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第2073日目 〈パウロ書簡についての備忘録〉 [新約聖書・付言]

 明日から聖書読書ブログを再開しますが、「使徒行伝」を以て歴史の記述は終わり、今度はその歴史のなかの折々に書かれた書簡群を読んでゆくことになります。
 書簡のパートは大半が<パウロ書簡>で占められ、それらは3つのカテゴリーに分類されるのです。まず各書簡のタイトルを見ましょう。
 ・ローマの信徒への手紙
 ・コリントの信徒への手紙 一
 ・コリントの信徒への手紙 二
 ・ガラテヤの信徒への手紙
 ・エフェソの信徒への手紙
 ・フィリピの信徒への手紙
 ・コロサイの信徒への手紙
 ・テサロニケの信徒への手紙 一
 ・テサロニケの信徒への手紙 二
 ・テモテへの手紙 一
 ・テモテへの手紙 二
 ・テトスへの手紙
 ・フィレモンへの手紙
 配列は執筆年順ではなく、長さに従っています。
 カテゴリーだが、「ローマの信徒への手紙」から「ガラテヤの信徒への手紙」までが<主要書簡>乃至は<4大書簡>として重視されております。
 次に「エフェソの信徒への手紙」から「コロサイの信徒への手紙」までと「フィレモンへの手紙」の4つが<獄中書簡>と呼ばれます。
 最後に「テモテへの手紙 一」と「同 第二」、「テトスへの手紙」が<牧会書簡>として、まとめられているのであります。
 「テサロニケの信徒への手紙 二」は未だパウロ真筆を疑われているためいずれのカテゴリーにも含まれない。「同 一」がどこにもカテゴライズされていない理由を、わたくしは知りません。
 <獄中書簡>の<獄中>とは文字通り牢獄内を指しますが、この「獄」がいったいどこの「獄」なのかはわからないのです。カイサリアだったか、「使徒行伝」の最後にあるローマでの2年間を指すのか、定かではありません。まだ読書も始まったばかりですから、このあたりのことは追々調べてゆこうと思います。
 <牧会書簡>は教会の指導者であった者たち、ここではパウロの宣教旅行の随伴者であったテモテとテトスに宛てられた、励ましの書簡であります。
 13あるパウロ書簡のうち、最初に書かれたのは「テサロニケの信徒への手紙 一」とされるが、最後がどの書簡であったのか、判然としません。おそらく「ガラテヤの信徒への手紙」であろう、とされている説もあるけれど……この書簡は50年代なかばに書かれたもいうので、結局は事実は歴史のカーテンの向こうに埋もれてもはや見ることはかなわない部類に入る事柄なのかもしれません。
 それでは、明日から新約聖書の読書は書簡編に入り、鈍重な歩みながら<パウロ書簡>を読み進めてゆくことと致します。◆

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第1844日目 〈共観福音書について〉 [新約聖書・付言]

 ──やはり共観福音書については400字詰め原稿用紙約2,3枚の分量になったとしても、「マタイによる福音書」に入る前に短いものを書いておいた方がよい、と思うのであります。
 新約聖書に収められる福音書のうち、始めの3つ、即ち「マタイ」、「マルコ」、「ルカ」を<共観福音書>と呼びます。これらを斯く呼ぶのは、この3つの福音書には共通する挿話や表現が多く見られる点に、理由を求められます。
 もう一つの福音書である「ヨハネ」には、たとい同様の挿話があったとしても切り口や視点を変えていたりするなどの独自性がある。たとえば、冒頭に於いてイエスを明確にキリスト即ちメシアである、としている点などです。他の福音書と「ヨハネ」を分けるこの独自性という点については、後日〈「ヨハネによる福音書」前夜〉にて話題としましょう。
 さて、「マタイ」、「マルコ」、「ルカ」には多く共通部分のあることはわかった。が、流石にそれだけでは共観福音書とは言い難い。
 3つの福音書が斯く呼ばれるのは、その事実を基にして或る作業が行われたためでした。その作業というのが、18世紀ドイツのヨハン・グリーンバッハによって、「マタイ」、「マルコ」、「ルカ」に共通する挿話や表現を、横一列の見開き対照表にしたシノプシス(共観)の作成だったのです。これが3福音書を総して<共観福音書>と称すようになった謂われであります。このシノプシスは日本語訳も出ており、ちょっと大きな図書館などに行けば所蔵されているのではないでしょうか。
 新共同訳聖書には各章の小見出し横にこの共通部分が注記されていますので、読書中に気になった挿話などあればその都度、他の該当箇所を参照することができます。
 もう一つ、共観福音書については各福音書の成立時期も併せて述べる必要があるかもしれません。近世までは個々の福音書は、現在新約聖書に収められる順番に執筆、成立した、とされてきました。しかし近世以後は研究も進んだお陰で、まず「マルコ」がいちばん最初に成立し、それを基にして「マタイ」、「ルカ」がそれぞれ書かれた、というのが定説になっております。
 但し、「マタイ」と「ルカ」の間にどのような関係性があるのかは不明です。「マルコ」を基にして「マタイ」、「ルカ」のいずれかが成立して、更にそのあと残りのどちらかが成立したのか。或いは、「マルコ」を基にして「マタイ」と「ルカ」が別々に成立したのであって、元から「マタイ」と「ルカ」の間に相互関連的な関係性はなかったのか。──実際のところがどうであったのか、タイムマシンでその時代に戻らぬ限り、現時点では結論はとうてい出せぬ問題でありましょう。古代から伝わる書物には必ず付きまとう編纂過程の問題は、これら福音書に於いても避けられぬことなのでありました。
 また、成立過程はどうあれ、「マタイ」も「ルカ」も「マルコ」のみを参考、典拠としたのかどうか、甚だ疑問でありまして、いまや殆どが「マルコ」以外の資料も参考にして「マタイ」と「ルカ」が執筆、成立したてふ意見を採る。その「マルコ」以外の資料を指して特に<Q資料>といい、新約聖書外典として扱われる「ペトロの福音書」や、同じ外典であってイエスの語録集、世に言う<ナグ・ハマディ文書>の一つである「トマスの福音書」、その他の新釈聖書の成立に関与する資料のことであります。──いつか機会を得たらこのナグ・ハマディ文書や、新約聖書の成立に影響を及ぼしたグノーシス主義についてのエッセイを書いてお披露目したいものだ、と思うておるところであります。
 これらの資料については概説書や学術書などでも扱われることの多い事項なので、もっと詳しく知りたい、深く勉強したい、という方は、是非それらについて書かれた本をいろいろ読んでみてください。
 ──以上、<共観福音書>について述べてきました。それでは明日からいよいよ「マタイによる福音書」を読んでゆきましょう。◆

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