは、甚だ残念としか言い様がありません。
 でも、こうした迫害・弾圧の時代にあっても、主の目に正しいと映ることを行って生きる人々のあることになにやら安堵する思いもすることであります。



 マイナーチェンジを施したMacBook Airが04月29日に発売されましたね。あまり気乗りのしない新モデルです。Macユーザーになって初めての新モデル発売が、それまでの現行機種とさして代わり映えしないというのは、なにやら淋しくもあり、白けた気分でもあり、というところです。
 今回の新モデルに食指はあまり動きませんが、それでも価格が下がったというのは大きな魅力。5000円程度とはいえ、前モデルよりも価格の面で検討しやすくなったのは事実ですから、そろそろ外での原稿書き用にMacBook Airを買おうと思います。11インチか13インチか……悩むなぁ。◆

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第1612日目 〈「マカバイ記 一」前夜〉【修正版】 [マカバイ記・一]

 旧約聖書はイスラエル国家の歴史を綴った書物でもありました。かつてイスラエルは唯一無二の国家であった。アッシリアとバビロニアという強国に翻弄されてその軍門に降ったこともあった。そうして旧約聖書の終わりではペルシアの属州となってその庇護下にある。そんな状況下でエルサレムと神殿は再建された。
 旧約と新約の間には、約400年の隔たりがあります。空白期といえばそれまでですが、その間も勿論イスラエルは存続した。しかしもはやペルシアの影はその上になく、代わってその地方に覇権を築き、イスラエルを実効支配しているのはマケドニア帝国でありました。
 マケドニア帝国。アレクサンドロス大王によってその版図、その繁栄、その栄華を極めた、紀元前に於いては最大最強の国家として、様々な書物に名を残しております。が、大王の急逝後、国は大いに乱れて後継者を自認する者たちが割拠してディアドコイ戦争が起こる。結果、マケドニア帝国はアンティオコス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレコウス朝シリアに分裂して鼎立の時代を迎えたのでありました。旧約と新約の空白期をつなぐ書物、「マカバイ記 一」はこうした時代を背景としております。
 「マカバイ記 一」はシリア地方を統治するセレコウス朝の下、ヘレニズム化してゆくエルサレムとユダヤ人社会を憂い、一部の愛国者が団結・蜂起したことで勃発したマカバイ戦争について物語る。このとき、セレコウス朝シリアの王はアンティオコス4世。プトレマイオス朝エジプトを圧してエルサレムを擁すユダヤを完全なる支配下に置き、エジプト征服をも視野に収め得たものの、マカバイ戦争の対処に専念するため、それは諦めた。
 このアンティオコス4世、即ちアンティオコス・エピファネスについて「マカバイ記一」は多くを語りますが、特に1:10にて「悪の元凶」と断言されているのが目を引きます。理由は続く各章からも明らかになりますが、その最たるものは神殿を汚し、破壊し、ユダヤ教を圧迫、すべてのユダヤ人に背教を促した点でありましょうか。アンティオコス4世はこれを契機に、徹底した民族的アイデンティティの壊滅を実行しようとしたのでした。
 では、そもマカバイとはなにか? 別に「ハスモン」とも呼ばれるマカバイは、この戦争に於いて指導者的役割を担った一族でありました。
 マカバイ家の者は、「シメオンの子であるヨハネの子で、ヨヤリブの子孫の祭司であったマタティア」(一マカ2:1)に始まり、かれの5人の息子の内、マカバイと呼ばれるユダを中心に兄弟シモンとヨナタン、時代が下ってはシモンの子ヨハンネス(ヨハンネス・ヒルカノス1世)に至る。ちなみに「ハスモン」はマタティアの先祖の名、マカバイ家がハスモン家とも呼ばれる理由はこれであります。
 なお、セレコウス朝シリアのみならずディアドコイ戦争を経て鼎立した3朝はいずれもローマ帝国に滅ぼされました。まだ<帝国>への発展途上にあるとはいえ、マカバイ戦争の時代にもローマ人の武勇は知られるところであったようであります。第8章にそれは記されており、為にユダはローマと接触し、同盟を結ぶに至ったのでありました(一マカ8:23-29)。
 人名・地名、固有名詞が久しぶりに乱舞しますが、話はとてもストレートに、ひたすら前へ進み、かつ躍動的。歴史書を読む興奮もじゅうぶんに味わえます。既にわれらは「ダニエル書」でこの時代、この出来事の到来を、<幻>という形ながら知らされていました(第8章)。あれから約1年が経つ。「マカバイ記 一」読書の前に、ダニエルがどのような幻を目にしていたのか、さっと振り返っておくのもよいかもしれません。本ブログに於いてそれは、第1280日目にある。
 それでは明日から1日1章の原則で、「マカバイ記 一」を読んでゆきましょう。◆

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